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事件記者と犯罪の間 p.166-167 新聞記者の財産はニュース・ソース

事件記者と犯罪の間 p.166-167 六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。
事件記者と犯罪の間 p.166-167 六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。

これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、朝鮮人とも北鮮育ちの中国人ともいわれるが、異国での生活の技術にか、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。金の話は常に億単位なのだから、国際バクチ打ちの〝身分〟を買って出たのも、彼の生活技術であろう。

特ダネこそいのち

ニュース・ソース

小林元警部補とは昭和二十七年から三十年の三年間、私が警視庁クラブにいた時に、彼が現職だったので知り合っていた。ところが彼は退職して、銀座警察の高橋輝男一派の顧問になってしまった。そのころも、銀座あたりで出会ったりしていたのだ。

高橋が死んでから、彼は〝事件屋〟になって王と近づいたらしい。今度の横井事件でも、王、小林、元山らが組んで蜂須賀家の債権取立てを計画したようだ。六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。十三日の夜おそく、元山は王と小林に伴れられて私の自宅へ

やってきた。

元山との会見記は翌十三日の読売に出た。

週刊読売の伝えるところによると、新井刑事部長は部下を督励して、「新聞記者が会えるのに、どうして刑事が会えないのだ」と、叱りつけたそうである。しかし、この言葉はどだいムリな話で、新聞記者だからこそ会えたのであった。

この元山会見記は、同日朝の東京新聞の花形を間違えたニセ安藤会見記(木村警部談)と違って一応特ダネであった。しかし、私が司法記者クラブ(検察庁、裁判所、法務省担当)員でありながら、警視庁クラブの担当している横井事件に手を出したことが、捜査本部員をはじめ、他社の記者にいい印象を与えなかったようでもある。

私をしていわしむれば、誰が担当の、何処が担当の事件であろうとも、新聞記者であるならばニュースに対して貪婪でなければならないし、何時でも、如何なるものでも、ニュースをキャッチできる状態でなければならないのである。

新聞記者の財産はニュース・ソースである。「貴方だからこれまで話すのだ」「貴方だからわざわざ知らせるのだ」という、こういう種類の人物を、各方面に沢山もっていてこそその記者の値打ちが決るのである。誰でもが訊きさえすれば教えてくれること——これは発表である。誰でもが簡単に知り得ることは、これはニュースとしての価値が低いのは当然である。

例えば、両国の花火大会の記事は、ニュースではあるが、誰でもがこのニュースにふれること

ができる。公開されているニュースだからである。機会は均等である。

最後の事件記者 p.246-247 ニセ信者になって交成会に潜入

最後の事件記者 p.246-247 『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』と、全く話が変になってしまった。
最後の事件記者 p.246-247 『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』と、全く話が変になってしまった。

立正交成会潜入記

立正交成会へスパイ

警察の主任になったり、旅館の番頭などと、芝居心をたのしませながら仕事をしているうちに、三十一年になるとまもなく、警視庁クラブを中心とした、立正交成会とのキャンペーンがはじまってきた。

その前年の夏に、警視庁に丸三年にもなったので、そろそろ卒業させてもらって、防衛庁へ行きたいなと考えていた。「生きかえる参謀本部」と、「朝目が覚めたらこうなっていた—武装地帯」という、二つの再軍備をテーマにした続きものを、警視庁クラブにいながらやったので、どうもこれからは防衛庁へ行って、軍事評論でもやったら面白そうだと思いはじめたのであった。

そのころ、名社会部長の名をほしいままにした原部長が、編集総務になって、景山部長が新任

された。それに伴って人事異動があるというので、チャンスと思っていると、一日部長に呼ばれた。アキの口は防衛庁と通産省しかない。病気上りででてきていた先輩のO記者が、通産省へ行きたがっていたので、これはウマイと考えた。

『防衛庁と通産省があいてるのだが、警視庁は卒業させてやるから、どちらがいい』

という部長の話だった。えらばせてくれるなどとは、何と民主的な部長だと、感激しながら答えた。

『通産省は希望者もいることですから、ボクは防衛庁に……』

といいかけたら、とたんに、

『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』

と、全く話が変になってしまった。そればかりではない。

『お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。従来の奴が書けないクラブで、お前に書かせようというのだから』

とオマケまでついてしまった。こうして三十年の夏から、通産、農林両省のカケ持ちをやって

いたところに、キャンペーンに召集がかかってきた。ヒマで困っていたので、よろこび勇んで、はせ参ずると、ニセ信者になって、交成会に潜入して来いというのだ。

p57下 わが名は「悪徳記者」 王長徳と小林初三

p57下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。
p57下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。

話を聞いてみると、帆足、宮腰氏らの訪ソ旅行の旅費を出したとか、自由法曹団の布施弁護士は父親みたいな仲だとか、花村元法相とは「花ちゃん」という付き合いだとか、いろいろと面白い話が多い。そこで窮余の一策として、彼に会って、『貴方が上海の王といわれる有名なバクチ打ちか』と、当ってみたものだ。

すると、ハッキリ別人だということが調査して判っていたのに、意外にも彼はニコヤカにうなずきながら、『そうです。私が上海の王です。上海時代はビッグ・パイプとも仇名されていたので、このキャバレーにもその名をつけたのです』というではないか。

こうして、「登録証を信ずると、十一歳の時にビッグ・パイプという名を持った国際バクチの大親分という、世にもロマンチックな話になる」と、皮肉タップリな記事となって紙面を飾った。

これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、朝鮮人とも北鮮育ちの中国人ともいわれるが、異国での生活の技術にか、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。金の話は常に億単位なのだから、国際バクチ打ちの〝身分〟を買って出たのも、彼の生活技術であろう。

ニュース・ソース

小林元警部補とは昭和二十七年から三十年の三年間、私が警視庁クラブにいた時に、彼が現職だったので知り合っていた。ところが彼は退職して、銀座警察の高橋輝男一派の顧問になってしまった。そのころも、銀座あたりで出会ったりしていたのだ。

高橋が死んでから、彼は〝事件屋〟になって王と近づいたらしい。

p58上 わが名は「悪徳記者」 新聞記者の財産はニュース・ソース

p58上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。
p58上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。

今度の横井事件でも、王、小林、元山らが組んで蜂須賀家の債権取立てを計画したようだ。六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、

『問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう』という。私は即座に『会いたい』と答えた。十三日の夜おそく、元山は王と小林に伴れられて私の自宅へやってきた。

元山との会見記は翌十三日の読売に出た。

週刊読売の伝えるところによると、新井刑事部長は部下を督励して、『新聞記者が会えるのに、どうして刑事が会えないのだ』と、叱りつけたそうである。しかし、この言葉はどだいムリな話で、新聞記者だからこそ会えたのであった。

この元山会見記は、同日朝の東京新聞の花形を間違えたニセ安藤会見記(木村警部談)と違って、一応特ダネであった。しかし、私が司法記者クラプ(検察庁、裁判所、法務省担当)員でありながら、警視庁クラブの担当している横井事件に手を出したことが、捜査本部員をはじめ、他社の記者にいい印象を与えなかったようでもある。

私をしていわしむれば、誰が担当の、何処が担当の事件であろうとも、新聞記者であるならばニュースに対して貪婪でなければならないし、何時でも、如何なるものでも、ニュースをキャッチできる状態でなければならないのである。 新聞記者の財産はニュース・ソースである。『貴方だからこれまで話すのだ』『貴方だからわざわざ知らせるのだ』という、こういう種類の人物を、各方面に沢山もっていてこそ、その記者の値打ちが決まるのである。誰でもが訊きさえすれば教えてくれること――