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迎えにきたジープ p.154-155 NYKビルの米国諜報機関

迎えにきたジープ p.154-155 There are various American intelligence agencies in Japan. For example, CIC, CIS, CIA, LS, HM as well as ATIS, MISG. Many of them are in the NYK building.
迎えにきたジープ p.154-155 There are various American intelligence agencies in Japan. For example, CIC, CIS, CIA, LS, HM as well as ATIS, MISG. Many of them are in the NYK building.

NYKビルとは一体何なのだろうか。まず、この日本郵船(NYK)がもっている東京駅前の六階建のビルの実態を明らかにしなければなるまい。

一口に秘密機関といっているのは、要するに諜報謀略機関のことである。この秘密機関には、公然と非公然とがあるのは、世界各国を通じて同じである。

例えば、麻布の元ソ連代表部が、諜報謀略工作をやっていることは常識であるが、では何をどうやっているかということは明らかではない。だからこれは公然秘密機関である。警察でも

同様で、公安関係は特高といわれるように、やはり公然秘密機関でもある。

アメリカについても同様で、今迄現れてきた各種の機関の名前を列挙すれば、CIC、CIS、CIA、LS、HM、さらにATIS、MISGなどと、いろいろの機関があり、それぞれに公然、非公然に別れる。

CICというのは、Counter Intelligence Corps. の略で、軍の防諜部隊である。つまり、軍の機密が外部に洩れるのを防ぐのが本来の仕事であるが、『攻撃こそ最大の防禦である』という言葉を引用するまでもなく、洩れればその原因や結果を調べたり、洩れそうなところに事前に手を打ったりする結果、外部に対しては諜報工作を行っているような印象を与えている。しかし防諜ということは、同時に対諜である。敵の諜報を摘発することが防諜でもあるのだ。

CICはGHQ(連合軍総司令部)のG—2(幕僚第二部)に属している。G—2というのは情報担当で、日本陸軍でいえば参謀本部第二部に該当する。CICは日本全国を七管区と一特別区とに分けていた。

北海道(札幌)、東北(仙台)、関東(東京)、東海(名古屋)、近畿(大阪)、四国、中国(広島)、九州(小倉のちに博多)と、京浜(横浜)とである。このG—2のCIC本部がNYKビルにあったのである。

CISというのは、Civil Intelligence Sec. の略で、対諜報部であって軍の部隊ではない。これもG—2の中にあり、NYKビルの中にあった。

CIAというのは、Central Intelligence Agency の略で中央諜報局と呼ばれている。この前身ともいうべきものはOSSであった。OSSとはOffice of Strategic Service の略で、太平洋戦争時代にアメリカが対日諜報謀略のために重慶に設けた中米合作機関で、例の鹿地亘氏などもここのメムバーだった。

ところが中共の大陸制覇後は、このOSSも動きがとれなくなってきたので解体され、新たに対共産圏諜報謀略本部として、国務省系統で大統領直属のこのCIAが設けられた。このCIAの東京ブランチもNYKビルの中にあったが、講和後は大使館へ移った。

LSやHMなどは舞鶴の特別機関だからここでは関係がない。ではこのようなアメリカの公然秘密機関は、NYKビルの中でどのように配置されているのであろうか。シベリヤ引揚者数十万の人々のうち、半数近くは出頭したことのあるこのビルなのだから、今想い起してみて自分が何のため呼ばれたかが、明らかになるのも興味深いことだろう。

一階はG—2のオフィスである。ここには非公然秘密機関というべき幾つかの組織がある。ATIS( Allied Translation and Interpretation Sec. )である。MISGというのは、朝鮮戦争

が起きたときに、CICとATISとを一緒にして編成したもので、Military Intelligence Service Group の略で、いわばソ連のスメルシのような戦時諜報機関である。そして朝鮮に第一〇〇MISGが出動、情報大隊を釜山においていた。これには日本人で参加した者もあったといわれている。

迎えにきたジープ p.176-177 スパイの逆用が米国の常道

迎えにきたジープ p.176-177 In the reverse use of spies, find an enemy spy and obtain it with conciliation or intimidation. This is the usual way of American Intelligence agency. So they are always distrustful and like a gangster.
迎えにきたジープ p.176-177 In the reverse use of spies, find an enemy spy and obtain it with conciliation or intimidation. This is the usual way of American Intelligence agency. So they are always distrustful and like a gangster.

普通、スパイは次のような過程を経る。要員の発見→獲得→教育→投入→操縦→撤収。従って、任務で分類するならば正常なるスパイ、複スパイ、逆スパイなどはこの取扱法をうける。二重スパイというのは、二次的な状態だからもちろん例外である。

奇道である敵スパイ逆用の場合は次のようになる。要員の発見→接触→獲得→操縦→処置。つまりこれでみても分る通り、獲得前に接触が必要であり、獲得ののちは教育も投入も必要なく操縦することであり、最後は撤収するのではなく処置することである。

正常なるスパイは、自然な流れ作業によって、育てられてゆくのであるし、確りとした精神的根拠もしくは、それに物質的欲望がプラスされているのであるから、そこに同志的結合も生じてくる。

逆用工作では、要員の発見は我が陣営に協力し得る各種の条件のうちの、どれかを持った敵スパイをみつけ出し、それを懐柔または威嚇で獲得するのであるから、同志的結合などは全くないし、操縦者は常に一線を画して警戒心を怠らない。

これが、アメリカの秘密機関の常道になっているのであるから、彼らはつねに猜疑心が深く、ギャング化するのである。ところがラストヴォロフと志位元少佐との関係を見てみると、そこには人間的な交情さえ見出されるではないか。

正常スパイでは、任務が終れば味方であり同志であるから、最後にこれを撤収しなければならない。逆用スパイの場合は撤収とはいわず処置という。つまり殺すなり、金をやるなり、外国へ逃がすなりせねばならない。鹿地事件の発端は、この処置の失敗である。

鹿地氏と重慶の反戦同盟で一緒に仕事していた青山和夫氏は、鹿地氏出現以来の言動から次のような十の疑点をあげている。

1 USハウスはどれも金アミがあり、塀には鉄条網があるのが原則だ——これは占領中の日本人の暴動を予防するためMPの指令でそうなっている。

2 自由に新聞、雑誌、ラジオを聞き乍ら、なぜ独立後直ちに釈放を要求しないか、なぜハンストをしないのか、だまってダラダラ生活するのは何故か。左翼として、必ず、このような場合はハンスト戦術をするべきだ、自殺はおかしい——芝居か架空の事件ではないか。

3 監禁なら当然新聞、雑誌、ラジオを自由にさせないはずだが。

4 米将校が定期的に訪問会談するのは、アメリカ機関としてコンスタントになっている証拠だ。鹿地が本当に「拒絶」しているならばコンスタントの会談はない。

5 鹿地は右翼から狙われているとの理由で保護を求め代償に仕事し、これはおそらく北鮮問題をアメリカに提供したのではないか。北鮮との関係をホラをふいて、アメリカをだましたのではないか。