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迎えにきたジープ p.152-153 日本に反米感情を育てあげた

迎えにきたジープ p.152-153 The Canon Unit is a secret agency that belonged to G-2. But that was the gang who came for the education of all kinds of colonial crimes. Smuggling, looting, gambling...and drugs.
迎えにきたジープ p.152-153 The Canon Unit is a secret agency that belonged to G-2. But that was the gang who came for the education of all kinds of colonial crimes. Smuggling, looting, gambling…and drugs.

アメリカではこれらの欠点を、やはり金と力と物とで補っている。例えば大がかりな文書諜報である。公刊された各種の新聞、雑誌、書籍、ラジオ放送までの資料を最大限に集めて、その中に明らかにされている片言隻句の情報を集める。それを系統づけてゆくというやり方であ

る。

 その限りではある程度の成功も納め得ているに違いない。後述のタウン・プラン・マップもその伝である。しかし、実行機関の方は常に失敗の連続で破綻を見せ、その失敗の影響が成功の面を喰い荒している。その良い例が、鹿地事件で悪名高いキャノン機関だ。

 キャノン機関というのは、典型的なギャング・タイプのキャノン中佐を長として、G—2に所属していた秘密機関である。その詳細はあまりにも有名であるので、ここでは省略するが、シッポを出したのは鹿地事件ばかりではなく、枚挙にいとまがないほどである。

 その暴状振りは、秘密機関というのも街のボスのそれであり、密航、密貿、略奪、バクチ、麻薬など、それこそあらゆる植民地犯罪の教育に来たギャングそのものであった。

 二十九年六月二十九日、六年四ヶ月の長期にわたった警視総監を辞任した田中栄一氏も、二十三年六月のライアン大尉殺し事件でこのキャノンに脅迫されたのをはじめとして、その在任中悩まされ続けたといっている。斎藤警察庁長官と田中官房副長官との共著で「キャノン罪悪史」をまとめたならば、占領秘史として極めて有意義なものであろう。

 キャノン機関と連絡を持っていたといわれる日本人は、それこそ掃いて捨てるほどいる。赤坂のナイトクラブ、ラテンクォーターに拠る児玉機関、三越前ライカビルの亜細亜産業の矢板

兄弟、これは交詢社で「バラ」という雑誌をやっていた。日動ビルの岩本機関、教文館ビルの日本通商グループの川本芳太郎元中将(31期)ら、柿ノ木坂グループの長光捷治元憲兵中佐(39期)ら、東方社の三田村四郎氏らの三田村機関、北京特機出身の日高富明元大佐(30期)らの日高機関、ハルビン特機出身の小野打寬元少将(33期)らのグループ、朝鮮人の韓道峰らの桂機関、延録機関、馬場裕輔の馬場機関など、書き切れない。

しかし、これらのやった仕事は、純粋な諜報謀略から外れており、金儲け第一主義なのである。(その詳細は第四集〔羽田25時〕を参照)

このような秘密機関のため、日本にどのように反米感情を育てあげたか、NYKビルの功罪は、まだしばらく時をかさねば明らかにはなるまい。

二 ウソ發見機の密室

NYKビルとは一体何なのだろうか。まず、この日本郵船(NYK)がもっている東京駅前の六階建のビルの実態を明らかにしなければなるまい。

一口に秘密機関といっているのは、要するに諜報謀略機関のことである。この秘密機関には、公然と非公然とがあるのは、世界各国を通じて同じである。

例えば、麻布の元ソ連代表部が、諜報謀略工作をやっていることは常識であるが、では何をどうやっているかということは明らかではない。だからこれは公然秘密機関である。警察でも 同様で、公安関係は特高といわれるように、やはり公然秘密機関でもある。

迎えにきたジープ p.174-175 アメリカのキャノン機関の仕業

迎えにきたジープ p.174-175 The two car abduction cases are undoubtedly the work of the Canon Unit of US. Only the Canon Unit can exert such a brute force and villainous gangster behavior.
迎えにきたジープ p.174-175 The two car abduction cases are undoubtedly the work of the Canon Unit of US. Only the Canon Unit can exert such a brute force and villainous gangster behavior.

その後横浜の病院に連れて行かれて、レントゲンを撮った。二十九日夜、目隠しされて川崎の別荘風の家に監禁された。鍵をかけた一室に閉ぢこめられ、べットに足かせをかけられたままの状態で、毎日米側から自分達の手先になれ、然らずんば死を選べと迫られ、精も魂も尽き果てて、十二月二日未明シャンデリアに帯をかけて自殺を図ったが果さず、それからクレゾールを呑んだがこれも失敗、これを見て飯運びの山田君が同情して、外部との連絡を取ってくれた(衆議院法務委員会における鹿地氏証言)

〝怪文書〟に衝撃をうけた池田幸子夫人は、二十七年十一月九日に夫君の搜索願を藤沢市署に提出し、市署では家出人としての搜索を始めたので、ここではじめて一流紙の報道するところとなった。それから一ヶ月近く経った十二月七日、鹿地氏が突然自宅に姿を現わして、大騷ぎとなったわけである。

この二つの怪自動車は間違いなくアメリカのキャノン機関の仕業である。これほど強引でデタラメな、ギャング振りを発揮できるのはキャノン機関以外にはないのだ。

キャノン機関の所属するCIAの前身が、戦時中重慶にあったOSSであったことはすでに述べた通りであるが、この第二次大戦中の各国の秘密機関は、それぞれの特色を持っていた。

OSSの得意とするのは謀略と逆スパイ工作であるといわれている。

逆スパイとスパイの逆用とは、全く違うことである。常識的に使われる二重スパイという言葉も、厳密にいうと間違っている。三橋氏が二重スパイだといわれるが、これは誤りで、彼はソ連のスパイだったのが、逆用されてアメリカのスパイになったのである。

二重スパイというのは、二つの陣営に全く同じ比重で接触しているものをいう。第一次大戦以後の各国の秘密機関は、諜報、防諜両面で飛躍的な進歩を遂げたため、スパイというのはその末端で必ず敵側と接触を持っていなければならなくなった。

つまり、大時代的な、個人プレイだけでは何もスパイできなくなり、組織の力が大きくなったのである。そのため、各国の諜報線は必らずどこかでクロスしており、七割与えて十割奪う形態をとるようになってきた。いいかえれば、すべてがいわゆる二重スパイなのである。ただ、その力関係がどちらの陣営に大きいか、どの陣営により奉仕しているか、ということで、そのスパイは比重の大なる陣営のスパイといわれるのである。

だから三橋氏の場合はアメリカのスパイであり、鹿地氏もまた、アメリカのスパイである。正確にいえば、逆スパイとは、スパイをスパイしてくるスパイのことであり、複スパイとは、スパイを監察するスパイのことである。逆スパイとスパイの逆用との違いは、その取扱法の上でハッキリ現れている。

赤い広場ー霞ヶ関 p.088-089 志位氏の手記から引用しよう

赤い広場ー霞ヶ関 p.088-089 He thrust a small piece of paper hidden behind his palm   into my pants pocket.
赤い広場ー霞ヶ関 p.088-089 He thrust a small piece of paper hidden behind his palm into my pants pocket.

また「私はアメリカのスパイだった―キャノン機関の手先として」(サンデー毎日二十八年八月二日号)板垣幸三氏は、終戦時樺太でソ連軍人のボーイ(十五才)となり、北鮮を経て密輸船で日本へ入国、キャノン機関で教育され、最後は同機関のアジトの赤坂見付のドライヴ・イン(ラテンクォーター)のボーイになっていたが(当時二十三才)、鹿地事件で表面化したキャノン機関攻撃のため、法務委員会に証人として引張り出されたというだけの人物である。

志位氏の手記(著書「ソ連人」)のうち、興味深い幾つかの個所を引用してみよう。いずれもドラマチックであるが、〝彼とその相手以外の誰にも分らない事実〟である。

二十六年九月はじめのある朝、私はいつものように家を出ると、経堂駅に通ずる道を、急ぎ足で歩いていた。私がとある町角を曲ったとき、この辺ではあまり見かけない一台のジープが道端に止まっていて、運転手らしい男が、エンジンに首を突込んで油まみれていた。なんだ故障だなと、何気なくそのジープの横を通り過ぎて私がものの十歩も歩かないうちに、

『ギブ・ミイ・ファイヤー!』

早口の英語が私の後から追ひかけてきた。ふり返った私はポケットからライターを出して、その声の主の咥えていた煙草に火をつけてやった。

ふと見上げた私の眼と彼の眼がかち合った。ものいいたげなその視線、背のすらりとした明るい顔つきの若い白人だった。

煙草に火をつけ終るやいなや、彼は手のひらに隠していた小さな紙片を、私のズボンのポケットに突込んだ。それはほんの一瞬のことであった。私が、また一、二歩行きかけて、手をズボンのポケットに入れたら、

『アフター・ナーウ(あとで)』

と、白人の英語がまた早口に追いかけてきた。私はそのままバスの停留所に急いだ。

始発のバスのなかで、私は汗にまみれた小さな紙片を人眼を盗むようにして、素早く読んだ。

『あなたが帰ってから三年です。子供たちもワンワン泣いています。こんどの水曜日の二十一時テイコク劇場裏でお待ちします。もしだめなら次の水曜日の同じ時間、同じ場所で……』

金釘流の日本文、判読するのに一寸骨は折れたが、「協力」のためのレポであることはすぐ私につかめた。『子供たちもワンワン泣いています』という吹き出しそうな言葉は、明らかにあの合言葉の上の句であった。しかも日時、場所を指定してきていた。

来るべきものがついにきた。回答までの三日間私の頭脳はめまぐるしく回転した。ここでまず一番簡単な方法―それは、CICにこのことを報告することであった。しかもそれは占領下の当時の状況のもとでは、私にとってもっとも安全かつ有利かも知れなかった。 だがここで私がCICに報告すれば、私があの終戦の時に決心し、シベリヤで考え、舞鶴で心に誓った「全員引揚げの促進」がすべて嘘になる。まだ多くの同胞が、あの暗いシベリヤから帰ってきていないのだ。私はどんなことをいわれようと、自分自身を裏切ることはできないと、こう考えた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 なぜ鳩山は特進したのか

赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 Shattuck was an undercover agent at the Canon Unit. After the return of Major Cannon, he managed Canon's accumulation. Shattuck joins Freemasonry and connects with Ted Lewin and Maurice Lipton.
赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 Shattuck was an undercover agent at the Canon Unit. After the return of Major Cannon, he managed Canon’s accumulation. Shattuck joins Freemasonry and connects with Ted Lewin and Maurice Lipton.

第一に「博愛王国」の話である。笠井氏の総領事と同時に、その知人の保険代理業R・シャタック氏が領事に任命されたという。

R・シャタック氏について語ろう。氏は冒頭に述べた仮名のQ氏その人である。氏については、二十九年九月十五日付読売の記事を引用しよう。

シャタック氏は、まだ三十前の若さだが、横浜の港湾輸送部隊の憲兵軍曹出身で、キャノン機関のキャノン少佐に可愛がられ、その機関要員として活躍していた。ところがキャノン少佐の帰米後、除隊してフリー・メーソンに加入、そこでルーイン氏の子分のリプトン氏らを通じて、ルーイン氏を知り、キャノン機関時代の腕を買われて、ル氏の腹心の一人になったという。

キャノン少佐が、密輸や隠退蔵物資の摘発などで職務外にかせぎためた私財のうち、日本へ残したものは貴金属、宝石をはじめ時価約五億円といわれ、これの管理に当っているのがシャタック氏で、さらにキャノン少佐の両腕といわれるビック・松井、グラスゴー両元准尉が、交代に二カ月に一度ぐらいの割で来日し、その会計監査をやっているといわれる。

またシャ氏はフリー・メーソンの極東最高責任者マイク・リビスト氏に可愛がられて、入会後数年にして三十二階級という高い地位にまで進んでいるので、当局ではシャ氏を中心とするフリー・メーソン、アメリカ特務機関、国際トバク団などの関係に重大な関心をもって捜査を進めている。

つまり、ナゾの女性が別れの言葉にいった、『Q氏のことはもう不用です』というのから考えると、シャタック氏を除こうとした動きには、終止符が打たれ、同氏はかえって確実な地位を占め、日本領事にまで任命された、とみるべきであろう。

「博愛王国」というのが、フリー・メーソンを背景とした王国らしいことは、フィリピン名誉公使が、三十三階級のオシアス氏であり、笠井、シャタック両氏とも、三十二階級であることでも、また、同国のシールの囲りの文字からも、容易に想像できよう。

そしてまた、オシアス氏は、例の〝フィリピンの夜の大統領〟テッド・ルーイン氏の後援者であり、ルーイン氏の子分、リプトン氏もまたメーソンである。

日ソ交渉のさ中に、鳩山首相がメーソンの最下位から二級上って、第三階級になり、その儀式にオシアス氏が来日した。首相の特進記事には、何故二階級特進したかが、少しも明らかにされていない。

前記産経の記事には〝友愛団体フリー・メーソン〟とあるが、メーソンは階級性の強い半宗教秘密結社であり、単なる友愛団体でないことは、今日ではもはや常識であろう。

では、何故、鳩山首相は二階級特進したのだろうか、どうして、その理由が公表されないのか。日ソ交渉の功により、と考えるのは、うがちすぎであろうか。

極東のフリー・メーソンの中に、日ソ交渉についての二つの意見が対立していた。それが二十九年秋ごろのことである。オシアス氏は三十三階級でもあり、一方の意見の旗頭であった。

反対派はオシアス氏直糸の、シャタック氏が、バクチ打の仲間であることを理由に、オシア

ス系勢力を叩こうとした。そして、私の逢った〝ナゾの女性〟に、その資料収集を命じた。しかし、オシアス派は強かった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 スパイは奇異なものではない

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union---is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?
赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union—is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ

ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

日ソ交渉のかげに蠢くもの——それは果して、かいらいを操るシベリヤ・オルグか、フリー・メーソンか、或はまた、元キャノン機関シャタック氏を先頭とする米CIAか、或はさらにまた、レッドマン氏に代表される英国秘密機関か?

いまや、われわれの首都東京は、諜報と謀略の渦巻く、トオキョオ租界と化してしまった。

スパイ事件が起ると、世の知識人たちは必らず『日本にスパイされるような、機密があるのかい?』と、皮肉まじりにいわれる。そしてまた、各主管大臣たちは、国会で『秘密はありません』と、答弁する。

確かに、現在の日本には、法律に定めた国家機密はない。MSA兵器の秘密保護法、駐留軍秘密の刑事特別法の両法が、指定する秘密は要するに、アメリカの秘密であって、日本の秘密ではない。

では、一体ラストヴォロフ氏は、日本から何をスパイしていたか? 個人的にいえば、日暮氏を通じては、欧米局ロシヤ課に集まる、各地の大、公使館からのソ連情報、駐在国のソ連観や、大、公使などの情勢報告書、および本省のそれに対する見解などがある。また、内調に集る元国警や、検察庁、警視庁、防衛庁など治安機関をはじめ、労働省、運輸省、文部省など、一般行政官庁からの国策決定の各種治安情報文書をみることができたので、それらだろうという。

庄司氏は、駐留軍のキャンプ設置場所、宿舍の設備など、駐留軍との外交接衝やら、米軍と防衛庁との連絡事項が担当だったので、同様それらがラ氏の役に立ったとみられる。

これでも分る通り、また私が第一集「迎えにきたジープ」から、全篇を通して主張してきた通り、スパイとは決して奇異なものではないということ。つまり、大使館に忍びこんで、金庫から機密書類を盗む、といったような、大時代的なものではない。

どんな片々たる、頭も尻尾もない話でも、それが、組織的に処理される限り、重大な事実を示す〝情報〟であり、この情報を、意識的、系統的、に集めることが「諜報」であるということである。

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。