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最後の事件記者 p.456-457 奥付

最後の事件記者 p.456-457 奥付 新宿慕情 定価1,200円 昭和50年11月18日印刷 昭和50年12月1日発行 著者 三田和夫 発行所 正論新聞社出版局
最後の事件記者 p.456-457 奥付 新宿慕情 定価1,200円 昭和50年11月18日印刷 昭和50年12月1日発行 著者 三田和夫 発行所 正論新聞社出版局

新宿慕情
定価1,200円

昭和50年11月18日 印刷
昭和50年12月1日 発行

著 者  三 田 和 夫
発行所  正論新聞社出版局
東京都新宿区三光町8 大木ビル
電話・東京(03)354-8101(代)

発売元 恒友出版株式会社
東京都港区六本木3-15-22 町山ビル
電話・東京(03)402-1631(代)

印製製本 ジャストン
© KAZUO MITA

出版コード番号 0036-75116-2291

正力松太郎の死の後にくるもの p.372-奥付 あとがき(つづき)

正力松太郎の死の後にくるもの p.372-奥付 あとがき(つづき) 著者紹介 奥付
正力松太郎の死の後にくるもの p.372-奥付 あとがき(つづき) 著者紹介 奥付

やがて、四十三年夏、軍事研究社の小名社長から話があり、再び、連載の約束をとって執筆を

はじめた。同誌九月号から、本年三月号まで七回で「朝日の内幕」(二百八十枚)を、つづいて、本年六月号から「読売の内幕」をと、書きつづけている。

そこに、正力さんが亡くなった。これを機会にと、創魂出版にすすめられて、改めて一本にまとめたという次第である。

その間に、私は、四十二年元旦付から、大判二貢の「正論新聞」という、小さな旬刊の一般紙を、独力で出しはじめた。正統派の小新聞を、業界紙や恐かつ紙しかないこの日本の国で、育ててみたいと思ったからだ。幸い、この〝未熟児〟は、読売の諸先輩はじめ同僚たちの声援で、ともかく、この三年間で七十号を重ね、第三種郵便物の認可も得、日本新聞年鑑にも登載されて、順調に育ちつつある。この実践活動の中から生れたものなので、〝現場からの新聞論〟という所以だ。

それにしても、正力さんという人は、偉い人であった。彼を批判することとは別に、その偉大さにはうたれるものが多い。

この書を、私を新聞記者として育てて下さった正力さんの霊前に、感謝と追慕の念をもって、捧げることのできる私は、また何と幸運な男か、と感じている。

昭和四十四年十二月一日                  三 田 和 夫

著者紹介
1929年/盛岡市に生まれる。
1943年/日大芸術科卒業、読売新聞入社。
1958年/読売新聞を退社。
現在/評論、報道のフリーのジャーナリストとして執筆活動を続けるかたわら、一般旬刊紙として「正論新聞」を三年前に創刊。ひきつづき主宰している。
著書/東京コンフィデンシャル・シリーズ「迎えにきたジープ」「赤い広場—霞ヶ関」 (1956年刊) 「最後の事件記者」(1958年刊)「事件記者と犯罪の間」(現代教養全集第5巻収録)=文春読者賞=(1960年刊)「黒幕・政商たち」(1968年刊)
現住所/東京都新宿区西大久保1の361 金光コーポ505号

正力松太郎の死の後にくるもの
定価 480円
1969年12月15日 第1版発行
著者 © 三 田 和 夫
発行者 峰 村 暢 一
印刷所 株式会社 鳳 翔
発行所 株式会社 創 魂 出 版
東京都新宿区左門町2 四谷産業ビル403号
電話 東京(359)8646
郵便番号 160
振替 東京71352番
落丁・乱丁本はおとりかえいたします

読売梁山泊の記者たち p.308-奥付 あとがき(つづき)

読売梁山泊の記者たち p.308-奥付 あとがき(つづき) 著者略歴 奥付
読売梁山泊の記者たち p.308-奥付 あとがき(つづき) 著者略歴 奥付

さて、時代は大きく変わりつつあり、新聞もまた、変革を迫られつつある。専売店による宅配制度は崩れ始めて、すでに一部では、合売がすすんでいる。読売の一千万部近い日本一の部数は、専売店の宅配制のもとでのみ、可能だったのである。
さる十一月五日から、毎日新聞は題号までを変えた。それは、起死回生策なのであろうが、同時に、

時代の流れでもある。能力のある記者は、他社にトレードされるなど、終身雇用制も崩れ、署名記事の時代が訪れるであろう——そのとき、竹内四郎、原四郎という、二人の社会部長が育てた記者たちが、どんな仕事を、どんなふうに書いていったか、温故知新もまた、意味なしとはしない。

古い新聞記者像を知ることが、明日の記者の仕事に、プラスになることを信じて、書き殴った八百枚に手を入れた。脈絡が切れ、興味もまた、半減したおそれもあろうが、ご寛恕頂きたい。

一冊の単行本が、世に送り出されるまでには、多くの黒子たちの、目に見えない労苦と努力があればこそ、なのである。私も、その黒子代表として、版元の今井國藏編集長に、感謝の意を表したい。

ことに、この書は「正論新聞の二十五年を祝う会」(平成三年十一月二十六日)に、刊行を期したので、時間の制約もきつく、なおさらのことであった。

そして、巻頭の「献詞」の如く、著者の半世紀にも及ぶ、ペン一本の生活の、基本を与えて下さった先哲への、感謝に満ちた、この著のあとがきとする。

平成三年十一月吉日                       三田 和夫

著者略歴
大正10年岩手県に生まれる。昭和18年日大専門部芸術科卒業後、同年読売新聞社入社、社会部に配属。同年11月から22年11月まで兵役のため休職。復員後復職し33年に同社を退社。42年に「正論新聞」を創刊、今日に至る。著書「最後の事件記者」(実業之日本社)「黒幕・政商たち」(日本文華社)「正力松太郎の死のあとに来るもの」(創魂出版)など多数。

読売・梁山泊の記者たち<戦後・新聞風雲録>
1991年12月10日 第1刷印刷
定 価 1,500円(本体1,456円)
著 者 三田和夫
発行者 小林康男
発行所 紀尾井書房
東京都千代田区紀尾井町3-33 郵便番号102
電 話 東京(03)3261-2800
振 替 東京1-13842
印刷所 新日本印刷株式会社
製本所 東京美術紙工事業協同組合
落丁本・乱丁本は小社あてにお送りください。送料小社負担にてお取り替えいたします。
ISBN 4-7656-1061-6 C 0023 P 1500 E

迎えにきたジープ p.218-奥付 あとがき 著者略歴 奥付

迎えにきたジープ p.218-奥付 Afterword (rest), author affiliation, publication information
迎えにきたジープ p.218-奥付 Afterword (rest), author affiliation, publication information

この一集では、私は何も結論を出していない。ただ、事実と疑問とを投げかけているだけで

ある。他の三分冊と併せて読んで頂けるならば、アメリカとソ連は東京で何をしていったか、何をしているか、また何をするだろうかが、分って頂けることと信じている。

そして、この著によって、外国に対する新しい見方が生れることを願い、それが日本のために何らかの形で益するならば幸である。

終りに、私を新聞記者としてここまで育てて下さった竹内四郎報知新聞社長、原四郎読売新聞編集総務の両元社会部長、景山与志雄社会部長、何回かの続き物で直接指導を頂いた辻本芳雄先輩をはじめとする社会部の各次長、また私が警視庁クラブで公安担当に専念するという我儘を許して下さったキャップの福岡俍二先輩の諸氏、また多くの諸先輩、同僚諸兄に感謝し、併せて他の多くの御協力御後援を頂いた諸氏に、あつくお礼を申上げる次第である。

なお、お断りしておかねばならないのは、この著はあくまで私個人の責任において、私の記者生活メモを整理したものであって、読売新聞記者という責任で書いたものではないということである。従ってこの著によって起きてくる問題の一切は、読売新聞社には全く関係がなく、すべて著者個人の責任である。

昭和三十年五月     日ソ交渉全権団出発の日

三 田 和 夫

著者略歴
大正9年  盛岡市に生る
昭和18年 読売新聞入社・社會部記者となる
昭和22年 シベリヤより引揚・復職 法務府・国會・警視庁各記者クラブを経て、現在通産省・農林省記者クラブ詰

迎えにきたジープ
昭和30年7月15日 第一刷 発行 ¥130
著 者 三田和夫
発行者 野老山宏
印刷者 新倉誠一
発行所 東京都千代田区神田神保町3-13 20世紀社 TEL 33-4356
禁無断 転載・演劇 映画・放送

落丁・乱丁はお取替えします
製本 谷島製本

最後の事件記者 p.294-奥付 あとがき(つづき)~奥付

最後の事件記者 p.294-奥付 昭和33年12月30日発行 著者・三田和夫 発行者・増田義彦 発行所・株式会社実業之日本社 東京都中央区銀座西1の3 印刷・佐藤印刷所
最後の事件記者 p.294-奥付 昭和33年12月30日発行 著者・三田和夫 発行者・増田義彦 発行所・株式会社実業之日本社 東京都中央区銀座西1の3 印刷・佐藤印刷所

もっとも興味をひかれているのは、昭電疑獄以来の、大きな汚職事件の真相を、えぐってみたい、ということだ。政治生命を奪われた政治家や、財界人の立場から、事件をみると、また興味津々だろうと思う。ことに、私が司法記者クラブで、直接タッチした、売春、立松、千葉銀の三大事件で、権力エゴイズムをひきだしてみたいと思う。売春汚職のため落選した元代

議士の一人は、早くも一審で無罪が確定してしまったではないか。立松事件だって、政党、検察、新聞という三つの力が、マンジトモエに入り乱れるところが、何ともいえない面白さだ。

と、こんな工合で、どうやらメシだけは、今のところは食べていられる。それでも、月のうち半分は徹夜して、安い原稿料にも、感謝の念を忘れず、せっせと働らかねば、子供たちを学校へやることもできない。ただもう眠たい時などは、つくづくサラリーマンがうらやましい。御心配を頂いた皆さんに、この場をかりて、厚く御礼申上げる次第である。

同時に、ここまで、私を成長させて下さったのは、読売新聞社をはじめとして、各新聞社の諸先輩方、同僚諸君のおかげであると、深く感謝いたさねばならない。今後ともの、御指導を併せてお願い申上げる。

この本で、今、気になるのは、文中お名前を拝借した方々の、敬称の不統一である。書きあげるそばから、工場へ行ってしまったので、手落ちがあると思

い、お詫び申しあげておかねばならない。

いわば、特ダネを追って十五年、とでもいったような内容なので、文中、大そう口はばったいところもあるが、大体がアクの強い男なので御寬恕を乞いたい。もちろん、私一人が事件記者だなどと思い上っておらず、読売をはじめ、各社にも、優秀で、敵ながら天晴れと、秘かに尊敬している記者が多いことは事実である。記者諸兄、お怒りなきように。

当然、最後の項に、横井事件を入れるべきであったのだが、文春に詳しく書いたので割愛した。なお、文春所載の「事件記者と犯罪の間」は、臼井吉見氏編の「現代教養全集、第五巻、マス・コミの世界」(筑摩書房)に収録されたので、御参考までにお知らせしておく。まだまだ、いろいろな事件についての面白い話があったのだが、時間と紙数の関係で、これも割愛せざるを得なかった。稿を改めて書きたいと思っている。

昭和三十三年十二月十五日

著 者

最後の事件記者
定価220円
昭和33年12月30日発行
著 者 三田和夫
発行者 増田義彦
発行所 株式会社 実業之日本社 東京都中央区銀座西1の3
電話京橋(56)5121~5
振替口座 東京326
© 実業之日本社 1958年 印刷 株式会社 佐藤印刷所