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最後の事件記者 p.158-159 ナホトカ天皇との対面

最後の事件記者 p.158-159 デスクに、「明日はボクが書きますよ。トップはグンと広くあけておいて下さい。エ? もちろん、特ダネですよ」と、予約をした。
最後の事件記者 p.158-159 デスクに、「明日はボクが書きますよ。トップはグンと広くあけておいて下さい。エ? もちろん、特ダネですよ」と、予約をした。

ナホトカ天皇との対面

津村委員長は、党内において、①徳田要請問題の否定的資料を集めることを拒否し、肯定資料はあるけれども、否定資料はないという発言を、数回にわたって行った。②現在の党批判をソ連代表部員ロザノフ(註、二十九年来日のソ連スケート団の監督、ラストボロフ帰国命令の護送者)を通じて、ソ連側へ呈出していたが、それが妥当を欠いていた。③日共幹部袴田里見を数々の偏向ありと指摘し、その弟睦夫をボスとして批判した、という三点から肅正された事実が明らかになってきた。

しかも、その吊しあげは、袴田の命令をうけた市民対策部の久留義蔵が、津村らナホトカ・グループ六名(佐藤五郎、生某、大棚某、陣野敏郎、大石孝ら)を、三月九日から十三日までの五日間、産別会館に軟禁して、徹底的に吊しあげを行い、そのあげくに、党活動停止の処分にしたのであった。

私は、そこまで調べ終ってから、翌日の朝刊のトップに書こうと考えた。社を出る時、デスクに、「明日はボクが書きますよ。トップはグンと広くあけておいて下さい。エ? もちろん、特

ダネですよ」と、予約をした。取材のしめくくりは、当の本人にインタヴューすることだ。私は、津村を世田谷のはずれの千歳烏山引揚者寮におとずれた。

薄汚い四帖半たらずの部屋の中には、ロープを張りめぐらして、破れかかった色とりどりのオシメが、生乾きのままでブラ下っていた。部屋の中央には、センべイ布団が一枚敷かれて、半年ぐらいの良く肥った可愛いい男の子が、スヤスヤと寝入っている。

妻はもう小一時間もの間、黙ったままで主人と私との会話を聞いていた。妻というのが追放の一つの理由になっている、「婦人問題」の人物、元陸軍看護婦でソ連に抑留され、ナホトカの民主グループで働らいていた須藤ケイ子であった。

私は躍りあがりそうな胸を静めながら、先程、口をつぐんでしまった津村の顔をみつめて、その喉元まできている次の言葉を待っていた。

しばらくの間、沈黙がつづいている。彼はやがて、キッと顔をあげて私を見た。そして、ただ一言を呟やくと、また下を向いた。

『……要するに私はヒューマニストだったんです。コムミュニストではなかったんです』と。

彼は、さきほどから、私にとって意外な返事ばかりを答えていたのだが、この言葉もまた全く 意外であった。

最後の事件記者 p.160-161 「書かないでくれ」といわない

最後の事件記者 p.160-161 取材に現われた新聞記者に対して、話をするということは、常識として記事にして掲載してもよいということである。
最後の事件記者 p.160-161 取材に現われた新聞記者に対して、話をするということは、常識として記事にして掲載してもよいということである。

『……要するに私はヒューマニストだったんです。コムミュニストではなかったんです』と。

彼は、さきほどから、私にとって意外な返事ばかりを答えていたのだが、この言葉もまた全く

意外であった。というのは、彼は私の質問を黙ってうなずきながら、終りまで聞いていた。その表情は、刻々と変化して、驚きから、ついには感嘆となった。

『一体、どうして、それだけの話を、どこから調べてきたのです!』

彼はこういって、私の質問のすべてを肯定した。事実その通りだというのであった。そして最後に、自嘲にも似た「ヒューマニストだったんです」という、言葉が洩れたのだ。

私は時計をみた。烏山から銀座までの自動車の時間を計算した。〆切時間が迫ってくるのだ。しかし、この日の取材は、いつもと少し調子が違うのである。

あの時期の共産党は、一切の反動新聞をオミットした。党本部へ談話をとりに行っても、責任者は会わなかった。受付子と押し問答するだけである。この共産党員は私を、反動読売の反動記者として承知して、拒むことなく会い、そして、私の調査したことを、すべて事実だと答えるのであった。

うらぶれた寮の部屋

私がニュース・ソースとして、連絡を持っていた共産党員は何人もいた。彼らから、私は情報

は取るのだが、何時も「書かないでくれよ」と念を押された。だから、情報としての情勢判断の根拠、現象批判の材料にはなるのだが、ニュースにはならなかった。情報の確度調査のための質問にも、親切に答えてはくれるのだが、「書くなよ」といわれる。

調子が違うというのは、彼は、今だに「書かないでくれ」といわないのである。私の調査の正確さに感嘆しているのだろうか。自分を処分した党に恨みをもって、一撃を与えるために話したのだろうか。イヤ、そのいずれでもない。だが、事実には間違いない。

これだけの、驚くべき事実に、最後的に裏付けをしてくれた人。もし私が、ただ功名心にだけはやる記者ならば、もうそこまで聞けば充分であった。その家を、サヨナラをいわずに飛び出しても、聞いてしまえばこちらのもの、ということもできる段階であった。

だけれども、私はそうしなかった。これだけのことを、洩らしてくれた人である。彼の意志を知りたかった。取材に現われた新聞記者に対して、話をするということは、常識として記事にして掲載してもよいということである。

『今の話が、そのまま新聞に出たら、一体どういうことになるのでしょう』

『私に対する党活動停止の処分が、除名という最後的な処分に変るでしょう』

最後の事件記者 p.162-163 数日後、津村の姿をみかけた

最後の事件記者 p.162-163 まだ冷たい三月の星空を仰ぎながら、私はメモを懐中深くしまった。「あれはダメでした」と、社へ電話しながら、私はこれでいいんだと、ひとりうなずいていた。
最後の事件記者 p.162-163 まだ冷たい三月の星空を仰ぎながら、私はメモを懐中深くしまった。「あれはダメでした」と、社へ電話しながら、私はこれでいいんだと、ひとりうなずいていた。

『今の話が、そのまま新聞に出たら、一体どういうことになるのでしょう』

『私に対する党活動停止の処分が、除名という最後的な処分に変るでしょう』

彼は書くな、書かないでくれ、といわずに、そう答えた。そういわない彼がいらだたしくて、私はおうむ返しにまた訊ねた。

『除名になったら……』

彼は顔をあげた。その眼は力無く妻へ注がれ、彼女の視線を誘って、再び下へ落ちていった。私は彼の視線を追ってみた。

子供である! 父と母とは、道具らしい道具とてない、この貧しそうな部屋で、それでもビックリするほど肥った、健康そうな我が子の安らかな寝顔をみつめていた。

『……そしたら、喰えなくなるでしょうナ』彼は視線を少しも動かさずに、切実な響きをこめて、また会話の相手が、日共の敵〝反動読売〟の記者であることも忘れたように答えた。

あの、死に連らなる恐怖の人民裁判の、アジテーター津村の厳しさも、日共党員津村の虚勢も、もはやそこにはなかった。政治や思想をはなれて、純粋に人を感動させる、夫と妻と、父と母と子の愛情だけが、このうらぶれた寮の部屋いっばいに漂っていた。

私は無言で立上った。ちょうど同じ位の男の子が、私にもいたのだった。小さな声で「サヨナ

ラ」とだけいって、私は室外へ出た。

まだ冷たい三月の星空を仰ぎながら、私はメモを懐中深くしまった。「あれはダメでした」と、社へ電話しながら、私はこれでいいんだと、ひとりうなずいていた。

数日後の参院引揚委員会で、私は傍聽席の隅っこに、津村の姿をみかけた。これが最後だった。やはり、彼は日共党員として脱落していったらしい。あの男の子も、もう二、三年生になっているだろう。

或る乙女の自殺

一人の乙女の自殺があった時にも、私はウソを書いたことがある。真実を伝えなかったのである。バカな父親が、社会的にも人間的にも殺されてしまうのを防ぐためだった。

二十六年九月十八日、板橋のある病院で廿歳の娘さんが息を引きとった。前日に猫イラズをのんで自殺を図ったのだが、発見がおくれたため、手当もとうとう間に合わなかったのである。

若いサツ廻りの記者は、この事件をゴミ原稿として電話で送ってきた。私は遊軍だったので、たまたまその電話をとった。内容は「働らきつかれた娘さん自殺」というものだった。母親に先 立たれた長女が、父と弟妹の面倒をみて、主婦代りになって家事をやっていたのだが、それにくたびれて自殺してしまったという。

最後の事件記者 p.164-165 「洋裁のノオトならあるわ」

最後の事件記者 p.164-165 その「人生案内」は、「イヤらしい父」という見出しで、「お酒に酔った父が、フトンをまくったり、いやらしいことばかりするので、心配で夜もオチオチ寝られない」という訴えだった。
最後の事件記者 p.164-165 その「人生案内」は、「イヤらしい父」という見出しで、「お酒に酔った父が、フトンをまくったり、いやらしいことばかりするので、心配で夜もオチオチ寝られない」という訴えだった。

若いサツ廻りの記者は、この事件をゴミ原稿として電話で送ってきた。私は遊軍だったので、たまたまその電話をとった。内容は「働らきつかれた娘さん自殺」というものだった。母親に先

立たれた長女が、父と弟妹の面倒をみて、主婦代りになって家事をやっていたのだが、それにくたびれて自殺してしまったという。それこそ七、八行の短かい記事だった。

その原稿をとり終って、私はフト、「何だか読んだことのあるような記事だナ」と思った。

『オイ、どこかの新聞が、朝刊で書いてるのじゃないか。オレは何だか読んだことがあるようだゾ』

私はサツ廻りにいった。記者は、「とんでもない」と、自分がサボっていたようにいわれたのかと思って、目に見えそうな様子で抗議した。

『アハハハ、そう怒るなよ。出ていなければいいんだよ』

そういって、電話を切って、その原稿をデスクの辻本次長に渡した。すると、彼も読んだような気がするという。それから、二人で考え出してみると、一昨日の朝刊の「人生案内」欄の話が、これと全く同じようなケースだった、ということに気がついたのだった。

取り出して読み返してみると、いよいよ全く同じである。その「人生案内」は、「イヤらしい父」という見出しで、「お酒に酔った父が、フトンをまくったり、いやらしいことばかりするので、心配で夜もオチオチ寝られない」という訴えだった。

『ウン、これだ! 同一人物かどうか、すぐ調べてくれ。ただの自殺じゃないゾ』

私は、婦人部へ行って、人生案内の担当者から、その手紙をもらおうとすると、解答者の真杉静枝女史のもとだという。車を飛ばして、真杉女史宅へ行き、事情を話してその手紙を探してもらった。

そして、娘の家へ行ってみた。お通夜で近所の人たちが集っているが、もう、父親の酔どれ声がする。

『何しにきたンでえ。おめえたち、新聞やなんざあ、来てほしくねえんだ。帰ってくれ。とんでもねえ奴だ』

門前払いを喰わされたのだが、ハイそうですかと帰れない。板橋のいわば細民街、彼女の家もその例にもれない、古い傾いた貧しそうな家だった。私は妹を呼び出した。

「ネ、姉さんの書いたもの、手紙かノオトでもない?』

「洋裁のノオトならあるわ』

『そう、ちょっとみせてよ』

そのノオトを借りると、街灯の明りでみながら、文字の一番多いページを、そっと気付かれな

いように破り取った。

最後の事件記者 p.166-167 『もう、遅かったわ』

最後の事件記者 p.166-167 父がお酒をのんだ時の、あの眼をみると恐しくて、このままでいけば、自殺するより仕方のない私に、希望のもてる生き方を教えて下さい
最後の事件記者 p.166-167 父がお酒をのんだ時の、あの眼をみると恐しくて、このままでいけば、自殺するより仕方のない私に、希望のもてる生き方を教えて下さい

そのノオトを借りると、街灯の明りでみながら、文字の一番多いページを、そっと気付かれな

いように破り取った。

明るいところに出て、手紙と比べてみると、文字のクセはまぎれもなく、同一人物ではないか。私は躍りあがってよろこんだが、さて、もっと具体的な事実が必要だ。父親があんな有様では、傍証を固めなくてはならないのだった。

自殺した娘の日記

私がふたたび真杉女史のもとを訪れると、意外な人物がきていた。自殺した娘の叔父である。彼は、娘の日記と、人生案内の記事とを持ってきていたのである。

「八人兄妹の次女で二十歳の娘。二年前に母と死別、兄と姉は家出して行方不明。私は勤めもやめて、五人の弟妹の面倒をみてきたのですが、食べてゆくのがやっとです。父は給料の半分以上もお酒に使い、私がいくらお金がないといっても、きいてくれません。最近では、父は酔うと、私にイヤらしいことをいったり、夜中にフトンをめくったりします。あまりのことに夜もねむられず、父がお酒をのんだ時の、あの眼をみると恐しくて、このままでいけば、自殺するより仕方のない私に、希望のもてる生き方を教えて下さい」

「お手紙を読んで、私も泣きました。廿歳の娘さんであるあなたは、そんなお父さんの変質の犠牲になるわけにはゆきません。紙上解答が原則ですが、特にあなたには相談にのってあげますから、お手紙を下さい」

そんなような問答だった。だが、この投書は下積みになっていて、女史が見たのはつい最近のことで、あわてて解答を掲載したのだったが、すでに遅かった。彼女は、その新聞を持って、叔父のもとにやってきた。

『もう、遅かったわ』

彼女はそういって、その新聞を叔父にみせた。その時、手の中でオモチャにしているものがあるので、見るとネコイラズだった。あわてる叔父に、「大丈夫よ」と笑うので、「明日は工場を早退して、相談に乗ってやるから」といわれたので、彼女は帰っていった。

翌日の夕方、叔父が彼女の家にいってみると、昨夜服毒したらしく、苦しがってのたうち廻っている彼女の姿があったのだ。

『そんなことを書かれたら、父親は自殺してしまいます。酒をのむと人が変ってしまうのですが、シラフの時は気の小さい男なのですから、死ぬことは間違いありません。どうか、書かない

でやって下さい』

父親の弟というその男は懸命になって頼むのだったが、私は黙っていた。真杉女史も答えない。

最後の事件記者 p.168-169 今度生れてくる時は、もっと

最後の事件記者 p.168-169 調べてみると、この最後の日記の、ちょうど一週間前、それまでは空白の日が一日もないのに、二日も空白の日がある。
最後の事件記者 p.168-169 調べてみると、この最後の日記の、ちょうど一週間前、それまでは空白の日が一日もないのに、二日も空白の日がある。

『そんなことを書かれたら、父親は自殺してしまいます。酒をのむと人が変ってしまうのですが、シラフの時は気の小さい男なのですから、死ぬことは間違いありません。どうか、書かない

でやって下さい』

父親の弟というその男は懸命になって頼むのだったが、私は黙っていた。真杉女史も答えない。

日記をみると、如何にも文学少女らしい日記で、一日もかかさずにつけている。だが、その年の三月ごろから、父への呪いの言葉が書かれはじめている。

三月×日、父はお酒をのむと、いやらしい様なしぐさをする。それがほんとにいやだ。

四月×日、叔父は相談に来いという。なぜ行けないのだろう。叔父もやはり男性として考えているからかもしれない。私は父のある半面を非常に憎み、そしておそれている。私にとっては、あらゆる男性がおそろしい。けがらわしいもののように思えてしまう。

六月×日、父はお酒をのんでは、いやなことばかりしようとする。人の身体をさわりたがったり……

六月×日、父はなぜああなのだろう。お酒をのんではいやなことをしようとする。

八月×日、三日ほど前に書いておいた、身の上相談を今朝やっと出した。

九月×日、お母ちゃん、なぜ死んでしまったの、お母ちゃんが死んでから丸三年間、私はずい

ぶん苦労しました。父のこと、弟のこと、お金のこと、学校のこと、そして、近所のことでも、私は精一ぱいやったつもりです。兄ちゃんだって、姉ちゃんだって、みんな家をすてて逃げていってしまった。お母ちゃんは何もかもみているから、知っているでしょう。

私は新聞に投書しました。そして、やっと今夜答が出ていました。もう出ないと思っていたのに、死ぬ前の晩に出るなんて! これも何かのさだめかと思って、考えた末やっと叔父さんのところへ行きました。でもやはりだめでした。私の一度冷たくなった心は、容易にとけそうもない。結局私が意気地なしでだめな人間なのだ。今度生れてくる時は、もっと明るい、ほがらかな娘に生れますように。  おぼろ月夜や、今宵かぎりの虫の声。

拭いきれぬ悪夢

調べてみると、この最後の日記の、ちょうど一週間前、それまでは空白の日が一日もないのに、二日も空白の日がある。この日がカギだった。私は大塚の監察医務院へとかけつけた。

自殺をはじめ、変死一切、つまりタタミの上で死ななければ、その死体は、ここで行政解剖、犯罪であれば司法解剖にふされる。私は彼女の死体の執刀医をさがした。

最後の事件記者 p.170-171 破瓜したのは一週間ほど前

最後の事件記者 p.170-171 『何いってるンだ、ケダモノ奴! あの子は、お前が殺したんじゃないか! 人でなし奴! 実の父親のクセに、実の娘を犯すなんて、お前が殺したも同然だ!』
最後の事件記者 p.170-171 『何いってるンだ、ケダモノ奴! あの子は、お前が殺したんじゃないか! 人でなし奴! 実の父親のクセに、実の娘を犯すなんて、お前が殺したも同然だ!』

調べてみると、この最後の日記の、ちょうど一週間前、それまでは空白の日が一日もないのに、二日も空白の日がある。この日がカギだった。私は大塚の監察医務院へとかけつけた。

自殺をはじめ、変死一切、つまりタタミの上で死ななければ、その死体は、ここで行政解剖、犯罪であれば司法解剖にふされる。私は彼女の死体の執刀医をさがした。

医師は、事情を聞いて、カルテをみながら言った。

『そうですね。破瓜したのは、ちょうど一週間ほど前でしょう。傷口から判断して…』

道具は全部そろった。娘は父親に殺されたのである。人生案内の解答者が、わざわざ相談にいらっしやい、とまでいっている。親切な解答をしているのに、娘はそれを読みながら、ネコを飲んでしまった。

それは、解答の出る数日前、その忌むべき事件が起ってしまったのだ。それは日記と解剖所見とから立証される。まして、日記からも、弟妹の口からも、近所の噂話からも、男友達のないのが明らかな彼女だった。

『ナ、なにしに来やがった。あの娘が一生懸命やってた時にやァ、ハナもひっかけねえで……。大切なあの子は、お前さんたち世間をうらみながら、死んでいったんだよォ。死にゃ死んだで、物見高く覗きこみやがって、まだ苦しめたりないのかよォ』

その日も、父親は朝からの酒びたりだ。訪れた私に向って、グチッぽく、酒臭い息で、こうワメキ散らすのである。黙って、父親の悪態を聞き流していた私は、しばらく間をおいてから、低い声で憎々しげに怒鳴りつけたのである。

『何いってるンだ、ケダモノ奴! あの子は、お前が殺したんじゃないか! 人でなし奴! 実の父親のクセに、実の娘を犯すなんて、お前が殺したも同然だ!』

この、一番残酷で、最も侮辱的な一ことに、父親の表情が変った。青くなってふるえ出した。しばらくしてから、やっと気を取り直して、ふるえを食いしばって、笑おうとしたのだが、それは笑いにならず、奇妙な叫び声になって、わずかに口から洩れただけだ。

私は社へ帰るや、原稿を書きまくりはじめた。ほとんど全くの真相を書いたのだが、彼女が、処女ではなくなっていたことと、日記が二日もぬけていたことはふれなかった。

最後に、父親の話を書いた。

「私がI子にいやらしいことをしたなんて……、とんでもない。フトンをかけたり、めくったりしたのは、寝冷えしやしないかという、本当の親子の愛情から出たことです。かんじんのフトンさえ少いので、一しょに寝たりするのが、内気で感受性の強い娘の心を刺激したのかもしれません」

ここまで書いてきて、私は少し考えてから、もう少しつけ足した。

「全くの誤解です。しかしいずれにしろ、これを機会にぷっつりと酒をやめ、娘の冥福を祈る

つもりです」

これが、私のはなむけの言葉だった。

最後の事件記者 p.172-173 ニュース・ソースとセンス

最後の事件記者 p.172-173 私は特ダネ記者だといわれた。二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。
最後の事件記者 p.172-173 私は特ダネ記者だといわれた。二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。

彼女が、処女ではなくなっていたことと、日記が二日もぬけていたことはふれなかった。

最後に、父親の話を書いた。

「私がI子にいやらしいことをしたなんて……、とんでもない。フトンをかけたり、めくったりしたのは、寝冷えしやしないかという、本当の親子の愛情から出たことです。かんじんのフトンさえ少いので、一しょに寝たりするのが、内気で感受性の強い娘の心を刺激したのかもしれません」

ここまで書いてきて、私は少し考えてから、もう少しつけ足した。

「全くの誤解です。しかしいずれにしろ、これを機会にぷっつりと酒をやめ、娘の冥福を祈る

つもりです」

これが、私のはなむけの言葉だった。何しろ、彼女の遺書には「私は清い心と身体のまま死んでゆきます」とあったからだ。

しかし、整理部のデスクが、うまい見出しをつけてくれた。〝拭いきれない悪夢〟と。私は今でも、あの父親の表情を想い起す。この長い人生で、あのような表情は、二度とみることはあるまい。

特ダネ記者と取材

特ダネと心理作戦

特ダネというものは、タネを割れば簡単なものである。広く深く、情報ともいうべきニュース・ソースの交際を持っていれば良い。それと、あとは記者自身の、情報を記事という具体的なものに進められる能力である。

私は特ダネ記者だといわれた。今、この十五年間のスクラップ・ブックをひろげてみると、実によく原稿を書いているし、一番働らき盛りであった、二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。

これも、「これはイケる」という、ニュース・センスと、そんな話を聞きこめるニュース・ソースとが、両々相俟っていれば、極めて簡単なことである。私は、役人に事件の書類をすべて見 せてもらった、という記憶がない。

最後の事件記者 p.174-175 人の名前と顔を記憶する能力

最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。
最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。

これも、「これはイケる」という、ニュース・センスと、そんな話を聞きこめるニュース・ソースとが、両々相俟っていれば、極めて簡単なことである。私は、役人に事件の書類をすべて見

せてもらった、という記憶がない。やはり、それほど役人は、秘密を守る義務に対して忠実である。

従って、役所の机の中をガサったり、書類を盗み出したりといった、非合法取材の経験はない。ただ、私は友人に多く恵まれて、いろんな噂話を聞ける立場にあった。特ダネのヒントは、すべて、このように民間人から得るのであった。

あとは、心理作戦である。第一、私は人の名前と顔を記憶する能力に恵まれていた。恵まれていたというよりは、努力して後天的に築きあげた才能である。

私が保定の予備士官学校を卒業して、晴れて見習士官となり、原隊に帰ってきた時のことである。つい一年ばかり前、初年兵として風呂で背中まで流してやった連中が、今度は部下である。

軍隊はメンコの数といわれる。六年兵までがいる北支の野戦部隊だから、二年兵の見習士官などが、大きな顔のできるハズがないのが当然である。私はそこで一計を策した。

中隊の事務室へ行って、兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。もちろん、二百名余りの全員が覚え切れるものではない。各年次の代表的人物をまず覚えたのである。

その効果は適メンであった。学科をやっている時、名前を覚えている兵隊が、居ねむりするのを待つ。或は他所見でもよい。すると私は、注意を与えるのだが、その時に「オイ、〇〇上等兵、眠ってはいけない」と、名指しでやるのだ。

あるいは、手紙の検閲で、母親が病気だということを知った兵隊は、営庭でスレ違う時や、歩哨勤務についているのを、巡察で廻った時に、呼び止めて、「〇〇一等兵、お母さんの病気はその後どうだ」とやったのだ。或は「××兵長、今日は誕生日だナ」と。

この心理作戦の効果は絶大であった。「今度の見習の奴は、どうして俺のことを知ってるのだろう」といった話がでて、尊敬の念を集め得たのであった。それも、着任して数日のことである。私は、それこそ夜もねないで、写真と身上調査書とを見くらべては、覚えこんでいたのである。

この時以来、私は人の名前と顔を覚える力がついたようである。それに、演劇青年時代のオカゲで、芝居がうまいのである。演伎がうまいということは、その役柄の心理状態になりきることである。それには、平常からの人間心理への勉強が怠られない。

特ダネ記者ということは、心理作戦の遂行者ということだ。役人という人種は、理詰めの仕事

をしているので、警察での取調べに一番弱いといわれる。理クツもハチの頭もないような人種ほど、口が堅いという。義理人情の世界に生きる人たちである。

最後の事件記者 p.176-177 役人の秘密を守る義務

最後の事件記者 p.176-177 役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。
最後の事件記者 p.176-177 役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。

特ダネ記者ということは、心理作戦の遂行者ということだ。役人という人種は、理詰めの仕事

をしているので、警察での取調べに一番弱いといわれる。理クツもハチの頭もないような人種ほど、口が堅いという。義理人情の世界に生きる人たちである。

つまり、役人の秘密を守る義務に違反させられるのは、彼らのこの心理をつかまなければならない。筋道を立てて、理詰めで押してゆく正攻法もある。それと、この男は仁義に固いから、話しても大丈夫、裏切られない、という実績をもって、信頼を得ることも必要である。

また、同時に役人というのは、オーソリティ、つまり、権力や権威に対して弱い。

「すべて知っているのだゾ」というポーズも必要である。彼らは、このポーズに対して、「知っているなら、かくしたって無駄だから話そう」という、心理状態にまきこむ。

役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者が聞きにきた——新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。秘密というものは、発表されたがることによって、秘密としての値打ちがある。だから、常に、発表されたくてウズウズしており、それがデカデカと扱われることによって、彼の仕事への誇りは満足させられるのである。

その気持を食い止めているのが、その仕事が途中でもれたために失敗することであり、法的な

秘密を守る義務である。その辺のところを研究すれば、ヒントさえあれば、聞き出せる手は、いくらでもあるのである。

新聞記者と警察官

先日、警察官が新聞記者に対し、記者と承知のうえで暴行した事件があった。各新聞は筆を揃えて、ことに朝日などは、〝記者が暴行されたからといって、取上げるのではないが〟と、なくてもがなの断り書きまでを前文に入れて、いずれも特筆大書したのだった。

そうして、この事件は、警察官の教養の問題として取上げられ、警職法にもひっかけられて、〝暴行する警察官〟として、大いに批判を受けたのである。

だが、私は暴行する警視庁予備隊ばかりが、表面的な暴行の事実だけを取りあげられ、非難されていることに疑問を持った。どうして、彼らが記者と承知のうえで、暴行を働らいたか、ことに、警部という地位や、年令からいっても、その暴行を阻止すべき人物までが、先頭に立って乱暴したかという、その内面にまで立入って考える必要があるのではあるまいか。

警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に、 一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。

最後の事件記者 p.178-179 映画物語のように脚色する

最後の事件記者 p.178-179 新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。
最後の事件記者 p.178-179 新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。

警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に、

一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。つまり、どんな小さなこと、それは事件発生の時間や、場所の番地、関係者の姓名、年令などという、いうなれば、事件の本質とは関係のない、末梢的な問題での、記者と新聞とのウソを、一番良くしっているからだ。

新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。「ブンヤさんが大事件に仕立てちゃうのだからナ」「あんなマズイ女も、ブンヤさんにかかると〝美人殺さる〟だからナ」「よせよせ、そんな大事件じゃないし、背後関係もないし、つまらない、ただの事件だよ」と、こんな言葉は、デカ部屋や署長、次席の口から、しばしばきかれる言葉だ。

ニュース・センスの違いもあろう。その事件の社会的判断の違いもあろう。だけど、新聞記者は、事件をある時には美化し、ある時には必要以上に罪悪視し、ナイロン風船のようにふくらませ、映画物語のように脚色するのである。それを知っているのが警察官だ。

同時に、彼らは、その新聞記事によって起きてくる、社会的反響の大きさも、自分自身で良く知っている。だから恐れるのだ。署長の運転手が事故を起したが、新聞に出たために処分されたり、新聞に賞められたために、総監賞をもらったりと、いずれの面でも、その力の強さを知って

いる。そのため、彼らは必要以上に卑くつになり、記者の御機嫌をとるようになる。

試みに一例をあげるならば、新聞や新聞記者を軽べつも恐れもしないのは、警察学校を出てきて、はじめて外勤勤務になったばかりの、若いお巡りさんである。

彼らの前には、新聞記者も一般都民も、すべて一視同仁である。だから、彼らは臆面もなく、社旗をひるがえして、サッソウとスピードを出す自動車を停める。「スピードが出すぎている」「一時停止をしなかった」「信号無視だ」と。

同乗している記者の抗議も聞かばこそ、彼らは平気で運転手に免許証の提示を求める。交通違反通告書を渡す。その通告書が、やがて数時間後には、交通主任や交通課長のもとで、クズカゴに放りこまれるのも知らずに、正々堂々と職務を執行するのである。

そうして、何年かの経験を積むうちに、彼らはやがて、新聞と新聞記者を軽べつしたり、憎んだりするか、恐れるようになるのである。彼の経験の中に、「新聞は真実を伝えない」という、不信感が刻みこまれた時に。

私は、そのような心理的経過が、あの暴行警官たちにあったのではあるまいか、と考えている。話がそれてしまったが、特ダネ取材というのは、純枠に心理作戦なのであって、それは不断

の努力が必要なのである。必ずしも、他人より早く出勤したり、役所の中を熱心に歩き廻ることではない。

最後の事件記者 p.180-181 御用聞きをもっとも軽べつする

最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。
最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

話がそれてしまったが、特ダネ取材というのは、純枠に心理作戦なのであって、それは不断

の努力が必要なのである。必ずしも、他人より早く出勤したり、役所の中を熱心に歩き廻ることではない。

御用聞き記者

もちろん偶然が幸いした特ダネというのも多い。帝銀事件での、毎日のあのスクープ写真は、たまたま現場付近の自宅に、非番で在宅していた電話交換手の第一報が、警察の現場出張より早かったからであった。

私は三年間の警視庁記者クラブ在勤中、一週間に一度ある泊りに、いわゆる庁内廻りを一度もしなかった。夜から翌朝にかけて、翌日の日勤記者たちが出勤してくるまでの全責任は、この泊りの記者一名に負わされる。それなのに、私は御用聞き然と、庁内を「何かありませんか」と、廻ることに屈辱を感ずるので、要領良くこの庁内廻りを一度もしなかった。

私の取材理念は、「何か事件はございませんでしょうか」「何か教えて頂けませんでしょうか」「何か書かせて下さいよ」といったような、御用聞を、もっとも軽べつするのである。これほどおろかな取材方法があるだろうか。私は「今これをやってるだろう」「あれはどうなったんだ」「手伝うから、こういうのをやったらどうだ」「あのことでは、これだけ教えてやるから、ギヴ・アンド・テイクでいこう」といった調子である。

これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

心理作戦は不断の努力だといった。私は警視庁へ通うのに、新宿の西口から都バスに乗って桜田門で降りる。西口から、バスに乗りこむと同時に、車内を見廻す。次の停留所二幸前で降りる人物を探し出すのだ。男女別、服装、手荷物、表情、態度、すべてのデータから、二幸前で降りそうな人をえらんで、その前に立つ。的中して降りれば、そのあとに坐る。二幸前がなければ、次の伊勢丹前だ。その次は四ツ谷駅前。

この三カ所で降りる人物を探し出さねば、桜田門まで立っていなければならない。そのためには、そこで降車する必然性を、外見的特徴から探り出し、判断するのである。その時、クツをみて警察官をえらび出し、その男が桜田門でおりるかどうかを、心の中でカケる。私服警官の前に立っていたならば、最後まで坐ることはできない。刑事のクツはすぐ判る。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

最後の事件記者 p.182-183 いわゆる記者のカンを養う

最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。
最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

だが私はこの二本線のパスで、都バスを利用するのである。そのためには、車掌の人柄如何が問題なのである。「これは都電用でバスには乗れません」と断るのもいれば、「どうぞ」と認めるのもいる。

私が準備している言葉は三種類だ。「お願いします」「これでもいいんでしょ」「御苦労さん」。私は細かに車掌を観察する。髪型、化粧、服装、他の乗客への態度、金の扱い方、切符の切り方、停留所名の呼称、その声音と声質。

そして、彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。そして、二本線のパスを示して、前の三種類の言葉のうちのどれかを使用するのだ。「どうぞ」という場合もあれば、「ダメなんですけど、この次からは切符を買って下さい」というのもあり、「ダメです」もあった。ダメの時に備えて、二十五円はポケットにすぐ出せる準備をして、恥をかかないようにしている。

このような訓練が、いわゆる記者のカンを養うのに、どのようにプラスしたかは、もちろんい

うまでもない、と信じている。当時、熱心に庁内を廻っていて、二度も大きな事件を落して、左遷された記者もいた。彼などは真面目で熱心だったが、いわば運が悪かったのであろう。その点では、私は運が良かったのかも知れない。

かつがれた婦人記者

私がサツ廻りのころである。上野署の少年係で、主任と名札のある机に坐ってボンヤリと考えこんでいると、ノックの音がして一人の婦人が、少しオズオズと入ってきた。私を認めると、一礼して近づいてきた。

隣りの防犯係の部屋とは、あけ放したドア一枚で通じていて、そちらでは数人の刑事が坐っていたが、少年係には誰もいなかった。私の前にきたその女性は、二十七、八才。彼女は、一枚の名刺を出して、「あのゥ、何か面白いことはございませんでしょうか」という。名刺をみると、某婦人新聞記者とある。『エ?』と、反問しながら、彼女の話し方を聞いて、「ア、この女はオレをデカと間違えているナ」と感じた。私はその時、この婦人記者を、一つダマせるところまでダマしてみよう、というイタズラ心が起った。芝居はお手のものである。

最後の事件記者 p.184-185 ぜひ連れてって下さい

最後の事件記者 p.184-185 『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』
最後の事件記者 p.184-185 『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』

私はその時、この婦人記者を、一つダマせるところまでダマしてみよう、というイタズラ心が起った。芝居はお手のものである。

『ダメですよ。近ごろは、面白いことなんぜありませんネ』

『でも、上野は少年関係では、地下道もあるし、何かあるンでしょう』

『イヤーね』

私は何だ彼だと雑談しながら、婦人新聞のことや、婦人記者のことを質問していた。こちらが取材していたのである。やがて、五時すぎたころ、隣室の婦警さんが、帰り仕度をして、私に「お先します」と挨拶をして通っていった。私は一言も、私は警察官で少年主任だなどとはいわない。ただ、読売の記者であることもいわなかった。私は心理作戦をたのしんでいたのであった。

やがて、フト腕時計をみて、「部長の奴、おそいナ」と呟いてから、声をひそめて、彼女に話しかけた。

『実はネ、あることはあるんですが……。あんたも、折角きたのだから、連れてってあげるかな?』

『エエ、ぜひお願いします。一体、何なんですか』

彼女はのり出してきた。

懸命な表情だ。

『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』

『まあ、やっぱり本当なんですね、ぜひ、ぜひ連れてって下さい。恩に被ます』

『…ウーン…。仕方がない。じゃ、(時計をみて)六時半に、もう一度ここにきて下さい。時間を正確にネ、でないと、置いてきぼりですよ』

『すみません。決して邪魔はしませんから、あの、写真は撮ってもいいですか』

『マ、いいでしょう』

『じゃ、私、すぐ社に連絡してきます』

彼女は、この意外な大特ダネに、よろこび勇んで部屋を飛び出した。社へ連絡して、カメラマンを呼んでから、これがウソだと判ったら、それこそ自殺されるか、硫酸をかけられるかである。女はコワイものだから。私はもう階段の下までいってしまった彼女を、大声で呼び止めた。

『まだ、名前を申しあげてませんでしたが、私はこういう者です』

彼女は好意にみちたまなざしで、私の名刺に手を出した。が、次の瞬間、彼女はガバと机にう つぶしてしまった。

最後の事件記者 p.186-187 一番若い娘さんの友人を探した

最後の事件記者 p.186-187 確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。
最後の事件記者 p.186-187 確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。

『まだ、名前を申しあげてませんでしたが、私はこういう者です』

彼女は好意にみちたまなざしで、私の名刺に手を出した。が、次の瞬間、彼女はガバと机にう

つぶしてしまった。心持ちゆれてる肩をみつめながら、私は「イタズラがすぎたかな」と、スハといえば逃げられるように身構えながら、黙ってみつめていた。

 数分後、やっと彼女は顔をあげた。そして、自分のダマされッぷりに、恥かしそうに笑いながら、哀願したのである。

『アノ、何でもしますから、どうか、このことは誰にもいわないで下さいね。ことに新聞の人に……』

私もホッとして、ニヤニヤしながら、

『じゃ、お茶でもオゴンなさい』

といった。「第一、女の人が男に向って、何でもしますから、なンて頼み方をすれば、誤解されますよ」と、つけ加えた。

二人でお茶をのみながら、「第一、私が警察官、ことに警部補に見えますかね」と、彼女の人をみる眼のなさを叱ると、答えた。

『こんな話の判ったお巡りさんを、少年主任にしておくなんて、署長さんはエライと思い、警察も民主化したな、と感じながら、あなたのお話しを聞いていたンです』

その警察に、私はパクられたのである。

帝銀事件の面通し

帝銀事件の時は、記者の心理につけ入って仕事をしたことがある。帰り新参の私は、まだあまり各社の記者に、カオが売れていなかったので、できた芝居だったのである。

事件が起ると、読売〝捜査本部〟は、Sという人物を調べ出して、これこそ犯人なりと、確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。

入院先の聖母病院へ行ってみると、四人の病室への廊下が、入口で閉められていて、巡査が立番している。はるかに見通すと、病室のドアのところにも一人、制服の巡査が張り番だ。これではとてもダメだと思ったが、しばらく様子をみることにした。

各社の記者たちが、お巡りさんと口論している。「入れろ」「入れない」の騒ぎだ。私はそれをみると、急いで外へ出て、四人のうちの一番若い娘さんの友人を探し歩いた。ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

最後の事件記者 p.188-189 記者さんでいらっしゃいますか

最後の事件記者 p.188-189 『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』
最後の事件記者 p.188-189 『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』

ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

『だけど、新聞記者は入れないんです。だから、ボクはあなたのお兄さんになります。記者だということは黙っていて下さい』

大きな果物カゴを買うと、お見舞という札と、目立つようなリボンを飾った。これが小道具である。それをもって、私は彼女と二人で、再び聖母病院に行った。しばらく離れたところでみていると、廊下の入口の巡査を囲んでワイワイやっていた記者たちが、一人減り二人減りして、毎日の某君一人になった。

『あのう、記者さんでいらっしゃいますか』

『ええ、そうですが……』

彼はやや得意然と答える。私にも経験があるのだが、事件の現場などで、こういわれると、何かやはりうれしくて、胸をそらせたくなるものだ。彼は私たち二人をみ、そして、見舞の果物カゴをみた。

『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。助かりますでしょうか。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』

『あ、Aさんですか、大丈夫ですよ。生命には別条ありません。だけど、ウルサくて入れてく

れませんよ』

これで大丈夫である。この会話を立番の巡査に聞かせたかったのだ。記者でさえないことを、第三者、しかも記者に立証させれば、もう充分だ。私たち二人は、また向うの椅子にもどって坐った。やがて、その一人の記者は、しきりに「入れろ」とネバっていたが、あきらめて食事に出ていった。

この機会を狙っていたのだ。私は彼女をうながすと、急いで巡査のもとへ行った。

『アノ、お願いです。元気な顔をみてくるだけですから、入れてやって下さい。この妹が、どうしてもッて、いうもんですから』

巡査はうなずいて、通してくれた。病室の入口の巡査も、第一の関門を通ってきた女連れなので、容易に入れてくれた。私はワクワクである。

ドアをあけて、中に一歩入ったとたん、私は驚いた。病室の中にも一人の巡査がいるではないか! 女二人、男二人が、一室の中で左右に分れてねている。巡査は、その中央のツイタテの処で、フロの番台のように坐っている。

彼女はAさんのニコヤカな表情に迎えられたが、私へは誰の顔からも反応がない。果物をAさ

んの枕許におくと、巡査に背を向けて内ポケットの写真をとり出した。

最後の事件記者 p.190-191 百万円持ち逃げ事件

最後の事件記者 p.190-191 『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』
最後の事件記者 p.190-191 『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』

彼女はAさんのニコヤカな表情に迎えられたが、私へは誰の顔からも反応がない。果物をAさ

んの枕許におくと、巡査に背を向けて内ポケットの写真をとり出した。

『この男ですか』

Aさんは似てると答えたが、隣りのMさんは、サアと考えた。もう、バレても仕方がない。見舞を装って、男の側へ廻ると、二人の男の枕許で、大ぴらに写真を見せた。二人とも似ていますよ、と答えた時、私は背後から巡査に抱きすくめられてしまった。

面通しの結果は、七十五%も似ている、だったが、このSはやがてシロくなった。私の面通しの結果で、ヴェテラン記者が、すぐその夜に山形へ会いに出張したほどだったが。

下山事件の時は、法医学会へ週刊読売の沢寿次編集長が、法医学者を装ってモグリこんだのだが、開会前に、学校名と氏名の点呼が行なわれて、ツマミ出されたということもあった。

百万円持ち逃げ事件

私の心理作戦が、本当に実を結んだ事件がある。「百万円の四日天下」と、続き写真入りの紙芝居である。私はそこで、旅館の番頭に扮して、ピストルをもった百万円拐帯犯人の逮捕に協力したのであった。

神田神保町の甲陽館という旅館の女将から、電話がかかってきたのは、もう夕方であった。夕刊も終り、朝刊へうつる、緊張から解放された時間だったので、私はものうく、鳴りつづける電話に手をのばした。受話器を耳にあてると、あたりをはばかるような相手の声に、私はハッとひきしまった。

『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』

愛読者というものは、ありがたいもので、警察よりも先に知らせてくれたのだ。私はもう一人の記者と、旅館へかけつけた。指名手配の犯人は小島行雄(二一)だが、宿帳には小島行夫とかいてある。

事情を聞いてみると、この日の夕方四時ごろ、若い男二人がパンパン風の若い女二人と連れ立って現れた。四人は少憩ののち、一緒に出かけたかと思うと、やがて男女四人とも、上から下まで新品づくめの、バリッとした服装に変って帰ってきた。

やがて女二人が出かけ、男二人は夕食を食べてからおでかけである。「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持

ち逃げ」の記事だ。宿帳とつき合せてみると、名前も住所もほとんど同じ。

最後の事件記者 p.192-193 怪しまれない人物は?

最後の事件記者 p.192-193 番頭に大男は禁物である。金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではない
最後の事件記者 p.192-193 番頭に大男は禁物である。金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではない

やがて女二人が出かけ、男二人は夕食を食べてからおでかけである。「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持

ち逃げ」の記事だ。宿帳とつき合せてみると、名前も住所もほとんど同じ。

『もう恐くてヒザがガタガタ……』と。そこで、相談かたがた本社へ急報したという次第だった。

部屋にはボストンバッグが二つ。中をあけてみることは容易だが、もし全くの人違いだったらエライことだ。まず、小島行夫が、小島行雄であることを確認せねばならない。「二人に会っても怪しまれない人物は?」と、考えついたのが、旅館の番頭である。

番頭に大男は禁物である。客を見下すことになるし、金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではないが、これは演技カで補うことにした。衣裳は、肝心なのがズボンである。これは坐りつけているため、ヒザが丸くなっていなければいけない。そこで、ツンツルテンだけれども、衣裳はすべて本物と決めた。

同行の記者は、写真の手配、サツとの連絡係だ。こうして、準備万端整えて、初日兼千秋楽の幕が上ったのは夜の十時すぎ。主役の私は帳場のオモテイタツキである。

表がガヤガヤとやかましくなったとみるや、男たちは付近のキャバレーの女の子たちに囲まれ

て、御機嫌うるわしい御帰館、いや登場である。

『お帰りなさいまシ』

帳場から飛び出すや、小腰をかがめて、モミ手よろしく、スリッパをそろえる。

『オット、お危うございます』

小島の腕をとるとみせかけて、実は身体捜検。ピストル、アイ口類の兇器が、背広の下にかくれていないかと、さわってみる。

『何分、夜は女中どもを休ませますので…。何しろ、労働何とかの時代で…』

と、言い訳しながら、酒だ、ビールだと騒ぐのをあしらって、再び部屋での酒盛りのサービスに忙しい。台所では、女将や女中たちが、他処行き姿の番頭まで加えて、おびえたような顔で待っている。

番頭作戦成功

女の子たちが、「菓子」というので、また台所へ飛んできて、菓子鉢を持ってゆくと、

『ドオ、番頭さん、甘いのは?』

最後の事件記者 p.194-195 兇器まで入っている感じだ

最後の事件記者 p.194-195 仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。
最後の事件記者 p.194-195 仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。

番頭作戦成功

女の子たちが、「菓子」というので、また台所へ飛んできて、菓子鉢を持ってゆくと、

『ドオ、番頭さん、甘いのは?』

『へエ、どうも恐れ入ります』

坐りこむキッカケをみつけたので、まず一同ヘビールをついでから、女給さんのとってくれる和菓子をキチンと両手で受ける。

『ダンナ様方は仙台の方で……。私は岩手県なものですから、東北の方はお懷しうございますナ』

『何いってンのよ。ダンナ様だなんて。こちらは社長さんのお坊ッちゃんよ』

仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。

『仙台といえば、私の遠縁の者が、日発の支店に勤めておりまして、イヤ、どうせ守衛なんでございますが……』

小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。四方山の雑談をすること、約三十分。その中に、小島の犯行を暗示する痛い質問が、時々入る。

反応はもう充分。さっきまでのデレデレの酔態が、次第に白けてきて、男二人は顔色まで青くなってきた。犯行の記憶が呼び覚まされたのであろう。

ビールを取りに立ったついでに、待機の記者に合図。神田署から二人の刑事がかけつけてくる。台本の筋書は、臨検として刑事が部屋に入って、職質をやるという手筈。それまで、間をつないでおくのが私の役目だ。

小島が女給のビールを受けながら、床の間のボストンに眼をやる。

——危い!

あの中には、札束ばかりか、兇器まで入っているような感じだ。何とかして、遠ざけておかねばならない。

『ダンナ様、チャンポンなさったのではございませんか。お顔が青いようです。しばらくの間、およりになっては……』

押入れをあけて枕と毛布を出す。座ブトンを並べて、場所をつくる間に、ボストンを押入れの中に突っこんでしまった。

『番頭サン、チョット』

女中が廊下から呼ぶ、刑事がきた!

『アノ、誠に恐れ入りますが、別のお部屋で、お客様にチョット間違いがございましたので、警

察の方が……』

サツと聞いて、ガバとはね起きた小島は、床の間へ手をのばしたが、もう、その時には二人の刑事がズイと入ってきていた。

最後の事件記者 p.196-197 私の名演技〝番頭〟が酒の肴に

最後の事件記者 p.196-197 パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。
最後の事件記者 p.196-197 パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。

女中が廊下から呼ぶ、刑事がきた!

『アノ、誠に恐れ入りますが、別のお部屋で、お客様にチョット間違いがございましたので、警

察の方が……』

サツと聞いて、ガバとはね起きた小島は、床の間へ手をのばしたが、もう、その時には二人の刑事がズイと入ってきていた。

職務質問だ。バックの中味が取出される。白いハンケチ包みが出る。

「アア、カメラね』

これがお芝居とは気づかぬ女たちは、社長令息を信じきって、かえってハシャギながら叫んだ。

パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。女たちもさすがにハッと息をのむ。男二人は、机にうつ伏して、肩で息をしている。もはや、立派に覚悟の態だった。

つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。

その夜も、そして、その次の夜も、ことに「ハンニンタイホニ、ゴキョウリョクヲシャス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。私は、警察の捜査の〝協力者〟であった。

「東京租界」

新聞記者入るべからず

二十七年四月二十八日、日本は独立した。この年の二月の末から、社会部では、辻本次長が担当して、「生きかえる参謀本部」という続きものをはじめ、私もその取材記者として参加した。これは、講和を目前に迎えて、日本の再軍備問題を批判した企画であった。

この早春のある朝、私は辻政信元大佐を訪れた。仮寓へいってみると、入口には、「警察官と新聞記者、入るべからず」と、墨書した木札が出ている。これにはハタと困って、しばらくその門前で考えこんでしまった。

だが、そのまま引返すほどなら、記者はつとまらない。私は門をあけ、玄関に立った。日本風の玄関はあけ放たれて、キレイに掃除してある。「御免下さい」と案内を乞うと、すぐ次の間で 声がした。