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最後の事件記者 p.450-451 同じ遊軍に辻本芳雄氏がいた

最後の事件記者 p.450-451 カストリ雑誌全盛のころ、私が「夫婦雑誌」というのに内職原稿を書いているのを知った辻本さんは「オイ。ヘンなものは書くなよ。筆が荒れるゾ。新聞記者は、後世に残るものを書くんだ」と
最後の事件記者 p.450-451 カストリ雑誌全盛のころ、私が「夫婦雑誌」というのに内職原稿を書いているのを知った辻本さんは「オイ。ヘンなものは書くなよ。筆が荒れるゾ。新聞記者は、後世に残るものを書くんだ」と

あとがき

いま、こうして、私の新聞記者としての、ひとつの区切りに立って、いったい、現在の私の人格形成に、どんな人たちが影響を与えて下さったか、について、考えてみた。

記者としては、三人の先輩が挙げられる。昭和二十二年秋、シベリアから復員して、帰り新参の私が、社会部遊軍に戻った時、同じ遊軍に辻本芳雄氏がいた。

カストリ雑誌全盛のころで、私が、「夫婦雑誌」というのに、内職原稿を書いているのを知った辻本さんは、「オイ。ヘンなものは書くなよ。筆が荒れるゾ。新聞記者というのは、後世に残るものを書くんだ。単行本としてまとめられる、〝専門分野〟を持つのだ。物書きなんだから、著書の二冊や三冊は出版できなきゃ……」と、忠告して下さった。

当時の社会部長で、報知新聞社長時代に逝去された竹内四郎氏。昭和二十三年に、「日銀現送箱」事件というのをスクープした。日銀の新潟支店から、古紙幣回収のための現送箱に、米を詰めて本店に送った事件だ。私だけが事件を知って、取材している時に、日銀の輸送課長という人物に〝誘惑〟された。そのことを、冗談まじりに報告した時だった。

正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで

正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで 著者紹介
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正力松太郎の死の後にくるもの カバーそで 著者紹介
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著者紹介

1929年/盛岡市に生まれる。
1943年/日大芸術科卒業、読売新聞入社。
1958年/読売新聞を退社。

現  在/評論、報道のフリーのジャーナリストとして執筆活動を続けるかたわら、一般旬刊紙として「正論新聞」を三年前に創刊。
ひきつづき主宰している。

著  書/東京コンフィデンシャル・シリーズ「迎えにきたジープ」(1956年刊) 「赤い広場—霞ヶ関」「最後の事件記者」(1958年刊) 「事件記者と犯罪の間」(現代教養全集第5巻収録)=文春読者賞=(1960年刊) 「黒幕・政商たち」(1968年刊)

現住所/東京都新宿区西大久保1の361金光コーポ 505号