かつて、読売新聞では、ヒラの政治部記者・藤尾正行が、傲岸不遜の代表であった。その頃、小田
急梅ケ丘駅で、時の政治部長・古田徳次郎と藤尾、そして私の三人が、朝一緒になったことがある。
私が、藤尾を見つけてお辞儀をするのは、当然。そこに古田がやってきて、先に「おはよう」と、頭を下げる。と藤尾は、「ウン」といって、胸をそらすのである。藤尾のお辞儀は、頭を下げるのではなく、ソックリ返ることであった。だが、渡辺にはかなわない。渡辺のは、顔の表情から、身体全体の構えまで、傲岸不遜なのである。
閑話休題——満場の拍手の中で、務臺と中曾根が握手して、祝辞のためマイクに向かった。
その時、拍手する人びとの表情を見ようと、私は、振り向いてまわりを見まわした。
と、うしろのほうの人混みのなかに、腕組みをして拍手しない男を見つけた。なんと日テレ副社長の氏家ではないか。
「氏家さん、どうしたの。ナベさんの晴れ姿を祝ってやらないの?」
「フン。ナベのヤローなんか!」
吐いて棄てるような、氏家のその言葉に、私は、次の言葉を失っていた。
――なんということだ! 氏家と渡辺との二人三脚が、すっかり崩れていたとは!
パーティの席で、人が流れており、そのまま私は、氏家に話を聞くことができなかった。
大下英治の描く、ナベ恒の謀略
平成二年七月二十五日初版で、角川書店から、大下英治著「小説・政界陰の仕掛人」という、文庫
本が出た。
大下が「宝石」や「現代」などの月刊誌、「週刊文春」などに書いた、四元義隆、入内島金一、青木伊平、渡辺恒雄などを、取り上げたもので、それに共通のタイトルを付したものだ。
だが、三九八ページの同書のうち、渡辺に関しては、二篇、同書の半分の一九〇ページを費やしている。同書では「最後の派閥記者――渡辺恒雄」というタイトルだが、初出誌では、こうなる。
「月刊宝石五十八年九月号」(渡辺恒雄読売専務・論説委員長の中曾根総理の密着度)
(ボクは黒幕なんかじゃないよ・読売専務渡辺恒雄大いに語る――五十九年六月)
「月刊現代五十九年八月号」(渡辺恒雄読売専務インタビュー)
この、渡辺の中曾根密着度、という五十八年九月号の「月刊宝石」の記事は、九頭竜ダムをはじめ、児玉との密着度を、徹底的に暴いている。つまり渡辺批判の作品である。
大下は、このなかで、渡辺の、覇道について書いている。ロッキード事件での社会部との闘い、氏家〝謀殺〟、先輩、同輩との政治部内の派閥戦争から、〝社内の敵〟を葬り去ってゆく手口と経過を、具体的な取材で綴っている。その内容の濃さに、私も敬意を表したものだった。
その末尾には、「(昭和五十七年)この六月二十七日の読売人事で、渡辺は専務に昇格した。同時に、同じ常務であった、社会部出身の加藤祥二常務は、取締役から降格された」
「社内の噂では、加藤常務は解任の朝まで、それを知らなかった、といわれています。その日の朝、ナベ恒に、もう明日から来なくていいんだよと、引導を渡されたそうです。いかにも、彼らしいひど
いやり方だ、と囁かれています。…」と、渡辺批判が「(社会部ベテラン記者)」として書かれている。