犯人を旭川へ・サイは投げられた」タグアーカイブ

読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次(つづき) 章扉

読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次02 序に代えて 務臺没後の読売(扉)
読売梁山泊の記者たち p.010-011 目次02 序に代えて 務臺没後の読売(扉)

第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側

大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者
三十年後に明かされた事件の真相

政治的思惑で立松を利用した河井検事
もしデマのネタモトを暴露していたら…
事件の後始末、スター記者時代の終わり

第六章 安藤組事件・最後の事件記者

ころがり込んできた指名手配犯人
犯人を旭川へ、サイは投げられた
発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…
いま「新聞記者のド根性」はいずこへ

あとがき

序に代えて 務臺没後の読売

読売梁山泊の記者たち p.280-281 小笠原ではダメだ。花田にゲタを預けなければ

読売梁山泊の記者たち p.280-281 「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!
読売梁山泊の記者たち p.280-281 「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!

金久保社会部長と、小島編集局長に対してクーデターを起こそう、という決心は、社の車で送られて、世田谷の家に帰りつくまでにもう、九分九厘まで決めていた。

翌日、やや早目に起きると、社の自動車部に電話して、家から五分ぐらいの距離にある北沢署に車を呼んだ。

たしかに、〝いい時代だった〟と思う。三十歳代の後半とはいえ、出勤には、いつも社用車が使えたのだから…。

ひる前ごろ、赤坂の奈良旅館に着いてみると、小笠原は、昨夜、「指名手配なのだから夜が明けたら、ここを立ち去って下さい」といっていたのに、まだ、旅館に居たし、私の来るのを、待っていたような感じだった。

「どうしたんです。まだ、居たんですか」と私はワザと、詰問調にいった。

「…あのう、お願いがあるんですが…」

——きたな! と、私は思った。

「ゆうべと今朝、花田とも、連絡を取ったのですが、やはり、兄キよりも先に、捕まるわけにいかないんです。それに、私の指名手配はマチガイですし…」

「……」

「…で、兄キが自首するまで、もうしばらくの間、どこかに、かくまって頂けないものでしょうか…」

「え? かくまえ、だって? あんたは、指名手配犯人ですよ。…刑法の犯人隠避罪になるんですよ、この私が…」

今度は、小笠原が口をつぐんでしまった。気まずい沈黙の時が、しばらく流れた。

——ウン、とうとう、飛びこんできたゾ!

——しかし、小笠原との〝取引〟ではダメだぞ。花田に、ゲタを預けなければ…。

ダンマリのなかで、私の心の中では、着々と、クーデター計画が煮つまっていった。

「この場では、私には返事ができない。仕事もあるので、私はでかけるけど、夕方、暗くなったら、花田さんを呼んでおきなさい。

メシは運ばせるけど、部屋から出てはダメだよ。今朝、ここを立ち去らなかったので、私は、再度、今夜には出ていくように、厳重に注意したんだよ」

事務的な口調でそういうと、司法記者クラブに出かけていった。

犯人を旭川へ、サイは投げられた

夕刊の締め切りがすぎたころ、私は、警視庁クラブに出かけていって、キャップの萩原や、捜査二課担当の子安雄一記者に、安藤への追及状況を聞いた。まだ、足取りは、まったくつかめていないようだった。

それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した

いことがある」といった。

読売梁山泊の記者たち p.282-283 小笠原をオトしてやるメドがついた

読売梁山泊の記者たち p.282-283 「実は、詳しいことは、まだ話せないのですが、一人の男を、しばらく預かってくれる戦友がいないでしょうか。北海道など、遠いところがいいんですが…」塚原大尉、外川曹長とも、一切の事情は知らせなかった。
読売梁山泊の記者たち p.282-283 「実は、詳しいことは、まだ話せないのですが、一人の男を、しばらく預かってくれる戦友がいないでしょうか。北海道など、遠いところがいいんですが…」塚原大尉、外川曹長とも、一切の事情は知らせなかった。

それから、シベリアで一緒に苦労した、大隊長の塚原元大尉に電話を入れ、「至急、会って相談した

いことがある」といった。

塚原大隊長は、もともと、私の上官ではなかった。八月十三日、満州国の首都・新京で私の所属する二〇五大隊の主力は、すでに満ソ国境の白城子付近に展開していた、旅団主力に合流できず、新京防衛隊に編入されていた。そして敗戦。

やがて、南の公主嶺に撤退し、一千五百人の部隊編成が命令された。そこで、二〇五大隊を基幹として、二〇三大隊の一部を加えてジャスト一千五百名が編成された。

だが、シベリアに入ったその冬、二〇五大隊長だった星野六蔵少佐が死亡して、二〇三大隊の長だった、塚原勝太郎大尉が、後任の大隊長になった。

バイカル湖の西側、イルクーツクから、シベリア本線で二つ目の駅、チェレムホーボの炭鉱で、私たちは働かせられた。はじめは、建制(旧軍の編成)のままの作業隊だったが、のちに、将校だけの作業隊になったので、私は、塚原大尉とも、親しくなっていた。

「実は、詳しいことは、まだ話せないのですが、一人の男を、しばらく預かってくれる戦友がいないでしょうか。北海道など、遠いところがいいんですが…」

「ウン、話せない事情があるのなら、聞かないことにしよう。そうだナ。旧部下で、思い当たるのは、旭川で材木屋をやっている、外川曹長ぐらいだナ」

「あァ、外川さん。私も知っていますが、そんなことを頼めるほど、親しくないので…」

「いや、いいよ。オレが頼んでやるよ。住みこみの店員もいるし、ひとりぐらい…」

「でも、あんまり、肉体労働のできる男ではないので、寝るところとメシだけ、お願いできれば…」

「よし、分かった。頼んでやる。オレと同じ二〇三大隊育ちだから、引き受けるよ」

「スミマセン。…どんなに長くても、一カ月ぐらいですので…。ア、山口二郎という男ですが、上野を発ったら、旭川着の時間をお知らせします」

私が、王長徳から、小笠原を〝もらった〟時に彼は、山口二郎といっていたのを、思い出して、そうつけ加えた。

塚原大尉、外川曹長とも、一切の事情は知らせなかった。迷惑がかからないよう、留意したのであった。それでも、塚原大尉には、二泊三日ぐらいの、留置場体験をさせてしまった。二人の供述が、ピタリと一致したので釈放されたのだった、けれども……。

シベリア会という、戦友会が、年一回開かれている。その席で、塚原大尉とはじめて同席した時、私は発言を求めて、改めて、謝罪したものだった。

さて、話の本筋へ戻ろう——小笠原をオトしてやるメドがついたので、夜になって、奈良旅館へ出かけていった。もう、ハラは決まっていた。

花田が来て、小笠原からではなく、花田から頼ませる形をとった。

「あくまで、安藤親分の自首までの間、ですからね。そして、安藤が自首する前、私にはインタビューさせて下さい。警視総監が首相に叱られた事件だから、多分、実情は自首であったとしても、逮捕

という形を取ることになるでしょう。

読売梁山泊の記者たち p.284-285 サイは投げられたのだった

読売梁山泊の記者たち p.284-285 駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。待たせておいた車に戻り、深々と座席に身を沈めた。
読売梁山泊の記者たち p.284-285 駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。待たせておいた車に戻り、深々と座席に身を沈めた。

「あくまで、安藤親分の自首までの間、ですからね。そして、安藤が自首する前、私にはインタビューさせて下さい。警視総監が首相に叱られた事件だから、多分、実情は自首であったとしても、逮捕

という形を取ることになるでしょう。

それから、上野駅までは、私が送ります。落ち着き先へ到着したら、連絡を入れますから、食費その他の経費は、そちらで賄って下さい。切符代もね。もちろん、先方では、なにも事情は、一切知らないのですから。軍隊と捕虜の〈友情〉なのです。

途中、職質で逮捕されたりしたら、私は、まったく、関知しませんから、旅館のマッチやメモ類など、持たないこと。花田さんの電話番号は、頭の中に入れて下さい」

私は、あらゆる場合を想定して、安藤の自首までの、時間稼ぎを考えていた。警視庁は安藤の足取りを、まだ、つかんでいないことは確かだった。

安藤と千葉の身柄を、捜査二課が押さえた段階で、小笠原は、自首してもらえばいいという、プログラムだった。

そして、それらの連絡は、合法面に残っている花田である。私が想定した情況は、十分に知識のある、日本共産党の九幹部潜行の実例であった。その時も、合法面には、椎野議長ひとりが残って、連絡係をしていたのだ。当時、日共担当だった私は、同じ捜査二課の捜査手法には、通じているつもりだった。

のちに、捜査四課が設けられて、暴力団担当となり、公安一、二、三課ができて、左翼、右翼、外事を、分掌したが、当時はまだ、捜査二課の一、二、三係であった。

奈良旅館に、車を呼んだ。社の自家用ではなく、雇い上げのハイヤーを指定した。

旅館の門のところで、花田は、「では、なにとぞ、宜しくお願いします」と、頭を下げて、去っていった。

少し離れて、待っていた車に、私と小笠原は乗りこんだ。私の人生で、〝夜のヤミ〟を気にしたことは、この時が最初だったろう。

赤い横線の入った、読売の社旗が、ヘッドライトの横でハタめく。

——まず、検問を受けることはない…。

それでも、車窓に流れる制服警官の姿には緊張する。上野駅に着いて、正面玄関から、一階の広場を抜けて、右手の大改札口に至る数十メートルの歩きには、あとでクタクタになるほどに、精神が張りつめていた。

むかし、サツまわりで、上野署を担当したので、駅警備の詰め所や、巡回コースなどの知識はあったが、駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。

小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。

——済んだ…。あとは連絡船の乗降だけが賭けだ!

待たせておいた車に戻り、「ウチまで送ってよ」と、運転手にいって、深々と、座席に身を沈めた。頭の中が、空ッぽのような感じだった。サイは投げられたのだった。

夜遅く、梅ヶ丘の自宅に戻った。妻も、二人の男の子たちも、もう寝静まって、家中がシーンとし

ていた。

読売梁山泊の記者たち p.286-287 一枚の紙切れが入っていた

読売梁山泊の記者たち p.286-287 刑事たちは、自由に動きまわっている副親分の花田が、潜伏中の連中と連絡をとっているからだ、と、ニラんで、花田の家宅捜索令状をとって、ガサをかけた。もちろん、身体捜検もやる。花田のカミさんの財布をあけさせた。
読売梁山泊の記者たち p.286-287 刑事たちは、自由に動きまわっている副親分の花田が、潜伏中の連中と連絡をとっているからだ、と、ニラんで、花田の家宅捜索令状をとって、ガサをかけた。もちろん、身体捜検もやる。花田のカミさんの財布をあけさせた。

夜遅く、梅ヶ丘の自宅に戻った。妻も、二人の男の子たちも、もう寝静まって、家中がシーンとし

ていた。

自分の部屋に入り、改めて、六法全書を取り出し、机上にひろげた。

第一〇三条(犯人蔵匿) 罰金以上ノ刑ニ該ル罪ヲ犯シタル者、又ハ拘禁中逃走シタル者ヲ蔵匿シ、又ハ隠避セシメタル者ハ、二年以下ノ懲役、又ハ二百円以下ノ罰金ニ処ス

カタカナ書きの、刑法の条文が、それなりの重みをもって、私の視野に、飛びこんできた。

——オレはいま、間違いなく、刑法の罪を犯した…。

——しかし、これは私利私欲ではない。公器たる新聞の、取材のためであり、報道のためなのだ!

——新聞は事件なのだ。事件を扱わなくなった読売新聞の、編集幹部に覚醒を促すための手段なのだ。

新聞の編集局長や各部の部長などは、そのクビを、大勢いる部下の記者たちに、預けているのも、同然である。

古くは、朝日新聞の「伊藤律架空会見記」が、そうであり、近くは、「サンゴ礁事件」がそうである。部長、局長、社長のクビを飛ばすことができる。

読売の立松事件では、記事はデマだったが、ネタモトに法務省刑事課長・河井信太郎という、レッキとした人物がいたので、部長が左遷されただけで、局長はお構いなしだ。

なんと、美辞麗句を並べようと、私の今夜の行動は、まぎれなくも、「犯人隠避」である。

——これが、「事件」になるかどうかは、私の手で、安藤以下の指名手配犯人を警視庁に自首させられるか、捜査の手が早く逮捕されてしまうか、どうか、そのスピード如何にかかっている。もし、当局

の手が早ければ、私は犯人隠避罪の、刑事被告人になることは、間違いのないところである。

そう考えると、私は、急に脱力感に襲われて、虚しくなってきた。

——いったい、新聞記者、新聞記者って、ひとりでリキみ返っているが、新聞記者って、なんなのだ?

いつも私の寝ている間に、学校へ行ってしまって、顔を合わせるチャンスの少ない、子供たちの顔が、急に見たくなってきた。

子供部屋に行って、二人の男の子の寝顔を見ていると、虚しさが、一層つのってきた。

発覚、そして辞職、逮捕、裁判へ…

そして、しばらくののちに、私のクーデターは失敗する。私は負けるのだった。それもまったくの偶然からだった。

安藤の足取りは、まったくつかめない。上からは、ヤイヤイいわれる。刑事たちは、自由に動きまわっている副親分の花田が、潜伏中の連中と連絡をとっているからだ、と、ニラんで、花田の家宅捜索令状をとって、ガサをかけた。

もちろん、身体捜検もやる。花田のカミさんの財布をあけさせた。と、一枚の紙切れが入っていた。

「北海道、旭川市……。山口二郎」

手紙の封筒のウラの、差出人の住所部分を財布に入れて、持っていたのである。刑事たちは、いぶかった。