正力松太郎の死の後にくるもの
6 朝日・毎日の神話喪失
正力松太郎の死の後にくるもの
6 朝日・毎日の神話喪失
朝日記者は〝詫び〟ないで〝叱る〟
すでに、〝地を払ってしまった〟読売精神について、例証を重ねてきたのであるが、これはなにも、読売だけの問題ではない。朝日新聞とて同様である。〝見失なわれた〟大朝日意識について述べよう。
「大朝日意識」なるものは、練習生制度という、特権階級を設けることによって、誇りと自信とをもたしめ、かつ、さらにそれを高給で裏打ちして、半世紀もの長い年月をかけてブレンドしてきた、「士魂商才」の人、村山竜平の芸術品であった。
その意味で、先代の村山竜平という人物は、全く具眼の士であった。貿易商というその職業も、大阪商人としては、明治十二年の当時としてはカッコイイものであったと思われる。「大阪商人が仕事はうまいが教養に欠け、金銭にはさといが品位が落ちるのを感じたからだという。村山自身は伊勢田丸藩の出身で、多少とも学問の素養があったことから、新聞の啓蒙的機能に着眼した」(草柳大蔵)のが、朝日創刊の動機だという。
もとより、新聞はその発生からして、野党精神——反権力の立場をとるのが当然であるが、本質的に「反体制」ではあり得ないのである。五百五十万の部数と四本社一万社員を擁するマスコミである朝日新聞は、体制の内側にあればこそ存在できるからである。
村山竜平の〝商魂士才〟は、三顧の礼をもって津田貞を迎えたのにはじまり、池辺三山、鳥居素川から、知名度の高いのでは、二葉亭四迷、長谷川如是閑、夏目漱石、下村海南、杉村楚人冠といった、そうそうたるメンバーを招いて、論壇を固めた。
近年では、柳田国男、前田多門、笠信太郎、佐々弘雄、嘉治隆一らを、論説委員として迎え、朝日のクオリティペーパーとしての伝統を築きあげたのである。このように、博く知識を求める一方、大正十二年から、大学卒業生を試験採用して、「練習生」という特権階級をつくり、「大朝日意識」の涵養につとめたのである。このような朝日育ちの論説人には、緒方竹虎、鈴木文史朗、杉村楚人冠、門田勲、荒垣秀雄、森恭三らがおり、先人の衣鉢を継いだのであった。
このように人材を集め、育て得た村山竜平の経営手腕は高く評価さるべきである。だからといって〝軍閥に抵抗し財閥に汚されず〟(草柳大蔵)というのは、幇間的追従にすぎよう。新聞史をひもとけば、日本の新聞は戦争によって、資本家とともに成長し、発展してきたのである。朝日とて例外ではない。
昭和三十年代が、新聞変質の過渡期であったことは、前にも述べたが、新聞の巨大化が進むと 同時に、〝スター記者〟は次第に消えていった。笠信太郎が去り、森恭三が退くとともに、村山竜平の、〝商魂士才〟も、ついに士才を失って、商魂のみが残ることとなった。
昭和三十年代が、新聞変質の過渡期であったことは、前にも述べたが、新聞の巨大化が進むと
同時に、〝スター記者〟は次第に消えていった。笠信太郎が去り、森恭三が退くとともに、村山竜平の、〝商魂士才〟も、ついに士才を失って、商魂のみが残ることとなった。いうなれば「カッコよさ」だけの新聞になり果てるのである。反権力に加えて、反体制の紙面をつくりはじめる。桶谷の指摘する通り、だから売れるのである。部数が伸びるのである。
だが、これで「大朝日新聞」は安泰であろうか。否。私は否という。
士才——新聞の義務と責任とを忘れて、商魂のみたくましい「カッコよさ」は、僅かに「宅配」制度に支えられているからだ。宅配はやがて変形し、崩壊するからである。カッコイイから朝日を購読している読者は、宅配なればこそ、つなぎとめられる読者である。宅配制度が崩れた時、〝商魂〟の朝日は大きく傾くに違いない。
昭和三十八年十二月二十四日の、第八十九回定時株主総会において、永井大三常務罷免が決った時から、いわゆる〝朝日騒動〟がはじまるのであるが、村山家対会社の紛争は、実はその春、三月二十二日に原因はさかのぼる。
朝日主催のエジプト美術展に、両陛下が鑑賞に見えられるというので、これをお迎えすべく、村山社主夫妻も参列していた。そして陛下のあとに従って館内を進んでいるとき、進みすぎた村山夫人が、後にさがれという指示のつもりの、宮内庁の役人の一人に胸をつかれて、ロッ骨二本を折るという事件が起った。
激怒した夫人は、このニュースを朝日が大々的に報道することを編集に要求したと伝えられている。だが、編集は動かなかった。朝日ばかりではない。他の一般紙もいずれも書かなかった。このとき夫人は、はじめて社主のいうことをきき入れない朝日新聞の存在に気付いたようである。
私も、この事件のウラ側の詳しい話は知らない。しかし、村山夫人の命令に動かなかった朝日の編集幹部は、もし、この事件を報道すれば、誰よりも一番困られ、苦しまれるのは、天皇陛下だということを、よく知っていたからであろう。
天皇陛下をお悩まし申しあげたら朝日は一体どうなるであろうか。二百五十人もの共産党員がいて、日本を共産主義に売り渡そうとして、懸命に世論をリードしようとしている朝日新聞、であったなら、反体制、天皇制批判の絶好のチャンスではなかったか?
天皇を悲しませた朝日——このレッテルが貼られた時、大朝日新聞は、河野一郎亡きあとの〝河野王朝〟よりも急速に、その一世紀の栄光を失うであろう。〝商魂〟の会社側幹部は、それを見通していた。
私物視していた朝日新聞が、自分のいうことをきかなくなっていた、というので、その年の暮から騒動がはじまるのだが、それが、〝私物〟と〝金儲け〟の衝突であってみれば、クオリティ・ペーパーどころか、クオンティ・ペーパーであって、少しも不思議ではない。
朝日の紙面が、士魂どころか、〝士才〟まで失ってゆく傾向は、四十年一月を例にとっても明らかである。
この一月中に、朝日新聞は十二日間で十六本の記事訂正を行っている。つまり、「訂正」という見出しで、既報の誤まちを訂正する小さな記事が、十六回出たということだ。五日の運動欄を皮切りに、七日付朝刊の三本をトップとして、一日二本が十四日夕刊、十九日朝夕刊の二回。その他、八日、十二日、十五日、二十一日、二十四日、二十六日、二十八日、三十日が各一回宛だ。
このような、連日連夜の訂正記事の掲載ということが、大新聞としてあり得てよいものであろうか。だが、この責任をとった編集局長の更迭というニュースは、ついに聞かれなかった。
そればかりではない。朝日の投書欄「声」における、体制批判のニセ投書事件についても、同様に責任は追及されなかった。さる一月二十日、自民党中野区議が、肩書、年齢まで記入して、実名で、内部の腐敗をバクロしたのである。そして、ナントこれがニセ投書であることが明らかになる。当の御本人が、「誰だ、私の名をカタるのは——」と、投書したからである。
同様の例が、七月に入って再び、日大助教授である女性の名をカタって、ウソの内情バクロを行うというケースで発生した。そしてまた、そればかりではない。朝日ジャーナル誌の「読者から」欄でも、大東文化大生と称する匿名の投書(「軍事研究」誌十月号)がウソッパチの限りを書い
たまま活字になったという。
新聞協会の「新聞研究」誌十月号は、これら投書欄の問題を特集しているが、「声」欄担当の高松喜八郎も座談会に出席して、ベストを尽して調査するが、投書者もルールを守ってほしいと、ヌケヌケ語っている。同誌の中で、山本明が「徹底的に新聞の責任」とキメつけているのをみても、この元学芸部長の〝無責任〟さ、ひいては、朝日の自社紙面に対する無責任が露呈されている。
自民党区議が党内の腐敗を、日大助教授が学内の非道を、それぞれ実名でバクロするということは、すごく〝カッコイイ〟ことである。だから、軽卒にも高松は飛びついたのであろう。この投書の採否を、高松のような部長経歴のある〝大記者〟はしない、というのであれば、その部下がおもねてやったことに違いない。その記者は社全般の空気と傾向をみてとって、カッコイイ「声」欄を作ろうと迎合したに違いなかろう。
考えてもみたまえ。朝日はカッコよくてすむだろうが、区議としては退職しなくともすむが、自民党は除名され、次回は落選の可能性が強くなる。助教授は退職へと追いこまれるのが当然である。この時に、新聞記者は疑うことが第一だという、イロハすら思い浮ばなかったのであろうか。
可能な限りの調査をした、と高松はいうが、何故、本人に会って確認しないのか。第一、この
二つの投書は、「声」欄どころか、社会面のニュースである。「声」欄に人手がなければ、どうして社会部記者を使わないのか。本人に確認できなければ、何故、掲載日を遅らせないのか。すべてにおいて、何の弁解すら許されない、全くの初歩的なミスを犯して、かつクビになることもなく、平然と新聞協会の座談会に出席する神経? 社内問題である特オチ(大ニュースを自社だけが落すこと)とは、本質的に違う、二人の公人の名誉に関する問題である。この紙面に対する編集局長以下の無責任さ加減は、何を示しているのだろうか。
可能な限りの調査をした、と高松はいうが、何故、本人に会って確認しないのか。第一、この
二つの投書は、「声」欄どころか、社会面のニュースである。「声」欄に人手がなければ、どうして社会部記者を使わないのか。本人に確認できなければ、何故、掲載日を遅らせないのか。すべてにおいて、何の弁解すら許されない、全くの初歩的なミスを犯して、かつクビになることもなく、平然と新聞協会の座談会に出席する神経? 社内問題である特オチ(大ニュースを自社だけが落すこと)とは、本質的に違う、二人の公人の名誉に関する問題である。この紙面に対する編集局長以下の無責任さ加減は、何を示しているのだろうか。
朝日ジャーナルのケースもまた、同大学学生課長の痛烈なる反ばく文(前出「軍事研究」誌43・10月号)を読めば、匿名希望だというのに、その内容の調査すらしていない。出版局長岡田任雄もまた、進退を考えるべきであった。
朝日のニセ投書は、まさか「声」欄が意識的に作ったものではなかろう。しかし、問題のある(個人的な感慨ではなくて、社会的に影響のある)投書を、本人に確認しないし、事実の有無を調べもしないというのでは、意識的に掲載したというべきであるし、現実に被害があるのだから、罪は重いのである。
「係から——私たちは投書される方を信頼しています。『声』欄が健在であるためには、信頼と責任が必要です。——(一月の事件の時に)係はこう訴えました。——事柄により確認を要する場合は、電話あるいは電報で照会することにしておりました。しかし、また悪質な一人のいたず
ら者のために、——投書の生命である責任と信頼を傷つけたものとして、残念でなりません。
——名誉棄損に該当するばかりでなく、広く基本的人権のじゅうりんであり、『声』欄の読者を侮辱したものと、いわざるを得ません」(43・7・21「声」欄)
署名こそないが、高松のものと思われる、この「係から」の一文をよく読んでみると、「声」欄は朝日と関係のない、独立した印刷物で、何かの同好会の機関紙と同じである。朝日家庭欄の「ひととき」欄の〝発言する主婦グループ〟「草の実会」のニュースと同じ発想である。
大朝日新聞の投書欄という、政治、経済、社会面と質的に匹敵する〝紙面〟が、かくもお遊び精神で作られているとは知らなかった。第一、読まれる程度からいって、社説とどの位違うか、感覚的にも判断され得よう。
「ひととき」欄は、井戸端会議の猥雑さに堪えられなくなった、〝発言趣味〟の女性たちの、身辺雑感のストレス解消の場である。例えてみれば、主婦相手のモーニング・ショーでは成功したかもしれないが、ハプニング・ショーという、悽愴苛烈な現実の社会では、惨めな実力のほどを思い知らされた「木島則夫」ショーのごときものである。それほどの差のある、「ひととき」と「声」なのだ。
ところが、さきの「係から」の一文には、その認識が全くない。「声」が健在であるためには、「係」の自覚と責任こそが必要なのである。新聞の紙面であるという——。自民党区議の事件
以来、「電話や電報」で確認するというが、「確認」とは、手段ではなくて、「結果」なのである。すると、事件以前は、手紙かハガキだったのであろうか。
ところが、さきの「係から」の一文には、その認識が全くない。「声」が健在であるためには、「係」の自覚と責任こそが必要なのである。新聞の紙面であるという——。自民党区議の事件
以来、「電話や電報」で確認するというが、「確認」とは、手段ではなくて、「結果」なのである。すると、事件以前は、手紙かハガキだったのであろうか。
「投書の生命」とは、「責任と信頼」、ではない。「声なき民の声」を、マスコミ構成にのせることである。表現媒体をもたぬ個人に場を与えることである。その声の内容が、真実であることである。冒頭の「私たちは投書される方を信頼しております」という、書き出しの責任回避からみると、何年、新聞のメシを食ったかと常識からして疑われる。国会の決算委、法務委などの発言すら、恐喝の片棒担ぎに利用される時代に、新聞が謀略や私利私欲に利用されないため、まず疑わねばならないのである。女個人のグチやタメイキとは違うテーマが論じられている欄なのである。
結びの「いずれにせよ、他人の名をかたった卑劣な〝犯人〟の行為」ばかりが、名誉棄損に該当するのではない。朝日新聞も、共犯として刑事責任を追及され得るのを、他人事みたいに思っているようである。ニセ投書として知っていて掲載したのだという、〝積極的犯意〟はなくとも「未必の故意」(自分の行為から一定の結果が生ずるであろうことを知り、かつ、これを容認する心理状態)は、新聞という立場から、十分認められるのだ。もちろん、一月の事件の時でも、「この欄の純粋性と使命感をはなはだしく汚損する」という、〝お詫び〟ではなくて〝お叱り〟があっただけである。
朝日ジャーナル誌の投書も同様である。匿名希望で(投書文中に、「氏名、住所を書くこ とだ
けは控えさせて下さい」とある)あればなおのこと、少くとも学校当局に、「皮肉なことに『朝日ジャーナル』すら、白昼公然と読むこともはばからねばならぬほどです」かどうか、確かめるべきである。学生課長は呆れ果てながら、「学内書店でも売ってるし、学生相談室にも備付けているし、図書館には『前衛』まである」と反ばくしている。
朝日の紙面は信じられない
さて、これらの事実から、朝日新聞についてのさまざまな論拠が得られたように私は思う。さきに述べた、一カ月で十六回という訂正記事の件だが、さらに断わり書きをつけ加えるならば、この「訂正」を出した掲載面は、政治、社会、文化、運動、外電、特集と、編集局の各部にわたっているということである。つまり、ここでは「声」欄について相当な紙数を費したのだが、これは「声」だけの問題ではなく、編集局全般についていえることだ、ということである。
社会面についていおう。
例の「板橋署六人の刑事」事件である。さらにまた、「糸川口ケット」「科学研究費」など、伊
藤牧夫社会部長(西部編集局次長)時代の、一連のキャンペーン記事が、読者には眼をみはらされたものである。
社会面についていおう。
例の「板橋署六人の刑事」事件である。さらにまた、「糸川口ケット」「科学研究費」など、伊
藤牧夫社会部長(西部編集局次長)時代の、一連のキャンペーン記事が、読者には眼をみはらされたものである。
これについては、面白い資料がある。光文社発行の、「宝石」誌(42・11月号)が、「宝石レポート」という、特集記事で、「〝紳士〟をやめたか? 朝日新聞社会部」というのを取りあげている。「刑事入浴事件、コラーサ号、東大宇宙研問題など、独走的紙面作りは何を意味するか」という、リードがこの記事の内容を示していよう。
ところが、翌十二月号に、伊藤牧夫の抗議と反論、編集部のお詫びと釈明とが、併せて掲載されたのである。
編集部のお詫びから。「編集では、さっそく取材記者を集め、指摘された部分の事実関係を調査しました。その結果、遺憾ながら、かなりの個所で、事実誤認ないしは記述の不正確があることが判明しました。誤ったデータにもとづく批判によって、朝日新聞社会部の名誉を傷つけたことに対し、慎んでお詫びいたします。
ただ、私たちは、意図的に朝日新聞社会部を誹謗攻撃しようとしたものでないことは、ここに釈明させていただきます。今回はたまたま、取材記者間の意志の疎通を欠くといった不手際から、取材内容のコンファーム不足、引用文献の点検不十分をきたし、上記の事態を招いたものであります」
この一文に、雑誌記者の手になる特集記事なるものの実態が、あますところなく現れている。〝今回はたまたま〟とはいうが、抗議されないで、ホオかむりのまますませているであろう、他の多くの記事があることを物語る。
文春、光文社には、社外ライターとして多くの草柳プロ出身者が入っており、基礎的な事件取材の訓練をうけないまま(うけても成果がなかったか?)、実戦に参加しては、書きなぐっている。その〝独特〟な表現手法は、文章の叙述の中に、括弧で仮名の談話者を入れてゆくやり方で、これが、それぞれの本社員記者にも伝染しつつある。
宝石レポートを読んで、第一に感じたことは、前文で「新聞協会賞を受賞していない」という、決定的な一行が出てきたので、これはクサイ記事だということだった。協会賞は昭和三十二年からはじまったから、十年経っている。協会というあり方からいって、その間に朝日がうけられない可能性は少ない、うけているに違いないというのが常識であろう。しかも、それは協会への電話一本で確認できることではないか。それを怠っている。
果せるかな、文中には、E紙記者、C紙記者、D紙記者、B紙記者という、〝無責任な談話者〟が、この順で登場してくる。イニシアルでないのなら、登場順にB、C、D、Eと出せばよいものを、そこにゴマ化しがうかがわれるのだ。そのくせ最後には、T紙記者が出てくる。これですべて社名のイニシアルと、思いこませようという〝詐術〟である。週刊文春の特集「あの〝特ダ
ネ〟記者は今どうしている?」(40・10・18)に登場させられた、私自身の体験からいっても、「と氏に近い人は説明する」「氏の友人の一人はいう」「というのは、ある古手の社会部記者だ」と、多くの人物に取材しているような表現をとっても、実はすべて私一人の話なのである。
果せるかな、文中には、E紙記者、C紙記者、D紙記者、B紙記者という、〝無責任な談話者〟が、この順で登場してくる。イニシアルでないのなら、登場順にB、C、D、Eと出せばよいものを、そこにゴマ化しがうかがわれるのだ。そのくせ最後には、T紙記者が出てくる。これですべて社名のイニシアルと、思いこませようという〝詐術〟である。週刊文春の特集「あの〝特ダ
ネ〟記者は今どうしている?」(40・10・18)に登場させられた、私自身の体験からいっても、「と氏に近い人は説明する」「氏の友人の一人はいう」「というのは、ある古手の社会部記者だ」と、多くの人物に取材しているような表現をとっても、実はすべて私一人の話なのである。
話が横道にそれたが、伊藤の抗議と反論にもどろう。本文中「六人の刑事」について、伊藤の談話と思われるものがある。
「警察官が民衆に協力を求める場合の態度、警察と民衆のつながり、を考えてほしかったですね。相手の社会的地位、収入状態、服装などによって、態度や言葉づかいがちがうでしょう。それでいいのか、ということです。警察官のモラルといったものも、あるのじゃないか。それを問題にしたかった」
伊藤の署名のある文にも、事実の違いや、論理のつじつまについての指摘以外、伊藤の「意 見」がでている。
「私たちは、日ごろ取材活動の中で、公務員、とくに警察官の市民に対する行動が、ややもすると慎重な配慮を欠き、人権侵害になりかねない事例を少なからず見受ける。いまの日本では、そうした場合、市民の泣き寝入りに終るのが普通である。警察官対市民個人の関係では、〝弱いもの〟は通常市民である。弱い市民のために、キャンペーンすることはおかしい、というのが、D
紙記者の意見ならば、私は賛成できない」
さきに述べたように、この二つの文章を読んでみると、「声」欄と全く同じように、朝日 の社会部長たる者が、新聞記者という立場——根本的な大前提を忘れていることを責めねばならぬ。
前者は、宝石レポートの文中の談話だから、伊藤の文章ではない。従って、ニュアンスの違いもあろうが、後者は伊藤のものだ。前の談話は、シナリオ作家か、演出家、もしくはプロデューサーの〝談話〟である。これをもしも、「報道の姿勢」というならば、それもよかろう。しかし、その姿勢で、その姿勢さえあれば、記事は、極言すれば、ウソでもよいというのか。
警察官と民衆のつながり、警察官のモラル——それを〝問題化〟したかったのは理解できるが、果して、「六人の刑事」事件は、朝日の報道が、事実を伝えていて「公正な報道」なのか、どうか。その点が明らかにされていないではないか。
読者は、入浴したのか、シャワーで身体をふいたのか。ソバ代を払ったのかどうか。警視庁の「記事取消しを含む善処方」申し入れを、どう処理したのか。知りたいのは事実だけである。
「公正なる報道」とは、国民の基本的な権利である「知る権利」の代理行使である。つまり、新聞記者や新聞社が得ている、いろいろな特権(例えば、刑法の名誉棄損の免責条項など)は、知る権利の代理行使のために、国民が新聞人に許しているものであって、いうなれば、〝公僕〟である。記者は「知る権利」への奉仕者なのである。
「公正なる報道」とは、国民の基本的な権利である「知る権利」の代理行使である。つまり、新聞記者や新聞社が得ている、いろいろな特権(例えば、刑法の名誉棄損の免責条項など)は、知る権利の代理行使のために、国民が新聞人に許しているものであって、いうなれば、〝公僕〟である。記者は「知る権利」への奉仕者なのである。
ところが、伊藤は全くこれに答えていないではないか。それどころか、「入浴、踏み倒しの事実はない」という警視庁槇野総務部長談話に対し、「なぜ真実がいえないのか」という、T子さんの談話が同量つづく。両者の対立点が如何ともなし得ないので、最後までこうした扱いをするのならば、何故、初期のT子さんサイドの〝断定記事〟を、取り消すか訂正しないのか。
後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。果して、警官対市民の関係で、弱いのは、市民だろうか? サツ回りの経験もある伊藤だが、築地八宝亭事件のあったころと、現在では全く違っている。遵法精神にみちた、〝善良なる市民〟は、私は、警官より強いと思う。伊藤のいう市民とは〝虞犯性〟市民か、犯罪容疑者のことであろう。それほど、警官は変ってきているのだが、伊藤は〝大〟朝日社会部長として納まりすぎて、現状にうとくなったのであろう。
借問するならば、では、新聞対警察の関係で、どちらが弱いか、警察対大学の関係で、通常どちらが弱いのか? 大学対新聞はどうか。まさに、藤八拳である。弱い強いが、六人の刑事問題の本質と何の関係があろうか。
伊藤は、この「抗議と反論」の結びで、こうもいう。「新聞批判は大いに結構であるが、それがためには、まず、事実関係の正しい把握と、その背景を十分理解したうえで、論評を加えて頂
きたい。無責任な第三者の談話や文章を、事実の裏付けなしに、そのまま引用することは、文章を書くものとして、厳につつしむべきことである、と強調しておく」(傍点筆者)
引用文を原稿用紙に引き写しながら、私は、フト、朝日の伊藤社会部長批判のための、私自身の文章のような錯覚におちいった。だがこれは、伊藤牧夫の文章であった。「宝石」に叩かれてみて、はじめて、この文章のようなイロハに気付いたのであろうか。〝わが身をつねって、他人の痛さ〟を知ったのであろうか。好漢、でき得べくんば、「六人の刑事」の事件以前に、この一文を草すべきであった。冒頭の〝新聞批判〟を、「警察批判」と訂正したうえで——。
こうしてみると、朝日社会部の「六人の刑事」事件は、如何とも正常なる判断力では理解し難いのである。理解し難いから、いろいろな〝風說〟が、したり顔の〝消息通〟たちによって流されるのである。板橋署の記者クラブから、朝日が除名されたシッペ返し〝説〟なども、その一つである。糸川ロケット然り、科学研究費、しかりである。キャンペーンなら、もっとスッキリした形のキャンペーンができないのであろうか。
決定的な点は、「宝石」の記事に対し、伊藤は当面の責任者でありながら、相手の片言雙句に文句をつけるだけで、キャンペーンの趣旨など、一つも本質論をやらない。これもオカしい。〝風説〟が多く流れるのは、疑惑があるから、理解に苦しむからである。
一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解 しているようである。
一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解
しているようである。つまり、「警察不信」を宣伝する紙面が、意識的に(シロをクロとまではいわないにしても、訂正も取り消しもしない点)作られていることから、編集幹部の指揮のもとに、一定の方針にもとづいている〝反権力、反体制〟紙面だとうけとられているのである。
だが、私の見解は違う。「声」欄の高松喜八郎が、美術記者出身で、学芸部二十年。次長十年、部長三年の経歴をもっていて、なおもあのような〝無責任、的はずれ〟の弁解を活字にする人物である。伊藤牧夫は昭和二十四年入社、「八宝亭殺人事件」をはじめ、売春汚職などで活躍した、経歴十分の社会部記者で、その人柄からいっても、反体制紙面作りを意識できる男ではない。
元朝日社会部記者の佐藤信が、単純明快にこう〝解説〟する。
「伊藤は、例の九十六時間ストで、スト破りをやった男だ。それで、会社側、広岡社長の線に認められた。ところが、田代編集局長は広岡系列ではなく、田代局長は社会部長に、自分の子分の京都の岩井弘安支局長をもってこようとしている。伊藤社会部長としては直接上司の編集局長によって、部長の地位をおびやかされているワケだ。そのため、伊藤は何かヒットを打たねばと焦る。そのあげくにでてきたのが、ロケット、軍研究費、六人の刑事など、一連のゴリ押しキャンペーンである。もともと、それだけの器量のない人物が、部長の職につくのは、局長以上にとって敵にならないから安心なのだ。要するに、読者が理解できないというのは、人事派閥の暗闘という、新聞の次元でないところから生れた、キャンペーン記事だからサ」
佐藤の〝解説〟が正鵠を得ているかどうかは別として、伊藤牧夫は〝責任〟をとるどころか、西部とはいえ「局次長」に栄転していった。
司法記者の聖域〝特捜部〟
「何か書かねば——。何かやらねば——」といった、〝追いつめられた記者心理〟の好適例は、さる昭和二十五年九月二十七日の、「伊藤律架空会見記」という大虚報である。朝日の神戸支局員が、マ元帥政令による日共九幹部の追放で地下潜行中の伊藤律と、宝塚山中で会見したという、特ダネをモノした。ところが、その記事をよく読んでみるといろいろ疑点がでてきたわけだ。こうして、三日後には「ねつ造記事と判明、全文取消し陳謝」という社告となる。さすがにこの時は、編集局長にいたるまで、責任を問われたのであったが、原因は、海運記者から警察に配置換えになって抜かれっぱなし、何かヒットをということであったし、「職業と〝朝日〟の重みに押しつぶされたんだ」(当時大阪学芸部記者の作家・藤井重夫=週刊文春40・10・18)といわれる。
このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて
も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。
このような実例をもち出すまでもないが、社会部記者として十五年の経歴をもつ私にしてみて
も、佐藤の〝解説〟が、一番うなずけるのである。それ以外、どんな〝説〟も、やはり納得ができない。「六人の刑事」キャンペーンは、前述の〝佐藤解説〟で、それではじめて理解される。
ここでまた、私は考える。朝日記者の反権力、反体制意識は、ホンモノだろうか、と。
昨四十三年秋、井本総長会食事件というのが起った。小さな経済誌とアカハタ紙との同時発表のスクープである。その件についての、井本検事総長の記者会見が行なわれ、一般紙は九月三日付朝刊から報道しはじめた。この時の三紙の報道ぶりをみると、朝、読が地検特捜部べったりの大扱いだったが、毎日だけは、そのスクープのされ方に疑問を感じたらしく、第二トップという地味な扱い方をして、記事中にも「検事総長、池田代議士らをはじめ、関係者が語る〝事実〟は——」と事実に〝 〟をつけている。
司法記者クラブ。検察庁担当のこの記者クラブは、警視庁クラブと並んで、事件担当の社会部の重要クラブである。他の記者クラブ(警視庁クラブも含めて)が、その担当官庁に対して、反権力的な自由な批判が可能なのに比べて、司法クラブだけは、東京地検べったりにならざるを得ない。地検には特捜部があるからである。
東京地検特捜部のあり方について、外部では極めて批判が多い。記者たちにも、その感があるであろう。しかし、ここでは地検特捜部を批判することはできない。事件がはじまった時、その記者と所属社は、特捜部で何も取材できなくなってしまうからである。
スポークスマンである次席検事の発表だけでは、大事件の時に紙面は埋らない。どうしても検事の自宅訪問をやらねば、ネタは拾えないのである。そして、検事たちは、国家公務員法第百条、秘密を守る義務に違反して、記者たちに捜査の進行を教える。これは、厳密な意味で違反であるが、国民の「知る権利」の代理行使である「公正なる報道」によって、黙認される慣行となっている。
だから、司法記者たちは、どうしても、検察権力に密着せざるを得ない。朝日とて同様である。朝日社会部記者で、同クラブに所属している野村二郎が、「財界」誌(43・5・15)に、特別読物「東京地検特捜部」を書いている。クラブ記者だから、検察権力に密着せざるを得ない実情はわかるのだが、彼のこの一文は、彼が本質的に権力側についていると判断されるのだ。いくつかの名文句を拾ってみようか。練習生ではないがキャップだ。
「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜
部の厳しい態度のひとつ」
ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。
「検察えりぬきの三十二人の検事たち。平均年齢三十七、八歳。その頭脳と熱情は日本の正義を守る最後のトリデ、とも評されようか——」「起訴金額全部がワイロと認定されたことは、捜査技術の向上と高く評価されている」「いずれも力倆、識見ともにすぐれたひとかどの人物」「すばやい頭脳の回転、適格な判断力(傍点筆者)、論理的思考力、細心かつ大胆——である。鼻すじの通った整った顔つきで、ちょっとした二枚目。長身のタイプは外国商社マンといった感じだ」「こうした措置は疑点はあくまで糾明し、中途半端な妥協を排し、真実を徹底的に追及する特捜
部の厳しい態度のひとつ」
ゴマ油つきのラーメンの袋をみると、〝ゴマスリ〟の語源が書かれている。潤滑油をつくることから、ゴマスリが必要であったらしいが、その限りでは、このイヤらしい美文は、傲岸な検事たちをよろこばせ、その目的を達するであろう。
しかし、「捜査はあらゆる面の完ぺきさをもってしめくくるという。このため、特捜部の取扱った事件の首脳会議がもめることは、ほとんどないという」(数カ月後の日通事件・池田代議士のケースで、そのほとんどないことが起った)「しかし、解説と証拠は別の性質のものといえよう」ときて、最後に井本総長の訓辞でしめくくられる、——これは、新聞記者、ことに司法記者の文章ではない。
批判が全く失われているものに、やはり社会部の央(なかば)忠邦の「創価学会激動の七年」(財界誌に連載後、有紀書房より発行)がある。これも、引用するまでもなく、学会という〝権力〟べったりの叙述である。慶大卒、NHKから朝日に転じてきた記者である。
ついでながら、もう一つ加えれば、扇谷正造の停年退職にさいして、後輩に与うるの書の中にも(文春本誌43・5)「私は朝日新聞に編集局練習生として入ってきた」(傍点筆者)の一行がある。
今、朝日新聞を作っている人々、そしてこれから、朝日を荷なう人たちの、ある側面をとりあげてみた。もちろん、ここに述べたことが、名前をあげた人たちのすべてではなく、これらの人
びとが、朝日記者のすべてではない。だが、どこに〝戦う左翼偏向記者〟の姿があるだろうか。
あるものといえば、「それがウケるから、ウケて売れるから」という、単純な商売の原則による、新聞づくりの姿ではないか。
クオリティ・ペーパーといい、オピニオン・リーダーを自任した、かつての村山竜平の〝芸術〟は、どこに消え失せたのであろう。
竜平亡きあと、士魂商才はいつの間にか、〝商魂士才〟となり、さらに〝士才〟が失われて、今や〝商魂〟の朝日新聞がある。
米上院での〝朝・毎アカ証言〟によると、朝日新聞は共産主義者の巣窟であるかの如く思われる。そして、その紙面は左翼偏向であると、一部の人々に信じこまれている。
ある公安関係当局の調査によれば、朝日の共産党員は十四名である。私が、その名簿で当ってみると、工場と編集に大別して、半々で、しかも、編集関係の職場でいえば、新聞制作に直接タッチしない部(注。朝日のケースとしてではなく、記事審査=自社の記事を他社のそれと比較して、批評する係、調査など)に所属しているのだ。
ということは、朝日の紙面制作には、すくなくとも、政府機関である公安当局の調査による共産党員はいない、ということである。すると、いうところの、朝日の左翼偏向紙面、反米的紙面というのは、一体どういうことなのであろうか。
昭和四十一年元旦付で、「法学博士、渡辺銕蔵」なる署名の、「朝日新聞の反省を求める国民運動の提唱」と題するビラがある。渡辺博士とは、かの有名な東宝争議のさいの社長で、反共陣営の長老であることはいうまでもない。このビラを引用すれば、左翼偏向の〝世評〟なるものが明らかになろう。
「——朝日は、戦後日本共産党の再建に努力し、極力社会党の発展を支持し、今や中共と協力して日本に社会主義革命を実現せんとする日本社会党と表裏一体となって、容共反米の編集方針を強化し、将に日本を共産国に売らんとしている。
朝日は、常に日本の警察と自衛組織に反対し、あるいはこれを冷罵し、全力を尽して警職法の改正を抹殺し、昭和三十五年の安保改訂に当っては、猛烈なる煽動記事によって、あらゆる共産党、社会党の外廓団体を動員して、内乱的大騒擾を起さしめ、遂に岸内閣を倒壊せしめた。
——昭和三十九年以来、社内に内紛を生じていたが、その結果、四十年より現経営陣が権力を奪取したのである。朝日には二百五十名の共産党員がおるといわれている。この経営陣の交代以来、容共反米の態度はますます露骨となり執拗となってきた。——以上述べてきたことによって、朝日は新聞の第一の任務である『公正なる報道を行わず』『みだりに偏向せる意図をもって政治に干渉し』、常に政府に反抗する『国家破壊行為を助勢しあるいは煽動』しておる。
この故に国民は、この事態に目ざめて、この邪悪なる朝日新聞に対して、全国的に購読、広告、金融、販売取扱いを停止する等、膺懲の国民的の戦いを起すことが目下の急務である。——現状のままで放置すれば、偏向と風俗破壊のはなはだしい日本のマスコミが、共産国の資金によって、ますます完全に支配されるようになるであろう」
この〝檄文〟から、三年以上を経た現在、渡辺博士の〝憂国の至情〟が何と皮相なものであったか明らかとなった。いうなれば、〝老いの繰り言〟であった。日本社会党の衰退は、御存知の通りであるし、全国的なボイコットのよびかけに反して、朝日は着実に販売部数をのばし、広告主はひしめき、金融筋も不安を消し、販売店主はホクホクである。
渡辺博士の僚友に、帝都日々新聞の社主であった野依秀市老(故人)がおり、その主宰する帝日紙上で、朝日の糾弾を続けてきたのであったが、「偏向せる日本のマスコミが共産圏の資金で支配」されるどころか、特に朝日においては、いよいよ資本主義的発展を遂げているのである。
これらの老人たちが、怒れば怒るほど、朝日の部数はのびる。つまり、彼らの〝非難〟が時代錯誤であるからだ。いうなれば、逆効果であったのである。
朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。
朝日の露骨な〝左翼偏向〟紙面とは、時流にコビた商業主義であることをみ抜けば、それなりの〝攻撃・糾弾〟の途があったのに、ユーモアのない老人が真顔でイキリ立つものだから、まと
もな「朝日批判」が消されてしまうのであった。朝日の紙面に眉をひそめる知識人たちも、声を大にすれば、渡辺・野依輩の亜流にランクされることを恐れた。だから、沈黙のまま購読を中止する程度の〝批判〟しかできなくなってしまうのである。
読売の「東風西風」欄で桶谷繁雄が「反・体制屋」について、「ところが、日本は逆で、そういうのが、カッコイイことになる——。」と、書いている。それは前述したが、渡辺、野依御両所には、この〝カッコよさ〟が理解できないのである。事実、朝日は反体制、反権力という、カッコイイセールス・ポイントを、ポーズとしてもっている。
「昭和三十年、戦後期に入った日本人に、科学とフロンティア魂をふるいおこさせようと、二億円近い社費を使わせて、宗谷をプリンス・ハラルド海岸に送ったものの、接岸点発見と、昭和基地ができるまでの四週間、眠れぬ夜をすごしたこと——」
二十七年間勤めて、ヒラ企画部員(ただし部長待遇)のまま定年退職した、社会部出身の矢田喜美雄記者の、挨拶状の一節である。
さて、この挨拶状の中の問題点は、「……二億円近い社費を使わせて……」にある。もちろん、矢田個人が使ったわけではない。この企画にそれだけの経費を注ぎこんだということである。昭和三十年、十四年前の二億円である。さすがに、朝日ならではの〝壮挙〟ではある。
だが、このことは、一体、何を意味しているのだろうか。新聞を批判するときに、十分に考え
てみる値打ちのあることではないか。
朝日の紙面企画を想い出してみよう。かつて、昭和二十年代に、「人物天気図」などの好読物の続きものがヒットしたのだが、最近では、本多・藤木コンビの「エスキモー」であり、「ニューギニア」「ベトナム」である。(葉)署名の「人物天気図」は、あくまで、個人プレイである。(葉)の才能を、朝日が引き出して〝利用〟したのである。(葉)の才能は、必ずしも、朝日の紙面であることを必要とはしない。ところが、本多・藤木の才能は、やはり朝日であることを必要とするのである。
例えば、このコンビがサンケイの記者であったならば、あの面白いルポは生れない。少くとも、「エスキモー」は書かれなかったであろう。「人物天気図」は活字になったとしても……。
つまり、最近の企画は、才能プラス資金という、絶対条件を前提としている。例えば、読売が連載中に菊池寛賞をうけた、「昭和史の天皇」の筆者、辻本芳雄前社会部長が好適例である。
この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その
スケールの面白さが先立つのである。
この、読売の誇る〝続きもの〟デスクの過去はどうだろうか。「東京租界」「朝眼がさめたらこうなっていた」「日本のムコ殿」など、多くの優れた〝続きもの〟を生んでいるのだが、必ずしもヒットしなかった。(葉)と同じである。彼の才能にプラスする資金(取材費)が、少なかったからである。ところが、「昭和史の天皇」になると、六、七名のスタッフを組んで、それこそ金に糸目をつけず、日本国中に記者を派して、埋れた〝目撃者〟を発掘してきているから、その
スケールの面白さが先立つのである。
エスキモーも、ニューギニアも同様であることは確かである。そして、その取材費のかけ方は、「昭和史の天皇」をしのぐものであることも確かであろう。このことは、新聞の資本主義的集中化が、いよいよ進み、われわれの既成概念からする「新聞」とは、全く別個の、全く異質の、新しいマスコミ産業である「新聞」が、生れ出ようとしていることを物語っている。
つまり、金がなければ、何もできないのである。金があれば、他社のやれないことがやれるのである。他社のやれないことがやれるから、売れるのであり、売れるから金が動かせるのである。その極端な例が朝日新聞の現実である。
この時、何が左翼偏向であろうか、何が進歩的であろうか——朝日の紙面について、云々する時に、この巨大化した、資本主義の権化のような、「朝日新聞経営体」を見逃してはいけない。
新宿の街角を肩で組み、腰を抱き、頬を寄せあって歩くアベックの顔をみてみたまえ、服装のセンスをみてみたまえ。これすべて、醜男と醜女のカッペである。——本当の美男美女は、もっと、その美しさに誇りをもっている。
グループ・サウンズなる連中の顔を、芸能週刊誌のカラー・グラビヤでみつめてみたまえ。あの異様な長髪は、これすべて、下品で野卑な顔だちのカモフラージュである。あのような、異様な風体をしなければ、正視にたえない顔である。G・Sでも、カワイコちゃんたちは、まともな
髪形をしているではないか。
梶山季之、北原武夫、川上宗薫らの猥雑で下劣で、春本そのものの〝小説〟を読み耽っているのは、中年男を中心とした、若い娘たちに存在を無視される男たちである。——プレイ・ボーイやドン・ファンたちは、あんなものを読むよりも、実践活動に忙しい。
ストリップやヌード・スタジオ、果ては、トルコ風呂の客たちは学校の先生、役人、銀行員といった、カタイ職業の連中が多いのはもはや定説である。
ことほどさように、今日ほど〝慢性欲求不満〟が、世をおおうている時代はあるまい。この時、朝日の幹部たちは、それらの風潮をみてとって、あの〝紙面〟を、意識的に作り出しているのである。
マイ・ホームとレジャーとギャンブルとによって、腑抜けの呆助となり果て、自らはゲバ棒一本握る行動力ももてない、口先民主主義者たちの〝欲求不満〟を、美事に組織したのが、いわゆる〝左翼偏向〟紙面の朝日新聞なのである。
自らは、血の一滴も流さずに、「ベトナムに平和を!」と叫ぶ〝職業的〟平和運動者たちと、全く軌を一にして、「嫉視、反発、陰謀、抗争、謀略、憎み合い」(細川隆元)の渦巻く中で、挑発的偏向紙面をつくれば、ベトナムに平和を! と唱和する〝愚民〟たちが、ふえてゆくのと同様に、朝日の発行部数は伸びてゆくのである。
私は、さきに、新聞は昭和三十年代から変りはじめたと述べた。この時期を、社会構造的にみると、戦前、戦中、そして、戦後の昭和二十年代と、長い期間を通じて、この日本という国を支えてきた、中産階級の消滅が進行しはじめた時期である。
昭和二十六年の血のメーデー、五・三〇皇居前事件、新宿火焰ビン広場と、一連の騒乱事件と、さきごろの一〇・二一新宿事件とを目撃、比較してみると痛感されるのだった。二十年代の事件のころは、学生と労働者、朝鮮人、事務員と、すべてにみわけがついたのである。ところが、さきごろの新宿事件では、学生も工員も、グレン隊も会社員も、人品骨柄、服装とも、全く判別できなくなっていた。つまり、極言するならば、大学生たちの面上から、学生らしい知的な表情がなくなっているということなのである。
従来の概念からすると、最高学府に学ぶ学生が大学生であったのだが、中産階級の消滅以後は〝大きい学生〟にすぎなくなったのである。中産階級が消滅したのか、下層階級が向上したのか、いずれにせよ、早慶戦の夜のストームの連中の表情には、学問する者のもつ知的なかげりは、全く見られないのだ。学生も、バーテンも、ヤクザも、質的には同一レベルに並んでしまったのである。
この時、長い間、それこそ一世紀近くもの間、この中産階級に支持され、愛読されて、〝大朝日〟意識の自覚のもとに、インテリの新聞として、伸びてきた朝日新聞は、どう変貌したのであ
ろうか。
女子大学生も、ラーメン屋の出前の娘も、キャバレー・ガールも質的には、男性と同じように、同一水準であり、新聞にすら興味がもてないのである。わずかに、下層階級から収入も増し、教育も上ったという、自意識層だけが、〝憧れのインテリ新聞〟朝日の読者となったのである。
それは何故か。カッコイイからである。朝日を購読し、朝日ジャーナルを抱えることに、父祖伝来の夢がかけられていた、といっては言葉はすぎるかもしれない。貴族のない国の占領米軍が、日本の華族に憧れたのと同じである。
早くも、そこを見抜いた、朝日の販売、編集当事者たちのケイ眼には、感嘆せざるを得ない。カッコイイ紙面を作り、カッコイイ売り方をして、野卑で猥雑で、知性のない新興中産階級に迎合したのである。媚びたのであった。
グレイの上下揃いのトレパン・スタイル。赤い背文字の配達員、拡張員も、カッコイイには違いないが、中身は決して朝日型ではないから、他紙の読者の横取りのためのトラブルを起し、販売店は痴漢のチラシ広告でも折込む(週刊新潮43・7・27号、朝日目白専売所の事件)のである。
このような朝日読者層の〝新興〟中産階級は、宅配なればこそ、月極め読者としてつなぎ止められる読者層である。
読売の金城湯池である江東方面は、いわば細民街であり、朝日のそれに相当するのが、杉並、
世田谷、目黒の知識人街であろうか。だが、果してどちらの住民が、収入面での稼ぎ頭であろうか。私は江東の細民街の住民の方が、所得(収入)が多いと判断する。いうなれば、美味いものを食っているといえよう。
このような朝日読者層の〝新興〟中産階級は、宅配なればこそ、月極め読者としてつなぎ止められる読者層である。
読売の金城湯池である江東方面は、いわば細民街であり、朝日のそれに相当するのが、杉並、
世田谷、目黒の知識人街であろうか。だが、果してどちらの住民が、収入面での稼ぎ頭であろうか。私は江東の細民街の住民の方が、所得(収入)が多いと判断する。いうなれば、美味いものを食っているといえよう。
この地区の人は、大衆紙の読売を購読するのを、それこそ買って読むためにとっているのだし、生活自体もカッコよさや見栄は二の次である。だからこそ、本質的に保守である山口シズエ議員を連続十回も当選させているではないか。細民とみられる人々が、保守を支持しているということである。
本質的に保守である勤め人層の多い、杉並、世田谷が共産党議員の地盤であり、朝日の部数が多いということは、決して、江東に比べて〝知的〟だということではない、と私は考えている。
四十三年十月の新聞値上げでは、三紙のうちで、朝日が一番早く打ち出し、読売が最後だった、ということは、極めて象徴的なことだと思う。
宅配がなくなって、スタンド売りになったとき、江東の読売愛読者は、気軽に走り出て読売を買うであろうが、杉並、世田谷の朝日読者は、面倒くさがってテレビ・ニュースですませてしまうであろう。つまり、どうしても宅配を確保せねばならない〝家庭の事情〟は、朝日が第一だとみるべきである。朝日の読者は不安定読者なのである。
何故、朝日は値上げするのか? 宅配制度を守るためである。前述したように、〝商魂〟によ
るカッコよさの読者をつなぎとめるためには、宅配死守しか途がない。
新聞代の小刻み値上
さて、新聞代値上げ後の情勢も、眺めてみる必要がある。三紙とも、四十三年は八十円という 小幅で現状を糊塗したのだが、再値上げ必至の情勢で、一年後の四十四年十一月からは、また九十円値上げである。何故かというと、朝日と読売の〝巨大化競争〟が、いよいよ激しくなってきているからである。三紙のトップを切る、五百万台の発行部数をもつ朝日は、ピタリと追随してくる読売の追いあげに、それこそ苦戦の最中である。値上げのトップをも切らざるを得なかったのは、追われる者の苦しさである。
最初、朝日社内では「一カ月千円」という破天荒な数字が、真剣に検討された。主として編集幹部の意見だったらしい。この値段は週刊文春誌なども伝えていた数字だが、その根拠は、大幅値上げによって、ひんぱんな小幅値上げを避け、思いきって経営の安定化を図る。昨今の心理的風潮が、「たかいものだからいいもの、美味いもの」と、倒錯的評価の傾向にあるので、高級紙「朝日」だけが実行し得る大幅値上げであり、朝日読者はそれでもついてくる、というにあっ た。
最初、朝日社内では「一カ月千円」という破天荒な数字が、真剣に検討された。主として編集幹部の意見だったらしい。この値段は週刊文春誌なども伝えていた数字だが、その根拠は、大幅値上げによって、ひんぱんな小幅値上げを避け、思いきって経営の安定化を図る。昨今の心理的風潮が、「たかいものだからいいもの、美味いもの」と、倒錯的評価の傾向にあるので、高級紙「朝日」だけが実行し得る大幅値上げであり、朝日読者はそれでもついてくる、というにあっ
た。真意はそうとしても、狙いは、従来の行きがかり上、毎日も同額の千円にすれば、さらに読者を失って部数が減り、現在辛うじて維持している四百万台割れとなり、完全に蹴落せるということ。もしまた、同額の千円の値上げに踏みきれなければ、イメージの上でハッキリと格差をつけられるということで、多年の朝・毎時代の終焉を告げられる。
さらに、対読売戦をみると、読売読者は千円ではついてゆきにくいから、読売の販売経費はさらに増大し、その実力が疲弊するので持久戦にもちこめば、追随を振り切れるであろう、という観測にあったのである。
しかし、この千円案は、主として販売幹部の慎重論に押されて、七百五十円にまで後退してきた。そして、最終段階で、広岡社長の「新聞は安く大勢の人に読んでもらうべきものだ」という意見で、六百六十円に落着したと伝えられている。
新聞経営の健全なあり方として、販売収入と広告収入の比率が、六対四であるのがのぞましいといわれているが、現状では、これが逆になって、四対六。広告収入が常にリードを奪っており、それゆえに、広告主の発言権が増大して、紙面——編集権の独立をおびやかしている。
ある朝日編集幹部によると、このような小刻み値上げでは、値上げ当時こそ、収入比率は六対四となるが、すぐに、五対五となり、数カ月を出ずして、また四対六に逆もどりしてしまう、という。だからこそ、一年後には再値上げせざるを得なかった。
その辺の実情から、販売、広告などの業務系統に対し、紙面百年の計を考える編集が、思いきった千円値上げを提唱したものらしいが、ついに八十円の小幅値上げにとどまったものだ。このことは、今や新聞内部では、業務が編集をリードしていることを物語っており、〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった経過を説明してくれるものである。
つまり、好むと好まざるとにかかわらず、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、その経営を維持するために、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。
この時、どうして朝日新聞だけの、紙面の退廃を責められよう、どうして、朝日記者にのみ、「新聞記者精神」を期待できよう。
強きにつき弱きをくじき、権力に密着し、読者に迎合し、ナリフリだけは構って、都合の悪い時は居眠りをし、東に引越しがあるときけば行って乱闘をし、西に珍らしいものがあると知れば招いて興行をする——朝日一万社員、社友、客員を養うためには、そうせざるを得ないのである。
新聞は、もはや、昔日と違った形の、単なるコミュニケーション産業に、変質しつつある。無冠の帝王とか、社会の木鐸とかの古語は、死語となりつつあるのだ。 社内における論説委員の地位の低下が、何よりも、雄弁にそれを裏付けよう。
東京編集局長田代喜久雄はいう(新聞協会報43・11・19)。「紙面刷新三つの柱として、『今週の焦点』という囲み記事を日曜朝刊に新設。朝刊四めんを『ドキュメントのページ』として、記録、演説などの全文掲載。社説活字を大型化して『声』『人』と併せて『オピニオンのページ』を設けた」と。
情報の洪水の中の一つの対応策として、値上げの十一月一日からこうした紙面〝刷新〟を図ったというものであるが、「今週の焦点」は、生活のテンポが早くなったのを認めて、週刊誌に追従した発想である。新聞の記録性に頼った「ドキュメント」はよいとしても、「オピニオン・ページ」に、社説を物理的にのみ読みやすくして収容したあたり、まだ、田代にも〝古きよき時代〟への郷愁趣味がみられる。
刷新であるならば、何故、「社説」を投げ出さないのか。活字を大きくすれば、読んでくれるのだろうか。千円に値上げの発想を打ち出せる編集陣が、社説にこだわるあたりに、やはり、朝日の混迷せる紙面造りの原因があるようである。
大阪編集局長秦正流はいう。「宅配制度の崩壊は、時の流れでもあろう。読売の強力な追いあげに、朝日も懸命である。そして、三紙てい立の維持に必死の毎日——販売費はいよいよ高騰し、小刻み値上げが断続し、各社ともに戦力を使い果した時、ようやく、共販・共同集金などの合理化が検討されよう。その時、どの新聞が生き残っているかが問題である」
宅配の維持が、大新聞社の生存競争でもある。しかし、崩壊へと進みつつあることは、新聞人の眼にも明らかである。朝日、読売の一大激突のあとが、新しい〝新聞〟の夜明けである。その時、「紙面」はどうなっているのだろうか。
さて、それでは新聞の販売部門にも眼をそそがねばなるまい。
宅配制度維持のための、新聞販売店の労務改善を理由とする、新聞代の値上げ発表(四十三年)が行なわれたが、それに先鞭をつけたのは、四十三年十月十二日の日経である。従来の月ぎめ六百円を七百円とするのだが、これは経済紙だからさておこう。朝日は十七日。これを追随して毎日が二十日、さらに読売が二十三日と、いずれも、八十円値上げの六百六十円である。
宅配制度維持のための八十円の値上げであるが、この八十円が、全額、配達員のためにその報酬になるのであろうか。タクシー会社と運転手の関係が、そのまま、新聞販売店と配達員の関係にあてはまらないだろうか。
新聞販売関係の内報を見たり、値上げの解説記事を読むと、販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。
だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。第一、新聞記者を志す奴などバカの骨頂で、新聞社に入るなら、第一に販売、第二に広告といわれている。酒に女に、小遣いに不自由しないという、最近流行のハウ・ツウ式表現である。
もっとも、社会部記者一筋の私にとって、販売担当者の〝オ大尽〟物語は、あくまで誇張された〝風聞〟〝流説〟であって、どれ一つをとっても、裏付け取材したものではないことを、お断わりしておかねばならない。
まず、月中ごろに新聞の集金が来る家は、金があると狙われている家だという。もちろん、月末に集中しては、人手の都合もあって集金に廻りきれない、という理由もある。一軒の家では、五、六百円でも、百軒で五、六万円、千軒で五、六十万円の、まとまった現金が、早く入金する。そして、半月早く集金し、本社納金を半月おくらせると、一カ月浮くので、この現金を他に廻して、利ザヤを稼ぐというのだ。
本社販売部員たちは、一歩社を出たら一切の経費が販売店もちで一銭もかからないという。社から出る規定の旅費、日当、宿泊料など、すべてが自分のポケットに残る。販売担当員たちは、本社から販売店に行く集金係だから、店主はこれと協調してウマクやらねばならないからだ。
読者から集めた購読料は、サミダレ式に販売店主の手に入る。これを、本社に納金する時期如何で、如何様にも廻せるワケだ。何しろ、ツケなのだから、いいわけはどのようにもつけられる。販売スタンドが、何部入荷し、残部いくらだから、現金はいくらいくらというのとは、ワケが違う。ここに、販売店のウマミがある。
しかも本社からは、販売店の扱い部数によって、何部かの拡張用の赤紙(無料紙)がついてく
る。何カ月タダで入れるから、何カ月購読してくれと、捺印を求める、あのタダのサービス用新聞である。ところが、読者によっては、この本社の無料紙にも、キチンと購読代を払ってくれるお人好しもいるから、コタエられない。
さらに、自民党幹事長の、領収証のいらない機密費のような、「拡材」という、例のバケツやナベの、販売拡張用資材、略して拡材がある。新聞社の販売合戦の内幕をバクロしたら、それこそ、吃驚仰天の事実がでてくるであろう。しかし、販売経費なるものの実態は、永遠に誰からもバクロされないであろう。何故かといえば、バクロした者自身が、刑事責任を追及されるおそれもあるだろうし、全般的に、的確な証拠を入手することが困難だからである。
新聞協会の販売委員会が、拡材の規制や、地区ごとの不当競争を協議する。時たま、一般週刊誌などに、新聞拡張員同士の乱闘騒ぎや、刃傷沙汰が報じられるが、販売関係業界紙誌(もっとも、業界紙はすべて販売関係であるが)をひろげてみると、全国の大小のトラブル記事が目白押しに並んでいる。
販売委員会の様子を聞いてみると、各社の販売局長、部長クラスの委員が出席して、紛争当事社の委員は、それこそ、生れてこのかた、ポリバケツやナベ、カマなど、見たこともないような〝熱弁〟を振う。涙すら浮べて、「わが社はバケツなど拡材を使っていない」と、神にかけて誓うテイだそうだ。