見えざる影におののく七万人
一 參院引揚委の証言台
西陽がさし込むため、窓には厚いカーテンがひかれて、豪華な四つのシャンデリヤには灯が入った。院内でも一番広い、ここ予算委員室には異様に興奮した空気が籠って何か息苦しいほどだった。
中央に一段高い委員長席、その両側に青ラシャのテーブルクロスがかかった委員席、委員長席と相対して証人席、その後方には何列にも傍聴席がしつらえられ、委員席後方の窓側には議員席、その反対側に新聞記者席が設けてあった。
昭和二十四年五月十二日、参議院在外同胞引揚特別委員会が、吉村隊事件調査から引きずりだした「人民裁判」究明の証人喚問第二日目のことであった。今日は昨日に引続きナホトカの人民裁判によって同胞を逆送したといわれる津村氏ら民主グループと、逆送された人々の対決
が行われ、また「人民裁判」と「日本新聞」とのつながりを証言すべき注目の人、元日本新聞編集長小針延二郎氏が出席しているので、場内は空席一つない盛況で、ピーンと緊張し切っていた。
たったいま、小針証人が『委員会が国会の名において責任を持つなら、私はここで全部を申上げます』と、爾後の証言内容について国会の保護を要求した処だった。正面の岡元義人代理委員長をはじめ、委員席には一瞬身震いしたような反応が起った。
終戦時から翌年の六月まで、シベリヤ民主運動の策源地ハバロフスクの日本新聞社で、日本側責任者として「日本新聞」を主宰し、のちに反動なりとしてその地位を追われた小針氏が、何を語ろうとするのか。日本新聞の最高責任者、日本新聞の署名人であるコバレンコ少佐こそ極東軍情報部の有力スタッフではないか! 委員会は小針証人の要求により、秘密会にすべきかどうかを協議するため、午後二時二十九分、休憩となった。
約十分の休憩ののちに、岡元委員長は冷静な口調で再開を宣した。遂に公開のまま続行と決定した。満場は興奮のため水を打ったように静まり、記者席からメモをとるサラサラという鉛筆の音だけが聞えてくる。小針証人が立上って証言をはじめる。
『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその 収容所の政治部の部員に対しまして、お前の処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。