投稿者「mitaarchives」のアーカイブ

黒幕・政商たち p.098-099 知らぬ存ぜぬの奇怪なお話

黒幕・政商たち p.098-099 何千万、何億という金が、使途不明になるということは、あまりにもバカゲているではないか。
黒幕・政商たち p.098-099 何千万、何億という金が、使途不明になるということは、あまりにもバカゲているではないか。

福田一議員の側近筋では、「弘さんというのは、全くのお坊ッちゃんで、そんな悪事のできる人ではない。第一、芝で喫茶店を経営しているのだから、喰うに困るわけじゃなし、誰か、

悪い朝鮮人にカツがれたのではないだろうか」と、はなはだ同情的であるが、福田弘、金沢政男の両代表取締役の下には、I大蔵省係長、I通産省といった、元役人二人もいるのだから、そもそもの、この会社の構想は、このあたりからスタートしていると見られよう。

大臣もひっかかった知能犯罪

当の福田一議員は、人を介して「全日本流通機構という会社のことに関して、ユスられているということはない。すべて、弁護士にまかせているので、私からは何もお話することはない」として、これまた、否定的な返事である。日綿にしても、全面否定しているが、銭高組が宅地造成、葵(あおい)土木が施工とまで、スケジュールが決まり、業者名まで、明らかになっているのに、そんな事実はない、というのも、解せないことではあるまいか。

また、顧問、相談役の諸氏が、これまた、知らぬ存ぜぬの奇怪なお話である。福田弘が事前に、福田赴夫蔵相のもとを訪ねて、御高話を拝聴している事実がある(村上官房長答弁)ところからみるとやはり、諸先生方にも、しかるべき何らかの手が打たれているとみられるのに、今となっては、鹿十(シカトウ、花札の十月の鹿が横を向いていることから、知らぬふりをすること)とは、これまた、解せないお話でもある。

日綿と三和銀行とのつながりに関しても、大阪の消息通はこう語る。

「この話は私も聞いてはいた。しかし裏付けをとることは、むづかしいことですよ。何故なら、この事件の関係者は、みな〝おとな〟だからネ……」

最後に、さとう印刷の佐藤社長は、首をかしげながら、こう語る。

「すべて麻生先生におまかせしたので、不渡り手形も、私の手許にはない。また、私のもとに、警視庁の刑事が二人、訪ねてきて事情をきいてはいったが、もう、それっきりです。どうなっちゃったのでしょうね」

事件があって、被害者が出た。関係者の父親が見舞金を出した。——これは、事実である。しかし、被害者は他には現れてこない。

事件があって、加害者が出た。ユスってるから、遊んでも喰えるという男がいるのだから、これも事実だ。しかし、ユスられている被害者がいない。

名前の出てくる人、会社。みんなが否定している事件——これを、〝怪談〟といわないでいられようか。警視庁の刑事すら、その足跡を消してしまっている。現職の大蔵大臣が否定し、元通産大臣が否定しているが、両省の役人の古手が加わっている会社の、知能的な犯罪! この両者の否定を、国民に納得させてくれるものは、一体、誰なのか。

何千万、何億という金が、使途不明になるということは、あまりにもバカゲているではないか。そして、今ごろはまた壮大な本社ビルを新築したミシン会社から、相当な金額の金が、Y たちのグループに、流れ出しているにちがいない。

黒幕・政商たち p.100-101 演説一本槍の男がいた

黒幕・政商たち p.100-101 九頭竜ダムの解けないナゾ 彼は叫ぶ。政局をおおう〝黒い霧〟は……この演説のマクラを聞いただけで、街頭の聴衆は散りはじめる。
黒幕・政商たち p.100-101 九頭竜ダムの解けないナゾ 彼は叫ぶ。政局をおおう〝黒い霧〟は……この演説のマクラを聞いただけで、街頭の聴衆は散りはじめる。

何千万、何億という金が、使途不明になるということは、あまりにもバカゲているではないか。そして、今ごろはまた壮大な本社ビルを新築したミシン会社から、相当な金額の金が、Y

たちのグループに、流れ出しているにちがいない。

対外貿易でさえ、荷抜きが横行しているほど、商業道徳が地におちている時代とはいえ、企業内に詐術めいた部分を抱えた会社が、あまりにも多い昨今である。あなたの会社も、この新知能暴力団〝潜入屋〟に狙われてはいないだろうか!

第6章 九頭竜ダムの解けないナゾ

昭和四十三年。さる一月の総選挙、東京三区の候補者の一人に演説一本槍の男がいた。ポスターとハガキと演説、彼の選挙運動らしきものはただそれだけである。だから有力日刊紙も彼を〝ほうまつ候補〟扱いとし、選挙記事の中でも黙殺されてしまった。彼は叫ぶ。政局をおおう〝黒い霧〟は……この演説のマクラを聞いただけで、街頭の聴衆は散りはじめる。もう耳にタコのできた言葉〝黒い霧〟……。それだけで、彼は……。

黒幕・政商たち p.102-103 利権と陰謀と悪徳とがうずまき

黒幕・政商たち p.102-103 私は、この電発九頭竜ダムにからむ〝疑惑の数々〟を、機会あるごとに究明して、戦後最大の汚職といわれる事件の真相をキャンペーンした。
黒幕・政商たち p.102-103 私は、この電発九頭竜ダムにからむ〝疑惑の数々〟を、機会あるごとに究明して、戦後最大の汚職といわれる事件の真相をキャンペーンした。

戦後最大の汚職の真相

三百億円に群がる黒い蟻

開票の結果は、一、四九四票。三区の総投票数四十七万票の三百十三分の一しかとれなかった。だが、この千五百票の支持者は、彼の演説のうち、〝黒い霧〟につづく、「かの電発九頭竜ダムの問題では…」にフト耳を傾け、足を止めた人たちであったに違いない。麻布中学、慶大という名門校コースの履歴をもつこの男が、〝ほうまつ候補〟扱いの恥辱にも耐えて、何故、立候補したのであろうか。

電発—電源開発法による特殊法人「電源開発株式会社」はこう略称で呼ばれる。株式会社といっても、株主は政府と九電力の十人だけ。資本金六百一億円のうち、六百億円は政府の出資というのだから、その性格もうかがえよう。

昭和二十七年に創立されてから十余年の社歴を持つにいたったがこの十年間の電発をめぐる政治疑惑は、佐久間ダムの輝かしい成功をよそに、「九頭竜ダム」の名とともに、日本を暗くおおっている。

石川達三の政治小説『金環触』に具体的に示され、田中彰治事件で報道もされたが、三百五十億という巨費が投じられる「九頭竜ダム」とあっては、自民党の総裁選もからんで、利権と陰謀と悪徳とがうずまき、果ては〝ケネディ暗殺〟まがいに、ナゾの犠牲者すら生んだのであった。

池田首相秘書官をつとめ、大蔵官僚としてのエリート・コースを歩んでいた中林恭夫氏の突然の死。九頭竜ダム入札問題の渦中の人、政界紙社長倉地武雄氏の変死——ともに、飛降り自殺、息子の凶行と、それぞれに〝解決〟はされているが、「ウォーレン報告」と同じく、素直に信じない多くの人たちがいることは事実である。

一体、そこで何が行なわれたのか? 巨額の金が動く土木工事に、〝政治的圧力〟がつきまとう。

私は、この電発九頭竜ダムにからむ〝疑惑の数々〟を、機会あるごとに究明して、戦後最大の汚職といわれる事件の真相をキャンペーンした。

過去の事件ではあるが、その「人」と「事件」と役割との関係を明らかにして、社会的弾劾を加え、糾弾されねばならないからである。

危険と困難とは、このキャンペーンの前途に予想される。しかし、どうして、〝九頭竜のナゾ〟は〝小説〟の形をとらねば書けないのだろうか。「真実の報道」の形で、私はこの〝壁〟

に挑む決意を、いよいよ深くしたのだった。

黒幕・政商たち p.104-105 緒方克行氏がその決意を固めた

黒幕・政商たち p.104-105 池田首相夫人満枝さんの入札問題での〝活躍〟を、清水建設の幹部がウッカリ洩らしてしまったという「事実」さえ出ているではないか。
黒幕・政商たち p.104-105 池田首相夫人満枝さんの入札問題での〝活躍〟を、清水建設の幹部がウッカリ洩らしてしまったという「事実」さえ出ているではないか。

危険と困難とは、このキャンペーンの前途に予想される。しかし、どうして、〝九頭竜のナゾ〟は〝小説〟の形をとらねば書けないのだろうか。「真実の報道」の形で、私はこの〝壁〟

に挑む決意を、いよいよ深くしたのだった。

すでに断片的に多く書かれ、小説としてまとめられている「九頭竜」ではあっても、これを十年という時の流れの中でその全貌を正確に記録し、報道することも必要である。

ことに、九頭竜で大きな比重を占める、池田首相夫人満枝さんの入札問題での〝活躍〟を、清水建設の幹部がウッカリ洩らしてしまったという「事実」さえ出ているではないか。完全犯罪でも、時間の経過が思わぬ過失を招くものだ。まして、利害の変転や、関係者の力の転移は、時間の経過とともに動くのだから、取材はある場合には容易になってくる。

緒方克行氏が、その決意を固めたのも、時間の経過が一番大きな原因であろう。そして、私はこのキャンペーンで、究明されなければならない問題点の主なものへの、疑問の提起をしようと思う。

現実の調査と取材とは、まだまだこれからの長い時間を必要とするだろう。

【疑問】

その一、計画変更の経緯 電発と北陸電力との竸願はなぜか。電発に決った時、なぜ水路が遠くなり発電力が落ちたのか。土建業者とのクサレ縁はないのか。

その二、不正入札 土建業者の談合は? クチバシを入れた政治家夫人はいないか。

その三、人事問題 藤井総裁実現のため誰と誰が動いたか、エンギをかついだ末広がりの八千万円の金は誰の手に?

藤山愛一郎をめぐる閨閥
元資生堂社長 福原有信 元東洋電気取締役 松本信太郎 美誉子
中上川彦次郎 カツ
藤山雷太 み禰
元日本陶器会長 広瀬実光 広瀬治郎 桜子
元外相 藤山愛一郎 久子
参議院議員 中上川あき
大日本製糖社長 藤山勝彦 茂子
元日本金銭登録機社長 藤山照彦
日本NCR副社長 田中元彦
元日東化学副社長 藤山洋吉 しま

黒幕・政商たち p.105 藤山愛一郎をめぐる閨閥
黒幕・政商たち p.105 藤山愛一郎をめぐる閨閥

黒幕・政商たち p.106-107 日本産銅の両鉱区は水没する

黒幕・政商たち p.106-107 そのスッタモンダの最中の三十六年ごろ、緒方は赤坂で地元代議士の福田に会見した。「巌洞鉱山なんて知らない」と開口一番、福田はいった。
黒幕・政商たち p.106-107 そのスッタモンダの最中の三十六年ごろ、緒方は赤坂で地元代議士の福田に会見した。「巌洞鉱山なんて知らない」と開口一番、福田はいった。

現実の調査と取材とは、まだまだこれからの長い時間を必要とするだろう。

【疑問】

その一、計画変更の経緯 電発と北陸電力との竸願はなぜか。電発に決った時、なぜ水路が遠くなり発電力が落ちたのか。土建業者とのクサレ縁はないのか。

その二、不正入札 土建業者の談合は? クチバシを入れた政治家夫人はいないか。

その三、人事問題 藤井総裁実現のため誰と誰が動いたか、エンギをかついだ末広がりの八千万円の金は誰の手に?

その四、ナゾの死 中林、倉地両氏の死にいたるまでのナゾ。

その五、利権代議士 その名は? 計画変更や不正入札に暗躍した奴はいないか?

その六、補償 池原ダム汚職の金の動きこそ、補償問題の典型である。ここにも、代議士が登場する。

今、彼は東京駅前、郵船ビル六階にある株式会社「シリカ」の社長室で、静かに選挙戦のあとをふり返ってみる。侯補者からようやくシリカ社長にもどった彼の、脳裡に去来するものは、九頭竜ダムのため、悲運に傾いた会社の十年の苦闘と、現実に味わった〝民主政治の選挙〟の苦杯。——その中から、彼は、ふたたび新たな闘志を、湧き立たせてくれたものを感じていた。

「現状の打破です。現代官僚権力政治は、法律さえ守れば道義も道徳も顧みない。責任はとらない。今日の経済の繁栄は自民党官権政治のおかげだとうそぶく。こうした連中を叩きつぶさねば、明日の日本はどうなります!」こうして彼は驚くべき〝政治の恥部〟について語り出した。

右翼の巨頭乗りだす

九頭竜ダムの水没地点付近に、昭和十五年から操業している日本産銅という鉱山会社があった。同社巌洞鉱業所の巌洞鉱区と長野鉱区である。もちろん上場会社だった。

戦後の混乱期がすぎて二十六年同鉱業所を再開し、同時に設備の拡張合理化(日産一〇〇トン処理採掘選鉱設備)を目指して操業兼建設を始めた。

そこに昭和三十三年になって、電発が〝日本最後の大ダム工事〟という九頭竜ダムの計画も具体化してきた。電発案によれば、この日本産銅の両鉱区は水没する——そして電発側から同社に、「貴社の協力がなければこの計画が実現できない。国家的見地からぜひご協力願いたい。当然補償は着工前にいたしますから」という、協力要請さえもあった。

日本産銅としては昭和三十六年完成の予定で、通産省より開銀融資の推薦をうけ、同鉱業所の設備を一新する計画が進んでいたが、この〝要請〟から計画を変更して翌三十四年、電発への協力を株主総会で決定、鉱区は休山することとなった。だが、北陸電力が竸願したことから、九頭竜ダム計画は二転、三転、日本産銅は宙ブラリンのまま放出されてしまった。

「国家的意義のある建設工事と思えばこそ、進んで協力したのに政治家にとってはダム工事も単なる利権にすぎない。彼らの利権争いが、竸願、計画変更といった現象を生みだすのだ」

緒方はこうきめつける。

そのスッタモンダの最中の三十六年ごろ、緒方は赤坂で地元代議士の福田に会見した。 「巌洞鉱山なんて知らない」と開口一番、福田はいった。しかも時間がたってから、「お前のところは二十億もの補償を要求しているそうだナ」

黒幕・政商たち p.108-109 人を介して児玉誉士夫にあった

黒幕・政商たち p.108-109 緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる
黒幕・政商たち p.108-109 緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる

そのスッタモンダの最中の三十六年ごろ、緒方は赤坂で地元代議士の福田に会見した。

「巌洞鉱山なんて知らない」と開口一番、福田はいった。しかも時間がたってから、「お前のところは二十億もの補償を要求しているそうだナ」

高飛車にこういわれて、緒方は福田の行動に疑問を感じた。

福田は「九頭竜ダム」には自民党北陸開発委員として、あらゆる面で関係していたし、当時通産省公益事業局(局長大堀弘)ではダム計画は相当に福田の圧力をうけていたとみていた。

三十八年春、休山したままの日本産銅は、力つきて株式会社シリカ(資本金二億五千万円)に吸収合併された。緒方謙吉(克行の父)は引退し、緒方がシリカの社長となった。三十九年春、シリカは電発に対し長野鉱区一・四億、巌洞鉱区四億、計五・四億の補償を要求した。前年暮に、九頭竜ダムは電発がやることに決ったが、計画は変更され、巌洞鉱業所の水没部分は、はじめの要請時よりも減っていた。

そして、電発がシリカ(日本産銅時代をも通して)の補償問題に全くとりあってくれないため、三十九年一月、緒方は大野伴睦を訪れて陳情した。大野は納得して子分の村上勇にいいつけ、電発の藤井総裁を呼びつけた。その〝実力〟ぶりをみて彼は問題解決を期待したが、大野はまもなく死去した。

大野が藤井総裁を呼びつけた二カ月後、シリカは正式に五・四億の補償を要求、さらに四カ月後の三十九年七月、電発との間にはじめて折衝が行なわれた。

「電発を交渉のテーブルにつかせてくれたのは、大野の力と村上勇の努力だと思う」と緒方は回顧する。テーブルにはついたが、電発は数字を示さない。時は流れてゆく。緒方は苦慮

して、人を介して児玉誉士夫にあった。

緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる、経済記者は電発大堀副総裁工作をする、と役がふられた。

のちに緒方が内幕話をきいてみると、中曾根康弘は大堀にあい、大堀から緒方の悪口をきかされるや、「アレはダメだ」と児玉に復命したが、児玉に「オレは緒方が正しい主張をしていると思う。大体電発は官僚的で怪しからん会社だ。もう一度検討してやってみてくれ」とハッパをかけられて、ようやく本気で動きだした。

電発工作資金に一千万円

三十九年十二月二十日すぎ、児玉から緒方のもとに「補償はとってやる。資金一千万円を持ってこい」と連絡があった。押しつまっての現金一千万円の工面に緒方は泣いた。二十七日に、児玉の家にとどけにゆくと、二人の記者が坐っていた。児玉は現金をかぞえてからいった。

「この中の三百万は、この男(政治記者を示し)の関係している出版社の株代金にするぞ」

緒方は児玉の堂々たる事務処理に感嘆しながら、ハイと答えた。「き誉ほうへんは別として

やはり魅力ある人物ですナ」緒方は金の工面の苦しさも忘れ、大船にのった安堵をおぼえたという。

黒幕・政商たち p.110-111 緒方は不吉な予感を覚えた

黒幕・政商たち p.110-111 「河野が死んで、オレも忙しくなった。ついては例の件は忙しくてやれないから断わるよ」児玉は拓銀の帯封のピン札を一千万円、押しやりながらこう緒方にいった。
黒幕・政商たち p.110-111 「河野が死んで、オレも忙しくなった。ついては例の件は忙しくてやれないから断わるよ」児玉は拓銀の帯封のピン札を一千万円、押しやりながらこう緒方にいった。

児玉は現金をかぞえてからいった。

「この中の三百万は、この男(政治記者を示し)の関係している出版社の株代金にするぞ」

緒方は児玉の堂々たる事務処理に感嘆しながら、ハイと答えた。「き誉ほうへんは別として

やはり魅力ある人物ですナ」緒方は金の工面の苦しさも忘れ、大船にのった安堵をおぼえたという。

年があけた。三月になって、経済記者から「大堀副総裁によばれ電発はほば要求額を支払うことになった。ついては、技術的な問題だが、長野鉱区の鑑定書の数字を水増ししてもらいたい」という連絡が入り、ついで児玉からも、「電発の内部調整のため、お盆がすぎたら、要求通り支払がある」と、正式な連絡があった。

この返事をきいて、緒方は感慨無量であった。晩年の父が我が子さながらの日本産銅から冷たく放逐された原因であり、経歴ある実業家が六年の歳月を費やしても、一顧だにされなかった補償交渉が、一私人の指揮で新聞記者が走りまわれば、数カ月で解決する——五・四億の大金も、経費をさし引き、株主に分配すれば、緒方には幾ばくも残らない。

「しかし、これでいいんだ。日本産銅の数百の株主に対し、その債権、債務を継承したシリカ社長として、オレは十分責任を果したのだ」緒方はそう自分にいいきかせた。だが、シリカ社長は納得できても、緒方個人は釈然としなかった。

「これが、日本の政治の現実なのか!」肩の重荷を下ろした喜びと、現実直視の苦しみの、混乱した日がすぎて、ある日、テレビニュースが、河野一郎の急逝を告げた。

その瞬間、緒方は不吉な予感を覚えたという。

四十年七月二十六日(河野の死後十八日目)、緒方は呼ばれて児玉家へやってきた。中曾根康弘と経済記者が同席していた。

「河野が死んで、オレも忙しくなった。ついては例の件は忙しくてやれないから断わるよ」児玉は拓銀の帯封のピン札を一千万円、押しやりながらこう緒方にいった。「中曾根康弘は、腕組みしたまま天井をみつめ、私の方を見ませんでした」不吉な予感は的中した。河野の突然の死が、こんな形で影響してくるとは——

これも〝政治の現実〟であった。

河野の死の前、四十年四月に電発の用地担当理事は石井に代っていた。呆然自失の数カ月がすぎた。緒方には大堀副総裁が憎かった。親密な経済記者を通して、補償を認めるといいながら、河野という重石がなくなるとヒョウ変するとは——

緒方は泣くに泣けなかった。記者を通しての大堀の返事には、何の証拠もない。児玉だって、一銭もとったわけではなし、〝お願い〟を〝断わられ〟たのだから、どうしようもないのだ。その上、とんでもないオトシ穴さえ掘られていたのに、気付いたのは後になってからであった。

その年の春、ようやく気力を回復した緒方は、山梨の田辺国男に会った機会に、この驚くべき〝現実〟について語った。

黒幕・政商たち p.112-113 親分の川島正次郎に話して

黒幕・政商たち p.112-113 そして、第三回目に自宅を訪ねた時、緒方と対談中の田中角栄に、「御挨拶だけ……」といいながら、一人の男が部屋に入ってきた。
黒幕・政商たち p.112-113 そして、第三回目に自宅を訪ねた時、緒方と対談中の田中角栄に、「御挨拶だけ……」といいながら、一人の男が部屋に入ってきた。

その年の春、ようやく気力を回復した緒方は、山梨の田辺国男に会った機会に、この驚くべき〝現実〟について語った。

緒方に同情した田辺国男は、「親分の川島正次郎に話して、決算委でとりあげてやろう」といってくれた。田辺国男から話をきいた川島正次郎は、村上勇と相談して、四十一年四月六日、永田町のグランド・ホテルに、大堀副総裁を呼んだ。村上勇の話では、「川島正次郎副総裁が、大堀に直か談判して、その場で話をつけてくれるそうだ」という。緒方は別室で待っていたが、ホテルにやってきたのは、大堀ではなく石井理事であった。

やがて、石井は帰り、村上勇と田辺国男が緒方のもとにやってきた。田辺国男は興奮して「石井の奴ケシカラン」というのを、村上勇が押えて、「川島正次郎副総裁が『オレにまかせろ』というのだから、この際黙っていろ」という。

田中角栄先生の意外な一面

「川島正次郎自民党副総裁の呼び出しに部下のチンピラを代理に出す——こんな失礼な態度を大堀ごときに取れるものですか。当日前に、なんらかの形での川島正次郎、大堀両者間の取引、といって悪ければ、了解がついていたに違いない。でなければ川島は大堀にナメられたことになる」その後、川島からは何の連絡もなかった。

緒方は伝手を求めて、時の幹事長田中角栄に会いにいった。シリカ社長としての陳情もさることながら、この時点では、緒方個人として、田中角栄がどうでるかの興味も大きなものにな

っていた。

自宅を訪れると、田中角栄は気さくに会ってくれた。話をきいて彼は即座につぶやいた。

「九頭竜か、困ったナ」第一回はそれで終った。

次に書類をとどけた時、田中角栄は良く話をきいてくれた。

「ナニ? その用地担当理事は何という男だ? 石井? 知らん奴だ」田中角栄は石井について反問さえしたのだった。そして、第三回目に自宅を訪ねた時、緒方と対談中の田中角栄に、

「御挨拶だけ……」といいながら、一人の男が部屋に入ってきた。

「先生、ありがとうございました。おかげをもちまして、電発の石井さんにおめにかかり、契約を頂いてきました」田中角栄は「そうか、そうか」といって、その男の話を早く打切らせようとした。だが、緒方はすでに〝電発の石井〟の名をききとっていた。

「田中角栄は、はじめ石井の名前を知らなかった。それなのに部屋に入ってきた男の挨拶では、田中角栄の紹介で石井を訪ね、契約をもらってきたという。田中角栄の前を辞してから、室外の秘書にきくと挨拶にきた男は、新潟県人で保険会社の重役だという。これでは邪推したくなるというものだ。田中角栄は補償の件で石井理事に連絡して、彼を相知った。石井は、『緒方はインチキな男だ』というに決っている。そして、田中角栄は同県人を紹介し、石井は田中角栄のカオを立てて電発の保険を契約してやる。こんな推理は、失敬極まりないかもしら

んが、それが人情というものではないだろうか。そして人情の機微をいたわるのが、政治の妙諦というものではなかろうか」

緒方はついに政治家遍歴をあきらめた。

黒幕・政商たち p.114-115 水増書類を証拠にするアクラツさ

黒幕・政商たち p.114-115 さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。
黒幕・政商たち p.114-115 さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。

田中角栄は補償の件で石井理事に連絡して、彼を相知った。石井は、『緒方はインチキな男だ』というに決っている。そして、田中角栄は同県人を紹介し、石井は田中角栄のカオを立てて電発の保険を契約してやる。こんな推理は、失敬極まりないかもしら

んが、それが人情というものではないだろうか。そして人情の機微をいたわるのが、政治の妙諦というものではなかろうか」

緒方はついに政治家遍歴をあきらめた。彼が慶応で政治学を学んだのは、もうずいぶん昔のことになる。しかし、彼が現実にみた〝政治〟の姿は、あまりにも学問とはカケ離れすぎていた。彼は失望した。

さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。これを逆手にとって、電発は「緒方はこの通りインチキ野郎だ」という証拠にしたほどのアクラツさだった。

その年、つまり四十二年暮、電発から正式に補償案が示された。いわく、長野鉱区に対し一千二百万円、協力費として一千万円、合計二千二百万円也。彼が三年前に示したのは、五億四千万円であった。

「私はどの政治家にも一銭の現金も出していない。会談の時の食事代くらいしか払っていない。金を出していないからこそ、私の〝政治家の調停依頼〟は、ヤミ取引ではないといえるのだ。そしてあるいはそれだから、まとまらなかったともいえよう。もし、私が金銭で政治家を利用しようとしたのなら、彼らと一つ穴のムジナでこのような話をする資格はないのだ。結論すると、正しい意味での純粋な『政治調停』は、日本の現状にないということだ。

そしていかに正論をはき、それをまた民衆に訴えても、時の権力にいとも簡単に押しツブされてしまうものであるのだ。すべて、私利私欲であり、ギブ・アンド・テイクである」

緒方は紛争の一切を四十年七月に、「工事停止の仮処分」で法廷に移した。そこにニュースが入った。九頭竜の残存部落の補償問題だ。部落側は四億五千万円を要求し、電発は五千万と回答、対立していたのだが、福井県知事の調停で急転直下解決し、電発は四億一千三百万円を支払った。電発が世銀借款の条件である水利権を得るため、水利権者である知事のカオをたてたのだ。

おりから、総選挙の立候補締切日であった。緒方は徒手空拳のまま立った。

そして、敗れた。

でも、彼は屈しない。理想主義にもえて、政界のゆがみをただす一粒の麦になろうとしているのだ。

食いちがう意見

緒方克行氏はいう。

「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、

私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」

黒幕・政商たち p.116-117 児玉家で会ったのは事実だ

黒幕・政商たち p.116-117 「緒方という人に会った記憶はない。電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった」
黒幕・政商たち p.116-117 「緒方という人に会った記憶はない。電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった」

緒方克行氏はいう。

「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、

私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」

これに対し中曾根康弘氏は

「緒方という人に会った記憶はない。児玉さんの家に行ったことはある。児玉さんに頼まれて、電発の補償のことを調べたことは記憶している。しかし、電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった。また、この問題に深入りすると傷つく、やめろと忠告する人もあり、私はすぐ手を引いた」

だが緒方氏は話す。

「政治記者の話からも、私と中曾根さんが児玉家で会ったのは事実だ。相手は顔の知れる人だし、名刺を交換しなくとも初対面の挨拶ぐらいできる。第一、『緒方に会った〝記憶〟がない』といっているので、『会ったことはない』とはいっていないではないか。いま、清潔ムードで売出し中なので、児玉さんに使われて走ったり、利権に関係しているという印象をもたれたくないのでしょう」

そして、終りに「池原ダム」汚職のケースをつけ加えておかねばならない。

不発に終った「池原ダム」汚職

さる四十三年三月三十一日朝、奈良地検は東京都千代田区丸の内一の一、電源開発株式会社の本社事務所を収賄(経済関係罰則の整備に関する法律)の疑いで捜索、同社管財課長富樫貞夫の任意同行を求め取調べたのち逮捕した。

このように電発本社が家宅捜索をうけ、現職本社課長が逮捕されたというケースは、電発創設以来はじめてのことである。しかも、電発の補償をめぐっての、有利な取計いを期待しての贈収賄事件であるだけに、大きなニュース・ヴァリューがあると見られるのだが、大阪各紙が地元の事件として妥当な扱いをしたのに、なぜか、東京各紙の扱いは不当に小さく、ほとんど眼につかない扱いであった。

事件は昭和三十八年ごろ奈良県吉野郡下北山村地内に、電発が池原ダムを建設することになり、同村漁業協組が漁業補償をうけることになった。同協組はこの補償交渉を同村三尾真一村長に委任して電発との間に、昭和四十年十二月に一億一千三百万円で契約が成立した。

ところが、三尾村長と勝平敬一組合長の二人が共謀して、この補償金のうちから、当時、現場の用地課長であった富樫に四十万円、全国内水面漁業組合連合会長の重政誠之代議士に百万円、重政氏に紹介されて、交渉に当ってもらった、愛知県選出の上村千一郎代議士に五十万円

をそれぞれ勝手に支払った。

黒幕・政商たち p.118-119 富樫の単独犯と認定し逮捕

黒幕・政商たち p.118-119 「電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)
黒幕・政商たち p.118-119 「電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)

同協組はこの補償交渉を同村三尾真一村長に委任して電発との間に、昭和四十年十二月に一億一千三百万円で契約が成立した。

ところが、三尾村長と勝平敬一組合長の二人が共謀して、この補償金のうちから、当時、現場の用地課長であった富樫に四十万円、全国内水面漁業組合連合会長の重政誠之代議士に百万円、重政氏に紹介されて、交渉に当ってもらった、愛知県選出の上村千一郎代議士に五十万円

をそれぞれ勝手に支払った。

組合員が不明朗な経理の公開要求をしても両人は応じないので、同村監査委員ら十三氏が、両氏を背任容疑で、さる三月三日に告発したというもの。

告発を受理した奈良地検は、富田検事正以下六人という小世帯ながら、難藤、九谷両検事を事件専任にあて、鋭意内偵に努力した。この両検事と指揮官の小島次席らは〝奈良天誅組〟と呼ばれるほどの正義感にもえた捜査のヴェテランだが、約十名ほどの電発幹部を参考人として調べた結果、富樫の単独犯と認定して逮捕したもの。

重政代議士の容疑は「世話料としてうけた百万円を内水面連合会の帳簿に記入」しており、上林代議士の容疑は「弁護士の弁護料」とされて、捜査を打切らざるを得なかった、という。

「富樫は四十万円の収賄だけで起訴した。電発本社の捜索からは、検事として興味ある書類を入手できなかった。不正があれば、どこまでも追求する。残念ながら、池原ダム事件は単発モノで、これで終りだ」(難藤検事の話)

と、難藤検事は語っている。

第7章 幻のサイエンス・ランド

昭和四十二年。月刊現代七月号=日本万国博の知恵袋・小谷正一(梶山季之)。日本のディズニーといわれる、当代きってのアイデアマン、井上靖氏の出世作「闘牛」のモデルとしても知られる小谷氏は、現代最高のアイデアマンでもある。日本万国博では各方面からその行動が注目されている。

黒幕・政商たち p.120-121 この会社自体が〝政治問題化〟

黒幕・政商たち p.120-121 政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させた「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から解散までの問題点は、明らかにしておかねばならないのだ。
黒幕・政商たち p.120-121 政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させた「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から解散までの問題点は、明らかにしておかねばならないのだ。

総会屋が演出する華麗な舞台

一流財界人百名を動員

もう二年も前のこと——、誰にも祝福されずに生れた不義の子が、これまたソッと息を引き取ったというのに、墓を暴くようなこのテーマに、マユをひそめる向きは多いと思う。だが、マスコミに報じられることなく、政財官界のウラ側で、人々を一喜一憂させたこの「株式会社サイエンス・ランド」の、創立から、解散までの問題点は、やはり、誰かが明らかにしておかねばならないのだ。何故かならば……、

これほど、大義名分の立った立派な計画の詳細が、何故か、一度も活字にならなかったということは、そこに、何かの理由——圧力やモミケシなどの、公表できない問題がひそんでいるからだろう、と推理される点。

そして、スターとして舞台に登場した、百名もの〝一流財界人〟と、これを演出した人たちが、今の日本の、国のあり方に何かと影響力のある人物ばかり、という点。

このような理由で、私は、あえて、このテーマをえらんだ。

「青少年を取巻く社会的環境は、徒らなる亨楽本位の横行と、無責任な知識の撒布ばかりで科学或いは産業を、興趣深く体系的に学びとる施策は等閑視」されているので、「科学技術と産業の有機的関連を立体構成し、青少年の手でそれに触れ動かす実物教室と、健全かつ独創的な娯楽機関を配備し、家庭園遊のレジャー・ランドを形成」しよう(設立趣意書)というのが、この会社の事業内容である。当今流行の〝産学協同〟に、基本構想を求め、レジャーで大衆と結び、経営の基礎を得ようという、それこそ、立派なものである。

ところが、この会社は設立登記が終り、株式払込が完了して、一年も経っているというのに、まだ何の工事にも着手しなかった。イヤ、着手できないというのが正しい。その原因というのは、タダ一つ——この会社自体が〝政治問題化〟してしまったからである。

資本金十億円、建設予算二十二億三千二百万円といえば、大そうに聞えるが、今また問題となっている、東京第二空港に比べれば、政治問題としては、小指の先ほどのチッポケな問題である。それが、国会で取上げられ、〝政治問題化〟したというところに今の日本の社会構造——政治や経済のあり方がマザマザと浮び上ってくるのである。  

平たくいえば、ハハンとうなずける暗示が見えかくれしていて、青少年のための産学協同展示どころか、青壮年のための、政財官界早分りのパノラマとして、この会社は早くもその〝教育的効果〟を発揮していた。

黒幕・政商たち p.122-123 足立東商会頭、木川田東電社長

黒幕・政商たち p.122-123 「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。
黒幕・政商たち p.122-123 「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。

この会社が、当時〝玄人筋〟の注目を集めてきたというのは、他でもない。このほど、(四十年春)自民党田川誠一議員が、「国有財産の厳正な処分をのぞむ、サイエンス・ランドをめぐる諸問題」と題する、署名入りのA5判(月刊誌大)七十八頁に及ぶパンフレットを印刷して、報道関係その他へ配布したからである。

このパンフレットは、経過説明に十七頁、法律的問題点解説に七頁、資料五十頁という内容で、もちろん題名からいっても、サイエンス・ランド反対という、同議員の主張が山盛りになっている。資料篇中の国会議事録の写しなどは、三十九年四月の衆院決算委(五頁)、三十九年十二月の同地方行政委(二十五頁)における、田川議員のランド反対の質問振りが、あますところなく収録されているが、同議員の吊し上げに対する当局側、大蔵省政府委員のノラリクラリ答弁が出ているので、何か田川議員の一人角力の感じがしないでもない。

それというのも、田川議員のランド反対、イヤ、ランドの事業予定地である国有地払下げ反対論に対し、大蔵省側は、払下げを決めている訳でもないし、払下げ申請が出ている訳でもなし、何でそんなにリキムんですか、といわんばかりの馬耳東風、もしくはのれんに腕押しを眺めている、といった風情だからであろう。

ところが、このパンフレットには、体裁から内容にいたるまで、幾つかの問題点があるのが読む者をして、オヤと首を傾けさせ、ハハンとうなずかせるのである。それらの問題点はあと

にゆずって、まず、株式会社サイエンス・ランドについてみよう。

さきに〝玄人筋の間でにわかに注目〟と書いたのは、大衆の密着すべきレジャー企業にもかかわらず、不思議とこの会社のことは、一般の新聞雑誌に書き立てられない。しかも田川議員が国会であれほど問題にしているにもかかわらず、新聞は書かないのである。だから、大衆にとっては、〝注目〟することができず、〝玄人筋〟だけがみつめている、ということになる。

何故、新聞雑誌が書かないかという説明も田川パンフレットに関係してくるので、これもあとにゆずるが、一般のマスコミが取上げなかったというのは、正確ではない。田川議員が反対運動をはじめてからは取上げていない、というべきか、或は、田川議員の反対運動を取上げなかった、というべきである。

というのは、ランドの企画が発表されてからは数誌がその記事を書いている。例えば、アサヒ芸能誌(39・5・3号)は「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」として、この会社の〝氏素姓〟に焦点を合せている。事実、当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。

会社が発行した三種類のリーフレットがある。

第一回目は、三十九年二月五日現在として、サイエンス・ランド設立委員会名儀のものだ。この五色刷り、厚手アート紙のリーフレットをひろげてみると、それこそ、五色刷りも顔

負けのけんらん豪華さ——発起人御芳名として、足立正東商会頭から、木川田一隆東電社長にいたるまで、実に八十七名にも及ぶ一流財界人の名前が、目白押しに並んでいる。

黒幕・政商たち p.124-125 神奈川県知事・内山岩太郎

黒幕・政商たち p.124-125 〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏。氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」
黒幕・政商たち p.124-125 〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏。氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」

第一回目は、三十九年二月五日現在として、サイエンス・ランド設立委員会名儀のものだ。この五色刷り、厚手アート紙のリーフレットをひろげてみると、それこそ、五色刷りも顔

負けのけんらん豪華さ——発起人御芳名として、足立正東商会頭から、木川田一隆東電社長にいたるまで、実に八十七名にも及ぶ一流財界人の名前が、目白押しに並んでいる。

経済誌社長の肩書

第二回は、それより九日後の同年二月十四日現在、名儀も進捗して、サイエンス・ランド創立事務所となり、御芳名も前回の順不同とは変って、御署名順となっている。ここでオカシイのは、署名順でありながら、前回連名に見当らない、「神奈川県知事・内山岩太郎」の名が、勿然と躍り出て第一行目に位置している。第二番足立会頭から、順序は前回と同じく、木川田一隆社長まできて、さらに五島昇東急社長ら七氏が加わり、合計九十四名という圧巻。

仔細に名簿を調べると、前回名簿の中程に位置していた、中司清鐘化社長が抜けており、その代りに内山知事がふえているので、九十四名になる。まさか、中司社長が内山知事のミス・プリントだとはいえまいから、この辺にランド側の浅智恵が覗かれるのだが、末尾には、会社側の役員予定者とみられる、肩書のない山村鉄男、小谷正一、御喜家康正の三氏が控えている。後に問題となってくるのがこのリーフレットである。

さらに第三回、同年四月七日現在となると名儀は「株式会社サイエンス・ランド」となり、創立完了を示し、発起人御芳名は第二回と同名同順の上に、またまた、堀江董雄東銀頭取ら五

氏が新加入、実に九十九名となったのだが、筆頭発起人の内山知事の名前の上には、サッと黒一筋、その名を抹消しているので、実員九十八名。まさに〝赤穂浪士〟以上の豪華キャストである。末尾三氏もまた前回と同じで、印刷されていないその肩書をみてみると、山村氏は日銀理事、小谷氏は電通社長室顧問、御喜家氏は経済雑誌「評」発行所「評論新社」社長とある。

さきに紹介したアサヒ芸能誌のいう〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏のことである。同誌記事によると、氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」だとしてその時代における一流財界人接近の手口を説明し、この九十八名もまた、このような手口で動員したのだといわんばかりに、見出しに〝総なめ〟などと入れている。

NHKの赤穂浪士が、そのスター動員力を誇示したドラマであったがために、何かと話題になったのと同様に、御喜家氏の科学遊園地計画もまた、財界スター動員力を誇示したがために、話題になると同時に、各種の妨害をも誘起したのであった。

しかも、この計画が、ランドの建設予定地として、十分に話のついていない、神奈川県辻堂海岸の旧海軍演習場跡の、約六万坪をあて、それを印刷物にまで刷りこんだのだからモメるのも当然であろう。

黒幕・政商たち p.126-127 田川議員は反対ののろしを上げた

黒幕・政商たち p.126-127 「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進する」
黒幕・政商たち p.126-127 「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進する」

眠れる湘南の砂丘6万坪

三十九年二月五日現在の第一回印刷物、九日後の内山知事を加えた第二回、そして、三月三日の創立総会を経て、株式代金払込期限の四月六日翌日現在の第三回目まで、僅かこの三枚のリーフレットが、ランド側の思い上りと、それをめぐる騒然たる物情とを、雄弁に物語るのだから面白い。

企画の公表と同時に、御喜家氏は〝怪文書〟の渦に包まれた。氏の〝財界人動員力〟をねたみ、羡しがり、他人の出世や成功を憎む、そんな下品な奴は、どこの社会にもゴロゴロしているものである。もちろん、彼の過去に、意識するとしないに拘らず、多くの敵をつくったこともあるだろう。

モメはじめると、〝金持ケンカせず〟の原則により、名を並ねた財界人たちの間に不安が起り、株式代金の払込は、遅々として進まなかった。第一期払込みの百万株に対し、半分弱の四十二万九千五百株しか集まらなかった。

締切日の翌四月七日、田川議員は衆院決算委で、大蔵省江守管財局長に、この辻堂海岸の国有地六万坪に関して、内山知事が同社の発起人である事実を示して、いうなればヤミ取引をし

ているのではないかという、大義名分の通った、ランド反対ののろしを上げたのである。

単なる事実の羅列にすぎたので、解説を加えねばならない。

まず、辻堂海岸六万坪の土地の件である。旧海軍演習場であったこの一帯約二十八万坪の砂丘は、戦後、米軍演習場に接収された後に、三十四年解除となった。すると、各方面から貸付けやら、払下げやらの申請が出てきたので、大蔵省は諮問機関である国有財産関東地方審議会に諮った結果、三十五年十一月に処分を決定した。

住宅公団(五万坪)、汚水処理場(三万坪)、相模工業学園(三万坪)、公務員住宅(一万坪)、学校用地(二カ所二万坪)、国道、砂防林、街路など(七万坪)と、問題の県立公園(六万坪)、という内容で、ランドはこの県立公園分を予定している。

公園を除いた他の土地は、処分が決まると早速事業を進行しはじめたのだが、神奈川県だけは、何故か国との契約すら結ばないで、そのまま放置していた。大蔵省の催促に対して、県は三十九年三月十六日付の文書で、「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進するから宜しく。無償貸付の申請書は当方の趣旨を認めてくれた後に取下げる」(要旨)という、内山知事名の返事を、実に三年四カ月振りに出したものだ。

大蔵省の厳しい催促状が、県へ出されたのが一月七日、ランドの第二次リーフレットに知事

の名前ののったのが二月十四日、そしてこの返事が、創立総会後の三月十六日というこの日程も見逃せない事実である。

黒幕・政商たち p.128-129 河野・田川対内山・戸川父子

黒幕・政商たち p.128-129 自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、若宮小太郎氏を対立候補として出馬させた。
黒幕・政商たち p.128-129 自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、若宮小太郎氏を対立候補として出馬させた。

大蔵省の厳しい催促状が、県へ出されたのが一月七日、ランドの第二次リーフレットに知事

の名前ののったのが二月十四日、そしてこの返事が、創立総会後の三月十六日というこの日程も見逃せない事実である。

では、内山知事を取巻く客観的事実をみてみよう。前々回の知事選には、氏は五選出馬で反響を呼んだ。五選出馬といえば県立公園計画による、六万坪無償貸付を申請した時も、もちろん知事だ。そして、五選出馬は自民党の分裂をもひき起したのだった。

当時の自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、朝日政治部記者から鳩山首相秘書官となり、当時ラジオ関東常務だった若宮小太郎氏を、内山知事の対立候補として出馬させた。当時の自民党県連会長は、藤山愛一郎氏(一区選出)であり、河野氏の地元である平塚市は、反対派である戸川貞雄市長ときては、県政、市政県連と、すべてを反対派に占められて、中央でこそ実力者であっても、地元では実力を発揮できない状態だったので、河野氏としてはどうしても内山知事を阻止したかったのであろう。

いうなれば、反党行動の最たる横車を押しての、若宮候補担ぎ出しであったから、党実力者同士のこの正面切っての対立抗争は、県議会にまで及んで、県自民党は、河野派二十二、反河野派十七、中間派三という形に分裂してしまった。従って、両候補とも党公認がとれず、保守系無所属としての一騎討ちとなったが、内山候補が現職の強味を発揮して、五選をかち得たと

いう過去の事実がある。

田川議員は二区選出、神奈川新聞記者から河野派として横須賀市を地元に、河野氏の実妹の甥という関係で、なかなかの実力派。

しかも、国有地の払下げ問題に関しては、研究と調査とに実績を持っている。先年も、油壺付近の景勝地が、映画俳優や有名人の別荘地として、タダ同様に貸付けられている事実を取上げたり、川崎市の東部六十二部隊跡が、警察関係に安く払い下げられたり、転売されたりしている点に、警告を発したりしている、国有地払下げ問題のオーソリティである。だが、その実績も、地元である追浜飛行場跡を自ら音頭をとって民間の営利企業に払下げさせた経験から、そうなったのだという批判もある。

怪文書と人身攻撃

先に〝総会屋〟の前身を持ち、現在、経済雑誌社長として紹介した、御喜家氏のもう一つの肩書も重要である。「国民の政治的理解が浅く、政治的民度が低いから、それを高めるため、政財界と国民を媒介する『国民政治経済研究会』を、三十五年六月、安保騒動の渦中に創設」(前出アサヒ芸能誌)して、その専務理事ということである。政治評論家の藤原弘達、戸川猪佐武氏らも、評議員としてその研究会に名を並ねている。

黒幕・政商たち p.130-131 戸川貞雄氏は身を退いた

黒幕・政商たち p.130-131 内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうとする
黒幕・政商たち p.130-131 内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうとする

政治評論家の藤原弘達、戸川猪佐武氏らも、評議員としてその研究会に名を並ねている。

「戸川猪佐武氏は、読売政治部記者から、政治評論家となり、さきの選挙に神奈川三区から出馬して、落選こそしたが、得票は二万弱で、初出馬以上の実力をみせた人物。実弟雄次郎氏は、読売社会部記者時代、芥川賞を得て、作家菊村到に転身し、作家出身の政治家として有名な戸川貞雄氏を父に持っていることは、すでに世間に知られている」

ここまで記述すれば、もはやすべては明らかとなってしまう〝人間関係〟である。田川パンフレット第七頁には、こう書かれている。「しかし、神奈川県は申請通りの県立公園を造る意思がなく、元知事秘書上妻某、戸川某氏らのあっ旋によって、国民政治会専務理事御喜家康正氏の計画しつつあった、株式会社サイエンス・ランドに、この土地を譲る方針を固めつつありました」

この文中に、戸川某氏と指さされているのが、猪佐武氏であることは明らかである。そして猪佐武氏の父貞雄氏も、ランド計画に参画しており、同社の役員予定に列していたのだが、流説によれば、田川議員が「戸川如きが役員に入っているような会社など、応援できるものか」と、罵ったと伝えられるに及んで戸川氏は摩擦をさけるため、身を退いたのであった。

戸川貞夫、猪佐武父子は、河野一郎氏とその政治的同志たちの、政敵である。それだからこそ、リーフレット上にも現れなかった戸川貞夫氏の名前は、まずこうしてランド計画から消え去った。御喜家氏に対する、怪文書という卑怯な人身攻撃につづく、ランドの生まれ出づる悩み

の一つである。

二月十四日付リーフレットで、御署名順の筆頭発起人として、見えすいた登場をしてきた内山知事へも、〝政敵〟たちの風当りは強かった。田川パンフレット第八頁「とくに内山知事は、自分が払下げの申請を行い、自分が関東地方審議会臨事委員として、払下げの審議に参加し、さらに株式会社の設立発起人筆頭となって、特別な契約を結ぼうと努力するなど、奇怪な行動をとっています」と、攻撃され、さらに、四月七日の決算委の質問中でも「そういうことで、県が申請をしつつあるというときに、知事さんが別の会社の発起人になっておるというところに、地方制度からみて、地方自治からみて、少しおかしいものがあるのじゃないかと、私ども思うわけです」と、追及されているほどだ。

これは正論である。御喜家—戸川(猪)—戸川(貞)—内山という、ヒューマンリレイションズが読めた以上、内山知事の県立公園からランドへの転身声明(三月十六日付県公文書)からいっても、内山知事の名を筆頭発起人として印刷するのでは、ランド側の無神経で粗雑な頭脳がうかがわれて、これでは果して、青少年の科学教育の振興という大義名分を、国有地六万坪の名儀を書き換えて、開園にこぎつける日まで、持ち続けることが出来るのだろうかと、疑念も湧くというものである。身障児の治療センターにと払下げられたら、豪華なマンションになったというケースが、問題になったのも最近の例である。

黒幕・政商たち p.132-133 明らかに河野派の妨害

黒幕・政商たち p.132-133 社長となった市村清リコー社長は、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです」と
黒幕・政商たち p.132-133 社長となった市村清リコー社長は、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです」と

トカゲが尾を断ち切って逃げのびるように会社は内山知事を発起人から消した。そればかりではない。ランドの四面楚歌ぶりに驚いたのか、会社リーフレットに、社長予定者として名を出していた、日銀理事の山村鉄男氏は一足先に、東洋観光社長に就任して、これまた去った。

高級官僚という〝難物〟

河野派の牛耳る県議会もまた、ランド反対、内山知事弾劾の動きを見せ、県会議長小川要の名前で、県理事者へ意見書が出された。

「県は当初の計画通り、公園の具体化をはかれ。知事が営利を目的とするランドの発起人に参画している事実は理解に苦しむ。善処を要望する」と。

四月七日の総会の席上、御喜家氏は「土地問題が解決せず、会社が流産したら、払込金には銀行利子をつけてかえす。会社経費は自分と小谷氏名儀の三千万円で賄い、株式代金には手をつけない」旨を声明し、これを個人的念書として株主に出した。反対派からは出来ない会社を作って金を集めたのはサギだ、株式払込金を使えば背任横領だ、捜査二課が内偵している、と、株主たちを不安がらせる〝風聞〟が流されているのに応えたものである。

山村氏に代って、社長となった市村清リコー社長は、このような事態に対し、「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつか

ぬ汚点を残すことになります……。私は義憤を感ずるのです。いかなる迫害、妨害にもめげず、私は断乎やり通すことを、ここに誓約いたします」と、悲壮とも、ごう慢とも取れる挨拶を行って、その決意を語ったほどである。

だが、市村社長の決意にもかかわらず、一流財界人九十八名発起にかかるランド計画は全く〝一部の妨害〟によって、フン詰りの状態になってしまった。進むも退くもならないのである。ということは、この九十八名の連名には、みんなの意思統一による「財界」という形での、ランド建設計画ではなく顔見世興行的な、個人参加の形での財界スターのオールスター・キャストであったから、ジャーナリスティックなけんらん豪華にすぎないのであって、大向うをわかせることはできても感銘を与える芝居にはならないのであった。

つまり、〝鬼面人を驚かす〟態のハッタリにすぎないことが、政界、官界ともに見すかされていたのである。政治家や大蔵省の高級官僚たちの受ける印象からいえば、単なる財界個人の〝個〟の圧力しかなく、しかもそれが、連名によって九十八分の一に弱められているのである。それに加えて、御喜家氏への風当りが強く、そうまでされると、財界人たちが躍らされているといった感じも伴い、いよいよランド支持の魅力を失ってしまうのである。

市村氏のいう一部の妨害とは、明らかに河野派の妨害であり、それは当然、親方河野一郎氏の了解、もしくは指示によると解されるのだから、尚更のことである。「力は正義なり」方式

で、河野氏の実力振りになびかざるを得なくなる。

黒幕・政商たち p.134-135 〝政治問題化〟を図る田川議員

黒幕・政商たち p.134-135 この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせた
黒幕・政商たち p.134-135 この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせた

市村氏のいう一部の妨害とは、明らかに河野派の妨害であり、それは当然、親方河野一郎氏の了解、もしくは指示によると解されるのだから、尚更のことである。「力は正義なり」方式

で、河野氏の実力振りになびかざるを得なくなる。

それは、四月七日の決算委における、大蔵省江守管財局長の答弁によく現れている。サイエンス・ランドなどは、今の行政手続上の段階では、全く関係がありません、という冷たい態度でありながら、速記録をよく読んでみると、その行間には、「困るなァ、ランドも。こんなにモメないよう、ウマクやってから大蔵省に持ってきてくれなくては! 政治力がなさすぎるよ!」と、舌打ちでも出そうな感じが、読み取れるのである。

それはともかくとして、県会は三月二十五~七日の常任建設委の審議から、さらに本会議に持ちこみ、ランド反対、公園促進、知事の善処という、意見書の決定まで行い、このような地方議会での余勢を駆って、地方での〝政治問題化〟から中央での〝政治問題化〟を図る田川議員の質問になったのであった。〝政治の問題化〟したということは、もはや〝政治的解決〟を図る以外、打開の途がないということである。それには、一番手ッ取り早い「金」もあろうし、「物々交換」もあろうし、「利権」も「選挙」もあろう。伴睦流の「足して二で割る」もある。いずれにせよ三十九年の四月上旬で、株式会社サイエンス・ランドは、こうして、完全に行き詰ってしまったのである。

ここまでの段階を、時間的にみれば、計画の具体化から僅か数カ月である。御喜家氏によれば、「案がまとまったのが二年ほど前、三十八年九月から会社廻りをはじめて、翌年の二月に

ようやく百社の賛成を得ました」(前出アサヒ芸能誌)というが、百社のスター・キャストは組めたが、肝心の地元政界の政情分析から、中央政界への関連性など、さらには官僚研究など、重要課題を全く無視しているのであるから、氏の前歴その他がうんぬんされるのも無理はない。

かりそめにも、今日の日本の社会構造で、億単位の事業をしようというのに、政、官界の研究なしにスタートするというのは、暴虎馮河の勇、ことにその事業の舞台に、六万坪の国有地を想定するにいたっては、もはや言を俟たないところである。

もっとも、この辻堂演習地については、接収解除に努力した内山知事の、その努力による自負から、自分の胸先三寸で何とでもなるといった官僚に良くみられる国有財産の私物視が、会社側の判断を狂わせたと、みられるフシがないでもない。

それは、県立公園という名目で、六万坪だけ確保しておき、何かウマイ話に使ってやろうという、知事のハラも読めるようである。ランド計画は二年前(御喜家氏)というし、三年四カ月の間大蔵省へはナシのつぶて、発起人承諾、「(ランド促進の)当方の趣旨を認めた後の申請書取下げ」という大蔵省への公式回答など、一連の事実をつづりあわせると、そんな答が出てこよう。

黒幕・政商たち p.136-137 原因は国会における質問

黒幕・政商たち p.136-137 〝華麗〟なる事業が泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程
黒幕・政商たち p.136-137 〝華麗〟なる事業が泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程

〝夢の興行〟解散へ

「市村学校」の後退

一流財界人百氏の動員を、半年間でなしとげた御喜家氏も、たった〝一部の妨害〟のため、わずか三カ月で退陣を余儀なくされ、看板のハカナさと過信のほどを思い知らされることになった。フン詰りの状態が続いて、氏はついにランドの役員就任をあきらめ、一株主としての協力を表明せざるを得なくなったのである。

三十九年二月から同年夏までの半年間、これをサイエンス・ランド問題の第一期と呼ぼう。

われわれは、ここに、資本金十億、百人の財界人を発起人として、青少年科学教育振興という大旆を掲げ、国有地六万坪を事業場にしようという、〝華麗〟なる事業が、純民間べースの間は、順調にすべりつづけたにもかかわらず、政官界との接触がはじまると同時に泥にまみれ、戸川貞雄氏を退け、内山知事を除き、社長予定の山村鉄男氏が去り、ついには主唱者の御喜家氏自身が葬られるという、ハンケチが雑巾に変りゆく過程を、ハッキリとみることが出来た。

その原因は何かといえば、冒頭に述べたように、「国会における質問、という名の〝政治問

題化〟」の一言につきる。

さて、舞台は廻って第二期に入る。

この第二期の説明も、まず、印刷物によって、事実を確かめてみなければならない。印刷物とはいっても、六通の文書である。このうち三通の大蔵省と県の公文書をみると、田川パンフレットが、何故か、古い資料にのみもとづいて、構成されていることが、明らかになってくる。

ランドは、三十九年三月十七日に設立登記しようとして、書類その他の準備を進めていた。その時の書類をみると、設立発起人として、十四名をあげている。この第二期における、事態の変化を知るため、その十四名の名簿を見なければならない。

市村清(リコー社長)、長沼弘毅(日本コロムビア会長)、藤井丙午(八繙製鉄副社長)、松原与三松(日立造船会長)、本間嘉平(大成建設社長)、藤井深造(新三菱重工社長)、岡崎真一(同和火災海上会長)、水野成夫(サンケイ新聞社長)、渡辺武次郎(三菱地所社長)、越後正一(伊藤忠商事社長)、市川忍(丸紅飯田社長)、山村鉄男、小谷正一、御喜家安太郎の十四氏である。

この時の設立発起人代表の十四氏以外の、「発起人として御協力を頂く旨の御承諾を得ております」名簿は、実員九十九名、帝国石油岸本社長が抜け、森永製菓森永社長、山陽パルプ難波社長の二氏が新加入している。この時期には、ついに会社の設立が叶わなかったのは、前にのべた通りである。