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雑誌『キング』p.137下段 幻兵団の全貌 『撃てるなら撃て!』

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 下段 見出し・あとがき
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 下段 見出し・あとがき

働大隊にいる時のこと、NKの少尉と通訳の少尉に呼び出され、ドアに鍵をかけて履歴を書かされたのち、このことを一切口外しないと一札をとられて帰された。第二回は一週間後、ソ連と日本の政治形態を比較して政見を書け、と強いられ、第三回はさらに三週間後に呼び出された。

『あなたはこの誓約書にサインして私達の仕事に協力して下さい』

『私は日本人を売ってまで帰りたくない』

『妻子がまっているのに帰りたくないか』

『嫌だ、何回いわれても人を裏切るようなことをしてまで帰りたくない。絶対に嫌だ』

少尉は腰から拳銃を取り出すと私の胸につきつけた。私は叫んだ。

『撃てるなら撃て!』

『………』

少尉の眼は怒りにもえて無言だ。

『………』

『日本人捕虜を射殺してよいという、ソ連の法律があるのか!』

少尉は再び銃口をあげた。二人の息詰まるようなニラミ合いが数分も続いたのち、少尉は拳銃を腰へもどしてしまった。

あとがき

雑誌『キング』p.123中段 幻兵団の全貌 謎の少佐が面接

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 中段

各地区ごとに分かれて、地区内の収容所を廻っていたらしい。いずれも漢字がスラスラと読めるほど日本語に熟達している。だが、モスコウスキイ・マイヨールというだけで、知っていても教えてくれないのか、誰も少佐の名前を知らないのも妙である。もちろんNKで、まぼろしのごとく現れては、数日から一週間ほど滞在して、またまぼろしのごとく消える。

この謎の少佐が、収容所付思想係将校のあらかじめ準備した候補者と、個々面接しては、自身で直接取調べを行い、採用、不採用を決定していたのである。

引揚者の誰にきいても、このモスコウスキイ・マイヨールの話は肯定する。ところが面白いことには、一般収容所がマイヨール(少佐)であったのに、エラブカ将校収容所だけは、ポトボウコウニタ(中佐)であることだ。最も例外としては、このマイヨールがただ巡視だけして帰っている場合もある(奥地の収容所)し、D氏の場合の如く戦犯監獄には大佐がモスコウスキイ・ボウコウニタ(大佐)として、取調べに当たっていたということもある。

この少佐の取調べを、人事書類のカミシヤ(検査)とも称していたこともある。この少佐が、果たしてモスクワの少佐であるか、あるいはハバロフスクの極東軍情報部の少佐であるかは判明して

雑誌『キング』p.107上段 幻兵団の全貌 無根の事実がねつ造

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.107 上段

ターリンは素晴らしい!)と。ふだんから要領のうまい最初の男を嫌っていた最後の人の良い男は、真剣な表情で前の二人に負けないだけの名文句を考えるが、とっさに思いついて『ヤポンスキー・ミカド・ターク!』(日本の天皇なんかこうだ!)と、首をくくる動作をする——これが美辞麗句をぬきにして、ソ連大衆が身体で感じているソ連の政治形態の恐怖のスパイ政治という実態だった。

戦争から解放されて、自由と平和をとりもどしたはずの何十万人という日本人が、やがて〝自由と平和の国〟ソ連の軍事俘虜となって、慢性飢餓と道義低下の環境の中で混乱しきっていた。その理由は、俘虜収容所の中にまで及ぼされた、ソ連式密告スパイ政治形態から、同胞の血で血を洗う悲劇が、数限りなくくりひろげられたからだった。

一片のパン、一握りの煙草という、わずかな報償と交換に、無根の事実がねつ造され、そのために収容所から突然消えて行く者もあった。収容所付の政治部将校(多くの場合、赤軍将校のカーキ色軍帽と違って、鮮やかなコバルトブルーの青帽をかぶったNKの将校である)に、このご褒美を頂いて、前職者(憲兵、警官、特務機関員など)や反ソ反動分子、脱走計画者、戦犯該当者、その他種々の事項を密告(該当事実

雑誌『キング』p.106下段 幻兵団の全貌 NKVD秘密警察

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.106 下段

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教えこまれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集まれば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談の花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では、自己保身はむずかしいのだ。三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌ・カ・ベ・デ)=内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している=の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動にならからだ。ましてそこにはNKがいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える、『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、ス

迎えにきたジープ p.038-039 光っているスパイの眼と耳

迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari's words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.
迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari’s words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.

小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその収容所の政治部の部員に対しまして、お前に処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

……この男ならば絶対に信頼できると、ソ連側が認める場合にはスパイの命令を下します。

……そうしてスパイというのは、殆どスパイになっておる人は、非常に気持の小さい男で、ビクビク者が多いというので、民主グループを作る場合にはその人を使いません。

……こういう男を選んで、それに新聞社から行って連絡しまして、こういうことをやれ、その代り後のことは心配するな、後で問題が起った場合にはすぐ連絡する……』(参院速記録による)

委員会は深夜の十時まで続いた。

二 私こそスパイなのだ

私が小針氏の言葉で反射的に想い浮べたあるデータというのは、実にいまわしい私自身の想い出であったのである。

私は終戦時新京にいたのだが、公主嶺でソ連軍の捕虜になった。九月十六日、私たちの列車が内地直送の期待を裏切って北上をつづけ、ついに満州里を通過したころ、失意の嘆声にみちた車中で、私一人だけは鉄のカーテンの彼方へ特派されたという、新聞記者らしい期待を感じながら街角で拾った小さな日露会話の本で、警乗のソ連兵に露語を教わっていた。

イルクーツクの西、チェレムホーボという炭坑町に丸二年、採炭夫から線路工夫、道路人夫、建築雑役とあらゆる労働に従事させられながらも、あらゆる機会をつかんではソ連人と語り、その家庭を訪問し、みるべきものはみ、聞くべきものは聞いた。

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教え込まれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集れば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談に花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では自己保身はむずかしいのだ。

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。

迎えにきたジープ p.048-049 何か大変なことがはじまる!

迎えにきたジープ p.048-049 I heard the dull sound of "Clunk" and looked down at Petrov's desk. ——Gun! The muzzle of a Browning type pistol point at me.
迎えにきたジープ p.048-049 I heard the dull sound of “Clunk” and looked down at Petrov’s desk. ——Gun! The muzzle of a Browning type pistol point at me.

正面中央に大きなデスクをすえて、キチンと軍服をきたペトロフ少佐が坐っていた。傍らに

は、みたことのない若いやせた少尉が一人。その前には、少佐と同じ明るいブルーの軍帽がおいてある。ピンと天井の張った厳めしいこの正帽は、NKだけがかぶれるものである。

密閉された部屋の空気はピーンと緊張していて、わざわざ机の上においてある帽子の、眼にしみるような鮮かな色までが、すでに生殺与奪の権を握られた一人の捕虜を威圧するには、充分すぎるほどの効果をあげていた。

『サジース』(坐れ)

少佐はかん骨の張った大きな顔を、わずかに動かして向い側の椅子を示した。

——何か大変なことがはじまる!

私のカンは当っていた。私は扉の処に立ったまま落ちつこうとして、ゆっくりと室内を見廻した。八坪ほどの部屋である。

正面にはスターリンの大きな肖像が飾られ、少佐の背後には本箱、右隅には黒いテーブルがあり、沢山の新聞や本がつみ重ねられていた。ひろげられた一抱えの新聞の「ワストーチノ・プラウダ」(プラウダ紙極東版)とかかれた文字が印象的だった。

歩哨が敬礼をして出ていった。窓には深々とカーテンがたれている。

私が静かに席につくと少佐は立上って扉の方へ進んだ。扉をあけて外に人のいないのを確か

めてから、ふり向いた少佐は後手に扉をとじた。

『カチリッ』

という鋭い金属音を聞いて、私の身体はブルブルッと震えた。

——鍵をしめた!

外からは風の音さえ聞えない。シーンと静まり返ったこの部屋。外部から絶対にうかがうことのできないこの密室で、私は二人の秘密警察員と相対しているのである。

——何が起ろうとしているのだ?

呼び出されるごとに立会の男が変っている。ある事柄を一貫して知り得るのは、限られた人人だけで、他の者は一部しか知り得ない組織になっているらしい。

——何と徹底した秘密保持だろう!

鍵をしめた少佐は静かに大股で歩いて再び自席についた。それからおもむろに机の引出しをあけて何かを取りだした。ジッと少佐の眼に視線を合せていた私は、『ゴトリ』という鈍い音をきいて、机の上に眼をうつした。

——拳銃!

ブローニング型の銃口が、私に向けておかれたまま冷たく光っている。つばきをのみこもう と思ったが、口はカラカラに乾ききっていた。

迎えにきたジープ p.108-109 キリコフ大尉が訊問

迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.
迎えにきたジープ p.108-109 At the Khabarovsk Bureau of the Soviet NKVD, Capt. Kirikov was asking the former Educational Director of the 731st Division of the Kanto Army, Surgeon Lieutenant Colonel Mori.

下りきらない熱に浮かされたような推理が、次々と勝村の疲れ切った頭を駈けめぐっていっ

た。

『ねずみ、ねずみだ!』

全く突然、勝村は大声で叫び出してしまった。あとは息が続かず低く口の中で呟いた。

『発疹チフスの次はペストに違いない……』

そのまま彼は再び昏睡してしまった。

チェレムホーボ収容所が発疹チフスの脅威にさらされていた、ちょうどそのころのこと。シベリヤ本線を東へ東へと、数千キロも離れたハバロフスクの街。内務省(エヌカー)ハバロフスク地方管理局という厳めしい建物の一室では、勤務員のキリコフ大尉が一人の日本人を訊問していた。

モスクワの東洋大学は日本語科出身の通訳官ゲリヤノフが、なめらかな日本語で通訳し、書記が記録する。もちろんキリコフ大尉も日本語は得意だったが、公式の場合だから宣誓署名した通訳官が立会うのだ。

日本人は元関東軍第七三一部隊教育部長、東軍医中佐だった。第七三一部隊というのは例の石井部隊である。

『部隊で行なわれていた実験について述べてもらいたい』

『一九四五年一月、私は安達駅の特設実験場に赴きました。ここで私は第二部長と本多研究員

の指導下に、ガス壞疽による感染実験が如何に行われていたかを見ました……』

そしてまた、それと同じころハルビンの旧陸軍第二病院の一室では、大谷小次郎元軍医少将の執刀のもとに、腺ペスト患者の生体解剖が行なわれていた。

大谷少将の背後には、青肩章の正服の上にペスト予防衣をつけた、秘密警察(エヌカーベーデー)の将校が二人立っている。それから数人のソ連人助手の中に女性が一人。

彼女は三十八度線以北の朝鮮を占領すると同時に、北鮮の首都となった平壌に秘密細菌試験所を開設した人だった。彼女はもとは裏海の中の一小島にあった、エフバトリヤ第二号実験所のメムバーだったが、クリミヤ半島のエフバトリヤ市に出張中、実験所の細菌学者たちが、自分たちの培養した腺ペストにかかって全滅し、一人厄逃れをしたという腺ペストの権威でもあった。

第二病院長だった大谷少将は、病院の研究室が石井部隊と関連を持っていたことから、このチェレグラワー女史の協力者となることを承知せざるを得なかった。実験台に上らされているのは日本人である。

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

迎えにきたジープ p.138-139 石井部隊の戦犯裁判の記録

迎えにきたジープ p.138-139 Kirikov handed a thick book to Otani. “Two thousand of these books were landed at Shibaura from the Grinsky. I'm going to hand over these for the funds of the Japanese Communist Party through the hand of Norma Company."
迎えにきたジープ p.138-139 Kirikov handed a thick book to Otani. “Two thousand of these books were landed at Shibaura from the Grinsky. I’m going to hand over these for the funds of the Japanese Communist Party through the hand of Norma Company.”

『詳細なデータは入手しましたか』

『これです』

大谷は書類綴りを渡した。

『ウクライナ穀倉地帯へ飛行機による攻撃が計画され、準備されています』

それでもキリコフの表情は変らなかった。彼は書類複写のため呼鈴を押した。

ウクライナはソ連第一のドンバス炭田地帯を控えて、ソ連屈指の工業都市が群立し、また豊沃な黒土帯地方が一望千里にひろがっており、ソ連の宝庫とか、ヨーロッパの穀倉とか呼ばれていた。

だが一九四七年夏の大旱魃には、流石の穀倉も全滅にひんした。ウクライナの不作は直ちに全ソ連の食糧危機を意味する。各地には食糧騒動が起り、レニングラードなどでは暴動となった。同市の食糧販売所の前で、数時間も行列して待っていた市民と保安隊とが衝突まで起したのだ。

ソ連には「八時間(ウオセミ・チャソフ)労働(ラボート)、八時間睡眠(スパーチ)、八時間買物行列(オーチエレヂ)」という言葉があるほど、行列には馴れ切ったソ連人が、エヌ・カーと呼ばれて恐れられている、国内警備隊と衝突したのだから、余程深刻なものだったに違いない。群衆は食糧販売所に放火して乱入、食糧を奪ったのち、軍用品を焼きすてるという騒ぎだった。

また正確には発表されなかったが、数千万の餓死者も出したという。さらにその結果として、

ウクライナ人によるスターリン政府への反乱まで起ったということが、当時アンカラ放送やAP電で伝えられた。

ウクライナ穀倉地帯への細菌攻撃の結果は、想像するだけでも恐ろしい。黙然としていたキリコフは、気分転換のためか、ツト立って一冊の分厚い本を大谷に手渡した。

『この本が二千冊、グリンスキー号で芝浦に陸揚げされた。ノルマ社の手を通じて日共党員の資金カンパ用に渡すつもりだ。その宣伝効果を判定し給え』

大谷が手にとってみると「細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍人ノ事件ニ関スル公判書類」という長ったらしい標題の七百三十八頁もの大冊だった。上等な紙に鮮明な日本活字で刷られ、「外国語図書出版所、モスクワ・一九五〇年」とある。

内容は緒言からはじまり、一、予審書類、起訴状、被告及び証人の供述、証拠書類、二、法廷における被告及び証人の供述、三、鑑定、四、国家検事の論告、五、弁護人の弁論、六、被告の最後の陳述、七、軍事裁判の判決状、といかめしい文字ばかりが並んでいた。

ハルビン石井部隊の戦犯裁判の公判記録だ。大谷はパラパラとめくりながら、若干イヤな顔をした。ハルビン第二陸軍病院長として自分も関係していたことがあったからだ。証拠書類の項には当時の軍命令や各級部隊命令など、軍事極秘の書類の写真版が多数納められていた。

『ノル社長の小竹博助の友人で奥津久次郎というのが、三巴商事という貿易商社を丸ビルで開いている。今度はさらに二千冊のソ連図書が、正式にポンド決済で輸入されるから期待してい給え』