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雑誌『キング』p.106下段 幻兵団の全貌 NKVD秘密警察

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 下段

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教えこまれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集まれば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談の花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では、自己保身はむずかしいのだ。三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌ・カ・ベ・デ)=内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している=の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動にならからだ。ましてそこにはNKがいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える、『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、ス

迎えにきたジープ p.018-019 五課の情勢分析はズバリ適中

迎えにきたジープ p.018-019 The Soviet Army's aim was to arrest Japanese war criminals and to detect White-Russians and reverse spies, but more importantly, to forfeit the vast Soviet information collected by the Kwantung Army.
迎えにきたジープ p.018-019 The Soviet Army’s aim was to arrest Japanese war criminals and to detect White-Russians and reverse spies, but more importantly, to forfeit the vast Soviet information collected by the Kwantung Army.

クリエールも大変な仕事で、終戦少し前ごろ、シベリヤ本線の列車内で、某中佐がウォッカを買って飲んだところ、毒薬入りで血を吐いて死んでしまった。同行の若い大尉は逆上してしまってその死体を下ろさせない。

そこでソ連側は、とうとうチタで実力を行使して、大尉を縛り上げ、死体を下ろしてしまった。急報でモスクワの大使館員が駈けつけた時には、暗号のコードブックが入ったトランクは開かれ、暗号はちゃんと盗写されてしまっていたという。外交特権を持ったクリエールでさえこんな調子である。

しかし、さきごろアメリカで発表されて問題となっている、例のヤルタ会談協定によって、ソ連が極東向け第一陣を送り出したのは、二十年の二月下旬であった。これをシベリヤ本線で目撃したのが、クリエールとしてモスクワに向っていた丸山元大尉ら三名の日本将校で、参謀本部に打電して曰く。

『リンゴ二箱、すぐ送れ』(二ヶ師団が東に向った)

これは当時の参謀本部ロシヤ班が、その対ソ資料によって判断していたことと同じで、五課の情勢分析はズバリ適中した訳だったのである。

昭和二十年八月九日、一斉に満ソ国境を越えたソ連軍は、ハルビンへ、新京へ、奉天へと、怒涛のような進軍を開始した。その第一線戦闘部隊のすぐあとには、スメルシ、NKVD(内務省秘密警察軍)などが我先にとばかりに続いている。

直ちに摘発が始まった。彼らの狙いは戦犯の逮捕であり、祖国の裏切者である白系や逆スパイの検挙だったが、それよりも重大だったのは、関東軍の対ソ資料を押えることだったのである。

侵入してきたソ連軍は一兵卒にいたるまで、出逢った日本軍人にこういった。

『日本人は独乙人とウラルで握手して、ソ同盟を半分コにしようとしたんだろう』

そう教育され、固く信じこんでいた彼らにとって、日本がソ連の実情をどの程度に把握していたかということは、今後のスパイ戦の研究と、祖国の防衛とのために、是非とも調べねばならないことだった。

一方日本陸軍では八月はじめついに全軍に重要書類の焼却命令を発した。参謀本部では重宗元中佐が焼却班長となって、八月六日から十一日まで、連日のようにこれらの対ソ資料を煙とともに灰にしていった。

だが、課員のうちのある者たちは『どうしてこれを焼き捨てられよう。他日、再び日本のために役立つ時がくるのではないか』といって、目星しい資料をあつめ、将校行李につめて復員隠匿してしまった。

ところが現地軍では、樺太では大部分をソ連軍に押えられ、関東軍ではわずか一部分を、駐蒙軍でもやはり一部分が国府軍に流されていった。

迎えにきたジープ p.038-039 光っているスパイの眼と耳

迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari's words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.
迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari’s words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.

小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその収容所の政治部の部員に対しまして、お前に処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

……この男ならば絶対に信頼できると、ソ連側が認める場合にはスパイの命令を下します。

……そうしてスパイというのは、殆どスパイになっておる人は、非常に気持の小さい男で、ビクビク者が多いというので、民主グループを作る場合にはその人を使いません。

……こういう男を選んで、それに新聞社から行って連絡しまして、こういうことをやれ、その代り後のことは心配するな、後で問題が起った場合にはすぐ連絡する……』(参院速記録による)

委員会は深夜の十時まで続いた。

二 私こそスパイなのだ

私が小針氏の言葉で反射的に想い浮べたあるデータというのは、実にいまわしい私自身の想い出であったのである。

私は終戦時新京にいたのだが、公主嶺でソ連軍の捕虜になった。九月十六日、私たちの列車が内地直送の期待を裏切って北上をつづけ、ついに満州里を通過したころ、失意の嘆声にみちた車中で、私一人だけは鉄のカーテンの彼方へ特派されたという、新聞記者らしい期待を感じながら街角で拾った小さな日露会話の本で、警乗のソ連兵に露語を教わっていた。

イルクーツクの西、チェレムホーボという炭坑町に丸二年、採炭夫から線路工夫、道路人夫、建築雑役とあらゆる労働に従事させられながらも、あらゆる機会をつかんではソ連人と語り、その家庭を訪問し、みるべきものはみ、聞くべきものは聞いた。

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教え込まれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集れば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談に花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では自己保身はむずかしいのだ。

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。

迎えにきたジープ p.040-041 同胞の血で血を洗う悲劇

迎えにきたジープ p.040-041 Hundreds of thousands of Japanese became Soviet military POWs. In chronic hunger, some have become Soviet spies in return for a piece of bread. They forged and informed the facts, and a tragedy occurred that forced many compatriots to die.
迎えにきたジープ p.040-041 Hundreds of thousands of Japanese became Soviet military POWs. In chronic hunger, some have become Soviet spies in return for a piece of bread. They forged and informed the facts, and a tragedy occurred that forced many compatriots to die.

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。

 平常から要領のうまい最初の男を嫌っていた最後の人の良い男は、真剣な表情で前の二人に負けないだけの名文句を考えるが、とっさに思いついて『ヤポンスキー・ミカド・ターク!』(日本の天皇なんかこうだ!)と、首をくくる動作をする。

 これが美辞麗句をぬきにして、ソ連大衆が身体で感じているソ連の政治形態の、恐怖のスパイ政治という実態だった。

戦争から開放されて、自由と平和をとりもどしたはずの何十万人という日本人が、やがて、〝自由と平和の国〟ソ連の軍事俘虜となって、慢性飢餓と道義低下の環境の中で混乱しきっていた。その理由は、俘虜収容所の中まで及ぼされた、ソ連式スパイ政治形態から、同胞の血で血を洗う悲劇が、数限りなくくりひろげられたからだった。

一片のパン、一握りの煙草という、わずかな報償と交換に、無根の事実がねつ造され、そのために収容所から突然消えて行く者もあった。

収容所付の政治部将校(多くの場合、赤軍将校のカーキ色軍帽と違って、鮮やかなコバルトブルーの

制帽を冠ったNKの将校である)に、この御褒美を頂いて前職者(憲兵、警官、特務機関員など)や、反ソ反動分子、脱走計画者、戦犯該当者などの種々の事項を密告(該当事項の有無にかかわらず)した者がいたという事実は、全シベリヤ引揚者が、その思想的立場を超越して、ひとしく認めるところである。

だがこの密告者たちは、そのほとんどが、御褒美と交換の、その場限りの商取引にすぎなかった。これは昭和二十一年末までの現象であった。

二度目の冬があけて、昭和二十二年度に入ると、身体は気候風土にもなれて、犠牲も下り坂となり、また奴れい的労働にもなじんでくるし、収容所の設備、ソ連側の取扱もともに向上してきた。生活は身心ともにやや安定期に入ったのである。

ソ連側の混乱しきっていた俘虜政策が着々と整備されてきた。俘虜カードの作成もはじめられた。だが、やがて腑に落ちかねる現象が現れはじめてきた。

その一つは、或る種の個人に対する特殊な身上調査が行われていること。特殊なというのは、当然その任にある人事係将校が行うものではなく、思想係の政治部将校がやっていることだった。しかも、呼び出しには作業係将校の名が用いられ、面接したのは思想係だったというような事実もあった。

迎えにきたジープ p.108-109 キリコフ大尉が訊問

迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.
迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.

下りきらない熱に浮かされたような推理が、次々と勝村の疲れ切った頭を駈けめぐっていっ

た。

『ねずみ、ねずみだ!』

全く突然、勝村は大声で叫び出してしまった。あとは息が続かず低く口の中で呟いた。

『発疹チフスの次はペストに違いない……』

そのまま彼は再び昏睡してしまった。

チェレムホーボ収容所が発疹チフスの脅威にさらされていた、ちょうどそのころのこと。シベリヤ本線を東へ東へと、数千キロも離れたハバロフスクの街。内務省(エヌカー)ハバロフスク地方管理局という厳めしい建物の一室では、勤務員のキリコフ大尉が一人の日本人を訊問していた。

モスクワの東洋大学は日本語科出身の通訳官ゲリヤノフが、なめらかな日本語で通訳し、書記が記録する。もちろんキリコフ大尉も日本語は得意だったが、公式の場合だから宣誓署名した通訳官が立会うのだ。

日本人は元関東軍第七三一部隊教育部長、東軍医中佐だった。第七三一部隊というのは例の石井部隊である。

『部隊で行なわれていた実験について述べてもらいたい』

『一九四五年一月、私は安達駅の特設実験場に赴きました。ここで私は第二部長と本多研究員

の指導下に、ガス壞疽による感染実験が如何に行われていたかを見ました……』

そしてまた、それと同じころハルビンの旧陸軍第二病院の一室では、大谷小次郎元軍医少将の執刀のもとに、腺ペスト患者の生体解剖が行なわれていた。

大谷少将の背後には、青肩章の正服の上にペスト予防衣をつけた、秘密警察(エヌカーベーデー)の将校が二人立っている。それから数人のソ連人助手の中に女性が一人。

彼女は三十八度線以北の朝鮮を占領すると同時に、北鮮の首都となった平壌に秘密細菌試験所を開設した人だった。彼女はもとは裏海の中の一小島にあった、エフバトリヤ第二号実験所のメムバーだったが、クリミヤ半島のエフバトリヤ市に出張中、実験所の細菌学者たちが、自分たちの培養した腺ペストにかかって全滅し、一人厄逃れをしたという腺ペストの権威でもあった。

第二病院長だった大谷少将は、病院の研究室が石井部隊と関連を持っていたことから、このチェレグラワー女史の協力者となることを承知せざるを得なかった。実験台に上らされているのは日本人である。

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

迎えにきたジープ p.192-193 秘密警察セクリートの恐怖

迎えにきたジープ p.192-193 NKVD's secret action team, called "Secrete", is infiltrating every workplace and every level. No one knows the fear of Secret NK as much as the Soviet people.
迎えにきたジープ p.192-193 NKVD’s secret action team, called “Secrete”, is infiltrating every workplace and every level. No one knows the fear of Secret NK as much as the Soviet people.

NKVD(内務人民委員部)は呼称の改正に伴って、昨年の二月頃からMVD(内務省)になったのだから、私たちの調書は逮捕から、半年後にはモスクワに着いたわけだ。ところで、いまここで訊

問している連中は、MGB(エムゲーベー)(国家保安省)の「戦犯査問委員会」に属している。これは恐らく旧NKVDのうちの、ゲー・ペー・ウーだけがMGBに移って、俘虜や戦犯の管理はMVDで、訊問や摘発はMGBでやるようになったのだろう。

同室の誰かがいったように、MVDもMGBもソ連国家の必要悪というよりも、ソ連国民の業である。なにしろこれらの秘密警察は、四世紀ほど昔のイワン雷帝の代にはじまって、帝政末期にはアフランカとして、泣く子も黙らせる力を示し、革命後はまずチェカー、ついでゲー・ペー・ウと名前はかわったものの、帝政以上の猛威を逞しくしたのだから。

もちろん、私がいままでエヌ・カー・ヴェー・デーと書いてきたものは、エム・ヴェー・デーのことである。

ソ連は軍人の国である。真横にピンと張った大きな肩章、襟や袖やズボンの縫目にまでも兵科別の細い色筋がついた派手な軍服、大きな正帽と長靴——民間人がボロ服をまとい、日用品に事欠きながら「働らかざるものは食うべからず」の鉄則に追いまくられて、パン稼ぎに狂奔するとき、軍人の妻は働らかざるものなのにパンの配給をうけ、美しい家庭着に白い手足をつつんでいる。もちろん軍人といっても将校だけのことである。

その将校の中でも巾の利くのがエヌ・カーである。エヌ・カー・ベー・デーというのは内務

人民委員部の略称で、前々称のチェ・カー、前称のゲー・ペー・ウーと同じである。国家保安労農警察、国境並に国内警備、消防、強制労働管理、戸籍、経理の七局に分れて、赤軍と同じような服装をした正規軍を、コバルト・ブルーの鮮やかな正帽の短かいつばの下に、鋭い眼をひそませた精悍な顔付の将校が指揮している。

彼らの青帽子は、赤軍将校のカーキ帽子とハッキリ区別されているが、セクリートと呼ぶ私服の秘密行動隊が、あらゆる職場やすべての階層に潜入している。〝壁に耳あり〟の諺と、その耳の恐さをソ連人ほどよく知っているものはあるまい。

彼らは自分の周囲の誰が、セクリートであるか分らないという恐怖に、いつもつきまとわれている。ただ、職場の友人が突然行方不明となったり、昨日の上役が今日は一労働者に転落したりする事実を、その理由をうなずけないままで既成事実として認識している。

『パチェムー?』(何故?)と問うことは許されない。ましてや姿を消した人の消息を追及するなどは常識の埒外である。

内務省は軍隊と警察に分れる。軍隊はさらに、国境警備隊と国内警備隊に分れている。この国境警備隊の司令部第四課が、通称NHO(イノオ)と呼ばれ対外諜報を担当しているのだ。作戦上の責任分担は、国境線から敵領十キロまでは国境警備隊で、それ以遠は赤軍の管轄である。