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最後の事件記者 p.294-奥付 あとがき(つづき)~奥付
もっとも興味をひかれているのは、昭電疑獄以来の、大きな汚職事件の真相を、えぐってみたい、ということだ。政治生命を奪われた政治家や、財界人の立場から、事件をみると、また興味津々だろうと思う。ことに、私が司法記者クラブで、直接タッチした、売春、立松、千葉銀の三大事件で、権力エゴイズムをひきだしてみたいと思う。売春汚職のため落選した元代
議士の一人は、早くも一審で無罪が確定してしまったではないか。立松事件だって、政党、検察、新聞という三つの力が、マンジトモエに入り乱れるところが、何ともいえない面白さだ。
と、こんな工合で、どうやらメシだけは、今のところは食べていられる。それでも、月のうち半分は徹夜して、安い原稿料にも、感謝の念を忘れず、せっせと働らかねば、子供たちを学校へやることもできない。ただもう眠たい時などは、つくづくサラリーマンがうらやましい。御心配を頂いた皆さんに、この場をかりて、厚く御礼申上げる次第である。
同時に、ここまで、私を成長させて下さったのは、読売新聞社をはじめとして、各新聞社の諸先輩方、同僚諸君のおかげであると、深く感謝いたさねばならない。今後ともの、御指導を併せてお願い申上げる。
この本で、今、気になるのは、文中お名前を拝借した方々の、敬称の不統一である。書きあげるそばから、工場へ行ってしまったので、手落ちがあると思
い、お詫び申しあげておかねばならない。
いわば、特ダネを追って十五年、とでもいったような内容なので、文中、大そう口はばったいところもあるが、大体がアクの強い男なので御寬恕を乞いたい。もちろん、私一人が事件記者だなどと思い上っておらず、読売をはじめ、各社にも、優秀で、敵ながら天晴れと、秘かに尊敬している記者が多いことは事実である。記者諸兄、お怒りなきように。
当然、最後の項に、横井事件を入れるべきであったのだが、文春に詳しく書いたので割愛した。なお、文春所載の「事件記者と犯罪の間」は、臼井吉見氏編の「現代教養全集、第五巻、マス・コミの世界」(筑摩書房)に収録されたので、御参考までにお知らせしておく。まだまだ、いろいろな事件についての面白い話があったのだが、時間と紙数の関係で、これも割愛せざるを得なかった。稿を改めて書きたいと思っている。
昭和三十三年十二月十五日
著 者
最後の事件記者
定価220円
昭和33年12月30日発行
著 者 三田和夫
発行者 増田義彦
発行所 株式会社 実業之日本社 東京都中央区銀座西1の3
電話京橋(56)5121~5
振替口座 東京326
© 実業之日本社 1958年 印刷 株式会社 佐藤印刷所
p66下 わが名は「悪徳記者」 本社旭川支局発の原稿がきている
夜の八時すぎごろだ。寿里記者一人にまかせておいても良かったのだが、何故か私は「今すぐ社へ行くから待っていてくれ」と答えて、出勤した。翌朝の手入れのための手配をとり終って、フト、デスク(当番次長)の机の上をみると、本社旭川支局発の原稿がきている。何気なく読んでみると、外川材木店にいた男を小笠原と断定して捜査している、という原稿だった。
「我が事敗れたり」と私は覚った。事、志と反して、ついにここにいたったのだ。私はそれでも当局より先に、事の破れたのを知ることができた幸運に、「天まだ我を見捨てず」とよろこんだ。
私は事件記者である。警視庁にも三年いたし、警察庁も知っているし「警察」や「警察官」や「捜査」や、「その感情」にいたるまで知悉していた。現在の事態を判断すれば、当局は感情的にさえなって、私を逮捕するに違いないとみた。起訴と不起訴は五分五分、有罪無罪も五分五分だが、逮捕と目いっぱい二十日間の拘留とは、間違いのないところだ。「ヨシ、二十三日間入ってこよう」と決心した。
当局がどうして旭川を割り出したかを考えてみた。十七日の花田逮捕! もちろんフクはまだ下ッ端だから、フクには連絡をしなかったのだろうが、花田には連絡をしたのだろう。小笠原は「花田にも内緒の二人切りのお願いだ」といったクセに、その約束を破ったに違いない。花田が捕まってもすぐ小笠原の居所を自供してはいないだろうから、これはガサ(家宅捜索)で小笠原の手紙を押えられたに違いないとみた。
p67上 わが名は「悪徳記者」 記事になる前は記者の責任だ。
これはガサ(家宅捜索)で小笠原の手紙を押えられたに違いないとみた。(事実、小笠原は旭川市外川方山口二郎の手紙を出し、花田はこの住所をメモしておいて、ガサで押えられた。当局は山口二郎とは何者かと、十八日から外川方の内偵をはじめたが、それらしい男の姿が見えないので、二十日午後に踏み込んで調べたのだ)
次は社に対する問題だ。〝日本一の大社会部記者〟になるための計画が、最悪の状態で失敗して、逮捕されるのだ。これは捜査当局に対する立場と同じである。新聞社は〝抜いて当り前、落したらボロクソ〟だ。やはり五歩前進の手前で表面化したのだから、立松不当逮捕事件の場合のように、書いた記事のための逮捕とは全く違う。一度、記事として紙面に出たものは、会社自体の責任だが、記事以前のものは、記者自身の責任だ。
取材の過程で、尾行したり張り込んだりの軽犯罪法違反はもとより、緑の下にもぐり込む住居侵入、書類や裏付け証拠品をカッ払う窃盗などと、記者の行動が〝事件記者〟であれば法にふれる機会は極めて多い。犯人隠避でも、当局より先に犯人をみつけ、それを確保して、会見記の取材や、手記の執筆などをさせてから、当局に通報して逮捕させたり、数時間や一日程度の「隠避」はザラだ。また有名な鬼熊事件では、当時の東日の記者が山中で鬼熊に会見して、特ダネの会見記をモノにしたが、犯人隠避で逮捕された実例さえもある。これらの一時的な取材経過の中の違法行為も、それが結果的に捜査協力だったり、取材が成功して紙面を特ダネで飾ったりすれば、捜査当局や新聞社から不問に付されるのであるが、失敗すれば違法行為のみがクローズアップされて、両者から責任を求められるのは当然だ。