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赤い広場ー霞ヶ関 p.102-103 高毛礼は二百三十五万円を受領した

赤い広場ー霞ヶ関 p.102-103 Developed from the Rastvorov incident to a more extensive the Soviet Union's investigation of the red spy network in Japan.
赤い広場ー霞ヶ関 p.102-103 Developed from the Rastvorov incident to a more extensive the Soviet Union’s investigation of the red spy network in Japan.

車内での私の取材が始まった。取材の大半が終わったとき、私は名刺を出して記者であることを告げたのだった。

当局では彼女を高毛礼氏関係のドルの裏付捜査の参考人として、任意出頭を求めて取調べていたのであった。私はこうして、はしなくも彼女によって、もはやラストヴォロフ事件と呼ぶのには相応しくない、大規模な在日赤色スパイ網の捜査に手をつけている、当局の姿をチラリと覗いたのである。

つまりラ事件捜査の経過から、在日赤色諜報謀略網の徹底的摘発を決意した当局では、これらぼう大な組織のうち、ラストヴォロフ政治部中佐担当のスパイ線は、おおむね捜査を終り第二段階へ移った。すなわち、ラ氏自供にもとづいて検挙した高毛礼氏の背後関係から、他のソ連代表部員担当の、各スパイ線捜査へと進行していたのである。

三十年二月十一日に東京地裁で開かれた、同氏の第三回公判における、検事の冒頭陳述をみてみよう。(同日付読売、毎日新聞)

一、高毛礼被告がソ連に接近した事実=二十四年新潟市内新潟鉄工で、ソ連向け貨車数十輛の検収が行われた際、ソ連通商代表部員シュチュルバコフと知り、ソ連に親近感を抱いていた被告は、自分の退官の際ソ連人から便宜を受けようと、ソ連通商代表部に自らすすんで二十五年三、四月ごろ訪ね、ソ連在日代表部員の一員であるコチエリニコフと知り、ひそかに同人を介し、麻布狸穴のソ連在日代表部を訪ねた。

二、スパイ活動=①対ソ協力者としての誓約――二十五年十二月ころ旧在日ソ連代表部に行き、ソ連に忠実に協力して特務情報活動を行うむね誓約、特務情報活動に関する被告の番号名がエコノミストとされた。②その内容――外務省事務官として職務上入手可能な日本政府の秘密資料の内容を、ソ連のため在日特務情報機関に知らせること。③報酬と資金――二十六年一月から二十八年七月までの間、スパイ活動の報酬として、月五千円から二万五千円の定期的給与計五十八万円を受けたほか、特務情報活動用のカメラ、ラジオ受信機などの購入設備資金として数回にわたり、二十二万円、さらに二十七年二月四千ドル(百四十四万円)など総計二百三十五万円を受領した。

④スパイ活動の一般的経過――指示された方法で、毎月一、二回東京都港区芝御成門都電停留所付近、千代田区大手町常盤橋公園ほか数ヶ所の街頭を連絡場所として、二十六年一月から二十七年夏まではポポフ、二十八年末まではクリニッチンと連絡をとり、外務省資料を手渡したが、現在では特定しがたいほどの多数に及んでいる。⑤対日平和条約直前、同被告がスパイ活動のため特別な任務と訓練を受けた事実――二十七年一月から九月まで三回にわたり、コチエリニコフから代表部に呼ばれ、対日講和条約の発効に伴い、特務情報機関が日本を引揚げる場合、同被告がソ連のためスパイ活動を引続き行う任務を受け、暗号表とその解読方法、ソ連放送の聴取方法、マイクロ写真技術などスパイ活動に必要な訓練を受けた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.104-105 「日本人富岡芳子」それが私が発見した女だった

赤い広場ー霞ヶ関 p.104-105 On behalf of the Soviet's spy pilot who had to withdraw after the peace treaty came into force, they were trying to set up a Japanese spy pilot who would take over the work.
赤い広場ー霞ヶ関 p.104-105 On behalf of the Soviet’s spy pilot who had to withdraw after the peace treaty came into force, they were trying to set up a Japanese spy pilot who would take over the work.

二十八年四月ごろから、三鷹市下連雀の自宅でオールウェイヴ・ラジオによりソ連からの秘密暗号情報を受信、暗号解読練習をした。さらにこの秘密通信文を埋め、その通信文をソ連側に送信する送信技術をおさめた。このほか在日残存秘密特務情報網のメンバーの人相確認を行った。

この間協力者二名に対する報酬を含めて一年四千ドル(百四十四万円)を一括受領した。

▽ドル入手関係=①二十七年二月ソ連代表部で、コチエリニコフ氏から四千ドルを受取った。②被告はこのドルを二十七年四月、日本人富岡芳子を介し、昌栄貿易重役遊佐上治氏(元外務省経済局動務)らに売却、自己または他人の名儀で、興亜土地合資会社(代表者佐藤直氏)へ融資、あるいは山一証券など数社に株式売買資金として費消。

▽秘密文書関係=被告は二十七年十月、二回にわたりクリッチンに職務上の秘密文書、経済第二課企画(国際経済機関二十六年度版)上下を手渡した。

つまりこの冒頭陳述のドル入手関係に書かれている「日本人富岡芳子を介し」という、富岡芳子こそ私の発見した彼女だったのである。そして彼女によって、二十九年八月二十一日兵庫県警察本部が摘発した「英印人ヤミドル団」とスパイ網とが結ばれていたのであった。

当局の捜査は高毛礼氏からスパイ資金を受取るはずの日本人スパイ群と、高毛礼氏と同様に他のソ連人からバトンを受けついだ他の〝地下代表部員〟およびヤミドル団との背後関係の三点に向けられていたのであった。

では、ここで高毛礼氏捜査の経過をみてみよう。さる二十七年ごろからラ氏にかかる刑特法違反容疑事件の捜査を行っていた同課では、ソ連代表部員の行動調査を始めていたが、アナトリイ・F・コテリニコフ領事とL・A・ポポフ経済官(実際は政治部少佐と信じられている)両氏の乗用車を尾行したところ、三鷹市下連雀付近まで月に数回でかけるという事実をつかみ付近一帯を捜査した結果、高毛礼氏宅があるのを発見、一応チェックしていた。

ところが二十九年八月上旬、山本課長がワシントンでラ氏から、ポポフ氏担当の日本人スパイの話をきき取り、これを経歴その他に前記尾行の線がピタリ符合する高毛礼氏と判断した。その結果、約二週間の尾行から富岡氏ら四名の女性を発見したのである。

逮捕に向ったとき、同氏は『一切を死によって清算したい』旨の遣書を残して、ヌレ手拭で自殺を図ったほどで、それだけに重要な人物として厳しい追及をうけたところ、取調べ官宛に手記を書いて一切を自供したものである。

ここで当局は始めて、ソ連側では講和条約の発効によって、代表部は引揚げざるを得ないという情勢判断をしており、そのため、ソ連人に代るスパイ操縦者の日本人、いうなれば〝地下代表部員〟の設置を行っていたという、重大な事実を握ったのであった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 赤軍の線はまだ潜在化している

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.
赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.

代表部の組織自体がそれぞれにスパイ網を持っているが、それはそれぞれにダブっているこ

ともあり、内務省と赤軍の線とを除いてはいずれも比較的弱い。すると、何といっても中心になるのはこの二つの線であるが、ここに注目されなければならないのは、ラ事件をはじめとして幻兵団などでも、現在までに顕在化されたのはいずれも内務省系統の事件ばかりであるということである。

ラ事件捜査当局の某幹部は『われわれが問題とするのはもはや内務省系スパイではない。いまや赤軍第四課系スパイ線の実態究明にある』と、洩らしたといわれているが、まったくその通りであろう。

私がここに収録した幻兵団の実例の幾つかが、いずれも内務省系ばかりである。日本人収容所のうち、赤軍直轄の収容所があったことはすでに述べたが、これらの赤軍労働大隊でスパイ誓約をした引揚者で、当局にチェックされた人名はまだそう多くない。

NYKビルがフェーズⅡで最終的にチェックした人名は一万名といわれている。この中には私のように誓約はしたが、連絡のない半端人足は含まれているかいないかは知り得ないが、連絡のあった者だけとすれば大変な数である。

またラ氏はワシントンに於て米当局に対して、『ソ連代表部が使用していたソ連引揚者のスパイは約二百五十名である』と述べたといわれる。幻兵団や元駐ソ大使館グループ、または高

毛礼氏のように、さらにまた、東京外語大の石山正三氏のように在ソ経歴を持たなくとも、ラ氏にコネクションをつけられたものもいる。

そしてまた、コテリニコフ・ポポフ――高毛礼ラインの手先とみられる、銀座某ビヤホール経営者の白系露人のように、〝地下代表部員〟の間接的スパイもいる。

従ってソ連スパイ網に躍る人物は、本人が意識するとしないとに拘らず(例えば前記石山教授などは、志位元少佐がソ連兵学の研究のため、赤軍参謀本部関係の第二次大戦資料などを、ラ氏を通じて得ていたように、ソ連文献入手のため知らずにラ氏に利用されていたにすぎないといわれている)相当な数と種類とに上っていることは事実である。

だが、赤軍の線は捜査の手がそこまで伸びているのにまだ潜在化している。前記ビヤホールの白系露人などは、数年前から要注意人物としてマークされていながら、どの系統なのか全く分らず捜査が一頓坐していたもので、今度の高毛礼ケースから明らかになったものであった。

当局ではいまさらのように巧妙なその組織に驚いており、過去九年間における延数百名にも及ぶ在日ソ連代表部員の都内行動記録を再検討している。これは他の〝地下代表部員〟の摘発であると同時に、捜査は元在日総領事、中共軍政治顧問の経歴をもちながら「雇員」の資格だったシバエフ政治部大佐以下、「経済官」のポポフ同少佐、「運転手」のグリシーノフ同大尉

らの内務省系から、ザメンチョーフ赤軍少佐らの線へとのびていることである。