新宿慕情目次
はしがき
新宿慕情
洋食屋の美人
〝新宿女給〟の発生源
ロマンの原点二丁目
〝遊冶郎〟のエチケット
トップレス・ショー
要町通りかいわい
ブロイラー対〝箱娘〟
〝のれん〟の味
ふりの客相手に
誇り高きコック
味噌汁とお新香
新聞記者とコーヒー
お洒落と女と
おかまずしの盛況
大音楽家の〝交〟響曲
〝禁色〟のうた
えらばれた女が……
オカマにも三種類
狂い咲く〈性春〉
青春の日のダリア
事件記者と犯罪の間
その名は悪徳記者
特ダネこそいのち
権力への抵抗
根っからの社会部記者
新宿慕情目次
はしがき
新宿慕情
洋食屋の美人
〝新宿女給〟の発生源
ロマンの原点二丁目
〝遊冶郎〟のエチケット
トップレス・ショー
要町通りかいわい
ブロイラー対〝箱娘〟
〝のれん〟の味
ふりの客相手に
誇り高きコック
味噌汁とお新香
新聞記者とコーヒー
お洒落と女と
おかまずしの盛況
大音楽家の〝交〟響曲
〝禁色〟のうた
えらばれた女が……
オカマにも三種類
狂い咲く〈性春〉
青春の日のダリア
事件記者と犯罪の間
その名は悪徳記者
特ダネこそいのち
権力への抵抗
根っからの社会部記者
カミさんとて、そうそう、取り替えられるものではない。ということは、別に、道徳的な理由からではない。
料理である。食べ物の味である——子供の時の、オフクロの味から、おとなになるに従って〈自分の味〉を持つようになるのが当然だ。
この〈自分の家の味〉を、カミさんに仕こむのが、ひと仕事なのである。
焼きもの、イタメものは、一年かそこらで教えられても、煮ものとなると、三年、五年。日常生活の、「オイ、アレ!」というので、十年ほど。
マクドナルドやケンタッキーから、ブロイラーのトリチュウのたぐい。インスタントに冷凍もどし。〝焼くだけ〟のパック食品などで育った、いま時の若夫婦に、離婚の多いのもうなずけよう。
コーヒーの味と洋食屋——新宿と古女房とから、離れられないのも、〝慕情〟のたぐいなのでしょう。
ブロイラー対〝箱娘〟
大阪はピンとキリ
関西風のナンデモ屋がキライだ、と、書いた。
例えば、梅田のあの地下街。そのほとんどが、食べ物屋なのに驚く。そして、店の名前が違うだけで、メニューはほとんど同じ。さらに、マズかろう、高かろう……なのだ。
スパゲティ何百円、とか、値段そのものは、特に、高いというわけではない。しかし、味からいって、高いと感ずる。
地上に出て、曾根崎あたりのアーケードも同じことだ。地下の小間割りと、まったく同じである。表通りの店も、横丁の店も、そして、ミナミに行っても……。
大阪で、ナニかを食べようとしたら、私は、ホテルのレストランしかえらばない。
招待されて、吉兆あたりで、ホンマモンの関西料理を頂くのなら、これは結構だ。
さんぬる年のエベツさんの日に、帝塚山の大屋晋三氏邸に、大阪読売やよみうりテレビのエライさんたちに、お相伴にあずかったことがある。
新邸の和風大食堂に、吉兆が出張してきていた。……と、金箔の浮いたお吸物が出た。
御堂筋から入ったお店のほうにも行ったことがある。秋だったので、中秋の名月を型どった前菜が出た。横笛を模した細竹の器に、感嘆したものだった。
大阪支社があるので、チョイチョイ、大阪には出張する。しかし、支社長の吉川さんが、酒を呑まないし、魚と肉のアレルギーという人物なので、よけいに、大阪では〝味〟不案内だ。ネオン街とて、自分で開拓せねばならない。
支社の近くにも、旨いコーヒーを飲ませる店もある。すると隣のテーブルで、ヤキ肉ライスを
食われるのだから、参ってしまうのだ。
支社の近くにも、旨いコーヒーを飲ませる店もある。すると隣のテーブルで、ヤキ肉ライスを
食われるのだから、参ってしまうのだ。
だから、どうやら、大阪というところは、ホテル以外では、ピンとキリしかないみたい。そんな印象である。ナニが〝食いだおれ〟か、と思う。
大阪のことを書くべき原稿ではないのだが、もうひとつ、書かないではいられない。フト、思い出したからだ。
ロイヤルホテルの地階に、なかのしま、という、和食ゾーンがある。前々から、ホテルのことばかりホメているのだが、ここの竹葉亭のうなぎなど、東京の竹葉亭もそれほどではないがヒドイもんだ。
天ぷら、すし。いずれも、値段の割にオソマツである。
西口はキリばかり
話を新宿にもどそう。
梅田の地下街をイントロに書き出したのは、西口あたりが、梅田と、感じが似ていることをいいたかったのである。
そして、食べ物屋のすべてが梅田地下街を、そっくり移してきた感じである。
新聞の紙面が画一的だ、といわれて久しい。そればかりか、大都市の構造も画一的だし、食べ物屋の造りも、メニューも、味も、そうである。
これでは、政府とて、〈国民総背番号制〉にでもしなければと、考えつくのも当然である。
テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち——恐ろしいことではないか。
つまり、ウチの社でも、若い連中を使ってみるが、彼らは、常に〝与えられ〟つづけてばかりなので、いつも〈受け手〉であって、決して、〈送り手〉になろうとしない。
新聞記者を志したり、新聞社で働こう、というのに、〈受け手〉の意識しかないのだから、困ってしまう……。
その証拠は、あの新宿の飲食店が、いつも満員で、それぞれに繁昌していることでも、明らかである。
洋食は、「ハンバーグに始まって、ハンバーガーに終わる」という。
成長してゆく子供たちの、食生活の歴史を眺めてみると、中学生では、喫茶店に入っても、クリームソーダだが、高校生になると、ようやく、コーヒーへと進む。レストランでいうと、小学高学年までは、お子様ランチやスパゲティ、カレーライスでも、中学生になると、ハンバーグとなるから、不思議だ。
一、二年前ごろ。マクドナルドのハンバーグには、ネコの肉が使われている、というデマが流行ったことがあった。
「アルバイトに行ってて、禁止されていた冷蔵庫のドアをあけたら、ネコがいっぱいあった」な
どと、マコトしやかな〝噂〟が流され、新聞社などにも、電話のタレコミが相次いだ。