第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側
大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相
政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり
第六章 安藤組事件・最後の事件記者
ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ
あとがき
序に代えて 務臺没後の読売
第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側
大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相
政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり
第六章 安藤組事件・最後の事件記者
ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ
あとがき
序に代えて 務臺没後の読売
ころがり込んできた指名手配犯人
「危険な記者は、社会部の現場からトバす」というのが、新任の金久保社会部長の方針のようであった。
部長のこの方針は、とりも直さず、国会の法務委員会に、証人喚問されそうになって、震え上がってしまった、小島編集局長の方針でもあったのだろう。
この時期、原四郎は、編集総務から出版局長になって、新聞制作からは、遠ざけられていた。〝遠ざけられ〟たといっては、語弊があろう。立松事件の後遺症に苦しむ、社会部記者たちとは、隔離されていたのだった。
金久保部長に対する、私の反抗的な言動が、部長に伝わったのだろう。大阪の次長、週刊読売の次長といった、配置転換の話が、私にきたのは、昭和三十三年春ごろのことだったろう。
この二つの人事異動を拒否したのだから、この次には、もっと悪いポストの話がくるだろう、と思っていた。例えば、厚生部の次長とか、編集以外の部門に出されるナ、と感じていた。
——編集局以外へ左遷されたら、サッサと辞めてやる!
心中秘かに、そう決心をしていたものであった。まだ、三十歳代なのだから、転進するぐらいはヘッチャラさ、と、思っていた。
そして、六月に入ると、横井英樹・殺害未遂事件という、ドラマチックな事件がボッ発した。渋谷
の不良、安藤組が拳銃で横井を射ったのである。
久しぶりの、事件らしい事件に、警視庁クラブは沸き立っていた。司法クラブ前任キャップの萩原が、警視庁のキャップになっていたので、私も、道路一本を隔てた警視庁に出かけて、記者会見のやりとりを聞いていたりしたのだった。
ところが、安藤組の親分、安藤昇は逃亡していて、所在がつかめない。組事務所には、花田という副親分ひとりが残っていて、主な組員は、みな、地下に潜伏してしまった。
いまでこそ、毎日のように、殺人事件が起きていて、コロシが社会面のトップになるようなことはない。だが、そのころには、まだ殺人事件というのは、月に一件か二件だったから、コロシは、やはり社会面の花だった。
考えてみれば、きょうこのごろは、何でもないことで、すぐ、人を殺す。少なくとも、三十年前ごろには、殺人の件数が非常に少なかったのだから、イヤな世相に変わった、ともいえるだろう。
安藤親分は、依然として捕まらない。「これは社会不安である」として、当時の岸首相は、田中栄一警視総監を呼びつけて、叱りつけた。異例中の異例であった。
いまでこそ、横井の〝正体〟はバレていて、横井が射たれたといったところで、首相が総監を叱るなどとは、考えられもしないことだ。だが、当時は、横井は「東洋郵船社長」という、レッキとした実業家として、通っていたからであろう。
と、そこに、かねて顔見知りの元山富雄から、私に電話があった。元山とは、さきごろの国際航業
事件で、十二億円の〝闇対策費〟を受け取ったのち、急死してしまったことで有名な人物である。
いまでこそ、横井の〝正体〟はバレていて、横井が射たれたといったところで、首相が総監を叱るなどとは、考えられもしないことだ。だが、当時は、横井は「東洋郵船社長」という、レッキとした実業家として、通っていたからであろう。
と、そこに、かねて顔見知りの元山富雄から、私に電話があった。元山とは、さきごろの国際航業
事件で、十二億円の〝闇対策費〟を受け取ったのち、急死してしまったことで有名な人物である。
「安藤組事件のこと、知ってるかい?」というのだから、私は、欣喜雀躍して会いに出かけていった。
簡単に、事件のことを述べよう。横井が、蜂須賀侯爵家から、当時の金で二、三千万だかを借りて、返そうとしない。蜂須賀家では裁判を起こし、勝訴して差し押さえをかけたら、豪邸から家財道具までのほとんどが、他人名義のため、三万五千円の応接セットしか差し押さえできなかった。
その話を聞きこんだのが、元山である。元山は、安藤に話し、「法律で解決できないワルなら、オレたちが裁く」ということで、横井に掛け合いに行った。
横井は、それ以前に、東洋製糖の秋山社長問題から、白木屋の乗ッ取りをかけたことがある。白木屋というのは、いまの東急デパート日本橋店のことで、名門デパートだった。その時に、横井側で動員した不良少年のなかに、安藤がいたものだった。
いまは、渋谷の安藤組親分になっていた安藤を見て、横井は、「ナンダ、白木屋の時のチンピラか」と、小馬鹿にしたものである。
怒った安藤は、蜂須賀問題どころではなくて、渋谷の事務所に取って返すと、子分の千葉に命じた。
「横井をコラシめてこい。殺すんじゃない。左肩でも、ブチ抜いてやれ!」
千葉は、射撃の名手といわれ、銀座の東洋郵船社長室にのりこんで、命令通りに左肩を射ってきた、ものである。
一方、病床の横井に、警視庁の係官が、安藤組の顔写真を見せると、「コレだ!」と、犯人の顔を見つけた。これは、横井の見誤りで、事件に関係のない小笠原だったが、警視庁は、小笠原を全国に指名手配した。
そしてそのころ、これまた、旧知の王長徳という、怪中国人がいた。「東京租界」のころ、取材で知り合った男だ。この王から電話があって、彼の許に出かけていった。
この王が経営している、碑文谷あたりのマーケットの事務所にいるというので、そちらへまわって見ると、大声で怒鳴っている。
「なんだ、ホンの二、三日だというから、かくまってやったのに、もう一週間にもなる。一体、どうする気だ」
「ハ、ハイ。でも、まだ、組のほうから、何もいってこないので…」
安藤組の若い衆らしい男が、困り切った様子で、頭を下げている。
「ナニが、どうしたんだい?」
「イヤね、安藤組の男を預かったんだけど、指名手配だというから、出ていってくれ、といってるところだ」
「面白そうだネ。その男に会わしてくれよ」
「ヨシ、アンタにやるよ」
「わかった、オレがもらった!」
男の受け渡し場所を決めて、私の、読売の社旗を立てた車が、その場所に近づいてゆくと、対向車線に停まった車から、ひとりの男が、こちらをめざして走ってくる。
その男を、社の車に拾って、赤坂見付の社用旅館の「奈良」に向かった。もちろん、運転手は、なにも知らないし、車内では一言も話をしなかった。もう夜になっていた。
奈良旅館に着いて、女中さんに部屋をとらせて、はじめて、明るい部屋で対座した。男は、「山口です」と名乗った。だが私には、王との話で、指名手配の小笠原らしい、と判断できたが、もとより、確認はしない。
「一体、どういうことです?」
それから、長い時間、私と彼とは、話をつづけていた。社会部の誰にも、何も連絡していない。ただ、司法クラブの二人には、電話して、「仕事で奈良旅館にいる」とだけ、連絡しておいた。
やがて、彼が、小笠原であること。射ったのは、千葉という男で、写真で見ると、自分に似ているので、横井が間違えたのだろう。私は、バクチの係で、「顧客名簿」を持っているので、これをサツには渡せないこと。
安藤がまだ捕っていないので、安藤より先に捕まるワケにはいかないから、まだ、自首はできないこと。自分が犯人でないということは、花田が知っていること。花田に聞いてもらいたい、といったことなどを聞かされた。
彼に、花田に電話させて、花田を奈良旅館に呼ばせた。
安藤組というのは、博徒でもないし、テキ屋でもない。不良少年グループだ、という。安藤の方針は、いわゆるヤクザ風な服装や髪形を禁じていた。「オレたちはギャングだ」というので、背広をキチンと着こみ、サラシの腹巻や、モンモン(刺青)など、許されなかった。
博徒ではないから、縄張りなど関係なし、ということで、渋谷で花札賭博をやる。博徒としては、渋谷は武田組のショバだ。武田組が安藤に文句をつけてきた時、安藤はこう答えた、という。
「オレが博徒なら、縄張り荒らしになる。しかし、オレたちはギャングだ。筋違いだ」
こうして、武田組と紛争になった。安藤組事務所に、武田組が殴り込みをかけてきた。三階建てビルの三階、せまい階段があるだけで、多数がワッとなだれこめない。一列縦隊で、階段を上がってくるのを、上から、消火器を噴射する。その圧力に、先頭の男が転がり落ち、後につづいた全員が、将棋倒しになって、殴りこみは失敗した、というエピソードさえある。
そして、花田という副親分は、当時、なんの事件も抱えておらず、合法面に出ていられる立場だった。
やがて、花田が現われた。礼儀正しい紳士であった。犯人は千葉であり、小笠原の指名手配は間違いだ。まだ、安藤とも、千葉とも連絡はついていないが、そのうち、安藤が捕まれば、千葉たちも自首するだろう。
安藤組としては、まだ、小笠原を自首させるわけにはいかない。ご迷惑をかけましたが今夜はもう
遅いので、明日、出発させます、という。
やがて、花田が現われた。礼儀正しい紳士であった。犯人は千葉であり、小笠原の指名手配は間違いだ。まだ、安藤とも、千葉とも連絡はついていないが、そのうち、安藤が捕まれば、千葉たちも自首するだろう。
安藤組としては、まだ、小笠原を自首させるわけにはいかない。ご迷惑をかけましたが今夜はもう
遅いので、明日、出発させます、という。
「分かりました。しかし、指名手配は解除されていないのだから、私は、これで帰りますが、夜があけたら、ここから立ち去って下さい」と、私は結論を出した。
トイレに立って、部屋に二人だけの時間を作ってやった。帳場に行って、「お客さんはひとり泊まる。朝食を出してやってくれ」と頼んで、部屋に戻った。
花田は、小笠原に金を渡したようだった。
「それでは、私はお先に失礼します」と、挨拶をして、花田は帰った。私も、車を呼んで帰宅した。
車中、ひとりになって、考えてみた——花田は、安藤と連絡が取れていない、といっていたが、小笠原の連絡が、すぐ花田に通じたことをみると、もちろん、組事務所ではなく電話連絡のルートがあるのだろう。
花田のカミさんは、渋谷でクラブを経営しているというし、渋谷一帯には、安藤組の影響下にある店や事務所は多い。
小笠原は、横井の写真面通しで、指名手配犯人にされているが、事実は、千葉の犯行だということだ。小笠原には、これ以外に、現在のところ、なんのヤマ(犯罪事実)もないということだった。
——ウン? 花田に頼んだら、安藤と連絡がつくかも知れないナ…。安藤だって、逃げ切れるものではないのだから、やがて、自首するだろう。
——それなら、自首の前夜に、花田に頼んで安藤に会わせてもらって、〈単独会見〉というのも、悪
くないな…。
——首相が総監を叱りつけた事件だ。その安藤にあって、オレが自首をすすめる。説得できれば、警視庁と連絡をとって、逮捕という形の自首をさせる。すると、〝安藤逮捕〟というビッグ・ニュースを読売のスクープにできるな!
——いま、地下に潜っているのは、安藤以下五人だ。小笠原は、「兄キより先に自首はできない」といったから、安藤でスクープしたあと、小笠原以下、毎日ひとりずつを自首させて、五日間の連続スクープか…。——だいたいからして、いまの社会面はなんだ? 企画モノでなければ、トップを張れないなンて、事件の読売はどうなったンだ?
——巨人戦の招待券を、クラブでバラまいているような社会部長なんて、あるもんか。畜生! 〝社会部は事件〟なんだゾ!
——黙っていたら、あの部長には、社会部なんて、分かりやしないさ…。ひとつクーデターを起こして、目を覚まさせてやるか!
世田谷は、梅ヶ丘の自宅まで、車の中で、私の気持ちは、だんだん、高揚してくるのだった。
——そうだ、これはクーデターだ!
〝五人の犯人の生け捕り計画〟は、五日間の連続スクープ、ということになる。〝事件〟に逃げを打つ編集局長と、社会部長とに、事件で育ってきた社会部記者が、「事件とはこういうもんだ」と、教えてやろう…。
金久保社会部長と、小島編集局長に対してクーデターを起こそう、という決心は、社の車で送られて、世田谷の家に帰りつくまでにもう、九分九厘まで決めていた。
翌日、やや早目に起きると、社の自動車部に電話して、家から五分ぐらいの距離にある北沢署に車を呼んだ。
たしかに、〝いい時代だった〟と思う。三十歳代の後半とはいえ、出勤には、いつも社用車が使えたのだから…。
ひる前ごろ、赤坂の奈良旅館に着いてみると、小笠原は、昨夜、「指名手配なのだから夜が明けたら、ここを立ち去って下さい」といっていたのに、まだ、旅館に居たし、私の来るのを、待っていたような感じだった。
「どうしたんです。まだ、居たんですか」と私はワザと、詰問調にいった。
「…あのう、お願いがあるんですが…」
——きたな! と、私は思った。
「ゆうべと今朝、花田とも、連絡を取ったのですが、やはり、兄キよりも先に、捕まるわけにいかないんです。それに、私の指名手配はマチガイですし…」
「……」
「…で、兄キが自首するまで、もうしばらくの間、どこかに、かくまって頂けないものでしょうか…」
「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」
今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。
——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!
——しかし、小笠原との〝取引〟ではダメだぞ。花田に、ゲタを預けなければ…。
ダンマリのなかで、私の心の中では、着々と、クーデター計画が煮つまっていった。
「この場では、私には返事ができない。仕事もあるので、私はでかけるけど、夕方、暗くなったら、花田さんを呼んでおきなさい。
メシは運ばせるけど、部屋から出てはダメだよ。今朝、ここを立ち去らなかったので、私は、再度、今夜には出ていくように、厳重に注意したんだよ」
事務的な口調でそういうと、司法記者クラブに出かけていった。
犯人を旭川へ、サイは投げられた
夕刊の締め切りがすぎたころ、私は、警視庁クラブに出かけていって、キャップの萩原や、捜査二課担当の子安雄一記者に、安藤への追及状況を聞いた。まだ、足取りは、まったくつかめていないようだった。
それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した
いことがある」といった。