第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側
大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相
政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり
第六章 安藤組事件・最後の事件記者
ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ
あとがき
序に代えて 務臺没後の読売
第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側
大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相
政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり
第六章 安藤組事件・最後の事件記者
ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ
あとがき
序に代えて 務臺没後の読売
金久保社会部長と、小島編集局長に対してクーデターを起こそう、という決心は、社の車で送られて、世田谷の家に帰りつくまでにもう、九分九厘まで決めていた。
翌日、やや早目に起きると、社の自動車部に電話して、家から五分ぐらいの距離にある北沢署に車を呼んだ。
たしかに、〝いい時代だった〟と思う。三十歳代の後半とはいえ、出勤には、いつも社用車が使えたのだから…。
ひる前ごろ、赤坂の奈良旅館に着いてみると、小笠原は、昨夜、「指名手配なのだから夜が明けたら、ここを立ち去って下さい」といっていたのに、まだ、旅館に居たし、私の来るのを、待っていたような感じだった。
「どうしたんです。まだ、居たんですか」と私はワザと、詰問調にいった。
「…あのう、お願いがあるんですが…」
——きたな! と、私は思った。
「ゆうべと今朝、花田とも、連絡を取ったのですが、やはり、兄キよりも先に、捕まるわけにいかないんです。それに、私の指名手配はマチガイですし…」
「……」
「…で、兄キが自首するまで、もうしばらくの間、どこかに、かくまって頂けないものでしょうか…」
「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」
今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。
——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!
——しかし、小笠原との〝取引〟ではダメだぞ。花田に、ゲタを預けなければ…。
ダンマリのなかで、私の心の中では、着々と、クーデター計画が煮つまっていった。
「この場では、私には返事ができない。仕事もあるので、私はでかけるけど、夕方、暗くなったら、花田さんを呼んでおきなさい。
メシは運ばせるけど、部屋から出てはダメだよ。今朝、ここを立ち去らなかったので、私は、再度、今夜には出ていくように、厳重に注意したんだよ」
事務的な口調でそういうと、司法記者クラブに出かけていった。
犯人を旭川へ、サイは投げられた
夕刊の締め切りがすぎたころ、私は、警視庁クラブに出かけていって、キャップの萩原や、捜査二課担当の子安雄一記者に、安藤への追及状況を聞いた。まだ、足取りは、まったくつかめていないようだった。
それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した
いことがある」といった。
それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した
いことがある」といった。
塚原大隊長は、もともと、私の上官ではなかった。八月十三日、満州国の首都・新京で私の所属する二〇五大隊の主力は、すでに満ソ国境の白城子付近に展開していた、旅団主力に合流できず、新京防衛隊に編入されていた。そして敗戦。
やがて、南の公主嶺に撤退し、一千五百人の部隊編成が命令された。そこで、二〇五大隊を基幹として、二〇三大隊の一部を加えてジャスト一千五百名が編成された。
だが、シベリアに入ったその冬、二〇五大隊長だった星野六蔵少佐が死亡して、二〇三大隊の長だった、塚原勝太郎大尉が、後任の大隊長になった。
バイカル湖の西側、イルクーツクから、シベリア本線で二つ目の駅、チェレムホーボの炭鉱で、私たちは働かせられた。はじめは、建制(旧軍の編成)のままの作業隊だったが、のちに、将校だけの作業隊になったので、私は、塚原大尉とも、親しくなっていた。
「実は、詳しいことは、まだ話せないのですが、一人の男を、しばらく預かってくれる戦友がいないでしょうか。北海道など、遠いところがいいんですが…」
「ウン、話せない事情があるのなら、聞かないことにしよう。そうだナ。旧部下で、思い当たるのは、旭川で材木屋をやっている、外川曹長ぐらいだナ」
「あァ、外川さん。私も知っていますが、そんなことを頼めるほど、親しくないので…」
「いや、いいよ。オレが頼んでやるよ。住みこみの店員もいるし、ひとりぐらい…」
「でも、あんまり、肉体労働のできる男ではないので、寝るところとメシだけ、お願いできれば…」
「よし、分かった。頼んでやる。オレと同じ二〇三大隊育ちだから、引き受けるよ」
「スミマセン。…どんなに長くても、一カ月ぐらいですので…。ア、山口二郎という男ですが、上野を発ったら、旭川着の時間をお知らせします」
私が、王長徳から、小笠原を〝もらった〟時に彼は、山口二郎といっていたのを、思い出して、そうつけ加えた。
塚原大尉、外川曹長とも、一切の事情は知らせなかった。迷惑がかからないよう、留意したのであった。それでも、塚原大尉には、二泊三日ぐらいの、留置場体験をさせてしまった。二人の供述が、ピタリと一致したので釈放されたのだった、けれども……。
シベリア会という、戦友会が、年一回開かれている。その席で、塚原大尉とはじめて同席した時、私は発言を求めて、改めて、謝罪したものだった。
さて、話の本筋へ戻ろう——小笠原をオトしてやるメドがついたので、夜になって、奈良旅館へ出かけていった。もう、ハラは決まっていた。
花田が来て、小笠原からではなく、花田から頼ませる形をとった。
「あくまで、安藤親分の自首までの間、ですからね。そして、安藤が自首する前、私にはインタビューさせて下さい。警視総監が首相に叱られた事件だから、多分、実情は自首であったとしても、逮捕
という形を取ることになるでしょう。
「あくまで、安藤親分の自首までの間、ですからね。そして、安藤が自首する前、私にはインタビューさせて下さい。警視総監が首相に叱られた事件だから、多分、実情は自首であったとしても、逮捕
という形を取ることになるでしょう。
それから、上野駅までは、私が送ります。落ち着き先へ到着したら、連絡を入れますから、食費その他の経費は、そちらで賄って下さい。切符代もね。もちろん、先方では、なにも事情は、一切知らないのですから。軍隊と捕虜の〈友情〉なのです。
途中、職質で逮捕されたりしたら、私は、まったく、関知しませんから、旅館のマッチやメモ類など、持たないこと。花田さんの電話番号は、頭の中に入れて下さい」
私は、あらゆる場合を想定して、安藤の自首までの、時間稼ぎを考えていた。警視庁は安藤の足取りを、まだ、つかんでいないことは確かだった。
安藤と千葉の身柄を、捜査二課が押さえた段階で、小笠原は、自首してもらえばいいという、プログラムだった。
そして、それらの連絡は、合法面に残っている花田である。私が想定した情況は、十分に知識のある、日本共産党の九幹部潜行の実例であった。その時も、合法面には、椎野議長ひとりが残って、連絡係をしていたのだ。当時、日共担当だった私は、同じ捜査二課の捜査手法には、通じているつもりだった。
のちに、捜査四課が設けられて、暴力団担当となり、公安一、二、三課ができて、左翼、右翼、外事を、分掌したが、当時はまだ、捜査二課の一、二、三係であった。
奈良旅館に、車を呼んだ。社の自家用ではなく、雇い上げのハイヤーを指定した。
旅館の門のところで、花田は、「では、なにとぞ、宜しくお願いします」と、頭を下げて、去っていった。
少し離れて、待っていた車に、私と小笠原は乗りこんだ。私の人生で、〝夜のヤミ〟を気にしたことは、この時が最初だったろう。
赤い横線の入った、読売の社旗が、ヘッドライトの横でハタめく。
——まず、検問を受けることはない…。
それでも、車窓に流れる制服警官の姿には緊張する。上野駅に着いて、正面玄関から、一階の広場を抜けて、右手の大改札口に至る数十メートルの歩きには、あとでクタクタになるほどに、精神が張りつめていた。
むかし、サツまわりで、上野署を担当したので、駅警備の詰め所や、巡回コースなどの知識はあったが、駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。
小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。
——済んだ…。あとは連絡船の乗降だけが賭けだ!
待たせておいた車に戻り、「ウチまで送ってよ」と、運転手にいって、深々と、座席に身を沈めた。頭の中が、空ッぽのような感じだった。サイは投げられたのだった。
夜遅く、梅ヶ丘の自宅に戻った。妻も、二人の男の子たちも、もう寝静まって、家中がシーンとし
ていた。
夜遅く、梅ヶ丘の自宅に戻った。妻も、二人の男の子たちも、もう寝静まって、家中がシーンとし
ていた。
自分の部屋に入り、改めて、六法全書を取り出し、机上にひろげた。
第一〇三条(犯人蔵匿) 罰金以上ノ刑ニ該ル罪ヲ犯シタル者、又ハ拘禁中逃走シタル者ヲ蔵匿シ、又ハ隠避セシメタル者ハ、二年以下ノ懲役、又ハ二百円以下ノ罰金ニ処ス
カタカナ書きの、刑法の条文が、それなりの重みをもって、私の視野に、飛びこんできた。
——オレはいま、間違いなく、刑法の罪を犯した…。
——しかし、これは私利私欲ではない。公器たる新聞の、取材のためであり、報道のためなのだ!
——新聞は事件なのだ。事件を扱わなくなった読売新聞の、編集幹部に覚醒を促すための手段なのだ。
新聞の編集局長や各部の部長などは、そのクビを、大勢いる部下の記者たちに、預けているのも、同然である。
古くは、朝日新聞の「伊藤律架空会見記」が、そうであり、近くは、「サンゴ礁事件」がそうである。部長、局長、社長のクビを飛ばすことができる。
読売の立松事件では、記事はデマだったが、ネタモトに法務省刑事課長・河井信太郎という、レッキとした人物がいたので、部長が左遷されただけで、局長はお構いなしだ。
なんと、美辞麗句を並べようと、私の今夜の行動は、まぎれなくも、「犯人隠避」である。
——これが、「事件」になるかどうかは、私の手で、安藤以下の指名手配犯人を警視庁に自首させられるか、捜査の手が早く逮捕されてしまうか、どうか、そのスピード如何にかかっている。もし、当局
の手が早ければ、私は犯人隠避罪の、刑事被告人になることは、間違いのないところである。
そう考えると、私は、急に脱力感に襲われて、虚しくなってきた。
——いったい、新聞記者、新聞記者って、ひとりでリキみ返っているが、新聞記者って、なんなのだ?
いつも私の寝ている間に、学校へ行ってしまって、顔を合わせるチャンスの少ない、子供たちの顔が、急に見たくなってきた。
子供部屋に行って、二人の男の子の寝顔を見ていると、虚しさが、一層つのってきた。
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
そして、しばらくののちに、私のクーデターは失敗する。私は負けるのだった。それもまったくの偶然からだった。
安藤の足取りは、まったくつかめない。上からは、ヤイヤイいわれる。刑事たちは、自由に動きまわっている副親分の花田が、潜伏中の連中と連絡をとっているからだ、と、ニラんで、花田の家宅捜索令状をとって、ガサをかけた。
もちろん、身体捜検もやる。花田のカミさんの財布をあけさせた。と、一枚の紙切れが入っていた。
「北海道、旭川市……。山口二郎」
手紙の封筒のウラの、差出人の住所部分を財布に入れて、持っていたのである。刑事たちは、いぶかった。