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編集長ひとり語り第16回 「マリコ」再放送と国際結婚

編集長ひとり語り第16回 「マリコ」再放送と国際結婚 平成11年(1999)6月20日 画像は三田和夫52歳(中央 正論新聞・社内宴会1973)
編集長ひとり語り第16回 「マリコ」再放送と国際結婚 平成11年(1999)6月20日 画像は三田和夫52歳(中央 正論新聞・社内宴会1973)

■□■「マリコ」再放送と国際結婚■□■第16回■□■ 平成11年(1999)6月20日

1981年というから、今から18年前の昭和56年、8月15日にNHKが放送した「マリコ」が、19日の土曜日の夜に再放送された。日米開戦時にワシントンの日本大使館勤務だった外交官、寺崎英成とその妻のアメリカ人グエン。二人の間の娘マリコの回想録の形で、この一家に戦争のもたらした運命を描いたドラマである。18年前の感動を、いままた、流れる涙を拭きながら、見つめ直していた。初放送時には、NHKの電話交換台がパンクするほどに電話がかかってきたという。

さて、今回の再放送が、どのように視聴者に受け入れられたであろうか。日本国の内外情勢も、この20年ほどで大きく変わってきているのだが、改めて、民族と戦争という不変のテーマをつきつけることになっただろうと思う。というのは、日本の国際化はどんどんと進み、国際結婚も多くなり、日常生活のすぐそこに、外国人が住み、働いている現実だ。外国人の登録人口は約150万人。日本国籍人の1%を越えている。日本に帰化する外国人も多くなり、そこで“日本国籍人”という表現をせざるを得ないのだ。

私の知人の中国人夫婦も帰化した。その長男の男の子は、「日本の高校の教育程度が低すぎる」と、上海の高校へ戻った。だが、今度は日本国籍の日本名前だから、いうなれば留学である。アジア諸国からの日本への留学生はどんどん減って、来世紀には、日本の若者たちが、中国や韓国に留学する時代になるだろう。日本の学校教育はダメになった…。

「マリコ」の父、寺崎は8月15日の天皇放送を聴き、妻にいう。「私の国は敗けた。あなたの国が勝った」と。妻グエンが夫に向かって叫ぶ。「どちらが勝った、敗けたじゃない。平和が戻ってしあわせが帰ってきたのよ」と。いうなれば、国際結婚の先駆者であり、日本外交官が交換船で帰国する時、米国に残れという夫に反対して日本に渡り、戦時中の食糧不足、買い出しまでやったアメリカ人グエンの毅然たる人間愛のほとばしりだ。

私は国際結婚推進派である。戦争をなくすためには、外国人同士の結婚と、混血児をふやしていくのが一番だと思う。1945年ごろは、まだまだ偏見がまかり通っていた。だからマリコは、戦時下の日本で、アメリカ人とイジメられる。「半分は日本人よ!」と悪童たちにマリコは立ち向かう。

父の国と母の国(あるいは民族)が戦争する悲劇は、まだ世界各地で起きている。「民族浄化」などという、慄然とするような日本語訳が、平気でマスコミに用いられている無神経さは、マスコミもまた病んでいる証拠である。政治と政治家はもとより、教育、学力がともに低下し、マスコミが病む。その日本女性は、不婚、不産の傾向にあるのだから少子化社会と高齢化社会が同時進行して、21世紀の日本の衰退は必至である。

だからこそ、国際結婚のすすめである。マリコは、アメリカで弁護士と結婚し、州の事務所で働いている。そして、ドラマの最後を、次のようにしめくくる。「私は上海で生まれ、第二次大戦、朝鮮動乱、ベトナム戦争と、戦争の中で育ち、戦争を目撃してきたから、平和の尊さを実感した」と。

NHKは、この再放送の反響を、ぜひ数字とともに公表して欲しい。そこには、18年前と違う、意見と数字があるハズだ。国際結婚と混血児、戦争についての、視聴者の気持ちを知りたい。ことに“アメリカの属国としての戦争接近”に無神経な小渕内閣と国会議員たちが成立させた、ガイドライン法が戦争法である事を、ドラマ・マリコの視聴者が感じているかどうかを、知りたい! 平成11年(1999)6月20日

最後の事件記者 p.150-151 立身出世主義ではない

最後の事件記者 p.150-151 しかし、一体、この「新聞記者の功名心」とは何なのであろうか。あの、割に合わない仕事で、精根をスリへらす功名心とは? 単なる男の名誉慾なのだろうか
最後の事件記者 p.150-151 しかし、一体、この「新聞記者の功名心」とは何なのであろうか。あの、割に合わない仕事で、精根をスリへらす功名心とは? 単なる男の名誉慾なのだろうか

吉橋部長は、一応まじめな顔で、

『ともかく、当分は気をつけた方がいいですよ』と、親切に忠告してくれた。

そんな空気の中で、やがて、長男が生れたのだ。妻は覚悟をきめたのか、格別の心配もせず、従って、やせたり病気になったりもせずに、一貫八十匁という、大きな赤ン坊を生んだ。産後も順調だった。健康第一を願って健太と名付けた。

子供が生れると人間は弱くなるという。社の自動車部員などで、独身の時代にハリ切っていて、事件だなどというと、百キロ近くも出して飛ばした男も、結婚して、子供が生れると、もう完全な〝安全運転〟になってしまうほどだ。

私は子ぼんのうな父親ではあったが、一歩家を外にすると、相変らずのカミカゼ取材だった。ニュースの焦点に体当りで突ッこんでゆく。

妻は、何回か、「子供もいることだから、危険なお仕事をやめて!」と哀願した。私も子供の寝顔を見ながら、そういわれると一言もなく、「ウン、もうこれからはしないよ」と答えた。

しかし、一体、この「新聞記者の功名心」とは何なのであろうか。あの、割に合わない仕事で、精根をスリへらす功名心とは? 単なる男の名誉慾なのだろうか、物慾なのだろうか。

書かれざる特種

功名心と立身出世

新聞記者の功名心という、旺盛な報道精神が、ただ単に報道しさえすればよいんだ、というものでないことは確かである。当然、そこには合法的であり、人権を尊重するといった一定のルールがあるはずである。

そればかりではなく、社会批判としての、厳しい〝記者の眼〟がなければならない。この厳しさのかげには、同時に、温かさも必要である。

記者の功名心が、直ちに立身出世主義と結びつけられるということは、おかしな論理である。つまり、功名心というものが、人間の欲望の一つであるには違いないが、この「欲」が、すなわち、キタナラしい立身出世主義ではない。