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迎えにきたジープ p.160-161 引揚者ソ連スパイ1万名摘発

迎えにきたジープ p.160-161 The Maizuru-Tokyo route organizations, HM, LS, CIC, CIE, and TP, in collaboration with former Japanese military officers, detected 10,000 Soviet spies from the Siberian repatriates and collected materials about the Soviet Union.
迎えにきたジープ p.160-161 The Maizuru-Tokyo route organizations, HM, LS, CIC, CIE, and TP, in collaboration with former Japanese military officers, detected 10,000 Soviet spies from the Siberian repatriates and collected materials about the Soviet Union.

対ソ資料の全くなかったアメリカが、旧軍人に協力を要請したことはさきに述べた通りだが、その初期はあくまで要請であって、二十一年十二月と翌年

一月の引揚四船の入港時には、日本政府の復員官の身分で、給与は終戦処理費の秘密費というような旧軍人顧問団を抱えていた。

しかし、二十二年四月から引揚の本格化と同時に、対ソ資料整備も本格化し、日本人ソ連通の大動員を行った。それは作戦や情報の参謀、憲兵、特務機関員、特高警察官などで、正式にG—2の嘱託として採用したのだった。

これらの日本人は純粋な技術者として、割り切って米国機関に働らいていた人が多いようである。最盛期には数百名の〝技術者〟たちが働らいていたが、二十八年はじめ大多数が解雇され、再編成された。現在でも働らいている人は、全く信用があり、しかも高度の技術を持っている僅かな人たちである。

これら日本人技術者の編成のあとをみることによって、NYKビルの実態は推断されるだろうと思う。(ここに推断という言葉を使ったことには意味があって、従ってあくまで私の主観による判断であることをお断りしておかねばならない)

舞鶴の項で述べた通り、その対ソ資料収集機関は、HM、LS、CIC、CIEなどであったが、二十二年四月から始まって、二十三年には大体の基礎が出来上り、二十四年からは最高度に機能を発揮した。

この組織は舞鶴—東京ルートである。フェーズ(Phase )ⅠからⅡまでに分れている。フェーズⅠはカードで引揚者を分類する。この段階でひっかかった人数は七万名、フェーズⅡはⅠでチェックしたものをさらに選択して、四万五千名を抜き出した。フェーズⅡはさらにこの四万五千名を再訊問して、約一万名にしぼったのである。結論として、一万名の有力なるソ連スパイを摘発したのだった。

また一方、この引揚者情報を整理するTP(都市計画班 Town plan Unit )があった。〝マイズル基地〟に配置された旧軍人は、TP一ヶ班、フェーズⅡには樺太、千島に詳しい瀬野赳元大佐(34期)の他、元大佐二、元少佐一、元大尉一などの七名、CICの前田元大佐、CIEの志位元少佐らであった。

これに直結する東京のNYKビルには、TPに数十名、フェーズⅡに五名、山崎グループ四名、これは山崎重三郎元中佐(43期)を長とする中共班である。元ハルビン特機員、「ソ連研究」編集長丸山直光氏ら二名の文諜班、元第十八軍(ニューギニヤ)参謀長吉原矩元中将(27期)らの兵要地誌班が五、六名、海軍関係数名といった陣容だった。この他に元大本営作戦課長服部卓四郎元大佐(34期)らの戦史課六名がいる。この陣容も二十六年になると、TP班三十五、山崎班六、吉原班十、海軍四、戦史班六に整理された。

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 赤軍の線はまだ潜在化している

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.
赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.

代表部の組織自体がそれぞれにスパイ網を持っているが、それはそれぞれにダブっているこ

ともあり、内務省と赤軍の線とを除いてはいずれも比較的弱い。すると、何といっても中心になるのはこの二つの線であるが、ここに注目されなければならないのは、ラ事件をはじめとして幻兵団などでも、現在までに顕在化されたのはいずれも内務省系統の事件ばかりであるということである。

ラ事件捜査当局の某幹部は『われわれが問題とするのはもはや内務省系スパイではない。いまや赤軍第四課系スパイ線の実態究明にある』と、洩らしたといわれているが、まったくその通りであろう。

私がここに収録した幻兵団の実例の幾つかが、いずれも内務省系ばかりである。日本人収容所のうち、赤軍直轄の収容所があったことはすでに述べたが、これらの赤軍労働大隊でスパイ誓約をした引揚者で、当局にチェックされた人名はまだそう多くない。

NYKビルがフェーズⅡで最終的にチェックした人名は一万名といわれている。この中には私のように誓約はしたが、連絡のない半端人足は含まれているかいないかは知り得ないが、連絡のあった者だけとすれば大変な数である。

またラ氏はワシントンに於て米当局に対して、『ソ連代表部が使用していたソ連引揚者のスパイは約二百五十名である』と述べたといわれる。幻兵団や元駐ソ大使館グループ、または高

毛礼氏のように、さらにまた、東京外語大の石山正三氏のように在ソ経歴を持たなくとも、ラ氏にコネクションをつけられたものもいる。

そしてまた、コテリニコフ・ポポフ――高毛礼ラインの手先とみられる、銀座某ビヤホール経営者の白系露人のように、〝地下代表部員〟の間接的スパイもいる。

従ってソ連スパイ網に躍る人物は、本人が意識するとしないとに拘らず(例えば前記石山教授などは、志位元少佐がソ連兵学の研究のため、赤軍参謀本部関係の第二次大戦資料などを、ラ氏を通じて得ていたように、ソ連文献入手のため知らずにラ氏に利用されていたにすぎないといわれている)相当な数と種類とに上っていることは事実である。

だが、赤軍の線は捜査の手がそこまで伸びているのにまだ潜在化している。前記ビヤホールの白系露人などは、数年前から要注意人物としてマークされていながら、どの系統なのか全く分らず捜査が一頓坐していたもので、今度の高毛礼ケースから明らかになったものであった。

当局ではいまさらのように巧妙なその組織に驚いており、過去九年間における延数百名にも及ぶ在日ソ連代表部員の都内行動記録を再検討している。これは他の〝地下代表部員〟の摘発であると同時に、捜査は元在日総領事、中共軍政治顧問の経歴をもちながら「雇員」の資格だったシバエフ政治部大佐以下、「経済官」のポポフ同少佐、「運転手」のグリシーノフ同大尉

らの内務省系から、ザメンチョーフ赤軍少佐らの線へとのびていることである。