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赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 日本人実業家・鮎川が依頼した?

赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”
赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”

一方孔祥熙はアメリカで揚子公司を創設したが、これは中共へ送り込む戦略物資

の買漁りをやったためアメリカ政府によって閉鎖させられた。そして揚子公司の東京支店として、昭和二十三年にアルバート・リーが日本に派遣されたらしいというのである。

この話を想像したのは日本の警備当局ではなく、はっきりと、アメリカの連邦検察局(FBI)で、日本の当局はそれに基いて行動していると言ってもよさそうだ。

記者は高良とみ女史に会って単刀直入に、訪ソ資金はどこから出たのかと失礼な質問をしてみたが、『全貯金を払い下げて行ったんですよ。私は北京で中国銀行総裁の冀朝鼎には会いましたが、彼はコロンビヤ大学の同期生だったから、懐しくて会ったにすぎない。帆足、宮腰両氏のことは知らないがあの人たちは日本から香港までは少くとも自弁でしたでしょう』と語った。

また当時香港では帆足、宮腰両氏に中共系の大公報記者が単独会見したとき旅費を渡したともいわれていたが、これは両氏に聞いてみると、『とんでもないデマだ』と二人とも否定した。アルバート・リー氏は『それは馬鹿げた評判である。私はアメリカ人だし共産党に資金を出すはずがない。アメリカでは政治的討論は自由だが、日本には旅行者として来ているのだから、政治的な話はしたくない。また揚子公司というのは孔祥熈ではなく宋子文がやっていたと聞いている。彼は蒋介石と義理の兄弟である。その東京支店は富国ビル内の三一公司がそれだと人に聞いたことはある。高良とか帆足という人はひょっとしたら出入りの多い私の事務所に、訪ねて来たことがあるかも知れないが記憶はない。いず

れにしても私の知ったことではない』と語った。

 最後に中国大使館の某高官は、『君たちのもっている情報が正確かどうか立場上言えないが、アルバート・リーが中共治下になってからの天津に往復していたことは確かな情報を持っている』と語った。この高官はつけたし『こういう話は本人に聞いたって、その通りだという人はあるまい』とも言った。

 全くその通りだが、われわれとしては聞いてみる以外に方法はなく、うわさのあることは事実で、うわさをあえて取りあげたのは東京の租界的性格を浮びあがらせるためであった。

 この記事を読んだリー氏は、『アメリカ人として共産党といわれることは、国家への反逆を意味する重大問題だ』と、日本人弁護士を通じて記事の全面的取消を要求してきた。

 そのため私はリー氏側の反証資料も参考として、事実に反するかどうか、再調査したのであった。しかしこの話は私自身で確証を得たものでないことをお断りしておこう。

 鮎川(名は分らない)という日本人実業家が、三人をつれてある米国籍人(この人も名前は分らないが、少くともリー氏の友人であろう)の許にやってきた。そして三人の旅費保証人になってくれという。鮎川氏の息子たちの渡米旅費の保証人になっていたその米人は、気軽く引受けてサインをしてやった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.158-159 高良女史はソ連圏の在日出納責任者さ。

赤い広場ー霞ヶ関 p.158-159 Albert Lee's lawyer threatened me, "If you don't revoke the article, you'll have $ 4 million in damages and $ 6 million in compensation, as well as a defamation case."
赤い広場ー霞ヶ関 p.158-159 Albert Lee’s lawyer threatened me, “If you don’t revoke the article, you’ll have $ 4 million in damages and $ 6 million in compensation, as well as a defamation case.”

ところがこの三人がソ連に入ったのだから大変である。AP通信の記者がその米人の許へきて、『旅費は貴方が出したそうだが本当か』という。これを聞いてビックリした米人は岡崎外相に会って、『米人が共産党の旅費を出したというのでは大変だ。是非私のサインのある証拠をなくしてくれ』と頼み込んだ。岡崎外相はOKとばかりに一件書類を取寄せて破り捨て公文書毀棄をやってのけたというのである。

 しかしこの話ではリー氏が無関係だという立証はされなかった。相手方の日本人弁護士は私に対して『取消さないなら、名誉棄損と同時に四百万ドルの損害賠償と、六百万ドルの慰謝料請求訴訟も起す』と脅かした。

 私は再調査の結果、原社会部長に『大丈夫です』と報告した。期限付の最後通告がきたが黙殺したところ、ついに訴訟は起されなかったので、私は事実だったと信じている。

 もう一つ記事の後日譚で村上氏のことがある。例の記事の取材の時、村上氏は最後に『もしもこんなことをスッパ抜くと貴方は大衆の怒りを買いますよ、国際的にも……』と私を脅かしたが、別の機会に母堂と令妹とに逢うことができた。

 御両人の語る村上氏の像は、私に〝ナホトカ天皇〟津村謙二氏を想い出させた。村上氏はそ

の後、日ソ親善協会の役員をしていると聞いたが、私には村上氏がやがていつの日にか、『俺はヒューマニストだったンだ』と呟く日があるように思えてならない。だが、その村上氏にあのように強く、口をつぐませているものの正体は何だろうか。

 当局のあるアナリストはこう語っている。

 高良女史はソ連圏の在日出納責任者さ。女史が最適任と太鼓判を押されて、マークされたのだ。そしてモスクワ経済会議にひきつけられてマンマと乗ってきたわけだ。その時に〝莫大な金額〟を渡された。これが「高良資金」の実態で、女史はこれを香港の銀行にあずけている。ソ連圏の国際会議などに出かける者は香港までの七万円の旅費さえあれば、あとは香港で高良名儀のトラベラーズ・チェックを受取ってゆく仕掛さ。娘さんの小切手もその一部だろう。三十七万円だって? ゼロが三つ、四つ落ちているんぢゃないかな。可哀想なのが松山繁君さ。一般論として任務の終ったスパイはどうなるかと思う? 厳重な箝口令をしかれて、あとは飼い殺しさ。しかし、「高良資金」を日本に持ち込まないで、香港にプールしておくところがミソだよ。そこに香港の香港たるところがあるんだよ。ウソだと思ったら、香港の中國銀行ビル華潤公司の孫氏をたずねてみたまえ。まず二億だネ。

 この言葉をそのまま信ずるとしよう。そうするならば、われわれはシベリヤ・オルグの姿とつねに一貫して流れているソ連の対日政策の実態と、そしてソ連秘密機関の周到緻密にして、

完璧な諜報調略の手口とを学ぶことができよう。

赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 対ソ情勢の基礎判断とは

赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 The Soviet Union, through the Communist Party of Japan, is inciting anti-Americanism against the US imperialism and the Yoshida reaction cabinet. It is also trying to contain the repatriate problems and territorial issues.
赤い広場ー霞ヶ関 p.160-161 The Soviet Union, through the Communist Party of Japan, is inciting anti-Americanism against the US imperialism and the Yoshida reaction cabinet. It is also trying to contain the repatriate problems and territorial issues.

四 〝猿〟と〝猿廻し〟と

二十七年三月七日、つまり日本独立の直前であり、高良女史がヘルシンキからモスクワ入りした四月五日のさらに直前に、この日付の東京新聞が「日本政府筋の見解」として、その対ソ情勢の基礎判断を大要次のように報じている。これはスターリン賞の大山氏夫妻やモスクワ会議の帆足氏らの旅券申請に関連してまとめられたものである。

一、第三次大戦の危機は確定的なものではない。ソ連の政策はあくまで米国との対決を避けながら局限戦争をタネに自由世界に経済的、心理的の混乱を起すことにある。

二、ソ連は目下米国との対決に勝つ自信をもっていない。現在のソ連の主目標は、大戦を避けつつ日独をソ連圏にひき込むことにある。だから日本に進攻した場合に、大戦が起る危険が明らかであれば、ソ連の対日直接侵略は起らない。ソ連は日本の共産化をあきらめてはいないから、日本の国内惑乱は今後強化される。

三、ソ連は平和条約を阻止できぬことを悟って民族主義的宣伝を強化した。それは、日本に米国が駐留を續ける関係上、日本人の反ソ分子でも同時に反米気分をもっているかぎりは、すべて利用できるという考え方である。特にその主力を追放解除の旧軍人、旧極右派、有力実業家においている。

四、このようなソ連の政策は昨春以来組織的に行われている。昨年八月の日共五一年テーゼが、敵は「米帝国主義及びそれと結びつく吉田反動内閣」と規定して、資本主義を敵とすることを一時やめ

ていること(いわゆる民族資本家を利用するねらい)、九月平和会議でソ連が修正案を提示して、日本側の制限付再軍備を承認するとともに、米軍駐留にあくまで反対したこと(これは日本人の壊夷思想に訴えたものでゾルゲ事件と同じく極右を利用するねらい)、十一月の革命記念日にソ連代表部が「保守反動」分子を招待し、また日ソ貿易を示唆したこと、本年元日のスターリン・メッセージが、「独立」を呼びかけたこと、有力実業家をモスクワ経済会議にひき込もうとしていることなど、一貫した反米闘争扇動の手段である。

五、一方講和発効後日本側の出方如何では、ソ連は従米のソ連代表部の如き特権的な工作基地を失うことを心配している。しかも工作基地を残すために、日本政府と正式交渉を行えば、引揚、漁船捕獲問題などソ連に不利な問題が提起され、日本人の反ソ機運を強め反米機運を弱める。そこで政府を無視して直接裏口から日本国民に好意を示し、特に有力者に働きかけて政府をケンセイさせ、一方的に特権的工作基地を保持しようとするねらいである。

六、そこで日ソ関係が法的に明確化しない前にソ連向旅券を発給することは、日ソ関係は不安定のままでよいと日本政府が認めることを意味し、その結果は引揚問題、領土問題と解決を不可能にし、今後の日ソ関係を一方的にソ連の決定に委ねることになってしまう。

七、日本としては日本政府を無視するソ連の工作に敢然対処し、引揚、領土などの諸問題が解決しないかぎり、ソ連の平和攻勢は受付けないという態度にでることが必要だ。

赤い広場ー霞ヶ関 p.162-163 「日ソ親善協会」の正体とは

赤い広場ー霞ヶ関 p.162-163 The Japan-Soviet Trade Promotion Association was established as an external organization of the Japan-Soviet Friendship Association. And there was a Siberian-Organizer Minoru Tanabe.
赤い広場ー霞ヶ関 p.162-163 The Japan-Soviet Trade Promotion Association was established as an external organization of the Japan-Soviet Friendship Association. And there was a Siberian-Organizer Minoru Tanabe.

こうした判断に立って政府筋では、日ソ関係があいまいのうち旅券問題を処理することは正常な日ソ関係をもたらす道ではなく、前述のような態度こそソ連の日本分解政策を阻止するとともに、シベリヤ同胞の帰還を促進する最短路であるとしているようである。

この第四項が、私の分類によると二十六年六月三十日から二十七年四月二十八日までの第二期工作具体化の段階である。と同時に第五項の工作基地としての、ソ連代表部確保の努力と退去への準備とが併行して行われた。

確保への努力とは実績的に居坐ることであり、退去への準備とは高毛礼氏らの〝地下代表部員〟への任務の移譲であった。実績的に居坐るということは直接日本国民へ好意を示し、特に政財界の有力者に働らきかけて政府を牽制しようということである。

そうして講和発効以後の第三期仕上げの段階に入っていった。この時から三十年一月二十五日、鳩山・ドムニッキー会談までの間に「日ソ交渉」という収獲への手が、抜かりなく打たれていった。

その一つの手が高良工作である。政府が旅券を発給せず、しかもソ連へ入国したものを旅券法違反で罰しようとしても、ともかく日ソの往来を事実として実績に加えてゆこうというのである。そしてこれは成功した。前記第六、第七項のウラをかかれたわけである。そのかげにあ

るシベリヤ・オルグ村上道太郎氏の功績を見逃すことはできない。

その第二の手は日ソ親善協会の組織の整備と強化である。まず二十七年夏に協会内の貿易対策部が独立して日ソ貿易促進会という、日ソ親善協会の外郭団体として発足した。これは通商代表部と商社とを斡旋する機関で商談はやらない。すなわち日ソ貿易の組織(オルグ)機関である。

そして、私はここにもシベリヤ・オルグの一人、田辺稔氏を見出すのである。同氏はマルシャンスクからハバロフスクを経て、二十三年六月栄豊丸で引揚げてきた元陸軍中尉である。在ソ間は主としてマルシャンスクにおり、内務労働部長などをつとめてきた。

組織の整備と強化は着々として行われた。千駄ヶ谷は原宿署を間にはさんで、日共本部と反対の地にある「日ソ親善協会」は、協会を中心に「ソ連研究者協会」「日ソ図書館」「日ソ学術文献交流センター」「日ソ学院」「日ソ通信社」「ソ連帰還者友の会」などといった、外郭もしくは内部機関が目白押しに並んでいるほどである。

この間、日本政府から否認されて、いわばママ子扱いをされている代表部は、退去するが如く、退去せざるが如くみせかけながら、遂次人員を縮少していった。その経過は前述の通りである。人員の縮減ということは、日本人で代行できる仕事はこれを移譲するということだ。文化活動はすべてが日ソ親善協会系各機関の担当となった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 エラブカ中央委員だった清水達夫

赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 "The monster" Fusanosuke Kuhara, the chairman of the Japan-Soviet Union National Congress on Restoration of the Diplomatic Relations, encouraged the Japanese government to take advantage of the Soviet policy.
赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 ”The monster” Fusanosuke Kuhara, the chairman of the Japan-Soviet Union National Congress on Restoration of the Diplomatic Relations, encouraged the Japanese government to take advantage of the Soviet policy.

一般論としての文化宣伝活動ということは、諜報謀略活動と表裏一体である。例えばソ同盟対外文化連絡協会駐日代表(ⅤOKS)という肩書をもつチャソフニコフ二等書記官は、ソ連人クラブに週二、三回は出入りして情報を集めているという。また「日ソ文献交流センター」を文書諜報機関とみる当局係官もいるといったわけである。

そして私はここにもシベリヤ・オルグの一人、清水達夫氏を見出すのである。

同氏はエラブカ将校収容所で中央委員をつとめていた元中尉である。昭和二十三年八月十二日、舞鶴入港の遠州丸で引揚げてきた。

一方、二十八年五月になると、前年の十一月七日の革命記念日パーティに個人の資格で招待された、〝保守反動分子〟らを中心として、「日ソ国交調整準備委員会」が政治的な動きをみせながら発足した。これはさらに二十九年十月になるや「日中日ソ国交回復国民会議」という形に成長、馬島僴氏が事務総長に就任し、さらに三十年二月十一日には〝怪物〟久原房之助氏を、会長にすえるというところまで発展した。

この二月十一日の同会議役員会について、同日付読売、東日は次のように報じて多数の人名をあげている。

政府に対し、かねて日ソ国交の正常化と対中ソ交流の促進を要望してきた、日ソ国交回復国民会議

(事務総長馬島僴氏)では、今回のソ連政変にともない十一日午前十一時から、東京一ツ橋如水会館で役員会を開き、会長に久原房之助氏を選任のうえ、今後のソ連情勢につき意見を交換する。同役員会には久原、馬島両氏のほか加納久朗(函館ドック会長)小畑忠良(元企画院次長)西村有作(日本水産相談役)伊藤今朝市(日ソ貿易促進会議代表幹事)平野義太郎(日本学術会議会員、日中友好協会副会長)伊藤猪六(大日本水産副会長)ら対中ソ民間団体、業界代表二十氏が出席することになっている。この役員会ではとくに次の諸点につき協議、政府に対する具体的要望事項、同会議の運動方針などを打出す。

一、ドムニッキー文書にともなう日ソ国交交渉についての回答は、さきの鳩山・ドムニッキー会談の結果事実上ソ連代表部の駐在を認めたものであり、国連の沢田大使を通ずるか、または第三国を通ずる交渉方式をとるのは妥当でない。

一、同会議からソ連に対し民間親善使節を派遣することを決め、首相、外相に協力を要請する。

一、三月下旬に同会議初の全国大会を東京で開き、全国漁業会議、日ソ経済会議を開催する。また中国通商使節団来訪を契機に、強力な中ソ国交正常化運動に乗出す。(読売新聞)

日ソ国交回復国民会議(事務総長馬島僴氏)では、きよう十一日午前十一時から神田一ツ橋如水会館で最高役員会を開き、

一、現在空席の会長に久原房之助氏を推す。

赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 日ソ国交回復国民会議の陰にシベリヤ・オルグ土井祐信

赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 It was a Siberian-Organizer Masanobu Doi, who was in Khabarovsk camp, who pulled out "The monster" Fusanosuke Kuhara.
赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 It was a Siberian-Organizer Masanobu Doi, who was in Khabarovsk camp, who pulled out “The monster” Fusanosuke Kuhara.

日ソ国交回復国民会議(事務総長馬島僴氏)では、きよう十一日午前十一時から神田一ツ橋如水会館で最高役員会を開き、

一、現在空席の会長に久原房之助氏を推す。

一、日ソ国交回復について今後の進むべき方策の情勢分折。

などを検討する。現在のソ連との国交を戦争状態のままにしておくことは最早許されない。従ってソ連に対して戦争状態終結宣言をなさしめる積極策を政府筋に勧告するものとみられている。同会が会長に久原房之助氏を推すのは『総選挙前でも日ソ国交のための全権委員を派遣したい』との鳩山首相発言ともからんで、同会ではこの全権委員に久原氏を委嘱することを強く希望するものとみられる。

なお十一日の同会最高役員会に出席を予定されている顔触れはつぎの通り。

風見章、村田省蔵、平塚常次郎、北村徳太郎、加納久朗、伊藤今朝市、北玲吉、海野晋吉、中島健蔵、山本熊一、平野義太郎、馬島僴の諸氏のほか、貿易、水産業界等の各経済界代表、労働団体代表も出席する。(東京日日新聞)

同会議の準備委当時の出発から、つねに中心になってきたのは、二十七年一月二十九日の日ソ経済会談を準備した風見章氏である。馬島僴氏はあくまで表面的な人物で、鳩山・ドムニッキー会談で浮んできたとき、治安当局が行った同氏の身許調査によれば、戦時中は、大陸で軍と関係のあるらしい麻薬関係の仕事をしていたが、戦後はソ連代表部の嘱託医をしており、情報の程度の話だが、独身者の多かった代表部員たちの、そのため相手方に起る各種の〝悩み〟を解決してやって、非常に親密になったといわれている。

そのような意味で、ラストヴォロフ氏なども世話になったかも知れず、同様に代表部員たちが出入りする麻布六本木のインターナショナル・クリニックの白系露人某氏(特に名を秘す)とともに、事件当時当局の興味の対象となっていたことがある。

同会議についての最大の関心は、やはり久原房之助氏の登場である。どうしてこの〝怪物〟がでてきたかということは、当局の得た情報によれば、その引出し工作を担当した一人の男がいるということである。この全く新聞紙上にも〝名前の出ない男〟は誰か?

そして私はここにもまたシベリヤ・オルグの一人、土井祐信氏を見出すのである。同氏こそその〝名前の出ない男〟である。

しかし同氏の名前は、「日中日ソ国交回復ニュース」(千代田区九段三ノ七、同会議発行)の名儀人として表面には出ている。彼はハバロフスク収容所で第十六地区ビューローの幹部であり、二十四年十一月二十七日舞鶴入港の高砂丸で引揚げてきた元軍曹である。

このように次々とシベリヤ・オルグが登場してくるからには、日ソ親善協会の中にある「ソ連帰還者友の会」も見究めねばならないであろう。

〝ナホトカ天皇〟津村謙二氏らのナホトカ・グループが帰国して組織した「ソ連帰還者生活擁護同盟」(ソ帰同)が、「日本帰還者同盟」(日帰同)と変り、二十四年十一月、日本新聞グル

ープが帰国するにおよび、二十五年はじめに組織の改正が行われ、同年春の徳田要請問題にからんで、津村氏らの一派が粛清されたことはすでに述べた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.168-169 シベリヤ・オルグ団、土井祐信、田辺稔、清水達夫、沢準二

赤い広場ー霞ヶ関 p.168-169 The spies and organizers that the Soviet Union has educated and trained Japanese POWs in Siberia are now performing their duties.
赤い広場ー霞ヶ関 p.168-169 The spies and organizers that the Soviet Union has educated and trained Japanese POWs in Siberia are now performing their duties.

〝ナホトカ天皇〟津村謙二氏らのナホトカ・グループが帰国して組織した「ソ連帰還者生活擁護同盟」(ソ帰同)が、「日本帰還者同盟」(日帰同)と変り、二十四年十一月、日本新聞グル

ープが帰国するにおよび、二十五年はじめに組織の改正が行われ、同年春の徳田要請問題にからんで、津村氏らの一派が粛清されたことはすでに述べた。

そして二十五年五月、客観情勢の変化によりとして(ソ連代表部の指示で)発展的解消をとげて日ソ親善協会内へ吸収された。二十六年春ごろから、再編成が行われて「ソ連帰還者友の会」として再び表面に浮び上ってきた。いわゆる第二期具体化の段階と符節を合している。文化工作隊としての「楽団カチューシャ」はもちろん存続していた。

友の会の性格について、当局では「一般工作のアクチィヴの養成」とみているようである。そして幹部はオルグとなって独立任務を持ち、それぞれの分野で働らいている。

ここに紹介した何人かのオルグがそれである。政治工作は国民会議のオルガナイザー土井祐信氏がそれであり、経済工作は貿易促進会の田辺稔氏がそれであり、文化宣伝工作は日ソ親善の清水達夫、楽団カチューシャの沢準二両氏がそれである。

いずれも日帰同時代の幹部であることから、ソ帰同—日帰同—発展的解消—友の会という経過は、一貫して流れているソ連の対日政策の一つの現れとみることができよう。

ドムニッキー氏が、日ソ貿易で損をしたという商社に向って、こういったことがある。

『その商社の資本や系列や、歴史やその他の一切の条件は問題ではない。たゞ、ソ連貿易の実績のつみ重ねだけが問題である』

日ソ貿易は三十六社が加入している。しかし中心になっているのは五社協定を結んだ、進展実業、大倉商事、永和商事、相互貿易、東邦物産の五社である。老舖で資本力の大きい商社には負担でないことも、新興の商社には死命をも制しかねない条件となる。そのような事象に対していったド氏の言葉である。

進展実業のオイストラッフ氏招待も「実績のつみ重ね」の一つであろう。「実績のつみ重ね」こそ常に一貫して流れているソ連の対日政策の実態である。日ソ交流も、日ソ交易もすべてそうである。

シベリヤの「人間変革」の実績のつみ重ねが、いま友の会を中心とするシベリヤ・オルグ団となって成果をあげつつあるのだ。

ソ連が、日本人に対して行った「技術教育」の成果であるスパイは、その殆どをバクロされて、失敗したかに見える。しかし、その「思想教育」の成果であるオルグは、かくの如く沈潜十年を経て、今ようやくその任務を果しつつある。あの何万というソ連謳歌者のうち、今ここにその名を留めているのは、まさに十指にもみたない人々である。失敗したかにみえるスパイとて同じであろう。——ここにソ連の暗さがある。