亡き父に捧ぐ
目次
悲しき独立国民
黙って死んだ日本人
佐々木大尉とキスレンコ中佐
還らざる父
キング・オブ・マイズル
関東軍特機全滅せり
ウイロビー少将の顧問団
天皇島に上陸した「幻兵団」
パチンコのテイラー
秘密戦の宣戦布告
見えざる影におののく七万人
参院引揚委の証言台
亡き父に捧ぐ
目次
悲しき独立国民
黙って死んだ日本人
佐々木大尉とキスレンコ中佐
還らざる父
キング・オブ・マイズル
関東軍特機全滅せり
ウイロビー少将の顧問団
天皇島に上陸した「幻兵団」
パチンコのテイラー
秘密戦の宣戦布告
見えざる影におののく七万人
参院引揚委の証言台
原子スパイ事件、ローゼンバーグ夫妻の「愛は死を越えて」、ゾルゲ事件、尾崎秀実の「愛情は降る星の如く」と、三人のスパイたちの遺書は、多くの人に読まれ感動の涙を誘った。
だが、この三人の悲しい運命は、いわば自らえらんだ運命であった。何を今更、妻を想い、子を求めて、己れの魂をかきむしらねばならないのだろう。〝意識したスパイ〟でさえも、このような人間的なあまりにも人間的な、弱さに身悶えするのである。
この遺書の主、佐々木克己の場合はどうだろうか。官職一切を失いながらも、平和になった日本で、親子四人が幸福に暮していたのである。彼が果してスパイであったかどうかは、私には断定できない。だが、スパイであったとしても、彼は〝強制されたスパイ〟であったということは明らかである。
〝意識したスパイ〟が、電気椅子や絞首台を前にして号泣するとき、〝強制されたスパイ〟は黙ったまま死んでいった!
私は清子未亡人をジッとみつめた。だが、彼女はまだ下唇を噛みしめている。佐々木元大佐を殺した〝犯人〟の名前が、いま、喉元まで出てきているのだ。
……だが、彼女はいわない。遺書にも書いてない。誰が、この妻と、二人の子供の、平和と幸福を奪ったのか!
二人の遺児、幸夫君とみき子ちゃんとが大人になったとき、二人は父の死の本当の意味を知りたいと願うに違いない。そして、この二人に代表される全日本人は、同時に自分自身のものである佐々木克己の辿った運命を直視しなければならない。
二 佐々木大尉とキスレンコ中佐
ここは雪と氷に閉ざされた北海道の、札幌は砲兵第七連隊の営庭。彼にまつわる〝因果はめぐる小車〟の物語は、こうして昭和初年にさかのぼるのであった。
今しも演習を終えて帰営した佐々木中隊は解散の隊形に整列した。兵も馬も砲も、降りしきる雪におおわれて真白である。
『講評ッ! 本日の演習は積雪と寒気とにも拘わらず、諸子の行動は常に積極果敢、よく所期の目的を納め得た。中隊長として極めて満足である』
馬は白い長い息を吐き、馬具がカチャカチャと鳴る。兵隊たちの顔は上気して赤い。
『……兵器と馬の手入を十分にせいッ。御苦労であった。解散ーン!』
『中隊長殿に敬礼ッ! 頭アー中ッ!』
第一小隊長の指揮刀が馬の耳をかすめて一閃するや、兵隊たちはキッとなって頼もし気に自分たちの中隊長、陸士出身でまだ若いが、陸大の入試準備を始めていると噂されている佐々木克己大尉をみつめた。
そして、この事実は元の参謀本部陸地測量部、現在の建設省千葉地理調査所で、正確な日本
地図を作らせて、タウン・プラン・マップと同様の地図を作ったことがあった(と私は思う)ということで裏付されるだろう。日本もまた、シベリヤ、樺太、大陸の各都市と同じように、「ST四三二一、消滅!」といった工合に、精確無比な爆撃を受ける可能性があるということである。
迎えにきたジープ
一 怪自動車の正体
二十五年十一月に発刊された赤沼三郎(政治評論家、花見達二氏のペンネームだと言われている)なる人の「新聞太平記」という著書をみると、戦後の各種事件についての項で、幻兵団の記事をこう取上げている。
ソ連捕虜をめぐる幻兵団事件というのも謎の話題で、未解決のままになっているが、これも読売社会部の三田記者(引揚げ者)の体験から、一群の〝スパイ強制団〟がソ連に居り、また引揚者の中にもいる、という事件であった。しかも、それを裏切ったものには恐ろしい脅迫状が来る、というのだ。
そして脅迫状は読売自身にも舞込んだ。読売はその脅迫状を凸版写しで社会面に掲載した。全く怪奇な
ニュースであるが、これには東京地検の阿部検事正や、自由党政調会の橋本竜伍氏などが、国際的見地からこの話題の拡大と追求は好ましくないというので、各方面をいろいろ奔走していた事実がある。
一面またこの問題をタネに名を売りこんで、参議院選挙に出る仕度をしていた男なども入り交って、幻兵団(魂を売った兵団の意味)事件は、曉に祈る吉村隊事件とは別の意味で近来の変り種であった。
〝謎の話題は未解決のままにはなって〟いたのであったが、二十七年暮、突如として大問題となった鹿地失踪事件が起き、それは一転して三橋スパイ事件に進展、いよいよ世界の耳目を集めたのだったが、三橋スパイ事件こそ、幻兵団の一切を裏付け、証明したものであった。
謎の話題は、恐しい話題となって解決したが、解決しない幾つもの問題が残された。それは、この鹿地・三橋スパイ事件は、独立国日本の首都東京で起き、登場した二人はともに日本人であるのに、この斗いを争っていたものは米ソという外国で、米ソの外国人が脅迫で日本人に強制していたということである。
そしてまた、この搜査に当ったスパイ事件の国警本部と、不法監禁事件の警視庁という、二つの有力な治安当局もまた、ついに真相を究明し得なかったということである。
真相を知っているのは、米ソ両国だけである。幻兵団というナゾの話題は、どうして恐しい話題になったのだろうか。ここで再び序章にのべた〝国際スパイ戦の道具にされた日本人〟佐
々木大尉とキスレンコ中佐との間の、奇しき因縁の物語を想い起してみよう。
真相を知っているのは、米ソ両国だけである。幻兵団というナゾの話題は、どうして恐しい話題になったのだろうか。ここで再び序章にのべた〝国際スパイ戦の道具にされた日本人〟
佐々木大尉とキスレンコ中佐との間の、奇しき因縁の物語を想い起してみよう。
義父谷元中将の助命嘆願のため、ソ連人にコネをつけられた佐々木元大佐が、ついにシベリヤ帰りのスパイ三橋正雄氏のレポになる。表面平和な毎日が続いていたが、ある夜、佐々木氏は数人の外国人ギャングに襲われ、怪自動車で拉致されてしまう。顔面を醜くはらして翌朝帰宅した佐々木氏は、うつうつとしてたのしまず、ついに自殺してしまった。
この謎を解く事件が、ゆくりなくも二十六年十一月の二十五日、湘南は鵠沼海岸で再現され、一年後の二十七年十二月八日、「鹿地亘氏失踪事件の真相」として明るみに出て、天下のド肝を抜いたのであった。
その日(二十六年十一月二十五日)の午後七時頃、国立清瀬病院から退院後の体を、鵠沼の石田鈴雄氏方に転地療養していた鹿地亘氏は、セーターにズボンにハンチング、スプリングを抱えた軽いいでたちで、いつものようにぶらりと玄関を出て行った。付添看護婦の山崎君子さんは、『また御散歩かしら』とさして気にも止めなかった。が、鹿地氏は、それっきり帰って来なかったのである。
何の消息もないままに、一ヶ月が流れた十二月末のある日、石田方のポストに夫人宛の鹿地氏自筆の書簡が投げ込まれていた。
突然行方不明になって、あなた方に大変御心配をかけ、申訳ありませんでした。実は先月二十五日の夕食後の散歩の途中、自動車にはねられ、その車の持主の所に運んでいかれて、治療を受けていたのです。
事故を起して判ったことは、この人物が重慶で顔見知りの中国人だったことでした。彼は密入国して日本に来たのだそうで、そんな事情のため、目下私の住所もこの人の名前もお知らせすることができません。
私の負傷は然し大したことはありません。足をくじいたのはどうやら癒りました。ただここに来た夜、暗がりで水を飲もうとしてクレゾールを飲み、口腔とのどを焼き、全くへまをやってその手当を受けています。
幸い安静にしていたので、病状は次第に落ち着く模様です。まもなく動けるようになりますから、そしたら帰ります。何事も心配しないで待って下さい。君子さん(看護婦)にもそういって慰めて下さい。
歳末あわただしさの中で、あなた方も子供たちも、交通事故など起さないように注意して下さい。よいお正月を迎えて下さい。
十二月二十七日
鹿 地 亘
池 田 幸 子 様