当時、編集局には、夕方になると、菓子やすし、タバコなどを背負ったオバさんが現われて、編集
庶務に店を開く。それがツケだ。タバコは洋モクで、私は、ラッキー・ストライクだけだった。
食事は、中華の楽天というのがあり、これもツケ。つまり、私の生活の根拠地は、読売編集局であり、勤務の宿直以外なら、赤坂に社の指定旅館で「奈良」というのがあって、そこにも泊まれるのだが、出張中だから、社に寄りつけない。タバコも食事も、ツケが利かないのだから、生活に窮してしまう。
ようやく、一週間がすぎて、私は、社に上がっていった。原の性格が分かっているのだから、報告はカンタンでいい。
「部長、九州は…」
ハラチンは、私を見て、終わりまでいわせずに、こういった。
「ダメだった、のだろう?」
私は、二の句がつげなかった。ハアと、間の抜けた返事をしただけ。幸い、部長は、もう私などに目もくれない。たしかに、冷たい刺すような視線であった。
その日のデスク会議で、原は開口一番、こういったそうだ。
「三田の野郎は、当分、箱根から西へは、出張させるナ!」
これは、羽中田から聞かされた。
「バレていたんですネ。で、ナカさんには、なにかオトガメがありましたか」
「イヤ、おれには、なにもいわないけど、すっかりバレているようだナ」
カラ出張でのドンチャン騒ぎが、すっかりケツが割れてしまっても、原の対応は、こんな調子だった。そして、二カ月ぐらいの間、私は、まったく無視されて、部長から、一回も声がかからなかった。
なかなかどうして、原四郎は〝文弱の徒〟ではなかった。〝剛腹なる社会部長〟と、評するべきであった。
〝剛腹〟といえば、ナカさんも、ナカナカの人物であった。その酒好きの故に、筆頭次長でありながら、当番デスクの時、泥酔していて仕事にならないことも、間々あった。だがポカをしないし、必ず、だれかが、助っ人を買ってくれるのである。
「三田、あの件の打ち合わせをしよう」
夕刊デスクは、締め切りが過ぎると、中番デスク(夜になって出てくる、朝刊デスクとのつなぎデスク)に、あとを頼んで、私を誘って外へ出る。
喫茶店にでも入って、打ち合わせするのかと思うと、オット、ドッコイ。三河屋酒店の立ち呑みで、夕方の四時ごろから始まる。
もちろん、ほんとうに、〝仕事の打ち合わせ〟なのだから、兵隊のこっちは、逃げるわけにもいかない。
向島のカラ出張がバレてから、一カ月ぐらい過ぎたころだったろうか。
「三田クン、伝票切って、すぐ福島へ行ってくれ。あの件だ」
「…でも、ナカさん。私は、出張禁止中の身ですから…」