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迎えにきたジープ p.006-007 日ソ交換将校・キスレンコ中佐

迎えにきたジープ p.006-007 This was Lieutenant Colonel Kislenko, who was the later Lieutenant General Kislenko, Soviet Chief Representative of the Allied Council for Japan. And Captain Sasaki was the later, Colonel Sasaki.
迎えにきたジープ p.006-007 This was Lieutenant Colonel Kislenko, who was the later Lieutenant General Kislenko, Soviet Chief Representative of the Allied Council for Japan. And Captain Sasaki was the later, Colonel Sasaki.

第一小隊長の指揮刀が馬の耳をかすめて一閃するや、兵隊たちはキッとなって頼もし気に自分たちの中隊長、陸士出身でまだ若いが、陸大の入試準備を始めていると噂されている佐々木克己大尉をみつめた。

『ウム』満足気に部下の眼を一わたり見渡して答礼した佐々木大尉は、刀を鞘に納めるや手綱をしぼって傍らの男を顧みた。

『ヌゥ・カーク?(如何?)キスレンコ中佐!』

『オウ・ハラショウ!(素晴らしい)』

スキー帽のような廂のない毛皮の帽子に赤い星の徽章、小田原提灯のような黒の長靴、ソ連赤軍の制服を着た男が、軽く拍車をあてて佐々木大尉に馬首を揃えてきた。

日ソ交換将校として赴任してきたキスレンコ中佐は、この札幌砲兵第七連隊に配属されていたが、今日は佐々木中隊長の演習を見学に同行したのだった。

『日本兵もなかなか耐寒力がありますね』

『そうですとも。大分前には耐寒演習で大きな犠牲を払ったこともあるのですよ。そしてあんな軍歌も生れました』

 解散した兵たちが、砲車を武器庫に納めながら「雪の八甲田山」を口ずさんでいた。

『だが、シベリヤの酷寒に鍛えられた赤軍は、もっと強いですよ』

 キスレンコ中佐の冗談に二人は声を揃えて笑った。佐々木大尉は流暢なロシヤ語を話したので、中佐は大尉にことに好意をみせていた。日露戦争以来たがいに仮想敵国となっている日ソの現役将校である。二人はいつ戦場で相見えることになるかも知れないと、心の奧底では考えながらも、起居を共にして親しい交りを結んでいった。

このキスレンコ中佐こそ、後の対日理事会ソ連首席代表キスレンコ中将その人であり、この佐々木大尉こそ、後の佐々木大佐その人であったのである。

童話「イワンの馬鹿」にみられる通り、ロシヤ人こそもっとも人の良い人種である。そのロシヤ人も〝ソ連人〟となって、暗いかげをかむった。もはやソ連に〝イワン〟はいない。

佐々木大尉の父中佐は、大尉が三才の時に、日露戦役で戦死した。母は続いて八才の時になくなった。孤児となった彼は白川大将の庇護を受けながら、祖母の手で成人した。

父の志をついで幼年学校、士官学校と上位を通して進んできた大尉は、それこそ資性剛直、情誼に深く、部下を愛し、しかも頭脳明晰という、典型的な軍人だった。彼の軍人としての前途は明るく、同期生たちからも深く敬愛されていた。

やがて、陸大を上位で卒業した彼は、国際連盟代表としてパリに駐在していた谷寿夫中将に見込まれ、その長女を妻に迎え、モスクワ駐在武官補佐官として、得意なロシヤ語の能力を発揮できる任地へ出発した。そこは北海道で親交を深めたキスレンコ中佐の祖国である。

迎えにきたジープ p.194-195 スパイ要員として特殊教育

迎えにきたジープ p.194-195 The Soviet captain said. "Communicate with the Soviet representative and the Soviet government. The equipment is a very small machine. There is no fear of being discovered. The wavelength, calling code and the time changes with each communication."
迎えにきたジープ p.194-195 The Soviet captain said. “Communicate with the Soviet representative and the Soviet government. The equipment is a very small machine. There is no fear of being discovered. The wavelength, calling code and the time changes with each communication.”

国内警備隊が、コルホーズ、工場、鉄道、都市各警備隊をもっているのでも、ソ連が並々ならぬ軍事国家であり、圧政を敷いているということが分るだろう。

赤軍には軍諜報部があり、その参謀部第四課が対外諜報の担当で、第二課が四課の収集した情報を整理分析する。この他、外務省、貿易省、党機関がそれぞれに対外諜報機関を持っており、或る場合にはそれがダブって動いている。

スパイ要員として特殊教育をうけた人たち、これがいわゆる「幻兵団」である。その適例として三橋正雄氏の場合はどうだろうか。山本昇編「鹿地・三橋事件」第四部「三橋の告白」の項に、彼のスパースクでの教育内容が具体的に書かれているから摘記しよう。

(二十二年二月ごろ、マルシャンスク収容所で〝モスクワの調査団〟にスパイ誓約書を書かされたのち)二十二年の四月でした。誰、誰と、名前を呼び出されました。その中に私が入っておったわけです。やっぱり前に希望した各地の日本人技術者なんです。

当時大体モスクワへ行くという噂が飛んでいました。そこから、客車に乗って一行八人でモスクワまで二晩ぐらいかかった。そうして四月の七日頃でしたか夕方モスクワの駅に着いたんです。それからモスクワの収容所に入れられたわけです。

モスクワの収容所は、部隊番号がわかりませんね。そこは日本人が千五百名位いた。主に兵隊で、

将校はいくらもいなかった。皆工場の作業に行っておりました。工場を建設しているんですね。ジーメンス、それからツアイスなんかの設備を、どんどん運んでいるようでした。ドイツのいわゆる技師も家族をそっくりつれて来ているんです。なかなか優遇されているようでした。

そこの収容所に、六月二十四、五日頃、隊長格の男がやって来たんです。我々八名の人間を、順番にやっぱり調べたんです。最初はそういう身上調査、二日目にはいろいろ貿易などについての雑談をやった。隊長は、あなた日本へ帰ってから、私のほうと取引をやりませんかと言いましたが、私は又、貿易でもやらしてくれるのかと思ったんです。

その次の三回目に、いよいよあの話が始まったんですよ。『どんな仕事ですか』『いろいろソ連の代表部と、ソ連本国との通信をやってくれ。設備は非常に小型な機械ができておるし、それから絶対発見される心配はない。通信プログラムはうまくできておるから、やるたびに波長が変るし、呼出符号も変るし、時間も変る』と、そのときの経緯は大体公判廷ですっかり述べましたがね。誓約書を書いてくれと言うので、向うに言われる通りに書いて署名したんです。

それから、いわゆる七月の三日か四日、松林の家に移されました。ちょっとモスクワ駅から四十分ぐらいのところの小さな田舎町で、そこの松林の中の建物というのは、部屋が十幾つあった立派な建物ですが、木造で中がなかなか豪華なものでした。岩崎邸みたいな感じでした。松林の中にあるから、特殊な秘密目的の要員勤務のものを教育するところだったかも知れません。

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 赤軍の線はまだ潜在化している

赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.
赤い広場ー霞ヶ関 p.132-133 Investigator officials leaked, “We are no longer interested in MVD(Ministry of Internal Affairs) spies. Now we are investigating the actual situation of the 4th section of the Red Army”.

代表部の組織自体がそれぞれにスパイ網を持っているが、それはそれぞれにダブっているこ

ともあり、内務省と赤軍の線とを除いてはいずれも比較的弱い。すると、何といっても中心になるのはこの二つの線であるが、ここに注目されなければならないのは、ラ事件をはじめとして幻兵団などでも、現在までに顕在化されたのはいずれも内務省系統の事件ばかりであるということである。

ラ事件捜査当局の某幹部は『われわれが問題とするのはもはや内務省系スパイではない。いまや赤軍第四課系スパイ線の実態究明にある』と、洩らしたといわれているが、まったくその通りであろう。

私がここに収録した幻兵団の実例の幾つかが、いずれも内務省系ばかりである。日本人収容所のうち、赤軍直轄の収容所があったことはすでに述べたが、これらの赤軍労働大隊でスパイ誓約をした引揚者で、当局にチェックされた人名はまだそう多くない。

NYKビルがフェーズⅡで最終的にチェックした人名は一万名といわれている。この中には私のように誓約はしたが、連絡のない半端人足は含まれているかいないかは知り得ないが、連絡のあった者だけとすれば大変な数である。

またラ氏はワシントンに於て米当局に対して、『ソ連代表部が使用していたソ連引揚者のスパイは約二百五十名である』と述べたといわれる。幻兵団や元駐ソ大使館グループ、または高

毛礼氏のように、さらにまた、東京外語大の石山正三氏のように在ソ経歴を持たなくとも、ラ氏にコネクションをつけられたものもいる。

そしてまた、コテリニコフ・ポポフ――高毛礼ラインの手先とみられる、銀座某ビヤホール経営者の白系露人のように、〝地下代表部員〟の間接的スパイもいる。

従ってソ連スパイ網に躍る人物は、本人が意識するとしないとに拘らず(例えば前記石山教授などは、志位元少佐がソ連兵学の研究のため、赤軍参謀本部関係の第二次大戦資料などを、ラ氏を通じて得ていたように、ソ連文献入手のため知らずにラ氏に利用されていたにすぎないといわれている)相当な数と種類とに上っていることは事実である。

だが、赤軍の線は捜査の手がそこまで伸びているのにまだ潜在化している。前記ビヤホールの白系露人などは、数年前から要注意人物としてマークされていながら、どの系統なのか全く分らず捜査が一頓坐していたもので、今度の高毛礼ケースから明らかになったものであった。

当局ではいまさらのように巧妙なその組織に驚いており、過去九年間における延数百名にも及ぶ在日ソ連代表部員の都内行動記録を再検討している。これは他の〝地下代表部員〟の摘発であると同時に、捜査は元在日総領事、中共軍政治顧問の経歴をもちながら「雇員」の資格だったシバエフ政治部大佐以下、「経済官」のポポフ同少佐、「運転手」のグリシーノフ同大尉

らの内務省系から、ザメンチョーフ赤軍少佐らの線へとのびていることである。