二十五年四月六日、「徳田要請(徳田球一氏がスターリン首相に反動は帰さないで欲しいと要請したという問題)」の証人として、国会に喚問された菅季治通訳が、『人間バンザイ、真理バンザイ』を叫んで、三鷹駅付近で中央線電車に飛込自殺をとげたことがある。
なぜ菅通訳は自殺せねばならなかったのだろうか。菅氏は在ソ間の後半期は、極めて積極的な行動をとり、カラカンダ地区という特殊な地区の、政治講習会を主宰した日本側の最高責任者だった。そしてこの講習生は、教育の最後に一人ずつ「幻兵団」の命令を与えられ、彼はその場に通訳として立会っていた。
しかし帰途には、彼は日和見主義者として吊し上げを受けた。徳田問題が起きてからはその対策に腐心して、声明発表など作為的に行動し、遂に証言の信ぴょう性を疑われだしたのであった。菅氏もまた憐れな日本人の一人として死んでいったのであった。
そしてまた、「吉村隊」事件の証人渡辺広太郎元軍曹が、二十四年五月十日に縊死した。更に同年九月二十九日、栃木県芳賀郡の川又雄四郎さんが引揚列車から転落死し、十一月二十六日深更、宮崎県宮崎郡佐土原町の恒吉好文さんが舞鶴入港前夜に入水した。
年が変った二十五年には、関東軍暗号班員松浦九州男元少佐が自殺し、埼玉県所沢市の小暮喜三さんが飛込自殺し、また、元関東庁内務部長中野四郎さんが入水し、高知市の元満鉄錦州
鉄道局露語通訳甲藤忠臣さんが服毒している。
思いつくままに列挙しても、十指に余るソ連引揚者が、幸多かるべきその命を、自らの手で絶っているではないか!
これは一体どういうことなのか!