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雑誌『キング』p.119中段 幻兵団の全貌 ソ連内務省に協力

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 中段

何も与えられずに収容所に帰ってきた。

五、E氏の場合(書簡)

E氏(今泉丈彦氏、二十四歳、元見習士官、幼年学校、陸士卒、会社員、東京都世田谷区東玉川、タイセット地区より二十四年に復員)

彼の地では二十三年二月以来、帰還の日までラーゲル内民主委員をつとめてきましたが、二十四年正月半ば、NKのエルマーク少尉なる者に呼び出され、誓約書とさらに八項目にわたる内容についての情報提供を強要されました。実はそのエルマーク少尉も二十三年秋に収容所に配属されてから、個人的にも親しく正月の休みには遊びに行ったほどで、かつ彼が独身で炊事の面倒もみてやっている仲でした。

誓約書をとられる前、つまり元旦すぎて直ちに呼び出されて、半紙三枚ほどに『現在の世界の二大勢力について』『天皇制支配機構について』『収容所内の民主運動について』の三つのテーマで所感を書くべく命ぜられたこともありました。その後呼び出されて、少尉はおもむろに、ソ連邦内務省への協力を要求したのです。平素の親しさは何処へやら、その時の彼の冷たい態度は、驚駭の淵に突っ込まれた私に、ちゅうちょなく承諾を迫りました。私は当惑の色を浮かべな

雑誌『キング』p.119上段 幻兵団の全貌 諜報業務に協力

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 上段

この日は意外にも四人の将校がおり、モスクワの大佐というのが取調べに当たった。前日の大尉と少尉のほかに、霜降りの詰襟に乗馬ズボンの男がいたが、何者か分からなかった。この男だけは全く沈黙を守っていた。

政治的な話題からはじまって、履歴、収容所内の状況、情報勤務の状況など、詳細に取調べをうけ、さらに続いて一日おきに二十日、二十二日と呼び出された。

二十二日には、諜報業務に協力しないかといわれ、ついに誓約書を書いた。

白西洋紙の美濃判の紙にペン書きしたが、深夜の一時ごろ終わった。大佐は握手を求めて、砂糖湯、鮭カン詰、カルバサ(腸詰)、リビョーシカ(ジャガイモ料理)、黒パンなどを御馳走してくれた。金は一〇〇ルーブルもらった。

翌々二十四日に再び大佐の調べ室に呼び出されたので、何事だろうと思って行くと、大佐は厳粛な態度で、

『Dは戦犯事実なきことを宣言する。近日中に釈放を許可する』

と、誓約書の一件など全く知らないような顔で、私の戦犯容疑が晴れたという判決を下したのだった。そのころ、私の写真はすでに調べ室で撮影済みだった。

私は翌々二十六日に釈放となり、スパイ命令は

雑誌『キング』p.118下段 幻兵団の全貌 取調室でNKと

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段

平屋建てで、七つの房と、事務室、宿直室、それに二つの取調室があるらしかった。監房は六畳敷きほどの広さで、廊下側に鉄扉、反対側に鉄格子のはまった一尺五寸ほどの窓が一つあるきりだった。二段寝台があり、五十六、七歳の白系露人と同室していた。給養は一日三百五十グラムの黒パンとスープだけ。スープといっても魚の塩湯だ。取調べは、いつも夜の十時ごろから翌朝四時ごろまであり、廊下の入口に厳重に歩哨が立っているので、隣室と壁を叩いてモールス通信をした。

四月二日に放りこまれてからずっと音沙汰なく、ある日、同居人として入っていた満鉄の関係の男に取調べの模様をきいたところ、『前職関係のことを調べられた』といったきり、頑固に口をつぐんだが、やがて出て行ったので、何かあるなと感じていた。

四月十六日の夜十時ごろ、取調室にはじめて呼び出された。NKの大尉と通訳の少尉が待っており、コップに甘い紅茶を一杯くれた。

『あなたは情報勤務をしていたということだが、非常に興味ある問題だから話をしてくれ』といいだして、駐屯地とか、どんなことをするかとか、情報の仕事について調べられた。この日は三十分ほどで終わり、翌々十八日の夜十時から二回目の取調べがあった。

雑誌『キング』p.118中段 幻兵団の全貌 D氏 情報将校

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 中段

もう、帰ってから一年の余になりますが、本当ですよ。合言葉はきいていませんです。

しかし、今でもまだハッキリと、あの言葉は耳に残っています。時々、街角でマーシャではないかと思って、ハッとするような婦人をみかけることもあるんです。

『また、東京でおめにかかりましょう』

あの女なら、本当にもう一度、逢ってみたいような気もします…。

四、D氏の場合(談話)

D氏(特に名を秘す、四十一歳、元大尉、東京都、アルマアタ地区より二十五年に復員)

私は収容所で大隊長をしていた。軍隊時代には情報将校だった。昭和二十二年の春のこと。組織の力で所内の生活を改善しようと計画をたてていた時、反ソ的だというのと、何事かを企図していると密告され、また、情報関係だったという密告もあって、逮捕されたのである。

四月二日のこと、作業に出ようとしていたら、六、七名が転属だといわれ、私の名も入っていたので、仕度をして集合した。ところが、私一人だけ、NKの下士官が拳銃をつきつけて、約四キロはなれた他の収容所の近くにある監獄に入れられた。

ここは戦犯を調べるところらしく、レンガ造りの

雑誌『キング』p.117中段 幻兵団の全貌 ポルトウインで陶然

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 中段

っていました。車から降りた二人は、ご持参のポルトウイン(ブドウ酒)やシャンペンスキーの栓を抜き、カルバザ(腸詰)をひろげて、私の方をみてニッコリ笑いながら、人差指と親指でポンとのどを弾くのです。これはソ連人の『一パイやるか』といったような仕種です。

何が何だか、夢のようで分かりませんでしたが、松林の静まり返った中で、捕虜になってからみたこともない御馳走で、宴会がはじまりました。わずか一、二杯のポルトウインで、すっかり陶然としたころ、少佐らしい背広の男がニコヤカに話を進めてきたのです。

『あなたは、絶対に否とはおっしゃいませんでしょう?』

私には、その時になってはじめて、マーシャの残していった、謎のような言葉が思い当たりました。

私は誓約書を書きました。運転手は、いつ、どこに消えたのか、姿がみえません。背広も、中尉も、一言も脅迫がましいことはいいま

雑誌『キング』p.117上段 幻兵団の全貌 マーシャは口を寄せ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 上段

ような気持ちでした。

フト、気がつくとすぐそこに一台の米国製ジープが停まっています。その時、いきなり私の方にむき直ったマーシャは、私の両手を握りしめて耳もと近くに口を寄せ、香わしい息とともにささやきました。

『また、東京でおめにかかりましょう』

『エッ?』

私がきき返す暇もなく、彼女はサッとスカートをひるがえして、どんどん行ってしまうのです。ハッと思った時、ジープの中から恰幅の良い男が、無言のまま手招きをしているではありませんか。

無言のまま私をのせたジープは、フルスピードで走り出しました。車内にはパリトー(外套)をきた背広の肥った男と、軍服の若い中尉と、それに運転手です。シベリアの大波状地帯らしいゆるやかな丘が行く手に見えます。やがてその丘を越えると、また丘の稜線がみえ、白樺の疎林に牛が放牧している風景は平和そのものでした。だが本当のところは、そんな景色も眼に入りません。パチエムウ(何故?)、クト(誰?)、クダー(何処?)という質問ばかりが、のどをつき上げるのですが、背広と軍服の二人の表情は、それを口にすることを許さないようでした。

ずいぶん走って、いつの間にか深い松林に入

雑誌『キング』p.116上・中段/p.117下段 幻兵団の全貌

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段・中段 写真・日の丸引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上・中段 写真・日の丸引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 下段 写真・赤旗引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 下段 写真・赤旗引揚

写真p.116上・中段、p.117下段

[写真キャプション 引揚二態——(上)日の丸に迎えられた引揚者、(左)赤旗一色の引揚風景(いずれも上野にて)]

雑誌『キング』p.116下段 幻兵団の全貌 スラリと高い美人

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 下段

いつものように建築作業場で働いている時のことでした。気候のよいころで、その日は午後だと思います。作業隊についている警戒兵が、私の名を呼ぶので行ってみますと、やせて背のスラリと高い、足の美しい二十七、八歳の婦人が待っていました。理知的な、珍しいほどの美人でした。私はその婦人に一緒に来るようにといわれて、作業場を出かけましたが、もちろん日本語を話します。その言葉がまた歯切れは良いし、上品なのです。

婦人はマーシャと名乗り、モスクワの東洋大学で日本語を習ったそうです。卒業論文は勧進帳とかいうことでした。ともかく、町外れへ向かって、さっそうと歩いてゆくその婦人と同行してゆく私の気持ちを察してください。マーシャは快活にしゃべりました。彼女の語調、態度、すべての点で、私に捕虜だと思わせるようなことがなかったので、私も汚い顔や、みじめな身なりも忘れてしまったのです。おたがいに、東京とモスクワの学生生活なども話し合いました。何処へ、何をしに行くのか、そんなことなど考える暇もありませんでした。それこそ天にも昇るようなたのしさだったのです。長い間、男ばかりの荒んだ捕虜生活の中で忘れさせられていた、女性への思慕がよみがえり、乾ききった日割れに、ジューッと音をたてて水がしみこんで行く

雑誌『キング』p.116中段 幻兵団の全貌 C氏の場合

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 中段 写真・日の丸引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 中段 写真・日の丸引揚

でいるような男もいた。私は反動で、ナホトカでは毎日のように吊るしあげられていたが、誓約書のこともすぐに皆にしゃべってしまった。

三、C氏の場合(談話)

C氏(特に名を秘す、三十歳、元軍曹、大学卒、会社員、東京都、バルナウル地区より二十三年に復員)

雑誌『キング』p.116上段 幻兵団の全貌 進んでスパイに

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段

と同じような奴がよく分かり、二千名中七、八十名はいたようだった。目立たぬようにするため、本部、炊事、理髪、うまやなどの勤務者がスパイにえらばれ、呼び出しは毎月末で、他の連中は毎回五〇—七〇ルーブルほどもらっていたらしい。憲兵などの前職者で、自己保身のため進んでスパイになり、使われるだけ使われて、結局は、同胞を売ったあげくに、自分も帰れない

雑誌『キング』p.115下段 幻兵団の全貌 『金をやろう』

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 下段

したら、『なんだ、お前はこれだけしか知らないのか』と、その中尉に嘲笑されてしまった。そして、呼び出しがあると『腹痛だ』『作業に出ている』と逃げばかり打っていたので、役に立たないと思ったのか、各収容所を転々として廻される羽目になった。そして他の仲間はどんどんダモイするのに、私ばかり帰されなかった。

各所を廻されている間も、連絡はあるとみえて、それぞれのところで呼び出されていた。合計六回も行ったろう。最後は昭和二十四年七月末のこと、最初の通訳の少尉に逢った。

『金を持っているか』

この手で今までによくマキ上げられた経験があるので警戒して少なく答えた。

『二十ルーブルほどある』

『足りるか』

『どうやら煙草代にはなる』

『金をやろう』

私は驚いたが、わずかばかりの金なぞと思い、

『いらない』

『では、オレのいう通り書け』といって、

『私ハ賞金トシテ一二〇ルーブルヲ受領シタ』

と、領収証を私にかかせ、スパイ名で署名すると、金も一緒に自分のポケットにしまいこんで、『もう帰れ』と涼しい顔をしていた。

自分がスパイになったので、気をつけてみる

雑誌『キング』p.115中段 幻兵団の全貌 ピストルを突きつけ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 中段

きとって、私の眼の前に突き出してから黙って机の上に置いた。そして続けた。

『何でもいうことをきくといったではないか』

『……』

私はもう承諾するより仕方ないことを知ってペンをとった。私の聞いた話では、ピストルを突きつけられて書いたという者もいるらしい。そして『ソ連邦のためにはどんなことでもする。このことは誰にも話さない。約束を破ったらどんな処罰でも受ける』といったようなことを、通訳の口述通りに、日本字で書いた。最後の行に、

『偽名ヲ阿部正ト使ウコト』

と、書き加えた。誓約書を納めると、『某中佐はロシア語を知ってるから特務機関だろう』とか『某中佐は軍国主義者に間違いないが、どんなことを話しているか』などと、しつっこくたずねたあげく、

『元憲兵の氏名を報告しろ』

と、命令された。

彼らはこうして誓約書をとってスパイにしたものを、決して民主主義者だと思っているわけでもないし、まして共産主義者だなどとは考えていない。ただ使えるだけ使って、あとは破れ草履のように捨ててしまうのである。

私は、元憲兵として有名な人を四、五名報告

雑誌『キング』p.115上段 幻兵団の全貌 誓約書を書け

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 上段

誓約書を書くにいたった状況はこうだ。昭和二十二年の暮れごろ、作業係将校の名前で、収容所司令部に呼び出された。もちろん、それまでの間に、数回呼ばれて身上調査は、うるさいほど詳しくやられていた。

さて、行ってみると、待っていたのは思想係の政治部員の中尉と、同じく少尉の通訳だった。そこで『政党は何党を支持するか』『思想はどうだ』『どんな政治がよいか』『ソ連のやり方はいいか悪いか』『ソ連に対するウラミは有るか無いか』などの問答があってから、

『オレは内務省の直系で、オレのいうことは内務省のいうことと一緒だが、オレのいうことを聞くか』

と切り出してきた。

『きけることならきく』

『何でもきくか』

『……』

『紙をやるからオレのいう通りに書け』

『何を書くのか』

『誓約書だ』

『誓約書なんか、何の誓約書だか分からずには書けない』

と、私はシャクにさわったので強硬に突っぱねた。すると中尉はいきなり腰のピストルを抜

雑誌『キング』p.114下段 幻兵団の全貌 B氏の場合

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 下段

て置かれた拳銃——こんな書割りや小道具まで揃った、ドラマティックな演出効果は、それが意識的であろうとなかろうと、そんなことには関係はない。ただ、現実にその舞台に立った私の、〝生きて帰る〟という役柄から、『ハイ』という台詞は当然出てくるのだ。私は当然のことをしただけだ。

私はバラッキ(兵舎)に帰ってきてから、寝台の上でてんてんと寝返りを打っては、寝もやらず思い悩み続けた。

『プープー、プープー』

哀愁を誘う幽かなラッパの音が、遠くのほうで深夜三番手作業の集合を知らせている。吹雪は止んだけれども、寒さのますますつのってくる夜だった。

二、B氏の場合(談話)

B氏(佐藤辰彌氏、三十三歳、元准尉、会社員、東京都荒川区尾久四ノ二四〇〇、イルクーツク地区より二十四年に復員)

私はソ連のスパイにさせられ、誓約書を書いてソ連に忠誠を誓った。これも当時の状況では、それを拒否することは〝死〟を意味していたから止むを得なかったことだと思う。しかし、私は私の報告によって、同胞を売ったことはな

雑誌『キング』p.114中段 幻兵団の全貌 NKの恐ろしさ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 中段

思い悩むに違いない。そして『…モシ誓ヲ破ッタラ…』その時は当然〝死〟を意味するのだ。そして、『日本内地ニ帰ッテカラモ…』と明示されている。ソ連人はNKの何者であるかをよく知っている。私にも、NKの、そしてソ連の恐ろしさは、充分すぎるほど分かっているのだ。

——だが待て、それはそれで良い。しかし…

一カ月の期限の名簿はすでに命令されている。これは同胞を売ることだ。私が報告で認められれば、他人より早く内地に帰れるかも知れない。

——次の課題を背負ってダモイ(帰国)か?

私の名は間違いなく復員名簿にのるだろうが、私のために、永久に名前ののらない人が出てくるのだ。

——誓約書を書いたことは正しいことだろうか? ハイと答えたことは、あまりにも弱すぎただろうか?

あのような場合、ハイと答えることの結果は、分かりすぎるほど分かっていたのである。それは『ソ連のために役立つ』という一語につきてしまう。

私が、吹雪の夜に、ニセの呼び出しで、司令部の奥まった一室に、ドアに鍵をかけられ、二人の憲兵と向き合っている。大きなスターリン像や、机上に威儀を正している二つの正帽、黙っ