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黒幕・政商たち p.034-035 疑問を抱かせるニュース

黒幕・政商たち p.034-035 莫大な対外援助資金が果してその本来の目的意義に、正しく投ぜられているかどうか。被援助国もしくは、米本国に於てすらも〝利権〟化されているのではなかろうか
黒幕・政商たち p.034-035 莫大な対外援助資金が果してその本来の目的意義に、正しく投ぜられているかどうか。被援助国もしくは、米本国に於てすらも〝利権〟化されているのではなかろうか

第2章 米対外援助資金への疑惑

昭和四十年。〔三月九日ニューヨーク発AP〕米司法省は九日、米国東棉社ニューヨーク本社を含むニューヨークの貿易会社二社を詐欺罪で告発した。告発の理由は、米対外援助による南ベトナム、韓国向け資材について、米政府に偽りの申告をしたというもの。

「戦果はベトコン一人」

中古機械が新品に

さる四十年六月に行なわれた、アメリカの戦略爆撃部隊の、ベトコン根拠地への渡洋爆撃は、「戦果はベトコン一人」の珍ニュースとして全世界に流れた。ワシントン発のUPI電によると、この爆撃行の経費は、途中空中接触して墜落したB52二機の損害九百八十万ドルを含めて燃料費、人件費、爆弾の製造費など、総計二千万ドル(七十二億円)という。そして、ベトコン一人が殺された次第である。

このような計算は、アメリカならではの出来事であるが、ことほどさように、「戦争は高くつく」のである。高くつく戦争に比べれば安いというので、北鮮から在日北鮮系の団体である朝鮮総連に流されてくる資金は月額二十億円といわれている。この豊富な資金で、在日朝鮮人の教育、文化、政治工作が賄なわれ、一説によると、南鮮を占領すると同時に、総連の下にある各府県連が、そのまま南鮮各地の行政組織として、即日進駐できるよう、訓練されているとさえ、伝えられているのである。

このような時点で、韓国に対するアメリカの対外援助(AID=国際開発局)資金をめぐって、日本商社の関係した問題が相次いで明らかになってきた。問題そのものは、アメリカのタックス・ペイヤー(納税者)に関するものではあるが、それが「対外援助」であり、韓国に関するものである限り、日本商社が関係しているのであるから、ここに問題点を指摘してみよう。

一九六四年のDAC(開発援助委)加盟国の行った経済協力実績の総額は、約八十六億余ドル。このうち、アメリカは五六・二%を占めており、その莫大な対外援助資金が果してその本来の目的意義に、正しく投ぜられているかどうか。被援助国もしくは、米本国に於てすらも〝利権〟化されているのではなかろうかという、疑問を抱かせるニュースである。

前記のAP電は伝える。

「米国東棉と同社の二口機械部長(当時)は六三年十一月、韓国向け機械二十一品目を新品と申告して輸出し、米政府は三十六万四千八百ドル(一億三千百三十二万八千円)を支払ったが実際に機械は新品でなかった。また、ユナイテッド・スチール・アンドワイヤー社のグリーン社長は、南ベトナム向け鋼線七万ドル以上の、三分の一を積出しただけで、五万五千ドルを着服した。

もし有罪となれば、二口氏は最高懲役百五年、米国東棉は罰金二十一万ドル(七百五十六万

円)の判決を受ける可能性がある」

黒幕・政商たち p.036-037 イヤイヤしたことだ。

黒幕・政商たち p.036-037 刑事訴追をされている二口氏が帰国して東棉の要職にいるということは、社内では責任が問われていないということで、すなわち、東棉自体の〝会社ぐるみ犯罪〟容疑であるということである。
黒幕・政商たち p.036-037 刑事訴追をされている二口氏が帰国して東棉の要職にいるということは、社内では責任が問われていないということで、すなわち、東棉自体の〝会社ぐるみ犯罪〟容疑であるということである。

もし有罪となれば、二口氏は最高懲役百五年、米国東棉は罰金二十一万ドル(七百五十六万

円)の判決を受ける可能性がある」

日本の総合商社中の大手であり、米国南部に於ては、輝やかしい信用と歴史とを持つ、東洋棉花が、司法省に詐欺罪で告発されたということは、記事は小さく、しかも朝日だけではあるが、意味するところは大きい。ここにあえて「東洋棉花」と書いたのは、朝日の記事中に「経営が全く別会社になっている」とあるが、米国東棉は、事実上東洋棉花そのもので、便宜上から現地法人となっているに過ぎない。

事実、ダイヤモンド社の会社職員録(39年11月版)によると事件の被疑者である米国東棉社二口正道機械部長は、帰国して東棉の機械第一部大阪支部長という要職にあり、東棉取締役の横山健治氏が、米国東棉社首席となって、中上公平次席以下、五名の東棉社員が名を列ねている。事件は「人」が起すものであって、「経営」が起すものではない。しかも、責任者として刑事訴追をされている二口氏が帰国して東棉の要職にいるということは、社内では責任が問われていないということで、すなわち、東棉自体の〝会社ぐるみ犯罪〟容疑であるということである。

会ってみると、二口氏は日本語より英語が上手だといわれるように、実直で小心そうな技術者であり、彼自身が主張するように、シッビングの書類にサインした。その署名責任を追及されているという感じだ。

たった36万ドル?

その口下手な言葉を引取って前秘書室長の井上取締役が説明する。

「東棉の化学、繊維部門で、かねて取引のあった韓国商社の銀星産業というのが、工作機械を買いたいというので、東棉機械部に紹介してくれという。機械部で話を聞いてみると、米対外援助資金(AID)でというので断わったところ、米国東棉へ紹介してくれという。イヤイヤ紹介したところ、銀星の林社長が自身アメリカに渡り、自分で中古品を買いつけてきた。AIDはバイ・アメリカンだから米国で買わねばならない。しかし、資金の割当て枠があるので林社長は欲張って品数をふやすため、中古品を買った。

AIDには、昨年末まで新品に限るという規定があった。しかし、中古ではあるがモデルが古いというだけの中古品で、un-used(未使用)だから、new(新品)と解釈してシッビングの書類にそう記載した。米国東棉としては、林社長の要請で、断り切れずにシッピングだけを受持っただけ、しかも、イヤイヤしたことだ。

米国東棉の機械部の月商は、一千万ドル近いから、この林社長の三十六万余ドルの商売など小さく、ムリして取る客ではない。しかし、米国駐在社員一人月間百万円近い経費だから、コミッションはもらった。

黒幕・政商たち p.038-039 AID職員の質が問題

黒幕・政商たち p.038-039 AIDは利権化されている。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。
黒幕・政商たち p.038-039 AIDは利権化されている。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

第一、輸出のさいの検査、韓国への輸入のさいの、在韓AIDの検査も、すべてパスしているのに、業務が終了してから、AID内部で、『二十一品目もあるのに、三十六万ドルでは安すぎてオカシイ』と、チェックされ、FBI(連邦検察局)の捜査が始ったと聞いている。だから、AID内部に何かがあるのではないかと思う。

九月に第一回公判がある予定だったが、十月にのびた。米人弁護士に任せてあり、会社としては、『未使用は新品』の解釈をとっているので、この点で争えるつもりだし、同様の意味で二口氏には責任がないものと考えている。事件は三十八年十一月のことで、問題化したのは三十九年の春ごろからで、二口氏は七月に任期を終えて帰国した。事件になったからではない。丸三年勤務したからだ。

事件そのものは、外務、通産両省の見解でも、どうということはないし、現地でも一紙だけにしか小さく報道されていない」

新聞記事が小さいとか、一紙だけとかいうことが、事件の内容そのものを意味しないことはいうまでもない。

外務省北米課では、「東棉告発の問題」という一冊のファイルを作って、公電その他を整理しているが、枝村事務官はいう。

「事件は今すぐどうということはないが、裁判で不当な扱いを受けないようみて行く。被告

である日本人が帰国してしまっているが、犯罪人引渡し協定などの問題も、裁判が終ってからの将来のことだ。領事事務としての関心はその程度のことで、日本商社の信用ということは、また別である。米国刑法の累犯加重は重いと記憶しているので懲役百年といった判決もあり得ると聞いている。刑の執行はまた別の救済手段があるハズで、これは調べて見なければ、何ともいえないことだ」

日本に於て知り得ることは、この程度のことであろう。この事件の本質を解明するのには、FBIの捜査の端緒とその経過、告発に踏み切るまでの事情などを取材しなくてはならない。東棉の主張するように、単なるAIDの制限規定NEWの解釈の問題ではなく、また、米国東棉に、「犯意」があったかどうか、三十六万ドルは〝小さな商売〟かどうかの問題ではない。

ということは、「AIDは利権化されている。だから、アメリカは莫大な金を諸外国に注ぎこみながら、それだけの効果をあげるどころか、逆に嫌われているのだ」という、在日AIDが開設されていた昨年当時までそれに関係していた某氏の言葉がある。

某氏(現職の関係で特に秘す)は、第一番に、AID当局の職員の質を問題にする。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、もちろん、米本国へ帰って国務省の職員になれる程度の人物はいないという。そこから、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

黒幕・政商たち p.040-041 日本は約半分の値段で生産

黒幕・政商たち p.040-041 日本の推すプランが、御破算になってしまった。キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だった。
黒幕・政商たち p.040-041 日本の推すプランが、御破算になってしまった。キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だった。

某氏(現職の関係で特に秘す)は、第一番に、AID当局の職員の質を問題にする。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、もちろん、米本国へ帰って国務省の職員になれる程度の人物はいないという。そこから、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

この言葉は、私たちにマ元帥の下で、占領軍として日本を支配した彼の幕僚たちを想起させる。新聞を握った少佐は、田舎町の記者であり、国鉄をアゴで動かした中佐は、また駅員だったという実例である。

韓国肥料工場の怪

アメリカは、AIDで韓国に肥料工場を造った。だが、その工場ができるまでの経過を調べてみると、ここにも〝黒い疑惑〟が生れてくるのである。そしてこのAIDという巨大な怪物と闘う、日本商社の、対韓経済協力の姿がある。

三井物産の西島常務は、熱っぽい口調で、韓国の肥料工場建設をめぐる、日米の対立、主として、AIDの不可解な動きを語り、人材の点でも、前出某氏の言葉を裏付ける。

「アメリカの対外援助は、かつてはほとんど消費物資ばかりで、戦後の緊急の場合だったので止むを得なかったろうが、生産手段を援助しなかった。もともと韓国は食料が不足しているのは、人口増加率に農業生産が追いついて行けないのだ。

何故かといえば、農業技術が低いし、肥料が足りない。反当り米収穫量は二三七キロで日本の半分だ。そこで、肥料の生産設備が必要になってくるが、アメリカは、AIDの前身ICA

(ケネディ時代に、対外援助がAID一本にされた)で、忠州に尿素の肥料工場を作り、西独資本が羅州に、同じ尿素工場を造った。ところが、これでも尿素肥料は需要量の五割だ。足りないからヤミ値が出る。

そこで、我々は日本の対韓協力として、尿素工場建設の話を進めた。アメリカは調査団を送りこんできて、『韓国の土壌には混合肥料が必要だ』という。それ以前に尿素による土壌の改良が必要なんだ。窒素や燐酸カリなどの混合肥料ではない。それなのに、AIDで、第三、第四工場として、混合肥料の工場を造る計画を打出す。これは、在韓AIDであるUSOM(米韓経済協力所)の所長キルレン氏が強力に押す。

これに対し、日本は第五工場として、尿素工場の計画を推すという対立になった。しかも、この工場の尿素は、第一、第二工場の約半分の値段で生産されることになる。つまり、アメリカの肥料は、極めて高いということになる。

日本の推すプランが、韓国政府に受入れられておりながら、何だ彼だという問題があって、この日韓交渉はとうとう、六三年十二月に流れてしまい、御破算になってしまった」

西島常務は、その詳しい経緯を語ろうとしないが、その辺の事情を、外交評論家中保与作氏は、ズバリと「ここにいたらしめたものは一体何であったろうか。消息筋がひとしく伝えたのは、キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だ

ったのである」(東洋経済39年11月28日号)と、断言している。

黒幕・政商たち p.042-043 〝黒い霧〟ブームで暗躍が

黒幕・政商たち p.042-043 AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていた。果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。
黒幕・政商たち p.042-043 AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていた。果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。

西島常務は、その詳しい経緯を語ろうとしないが、その辺の事情を、外交評論家中保与作氏は、ズバリと「ここにいたらしめたものは一体何であったろうか。消息筋がひとしく伝えたのは、キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だ

ったのである」(東洋経済39年11月28日号)と、断言している。

私が、この記事を手がかりに調査を進めていってみると、六三年秋の日米経済委が、ケネデイ暗殺事件で流れたのも、日本側の抗議が国務省に伝わらなかった原因の一つでもあり、キルレン氏の〝黒幕〟と目されているのは、ガルフォーエルとか、スイピト投資団などであるらしいと考えられるようになってきた。中保氏はいう。「韓国農民の犠牲に於て、アメリカ資本に奉仕しようとするものにすぎなかった」(前出同誌)

アメリカが混合肥料を推すハラの中には、燐鉱石を売りつけたいという気持もあったに違いない。しかし、日本側の正論の前にアメリカの正義も動いた。関係者の大幅な人事移動がはじまったのである。キルレン氏はベトナムに転じ、在日大使館の経済参事官だったドーティ氏が在韓副大使となって、交渉再開のチャンスがめぐってきた。

六四年五月に交渉が再開されついに四十年の七月に日韓両国政府の正式許可がおりて、この尿素工場は決定した。日韓条約調印後の経済協力第一号であり、民間借款三億ドル以上のうちに含められる、初の大仕事だ。

六六年末に完成、稼動の予定だが、日本にもない、年間三三万トン生産、四、四〇〇万ドルという規模は、契約当事者三井物産、東洋高圧の技術提供という大手商社にして、はじめてなし得られる、経済協力であろう。

というのは、民間借款が、条約の成否とは関係なく可能なところから、これまでは、ともすれば〝黒い霧〟ブームで、利権政治家、政商、それらを結ぶ記者などの暗躍がすさまじく、大手商社としては、オーソドックスな経済協力として、その捲き返しを、事実をもって示さねばならなかったものである。

これらの事実から判断すると、AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていたということで、さらには、果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。

対韓協力8億ドルのリベート

さる四十年十月十一日発表された、通産省貿易振興局の「経済協力の現状と問題点」白書によればアメリカの対外援助は、①AID、②輸出入銀行、③平和のための食糧計画、④平和部隊の四つで、これらの総額の半分以上は、AIDの担当する海外援助法に基づく援助である。もちろん、軍事援助は別である。

韓国銀行経済統計年表によると、米国の対韓援助額は、AIDと余剰農産物合計で、六〇年二億四千五百万ドル(余剰農産物千九百万ドル、以下同じ)、六一年一億九千九百万ドル(四千四百万ドル)、六二年二億三千二百万ドル(六千七百万ドル)、六三年二億一千六百万ドル(九

千六百万ドル)、六四年一億四千九百万ドル(六千一百万ドル)=以上いずれも百万ドル以下切捨て=とある。

黒幕・政商たち p.044-045 右翼、暴力団の大同団結を

黒幕・政商たち p.044-045 韓国政界の〝黒幕〟でもある金鐘泌氏が、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。
黒幕・政商たち p.044-045 韓国政界の〝黒幕〟でもある金鐘泌氏が、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。

韓国銀行経済統計年表によると、米国の対韓援助額は、AIDと余剰農産物合計で、六〇年二億四千五百万ドル(余剰農産物千九百万ドル、以下同じ)、六一年一億九千九百万ドル(四千四百万ドル)、六二年二億三千二百万ドル(六千七百万ドル)、六三年二億一千六百万ドル(九

千六百万ドル)、六四年一億四千九百万ドル(六千一百万ドル)=以上いずれも百万ドル以下切捨て=とある。

一方、日韓条約が成立すると無償供与三億ドル、政府借款二億ドル、民間借款三億ドル以上という、「経済協力」が、韓国へ支払われる。

この政府供与分は十年間の分割で、「日本国の生産物と日本人の役務」をドル換算で支払われるが、実際の現金は、韓国へ手渡されるのではなくて、日本政府から日本財界へ素通りするわけである。

この辺が、見方をかえれば、「経済協力」から、「経済侵略」といわれる所以であり、アメリカの対外援助と同様である。

東洋棉花という会社は、古くは三井物産の棉花部が独立した会社である。今、数十年の歳月を経て、一方はAIDの不正にくみしたとして、刑事訴追を受け、一方はAIDの黒幕に妨害されるという事態が、同じ韓国を舞台に展開されているのも、〝因果はめぐる小車〟であろうか。

治安当局の情報はいう。

「韓国政界のナンバー・ツーであり、〝黒幕〟でもある金鐘泌(キム・ジョンビル)氏が、まだ失脚前のこと。来日のさいに、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。そして、その資金は? という質問に対して、金氏は、八億ドルにのぼる対韓協力のリベートを流す旨、答えたというんだ」

「フーン。それで児玉氏は?」

「そこで、日本中の右翼、暴力団の大同団結をと、児玉氏は檄を飛ばしたのだ。もちろん、金氏とは親しい元東声会の大親分、町井久之こと鄭建永氏も、児玉先生という仲だから、双手をあげて賛成した」

「で、どうなった?」

「ところが、西日本を握る山口組、田岡親分が、この檄に応じない。…で、遂に〝右翼・暴力団〟の大同団結はならなかったのだ」

「それが、例の〝関東会〟なのか?」

「そうだよ。本来は某一流紙の記者の紹介で相識った、金・児玉会談で、日韓両国の民間反共組織として、『東亜同志会』をつくろうとしたのだ。この資金には、児玉氏が韓国ノリのリベートをあてると演説している」

「山口組が参加しなかったので、東亜同志会が流れて、関東会になったというわけだ」

私は、係官と別れて、現場の商社筋を調べだした。某社の幹部はこういう。

黒幕・政商たち p.046-047 〝政商〟の暗躍する余地がある

黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち
黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち

「山口組が参加しなかったので、東亜同志会が流れて、関東会になったというわけだ」

私は、係官と別れて、現場の商社筋を調べだした。某社の幹部はこういう。

「発展途上国(前出『経済協力』白書の言葉)の貿易は、仲々むずかしいンです。当該政府関係へのコミッションなど、二割ほども乗せさせられるのが、常識だったりして……。そこに〝政商〟の暗躍する余地があるンですよ。もしも、その政権が倒れて、反対党が握った場合、『あの商社はこんな高いものを売りつけた』と、ニラまれる恐れがある。コマーシャル・プライスは一億円で、我が社は立派な商売をしていても、相手国には一億二千万円の、ポリティカル・プライスの書類という証拠が残っているンです」

東棉の裁判が進行し、三井物産の建設がはじまれば、やがて事態は明らかにされてゆくであろう。

日米韓三国の〝政商〟をはじめとして、ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たちの〝醜状〟が——。

第3章 〝タバコ〟そのボロイ儲け

昭和四十三年。十月八日付毎日新聞朝刊=阪田泰二氏(前日本専売公社総裁)七日午後八時二十分、肝性こん睡のため、東京千代田区駿河台の杏雲堂病院で死去。五十八歳。

昭和六年東大法卒、大蔵省にはいり、同二十四年東京国税局長、同二十八年理財局長、同三十六年日本専売公社総裁となり、四十年七月の参院選挙のさい、小林章議員派の公社ぐるみの違反で、同年十月引責辞任した。

黒幕・政商たち p.048-049 葉たばこのリベートが河野の利権

黒幕・政商たち p.048-049 河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、自分たちの先輩平井学であったからだ。
黒幕・政商たち p.048-049 河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、自分たちの先輩平井学であったからだ。

〝中毒患者〟の実力者

フィリピンからの密使

ある警察の高官が、座談の中でこうもらした。「河野一郎の〝遺産〟を佐藤栄作に〝相続〟させてやらねばとその男はいうンです。思わず、エ? とききかえすと、タバコですよ。葉たばこのリベートが河野の利権だったことは、御存知でしょうが……と、いうンです。この男が、〝怪人物〟でしてネ」

彼は、そこで言葉を切って、心持ち肩をすくめてみせた。海外勤務の名残りであろうか。警察で外務事務官に出向して、海外へ出るのは、エリートに限られている。

三十八年の総選挙にからんで、「平井学事件」というのがあった。

警視庁総務部長から、河野一郎に招かれて、建設省へ転じ、官房長にまで進んだ内務官僚のホープだった人。これが同じ内務官僚の先輩で、大阪府警本部長から建設省入りをし、河野派として三重一区から出馬した、山本幸雄自民党代議士のために、建設省出入りの橋梁業者たちから、運動資金六百三十万円を集めたという事件を起した。

当時、「河野は平井まで射落したのか」と、その建設省入りは、内務官僚たちに大ショックを与えたものだったが、この事件となるに及んで、その反応はさまざまであった。というのは、河野の強引な資金造りについては、警察では相当の情報を握っていたのだが、その御馬前で〝討死〟したのが、清廉潔白をもって鳴っていた自分たちの先輩平井学であったからだ。

「真偽のほどは判らないですよ」と、念を押す、その某高官の話は、平井学事件が生々しいだけに、河野一郎の名前が出ると肩がすぼまるのであろうか。こうして、ヴァージニア葉にまつわる、〝黒い疑惑〟を求めての、私の取材が始められたのであった。まだ、夏の日が、霞ヶ関の官庁街に、明るく輝いているころのことだった。

某高官が、私に与えてくれたヒントは葉たばこの輸入に関しては、何等かの形でリベートが動いているらしいこと。そして、その問題で動いている〝怪人物〟は、通称コバケンなる右翼系の人物——この二点でしかなかった。

まず、右翼系のスジで、〝コバケン〟なる人物の該当者を求める一方、通産、農林、大蔵の各省方面で、タバコに関する資料を漁りはじめた。その結果、明らかになってきたことは、タバコの買付、輸入に関しては、極めて〝情状〟が入りこみ易い仕組みであり、金額が莫大なので数字の上で確たる証拠をつかみ難いこと、そしてさらに、小林派選挙違反事件と同じく〝専売一家〟の厚いカベがあることを思い知らされた。だが、米葉の輸入に関しては、確かに、

〝黒いニオイ〟が臭うのである。

黒幕・政商たち p.050-051 マカパカル大統領の〝密使〟

黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。
黒幕・政商たち p.050-051 もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。

まず、右翼系のスジで、〝コバケン〟なる人物の該当者を求める一方、通産、農林、大蔵の各省方面で、タバコに関する資料を漁りはじめた。その結果、明らかになってきたことは、タバコの買付、輸入に関しては、極めて〝情状〟が入りこみ易い仕組みであり、金額が莫大なので数字の上で確たる証拠をつかみ難いこと、そしてさらに、小林派選挙違反事件と同じく〝専売一家〟の厚いカベがあることを思い知らされた。だが、米葉の輸入に関しては、確かに、

〝黒いニオイ〟が臭うのである。

その元兇は誰か? 時の政府か? はたまた実力者か? 専売一家のカベは厚く、短かい期間と個人の取材とでは、その向う側まで見透すことは不可能であった。が、この短かいレポートで、今まであまり注目されなかった葉たばこ輸入の問題点だけでも指摘してみよう。

フィリピンは北ルソン島。ここは、アメリカのノース・カロライナと同じようにヴァージニア葉の栽培地である。そして、この地方一帯を選挙地盤としているのが、マカパカル大統領の対立候補のマルコス上院議長である。

フィリピンには、二選大統領が出ないというジンクスがある。そして、マカパカル大統領もまた、このジンクスを破れず、さる四十年十一月九日の改選でマルコス上院議長に敗れてしまった。

選挙戦のスタートした四十年はじめから、運動のイザコザで殺された者二十九名というから、その興奮ぶりも判ろう。そして、終盤戦に入った夏のころ、中年のフィリピン女性が一人、羽田に降り立って銀座の東急ホテルに投宿した。ミス・コーラー、三十六才。宿帳にはそう記入されたが、この目立たない外人客こそ、実はマカパカル大統領の〝密使〟だったのである。

大統領夫人の従妹と称される彼女の使命は、莫大な選挙資金の調達であった。その材料はいうまでもなく、フィリピン政府の倉庫にある、葉たばこ。これはマルコス派の地盤である、タ

バコ耕作者たちを切崩し得る、一石二鳥の妙手であった。つまり、日本がフィリピンのヴァージニア葉を大量に買付ければ、ルソン島のタバコニスト(耕作者)たちも潤うからである。

そして彼女が、大統領から与えられてきた〝手土産〟は、再選政権のもとでの日比通商航海条約の批准であった。この条約は、マグサイサイ大統領時代に調印されながら、日本側は批准を終えたのに対し、比側は批准できず、もう十年近くも、タナざらしになっているのであった。

忘れてはいけない。もう一つの手土産は、K・Tのイニシアルが彫りこまれた大きな葉巻箱。そして、最高級のハンドメイド・シガーの一本一本に「カクエイ・タナカ」のネームが入っていた。この南国的な独身女性の〝大統領の密使〟は、カクエイ・タナカこそが、アメリカ葉の〝中毒患者〟ではない、唯一人の〝実力者〟と信じているようだった。

専売公社編のたばこ年代記によると、一五四九年スペインの宣教師ザビエルの一行が鹿児島に上陸、日本人がはじめて喫煙の風習をみてから、ほぼ半世紀を経て、一六〇五年、日本全国にタバコが流行するにいたった。明治二年、東京の土田安五郎が、たばこ製造を志してから十七年を経て、明治十九年、千葉商会が口付紙巻の牡丹たばこ、岩田商会が天狗たばこを売り出し、その五年後に、京都の村井商会が両切のサンライズを出した。

明治三十一年に、葉たばこ専売法、同三十七年に、たばこ専売法が実施になって、生産から

販売まで専売制になった。大蔵省専売局が、日本専売公社になったのは、昭和二十四年であった。

どうして、こんな年代記にふれたかというと、民営たばこが専売に切りかえられた、〝家庭の事情〟が、一世紀になんなんとする今日まで、尾を引いているからである。

黒幕・政商たち p.052-053 ワン・フロアー・カンパニー

黒幕・政商たち p.052-053 タバコにおける因縁と歴史と実績と情実とにより、かつ、専売公社幹部OBを役員に加えていることで、完全に「利権化」していることが明らかである。
黒幕・政商たち p.052-053 タバコにおける因縁と歴史と実績と情実とにより、かつ、専売公社幹部OBを役員に加えていることで、完全に「利権化」していることが明らかである。

明治三十一年に、葉たばこ専売法、同三十七年に、たばこ専売法が実施になって、生産から

販売まで専売制になった。大蔵省専売局が、日本専売公社になったのは、昭和二十四年であった。

どうして、こんな年代記にふれたかというと、民営たばこが専売に切りかえられた、〝家庭の事情〟が、一世紀になんなんとする今日まで、尾を引いているからである。

公社幹部OBの会

大蔵省統計(通関実績)によると、昭和二十五年に、僅か三十万キロだけが輸入された米葉は翌二十六年の一九九万キロから、次第に量を増し、三十年に五九二万キロ、三十一、二、三年は減って、三十四年に五五〇万キロにもどり、以後は増加の一途をたどり、三十九年度は、一五〇六万キロにも上っている。

この米葉に比し、他の諸国はホンの一握り、多くて一〇〇万キロ前後、ほとんどが十万キロ単位の葉たばこ輸入量である。そして、これらの小量輸入国の、輸入業務はいわば自由竸争であるが(エキストラという)、米葉はレギュラー買付けで、商社は十五社に限られている。

この十五社で、日本米葉協会なるものが組織され、会長に石田吉男前公社副総裁が就任しているが、三井物産、三菱商事、大倉商事、三洋貿易の他は、専業十社といわれる米葉輸入だけを業とする、ワン・フロアー・カンパニーである。

三十九年度のアメリカからのタバコ輸入量は、葉たばこの百億四千万円を含んで、総計百二十一億一千三百六万二千円であるが、これを十五社で分配しており、他の如何なる大商社も小商社も割りこめないという訳である。

この専業十社は、またさらに七葉会という団体があり(このうち一社は、業界筋の話によれば、何かマズイことがあって、専売公社に登録を取消され、米葉協会にも加っていない、という。従って、七葉会の六社と他に四社になる)、これらは、昔の民営時代からの、タバコにおける因縁と歴史と実績と情実とにより、かつ、専売公社幹部OBを役員に加えていることで、完全に「利権化」していることが明らかである。

なお、公社幹部OB会である、清交会名簿の職業欄をみると、石田米葉協会長の三洋貿易と三井物産一名を除き、専業十社の社名が記載されている者は、七社九名にも及んでいる。登記謄本を調べれば、その数はもっと増すであろう。また同名簿によると、六名の国会議員がおり、例の小林章議員の職業欄は、皮肉にも空欄になっているので、これを加えると七名になる。

何故、この十五社しか、米葉の輸入を扱えないのであろうか。公社外国部の外国課友成課長補佐は、「公社は製造たばこの品質、味を一定にするため、アメリカのディーラーを指名しており、この十五社は、アメリカのディーラーの代理店であるからだ」と、説明する。

米葉協会加盟十五社以外は米葉輸入ができないということは、十分に独禁法違反の疑いがあ

るのだが、それを米ディーラーの代理店という形でカバーしており、専業十社のうちでも、それを肯定している社もある。

黒幕・政商たち p.054-055 友成課長補佐は「失念した」と

黒幕・政商たち p.054-055 各社の商売のウマ味とその儲け、さらには、予想されるリべートの額などは、全くの手がかりすらつかめないのであった。〝専売一家のカべ〟である。
黒幕・政商たち p.054-055 各社の商売のウマ味とその儲け、さらには、予想されるリべートの額などは、全くの手がかりすらつかめないのであった。〝専売一家のカべ〟である。

米葉協会加盟十五社以外は米葉輸入ができないということは、十分に独禁法違反の疑いがあ

るのだが、それを米ディーラーの代理店という形でカバーしており、専業十社のうちでも、それを肯定している社もある。

さらにまた、友成課長代理は「専業十社というのは良く知らないが、明治時代の岩谷の〝天狗たばこ〟以来の実績商社だときいており、そのたばこ民営時代からの貢献度で、公社が認めたといわれているが、伝聞だから責任はもてない」とも洩らしている。

私が調査してみると「専業十社」の中に、さらに「七葉会」なる組織があり、いずれも米葉輸入のみに依存している商社であった。公社は米国ノース・カロライナ州ラーレイに買付事務所を設けているが、公社の買付値、米葉協会商社(シッパー)の輸入値、公社の買上値と、米葉輸入をめぐる疑問(注、政治資金とのつながり)を解くべき数字は、関係者のいずれもが明らかにしようとしない。

公社(JMC)は、シッパーであるアメリカのディーラーと契約を結ぶ。その間に、インポーターであるエージェントの日本商社が、JMCから受けるマージンは、友成課長補佐は「失念した」というが、〇・五%にすぎない。しかし、インポーターがシッパーから受け取るマージンは、二~三%といわれるが、専業十社筋では、「数字は公社のインフォメーションを通して受取ってほしい。私たちが明らかにすると、公社のお叱りを受ける。友成氏が忘れたというのなら、私も忘れた」と、一切を明らかにはしないのである。

前述の数字は、米葉協会加盟外の商社筋の観測だが、同筋では米葉以外では、「葉たばこの輸入は、それほどウマイ商売ではないが、製造たばこの規格が、国会の議決で決るのだから、一度使用された葉は、一定量は毎年安定した数字の商売として輸入できる点が取り得だ」という。では、何故、米葉はウマイ商売なのだろうか。第一には、まず量が極めて多いということである。第二には、業者が指名登録によって、レギュラー買付だけなので、固定した利権と化しているからである。従って、社員も少数、事務所も小さく、但し、公社の〝外郭団体〟として、役員は多いが、これは止むを得ないことだ。ワン・フロアー・カンパニーと称される所以でもある。

〝専売一家〟の厚い壁

では、十五社の何処が、幾らで、何をどの位輸入しているか? という点になると、通産省の極秘公文書である「輸入インボイス」の数字を取らなければならない。業者が「数字は公社で……」と、伏せて、公社がトボけてしまう現状では大蔵省統計の通関実績表の合計数字しかなく、各社の商売のウマ味とその儲け、さらには、予想されるリべートの額などは、全くの手がかりすらつかめないのであった。〝専売一家のカべ〟である。

どうして、リベートが予想されるかというと、〝大統領の密使〟ミス・コーラーに続いて、

マカパカル派の上院議員、ミスター・デュモンが飛んできて、ホテル・ニューオータニに陣取り、具体的に数字をあげて、フィリピン・ヴァージニア葉の売り込み工作を積極的に展開したからであった。

黒幕・政商たち p.056-057 関係者たちのフトコロに入る

黒幕・政商たち p.056-057 もっと平たくいえば、この、円の二〇〇円は、日本側の工作資金、政治資金にして、どうぞ御自由にお使い下さい、という内容を示してきたのである。
黒幕・政商たち p.056-057 もっと平たくいえば、この、円の二〇〇円は、日本側の工作資金、政治資金にして、どうぞ御自由にお使い下さい、という内容を示してきたのである。

どうして、リベートが予想されるかというと、〝大統領の密使〟ミス・コーラーに続いて、

マカパカル派の上院議員、ミスター・デュモンが飛んできて、ホテル・ニュー・オータニに陣取り、具体的に数字をあげて、フィリピン・ヴァージニア葉の売り込み工作を積極的に展開したからであった。

それによると、米葉は一口にいって、キロ当り八〇〇円(昨年度通関実績の千五百六万キロでみると、七百三十二円強である)だが、フィリピンはキロ四〇〇円という半値だ。しかも、そのまた半分の二〇〇円をドルで支払ってもらいたい。残り二〇〇円は円で、日本物資の買付けにあてるということ。もっと平たくいえば、この、円の二〇〇円は、日本側の工作資金、政治資金にして、どうぞ御自由にお使い下さい、という内容を示してきたのである。

この数字を実際の数字にあてはめてみると、フィリピンからは三十八、九両年度は葉たばこの輸入がないので、三十七年度二万一千キロで六百十七万九千円、キロ当り二百九十四円、四十年度(八月まで)五万四千百六十キロで一千七百三十九万三千円、キロ当り三百二十二円。四十年度の米葉七百五十二円に比べ、四割三分に当るから、半値のキロ四百円というのは、まずはマットウな数字ではある。しかし、そのまた半分は、日本側にリベートするというのだから、葉たばこ商売の実態が、この辺で大よそつかめようというものである。

事実、ノース・カロライナのあるタバコニストは、マニラにも傍系会社をもっている。もともとフィリピンのヴァージニアはその名の示す通り、ヴァージニアの葉たばこを移植したもの

である。アメリカのタバコニストが、フィリピンで同じ商売をしていることに、何の不思議もないし、商習慣も同じとみるべきであろう。つまり、米葉のキロ当り八〇〇円という数字は、どの程度の、必要経費を含んだ数字であるかということである。

もし、この〝大統領〟の示す条件で、米葉の全量を比島に切替えたとしたら(製造たばこの味など無視した上で)、三十九年度の千五百六万キロだから、ドルを四分の一に節約できた上に、三十億一千二百万円のリべートが関係者たちのフトコロに入る勘定になる。その上、通商条約の批准も行なわれるという次第だ。

これは決して荒唐無稽な笑い話ではない。葉たばこは、農作物であるから、アメリカ政府は農民保護のため、余剰農産物として、葉たばこをも価格調整のために買い上げたのちに、安く放出するのである。業界筋の情報によると、この安い政府放出の葉たばこを抱えた、オースチンというディーラーが、三十八年に日本でしきりに暗躍していたと伝えている。そして、三十九年の通関実績は、前年を三十万キロもオーバーしているのである。これらのナゾを解いてくれるものは、通産省にある輸入インボイスの商社別の数字だけである。

黒幕・政商たち p.058-059 戦前、井上日召の付け人

黒幕・政商たち p.058-059 「田中角栄幹事長は、キミイ、比島葉は難しいぜ、キミイ、といっただけだった。ワシのこれからの仕事は、米葉利権と政治家の結びつきの究明だ」
黒幕・政商たち p.058-059 「田中角栄幹事長は、キミイ、比島葉は難しいぜ、キミイ、といっただけだった。ワシのこれからの仕事は、米葉利権と政治家の結びつきの究明だ」

〝怪人物〟コバケン

利権と政治家の結びつき

さて、私は一方で、〝コバケン〟なる人物をたずね歩いていた。右翼で小林健といえば、全愛会議の青年組織である、青年思想研究会議長の小林健氏を指すものと思われたが、ジンタイ(人体、人相、風態の意)が違う。この小林氏を追尾してみた時、「甲府のコバケン」といわれる人物がいることを聞き、私は直ちに市外番号調べのダイヤルを回してみた。

交換嬢の告げる電話番号と住所を書き取った私は、直ちに甲府市の地図をひろげる。意外! この小林健氏は、甲府市外、しかも笛吹川を渡って、なお数キロもある境川村に居住しておりながら、甲府の市内番号の電話を引いているのであった。これだけの事実で、私のカンはピシャリと決った。新宿駅にかけつけて、第二アルプス号に乗ったのである。ついに〝怪人物〟の割り出しに成功した。

甲府市外境川村、駅から小型のタクシーで八百円余りの草深い田舎に、「洗心荘」という、数寄屋造りの別荘を構え、小林健氏は、京風の庭の手入れをしていた。私の調査によれば、戦

前、憲兵隊から井上日召氏のもとに、付け人として派遣され監視に当っていたといわれる、治安当局の分類によれば、右翼に位置づけられている人物。

氏は、米葉と結びついている利権政治家の名前をあげ、その腐敗をつき、〝義によって〟マカパカル大統領の応援に乗り出した経緯から説き起した。

「まず第一に、外貨が節約できるではないか。第二に、条約の批准が期待できるではないか。これはすべて国益だ。比島葉の栽培、採り入れ、味付け、すべて公社が指導すればよいことだ。そのための研究所も持っているではないか。このワシの正論の前に、公社はグウの音も出ないのだが、既得権益を守る勢力の方がまだ強い。これを打破せねばならないのだ」

確かに、氏の主張は正論であった。だが、氏の応援が期を失っていたのか、或いは力及ばなかったのか、デュモン上院議員、〝密使〟ミス・コーラーは、何の収獲もなく、九月に入るとともに、ホテルを引払って帰国した。

「田中角栄幹事長は、キミイ、比島葉は難しいぜ、キミイ、といっただけだった。ワシのこれからの仕事は、米葉利権と政治家の結びつきの究明だ」

〝怪人物〟コバケンは、こういって新聞に眼を落した。マカパカル敗る! のニュースであった。そして、その頃、通産省は、四十年下期のタバコ輸入割当を決定した。葉たばこ二千八百トン、紙巻二万二千八百本、葉巻百五十万本、パイプ三十一トン。葉たばこ対象国としては

依然として、アメリカ、ローデシア、インド、タイ、そして新たに、韓国が候補に上ってきた。フィリピンはやはり葉巻用だけで、黄色種(ヴァージニア葉)はカクエイ・タナカのいう通り、〝むづかしい〟らしい。

黒幕・政商たち p.060-061 貢献度による特権商社の会

黒幕・政商たち p.060-061 公社に百%依存して、そのOBを重役に引取っている専業者たちが「数字は公社から」と拒み、公社は「予算的にもルーズ」であれば、もちろん米葉の実態を明らかにはしないであろう。
黒幕・政商たち p.060-061 公社に百%依存して、そのOBを重役に引取っている専業者たちが「数字は公社から」と拒み、公社は「予算的にもルーズ」であれば、もちろん米葉の実態を明らかにはしないであろう。

〝怪人物〟コバケンは、こういって新聞に眼を落した。マカパカル敗る! のニュースであった。そして、その頃、通産省は、四十年下期のタバコ輸入割当を決定した。葉たばこ二千八百トン、紙巻二万二千八百本、葉巻百五十万本、パイプ三十一トン。葉たばこ対象国としては

依然として、アメリカ、ローデシア、インド、タイ、そして新たに、韓国が候補に上ってきた。フィリピンはやはり葉巻用だけで、黄色種(ヴァージニア葉)はカクエイ・タナカのいう通り、〝むづかしい〟らしい。

週刊新潮四十年九月四日号「阪田総裁、人望の裏側」という記事は、「専売公社は他の機関と違って、予算的にもルーズな面があるようなんですよ。従来、きびしい経理監督の面がなかったんじゃないですか。公労協傘下の組合には、ヤミ賃金というのがありましてね。これはそれぞれの組合が、理事者側とウラ協定を結んでいるわけです。これが多いのが、専売と電通といわれますがねえ。……大蔵省がうるさくなると、ヤミ賃金なんかの面でしばられる結果を、全専売はおそれているんですよ」と、公社がヤミ賃金を出している事実を社会党系人物の談話として述べている。

一体、このヤミ賃金の財源は何であろうか。

友成外国課長補佐は、米葉の買付け状況を、数字を抜きにして、親切にシロウトにも判り易く説明する。

「ヴァージニア葉は、ピース、富士、ハイライトなどに、香喫味として加えるのであって、主原料は国産葉です。だからピース、ハイライトの伸び率に伴って、米葉の輸入もふえるのが当然で、米葉の輸入増大に特別の意味はありませんよ」

東南ア外交の裏で——

たとえ、ピース、ハイライトの伸び率のグラフと、米葉のそれとを比較してもナゾ解きのヒントは得られない。たばこの輸入は、ドルと数量のワクをはめられるが、現実にこの二つのワク内での買付けをドンピシャにはできないのである。葉には茎の上部から、天、中、本、土と四種類あり、乾燥にも蒸気と日干とあり、土壌や天気で品質、味ともに変り、しかも発酵のため二年間は貯蔵する。

これを組み合せ、混ぜ合せて、銘柄の味、香気を作り出すのだから、公表されている数字をすべて集めてみても、〝大統領の密使〟たちが出した条件のように簡単明瞭な金の動きはつかめない。

そして、公社に百%依存して、そのOBを重役に引取っている専業者たちが「数字は公社から」と、拒むのであれば、前記週刊新潮が指摘しているように「予算的にもルーズ」であれば、もちろん米葉の実態を明らかにはしないであろう。

秋山、協同、米星、国際、吉川、三倉、東亜の七社が「七葉会」といわれるが、このうち東亜産業は消息通によれば公社のきびにふれて、除名され、現在は米葉を取扱っていない。また、民営たばこ以来の貢献度による特権商社の会といわれるにしては、三倉物産の創立は昭和三十 一年であり、元公社副総裁、現米葉協会長石田吉男氏(三洋貿易東京支店勤務)が米国勤務中の女性秘書ミス・マートの実兄が、三倉物産社長だと業界では噂されている。

黒幕・政商たち p.062-063 米葉輸入のウマ味

黒幕・政商たち p.062-063 どうして、専売公社は、業者の口を封じ、米葉輸入に関する内容数字を公表しないのか。七葉会の「東亜」が米葉輸入からオロされたのは、何故か。
黒幕・政商たち p.062-063 どうして、専売公社は、業者の口を封じ、米葉輸入に関する内容数字を公表しないのか。七葉会の「東亜」が米葉輸入からオロされたのは、何故か。

秋山、協同、米星、国際、吉川、三倉、東亜の七社が「七葉会」といわれるが、このうち東亜産業は消息通によれば公社のきびにふれて、除名され、現在は米葉を取扱っていない。また、民営たばこ以来の貢献度による特権商社の会といわれるにしては、三倉物産の創立は昭和三十

一年であり、元公社副総裁、現米葉協会長石田吉男氏(三洋貿易東京支店勤務)が米国勤務中の女性秘書ミス・マートの実兄が、三倉物産社長だと業界では噂されている。同社の登記とう本によると、ミスター・オット・F・マートが取締役におり、他はM姓の男女と三人しかない会社であった。この七葉会六社に、東洋、宇田、日辰、協栄の四社が加わったのが、〝専業十社〟であり、長く独占体制であったらしいが、米葉輸入のウマ味が知れてきてから、三井物産、三菱商事、三洋貿易、岩井産業、大倉商事の大手五社が加入した。

阪田前総裁が、結婚式の仲人を池田総理に頼みに行ったところ、「ワシは功成り名遂げた人間だ。キミのこれからの為には、田中蔵相に頼みなさい」といわれたという。一方、田中蔵相は組閣にさいし、後任に池田派の大平外相を推したという。自分のリモコンが利くからだという説である。だが、福田蔵相が実現した。

昭和四十年を回顧してみると、春の吹原事件は、池田派の大蔵官僚出身議員たちをふるえ上らせた。つづいて夏の国有地払下げ問題が、同じように大蔵OBへの圧力。そして、秋には、ついに大蔵官僚の牙城「専売公社総裁」が、財界人に明け渡された。しかも、この全期間を通じてのキャンペインが、〝専売一家〟をゆさぶる小林章派選挙違反事件である。

この一連の動きこそ、私は、偶然の一致とは見ずに、〝佐藤長期不安定政権〟が、着々と打ってきた、政財官界への布石であり、与論形成のためのキャンペインであるとみる。事実、エ

リートの中のエリートをもって任ずる大蔵官僚は、今まで、あまりにも傍若無人であり、あまりにも権力を持ちすぎていた。それは〝利権〟を握っていたからである。

米葉輸入量のグラフに、年度ごとに時の実力者、担当大臣名を記入し、選挙、政変などの主な政治事件を並記すれば、このグラフは、さらに雄弁に米葉輸入のウラ側をも示してくれるであろう。だが、どうして、専売公社は、業者の口を封じ、かつ、米葉輸入に関する内容数字を公表しないのであろうか。七葉会の専業社中「東亜」が指定を取消されて、米葉輸入からオロされたのは、何故だろうか。コバケンこと小林健氏は一通の手紙、アメリカのタバコニストの一人(特に名を秘す)からの私信を示した。

「(前略)下級品(三級)は高値の上に質も良くありません。しかし、当地の業者は、日本専売公社のために、上、中、下級そのものではなく、それらに似通ったものを、買付けるでしょう。割当を充足するためにのみ。

この点に、私はフィリピン煙草をもって、補充する余地を見出せるわけです。何故なら、彼らの煙草はあまりに高値にすぎ、品質が悪すぎるからです。ここに新聞の切抜きを同封しますが、日本側では当地の煙草生産の余剰品を買付けると書かれています。(後略)」

ノース・カロライナ発の英文の手紙が、「米葉でなきやダメ」と主張する公社外国部の主張をくつがえしている。

迎えにきたジープ p.034-035 引揚者たちの代々木詣り

迎えにきたジープ p.034-035 In response to the U.S. side's military and ideological investigations, the Soviet Union trained a number of activists in all Siberian camps, advocating anti-military, anti-officer and anti-fascist, with the "Nihon Shimbun" as an agitator.
迎えにきたジープ p.034-035 In response to the U.S. side’s military and ideological investigations, the Soviet Union trained a number of activists in all Siberian camps, advocating anti-military, anti-officer and anti-fascist, with the “Nihon Shimbun” as an agitator.

幻兵団第三号の齊藤氏が保護を訴え出たころになると、ソ連側の教育も徹底してきた。例えば何号ボックスの調べ官は何という男で、何と何をきくから、それに対してはこう答えろ。六

号ボックスの寄地(ヨリジ)少尉と、二号ボックスの東(アズマ)中尉の所へ行ったら、メッタなことを言うな。在ソ経歴をきかれたら、こう答えろ。などという工合で、ウランウデの途中の森林伐採の状況まで教え込まれてくるといった按配であった。この辺の米ソスパイ戦はまさに虚々実々というところである。

これがさらに十一月に入ると、要注意者の中には、訊問拒否のため調査日になると仮病を使って入室戦術をとる者が現れてきた。

冬が来て引揚船はナホトカに来なくなった。この時期にソ連側の政治教育は徹底した。日本新聞がアジテーターとなり、反軍、反将校階級闘争が指導された。それと併行して文化活動が奨励され、「日本新聞友の会」運動がまき起され、やがてこれは民主グループ運動へと移っていった。

アメリカの軍事、思想調査に対するソ連側の対抗策である。こうしてシベリヤ民主運動は、二十二年冬から二十三年春へかけての引揚中止期間に、みるみる盛り上っていった。やがて春三月、民主グループ運動はさらに発展してハバロフスク・グループに最高ビューローを置く、反ファシスト委員会が、全シベリヤ収容所に結成された。多数のアクチヴィスト(積極分子)が成長していった。

二十三年四月、再び引揚が始った。その年の引揚は変っていた。船内斗争、上陸地斗争が民主グループ幹部によって指導され、米側の調査を拒否しソ連謳歌を談ずるものが増えてきた。LS、CICの打撃は大きかった。二十二年度の報告書を検討したGHQでは、山田大尉の後任にマウンジョイ少佐を送り、さらに権限を強化して、レントゲン写真と同時に栄養度をみるという名目で、要注意人物の顏写真撮影をはじめた。

一方、引揚者たちは米側に対して反抗の態度を明らかにした。六月ごろからは東京へ着いた一行は援護局のスケジュールも無視して、出迎えの共産党員たちと一緒に代々木の党本部訪問の集団〝代々木詣り〟をはじめだした。

NYKビルでの再調査を命ぜられる者が多くなり、その調書は顔写真とともにファイルされ、厖大な対ソ資料が着々と整備されていった。こうして幻兵団として米側にマークされた人々のうちには、幹候出身ではなくて、陸士卒の正規将校も多かった。

天皇陛下の軍人として、一命をこう毛の軽きにおいた旧軍人たちが、いまや、一方は米国に加担して昔の上官、部下を摘発し、また一方ソ連について同様に上官、部下と闘うということになってきたのである。この元陸軍将校団のまさに骨肉相喰む相剋こそ、元海軍将校団とのよい対照であり、日本国軍史の最大研究テーマである。プロシヤ将校団の伝統あるドイツ将校団

と比較するとき、いよいよ興味深いものがある。(「旧軍人とアメリカ」「旧軍人とソ連」については第三集参照)

迎えにきたジープ p.036-037 日本新聞・小針延二郎の証言

迎えにきたジープ p.036-037 In Khabarovsk, the home of the Siberian Democratic Movement, the Nihon Shimbun editor-in-chief, Nobujiro Kobari, has begun his testimony at the Special Committee of the Soviet Repatriation, in the House of Councilors.
迎えにきたジープ p.036-037 In Khabarovsk, the home of the Siberian Democratic Movement, the Nihon Shimbun editor-in-chief, Nobujiro Kobari, has begun his testimony at the Special Committee of the Soviet Repatriation, in the House of Councilors.

見えざる影におののく七万人

一 參院引揚委の証言台

西陽がさし込むため、窓には厚いカーテンがひかれて、豪華な四つのシャンデリヤには灯が入った。院内でも一番広い、ここ予算委員室には異様に興奮した空気が籠って何か息苦しいほどだった。

中央に一段高い委員長席、その両側に青ラシャのテーブルクロスがかかった委員席、委員長席と相対して証人席、その後方には何列にも傍聴席がしつらえられ、委員席後方の窓側には議員席、その反対側に新聞記者席が設けてあった。

昭和二十四年五月十二日、参議院在外同胞引揚特別委員会が、吉村隊事件調査から引きずりだした「人民裁判」究明の証人喚問第二日目のことであった。今日は昨日に引続きナホトカの人民裁判によって同胞を逆送したといわれる津村氏ら民主グループと、逆送された人々の対決

が行われ、また「人民裁判」と「日本新聞」とのつながりを証言すべき注目の人、元日本新聞編集長小針延二郎氏が出席しているので、場内は空席一つない盛況で、ピーンと緊張し切っていた。

たったいま、小針証人が『委員会が国会の名において責任を持つなら、私はここで全部を申上げます』と、爾後の証言内容について国会の保護を要求した処だった。正面の岡元義人代理委員長をはじめ、委員席には一瞬身震いしたような反応が起った。

終戦時から翌年の六月まで、シベリヤ民主運動の策源地ハバロフスクの日本新聞社で、日本側責任者として「日本新聞」を主宰し、のちに反動なりとしてその地位を追われた小針氏が、何を語ろうとするのか。日本新聞の最高責任者、日本新聞の署名人であるコバレンコ少佐こそ極東軍情報部の有力スタッフではないか! 委員会は小針証人の要求により、秘密会にすべきかどうかを協議するため、午後二時二十九分、休憩となった。

約十分の休憩ののちに、岡元委員長は冷静な口調で再開を宣した。遂に公開のまま続行と決定した。満場は興奮のため水を打ったように静まり、記者席からメモをとるサラサラという鉛筆の音だけが聞えてくる。小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその 収容所の政治部の部員に対しまして、お前の処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

迎えにきたジープ p.038-039 光っているスパイの眼と耳

迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari's words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.
迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari’s words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.

小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその収容所の政治部の部員に対しまして、お前に処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

……この男ならば絶対に信頼できると、ソ連側が認める場合にはスパイの命令を下します。

……そうしてスパイというのは、殆どスパイになっておる人は、非常に気持の小さい男で、ビクビク者が多いというので、民主グループを作る場合にはその人を使いません。

……こういう男を選んで、それに新聞社から行って連絡しまして、こういうことをやれ、その代り後のことは心配するな、後で問題が起った場合にはすぐ連絡する……』(参院速記録による)

委員会は深夜の十時まで続いた。

二 私こそスパイなのだ

私が小針氏の言葉で反射的に想い浮べたあるデータというのは、実にいまわしい私自身の想い出であったのである。

私は終戦時新京にいたのだが、公主嶺でソ連軍の捕虜になった。九月十六日、私たちの列車が内地直送の期待を裏切って北上をつづけ、ついに満州里を通過したころ、失意の嘆声にみちた車中で、私一人だけは鉄のカーテンの彼方へ特派されたという、新聞記者らしい期待を感じながら街角で拾った小さな日露会話の本で、警乗のソ連兵に露語を教わっていた。

イルクーツクの西、チェレムホーボという炭坑町に丸二年、採炭夫から線路工夫、道路人夫、建築雑役とあらゆる労働に従事させられながらも、あらゆる機会をつかんではソ連人と語り、その家庭を訪問し、みるべきものはみ、聞くべきものは聞いた。

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教え込まれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集れば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談に花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では自己保身はむずかしいのだ。

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。

迎えにきたジープ p.040-041 同胞の血で血を洗う悲劇

迎えにきたジープ p.040-041 Hundreds of thousands of Japanese became Soviet military POWs. In chronic hunger, some have become Soviet spies in return for a piece of bread. They forged and informed the facts, and a tragedy occurred that forced many compatriots to die.
迎えにきたジープ p.040-041 Hundreds of thousands of Japanese became Soviet military POWs. In chronic hunger, some have become Soviet spies in return for a piece of bread. They forged and informed the facts, and a tragedy occurred that forced many compatriots to die.

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。

 平常から要領のうまい最初の男を嫌っていた最後の人の良い男は、真剣な表情で前の二人に負けないだけの名文句を考えるが、とっさに思いついて『ヤポンスキー・ミカド・ターク!』(日本の天皇なんかこうだ!)と、首をくくる動作をする。

 これが美辞麗句をぬきにして、ソ連大衆が身体で感じているソ連の政治形態の、恐怖のスパイ政治という実態だった。

戦争から開放されて、自由と平和をとりもどしたはずの何十万人という日本人が、やがて、〝自由と平和の国〟ソ連の軍事俘虜となって、慢性飢餓と道義低下の環境の中で混乱しきっていた。その理由は、俘虜収容所の中まで及ぼされた、ソ連式スパイ政治形態から、同胞の血で血を洗う悲劇が、数限りなくくりひろげられたからだった。

一片のパン、一握りの煙草という、わずかな報償と交換に、無根の事実がねつ造され、そのために収容所から突然消えて行く者もあった。

収容所付の政治部将校(多くの場合、赤軍将校のカーキ色軍帽と違って、鮮やかなコバルトブルーの

制帽を冠ったNKの将校である)に、この御褒美を頂いて前職者(憲兵、警官、特務機関員など)や、反ソ反動分子、脱走計画者、戦犯該当者などの種々の事項を密告(該当事項の有無にかかわらず)した者がいたという事実は、全シベリヤ引揚者が、その思想的立場を超越して、ひとしく認めるところである。

だがこの密告者たちは、そのほとんどが、御褒美と交換の、その場限りの商取引にすぎなかった。これは昭和二十一年末までの現象であった。

二度目の冬があけて、昭和二十二年度に入ると、身体は気候風土にもなれて、犠牲も下り坂となり、また奴れい的労働にもなじんでくるし、収容所の設備、ソ連側の取扱もともに向上してきた。生活は身心ともにやや安定期に入ったのである。

ソ連側の混乱しきっていた俘虜政策が着々と整備されてきた。俘虜カードの作成もはじめられた。だが、やがて腑に落ちかねる現象が現れはじめてきた。

その一つは、或る種の個人に対する特殊な身上調査が行われていること。特殊なというのは、当然その任にある人事係将校が行うものではなく、思想係の政治部将校がやっていることだった。しかも、呼び出しには作業係将校の名が用いられ、面接したのは思想係だったというような事実もあった。

迎えにきたジープ p.042-043 潤沢にパンなどを入手

迎えにきたジープ p.042-043 Eventually, the day came when this question was solved as my own experience. I was called by a sentry on a snowstorm night.
迎えにきたジープ p.042-043 Eventually, the day came when this question was solved as my own experience. I was called by a sentry on a snowstorm night.

ソ連側の混乱しきっていた俘虜政策が着々と整備されてきた。俘虜カードの作成もはじめられた。だが、やがて腑に落ちかねる現象が現れはじめてきた。

その一つは、或る種の個人に対する特殊な身上調査が行われていること。特殊なというのは、当然その任にある人事係将校が行うものではなく、思想係の政治部将校がやっていることだった。しかも、呼び出しには作業係将校の名が用いられ、面接したのは思想係だったというような事実もあった。

 その二は、人事係のカミシャ(検査)と称して、〝モスクワからきた〟といわれる将校が、ある種の日本人をよんで、直接、身上並に思想調査を行った。ある種というのは、殆どが大学高専卒の人間で、しかも原職が鉄道、通信関係や、商大、高商卒の英語関係者であった。

 その三は、もはや二冬を経過して、ソ連にもちこんだ私物は、被服、貴重品類ともに、略奪されるか、売尽くすかでスッカラカンになっていた。そんなわけで金(ルーブル紙幣)がないはずの人間が大金をもっている。或は潤沢にパン、煙草、菓子などを入手しているという不思議である。

 その四は、ある時期からその人間の性格が一変して、ふさぎこんでくること。しかも、それらの連中は、何かと尤もらしい理由のもとに、しばしば収容所司令部に呼び出された。そして、そののちにそのように変化するか、変った後において呼び出されるようになるか、そのどちらかである。

 ソ連のスパイ政治——収容所内の密告者——前職者、反ソ分子の摘発——シベリヤ民主運動における〝日本新聞〟の指導方針——民主グループ員の活動——思想係の政治部NK(エヌカー)将校——呼出しとそれにからまる四つの疑問——収容所内のスパイ——ソ連のスパイ政治。

 これらのことがいずれも相関連して、疑惑の影を深めていった。

 作業場ではソ連労働者が『ソ米戦争は始まるだろうか』『お前達の新聞には次の戦争のことを何とかいているか』としきりにたずねていた。「日本新聞」の反ソ(反米?)宣伝は泥臭いあくどさでしつように続けられている。アメリカ——日本——ソ連。そしてスパイ。私は心中ひそかにうなずいていたのだった。

 そして、やがてこの疑問が私自身の体験となって解かれる日がやってきた。私はある吹雪の夜に歩哨に呼び出されたのである。

三 吹雪の夜の秘密

『ミータ、ミータ』兵舎の入口で歩哨が声高に私を呼んでいる。それは昭和二十二年二月八日の夜八時ごろのことだった。去年の十二月はじめにもう零下五十二度を記録したほどで、二月といえば冬のさ中だった。北緯五十四度という、八月の末には早くも初雪のチラつくこのあたりでは、来る日も来る日も雪曇りのようなうっとうしさの中で、刺すように痛い寒風が雪の氷粒をサアーッサアーッと転がし廻している。

もう一週間も続いている深夜の炭坑作業に疲れ切った私は、二段寝台の板の上に横になったまま、寝つかれずにイライラしている処だった。

——来たな! やはり今夜もか?

今までもう二回もひそかに司令部に呼び出されて、思想係将校に取調べをうけていた私は、

直感的に今夜の呼び出しの重大さを感じとって、返事をしながら上半身を起した。