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迎えにきたジープ p.182-183 鹿地は米ソの二重スパイだった

迎えにきたジープ p.182-183 And the US arrested a man, a Soviet spy. This man was Kaji, who was supposed to be a US spy. No wonder the US side got angry. "Bite the hand that feeds you."
迎えにきたジープ p.182-183 And the US arrested a man, a Soviet spy. This man was Kaji, who was supposed to be a US spy. No wonder the US side got angry. “Bite the hand that feeds you.”

C、火線及び敵後方に於ける工作隊の派遣による宣伝

a、軍隊(第一線)と協同して、若干名(経験によれば五名前後を適当とする)を一組とする宣伝工作隊を派遣し、対陣中の敵日本軍、又は作戦中の日本軍にラウドスピーカーを以て宣伝する。情況によってはメガホンによる談話を交換する。第一線に於ては過去の経験によれば、ビラを菓子箱に

入れて贈り、又は夜間に敵の鉄条網にプレゼントを掲げておき、又は物品の交換等の交歓手段を使用するなど、各種の有効な宣伝を行い得る。

b、小数の訓練されたる秘密人員で組織した後方攪乱部隊の宣伝

右は遊撃隊と協同することにより、日本軍の駐住すると予想される町村の宿舎、厨房、学校等にさまざまな宣伝品を前もって散布する方法。駐屯地各城市中に潜入しての各種宣伝の方法等が考えられる。

情報に関する工作

A、俘虜調査による情報蒐集

俘虜の教育過程に、われわれの過去の経験によれば、軍事、政治、日本国内の人民生活、その心理的情況等に関する豊富な材料を獲得ができる。

B、捕獲物品、文件の調査等による情報の獲得。(以下略)

彼の〝転身〟の経過を整理してみると、第一の時期は、日本軍閥に反抗して中国に渡り、当時の国共合作時代の重慶(国府)延安(中共)と、これを後援していた米国の三者側についた。

それがのちに二つに割れ、中共をソ連が応援しだすと、まず延安側についた。左翼作家だった鹿地氏としては当然のことである。

ところが、次の時期には重慶側についたのである。日本の敗戦時には重慶におり、マ元帥顧

問だと自称して、得意満面のうちに帰国してきたのだ。

この〈米—国府側〉対〈ソ—中共側〉との間の往復回数は、さらに多かったかも知れない。しかし戦後帰国した際には、重慶で米国のOSS(戦略本部)や、OWI(戦時情報局)に働いていたほどだったから、当然米国側について、重慶時代と同じように、諜報や謀略の仕事をしていたに違いない。

これをみても明らかな通り、彼は一言にしていえば、米ソの二重スパイであったのだ。そして、米国側ではソ連スパイ鹿地を逆用して米国スパイに仕立てあげたつもりでいたのである。

一方、米国側では、前に述べたように「幻兵団」の存在を探知して、これの摘発に懸命に努力していたのである。そして、その一味である「三橋正雄」なる人物を摘発、これを逆用スパイとして利用していた。

その結果、米国側では三橋の報告により、そのレポとしてソ連のスパイである一人の男を逮捕した。調べてみると意外なことには、この男は米側スパイであるはずの鹿地氏だということが判ったから大変だ。米国側が怒ったのも無理はない。飼犬に手をかまれていたのだ。それから鹿地氏証言にあるような拷問(?)が行われた。

米国側には鹿地氏が米国スパイとして働いた記録があり、やはり裏切者への怒りが爆発した のであろう。

迎えにきたジープ p.184-185 『敵の手で敵を斃す』諜報謀略

迎えにきたジープ p.184-185 The Soviet Union learned from Mitsuhashi's report that Kaji was arrested by the US. So, the Soviet might have used Japanese public opinion to release Kaji and use it to boost anti-American sentiment.
迎えにきたジープ p.184-185 The Soviet Union learned from Mitsuhashi’s report that Kaji was arrested by the US. So, the Soviet might have used Japanese public opinion to release Kaji and use it to boost anti-American sentiment.

米国側には鹿地氏が米国スパイとして働いた記録があり、やはり裏切者への怒りが爆発した

のであろう。その頃には、米国側では〝処置〟として鹿地氏を殺すべく計画していたかも知れない。そして鹿地氏は、その米国側の企図を察知したのか、または他の理由で自殺(狂言?)を図った。

折よく肺病が再発したので各所を転々、殺すか、釈放するかを打合せ中、〝謀略のマーフィー〟といわれるマーフィ大使が着任、さらに利用価値があるかも知れないというので、たらい回しのまま時が経ってしまった。

またソ連側では、鹿地氏が消息を絶ったので、調べてみると(三橋のソ側への報告から?)米側に逮捕されたと分った。そこで、日本の世論を沸せて、鹿地氏を釈放させ、さらにこれを反米感情をたかめるのに利用したのではあるまいか。

それを証拠だてる有力な資料が前掲した怪文書である。この英文怪文書の正体は、いまだにつかめないのであるが、戦後、帝銀、三鷹、松川の怪事件にも登場しており、つねにその事件が米国の謀略であるという内容をもっている。

これらの文書が米側から流されたという判断は、その内容や起きることが予想される反響とから考えられないことである。すると左翼系から出たことになる。なぜか「アカハタ」にはこの好個のニュースが一言半句も掲載されなかったが。鹿地氏逮捕を知ったソ連側が、鹿地氏に

行われた虐待を、反米感情をかき立てる材料として、ヘタクソな英文に託して怪文書なるものを作成させ、バラまかせたことは容易に推測できる。

これは『敵の手で敵を斃す』という、諜報謀略の原則からも肯ける推測であろう。しかし、日本の治安当局は、これら四通の怪文書を入手して、その英文、用紙、タイプの癖などからその正体を突きとめることは出来なかった。

三 せせり出てきた敵役

鹿地事件における日本世論の硬化に驚いた米側では、ついに鹿地氏を釈放せざるを得ない破目に追いつめられた。

自らの不手際のため、鹿地問題でその虚をつかれた米国側としては、釈放に当って鹿地氏から、『私はソ連のスパイだった。この事件で米国に対しては賠償要求などしない』と、一札をとってもいたけれど、すでに鹿地氏を反米斗争の英雄として、祭り上げるお膳立ができているところへ放すのだから、鹿地事件をつぶす準備だけは忘れなかった。

すなわち、鹿地氏釈放の二日前ごろ、つまり十二月四、五日頃に、国警長官に対して、『三橋正雄(多分それはローマ字でミハシ・マサオとあったと思われる)というソ連引揚者のスパイがいる』旨を通告したのだ。

何故米国側が鹿地氏を釈放したか、その真意は分らないが、鹿地氏の言うように〝人民の力

で救われた〟かどうか、ともかく一般に鹿地失踪事件が騷がれてきたからとみることが正しいようだ。