■□■小沢自由党の“馬脚事件”のこと■□■第4回■□■ 平成11年(1999)4月3日
東(あずま)祥三。47歳。比例代表東京ブロック当選の自由党衆議院議員。当選3回。創価大学院卒で国連職員だった人物。顔貌(がんぼう)もマトモだし、その年齢からも、将来を嘱望できる議員だと思っていた…。その彼が、先ごろ記者会見をして、「東京15区の柿沢辞職の後の補選出馬はやめた」といった。ところがその記者会見には、中西啓介議員が同席しているではないか。なぜなのだ?
東議員は公明党から出馬して、中選挙区制度最後の前回(平5.7.18)は東京6区で柿沢、不破につぎ第3位で、2回目の当選。小選挙区になれば、柿沢絶対優位なので、不破と同じく比例に回ったのだろう。同席していた中西議員は、自民党時代からスキャンダルまみれの古いタイプの議員。前回中選挙区では、和歌山1区で9万余票のトップ。小選挙区でも同区で6万6千のトップ当選である。しかし、前回当選後、電通社員だった息子の麻薬事件で辞職(平7.5.12)して、1年半後返り咲いた。私の個人的見解では、小沢一郎を評価できないのは、このような側近を登用しているからである。
4月1日の日テレ「ザ・ワイド」は、浅香光代が野村沙知代への“果たし状”宣言をとりあげていた。その時、加藤タキがいった。「あの人が立候補したこと。政治をなんと考えているのか、許せません」と。まさに名言である。東議員の辞職は、野村の繰り上げ当選を意味する。幸いにもそれは消えたが、東議員にはその認識があっての、15区転出だったのだろうか? 繰り上げでも、野村は経歴詐称などで辞職に追い込まれよう。ただ、仮に一時期でも野村が衆議院議員になったら、もう世紀末と笑ってはいられない。議員の私利私欲がムキ出しになり、公明党も、自由党も、ともに信用できないことを示した“事件”であった。 平成11年(1999)4月3日