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雑誌『キング』p.132下段 幻兵団の全貌 与えられた合言葉は

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 下段

その男は、私と同じように注意深く、しかも疑わしそうに、さらに反問する。私は新聞記者と名乗る前に、彼に与えられたはずの、合言葉を使ってみて、彼の反応をみなければいけない。とっさに私は、彼がさきごろ✕✕✕の用事と称して上京したことを思い浮かべた。✕✕✕というのは、東京霞ヶ関付近のある役所の名前だ。彼が歳末の忙しい時に、そこの用事のために、日帰りでも行かねばならないというからには、必ず何か関係があるに違いなかった。マサカ、私の知らない合言葉ではあるまい。それとも、連絡場所かな?

『アノウ、実は✕✕✕の……』

語尾は不明瞭にニゴしてしまう。反応は!?

『アア、そうですか。どうぞこちらへ』

果たして、彼の疑い深い慎重な態度は一変してしまい、心安く応接室に招じ入れてくれた。✕✕✕の誰ともいわず、もちろん私の名前も告げないのに、✕✕✕だけでこのように態度が変わるのは、やはり合言葉だろうか。

やがて彼(G氏)は、ベニヤ板一枚の仕切りをあけて現れた。歳末の挨拶ののちに、私はそのまま名前を名のらず、〝駒場〟に与えられたはずの合言葉を、反応試験の切り札として投げつけた。

『ときにどうです……あなたの事業は成功して

雑誌『キング』p.132中段 幻兵団の全貌 G氏に直接ぶつかる

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 中段

と県庁所在地をはじめ数市しかない。まず、それらの各支局にロ、ハ、ニ、ヘ、トの五条件該当者の調査を依頼した。しかし目的を明かさなかったためか、似かよった報告は数件きたが、どうも思わしくない。職業と居住地に対するカンから、私は小都市の○○市と判断して、出張してみた。居た! すべての条件に該当するG氏を、ついに発見した。

G氏の身辺調査をはじめる。彼は自宅に遊びにきた知人に、『私はこの間、✕✕✕に用事があって、商用もかねて日帰りで上京してきました』と、話のついでに自ら語ったことが判明、商大卒の学歴、政党、思想的関係は表面上なし、父親との折り合い悪し、など分かる。

私はついに直接ぶつかる決心をする。

『Gさんにお眼にかかりたいのですが』

小さな事務室では、二人の男が現金の計算をしており、女の子の給仕が一人いた。私は正面のG氏とおぼしき男に向かって口を切った。

『どちらさんでしょうか?』

その男は、自分はGである、と名乗る前に、アリアリと警戒の色を浮かべて、そう反問してきた。この男こそG氏だ、と直感して、私は注意深く相手の表情や態度を見守りながら続ける。

『東京から参った者ですが』

『どなたの御紹介でしょうか?』

雑誌『キング』p.132上段 幻兵団の全貌 資産と社会的地位あり

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 上段

〝まぼろしのような兵団〟の幻のヴェールを、一枚ずつ紙面の上でハギ取ってみて、引揚者たちの悩んでいることが、果たして〝幻影〟かどうかを確かめよう。これが読売の〝幻兵団〟と名付けた、紙面効果の狙いだった。そして、八回にわたって、ハギ取られ、ヒンむかれた幻のヴェール。そのかげから現れてきた正体は?——その返事に、『新聞記者のメモ』をのぞいてみよう。

(一) ホンボシ会見記

ホンボシというのは、ホントのホシ(犯人)で、真犯人という言葉だ。私が知っている何人かの〝幻兵団〟のうち、一番面白かったG氏との会見の模様を述べよう。

イ、偽名 駒場 某
ロ、抑留地区 西シベリア○○○○○
ハ、復員年月日 二十三年九月○○日
ニ、年齢 四十歳前後
ホ、居住地 ○○近県
ヘ、家庭の状況 資産と社会的地位あり
ト、職業 ○○○と旅館経営

この七つの条件を備えた〝幻兵団〟は、すでに一仕事を果たしているという。

『ヨシ、この男を探し出そう』私は考えた。職業から判断して都市居住者だ。居住地からいう

雑誌『キング』p.131左中・下段 幻兵団の全貌 新聞記者のメモ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 中段・下段 五、新聞記者のメモ
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 中段・下段 五、新聞記者のメモ

五、新聞記者のメモ

読売新聞は、ソ連帰還者で組織されたこのスパイ団を、ジャーナリスティックに〝幻兵団〟と名付けた。この厖大な組織は、〝幻〟のようにボーッとしていたし、組織のメムバーの数が

何千名というので〝兵団〟というのがふさわしかったわけだ。そしてまた、誓約書の恐怖におびえていることが、気の弱い引揚者の〝幻影〟にすぎないのかも知れなかった。ともかくも、この

雑誌『キング』p.131下段 幻兵団の全貌 私は狙われている

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 下段

う事件があったではありませんか』

事実、さる二月二十四日、秋田県仙北郡金澤西根村農業熊常久之助さん弟、千葉久太郎(三五)さんが、東京で誓を破って帰郷直後、『私は誰かに狙われている。誰か訪問客がなかったか』などと口走っていたが、ついに夜九時半ごろ自宅物置で首をくくって、自殺をとげてしまった、という事件も起きている。

筆者の手許には、二百名近いⒷの誓約書の人たちの名簿が作られている。彼らの職業を拾ってみれば、うなずけることも多いだろう。

曰く。食品会社員、逓信職員、鉄道職員、官庁資料課長、弁護士、県牧畜課長、新聞社員、特別調達庁職員、証券会社員、経済関係官庁事務官、県水産課長、百貨店経営、教員。

事件はまだ進展中であり、微妙な関係もあって、現況に関する資料のほとんどを、伏せざるを得ないのは、筆者の遺憾とする所である。

雑誌『キング』p.131中段 幻兵団の全貌 誓を破った男

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 中段

『とんでもないことです。初耳です。人違いでしょう』と。だが、彼らの行動には疑惑につつまれたナゾがある。

Ⓑのスパイたち。その一人はいう。『合言葉がささやかれるのは、もう少し近い将来、米ソの関係がもっと緊迫してからでしょう』と。また一人はいう。『合言葉の男は、もう日本中を飛び廻っていますよ。そして、スパイたちは一生懸命の活躍をしているんです』と。その男は声をひそめて続けた。『何故なら、私の所に来ないからです。私は暗い〝かげ〟を背負った生活に堪えられなくなり、当局の保護を願って誓を破ったのです。不思議に、奴らにはそれが分かるのです。そして裏切り者は、チャンと選り分けて、合言葉をささやこうとしないのです。第一、つい最近関西方面で、東京で誓を破った男が帰郷の途中に、二人の暴漢に襲われて〝お前はシャべってしまったナ〟と散々な暴行をうけたとい

雑誌『キング』p.131上段 幻兵団の全貌 スパイ誓約者は3種

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 上段

てしまうのだった。

3 現況

だが果たして不気味な合言葉は、すでに東京においてささやかれているのだろうか。筆者は『然り』と答えたい。

だが、誓約書を書いた数万にのぼる人たちの、すべてが組織されているのではない。スパイとなるという誓約書を書いた人たちを分類すると、三種に分かたれる。

その一は、日本の共産革命に協力するという意気込みで、欣然として署名した人々。

その二は、生きて帰るためなら、どんなことでもしようと、軽く引き受けてしまった人たち。だが、この種の人は、船がナホトカの岸壁を離れると同時に、一切は御破算だといって笑っている。

その三は、みてきたソ連の現実から、その誓約書に暗い運命を感じて、ひとりおそれ、ひとり悩み、ひとり苦しんでいる不幸な群れである。彼らは、誓約書に明示された破約の報いに、生命の危険をも感じている。このような人々が、Ⓑスパイたちの八割は占めている。

欣然と働いている『ソ連スパイ』たちの数は、誓約書の約一割、日本国中で千をはるかに越えるだろう。彼らは異口同音に、筆者に答える。

雑誌『キング』p.130下段 幻兵団の全貌 看護婦がスパイ連絡担当

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 下段

れた情報の範囲は、

①米軍の装備、施設、能力
②対日管理の実情
③政党の動き、特に共産党の動向
④経済事情、米国への国民感情

など、極めて広範囲にわたっている。

また、ナホトカ——舞鶴間の直接連絡については、引揚船乗組の看護婦が、連絡を担当していたことも相次いで判明した。この事件はナホトカから乗船したスパイ団員が、かねて指示された通り、船中にて連絡すべき〇〇ミヨ子看護婦(特に名を秘す)を、間違えて〇〇ミエ子看護婦(特に名を秘す)と思いこんで、ミエ子に連絡をしてしまった。ビックリしたミエ子は、直ちにその旨を当局に報告したので、当局が調査した結果、ミヨ子の間違いだったと分かり、ミヨ子を取押えようとしたが、すでに下船、逃亡した後であった。ミヨ子の実家所在地も架空で、ミヨ子の消息はその後不明となってしまった。

このようにして、このスパイ団の、日本における組織は、次第に明らかとなってきた。東京における連絡所も、銀座裏、四丁目から新橋にいたる通りの、数寄屋橋より一番通りにあるという。それを裏付けるかのように、この人こそⒷスパイに違いないという、某出版社員を尾行してみると、銀座裏のその付近で、いつもマカレ

雑誌『キング』p.130中段 幻兵団の全貌 水晶島、ソ連船、日共…

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 中段

えてから、帰国に際し与えられた四つの連絡ルートが明らかとなった。

①北海道根室港付近沖のソ連領水晶島に、密漁を装って近づき、赤旗を掲げてソ連監視員に合図し、情報書を渡す。

②新潟港と北海道間を航行している日本漁船、○○丸、○○丸、○○○丸、○○丸の四船は、ソ連の協力船であるからこれを発見せよ、同船は船名を変えることもあるが、常に船内に黒地か赤地の旗を掲げ、旗面には丸が二つ描かれている。(寸法不明)

③北鮮の元山、羅津から、ソ連監視船が、毎月一、二、三日および十五日と、月末の数回に、日本内地方面へ出航するから、小型漁船にのりこみ、ウラジオストックを弧の中心として描いた三十九度線付近の円周に接触する、能登半島——佐渡間の海上で、早朝四時にこの船と連絡せよ。(このさいは、モスクワ放送の天気予報を聞くこと。荒天なれば出航せず)

④日本共産党員の誰にでもよいから、封書の表書に『ソ同盟、——市、リラノフ中尉殿』と書き、裏に『民主グループY』と書いて渡せ。

同氏は、さきにのべたごとき偽装——、肺病と称して一人だけ先に帰還したものだが、命令さ

雑誌『キング』p.130上段 幻兵団の全貌 小針延次郎が受けた命令

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 上段

小針延次郎氏は帰国に際して、誓約書とは別に、十カ条に及ぶ具体的な命令をもらっている。これは同氏ほか三名の人が、ナホトカで二十二年三月中旬ごろ、政治部員グルフニー中尉から、日本帰還後の具体的活動を示されたものである。

①日本へ帰ったなら、引揚者間の連絡をとるべし。
②東京に連絡所を設け、責任者をきめ、つねに名簿を整理しおくべし。
③米軍がどのような調べをしたか、記しおくべし。
④米軍の進駐政策をつねに注意すべし。
⑤徳田球一氏との連絡を保つべし。
⑥ナホトカで結成した県人会を中心に、民主グループの団結をはかるべし。
⑦引揚者の政治結社は、進駐軍が許さぬから十分警戒すべし。
⑧グループの責任者は全国の同志と連絡すべし。
⑨ソ連の兄弟と手を握り、反動政権と闘争すべし。
⑩あらゆる民主団体と協力、働く者の日本建設に努力すべし。

また一方、裏日本某県の某氏(元軍曹、二十三年五月復員)が、三カ月間のスパイ教育を終

雑誌『キング』p.129下段 幻兵団の全貌 人民裁判で逆送のはずが

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 下段

にしていなければならない。

つまり、二十三年まで(共産党演出するところの〝代々木詣り〟——復員者の共産党本部集団訪問のこと——が、この年の六月四日からはじめられた)の引揚者で、前職者でありながら、あるいは法務官であるとか、反ソ分子、惨虐行為者など、ナホトカ民主グループに〝人民裁判〟にかけられたりして、当然再び逆送されるべき人間で、まともに乗船して帰ってきたものは、一応Ⓑ要員であると考えてもよいことになる。すなわち、早く帰れないはずなのに、早く帰ってきている者は、おかしいわけである。また、帰還者名簿を眺めて、抑留地区がただ一人違う者なぞも、そうである。

これは余談であるが、吉村隊長はナホトカで罪状を認めたというのに、隊員と同じ船で帰ってきていることもうなずけない。人民裁判事件で、多数の逆送を認めた津村謙二氏が、吉村隊長を吊るしあげておきながら、そのまま帰したということが、腑に落ちない。筆者は吉村隊長にその旨を質したところ、彼も『私自身何故すぐ乗船できたか分からない』と答えているが、この裏面には何らかの問題が、伏在しているに違いない。

2 連絡と組織

雑誌『キング』p.129中段 幻兵団の全貌 コバレンコと親しい中佐

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 中段

て帰すということだ。二十三年の引揚げが再開されるや、一船ごとにⒷ要員を適宜に乗船せしめた。何故ならば、そのスパイの偽装が巧妙で、そうとは知らないナホトカ民主グループ員に吊るしあげられた場合、予定の乗船日を狂わせると、同地区の梯団に追いつかれて、『彼奴は偽装反動だ、オカシイ』と、化けの皮をはがされる恐れがあったのである。一人ポツンと引き抜かれて、下士官が将校となり、あるいはムシバ程度の病人が患者の群れに入り、ともかくその男の過去が分からない梯団に潜入して、しかも反動を偽装して、日本に送りこまれたのだった。

船中での吊るしあげ拒否で有名になった某中佐などは、中佐でありながらハバロフスクの将官収容所におり、しかも市内を高級車でのりまわし、日本新聞社長のコバレンコ少佐の部屋もフリーパスで、同少佐をして『日本将校中もっとも親ソ的で、もっとも有能な男』と激賞せしめたという。あの船中の吊るしあげ拒否も、後に当時の状況を調べてみると、多分にお芝居臭い点があり、アクチヴと同中佐との、馴れ合いの演出だったという。

このような偽装と、このような潜入方法でⒷスパイは、二十三年度に続々と海を渡って帰ってきた。上陸後は、もちろん反動として通して、もちろん、共産党などとは関係を一切もたないよう

雑誌『キング』p.129上段 幻兵団の全貌 アクチヴを反動偽装

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 上段

っていることなど、いずれも符節を合わしている。

二十二年上半期には、『アクチヴは、帰還の第一関門である舞鶴で警戒されるから、反動を採用した方が有利である』という根拠にもとづき、大量生産をしたのであるが、やがてそれでは決して質の向上を期待できないという失敗に気付いた。そのため、下半期では、Ⓑ要員に厳選主義をとり、エラブカ、バルナウル、ハバロフスク、ウォロシロフなどの各地では、筋金入りの民主グループ委員、いわゆるアクチヴに着目した。

そして誓約書をかかせると同時に、民主運動から脱落せしめ、反動としての偽装に着手した。同時にある輸送計画をたて、逐次、日本潜入を開始したのだった。輸送計画というのは、さきの〝どんなに吊るしあげられても、必ず帰してやる〟という言葉で裏書きされよう。

二十二年上半期製造の〝反動スパイ〟は、二十二年下半期からすでに帰還をはじめ、上陸後に寝返る奴も出てきた。その結果として、当局では、このスパイ組織に気がつき警戒をしはじめた。

このような事態に対処するべく、ソ連側では、潜入のための輸送計画をたてたのだ。それは、Ⓑ要員は決してその地区梯団と共に帰らせず、一人一人を、他の地区梯団にまぎれこまし

雑誌『キング』p.128下段 幻兵団の全貌 使命遂行は現在進行形

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 下段 四、日本に於ける実態

イセット)、一応使命は終了しているとみられるので、ここではしばらく置こう。あまりにも陰惨であるとの声もあるが、引揚げの完了は、敗戦の整理でもあるので、たとえ〝生きて帰る〟ためではあっても、そのかげに強制力をもったもっと大きな責任者があるとしても、やはり吉村隊長が法の裁きをうけているように、同胞を売った事実があれば、それはそれとして、健康な社会の秩序によって裁かれねばならない。もちろん、誓約書を書いてはいても、魂までは売らなかった人々も多いのだ。

だが、問題はⒷに属する人々である。彼らの使命遂行は現在進行形であるからだ。

1 潜入と偽装

『民主運動には積極的であってはいけない。幹部になることはもちろんいけない』という注意は、誓約書を書くに当たってチェレムホーボはじめ各地区で、担当将校に与えられている。さらにバルナウルなどにおいては、逆に反動的言動を命ぜられ、『どんなに吊るしあげられても、必ず帰してやるから心配するな』とまでいわれている。エラブカでも、スパイ採用にやってきた〝モスクワの中佐〟は『革命家は、在ソ間は反動としてすごさねばならない。日本へ帰ったら地下にもぐって大いに活躍しなければならぬ』と語

雑誌『キング』p.128左側上・中段 幻兵団の全貌 スパイ団は日本国内に

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 上段・中段 四、日本に於ける実態
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 上段・中段 四、日本に於ける実態

四、日本における実態

昭和二十四年十二月二日、舞鶴に入港した第六船団最終船信洋丸で、二十四年度の引揚げは打ち切られた。同年五月のソ連政府声明によれば、十一月までに九万五千名を送還して、日本人捕虜は全員帰還する、ということであったが、対日理事会で問題となり、二十五年に入ってから異例の冬期引揚げが二回も行われ、高砂丸によって五千名近い人たちが帰ってきた。

一月二十二日入港の第一次、二月八日入港の

第二次の引揚者たちの情報によれば、もはやシベリアに残留する同胞は、それほど多くない模様である。

すると、数万にのぼる誓約書を書いた人々は、大半がすでに日本に引き揚げていることになるわけだ。このスパイ団の舞台は、もはや日本国内にうつっている。

Ⓐに属する人々は、『ナホトカにて乗船次第任務解消すべし』と命令された者もあるように(タ

雑誌『キング』p.128右側上・中段 幻兵団の全貌 同胞相喰む悲劇

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 つづき上段・中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.128 つづき上段・中段

を求められた。元憲兵として有名な四、五人の名前を報告したところが、〝これだけしか知らんのか〟と嘲笑され、収容所をタライ廻しされた(チェレムホーボ)、同様の命令で、すでに検束された元憲兵四、五人の名前をあげてゴマ化そうとしたら、二つ、三つビンタを喰い、営倉に入れられ、一日四五〇グラムのパンと水だけの生活が、二カ月も続いた(ライチハ)という例でも分かるように、報告は厳重に要求していた。

従って、ここに同胞相喰む悲劇の源があるのであって、自己保身のため、無実の同胞を、虚偽の密告に苦しめるという、〝幻兵団の悲劇〟が、続々と起こったのである。樺太の阿部検

事正、永田判事らの非業な最期など、その代表的なものであろう。しかし、これら密告者たちに、各種の脅迫をもって、その報告を強要した、より大きな責任者のいることを見逃してはいけない。——

Ⓑは、在ソ間には、全く飼い殺しで、ただ報酬を与えられて、報告提出の義務はなかった。月一回程度の呼び出しの際には、思想係将校と、思想、政治関係の雑談に、一時間ばかりすごしてくるだけだった。これは、ソ連への忠誠の確かめと、ただ不労所得の大金を得ることが度重なることによる、心理的束縛感を深め、裏切りを予防することが、目的であったようだ。