〝日本の機密室〟員が通訳として、外国の経済特使につきまとっており、その特使の行動が極めて不可解なものであった、という事実しか筆者は知らない。しかし、この事実は当時内調の謀略として、一部で問題視された事件であった。果して内調が何を意図し、何を行い、何を得たかは全く分らない。しかし、このような奇怪な事件があったことは事実である。
アザーム博士に肝付内調室員がつきまとっていたのと同じ時期に、西独のボンでは村井室長が二人の英国諜報員につきまとわれていたという、皮肉な廻り合せの事件が起きていたことは面白い。
つまり、肝付氏にアザーム博士工作を命令(?)した村井室長は、その後外遊して有名な「腹巻のヤミドル事件」の主役として、いろいろな意味で問題となっていたのである。
この事件というのは、村井氏が三千ドルのヤミドルを腹巻の中にしまいこんでいたのを、英国官憲に摘発され、上衣まで切開かれて取調べをうけたというデマが流され、同氏が新情報機関の立案者だけに大いに間題となったことだ。
新情報機関というのは、二十七年十一月に当時の緒方官房長官が構想を練り、特殊国策通信社を設立し、各国の放送、無電の傍受をしようというものである。ところがその構想の下請けは村井氏が企画したもので、内閣調査室を母体にしようというのであった。
そういう時期が時期であり、村井氏の欧米出張がMRA大会出席という名目であり、外交官旅券が出されたのだから出張命令は出ているのに、旅費は出ていないということなども疑惑を生んで、三千ドルはヤミ工作資金ではないかという騒ぎになった。
村井氏は内務官僚で、第一次吉田内閣の首相秘書官から、特高一斎罷免のあとをうけて警備警察制度の創設に当り、二十二年国警本部に警備課を新設してその課長になり、さらに二十七年春内閣調査室長に転じた人である。
私にとっては、例の幻兵団記事が治安当局でもオトギ話としか受取られなかった頃、村井課長が早くもこれに注目して、その資料の収集に当ったという因縁があるのだ。
九月二十二日帰朝した村井室長は、ヤミドル事件をデマだと否定したし、外務省へも在外公館からの公電で事実に反するといってきたから、デマであることは事実だ。ではこのデマは何故出てきたのだろうか。
この事件こそ、今日の怪文書事件の原因ともいえる、内調発足時からの内務官僚と外務官僚との、主導権争いのセクショナリズム的対立であり、また日米英ソ四ヶ国の秘密機関にまつわる〝説〟もあるほどの、激しい国際諜報謀略戦のヒナ型である。しかもまたラストヴォロフ事件とも関係している。
まずこの内調の基礎的な条件からみてみよう。これは村井氏が企画立案したもので、綜合的 な情報機関として、その設立を各方面に進言し、自らその責任者となって発足した。