堂場記者の、この話の内容で明らかになったように、捜査当局は文春の自発的提供による「防衛官僚論」関係の支払伝票によって、文春の協力者に、鋭い容疑の眼を注いでいたのである。言葉をかえれば、文春は、国家権力の前に縮み上って、自社の協力者を、官憲に売り渡したのである。さらにいえば、松本清張氏は、自分の著述の協力者を、全くかばおうとしなかったのである。
私は、堂場記者を、かつての同僚として十分に知っているだけに、この話をそのままに評価している。すなわち、堂場記者の手を通じて、防衛庁の機密文書が流失したとか、さきごろの外務省員のように、いくばくかの金銭にかえるため、文書を持ち出したとかは思わない。
このようなウラ話を秘めたまま、当局は、防衛庁、警視庁ともに、捜査を打ちきって、さきのような処分の発表を行った。
影の主役に新聞記者
安全保障調査会の伏兵
さて、これらの処分が終った時期に、各方面に発送されてきたのが、前述の「安全保障調査会」の、『本会設立の趣旨に御理解をいただき、またその事業内容に御納得がいただけましたら、御入会下さいますよう、御願いいたします』という、案内状であった。
だが、防衛庁をはじめ、外務省、内閣調査室など、然るべき官庁の幹部と、十分な了解を持って、その資料を活用する段取りをつけていた「豊富な情報、調査網」のハズの、この「安保調査会」に、意外な伏兵があって、敢然と反対運動をまき起しはじめたのである。というのは自民党代議士の千葉三郎氏が、各関係官庁に直接電話をかけて怒鳴り込み出したのであった。
それは、同会設立趣意書の、筆者傍点部分、「優れた研究スタッフ」というのに目されているのが、読売記者で元防衛庁詰めであり、軍事評論家としても、一家言の地位を占めつつある堂場肇氏だと、千葉代議士は指摘するのである。
千葉代議士は、「堂場は三矢事件にも関係したアカだ。そんな奴に、各官庁の機密資料を出したら、それこそ、みんなツツ抜けぢゃないか」と、各役所の事務当局に、自ら電話をかけてきたという。(堂場氏の話)