投稿者「mitaarchives」のアーカイブ

最後の事件記者 p.172-173 ニュース・ソースとセンス

最後の事件記者 p.172-173 私は特ダネ記者だといわれた。二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。
最後の事件記者 p.172-173 私は特ダネ記者だといわれた。二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。

彼女が、処女ではなくなっていたことと、日記が二日もぬけていたことはふれなかった。

最後に、父親の話を書いた。

「私がI子にいやらしいことをしたなんて……、とんでもない。フトンをかけたり、めくったりしたのは、寝冷えしやしないかという、本当の親子の愛情から出たことです。かんじんのフトンさえ少いので、一しょに寝たりするのが、内気で感受性の強い娘の心を刺激したのかもしれません」

ここまで書いてきて、私は少し考えてから、もう少しつけ足した。

「全くの誤解です。しかしいずれにしろ、これを機会にぷっつりと酒をやめ、娘の冥福を祈る

つもりです」

これが、私のはなむけの言葉だった。何しろ、彼女の遺書には「私は清い心と身体のまま死んでゆきます」とあったからだ。

しかし、整理部のデスクが、うまい見出しをつけてくれた。〝拭いきれない悪夢〟と。私は今でも、あの父親の表情を想い起す。この長い人生で、あのような表情は、二度とみることはあるまい。

特ダネ記者と取材

特ダネと心理作戦

特ダネというものは、タネを割れば簡単なものである。広く深く、情報ともいうべきニュース・ソースの交際を持っていれば良い。それと、あとは記者自身の、情報を記事という具体的なものに進められる能力である。

私は特ダネ記者だといわれた。今、この十五年間のスクラップ・ブックをひろげてみると、実によく原稿を書いているし、一番働らき盛りであった、二十四年から二十九年の六年間などは、全くトップ記事の連続であり、M記者とか、三田記者とかの、署名入りが多い。

これも、「これはイケる」という、ニュース・センスと、そんな話を聞きこめるニュース・ソースとが、両々相俟っていれば、極めて簡単なことである。私は、役人に事件の書類をすべて見 せてもらった、という記憶がない。

最後の事件記者 p.174-175 人の名前と顔を記憶する能力

最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。
最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。

これも、「これはイケる」という、ニュース・センスと、そんな話を聞きこめるニュース・ソースとが、両々相俟っていれば、極めて簡単なことである。私は、役人に事件の書類をすべて見

せてもらった、という記憶がない。やはり、それほど役人は、秘密を守る義務に対して忠実である。

従って、役所の机の中をガサったり、書類を盗み出したりといった、非合法取材の経験はない。ただ、私は友人に多く恵まれて、いろんな噂話を聞ける立場にあった。特ダネのヒントは、すべて、このように民間人から得るのであった。

あとは、心理作戦である。第一、私は人の名前と顔を記憶する能力に恵まれていた。恵まれていたというよりは、努力して後天的に築きあげた才能である。

私が保定の予備士官学校を卒業して、晴れて見習士官となり、原隊に帰ってきた時のことである。つい一年ばかり前、初年兵として風呂で背中まで流してやった連中が、今度は部下である。

軍隊はメンコの数といわれる。六年兵までがいる北支の野戦部隊だから、二年兵の見習士官などが、大きな顔のできるハズがないのが当然である。私はそこで一計を策した。

中隊の事務室へ行って、兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。もちろん、二百名余りの全員が覚え切れるものではない。各年次の代表的人物をまず覚えたのである。

その効果は適メンであった。学科をやっている時、名前を覚えている兵隊が、居ねむりするのを待つ。或は他所見でもよい。すると私は、注意を与えるのだが、その時に「オイ、〇〇上等兵、眠ってはいけない」と、名指しでやるのだ。

あるいは、手紙の検閲で、母親が病気だということを知った兵隊は、営庭でスレ違う時や、歩哨勤務についているのを、巡察で廻った時に、呼び止めて、「〇〇一等兵、お母さんの病気はその後どうだ」とやったのだ。或は「××兵長、今日は誕生日だナ」と。

この心理作戦の効果は絶大であった。「今度の見習の奴は、どうして俺のことを知ってるのだろう」といった話がでて、尊敬の念を集め得たのであった。それも、着任して数日のことである。私は、それこそ夜もねないで、写真と身上調査書とを見くらべては、覚えこんでいたのである。

この時以来、私は人の名前と顔を覚える力がついたようである。それに、演劇青年時代のオカゲで、芝居がうまいのである。演伎がうまいということは、その役柄の心理状態になりきることである。それには、平常からの人間心理への勉強が怠られない。

特ダネ記者ということは、心理作戦の遂行者ということだ。役人という人種は、理詰めの仕事

をしているので、警察での取調べに一番弱いといわれる。理クツもハチの頭もないような人種ほど、口が堅いという。義理人情の世界に生きる人たちである。

最後の事件記者 p.176-177 役人の秘密を守る義務

最後の事件記者 p.176-177 役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。
最後の事件記者 p.176-177 役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。

特ダネ記者ということは、心理作戦の遂行者ということだ。役人という人種は、理詰めの仕事

をしているので、警察での取調べに一番弱いといわれる。理クツもハチの頭もないような人種ほど、口が堅いという。義理人情の世界に生きる人たちである。

つまり、役人の秘密を守る義務に違反させられるのは、彼らのこの心理をつかまなければならない。筋道を立てて、理詰めで押してゆく正攻法もある。それと、この男は仁義に固いから、話しても大丈夫、裏切られない、という実績をもって、信頼を得ることも必要である。

また、同時に役人というのは、オーソリティ、つまり、権力や権威に対して弱い。

「すべて知っているのだゾ」というポーズも必要である。彼らは、このポーズに対して、「知っているなら、かくしたって無駄だから話そう」という、心理状態にまきこむ。

役人はつねに背反した心理にある。自分のやっている仕事が、ニュース・ヴァリューがあって、新聞記者が聞きにきた——新聞記者に追い廻されている、ということに、やはり仕事の誇りを感ずる。秘密というものは、発表されたがることによって、秘密としての値打ちがある。だから、常に、発表されたくてウズウズしており、それがデカデカと扱われることによって、彼の仕事への誇りは満足させられるのである。

その気持を食い止めているのが、その仕事が途中でもれたために失敗することであり、法的な

秘密を守る義務である。その辺のところを研究すれば、ヒントさえあれば、聞き出せる手は、いくらでもあるのである。

新聞記者と警察官

先日、警察官が新聞記者に対し、記者と承知のうえで暴行した事件があった。各新聞は筆を揃えて、ことに朝日などは、〝記者が暴行されたからといって、取上げるのではないが〟と、なくてもがなの断り書きまでを前文に入れて、いずれも特筆大書したのだった。

そうして、この事件は、警察官の教養の問題として取上げられ、警職法にもひっかけられて、〝暴行する警察官〟として、大いに批判を受けたのである。

だが、私は暴行する警視庁予備隊ばかりが、表面的な暴行の事実だけを取りあげられ、非難されていることに疑問を持った。どうして、彼らが記者と承知のうえで、暴行を働らいたか、ことに、警部という地位や、年令からいっても、その暴行を阻止すべき人物までが、先頭に立って乱暴したかという、その内面にまで立入って考える必要があるのではあるまいか。

警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に、 一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。

最後の事件記者 p.178-179 映画物語のように脚色する

最後の事件記者 p.178-179 新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。
最後の事件記者 p.178-179 新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。

警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に、

一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。つまり、どんな小さなこと、それは事件発生の時間や、場所の番地、関係者の姓名、年令などという、いうなれば、事件の本質とは関係のない、末梢的な問題での、記者と新聞とのウソを、一番良くしっているからだ。

新聞は真実を伝えていない——このことを痛切に感じているのは、警察官とその事件の直接の関係者である。「ブンヤさんが大事件に仕立てちゃうのだからナ」「あんなマズイ女も、ブンヤさんにかかると〝美人殺さる〟だからナ」「よせよせ、そんな大事件じゃないし、背後関係もないし、つまらない、ただの事件だよ」と、こんな言葉は、デカ部屋や署長、次席の口から、しばしばきかれる言葉だ。

ニュース・センスの違いもあろう。その事件の社会的判断の違いもあろう。だけど、新聞記者は、事件をある時には美化し、ある時には必要以上に罪悪視し、ナイロン風船のようにふくらませ、映画物語のように脚色するのである。それを知っているのが警察官だ。

同時に、彼らは、その新聞記事によって起きてくる、社会的反響の大きさも、自分自身で良く知っている。だから恐れるのだ。署長の運転手が事故を起したが、新聞に出たために処分されたり、新聞に賞められたために、総監賞をもらったりと、いずれの面でも、その力の強さを知って

いる。そのため、彼らは必要以上に卑くつになり、記者の御機嫌をとるようになる。

試みに一例をあげるならば、新聞や新聞記者を軽べつも恐れもしないのは、警察学校を出てきて、はじめて外勤勤務になったばかりの、若いお巡りさんである。

彼らの前には、新聞記者も一般都民も、すべて一視同仁である。だから、彼らは臆面もなく、社旗をひるがえして、サッソウとスピードを出す自動車を停める。「スピードが出すぎている」「一時停止をしなかった」「信号無視だ」と。

同乗している記者の抗議も聞かばこそ、彼らは平気で運転手に免許証の提示を求める。交通違反通告書を渡す。その通告書が、やがて数時間後には、交通主任や交通課長のもとで、クズカゴに放りこまれるのも知らずに、正々堂々と職務を執行するのである。

そうして、何年かの経験を積むうちに、彼らはやがて、新聞と新聞記者を軽べつしたり、憎んだりするか、恐れるようになるのである。彼の経験の中に、「新聞は真実を伝えない」という、不信感が刻みこまれた時に。

私は、そのような心理的経過が、あの暴行警官たちにあったのではあるまいか、と考えている。話がそれてしまったが、特ダネ取材というのは、純枠に心理作戦なのであって、それは不断

の努力が必要なのである。必ずしも、他人より早く出勤したり、役所の中を熱心に歩き廻ることではない。

最後の事件記者 p.180-181 御用聞きをもっとも軽べつする

最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。
最後の事件記者 p.180-181 これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

話がそれてしまったが、特ダネ取材というのは、純枠に心理作戦なのであって、それは不断

の努力が必要なのである。必ずしも、他人より早く出勤したり、役所の中を熱心に歩き廻ることではない。

御用聞き記者

もちろん偶然が幸いした特ダネというのも多い。帝銀事件での、毎日のあのスクープ写真は、たまたま現場付近の自宅に、非番で在宅していた電話交換手の第一報が、警察の現場出張より早かったからであった。

私は三年間の警視庁記者クラブ在勤中、一週間に一度ある泊りに、いわゆる庁内廻りを一度もしなかった。夜から翌朝にかけて、翌日の日勤記者たちが出勤してくるまでの全責任は、この泊りの記者一名に負わされる。それなのに、私は御用聞き然と、庁内を「何かありませんか」と、廻ることに屈辱を感ずるので、要領良くこの庁内廻りを一度もしなかった。

私の取材理念は、「何か事件はございませんでしょうか」「何か教えて頂けませんでしょうか」「何か書かせて下さいよ」といったような、御用聞を、もっとも軽べつするのである。これほどおろかな取材方法があるだろうか。私は「今これをやってるだろう」「あれはどうなったんだ」「手伝うから、こういうのをやったらどうだ」「あのことでは、これだけ教えてやるから、ギヴ・アンド・テイクでいこう」といった調子である。

これでなければ、特ダネは絶対に書けないのである。憐れまれて、頂けるのは、雑魚しかない。どうして、呑舟の大魚はその辺にころがっているだろうか。

心理作戦は不断の努力だといった。私は警視庁へ通うのに、新宿の西口から都バスに乗って桜田門で降りる。西口から、バスに乗りこむと同時に、車内を見廻す。次の停留所二幸前で降りる人物を探し出すのだ。男女別、服装、手荷物、表情、態度、すべてのデータから、二幸前で降りそうな人をえらんで、その前に立つ。的中して降りれば、そのあとに坐る。二幸前がなければ、次の伊勢丹前だ。その次は四ツ谷駅前。

この三カ所で降りる人物を探し出さねば、桜田門まで立っていなければならない。そのためには、そこで降車する必然性を、外見的特徴から探り出し、判断するのである。その時、クツをみて警察官をえらび出し、その男が桜田門でおりるかどうかを、心の中でカケる。私服警官の前に立っていたならば、最後まで坐ることはできない。刑事のクツはすぐ判る。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

最後の事件記者 p.182-183 いわゆる記者のカンを養う

最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。
最後の事件記者 p.182-183 私は細かに車掌を観察する。彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。

次は車掌の観察である。警視庁の記者クラブ員には、都の交通局から都電用の優待パスが支給

される特典がある。パスには赤い二本線が入っている。都バス用は三本線で、二本線では都バスに乗れない。

だが私はこの二本線のパスで、都バスを利用するのである。そのためには、車掌の人柄如何が問題なのである。「これは都電用でバスには乗れません」と断るのもいれば、「どうぞ」と認めるのもいる。

私が準備している言葉は三種類だ。「お願いします」「これでもいいんでしょ」「御苦労さん」。私は細かに車掌を観察する。髪型、化粧、服装、他の乗客への態度、金の扱い方、切符の切り方、停留所名の呼称、その声音と声質。

そして、彼女が在職何年位か、何才位か、親切か、神経質か、明るいか、今朝は機嫌がいいか悪いか、男好きか、などと。そして、二本線のパスを示して、前の三種類の言葉のうちのどれかを使用するのだ。「どうぞ」という場合もあれば、「ダメなんですけど、この次からは切符を買って下さい」というのもあり、「ダメです」もあった。ダメの時に備えて、二十五円はポケットにすぐ出せる準備をして、恥をかかないようにしている。

このような訓練が、いわゆる記者のカンを養うのに、どのようにプラスしたかは、もちろんい

うまでもない、と信じている。当時、熱心に庁内を廻っていて、二度も大きな事件を落して、左遷された記者もいた。彼などは真面目で熱心だったが、いわば運が悪かったのであろう。その点では、私は運が良かったのかも知れない。

かつがれた婦人記者

私がサツ廻りのころである。上野署の少年係で、主任と名札のある机に坐ってボンヤリと考えこんでいると、ノックの音がして一人の婦人が、少しオズオズと入ってきた。私を認めると、一礼して近づいてきた。

隣りの防犯係の部屋とは、あけ放したドア一枚で通じていて、そちらでは数人の刑事が坐っていたが、少年係には誰もいなかった。私の前にきたその女性は、二十七、八才。彼女は、一枚の名刺を出して、「あのゥ、何か面白いことはございませんでしょうか」という。名刺をみると、某婦人新聞記者とある。『エ?』と、反問しながら、彼女の話し方を聞いて、「ア、この女はオレをデカと間違えているナ」と感じた。私はその時、この婦人記者を、一つダマせるところまでダマしてみよう、というイタズラ心が起った。芝居はお手のものである。

最後の事件記者 p.184-185 ぜひ連れてって下さい

最後の事件記者 p.184-185 『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』
最後の事件記者 p.184-185 『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』

私はその時、この婦人記者を、一つダマせるところまでダマしてみよう、というイタズラ心が起った。芝居はお手のものである。

『ダメですよ。近ごろは、面白いことなんぜありませんネ』

『でも、上野は少年関係では、地下道もあるし、何かあるンでしょう』

『イヤーね』

私は何だ彼だと雑談しながら、婦人新聞のことや、婦人記者のことを質問していた。こちらが取材していたのである。やがて、五時すぎたころ、隣室の婦警さんが、帰り仕度をして、私に「お先します」と挨拶をして通っていった。私は一言も、私は警察官で少年主任だなどとはいわない。ただ、読売の記者であることもいわなかった。私は心理作戦をたのしんでいたのであった。

やがて、フト腕時計をみて、「部長の奴、おそいナ」と呟いてから、声をひそめて、彼女に話しかけた。

『実はネ、あることはあるんですが……。あんたも、折角きたのだから、連れてってあげるかな?』

『エエ、ぜひお願いします。一体、何なんですか』

彼女はのり出してきた。

懸命な表情だ。

『あのね。(もっと声をひそめて)ある有名なデパートの女店員ばかりで組織した、売春グループを挙げるんです。それで、部長刑事のくるのを待っているんですよ』

『まあ、やっぱり本当なんですね、ぜひ、ぜひ連れてって下さい。恩に被ます』

『…ウーン…。仕方がない。じゃ、(時計をみて)六時半に、もう一度ここにきて下さい。時間を正確にネ、でないと、置いてきぼりですよ』

『すみません。決して邪魔はしませんから、あの、写真は撮ってもいいですか』

『マ、いいでしょう』

『じゃ、私、すぐ社に連絡してきます』

彼女は、この意外な大特ダネに、よろこび勇んで部屋を飛び出した。社へ連絡して、カメラマンを呼んでから、これがウソだと判ったら、それこそ自殺されるか、硫酸をかけられるかである。女はコワイものだから。私はもう階段の下までいってしまった彼女を、大声で呼び止めた。

『まだ、名前を申しあげてませんでしたが、私はこういう者です』

彼女は好意にみちたまなざしで、私の名刺に手を出した。が、次の瞬間、彼女はガバと机にう つぶしてしまった。

最後の事件記者 p.186-187 一番若い娘さんの友人を探した

最後の事件記者 p.186-187 確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。
最後の事件記者 p.186-187 確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。

『まだ、名前を申しあげてませんでしたが、私はこういう者です』

彼女は好意にみちたまなざしで、私の名刺に手を出した。が、次の瞬間、彼女はガバと机にう

つぶしてしまった。心持ちゆれてる肩をみつめながら、私は「イタズラがすぎたかな」と、スハといえば逃げられるように身構えながら、黙ってみつめていた。

 数分後、やっと彼女は顔をあげた。そして、自分のダマされッぷりに、恥かしそうに笑いながら、哀願したのである。

『アノ、何でもしますから、どうか、このことは誰にもいわないで下さいね。ことに新聞の人に……』

私もホッとして、ニヤニヤしながら、

『じゃ、お茶でもオゴンなさい』

といった。「第一、女の人が男に向って、何でもしますから、なンて頼み方をすれば、誤解されますよ」と、つけ加えた。

二人でお茶をのみながら、「第一、私が警察官、ことに警部補に見えますかね」と、彼女の人をみる眼のなさを叱ると、答えた。

『こんな話の判ったお巡りさんを、少年主任にしておくなんて、署長さんはエライと思い、警察も民主化したな、と感じながら、あなたのお話しを聞いていたンです』

その警察に、私はパクられたのである。

帝銀事件の面通し

帝銀事件の時は、記者の心理につけ入って仕事をしたことがある。帰り新参の私は、まだあまり各社の記者に、カオが売れていなかったので、できた芝居だったのである。

事件が起ると、読売〝捜査本部〟は、Sという人物を調べ出して、これこそ犯人なりと、確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。

入院先の聖母病院へ行ってみると、四人の病室への廊下が、入口で閉められていて、巡査が立番している。はるかに見通すと、病室のドアのところにも一人、制服の巡査が張り番だ。これではとてもダメだと思ったが、しばらく様子をみることにした。

各社の記者たちが、お巡りさんと口論している。「入れろ」「入れない」の騒ぎだ。私はそれをみると、急いで外へ出て、四人のうちの一番若い娘さんの友人を探し歩いた。ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

最後の事件記者 p.188-189 記者さんでいらっしゃいますか

最後の事件記者 p.188-189 『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』
最後の事件記者 p.188-189 『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』

ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

『だけど、新聞記者は入れないんです。だから、ボクはあなたのお兄さんになります。記者だということは黙っていて下さい』

大きな果物カゴを買うと、お見舞という札と、目立つようなリボンを飾った。これが小道具である。それをもって、私は彼女と二人で、再び聖母病院に行った。しばらく離れたところでみていると、廊下の入口の巡査を囲んでワイワイやっていた記者たちが、一人減り二人減りして、毎日の某君一人になった。

『あのう、記者さんでいらっしゃいますか』

『ええ、そうですが……』

彼はやや得意然と答える。私にも経験があるのだが、事件の現場などで、こういわれると、何かやはりうれしくて、胸をそらせたくなるものだ。彼は私たち二人をみ、そして、見舞の果物カゴをみた。

『あのう、私たち兄妹は、Aさんの仲の良い友人なのですが、Aさんの容態は如何でしょう。助かりますでしょうか。何しろ、妹が心配してどうしても見舞にというものですから…』

『あ、Aさんですか、大丈夫ですよ。生命には別条ありません。だけど、ウルサくて入れてく

れませんよ』

これで大丈夫である。この会話を立番の巡査に聞かせたかったのだ。記者でさえないことを、第三者、しかも記者に立証させれば、もう充分だ。私たち二人は、また向うの椅子にもどって坐った。やがて、その一人の記者は、しきりに「入れろ」とネバっていたが、あきらめて食事に出ていった。

この機会を狙っていたのだ。私は彼女をうながすと、急いで巡査のもとへ行った。

『アノ、お願いです。元気な顔をみてくるだけですから、入れてやって下さい。この妹が、どうしてもッて、いうもんですから』

巡査はうなずいて、通してくれた。病室の入口の巡査も、第一の関門を通ってきた女連れなので、容易に入れてくれた。私はワクワクである。

ドアをあけて、中に一歩入ったとたん、私は驚いた。病室の中にも一人の巡査がいるではないか! 女二人、男二人が、一室の中で左右に分れてねている。巡査は、その中央のツイタテの処で、フロの番台のように坐っている。

彼女はAさんのニコヤカな表情に迎えられたが、私へは誰の顔からも反応がない。果物をAさ

んの枕許におくと、巡査に背を向けて内ポケットの写真をとり出した。

最後の事件記者 p.190-191 百万円持ち逃げ事件

最後の事件記者 p.190-191 『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』
最後の事件記者 p.190-191 『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』

彼女はAさんのニコヤカな表情に迎えられたが、私へは誰の顔からも反応がない。果物をAさ

んの枕許におくと、巡査に背を向けて内ポケットの写真をとり出した。

『この男ですか』

Aさんは似てると答えたが、隣りのMさんは、サアと考えた。もう、バレても仕方がない。見舞を装って、男の側へ廻ると、二人の男の枕許で、大ぴらに写真を見せた。二人とも似ていますよ、と答えた時、私は背後から巡査に抱きすくめられてしまった。

面通しの結果は、七十五%も似ている、だったが、このSはやがてシロくなった。私の面通しの結果で、ヴェテラン記者が、すぐその夜に山形へ会いに出張したほどだったが。

下山事件の時は、法医学会へ週刊読売の沢寿次編集長が、法医学者を装ってモグリこんだのだが、開会前に、学校名と氏名の点呼が行なわれて、ツマミ出されたということもあった。

百万円持ち逃げ事件

私の心理作戦が、本当に実を結んだ事件がある。「百万円の四日天下」と、続き写真入りの紙芝居である。私はそこで、旅館の番頭に扮して、ピストルをもった百万円拐帯犯人の逮捕に協力したのであった。

神田神保町の甲陽館という旅館の女将から、電話がかかってきたのは、もう夕方であった。夕刊も終り、朝刊へうつる、緊張から解放された時間だったので、私はものうく、鳴りつづける電話に手をのばした。受話器を耳にあてると、あたりをはばかるような相手の声に、私はハッとひきしまった。

『今日のおタクの夕刊に出ている、仙台の百万円持ち逃げ犯人と同じような男が、ウチに泊っていますがどうしましょうか』

愛読者というものは、ありがたいもので、警察よりも先に知らせてくれたのだ。私はもう一人の記者と、旅館へかけつけた。指名手配の犯人は小島行雄(二一)だが、宿帳には小島行夫とかいてある。

事情を聞いてみると、この日の夕方四時ごろ、若い男二人がパンパン風の若い女二人と連れ立って現れた。四人は少憩ののち、一緒に出かけたかと思うと、やがて男女四人とも、上から下まで新品づくめの、バリッとした服装に変って帰ってきた。

やがて女二人が出かけ、男二人は夕食を食べてからおでかけである。「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持

ち逃げ」の記事だ。宿帳とつき合せてみると、名前も住所もほとんど同じ。

最後の事件記者 p.192-193 怪しまれない人物は?

最後の事件記者 p.192-193 番頭に大男は禁物である。金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではない
最後の事件記者 p.192-193 番頭に大男は禁物である。金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではない

やがて女二人が出かけ、男二人は夕食を食べてからおでかけである。「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持

ち逃げ」の記事だ。宿帳とつき合せてみると、名前も住所もほとんど同じ。

『もう恐くてヒザがガタガタ……』と。そこで、相談かたがた本社へ急報したという次第だった。

部屋にはボストンバッグが二つ。中をあけてみることは容易だが、もし全くの人違いだったらエライことだ。まず、小島行夫が、小島行雄であることを確認せねばならない。「二人に会っても怪しまれない人物は?」と、考えついたのが、旅館の番頭である。

番頭に大男は禁物である。客を見下すことになるし、金のある奴は大体からして、肥った小さいのが多い。私は五尺七寸五分の長身、眉目秀麗で、あまり〝番ちゃん〟スタイルではないが、これは演技カで補うことにした。衣裳は、肝心なのがズボンである。これは坐りつけているため、ヒザが丸くなっていなければいけない。そこで、ツンツルテンだけれども、衣裳はすべて本物と決めた。

同行の記者は、写真の手配、サツとの連絡係だ。こうして、準備万端整えて、初日兼千秋楽の幕が上ったのは夜の十時すぎ。主役の私は帳場のオモテイタツキである。

表がガヤガヤとやかましくなったとみるや、男たちは付近のキャバレーの女の子たちに囲まれ

て、御機嫌うるわしい御帰館、いや登場である。

『お帰りなさいまシ』

帳場から飛び出すや、小腰をかがめて、モミ手よろしく、スリッパをそろえる。

『オット、お危うございます』

小島の腕をとるとみせかけて、実は身体捜検。ピストル、アイ口類の兇器が、背広の下にかくれていないかと、さわってみる。

『何分、夜は女中どもを休ませますので…。何しろ、労働何とかの時代で…』

と、言い訳しながら、酒だ、ビールだと騒ぐのをあしらって、再び部屋での酒盛りのサービスに忙しい。台所では、女将や女中たちが、他処行き姿の番頭まで加えて、おびえたような顔で待っている。

番頭作戦成功

女の子たちが、「菓子」というので、また台所へ飛んできて、菓子鉢を持ってゆくと、

『ドオ、番頭さん、甘いのは?』

最後の事件記者 p.194-195 兇器まで入っている感じだ

最後の事件記者 p.194-195 仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。
最後の事件記者 p.194-195 仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。

番頭作戦成功

女の子たちが、「菓子」というので、また台所へ飛んできて、菓子鉢を持ってゆくと、

『ドオ、番頭さん、甘いのは?』

『へエ、どうも恐れ入ります』

坐りこむキッカケをみつけたので、まず一同ヘビールをついでから、女給さんのとってくれる和菓子をキチンと両手で受ける。

『ダンナ様方は仙台の方で……。私は岩手県なものですから、東北の方はお懷しうございますナ』

『何いってンのよ。ダンナ様だなんて。こちらは社長さんのお坊ッちゃんよ』

仙台という言葉に、キャッキャッと騒ぐ女給たちの嬌声の中で、小島がフト耳を傾けて、酔眼がキラリと光った。

『仙台といえば、私の遠縁の者が、日発の支店に勤めておりまして、イヤ、どうせ守衛なんでございますが……』

小島が勤めていた日発の話、グッと表情が変るのを見逃さなかった。四方山の雑談をすること、約三十分。その中に、小島の犯行を暗示する痛い質問が、時々入る。

反応はもう充分。さっきまでのデレデレの酔態が、次第に白けてきて、男二人は顔色まで青くなってきた。犯行の記憶が呼び覚まされたのであろう。

ビールを取りに立ったついでに、待機の記者に合図。神田署から二人の刑事がかけつけてくる。台本の筋書は、臨検として刑事が部屋に入って、職質をやるという手筈。それまで、間をつないでおくのが私の役目だ。

小島が女給のビールを受けながら、床の間のボストンに眼をやる。

——危い!

あの中には、札束ばかりか、兇器まで入っているような感じだ。何とかして、遠ざけておかねばならない。

『ダンナ様、チャンポンなさったのではございませんか。お顔が青いようです。しばらくの間、およりになっては……』

押入れをあけて枕と毛布を出す。座ブトンを並べて、場所をつくる間に、ボストンを押入れの中に突っこんでしまった。

『番頭サン、チョット』

女中が廊下から呼ぶ、刑事がきた!

『アノ、誠に恐れ入りますが、別のお部屋で、お客様にチョット間違いがございましたので、警

察の方が……』

サツと聞いて、ガバとはね起きた小島は、床の間へ手をのばしたが、もう、その時には二人の刑事がズイと入ってきていた。

最後の事件記者 p.196-197 私の名演技〝番頭〟が酒の肴に

最後の事件記者 p.196-197 パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。
最後の事件記者 p.196-197 パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。

女中が廊下から呼ぶ、刑事がきた!

『アノ、誠に恐れ入りますが、別のお部屋で、お客様にチョット間違いがございましたので、警

察の方が……』

サツと聞いて、ガバとはね起きた小島は、床の間へ手をのばしたが、もう、その時には二人の刑事がズイと入ってきていた。

職務質問だ。バックの中味が取出される。白いハンケチ包みが出る。

「アア、カメラね』

これがお芝居とは気づかぬ女たちは、社長令息を信じきって、かえってハシャギながら叫んだ。

パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。女たちもさすがにハッと息をのむ。男二人は、机にうつ伏して、肩で息をしている。もはや、立派に覚悟の態だった。

つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。

その夜も、そして、その次の夜も、ことに「ハンニンタイホニ、ゴキョウリョクヲシャス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。私は、警察の捜査の〝協力者〟であった。

「東京租界」

新聞記者入るべからず

二十七年四月二十八日、日本は独立した。この年の二月の末から、社会部では、辻本次長が担当して、「生きかえる参謀本部」という続きものをはじめ、私もその取材記者として参加した。これは、講和を目前に迎えて、日本の再軍備問題を批判した企画であった。

この早春のある朝、私は辻政信元大佐を訪れた。仮寓へいってみると、入口には、「警察官と新聞記者、入るべからず」と、墨書した木札が出ている。これにはハタと困って、しばらくその門前で考えこんでしまった。

だが、そのまま引返すほどなら、記者はつとまらない。私は門をあけ、玄関に立った。日本風の玄関はあけ放たれて、キレイに掃除してある。「御免下さい」と案内を乞うと、すぐ次の間で 声がした。

最後の事件記者 p.198-199 では、毎朝七時にここへ来い

最後の事件記者 p.198-199 『ワシは新聞記者はキライだ。会いたくない』声はすれども、姿は見えずだ。辻参謀はチャンとそこにいるのだが、一向に現れない。
最後の事件記者 p.198-199 『ワシは新聞記者はキライだ。会いたくない』声はすれども、姿は見えずだ。辻参謀はチャンとそこにいるのだが、一向に現れない。

この早春のある朝、私は辻政信元大佐を訪れた。仮寓へいってみると、入口には、「警察官と新聞記者、入るべからず」と、墨書した木札が出ている。これにはハタと困って、しばらくその門前で考えこんでしまった。

だが、そのまま引返すほどなら、記者はつとまらない。私は門をあけ、玄関に立った。日本風の玄関はあけ放たれて、キレイに掃除してある。「御免下さい」と案内を乞うと、すぐ次の間で

声がした。

『誰方?』

『読売の社会部の者ですが…』

『ワシは新聞記者はキライだ。会いたくないから、チャンと門に書いておいたはずだ』

声はすれども、姿は見えずだ。辻参謀はチャンとそこにいるのだが、一向に現れない。

『しかし、御意見を伺いたいのです。ことに、日本独立後の再軍備問題なので、是非とも、おめにかかって、親しく、御意見を伺わねばなりません。再軍備問題は、するにせよ、しないにせよ、新聞としては当然、真剣に、読者とともに考えるべきものです。』

『よろしい、趣旨は判った。しかし、ワシは新聞記者がキライで、会わないと決心をしたのだから、会うワケにはいかん。』

『いや、会って下さい。私も一人前の記者ですから、それだけの理由で、敵陣に乗りこみながら、ミスミス帰るワケに行きません。それでは、出てこられるまで、ここで待っています』

私も突ッぱった。向うも、こちらも大声である。畜生メ、誰が帰るものか、と、坐りこむ覚悟を決めた。

『ナニ? どうしても会う気か』

『会って下さるまで待ちます』

『ヨシ、どんなことでもするか』

『ハイ』

『では、毎朝七時にここへ来い。君がそれほどまでしても会うというなら、会おう。毎朝七時、一カ月間だ』

『判りました。それをやったら、会ってくれますね』

そう返事はしたものの、私はユーウツであった。朝早いのには、私は弱いのである。毎朝七時に、この荻窪までやってくるのは、大変な努力がいる。しかし、読売の記者は意気地のない奴、と笑われるのもシャクだ。

——このガンコ爺メ!

舌打ちしたいような気持だったが、猛然と敵慨心がわいてきて、どうしても会ってやるぞ、と決心した。仕方がないから、社の旅館に泊りこんで、毎朝六時に起き、自動車を呼んで通ってやろうと考えた。

最後の事件記者 p.200-201 ナニ? 将校斥候だと?

最後の事件記者 p.200-201 私の感想では、現代の二大アジテーターが、日共の川上元代議士と辻参謀だと思う。はじめて会った辻参謀は、約一時間以上も、それこそ、じゅんじゅんと語った。
最後の事件記者 p.200-201 私の感想では、現代の二大アジテーターが、日共の川上元代議士と辻参謀だと思う。はじめて会った辻参謀は、約一時間以上も、それこそ、じゅんじゅんと語った。

三田将校斥候到着

その夜、旅館のフトンの中で考えた。一カ月といったら、続きものが終ってしまう。何とか手を打って、会う気持にしてやろう。

翌朝、ネムイ眼をコスリながら、七時五分前に門前についた。時計をニラミながら、正七時になるのを待った。私には一つの計画があった。

正七時、私はさっそうと玄関に立った。すでに庭も玄関も、すべてハキ清められているではないか。老人は早起きだ。

『お早ようございまーす。三田将校斥候、只今到着いたしましたッ』

私は、それこそ軍隊時代の号令調整のような大音声で呼ばわった。

すると、意外、次の間の読経らしい声がピタリと止んで、

『ナニ? 将校斥候だと? 将校斥候がきたのでは、敵の陣内まで偵察せずには、帰れないだろう。ヨシ、上れ』

辻参謀は、そういいながら玄関に現れた。私は、自分の計画が、こう簡単に成功するとは考え

ていなかったので、半ばヤケ気味の大音声だった。だから、計画成功とばかり、ニヤリとすることも忘れていた。

寒中だというのに、すべて開け放しだ。ヤセ我慢していると火鉢に火を入れて、熱いお茶を入れてくれて、じゅんじゅんと語り出していた。

私の感想では、現代の二大アジテーターが、日共の川上元代議士と辻参謀だと思う。川上流は、持ちあげて湧かせて、狂喜乱舞させてしまうアジテーション。私は、彼の演説を聞くたびに、記者であることを忘れて、夢中になって拍手してしまうほどだ。

辻流は、相手をグッと手前に引きよせて、静かに自分のペースにまき込んでしまう対照的な型である。はじめて会った辻参謀は、約一時間以上も、それこそ、じゅんじゅんと語った。

『マ元帥はもはや老朽船だ。長い間、日本にけい留されている間に、船腹には、もうカキがいっぱいついてしまって、走り出そうにも走れない。このカキのような日本人が、沢山へばりついているのだ……』

参謀は、そういいながら、彼の書きかけの原稿をみせてくれた。読んでみると、反米的な内容だが、実に面白く、私たちの漠然と感じていることを、実に明快に、しかもハッキリといい切っ

ている。

最後の事件記者 p.202-203 仕事で来いと、張り切っていた

最後の事件記者 p.202-203 私一人でやらせて下さい。ただ、英語が必要だから、牧野君を、協力者として下さい。それにもう一つ、時間と金を、タップリ下さい。
最後の事件記者 p.202-203 私一人でやらせて下さい。ただ、英語が必要だから、牧野君を、協力者として下さい。それにもう一つ、時間と金を、タップリ下さい。

参謀は、そういいながら、彼の書きかけの原稿をみせてくれた。読んでみると、反米的な内容だが、実に面白く、私たちの漠然と感じていることを、実に明快に、しかもハッキリといい切っ

ている。

私はその原稿を借りて帰った。原部長に見せると、「実に面白い」と感心された。私は良く知らないが、原部長は、まだ占領期間中であるのに、その原稿を読売の紙面に発表して、問題を投げかけ、読者に活発な論争をさせようと企画したらしい。

「あのような激しい、占領政策批判の記事を?」と、私は内心、部長の企画に眼を丸くして驚いた。しかし、この原稿は社の幹部に反対されたらしく、部長もついに諦めたらしかった。

夜の蝶たち

こんな部長の企画が、独立後半年も続いていた占領国人の特権猶予に対して、敢然と批判を加える、新しい企画になって、続きもの「東京租界」が実を結んだ。

その年の初夏から、警視庁の記者クラブへ行っていた私は、この企画のため、辻本次長に呼び返された。といっても、もちろん、クラブ在籍のままである。その年の春、チョットした婦人問題を起して、クサリ切っていた私を、気分一新のため警視庁クラブへ出し、そして、初仕事ともいえるのが、この「東京租界」であったのである。

当時その問題のため、三田株は暴落して、彼は再び立ち上れないだろうとまで、仲間たちからいわれていた。そうなると、人情紙風船である。私に尾を振っていた連中も、サッと見切りをつけて、素早く馬をのりかえるのであった。菊村到の送別会が開かれなかったということでも、新聞社の空気というものが、うなずかれるであろう。

私は辻本次長に、私を起用してくれたことを感謝しながらも、条件をつけたのである。

『多勢の記者とやるのなら、イヤです。私一人でやらせて下さい。ただ、英語が必要だから、牧野君(文部省留学生で、一年間オハイオ大学に留学していた)を、協力者として下さい。それにもう一つ、時間と金を、タップリ下さい。必らずいい仕事をして、思い切り働らいてみせます』

私の願いは叶えられて、九月に入ると間もなく、私は自由勤務となった。私は、私が再起できないという、部内の流言に対して、仕事で来いと、張り切っていたのであった。

十月二十八日、日本独立の日から六カ月の後、ついに在留外国人たちの、一切の特権は否認された。猶予期間が終ったのである。

それまでは、連合国人と第三国人とにとって、日本は地上の楽園だったのである。一番大きな特権は〝三無原則〟と呼ばれた、無税金、無統制、無取締の、経済的絶対優位であった。

最後の事件記者 p.204-205 不良外人の三大基地をブラつく

最後の事件記者 p.204-205 夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。
最後の事件記者 p.204-205 夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。

それまでは、連合国人と第三国人とにとって、日本は地上の楽園だったのである。一番大きな特権は〝三無原則〟と呼ばれた、無税金、無統制、無取締の、経済的絶対優位であった。

その結果、日本はバクチや麻薬、ヤミ、密輸、売春といった、植民地犯罪の巣となりはてていた。それは、読売がいみじくも名付けた、〝東京租界〟そのものであった。

九月はじめ、この企画を与えられて、まず不良外人の一般的な動静から調べ出した。内幸町の富国ビル、日比谷の三信ビル、日活国際会館という、彼らの三大基地をブラつく毎日がはじまった。伝票を切って、小遣銭はタップリある。私はそのビルのグリルやバー、レストランやパーラーで、のんびりと構えていた。

長身の私は、一見中国人風なので、富国ビルあたりから出てくると、「ハロー・ボーイさん! シューシャン!」と、クツみがきに呼びかけられるほどだった。

夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。こんな時に一番協力してくれたのは、ホステスと呼ばれる、いわば外人用〝夜の蝶〟たちであった。

彼女たちは、やはり日本人である。決して外人たちのすべてを是認していたワケではない。あまり日本人と付合ったことのない彼女たちは、私の卒直な酔い方に興味を持って、夕方の銀座あ

たりで、クラブのはじまる十時ごろまで、よくデートしたものである。

女に不用心なのは、全世界どこの国でも共通らしい。男には必要以上に警戒心を払っていても、男たちは、悪事に限らず、女に対しては開放的であり、全くの無警戒であった。日本人は、男女一対でいると、すぐ情事としか考えない。だが、女こそニュース・ソースの大穴である。

もっとも、女からはニュースのすべてを取ることはできない。しかし、ヒントは必らず得られるのである。役所のタイピストに、コピーを一部余計にとれとか、捨てるタイプ原紙を持ち出してこい、と命じたら、たとえ自分の彼女であっても、事は露見のもとである。タイピストたちは、挙動が不審になり、手も足もふるえて、怪しまれるに違いない。

しかし、高級役人の秘書たちから、誰がたずねてきて、何時間位話しこんでいたとか、どんなメムバーの会議だとか、取材の最初のヒントは必らず得られる。

クラブ・マンダリンのパイコワン

国際バクチの鉄火場だった、銀座のクラブ・マンダリン(今のクラウン)は、いまのように洋風で華やかなキャバレーではなく、荘重な純中国風のナイト・クラブだった。戦時中、「東洋平

和への道」などの、日華合作映画の主演女優だったパイコワン(白光)の趣味が飾られ、小皿の一つにいたるまでの食器が、すべて香港から取りよせられるという凝り方だった。

最後の事件記者 p.206-207 昔懐しい中国人の映画女優

最後の事件記者 p.206-207 私は、このパイコワンと親しかった。昼間の彼女は、何かオカミさんじみて幻滅だった。だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。
最後の事件記者 p.206-207 私は、このパイコワンと親しかった。昼間の彼女は、何かオカミさんじみて幻滅だった。だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。

クラブ・マンダリンのパイコワン

国際バクチの鉄火場だった、銀座のクラブ・マンダリン(今のクラウン)は、いまのように洋風で華やかなキャバレーではなく、荘重な純中国風のナイト・クラブだった。戦時中、「東洋平

和への道」などの、日華合作映画の主演女優だったパイコワン(白光)の趣味が飾られ、小皿の一つにいたるまでの食器が、すべて香港から取りよせられるという凝り方だった。

赤い支那繻子で覆われた壁面や、金の昇り竜をあしらった柱、真紅の支那じゅうたんなど、始皇帝の後宮でも思わせるように、豪華で艶めしかった。照明は薄暗く、奥のホールでは静かにタンゴ・バンドが演奏しており、白い糊の利いた上衣のボーイたちが、あちこちに侍って立っていた。

私は、このパイコワンと親しかった。もちろん、彼女には彼女なりに、私と親しく振舞う理由があった。昼間の彼女は、切れ長の目が吊り上った支那顔で、早口の中国語で、怒鳴ってるのかと思うほどの調子でしゃべる時などは、何かオカミさんじみて幻滅だった。

だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。私はさっきから、家鴨の肉と長ネギと、酢味噌のようなものを、小麦粉を溶かして焼いた皮につつんだ料理を、彼女が手際よくまとめてくれるのをみていた。客の前に材料を揃えて、好みのサンドウイッチを作って喰べるのに似ている。

その器用に動く指を、眼でたどってゆくと、この腕まで出した彼女の餅肌の白さが、ポーッと

二匹の魚のように鈍く光っていた。

『美味しいでしょ?』

少し鼻にかかった甘い声で、彼女は私にいった。正面はともかく、横顔はまだ十年ほど前ごろのように美しい。彼女も映画のカメラ・アイで、それを承知しているらしく、話す時にはそんなポーズをとる。

私が彼女の映画をみたのは、その頃だった。清純な姑娘だった彼女も、今では下腹部にも脂肪がたまり、四肢は何かヌメヌメとした感じの、濃厚な三十女になってしまった。

パイコワンといえば、今の中年以上の人には、昔懐しい中国人の映画女優である。この数奇な運命をたどった女優には、彼女らしい伝説がある。

上海のある妖楼で働らいていた、彼女の清純な美しさに魅せられた、特務機関の中佐がすっかりホレこんで、これを映画界へ送りこんだというのがその一つである。

ところが、その真相は、その中佐の部下の中尉に眉目秀麗な男がいた。上海郊外で宣撫工作に従事していた中尉と、田舎娘のパイコワンとの間に、いつか恋が芽生えた。だが、命令で内地帰還となった中尉は、彼女にそれを打明け切れずに、姿をかくしてしまった。

最後の事件記者 p.208-209 パイコワンは殺されそうだと

最後の事件記者 p.208-209 警視庁の手が入ったので、ポリスに密告したのはお前だろうと、リプトンがパイコワンをおどかしたことがあるという。
最後の事件記者 p.208-209 警視庁の手が入ったので、ポリスに密告したのはお前だろうと、リプトンがパイコワンをおどかしたことがあるという。

狂気のように中尉を求めたパイコワンが、たずねたずねて上海の機関へきた時、中佐に見染められ、だまされて女優になった。戦後、漢奸として追われた彼女は、日本へ入国するために米人と結婚し、中尉を求めて渡ってきたのだと。

また、戦時中の政略結婚で、南方の小王国の王女と結婚した、さる高貴な出身の日本人がいた。戦後、王国の潰滅とともに、香港に逃れたその日本人は、そこでパイコワンとめぐり合った。二人の魂は結ばれたが、男が日本へ引揚げたあとを追って、彼女もまた日本へ移り住んだともいう。

私にその物語を聞かされたパイコワンは、心持ち顔をあげて、眼をつむり、静かに話の終るのを待っていた。

『素敵なお話ね。ロマンチックだわ』

そう呟いたきり、否定も肯定もしなかった。だが、何か隠し切れない感情が動いているのを見逃すような私ではなかった。

美しき異邦人

——何だろう?

そう思った時、私はフト、彼女にせがまれて、警視庁の公安三課へ連れていったことを思い出した。

当時、マニラ系のバクチ打ちで、テッド・ルーインの片腕といわれるモーリス・リプトンが、このマンダリン・クラブの二階で、鉄火場を開こうとしたらしい。ところが、警視庁の手が入ったので、ポリスに密告したのはお前だろうと、リプトンがパイコワンをおどかしたことがあるという。

『ヤイ、ここが東京だからカンべンしてやるが、シカゴだったら、もうとっくに〝お眠り〟だぜ!』と。

リプトンにそのことを聞くと、「ナアニ、久しぶりであったものだから、懐しくて眼を少し大きくムイただけでさア」と、笑いとばされてしまった。

しかし、パイコワンは、殺されそうだと騒ぎ立てた。その話をききに、〝密輸会社〟といわれるCATの航空士と住んでいた、赤坂の自宅に彼女を訪れたのが、交際のはじまりであった。

『ねえ、私、日本人にはお友達がいないのよ。どうしたらいいか判らないのよ。相談に乗って

ね』 彼女はこんな風にいった。

最後の事件記者 p.210-211 警視庁の山本公安三課長に紹介

最後の事件記者 p.210-211 この中佐が、実は中共のスパイで、パイコワンがこの中佐としばしば会っている。つまりパイコワンにも、スパイという疑いがかかっていたのだ
最後の事件記者 p.210-211 この中佐が、実は中共のスパイで、パイコワンがこの中佐としばしば会っている。つまりパイコワンにも、スパイという疑いがかかっていたのだ

『ねえ、私、日本人にはお友達がいないのよ。どうしたらいいか判らないのよ。相談に乗って

ね』

彼女はこんな風にいった。彼女はこのクラブに、共同出資で投資して、千三百万円ばかりを出しているという。しかし、警視庁の手が入ったのでコワくなり、金をとりもどして手を引こうとしていた。

『もうイヤ。早くこの問題を片付けて、また映画をとりたいわ。香港の張善根さんなどからも、誘いがきているのだけど、クラブでお金を帰してくれないもの、私、食べて行けないわ』

そこで、彼女は形ばかりでも警視庁へ訴え出ようというのと、読売の租界記者と親しいことを宣伝して、クラブへの投資をとり返そうとしていたのだ。私は一日彼女を伴って警視庁の山本公安三課長に紹介した。

『課長さんのお部屋、ずいぶん立派ですのねえ』

などと、お世辞をいわれて、さすがは課長である。即座に言い返した。

『いやあ、どうも、私の課には、あなたのことを、良く知っているものがいますよ』

と、やはりお世辞のつもりでやったところ、パイコワンの眉がピクッと動いた。課長はすぐ言い直した。

『つまり、あなたのファンです。呼びましょうか』

ファンという言葉で、はじめて彼女は「どうぞ」と明るく笑った。その時の微妙な変化は、私の語る伝説を聞き終った時にも似て、何か考えさせられるものがあった。

当局には、パイコワンに関する、こんな情報が入っていたのである。例の何応欽将軍が日本へきた時、随員の一人に中佐がいた。この中佐が、実は中共のスパイで、国府側にもぐりこんでいたのだが、パイコワンがこの中佐としばしば会っているというのだ。つまりパイコワンにも、スパイという疑いがかかっていたのだった。

フト、音楽がやんだ。バンドの交代時間らしい。パイコワンはいった。

『私、日本人で、一人だけ好きな方がいました』

——あの表情の変化は、自分の悲しい恋を想って心動いたのかしら、それとも、中共スパイという、心のカゲがのぞいたのかしら?

中国に、中国人として生れて、上海、香港のような植民都市を好み、米人の妻となり、日本の恋人の面影を求めて、新らしい植民都市東京に流れてきた彼女。そこには、スパイではないかと疑っている官憲が、その挙動をみつめている。