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新宿慕情 p.092-093 「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった

新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。
新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。

お洒落と女と

半歳の恋の終わり

——小宮山のヤツ、若いクセにイイさらりい取ってんだナ…。

当時、そう感じたことを覚えている。(私のコーヒー好きのインネン話なのだから、もう少し、つづけさせて頂きたい)

農林省での大特オチから、処分で本社勤務に上げられ、ヒマ人同士の、私と小宮山重四郎クンとが、喫茶店の姉妹のウェイトレスにウツツを抜かし、私が彼を破って、恋の勝利者になったところまで書いた。

ところが、好事魔多しというように、この恋にも、やがて、別れねばならない時がきた。

遊軍勤務一年。翌三十二年初夏には、私は、司法記者クラブのキャップとして、またまた、激烈な事件記者の世界にもどることになったのだ。

それが内示された夜、私は彼女にいった。

「社会部記者の最前線なんだ。しかも、責任者だから、いままでみたいに、ノンビリしてはいら

れない、と思うよ。寂しいけど、逢う機会が少なくなる……」

「いいわ。この、たのしい想い出を持って、私も、九州に帰るわ。……じゃ、今夜が最後ね…」

別れもまた愉し、といったフランスの劇作家の戯曲があったような記憶がある。半歳の恋の終わりは、それなりに甘美なものであった。

彼女は、喫茶店を辞めた。私の銀座勤務は、桜田門になったし、小宮山クンの姿も、いつか社会部席から消えていた。

……そしてまた一年。三十三年初夏に、私は、安藤組事件に関係して、読売を退社していた。世田谷の梅ヶ丘に住んでいた私は、フリーになって、淡島経由のバスで渋谷に出、地下鉄で都心へ出かける。

その秋のある日。淡島から乗りこんできた男の顔に、見覚えがあった。

「アッ、小宮山クンじゃない? 三田だよ。どうしているの?」

「お久し振りでございます。私いま、こういうことを……」

相変わらず、折り目正しい挨拶をしながら、彼は、一枚の名刺を差し出した。「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった。

「ハイ、秘書と申しましても、ナニ、〝台所秘書〟でして……」

ヘヘーン……と、私は感じた。それでも、まだその時には、彼が、平和相互一族とは気が付かなかった——その後、彼の初出馬が、大きな選挙違反を起こし、司直の手が、落選候補の身辺ま

で迫った時、読売の同期生だった徳間康快が、その〝モミ消し〟に活躍した、という話を聞いた時、初めて、〝小宮山重四郎・元読売記者〟の身上について知ったのだった。

新宿慕情 p.094-095 私の背広のほとんどがクレジットの丸井のもの

新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。
新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。

その秋のある日。淡島から乗りこんできた男の顔に、見覚えがあった。
「アッ、小宮山クンじゃない? 三田だよ。どうしているの?」
「お久し振りでございます。私いま、こういうことを……」
相変わらず、折り目正しい挨拶をしながら、彼は、一枚の名刺を差し出した。「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった。
「ハイ、秘書と申しましても、ナニ、〝台所秘書〟でして……」
ヘヘーン……と、私は感じた。それでも、まだその時には、彼が、平和相互一族とは気が付かなかった——その後、彼の初出馬が、大きな選挙違反を起こし、司直の手が、落選候補の身辺ま

で迫った時、読売の同期生だった徳間康快が、その〝モミ消し〟に活躍した、という話を聞いた時、初めて、〝小宮山重四郎・元読売記者〟の身上について知ったのだった。

コーヒーの話、しかも、医大通りのグループと、ホテル・サンライトの裏手に当たる、新田裏交差点の、バロンとの、味比べについて書こうとしながら、喫茶店通いが身についてしまった思い出話が、ついつい、長引いてしまった——。

美味いかどうかで

私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。つまり、コロンビアだとかモカだ、ブルーマウンテンだなどと、原産地や豆の混合についての知識は、皆無なのだ。

ただ、どこの喫茶店のコーヒーが、美味いか不味いか、だけなのである。

だから、行きつけの店でも、コーヒーの特注はしない。その店のレギュラーものが、美味いかどうか、だ。

同様に、ウィスキーなど、酒類についても、銘柄だとかの好みはいえるが、酒についての造詣も深くない。

酒が、美味く、たのしく飲めて、雰囲気が良ければ、それで良しとする。

衣類もそうだ。舶来生地であろうがなかろうが、自分に似合うものを、気持ち良く着こなせれば、それでよい。

いまは、そんなこともなくなったが、むかしは、旅館に一見の客がくると、番頭が、靴とベルトを見て、所持金の有無を判断し、さらに、夜に、部屋までフトンを敷きにきて、客種を瀬踏みした、ものだそうだ。

私のことを、〈お洒落〉だという人がいる——しかし、例えエナメルの靴をはいていても、それは、はき易いし、その服に似合う、と考えて、買ったもので、ベルトなどは、バーなどがお中元にくれた安物しか、使わない。靴ははき易く疲れないもの、ベルトは、ズボンがズリ落ちなく機能するものであれば充分だ。

私の背広のほとんどが、クレジットの丸井のもの、と話して驚かれたこともある。

もっとも、これにはワケがあって、家内の高校友だちが、腕のいい洋服職人と結婚していて、そのダンナに仕立ててもらっていた。

むかしは、府立五中時代の制服屋のダンナに作ってもらっていた。つまり、子供のころから私の体型を知っている人だから、フィットする仕立てだった。

それから以後、知人に紹介されたり、アチコチの洋服屋で作ってみたが、最初の一着で(どんな入念な仮り縫いをしたとしても)腕を通してみて、ピタッときまる洋服屋に出会ったことはない。

それは、注文者の体型を熟知していないからである。人間の身体は、左右の手の長さは同一ではないし、生身なのだから、メジャーの数字以外の、プラスアルファがあるものなのだ。

家内にいわれて、はじめは、オ義理のつもりで、一着、頼んでみた。ところが、「どうせピタ

ッとこないだろう」と思ってなかば諦めの心境だったのに、これがなんとまあ、一パツでドンピタなのである。

新宿慕情 p.096-097 私の時計はオメガ。十万円ほどのもの

新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~
新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

それから以後、知人に紹介されたり、アチコチの洋服屋で作ってみたが、最初の一着で(どんな入念な仮り縫いをしたとしても)腕を通してみて、ピタッときまる洋服屋に出会ったことはない。
それは、注文者の体型を熟知していないからである。人間の身体は、左右の手の長さは同一ではないし、生身なのだから、メジャーの数字以外の、プラスアルファがあるものなのだ。
家内にいわれて、はじめは、オ義理のつもりで、一着、頼んでみた。ところが、「どうせピタ

ッとこないだろう」と思ってなかば諦めの心境だったのに、これがなんとまあ、一パツでドンピタなのである。

そして、それだから、「腕のいい職人」というのである。その彼が、営業政策上、丸井の仕事を専門にするようになったから、私の服も、すべて、丸井のネームがつくことになった。

要するに、話が飛んでしまったが、洋服職人もコーヒー淹れも、その人次第なのである。自分の仕事に、愛情と研究心とがあるかどうか、なのだ。

だから、洋服とYシャツの仕立てでダメなのは、デパートである。採寸して、客に接する男と裁断するヤツ、縫う者と、すべて分業で、それぞれが、数字だけを根拠に、仕事をするからである。洋服仕立てや、食べ物などは、客に接していなければ、客の気に入られるものはできない。

嘆かわしいことに

経済誌の巻頭に、イラストでどこかの社長の全身が描かれ、持ち物や、着ているものの「説明」が出ていたりする。

腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。

そして、それが、その〝社長サンの趣味の良さ〟、ステータスみたいに扱われている。

最初、そのページを見た時には、これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ

ったが、雑誌が、オベンチャラ経済誌だったから、編集者も大マジメ、登場するほうも、内心得意で取材に応じているに違いない、と気付いた。

田中金権内閣の出現以来、ホントに世情人心が荒廃して、なんでもカネの世の中。悪いことばかりしているクセに、一応は経営者ヅラして外国製品ばかりを身につけ、それが、〝趣味の良いこと〟だと、思いこんでいる野郎どもが、世にハビこっているのは、嘆かわしいことである。

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。

私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

(写真キャプション)正力死後、読売は社主と社長のコンビになった

新宿慕情 p.098-099 読売社外での務台サンの一の子分

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した
新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。
私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。

TO K. MITA FROM M. MUTAI  45.7.21

読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後、私はお呼びを受けて社長室に伺った。

大きな椅子にアグラをかかれた務台サンは、報知の販売課長からスカウトされて、正力サンの読売陣営に加わった。そして部数が伸びた時、「正力サンに呼ばれて、行ってみたら金時計を下さった」と、エンエンと、むかし話をされる。

そして、約一時間ほどの、例の長話のあと、帰りぎわの挨拶をしていたら、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した、という記念品である。

私が、〈読売社外での、務台サンの一の子分〉を、自称するユエンでもある。

私の身につけた外国製品はこのオメガだけ。ライターの趣味なし、万年筆は中学生のころからのパイロット——先日、さるクラブで、新米のホステスが、教えこまれたままらしく、私のネクタイを賞めた。「ステキねえ、これランバン?」と。

私は、タシナメていう。

「そういうホメ言葉は、〝趣味の悪い〟人にいうものだよ」

私は、〈お洒落〉なんかじゃない。自分の身体と顔に合ったものを身につけ、自分の口に合うものを、飲み、食べるだけ。

ホステスが、卓上のオードブルを取って、私の口もとに持ってくると、拒みながらいってやるのだ。

「食いものと女とは、自分で選んで、自分の欲しい時に、自分で取るよ」

おかまずしの盛況

名物男ヤッちゃん

医大通りも、ようやくグループでのコーヒー談義を通りすぎて、もうしばらく先の松喜鮨へと到着する。

この松喜鮨の名物男、ヤッちゃんとの交情の、そもそもの馴れ染めが、どうにも想い出せないのが、なんとも残念である。あるいは、それほどに親しいのかも知れない。

私が彼を知ったのは、この店に行きはじめて間もなくのことだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」

色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

新宿慕情 p.100-101 オンナ言葉を使うと〝妖しい色気〟が

新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。
新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」
色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

それが、なんと、シナさえ作って、そういうのである。

「ナニ? アタシたちのレコードって、どんな…?」

イナセとシナとが同居するのだから、奇妙である。

一枚三千五百円という、LPレコードを出されて、そのジャケットを見た時、私は、やっと納得がいった。

寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。

だが、〝醜怪〟としか、いいようのない女装の連中が、新宿御苑あたりに勢揃いして写したカラー写真が、そこには印刷されていた。

そのひとりひとりを、仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。

それが、ヤッちゃんだった。しかも、店での例のユニフォームで、口をへの字に曲げ、眼ン玉をヒンむいて見せているではないか!

この松喜鮨は、〈年中無休・二十四時間営業〉が売り物である。だから、深夜が書き入れ時で、ホステスたちや、ホステス連れの酔客たちが、〝顧客〟ということになる。

ヤッちゃんは、この深夜勤務を担当している。そして、オーナーでもあるだけに、営業政策には、ことさらに気を配っていて、決して飽きさせないし、一度きた客を、また、こさせるように研究している。

山形県酒田市の出身。地元である程度の修行をしたのちに、上京してきたようだ。だから色白で、オンナ言葉を使うと、それらしい〝妖しい色気〟がかもし出されてくる。

唄がうまいし、美声である。そして、単なるスシ職人ではなくて、それこそ、本紙のトロッコなど、足許にも寄れないほどの〝教養〟の持ち主だ。

選挙の季節には、政治家の話もできるし、芸能界の事情にも通じ、どんな話題にも、即座に対応できるだけに、新聞も週刊誌も、良く読んでいる。その上多趣味である。

第一、スシ屋で、マイクが天井からブラ下がり、スポットライトに、テープその他の音響設備が完備している、という店はあまりあるまい。

唄の次は写真撮影

彼が、唄がうまいため、だけではない。電気知識がある、というべきだろう。

「只今より、オルケスタ・ティピカ・マツキの演奏が始まります」

当店を〝主要営業所〟とするアコーディオン弾きの石井クンが入ってくる。ガラス戸が開く前に、彼は、そう紹介する。当意即妙なセリフが飛び出す。頭の回転が早い、のである。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。

「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」

自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

新宿慕情 p.102-103 酒乱の客にもゴキゲンの客にもそれ相応に応待

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。
「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」
自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

次は写真だ。

唄に飽きたと見れば、戸棚からカメラを取り出し、ホステスと客に向かって、「サ、もっとひっついて!」と、ポーズをつけさせる。

カメラから撮影技術まで、これまた、〝効能書〟に詳しい。

「ハイ、終わりました。サア、喰べましょう」

サッとカメラをしまいこんでまた握り出す。

「オネエさん、お名刺、チョーダイよ」

ホステスに、店と彼女の名前をたずね、新宿なら、翌日の夜には、その写真を届ける。銀座、六本木なら、速達で送る。

「コレ、高価いのョ。デモ、イイわ、オネエさんだから、あげちゃうッ」

カラーの顔写真入りの名刺を差し出す。

勘定は、極めて大ザッパだ。シラフの時に、ジッと見ていると、高く、安く、然るべくやっているようだ。

それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに喰べるだけの客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

良く寄ってくれるホステスがいれば、彼は、就業前の八時すぎから十時ごろまで、そのホステ

スの店に、〈客〉として、リュウとした背広姿で行き、然るべく、金を使ってくる。

いうなれば、これが、彼のホステスへのバック・ペイなのである。腰も、頭も低く、客として迎えた時も、客として支払う時も、彼の態度は変わらない。だから、ホステスに受ける。店へきてくれれば嬉しく、サービス料をツケこまないから、料金も安く上がるようだ。義理を欠かさない、という、東北の田舎町の人情味を身につけている。

酒乱の客にも、ゴキゲンの客にも、それ相応に応待して、然るべく扱う——これで、流行らなかったら、それこそ、オカシイというものだ。

サテ、肝心のスシの味は、といえば、材料を良くして、ナカナカのものである。

こう、観察してくると、ヤッちゃんの〈バラ趣味〉も、どうやら〈営業政策〉とも思えてくるではないのだろうか。

でも、それは、まったく〝憶測〟の域を出ない。別に、私が体験してみたわけではないのだから……。だから、冒頭に書いた〈ヤッちゃんとの交情〉という部分で、交情という言葉に、チョンチョンガッコを、意識して付けなかったのだ。

それでも、私の少年の日に、そんな〝体験——いうなれば初体験〟があるのだった。

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。

新宿慕情 p.104-105 父親は高名なピアニスト、ユダヤ系のドイツ人

新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」
新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。

少年の日の〝体験〟

友人、といっても、彼は外国人である。父親は、高名なピアニストであり、かつ、オーケストラのコンダクターであり、上野の音楽学校の教授という経歴さえ持っていた。ユダヤ系のドイツ人だったのである。

その先生の芸術的資質については、一族に、これまた高名な文豪がいるほどなのだから、推して知るべし、であろう。

城南にある先生の家に近づいた時、家の中からは、しきりとピアノの音が響いていた。

それを聞いて、私は、「ア、オヤジがいるな」と、思わず、足を止めてしまった。

というのは、先生がオカマ趣味であることを、かねてから聞き知っていたからである。中学の一年先輩に、ジャズピアノをやる市村俊幸氏がいて、彼は、音楽学校(こう書くからには、もちろん戦前のことである。いまならば、芸大だから……)の入試に失敗して、日劇ダンシングチームでピアノを弾いていた。

そのブーちゃんが、私に教えてくれていた、のだからだ。

大音楽家の〝交〟響曲

ピアニストの指が

市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。

「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだゼ」

そのころには、まだ、ホモだとか、ゲイといった言葉はなく、オカマ一本だった。印刷物も、高橋鉄氏の主宰する、ナントカ研究会の機関誌(会名も誌名も、正確な記憶がないから、こうした表現になったが、決してインチキ団体の意味ではないので、念のため)ぐらいしかなかった。

先生は、日劇の楽屋に出入りする時、エレベーターボーイにキスしたなど、当時としては、まさに、〝秘められたビッグニュース〟の主であった。

ピアノの音を聞いて、私は、ブーちゃんの〝大丈夫かい?〟を思い出したのだった。

玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。

——息子はいないのかな?

〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。

新宿慕情 p.106-107 ——きたナッ!これからナニが起ころうとしているのか

新宿慕情106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。
新宿慕情 p.106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。
——息子はいないのかな?
〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。

「アノオ、……さんは?」

私は、息子の名前をいった。先生は、日本語はほとんどダメだったが、それでも、カタコトでいう。

「イマ、イマセン。ドウゾ」

ニコニコと親愛の情を示して先生は、私の肩を抱くようにして、招じ入れた。

玄関から、広い応接間とつづいて、ピアノは、その広い部屋の一隅に置かれていた。

年配の読者は、ディアナ・ダービン主演の、『オーケストラの少女』という、大当たりの映画を想い出していただきたい。ダービン扮する少女が、ストコフスキーに認められるシーン。少女の歌声につれて、ストコフスキーの指が、自然に、動き出して、リズムを取りはじめ、やがて、あの独特なタクトなしで腕を振り出す——あの、ストコフスキーを想起されれば、この美少年の私と、先生との出会いも、ピタリと決まる。

私を、ソファに坐らせると、先生は、なにか飲みものを用意してくれた。

そして、自分も向かい合って腰をかけ、ピアノを指差して、「弾いてみなさい」という意味のことを、英語で話しかけた。

「イェ、私は、ピアノを弾けないのです」

首を横に振りながら、日本語でそう答えた。

旧制の中学五年の英語力は、けっこう、ヒヤリングの力もあったと思う。なにしろ、府立五中

時代には、ミス・ジュネビーブ・コールフィールドという、老嬢の外人教師までいたのだったから。

すると先生は、立ち上がってピアノの前に坐った。そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。

私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

虎穴に入らずんば

先生は、ピアノを激しく鳴らし始めた。なにか、嵐のような曲であった。

その曲は、いつの間にか、嵐が止み、陽が輝き、小鳥たちが楽しくさえずる感じに変わっていった。

そして、いままで両手で弾いていた先生の片手が、私の肩にまわされ、片手で弾いているではないか。

その片手の指先からは、静かな、甘い曲が流れ出していた。

——きたナッ!

ブーちゃんの忠告があったればこそ、まだ二十歳前の私にも、これから、ナニが起ころうとしているのか、次の場面を予想するだけの余裕があった。

ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。

新宿慕情 p.108-109 グランドピアノの傍らでの〈立ちカキ交響曲〉

新宿慕情108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!
新宿慕情 p.108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!

ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。

——大きな声で叫んで、逃げ出そうか?

——それとも、このまま、なすにまかせて、いるべきか?

シェークスピア劇の主人公のようなセリフが、私の脳裡に浮かんだ。

だが、つづいて、私は、驚くべき決心をしていたのだった。

——いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。

——この絶好のチャンスを逃すべきではない。

いまになって考えてみると、当時から私は、〈旺盛なる社会部記者・魂〉の持ち主であったようだ。

同時に、私が読売新聞を退社するキッカケになった、「安藤組事件」のように、虎穴に入って虎児をつかむような、体当たり取材の精神が、双葉のうちから育くまれていたようだ。

——そうだ。チャンスだ。ここで逃げ出さずに、もう一歩踏みこんで、ナニが起こるのか、確かめるべきだぞ!

瞬間のうちに、そう判断し、決断を下した私は、まだ童貞だったというのに、この老ピアニストの唇の愛撫を、顔面いっぱいに受けていた。

彼は、私を抱いたまま立ち上がらせ、私のモノをまさぐりつつ、私の片手を誘導していくではないか。

次の瞬間、私の手は、あたたかく、柔らかいものに触れていた。

事態を認識した私は、それでも〝奇妙なエクスタシー〟におぼれながら、心の片隅で呟いていた。

つまらん! 初体験

——なんだ、つまらん! オカマなんて!

つまり、私が〝初体験〟の興奮と、〝新聞記者的好奇心〟に駈り立てられていた〈オカマの実態〉とは、単なる、センズリのカキッコに過ぎなかったのである。

大音楽家の自邸の、広い豪華な応接間の、グランドピアノの傍らでの〈立ちカキ交響曲〉は、終曲へと近づいていた。

コンダクターは、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、〝第一バイオリン〟の先端を包み、〝奏者〟には、自分の胸の絹ハンカチを取って、自分の〝タクト〟を押えるように指示した。

軽い、小さな叫びが聞えて、コンダクターの指揮棒は、こまかく震えた。……演奏は終わったのである。〝楽員〟も、コンダクターと同時に、演奏を終えたのだった——。

先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。

「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入

れに投げこまれた。

新宿慕情 p.110-111 カジヤマ・ウノ・カワカミ如き文章を書いて

新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」
新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。
「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入

れに投げこまれた。

夫人がいないのだから、これは、キット家政婦に洗わせるに違いない。

大阪のロイヤルホテルのバスルームには、ハンカチ大と手拭い大のタオル、それに大きなバスタオルと、三種類のタオルのほかに、食事のナフキンと同じ布地のものがセットされているので さる物知りにたずねた。

「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」

「毛唐どもは、京花(きょうはな紙)など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

そういう説明を聞いた時、私は、あの音楽家との〝交響曲〟の後始末を想い出して、ハハンとうなずいたものであった。

バスルームを出た先生は、まるで、ツキモノがオリたかのように、私などには眼もくれず、サッ、サッと、力強い足取りでピアノに向かい、また、激しく嵐の曲をカキ鳴らすのだった。

いまならば、これをオスペといい、フィンガーテクニックなどというのだろうが、ピアノ弾きの指の鍛練には、キット、あのようなオカマのスタイルが、必要なのであろう。

なぜひとり男装?

先生の演奏が、〝交〟響曲であって、〝後〟響曲でなかったのは、もはやふたたび、そのようなチャンスに恵まれないであろう私の〈性生活史〉にとって極めて、残念なことであった。

しかし、私のオカマ初体験が意外に〝健康的〟であったことが、私を精神的に健康にし、健康な肉体と、健康な性とを持たせてくれたのであろう。

もしも、この先生によって、〝後〟響曲を演奏されていたら私は不健康な男に成長し、カジヤマ・ウノ・カワカミ如き文章を書いて、〝性〟論新聞を主宰するようになっていただろう。

そのことを、太平洋戦争前にアメリカに移住していった先生に、感謝しなければなるまい。

またまた、余談が長くなってしまったが、松喜鮨のヤッちゃんが、ほんとうの薔薇門教徒なのか、どうか?

私には、ヤッちゃんとの〝交情〟がないだけに、どうも、営業政策のように思えてならないのである。

あのレコードジャケットで〝男装〟なのは、ヤッちゃんだけ、だから……。

〝禁色〟のうた

留置場では女無用

もうしばらく、オカマの話をつづけさせていただくことにしよう。