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正力松太郎の死の後にくるもの p.248-249 朝日の報道が「公正な報道」なのか

正力松太郎の死の後にくるもの p.248-249 「声」欄と全く同じように、朝日 の社会部長たる者が、新聞記者という立場——根本的な大前提を忘れていることを責めねばならぬ。「報道の姿勢」さえあれば、記事は、極言すれば、ウソでもよいというのか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.248-249 「声」欄と全く同じように、朝日 の社会部長たる者が、新聞記者という立場——根本的な大前提を忘れていることを責めねばならぬ。「報道の姿勢」さえあれば、記事は、極言すれば、ウソでもよいというのか。

果せるかな、文中には、E紙記者、C紙記者、D紙記者、B紙記者という、〝無責任な談話者〟が、この順で登場してくる。イニシアルでないのなら、登場順にB、C、D、Eと出せばよいものを、そこにゴマ化しがうかがわれるのだ。そのくせ最後には、T紙記者が出てくる。これですべて社名のイニシアルと、思いこませようという〝詐術〟である。週刊文春の特集「あの〝特ダ

ネ〟記者は今どうしている?」(40・10・18)に登場させられた、私自身の体験からいっても、「と氏に近い人は説明する」「氏の友人の一人はいう」「というのは、ある古手の社会部記者だ」と、多くの人物に取材しているような表現をとっても、実はすべて私一人の話なのである。

話が横道にそれたが、伊藤の抗議と反論にもどろう。本文中「六人の刑事」について、伊藤の談話と思われるものがある。

「警察官が民衆に協力を求める場合の態度、警察と民衆のつながり、を考えてほしかったですね。相手の社会的地位、収入状態、服装などによって、態度や言葉づかいがちがうでしょう。それでいいのか、ということです。警察官のモラルといったものも、あるのじゃないか。それを問題にしたかった」

伊藤の署名のある文にも、事実の違いや、論理のつじつまについての指摘以外、伊藤の「意 見」がでている。

「私たちは、日ごろ取材活動の中で、公務員、とくに警察官の市民に対する行動が、ややもすると慎重な配慮を欠き、人権侵害になりかねない事例を少なからず見受ける。いまの日本では、そうした場合、市民の泣き寝入りに終るのが普通である。警察官対市民個人の関係では、〝弱いもの〟は通常市民である。弱い市民のために、キャンペーンすることはおかしい、というのが、D

紙記者の意見ならば、私は賛成できない」

さきに述べたように、この二つの文章を読んでみると、「声」欄と全く同じように、朝日 の社会部長たる者が、新聞記者という立場——根本的な大前提を忘れていることを責めねばならぬ。

前者は、宝石レポートの文中の談話だから、伊藤の文章ではない。従って、ニュアンスの違いもあろうが、後者は伊藤のものだ。前の談話は、シナリオ作家か、演出家、もしくはプロデューサーの〝談話〟である。これをもしも、「報道の姿勢」というならば、それもよかろう。しかし、その姿勢で、その姿勢さえあれば、記事は、極言すれば、ウソでもよいというのか。

警察官と民衆のつながり、警察官のモラル——それを〝問題化〟したかったのは理解できるが、果して、「六人の刑事」事件は、朝日の報道が、事実を伝えていて「公正な報道」なのか、どうか。その点が明らかにされていないではないか。

読者は、入浴したのか、シャワーで身体をふいたのか。ソバ代を払ったのかどうか。警視庁の「記事取消しを含む善処方」申し入れを、どう処理したのか。知りたいのは事実だけである。

「公正なる報道」とは、国民の基本的な権利である「知る権利」の代理行使である。つまり、新聞記者や新聞社が得ている、いろいろな特権(例えば、刑法の名誉棄損の免責条項など)は、知る権利の代理行使のために、国民が新聞人に許しているものであって、いうなれば、〝公僕〟である。記者は「知る権利」への奉仕者なのである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 朝日社会部の「六人の刑事」事件

正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。
正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。

「公正なる報道」とは、国民の基本的な権利である「知る権利」の代理行使である。つまり、新聞記者や新聞社が得ている、いろいろな特権(例えば、刑法の名誉棄損の免責条項など)は、知る権利の代理行使のために、国民が新聞人に許しているものであって、いうなれば、〝公僕〟である。記者は「知る権利」への奉仕者なのである。

ところが、伊藤は全くこれに答えていないではないか。それどころか、「入浴、踏み倒しの事実はない」という警視庁槇野総務部長談話に対し、「なぜ真実がいえないのか」という、T子さんの談話が同量つづく。両者の対立点が如何ともなし得ないので、最後までこうした扱いをするのならば、何故、初期のT子さんサイドの〝断定記事〟を、取り消すか訂正しないのか。

後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。果して、警官対市民の関係で、弱いのは、市民だろうか? サツ回りの経験もある伊藤だが、築地八宝亭事件のあったころと、現在では全く違っている。遵法精神にみちた、〝善良なる市民〟は、私は、警官より強いと思う。伊藤のいう市民とは〝虞犯性〟市民か、犯罪容疑者のことであろう。それほど、警官は変ってきているのだが、伊藤は〝大〟朝日社会部長として納まりすぎて、現状にうとくなったのであろう。

借問するならば、では、新聞対警察の関係で、どちらが弱いか、警察対大学の関係で、通常どちらが弱いのか? 大学対新聞はどうか。まさに、藤八拳である。弱い強いが、六人の刑事問題の本質と何の関係があろうか。

伊藤は、この「抗議と反論」の結びで、こうもいう。「新聞批判は大いに結構であるが、それがためには、まず、事実関係の正しい把握と、その背景を十分理解したうえで、論評を加えて頂

きたい。無責任な第三者の談話や文章を、事実の裏付けなしに、そのまま引用することは、文章を書くものとして、厳につつしむべきことである、と強調しておく」(傍点筆者)

引用文を原稿用紙に引き写しながら、私は、フト、朝日の伊藤社会部長批判のための、私自身の文章のような錯覚におちいった。だがこれは、伊藤牧夫の文章であった。「宝石」に叩かれてみて、はじめて、この文章のようなイロハに気付いたのであろうか。〝わが身をつねって、他人の痛さ〟を知ったのであろうか。好漢、でき得べくんば、「六人の刑事」の事件以前に、この一文を草すべきであった。冒頭の〝新聞批判〟を、「警察批判」と訂正したうえで——。

こうしてみると、朝日社会部の「六人の刑事」事件は、如何とも正常なる判断力では理解し難いのである。理解し難いから、いろいろな〝風說〟が、したり顔の〝消息通〟たちによって流されるのである。板橋署の記者クラブから、朝日が除名されたシッペ返し〝説〟なども、その一つである。糸川ロケット然り、科学研究費、しかりである。キャンペーンなら、もっとスッキリした形のキャンペーンができないのであろうか。

決定的な点は、「宝石」の記事に対し、伊藤は当面の責任者でありながら、相手の片言雙句に文句をつけるだけで、キャンペーンの趣旨など、一つも本質論をやらない。これもオカしい。〝風説〟が多く流れるのは、疑惑があるから、理解に苦しむからである。

一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解 しているようである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 人事派閥の暗闘から生れたキャンペーン記事

正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーン。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、敵にならないから安心なのだ。
正力松太郎の死の後にくるもの p.252-253 伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーン。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、敵にならないから安心なのだ。

一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解

しているようである。つまり、「警察不信」を宣伝する紙面が、意識的に(シロをクロとまではいわないにしても、訂正も取り消しもしない点)作られていることから、編集幹部の指揮のもとに、一定の方針にもとづいている〝反権力、反体制〟紙面だとうけとられているのである。

だが、私の見解は違う。「声」欄の高松喜八郎が、美術記者出身で、学芸部二十年。次長十年、部長三年の経歴をもっていて、なおもあのような〝無責任、的はずれ〟の弁解を活字にする人物である。伊藤牧夫は昭和二十四年入社、「八宝亭殺人事件」をはじめ、売春汚職などで活躍した、経歴十分の社会部記者で、その人柄からいっても、反体制紙面作りを意識できる男ではない。

元朝日社会部記者の佐藤信が、単純明快にこう〝解説〟する。

「伊藤は、例の九十六時間ストで、スト破りをやった男だ。それで、会社側、広岡社長の線に認められた。ところが、田代編集局長は広岡系列ではなく、田代局長は社会部長に、自分の子分の京都の岩井弘安支局長をもってこようとしている。伊藤社会部長としては直接上司の編集局長によって、部長の地位をおびやかされているワケだ。そのため、伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーンである。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、局長以上にとって敵にならないから安心なのだ。要するに、読者が理解できないというのは、人事派閥の暗闘という、新聞の次元でないところから生れた、キャンペーン記事だからサ」

佐藤の〝解説〟が正鵠を得ているかどうかは別として、伊藤牧夫は〝責任〟をとるどころか、西部とはいえ「局次長」に栄転していった。

司法記者の聖域〝特捜部〟

「何か書かねば——。何かやらねば——」といった、〝追いつめられた記者心理〟の好適例は、さる昭和二十五年九月二十七日の、「伊藤律架空会見記」という大虚報である。朝日の神戸支局員が、マ元帥政令による日共九幹部の追放で地下潜行中の伊藤律と、宝塚山中で会見したという、特ダネをモノした。ところが、その記事をよく読んでみるといろいろ疑点がでてきたわけだ。こうして、三日後には「ねつ造記事と判明、全文取消し陳謝」という社告となる。さすがにこの時は、編集局長にいたるまで、責任を問われたのであったが、原因は、海運記者から警察に配置換えになって抜かれっぱなし、何かヒットをということであったし、「職業と〝朝日〟の重みに押しつぶされたんだ」(当時大阪学芸部記者の作家・藤井重夫=週刊文春40・10・18)といわれる。

このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて

も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。

正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 このイヤらしい美文

正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 司法記者クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。朝日社会部記者で同クラブに所属している野村二郎が本質的に権力側についていると判断される名文句を拾ってみようか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.254-255 司法記者クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。朝日社会部記者で同クラブに所属している野村二郎が本質的に権力側についていると判断される名文句を拾ってみようか。

このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて

も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。

ここでまた、私は考える。朝日記者の反権力、反体制意識は、ホンモノだろうか、と。

昨四十三年秋、井本総長会食事件というのが起った。小さな経済誌とアカハタ紙との同時発表のスクープである。その件についての、井本検事総長の記者会見が行なわれ、一般紙は九月三日付朝刊から報道しはじめた。この時の三紙の報道ぶりをみると、朝、読が地検特捜部べったりの大扱いだったが、毎日だけは、そのスクープのされ方に疑問を感じたらしく、第二トップという地味な扱い方をして、記事中にも「検事総長、池田代議士らをはじめ、関係者が語る〝事実〟は——」と事実に〝 〟をつけている。

司法記者クラブ。検察庁担当のこの記者クラブは、警視庁クラブと並んで、事件担当の社会部の重要クラブである。他の記者クラブ(警視庁クラブも含めて)が、その担当官庁に対して、反権力的な自由な批判が可能なのに比べて、司法クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。

東京地検特捜部のあり方について、外部では極めて批判が多い。記者たちにも、その感があるであろう。しかし、ここでは地検特捜部を批判することはできない。事件がはじまった時、その記者と所属社は、特捜部で何も取材できなくなってしまうからである。

スポークスマンである次席検事の発表だけでは、大事件の時に紙面は埋らない。どうしても検事の自宅訪問をやらねば、ネタは拾えないのである。そして、検事たちは、国家公務員法第百条、秘密を守る義務に違反して、記者たちに捜査の進行を教える。これは、厳密な意味で違反であるが、国民の「知る権利」の代理行使である「公正なる報道」によって、黙認される慣行となっている。

だから、司法記者たちは、どうしても、検察権力に密着せざるを得ない。朝日とて同様である。朝日社会部記者で、同クラブに所属している野村二郎が、「財界」誌(43・5・15)に、特別読物「東京地検特捜部」を書いている。クラブ記者だから、検察権力に密着せざるを得ない実情はわかるのだが、彼のこの一文は、彼が本質的に権力側についていると判断されるのだ。いくつかの名文句を拾ってみようか。練習生ではないがキャップだ。

「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜

部の厳しい態度のひとつ」

ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 今や〝商魂〟の朝日新聞

正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 これらの人びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。あるものといえば、「それがウケるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.256-257 これらの人びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。あるものといえば、「それがウケるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。

「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜

部の厳しい態度のひとつ」

ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。

しかし、「捜査はあらゆる面の完ぺきさをもってしめくくるという。このため、特捜部の取扱った事件の首脳会議がもめることは、ほとんどないという」(数カ月後の日通事件・池田代議士のケースで、そのほとんどないことが起った)「しかし、解説と証拠は別の性質のものといえよう」ときて、最後に井本総長の訓辞でしめくくられる、——これは、新聞記者、ことに司法記者の文章ではない。

批判が全く失われているものに、やはり社会部の央(なかば)忠邦の「創価学会激動の七年」(財界誌に連載後、有紀書房より発行)がある。これも、引用するまでもなく、学会という〝権力〟べったりの叙述である。慶大卒、NHKから朝日に転じてきた記者である。

ついでながら、もう一つ加えれば、扇谷正造の停年退職にさいして、後輩に与うるの書の中にも(文春本誌43・5)「私は朝日新聞に編集局練習生として入ってきた」(傍点筆者)の一行がある。

今、朝日新聞を作っている人々、そしてこれから、朝日を荷なう人たちの、ある側面をとりあげてみた。もちろん、ここに述べたことが、名前をあげた人たちのすべてではなく、これらの人

びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。

あるものといえば、「それがウケるから、ウケて売れるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。

クオリティ・ペーパーといい、オピニオン・リーダーを自任した、かつての村山竜平の〝芸術〟は、どこに消え失せたのであろう。

竜平亡きあと、士魂商才はいつの間にか、〝商魂士才〟となり、さらに〝士才〟が失われて、今や〝商魂〟の朝日新聞がある。

米上院での〝朝・毎アカ証言〟によると、朝日新聞は共産主義者の巣窟であるかの如く思われる。そして、その紙面は左翼偏向であると、一部の人々に信じこまれている。

ある公安関係当局の調査によれば、朝日の共産党員は十四名である。私が、その名簿で当ってみると、工場と編集に大別して、半々で、しかも、編集関係の職場でいえば、新聞制作に直接タッチしない部(注。朝日のケースとしてではなく、記事審査=自社の記事を他社のそれと比較して、批評する係、調査など)に所属しているのだ。

ということは、朝日の紙面制作には、すくなくとも、政府機関である公安当局の調査による共産党員はいない、ということである。すると、いうところの、朝日の左翼偏向紙面、反米的紙面というのは、一体どういうことなのであろうか。

正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日新聞の反省を求める国民運動

正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから
正力松太郎の死の後にくるもの p.258-259 朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから

昭和四十一年元旦付で、「法学博士、渡辺銕蔵」なる署名の、「朝日新聞の反省を求める国民運動の提唱」と題するビラがある。渡辺博士とは、かの有名な東宝争議のさいの社長で、反共陣営の長老であることはいうまでもない。このビラを引用すれば、左翼偏向の〝世評〟なるものが明らかになろう。

「——朝日は、戦後日本共産党の再建に努力し、極力社会党の発展を支持し、今や中共と協力して日本に社会主義革命を実現せんとする日本社会党と表裏一体となって、容共反米の編集方針を強化し、将に日本を共産国に売らんとしている。

朝日は、常に日本の警察と自衛組織に反対し、あるいはこれを冷罵し、全力を尽して警職法の改正を抹殺し、昭和三十五年の安保改訂に当っては、猛烈なる煽動記事によって、あらゆる共産党、社会党の外廓団体を動員して、内乱的大騒擾を起さしめ、遂に岸内閣を倒壊せしめた。

——昭和三十九年以来、社内に内紛を生じていたが、その結果、四十年より現経営陣が権力を奪取したのである。朝日には二百五十名の共産党員がおるといわれている。この経営陣の交代以来、容共反米の態度はますます露骨となり執拗となってきた。——以上述べてきたことによって、朝日は新聞の第一の任務である『公正なる報道を行わず』『みだりに偏向せる意図をもって政治に干渉し』、常に政府に反抗する『国家破壊行為を助勢しあるいは煽動』しておる。

この故に国民は、この事態に目ざめて、この邪悪なる朝日新聞に対して、全国的に購読、広告、金融、販売取扱いを停止する等、膺懲の国民的の戦いを起すことが目下の急務である。——現状のままで放置すれば、偏向と風俗破壊のはなはだしい日本のマスコミが、共産国の資金によって、ますます完全に支配されるようになるであろう」

この〝檄文〟から、三年以上を経た現在、渡辺博士の〝憂国の至情〟が何と皮相なものであったか明らかとなった。いうなれば、〝老いの繰り言〟であった。日本社会党の衰退は、御存知の通りであるし、全国的なボイコットのよびかけに反して、朝日は着実に販売部数をのばし、広告主はひしめき、金融筋も不安を消し、販売店主はホクホクである。

渡辺博士の僚友に、帝都日々新聞の社主であった野依秀市老(故人)がおり、その主宰する帝日紙上で、朝日の糾弾を続けてきたのであったが、「偏向せる日本のマスコミが共産圏の資金で支配」されるどころか、特に朝日においては、いよいよ資本主義的発展を遂げているのである。

これらの老人たちが、怒れば怒るほど、朝日の部数はのびる。つまり、彼らの〝非難〟が時代錯誤であるからだ。いうなれば、逆効果であったのである。

朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。

正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 才能にプラスする資金(取材費)

正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、「昭和史の天皇」。金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、そのスケールの面白さが先立つのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.260-261 つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、「昭和史の天皇」。金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、そのスケールの面白さが先立つのである。

朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと

もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。朝日の紙面に眉をひそめる知識人たちも、声を大にすれば、渡辺・野依輩の亜流にランクされることを恐れた。だから、沈黙のまま購読を中止する程度の〝批判〟しかできなくなってしまうのである。

読売の「東風西風」欄で桶谷繁雄が「反・体制屋」について、「ところが、日本は逆で、そういうのが、カッコイイことになる——。」と、書いている。それは前述したが、渡辺、野依御両所には、この〝カッコよさ〟が理解できないのである。事実、朝日は反体制、反権力という、カッコイイセールス・ポイントを、ポーズとしてもっている。

「昭和三十年、戦後期に入った日本人に、科学とフロンティア魂をふるいおこさせようと、二億円近い社費を使わせて、宗谷をプリンス・ハラルド海岸に送ったものの、接岸点発見と、昭和基地ができるまでの四週間、眠れぬ夜をすごしたこと——」

二十七年間勤めて、ヒラ企画部員(ただし部長待遇)のまま定年退職した、社会部出身の矢田喜美雄記者の、挨拶状の一節である。

さて、この挨拶状の中の問題点は、「……二億円近い社費を使わせて……」にある。もちろん、矢田個人が使ったわけではない。この企画にそれだけの経費を注ぎこんだということである。昭和三十年、十四年前の二億円である。さすがに、朝日ならではの〝壮挙〟ではある。

だが、このことは、一体、何を意味しているのだろうか。新聞を批判するときに、十分に考え

てみる値打ちのあることではないか。

朝日の紙面企画を想い出してみよう。かつて、昭和二十年代に、「人物天気図」などの好読物の続きものがヒットしたのだが、最近では、本多・藤木コンビの「エスキモー」であり、「ニューギニア」「ベトナム」である。(葉)署名の「人物天気図」は、あくまで、個人プレイである。(葉)の才能を、朝日が引き出して〝利用〟したのである。(葉)の才能は、必ずしも、朝日の紙面であることを必要とはしない。ところが、本多・藤木の才能は、やはり朝日であることを必要とするのである。

例えば、このコンビがサンケイの記者であったならば、あの面白いルポは生れない。少くとも、「エスキモー」は書かれなかったであろう。「人物天気図」は活字になったとしても……。

つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、読売が連載中に菊池寛賞をうけた、「昭和史の天皇」の筆者、辻本芳雄前社会部長が好適例である。

この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その

スケールの面白さが先立つのである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 偏向紙面をつくれば朝日は伸びてゆく

正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 何が左翼偏向、何が進歩的であろうか——この巨大化した、資本主義の権化のような「朝日新聞経営体」。口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.262-263 何が左翼偏向、何が進歩的であろうか——この巨大化した、資本主義の権化のような「朝日新聞経営体」。口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。

この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その

スケールの面白さが先立つのである。

エスキモーも、ニューギニアも同様であることは確かである。そして、その取材費のかけ方は、「昭和史の天皇」をしのぐものであることも確かであろう。このことは、新聞の資本主義的集中化が、いよいよ進み、われわれの既成概念からする「新聞」とは、全く別個の、全く異質の、新しいマスコミ産業である「新聞」が、生れ出ようとしていることを物語っている。

つまり、金がなければ、何もできないのである。金があれば、他社のやれないことがやれるのである。他社のやれないことがやれるから、売れるのであり、売れるから金が動かせるのである。その極端な例が朝日新聞の現実である。

この時、何が左翼偏向であろうか、何が進歩的であろうか——朝日の紙面について、云々する時に、この巨大化した、資本主義の権化のような、「朝日新聞経営体」を見逃してはいけない。

新宿の街角を肩で組み、腰を抱き、頬を寄せあって歩くアベックの顔をみてみたまえ、服装のセンスをみてみたまえ。これすべて、醜男と醜女のカッペである。——本当の美男美女は、もっと、その美しさに誇りをもっている。

グループ・サウンズなる連中の顔を、芸能週刊誌のカラー・グラビヤでみつめてみたまえ。あの異様な長髪は、これすべて、下品で野卑な顔だちのカモフラージュである。あのような、異様な風体をしなければ、正視にたえない顔である。G・Sでも、カワイコちゃんたちは、まともな

髪形をしているではないか。

梶山季之、北原武夫、川上宗薫らの猥雑で下劣で、春本そのものの〝小説〟を読み耽っているのは、中年男を中心とした、若い娘たちに存在を無視される男たちである。——プレイ・ボーイやドン・ファンたちは、あんなものを読むよりも、実践活動に忙しい。

ストリップやヌード・スタジオ、果ては、トルコ風呂の客たちは学校の先生、役人、銀行員といった、カタイ職業の連中が多いのはもはや定説である。

ことほどさように、今日ほど〝慢性欲求不満〟が、世をおおうている時代はあるまい。この時、朝日の幹部たちは、それらの風潮をみてとって、あの〝紙面〟を、意識的に作り出しているのである。

マイ・ホームとレジャーとギャンブルとによって、腑抜けの呆助となり果て、自らはゲバ棒一本握る行動力ももてない、口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。

自らは、血の一滴も流さずに、「ベトナムに平和を!」と叫ぶ〝職業的〟平和運動者たちと、全く軌を一にして、「嫉視、反発、陰謀、抗争、謀略、憎み合い」(細川隆元)の渦巻く中で、挑発的偏向紙面をつくれば、ベトナムに平和を! と唱和する〝愚民〟たちが、ふえてゆくのと同様に、朝日の発行部数は伸びてゆくのである。

正力松太郎の死の後にくるもの p.264-265 〝憧れのインテリ新聞〟朝日

正力松太郎の死の後にくるもの p.264-265 そこを見抜いた、朝日の販売、編集当事者たちのケイ眼には、感嘆せざるを得ない。カッコイイ紙面を作り、カッコイイ売り方をして、野卑で猥雑で、知性のない新興中産階級に迎合したのである。媚びたのであった。
正力松太郎の死の後にくるもの p.264-265 そこを見抜いた、朝日の販売、編集当事者たちのケイ眼には、感嘆せざるを得ない。カッコイイ紙面を作り、カッコイイ売り方をして、野卑で猥雑で、知性のない新興中産階級に迎合したのである。媚びたのであった。

私は、さきに、新聞は昭和三十年代から変りはじめたと述べた。この時期を、社会構造的にみると、戦前、戦中、そして、戦後の昭和二十年代と、長い期間を通じて、この日本という国を支えてきた、中産階級の消滅が進行しはじめた時期である。

昭和二十六年の血のメーデー、五・三〇皇居前事件、新宿火焰ビン広場と、一連の騒乱事件と、さきごろの一〇・二一新宿事件とを目撃、比較してみると痛感されるのだった。二十年代の事件のころは、学生と労働者、朝鮮人、事務員と、すべてにみわけがついたのである。ところが、さきごろの新宿事件では、学生も工員も、グレン隊も会社員も、人品骨柄、服装とも、全く判別できなくなっていた。つまり、極言するならば、大学生たちの面上から、学生らしい知的な表情がなくなっているということなのである。

従来の概念からすると、最高学府に学ぶ学生が大学生であったのだが、中産階級の消滅以後は〝大きい学生〟にすぎなくなったのである。中産階級が消滅したのか、下層階級が向上したのか、いずれにせよ、早慶戦の夜のストームの連中の表情には、学問する者のもつ知的なかげりは、全く見られないのだ。学生も、バーテンも、ヤクザも、質的には同一レベルに並んでしまったのである。

この時、長い間、それこそ一世紀近くもの間、この中産階級に支持され、愛読されて、〝大朝日〟意識の自覚のもとに、インテリの新聞として、伸びてきた朝日新聞は、どう変貌したのであ

ろうか。

女子大学生も、ラーメン屋の出前の娘も、キャバレー・ガールも質的には、男性と同じように、同一水準であり、新聞にすら興味がもてないのである。わずかに、下層階級から収入も増し、教育も上ったという、自意識層だけが、〝憧れのインテリ新聞〟朝日の読者となったのである。

それは何故か。カッコイイからである。朝日を購読し、朝日ジャーナルを抱えることに、父祖伝来の夢がかけられていた、といっては言葉はすぎるかもしれない。貴族のない国の占領米軍が、日本の華族に憧れたのと同じである。

早くも、そこを見抜いた、朝日の販売、編集当事者たちのケイ眼には、感嘆せざるを得ない。カッコイイ紙面を作り、カッコイイ売り方をして、野卑で猥雑で、知性のない新興中産階級に迎合したのである。媚びたのであった。

グレイの上下揃いのトレパン・スタイル。赤い背文字の配達員、拡張員も、カッコイイには違いないが、中身は決して朝日型ではないから、他紙の読者の横取りのためのトラブルを起し、販売店は痴漢のチラシ広告でも折込む(週刊新潮43・7・27号、朝日目白専売所の事件)のである。

このような朝日読者層の〝新興〟中産階級は、宅配なればこそ、月極め読者としてつなぎ止められる読者層である。

読売の金城湯池である江東方面は、いわば細民街であり、朝日のそれに相当するのが、杉並、

世田谷、目黒の知識人街であろうか。だが、果してどちらの住民が、収入面での稼ぎ頭であろうか。私は江東の細民街の住民の方が、所得(収入)が多いと判断する。いうなれば、美味いものを食っているといえよう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.266-267 カッコよさの読者つなぎとめ

正力松太郎の死の後にくるもの p.266-267 杉並、世田谷が共産党議員の地盤であり、朝日の部数が多いということは、決して、江東に比べて〝知的〟だということではない。どうしても宅配を確保せねばならない〝家庭の事情〟は、朝日が第一。朝日の読者は不安定読者なのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.266-267 杉並、世田谷が共産党議員の地盤であり、朝日の部数が多いということは、決して、江東に比べて〝知的〟だということではない。どうしても宅配を確保せねばならない〝家庭の事情〟は、朝日が第一。朝日の読者は不安定読者なのである。

このような朝日読者層の〝新興〟中産階級は、宅配なればこそ、月極め読者としてつなぎ止められる読者層である。
読売の金城湯池である江東方面は、いわば細民街であり、朝日のそれに相当するのが、杉並、

世田谷、目黒の知識人街であろうか。だが、果してどちらの住民が、収入面での稼ぎ頭であろうか。私は江東の細民街の住民の方が、所得(収入)が多いと判断する。いうなれば、美味いものを食っているといえよう。

この地区の人は、大衆紙の読売を購読するのを、それこそ買って読むためにとっているのだし、生活自体もカッコよさや見栄は二の次である。だからこそ、本質的に保守である山口シズエ議員を連続十回も当選させているではないか。細民とみられる人々が、保守を支持しているということである。

本質的に保守である勤め人層の多い、杉並、世田谷が共産党議員の地盤であり、朝日の部数が多いということは、決して、江東に比べて〝知的〟だということではない、と私は考えている。

四十三年十月の新聞値上げでは、三紙のうちで、朝日が一番早く打ち出し、読売が最後だった、ということは、極めて象徴的なことだと思う。

宅配がなくなって、スタンド売りになったとき、江東の読売愛読者は、気軽に走り出て読売を買うであろうが、杉並、世田谷の朝日読者は、面倒くさがってテレビ・ニュースですませてしまうであろう。つまり、どうしても宅配を確保せねばならない〝家庭の事情〟は、朝日が第一だとみるべきである。朝日の読者は不安定読者なのである。

何故、朝日は値上げするのか? 宅配制度を守るためである。前述したように、〝商魂〟によ

るカッコよさの読者をつなぎとめるためには、宅配死守しか途がない。

新聞代の小刻み値上

さて、新聞代値上げ後の情勢も、眺めてみる必要がある。三紙とも、四十三年は八十円という 小幅で現状を糊塗したのだが、再値上げ必至の情勢で、一年後の四十四年十一月からは、また九十円値上げである。何故かというと、朝日と読売の〝巨大化競争〟が、いよいよ激しくなってきているからである。三紙のトップを切る、五百万台の発行部数をもつ朝日は、ピタリと追随してくる読売の追いあげに、それこそ苦戦の最中である。値上げのトップをも切らざるを得なかったのは、追われる者の苦しさである。

最初、朝日社内では「一カ月千円」という破天荒な数字が、真剣に検討された。主として編集幹部の意見だったらしい。この値段は週刊文春誌なども伝えていた数字だが、その根拠は、大幅値上げによって、ひんぱんな小幅値上げを避け、思いきって経営の安定化を図る。昨今の心理的風潮が、「たかいものだからいいもの、美味いもの」と、倒錯的評価の傾向にあるので、高級紙「朝日」だけが実行し得る大幅値上げであり、朝日読者はそれでもついてくる、というにあっ た。

正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 新聞内部では業務が編集をリードしている

正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった。つまり、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった。つまり、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。

最初、朝日社内では「一カ月千円」という破天荒な数字が、真剣に検討された。主として編集幹部の意見だったらしい。この値段は週刊文春誌なども伝えていた数字だが、その根拠は、大幅値上げによって、ひんぱんな小幅値上げを避け、思いきって経営の安定化を図る。昨今の心理的風潮が、「たかいものだからいいもの、美味いもの」と、倒錯的評価の傾向にあるので、高級紙「朝日」だけが実行し得る大幅値上げであり、朝日読者はそれでもついてくる、というにあっ

た。真意はそうとしても、狙いは、従来の行きがかり上、毎日も同額の千円にすれば、さらに読者を失って部数が減り、現在辛うじて維持している四百万台割れとなり、完全に蹴落せるということ。もしまた、同額の千円の値上げに踏みきれなければ、イメージの上でハッキリと格差をつけられるということで、多年の朝・毎時代の終焉を告げられる。

さらに、対読売戦をみると、読売読者は千円ではついてゆきにくいから、読売の販売経費はさらに増大し、その実力が疲弊するので持久戦にもちこめば、追随を振り切れるであろう、という観測にあったのである。

しかし、この千円案は、主として販売幹部の慎重論に押されて、七百五十円にまで後退してきた。そして、最終段階で、広岡社長の「新聞は安く大勢の人に読んでもらうべきものだ」という意見で、六百六十円に落着したと伝えられている。

新聞経営の健全なあり方として、販売収入と広告収入の比率が、六対四であるのがのぞましいといわれているが、現状では、これが逆になって、四対六。広告収入が常にリードを奪っており、それゆえに、広告主の発言権が増大して、紙面——編集権の独立をおびやかしている。

ある朝日編集幹部によると、このような小刻み値上げでは、値上げ当時こそ、収入比率は六対四となるが、すぐに、五対五となり、数カ月を出ずして、また四対六に逆もどりしてしまう、という。だからこそ、一年後には再値上げせざるを得なかった。

その辺の実情から、販売、広告などの業務系統に対し、紙面百年の計を考える編集が、思いきった千円値上げを提唱したものらしいが、ついに八十円の小幅値上げにとどまったものだ。このことは、今や新聞内部では、業務が編集をリードしていることを物語っており、〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった経過を説明してくれるものである。

つまり、好むと好まざるとにかかわらず、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、その経営を維持するために、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。

この時、どうして朝日新聞だけの、紙面の退廃を責められよう、どうして、朝日記者にのみ、「新聞記者精神」を期待できよう。

強きにつき弱きをくじき、権力に密着し、読者に迎合し、ナリフリだけは構って、都合の悪い時は居眠りをし、東に引越しがあるときけば行って乱闘をし、西に珍らしいものがあると知れば招いて興行をする——朝日一万社員、社友、客員を養うためには、そうせざるを得ないのである。

新聞は、もはや、昔日と違った形の、単なるコミュニケーション産業に、変質しつつある。無冠の帝王とか、社会の木鐸とかの古語は、死語となりつつあるのだ。 社内における論説委員の地位の低下が、何よりも、雄弁にそれを裏付けよう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 新聞社に入るなら第一に販売

正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。

東京編集局長田代喜久雄はいう(新聞協会報43・11・19)。「紙面刷新三つの柱として、『今週の焦点』という囲み記事を日曜朝刊に新設。朝刊四めんを『ドキュメントのページ』として、記録、演説などの全文掲載。社説活字を大型化して『声』『人』と併せて『オピニオンのページ』を設けた」と。

情報の洪水の中の一つの対応策として、値上げの十一月一日からこうした紙面〝刷新〟を図ったというものであるが、「今週の焦点」は、生活のテンポが早くなったのを認めて、週刊誌に追従した発想である。新聞の記録性に頼った「ドキュメント」はよいとしても、「オピニオン・ページ」に、社説を物理的にのみ読みやすくして収容したあたり、まだ、田代にも〝古きよき時代〟への郷愁趣味がみられる。

刷新であるならば、何故、「社説」を投げ出さないのか。活字を大きくすれば、読んでくれるのだろうか。千円に値上げの発想を打ち出せる編集陣が、社説にこだわるあたりに、やはり、朝日の混迷せる紙面造りの原因があるようである。

大阪編集局長秦正流はいう。「宅配制度の崩壊は、時の流れでもあろう。読売の強力な追いあげに、朝日も懸命である。そして、三紙てい立の維持に必死の毎日——販売費はいよいよ高騰し、小刻み値上げが断続し、各社ともに戦力を使い果した時、ようやく、共販・共同集金などの合理化が検討されよう。その時、どの新聞が生き残っているかが問題である」

宅配の維持が、大新聞社の生存競争でもある。しかし、崩壊へと進みつつあることは、新聞人の眼にも明らかである。朝日、読売の一大激突のあとが、新しい〝新聞〟の夜明けである。その時、「紙面」はどうなっているのだろうか。

さて、それでは新聞の販売部門にも眼をそそがねばなるまい。

宅配制度維持のための、新聞販売店の労務改善を理由とする、新聞代の値上げ発表(四十三年)が行なわれたが、それに先鞭をつけたのは、四十三年十月十二日の日経である。従来の月ぎめ六百円を七百円とするのだが、これは経済紙だからさておこう。朝日は十七日。これを追随して毎日が二十日、さらに読売が二十三日と、いずれも、八十円値上げの六百六十円である。

宅配制度維持のための八十円の値上げであるが、この八十円が、全額、配達員のためにその報酬になるのであろうか。タクシー会社と運転手の関係が、そのまま、新聞販売店と配達員の関係にあてはまらないだろうか。

新聞販売関係の内報を見たり、値上げの解説記事を読むと、販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。

だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。第一、新聞記者を志す奴などバカの骨頂で、新聞社に入るなら、第一に販売、第二に広告といわれている。酒に女に、小遣いに不自由しないという、最近流行のハウ・ツウ式表現である。

正力松太郎の死の後にくるもの p.272-273 販売担当者の〝オ大尽〟物語

正力松太郎の死の後にくるもの p.272-273 本社販売部員たちは、一歩社を出たら一切の経費が販売店もちで一銭もかからないという。社から出る規定の旅費、日当、宿泊料など、すべてが自分のポケットに残る。
正力松太郎の死の後にくるもの p.272-273 本社販売部員たちは、一歩社を出たら一切の経費が販売店もちで一銭もかからないという。社から出る規定の旅費、日当、宿泊料など、すべてが自分のポケットに残る。

もっとも、社会部記者一筋の私にとって、販売担当者の〝オ大尽〟物語は、あくまで誇張された〝風聞〟〝流説〟であって、どれ一つをとっても、裏付け取材したものではないことを、お断わりしておかねばならない。

まず、月中ごろに新聞の集金が来る家は、金があると狙われている家だという。もちろん、月末に集中しては、人手の都合もあって集金に廻りきれない、という理由もある。一軒の家では、五、六百円でも、百軒で五、六万円、千軒で五、六十万円の、まとまった現金が、早く入金する。そして、半月早く集金し、本社納金を半月おくらせると、一カ月浮くので、この現金を他に廻して、利ザヤを稼ぐというのだ。

本社販売部員たちは、一歩社を出たら一切の経費が販売店もちで一銭もかからないという。社から出る規定の旅費、日当、宿泊料など、すべてが自分のポケットに残る。販売担当員たちは、本社から販売店に行く集金係だから、店主はこれと協調してウマクやらねばならないからだ。

読者から集めた購読料は、サミダレ式に販売店主の手に入る。これを、本社に納金する時期如何で、如何様にも廻せるワケだ。何しろ、ツケなのだから、いいわけはどのようにもつけられる。販売スタンドが、何部入荷し、残部いくらだから、現金はいくらいくらというのとは、ワケが違う。ここに、販売店のウマミがある。

しかも本社からは、販売店の扱い部数によって、何部かの拡張用の赤紙(無料紙)がついてく

る。何カ月タダで入れるから、何カ月購読してくれと、捺印を求める、あのタダのサービス用新聞である。ところが、読者によっては、この本社の無料紙にも、キチンと購読代を払ってくれるお人好しもいるから、コタエられない。

さらに、自民党幹事長の、領収証のいらない機密費のような、「拡材」という、例のバケツやナベの、販売拡張用資材、略して拡材がある。新聞社の販売合戦の内幕をバクロしたら、それこそ、吃驚仰天の事実がでてくるであろう。しかし、販売経費なるものの実態は、永遠に誰からもバクロされないであろう。何故かといえば、バクロした者自身が、刑事責任を追及されるおそれもあるだろうし、全般的に、的確な証拠を入手することが困難だからである。

新聞協会の販売委員会が、拡材の規制や、地区ごとの不当競争を協議する。時たま、一般週刊誌などに、新聞拡張員同士の乱闘騒ぎや、刃傷沙汰が報じられるが、販売関係業界紙誌(もっとも、業界紙はすべて販売関係であるが)をひろげてみると、全国の大小のトラブル記事が目白押しに並んでいる。

販売委員会の様子を聞いてみると、各社の販売局長、部長クラスの委員が出席して、紛争当事社の委員は、それこそ、生れてこのかた、ポリバケツやナベ、カマなど、見たこともないような〝熱弁〟を振う。涙すら浮べて、「わが社はバケツなど拡材を使っていない」と、神にかけて誓うテイだそうだ。

正力松太郎の死の後にくるもの p.274-275 本社の販売関係者のオイシサ

正力松太郎の死の後にくるもの p.274-275 安いバケツの出物があると聞けば、車を飛ばして日本橋横山町あたりの問屋街にかけつけ、現ナマで叩きに叩いて買う。買付けの帰り途は、三味線ならしてドンチャン騒ぎで、懐中にはガッポガッポと入ってくるという
正力松太郎の死の後にくるもの p.274-275 安いバケツの出物があると聞けば、車を飛ばして日本橋横山町あたりの問屋街にかけつけ、現ナマで叩きに叩いて買う。買付けの帰り途は、三味線ならしてドンチャン騒ぎで、懐中にはガッポガッポと入ってくるという

販売委員会の様子を聞いてみると、各社の販売局長、部長クラスの委員が出席して、紛争当事社の委員は、それこそ、生れてこのかた、ポリバケツやナベ、カマなど、見たこともないような〝熱弁〟を振う。涙すら浮べて、「わが社はバケツなど拡材を使っていない」と、神にかけて誓うテイだそうだ。

その舌の根も乾かぬうちに、安いバケツの出物があると聞けば、車を飛ばして日本橋横山町あたりの問屋街にかけつけ、現ナマで叩きに叩いて買う。数量も、値段も、正確に当ったりしない。それこそ、一山いくらの口である。

その辺には、本社の販売関係者のオイシサがあるらしい。買付けの帰り途は、三味線ならしてドンチャン騒ぎで、懐中にはガッポガッポと入ってくるという——まさに、新聞の主張する「正義」のカゲの〝怪談〟ではある。しかし、確かに、家庭を訪れる拡張員はナベ、カマをタダでくれても、受領証を請求しないのだから、本人の胸先三寸、主婦が美人であれば、アレもコレもと、何でも気前よくおいてゆく。してみると、販売店主の段階でも、拡材の数量は胸先三寸であろう。さらにさかのぼれば、本社と販売対店主の関係、問屋対販売部の関係も、いずれも胸先三寸とあってみれば、ドンチャン、ガッポも満更のウソではなかろうというものだ。

新聞は刷れば刷るだけ、売れれば売れるだけ儲かるものではない。限界利益部数というのがあって、例えば、製作実費七百円のものを、広告料で補って、四百五十円で売っていたし、朝刊は朝、夕刊は夕方と配達時間が限定されているので、部数がふえれば、その経費にくわれて赤字になるというものである。

ここらに、新聞販売の数字の上の秘密やむずかしさがある。しかし、結論すると、新聞販売店が儲かる商売であることは、間違いない。どうも、タクシー会社と同じように、一台の認可をも

らえば運転手を確保できる限り、確実に儲かるし、その権利の転売だけでも莫大なものになるように、配達員を確保できれば、確実に儲かるものなのである。

販売店が音をあげているのは、タクシー会社と同じ、人手確保であって、メシがくえないということではない。まず第一に、新聞代値上げ問題に、この点を注目せねばならない。業界紙の記事をみても、店の権利の売買が行なわれており、経営不振で一家心中などというのは見当らない。

高い、安いという主観的な問題や、値上げの可否については、ここでは論じない。「宅配確保」のための値上げの意味を考えてみたいのである。

宅配は必らず崩れる

一般日刊紙の場合には、配達員の出入りが激しいのか、しばしば欠配があるのだが、ところが、アカハタ日曜版と、聖教・公明両新聞には、遅欠配いずれもないのだから面白い。その理由など云々しまい。タクシーになぞらえれば、会社タクシーと個人タクシーとの差違であろうか。

もはや、都会における生活形態は、朝メシ抜きの時代になっている。少くとも、通勤のための

盛り場付近での、牛乳の立ちのみ、そばの立ち喰いに変りつつある。つまり朝食の食卓で、新聞に読みふける時代は過去のものとなった、というべきであろう。

正力松太郎の死の後にくるもの p.276-277 ボスたちの〝餌食〟になるだけの値上げ

正力松太郎の死の後にくるもの p.276-277 新聞にとって、最大の発言者は、時の政治権力でも、金融資本でも、ましてや、広告スポンサーでもない。実に、販売店主とその連合体である。そして、新聞にとっての、最大の敵は、また実に、販売店主とその連合組織である。
正力松太郎の死の後にくるもの p.276-277 新聞にとって、最大の発言者は、時の政治権力でも、金融資本でも、ましてや、広告スポンサーでもない。実に、販売店主とその連合体である。そして、新聞にとっての、最大の敵は、また実に、販売店主とその連合組織である。

もはや、都会における生活形態は、朝メシ抜きの時代になっている。少くとも、通勤のための

盛り場付近での、牛乳の立ちのみ、そばの立ち喰いに変りつつある。つまり朝食の食卓で、新聞に読みふける時代は過去のものとなった、というべきであろう。

朝まだき四時、五時。新聞と牛乳配達の駆けめぐる必然性は、薄れつつあるのだ。電気冷蔵庫の普及が、牛乳配達を不要としてきている。新聞とて同様であるまいか。

生活様式の変化ばかりではない。新聞少年、新聞青年の勤労観の変化も無視できない。山田太郎が、どんなに明るく新聞少年の歌を唱い、国会議員たちが自分の配達した往時を回想し、その社会的、精神的意義をアッピールしたとて、〝新聞少年〟のなり手は殖えはしない。依然として、販売店の人手確保のための苦闘はつづくのである。

この勤労観の変化は無視できない。新聞配達員に、高給を支払えば、人手は心配なく、宅配は確保できよう。値上げした新聞社は、いまから、八十円を配達員に投じて、宅配を確保しようとしているのか。三百部抱えて走る少年が、二万四千円のアップとなるのなら、間違いなく志望者が集まる。

しかし、そうではない。

この八十円の中、雀の涙ほどが配達員に分配されるだけである。これで、どうして宅配確保の値上げといえようか。販売店の労務改善という逃げ口上が用意されている通り、ボスたちの〝餌食〟になるだけの値上げである。タクシー値上げと、全く軌を一にしている。もしも、本当に販

売店主の生活が苦しいのなら、どうして、彼らは団結して、新聞の販売制度の合理化促進を訴えないのか。新聞社別の直販から、共販へと切替えてこそ、不合理な販売経費が節約されるのではないか。

内実は〝便乗値上げ〟である。販売店主たちは、販売制度の合理化は、自分たちの既得権益の侵害であると考えている。自分たちのウマ味への侵略であると感じている。

前述した数字——古い数字だが、一例として読売の朝夕刊セット一部当りコスト七百円というのは、もちろん、紙代、印刷代、編集費、人件費といった、新聞の直接製作費ばかりではなく、販売費も含まれての数字である。では果して販売費を引けば、いくらになるのだろうか。

残念ながら、私の手許に資料がなくて、その内訳を示すことができない。しかし、相当部分が販売費であることは間違いない。つまり、読者はもっと安価に新聞を購読できるにもかかわらず、販売ルートなるものの維持のため、余分な出費を強いられている。新聞にとって、最大の発言者は、時の政治権力でも、金融資本でも、ましてや、広告スポンサーでもない。実に、販売店主とその連合体である。

そして、新聞にとっての、最大の敵は、また実に、販売店主とその連合組織である。新聞はそのために、読者と社会に対して赤面し、かつ、経営を蝕まれているのである。

販売制度の合理化とは、専売制から共販制への切り替えなのであるが、そのために、共同輸

送、共同配達、共同集金などの試験的な手さえ打たれず、各社は必死になって、この宅配確保を打ち出している。

正力松太郎の死の後にくるもの p.278-279 キリリリ、ポンという爽快な配達音

正力松太郎の死の後にくるもの p.278-279 月曜日の朝刊をひろげた時の味気なさ! 新聞の各面とも、鮮度がなくて砂を噛む思いがする。——この時、誰が暁闇にたたずんで、配達少年の足音を待つであろうか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.278-279 月曜日の朝刊をひろげた時の味気なさ! 新聞の各面とも、鮮度がなくて砂を噛む思いがする。——この時、誰が暁闇にたたずんで、配達少年の足音を待つであろうか。

そして、新聞にとっての、最大の敵は、また実に、販売店主とその連合組織である。新聞はそのために、読者と社会に対して赤面し、かつ、経営を蝕まれているのである。
販売制度の合理化とは、専売制から共販制への切り替えなのであるが、そのために、共同輸

送、共同配達、共同集金などの試験的な手さえ打たれず、各社は必死になって、この宅配確保を打ち出している。

だが、歴史の必然はすでにこの宅配制度の崩壊への歩みを、進めはじめている。第一に先に述べた、生活様式の変化であり、第二は速報制の放棄である。

放棄といえば聞えはいいが、実は奪われたのである。日曜日午前中に朝刊を読み終り、正午のニュースからはじめて、時事ものにチャンネルをあわせ、十一時の最後のニュースを見終ってから、月曜日の朝刊をひろげた時の味気なさ! 新聞の各面とも、鮮度がなくて砂を噛む思いがする。——この時、誰が暁闇にたたずんで、配達少年の足音を待つであろうか。感覚的にいっても、キリリリ、ポンという、爽快な配達音さえ失なわれているではないか。今は、ビタビタ(足音)ガチャリ(郵便受け蓋の金属音)である。

新聞が、真に自由であるためには、この販売店と販売制度という重い桎梏を投げうたねばならない。

さて、私は、八十円の全額が配達員に振り向けられるのでなければ、この値上げこそ、新聞が自らの手で「新聞の自由」をしめつけはじめたのだと、いわねばならない。そして、「宅配確保のため」と銘打ったこの値上げの、値上げ分の決算報告を紙面に公表することを要求したい、と思うのである。

だが、宅配は必ず崩壊する。そして新聞は、再び「紙面でこい」の自由競争の時代にもどらねばならない。「報道の自由」が真に国民の「知る権利」の代理行使であるならば、国民は、朝な夕なに、新聞をえらぶ権利をもっているハズである。その権利を販売制度によって、ネジまげているのが、現在の新聞のあり方である。

聖教・公明両新聞は、朝の家事が終った主婦の手で、午前九時から同十一時ごろの間に宅配されている。一般紙も、この労働力を動員して、宅配希望者には配達料を別途計算して配達すればよい。一般読者には、安い料金の新聞を、スタンドで自由にえらばせるべきである。「宅配は日本独特のよい制度」「スタンド売りにすると部数が安定せず、新聞社の経営を不安にして、乗取られるおそれがある」「外国でも少年の身心鍛練に宅配が行なわている」——これらの値上げ弁明の言葉こそ、「この記事が、この真実が世を正す」(新聞週間標語)というスローガンに恥ずべきである。

さて、〝朝日はアカイ〟という神話をブチこわすため、朝日の実情を中心にして「新聞」を見てきたのだが、この稿の結論をまとめるため、やはり、経営陣と社主側それぞれの〝現実認識〟の度合いを叩かねばならないと考える。そして、広岡知男社長への会見を申しこんだのである。太田博夫秘書室長は、快くその段取りをつけてくれたのであるが、社長は出張不在の故をもって、総務、労務担当の、渡辺誠毅取締役に会うこととなった。

正力松太郎の死の後にくるもの p.280-281 〝朝日の左翼偏向〟

正力松太郎の死の後にくるもの p.280-281 一犬虚に吠えて、万犬実を伝う——この古諺さながらの実情に、二人は〝虚に吠え〟た犯人を煮つめていったのであるが、どうやら、時事通信社長の長谷川才次あたりに落ちつく様子であった。
正力松太郎の死の後にくるもの p.280-281 一犬虚に吠えて、万犬実を伝う——この古諺さながらの実情に、二人は〝虚に吠え〟た犯人を煮つめていったのであるが、どうやら、時事通信社長の長谷川才次あたりに落ちつく様子であった。

渡辺誠毅。東大農学部で、農業経済を専攻した昭和十四年入社組。ゾルゲ事件に連坐した田中慎次郎直系ともいうべき経済記者であるが、四十三年暮に、役員になったばかりの、次代の朝日の荷ない手である。

東京編集局長田代喜久雄は、渡辺と同じ十四年卒業だが、他社に一年いたので、入社は昭和十五年。渡辺は、田代が東京の局長になったのよりおくれて、大阪の編集局長となり、役員待遇になったのも、田代よりおくれていたのだが、役員では追越した形となった。そこに、〝広岡体制〟における後継者ともみられる要素がある。

論説委員、調査研究室、総合企画室といったポストを経ており、〝編集一本槍〟ではなく、かつ、原子力をはじめとする科学技術を踏まえた未来学の分野に明るい、といわれているので、大阪編集局長からよびもどされて、役員に列したというあたり、広岡の信任も厚いとみるべきであろう。「視野の広さ、読みの深さ。当代朝日人の中では一流」と、ベタボメする人もいる。

インタビューは二時間半にもおよんだ。渡辺は、滔々と弁じ、諄々と説き、外語を交えては東西に例証を求め、語って倦まなかったのである。ある時には、伝法な新聞記者の姿がのぞき、ある時には学者であり、そして、冷静な〝経営者〟でもあった。非は非としててらうことなく認め、さらに、〝明日の朝日新聞〟のあるべき姿を語るのであった。

朝日はアカくない

朝日新聞は、果して「左翼的偏向」を犯しているのであろうか? 渡辺は、言下に否定した。

「私は朝日の紙面をアカいとは思わない」と。〝朝日はアカい〟という神話はブチこわされねばならないと、私は書いた。その点は意見は一致したのである。

〝朝日がアカい〟という声は、意識的につくられ、流されているというのである。一犬虚に吠えて、万犬実を伝う——この古諺さながらの実情に、二人は〝虚に吠え〟た犯人を煮つめていったのであるが、どうやら、時事通信社長の長谷川才次あたりに落ちつく様子であった。

かつては、マルクス・ボーイであったろう渡辺としては、〝朝日の左翼偏向〟などを肯定し得るものでないことは、理の当然でもあろうが、その偏向非難の声が、「意識的につくられ、意識的に流されている」という見方は、的を射たものというべきである。

「潮」別冊冬季号(四十三年)に、「マスコミに奏でられる〝転向マーチ〟」という、小和田次郎(デスク日記の著者)のレポートがある。

「六八年十月四日、京都で日経連五十嵐事務局長が講演した『安保問題と労働組合』の中で、六

〇年以後、過去九年間のマスコミ工作によって、いまや『朝日、TBS、共同通信』の三社以外は、まったく心配はいらないという、判断が表明されている。残る〝マスコミ偏向トリオ〟に攻撃を集中すればよい、という認識である」

正力松太郎の死の後にくるもの p.282-283 小和田次郎(デスク日記の著者)のレポート

正力松太郎の死の後にくるもの p.282-283 小和田はいう。「目にみえて右傾化していった朝日が、振り子をふたたび元にもどし、ここ二、三年の朝日の紙面は、ふたたび政財界をして、偏向マスコミのチャンピオンのように目されてきた。」
正力松太郎の死の後にくるもの p.282-283 小和田はいう。「目にみえて右傾化していった朝日が、振り子をふたたび元にもどし、ここ二、三年の朝日の紙面は、ふたたび政財界をして、偏向マスコミのチャンピオンのように目されてきた。」

「潮」別冊冬季号(四十三年)に、「マスコミに奏でられる〝転向マーチ〟」という、小和田次郎(デスク日記の著者)のレポートがある。
「六八年十月四日、京都で日経連五十嵐事務局長が講演した『安保問題と労働組合』の中で、六

〇年以後、過去九年間のマスコミ工作によって、いまや『朝日、TBS、共同通信』の三社以外は、まったく心配はいらないという、判断が表明されている。残る〝マスコミ偏向トリオ〟に攻撃を集中すればよい、という認識である」

小和田によれば、日経連は〝マスコミ偏向トリオ〟として、その三社の名前をあげているというのであるが、私は改めて〝偏向〟の定義を考えざるを得ない。小和田はいう。

「……このような情勢の中で、日本の新聞、放送は深い〝反省期〟にはいった。

一九六一年六月号の朝日社内報〝朝日人〟のなかで、当時の笠信太郎論説主幹は、『政府と新聞』と題する論文をまとめ、安保報道に対する総括をしている。

……真実を書き、それを国民のまえに明らかにすると、いまの日本の国民はすぐ起ちあがり、大衆運動が盛り上がって、政府・自民党や財界を窮地に追い込んでしまうような危険な情勢であるから、じゅうぶん気をつけなければならないという、『ものの見方考え方』を表明したこの笠論文は、六〇年安保後のマスコミのあり方を理論化したものであった。日本マスコミ界の代表的イデオローグとしての、笠信太郎が指し示したこの道こそ、その後の新聞、放送のたどってきた道であるといえよう。

…〝偏向ご三家〟の最大のマスメディアとよばれる朝日はどうか? 広岡社長は六八年十月十

五日付の朝日に『朝日新聞の姿勢』と題する大論文をのせ、そのなかで『ときおり政府、与党あるいは財界などの一部に、朝日新聞は〈反米〉〈反政府〉だとする声が、底流としてあるように聞く。だが、朝日新聞が、意識的にそうした立場から作られている事実はまったくないし、誤解もはなはだしいという以外にはない』と釈明している、同じ日の朝日社説も『新聞人の責任』と題して偏向問題を重大視し、政財界からの偏向攻撃に対する反論を試みている。朝日が六八年の新聞週間にあたって、社説と社長論文まで掲げてわざわざ『偏向間題』を取り上げて釈明し、反論につとめなければならなかったことは、朝日への偏向攻撃の激しさを示すものである。と同時に、朝日が外部からの偏向攻撃を、それだけ強く意識していることの表明とも受けとれる。

…六〇年安保を機に、目にみえて右傾化していった朝日が、六三年末からのお家騒動を経て、しだいに振り子を、ふたたび元にもどしはじめ〝朝日右翼時代〟とよばれた時代にようやく別れをつげ、ここ二、三年の朝日の紙面は、ふたたび政財界をして、偏向マスコミのチャンピオンのように目されてきた。オーナー村山家との抗争で、広岡現社長らは社員大衆の支持にのって勝利を得たという事情も、その一つの要因と考えられる。

しかし、滔々たるマスコミ反動化シーズンの中で、朝日の振り子が戻るのもみずから限界がある。六八年三月一日付けで、伊藤牧夫社会部長が、西部本社の編集局長(筆者注。局次長の誤まり)に〝栄転〟した背景にも、社会面の安保報道に対する自己規制のあらわれという一面がうかがわ

れた。

正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社会部記者不破哲三

正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。

しかし、滔々たるマスコミ反動化シーズンの中で、朝日の振り子が戻るのもみずから限界がある。六八年三月一日付けで、伊藤牧夫社会部長が、西部本社の編集局長(筆者注。局次長の誤まり)に〝栄転〟した背景にも、社会面の安保報道に対する自己規制のあらわれという一面がうかがわ

れた。反日共系全学連ゲバルトに対しては、徹底的に非難キャンペーンをすることで、〝身のあかし〟をたてようとの配慮も感じられる。いままでは〝進歩的朝日のショーウインドー〟として黙認され、コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた『朝日ジャーナル』の編集方針についても、六九年中には方向転換が行なわれるのではないかと、とりざたされている。

しかし、いずれにしても朝日は六八年秋で朝刊部数五百八十万部を誇り、六九年中には『六百万部の朝日』を実現すべく、隆々たる社業発展のコースを歩んでいる。このため広告界との力関係でも、金融資本や政府権力との力関係でも、相対的ながらもっとも独自性を保持しやすい条件におかれているということができる。それ故にこそ、朝日への偏向攻撃がもっとも激烈をきわめているわけであり、TBS、共同の〝転向〟が進展するなかで、朝日の孤立化は深められ、その相対的主体性が、商業マスコミ本来の体制的本質の陰に喪失してゆく方向は必至であろう」

長い引用ではあったが、渡辺さえも〝左翼偏向とは、意識的デマだ〟と断定する根拠が、〝小和田次郎〟という格好の人物の文章の中にみられたので、とりあげてみた。

一体、偏向とはなにか? 現在の大新聞の中に、その綱領という〝女郎の起請文〟に謳ったような、「中立公正」な立場が、可能なのか、どうか。考えねばならない問題は多いのである。

「偏向報道」というのは、虚報、誤報、歪報のことではない。ところが、現実には「誤報」(虚

報、歪報をも含めて)のことが「偏向報道」とよばれている。〝偏向ご三家〟の元祖である共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。

しかし、小和田は「……真実を書き、それを国民のまえに明らかにすると」という。真実を伝えることと、誤報との関係を明らかにしないで、〝偏向〟という言葉を〝流行にのって〟使っている無神経さである。

私の長い記者生活の体験からいっても、ある現象、ある対象を報道する時、その現象やら対象やらに、好意をもつのと、もたないのとによって、記事からうける印象は、全く別のものになってしまうのである。報道文章の基本型である五つのWと一つのH、これを〝真実〟で充足しながらも、レポーターの主観が、その中に入りこんで、言葉をえらばせるのである。ボキャブラリイが豊富であればあるほど、〝真実〟を書いてなお、〝主観〟をニジませることが可能なのである。

ところが、言葉の貧しい記者では、ウソを書く以外に、〝主観〟を表現できないのである。だから、誤報になるのである。「偏向報道」というのは、「真実を伝え」かつ「客観を装って主観を交え」ることである。なぜ、そのようなことが可能であろうか。盾には両面があるからである。

朝日に関して、〝偏向〟といわれているものの多くが、事実は「誤報」である。小和田が支持 する「伊藤社会部長の西部編集局長への〝栄転〟の背景」というクダリも、局次長とを間違える(前後から判断して校正のミスではないと思う)ほどのズサンさであるから、もっともらしい〝背景〟がありそうに書かれてはいるが、今まで批判してきたように、その代表例「板橋署六人の刑事」にみるように、誤報である。

正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 キャンペーン記事の〝現実〟

正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」「キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、エスカレート」
正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」「キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、エスカレート」

朝日に関して、〝偏向〟といわれているものの多くが、事実は「誤報」である。小和田が支持

する「伊藤社会部長の西部編集局長への〝栄転〟の背景」というクダリも、局次長とを間違える(前後から判断して校正のミスではないと思う)ほどのズサンさであるから、もっともらしい〝背景〟がありそうに書かれてはいるが、今まで批判してきたように、その代表例「板橋署六人の刑事」にみるように、誤報である。

渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」

当時、朝日の紙面は沈滞気味であったので、少し、ハッパをかけようではないか、という声が編集幹部の間に起きてきた。その上意が下達されるや、伊藤社会部長は、得たりや応とばかり、華々しいキャンペーン記事を展開しだしたというのである。部長を補佐するデスク連も、〝沈滞打破〟を金科玉条と心得て、取材記者を叱咤激励するという状況になってきた。

「あなたも経験があると思うが、キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、『そうだろ?そうだろ?』と、エスカレートしてしまい勝ちなものです」

渡辺は、一般論として、キャンペーン記事の〝現実〟をこう説明する。これでみると、やはり、朝日幹部の良識は、偏向と誤報との差違を認識していたということである。

「だから、キャンペーン記事への批判がでてきて、最近ではあまりやっていないでしょう」——とすると、元朝日記者佐藤信の指摘した通り、伊藤の一連のキャンペーンは、〝社内向け〟キャ

ンであるというのも、うなずけるようであった。私の得た印象では、幹部の意のあるところを取り違えた下の者が、とんでもない間違いをしてくれた、しかし、本人は一生懸命なのが認められるから、叱りおく程度ですませた、といった感じであった。人物でなかったというべきか、人を得なかったというべきなのか……。

「朝日ジャーナルは、私も創刊の企画に参画していたので、よく事情は知っているのですが、創刊の趣旨はあんなものではなかった」

渡辺は、質問に応えてさらにつづける。

新聞社の全般的な傾向として、出版局は本流ではないとされ、出版局勤務の社員は編集局へ行きたがる。朝日とて例外ではない。だから、出版局の部長クラス(編集長、デスク)はもちろん、記者とても、ことに、かつて編集局(注。新聞部門はすべて包含されて、こう呼ばれる)に勤務していた者は、なおのこと、〝成績をあげて〟編集へもどりたがるか、ヤル気をなくして出版局に埋もれるかの傾向がある。このような点について、渡辺にただしてみたところ「そうでしょうね」と朝日においても、その傾向がみられることに同意していた。

〝創刊の趣旨はあんなものではなかった〟という趣旨の発言は、渡辺も現在のジャーナルの編集のあり方に、肯定的ではないということである。「もともとは、たとえ儲からなくても、ヒドイ赤字にさえならなければ、新聞社の出す週刊誌らしい、程度の高い理論誌をというネライだっ

たのだが、当事者にしてみれば、返本率だの、採算点だのが示されている以上、〝売れる雑誌〟にしたいと意気込むのは当然でしょう」
小和田は「コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた朝日ジャーナル」と、コマーシャリズムを〝からも〟と二次的な評価をしているのだが、事実は〝売れること〟が、社内的な実情から第一義とされていることが明らかである。