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雑誌『キング』p.138上段 幻兵団の全貌 スパイ恐怖政治への服従心

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.138 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.138 上段

事件がまだ現在進行中であるため、公表を許されなかった資料もあり、またやむなく伏せ字や仮名を用いなければならなかったものもあったが、以上述べたところで〝幻兵団〟とはいかなるものかということは、おおむね分かっていただけたことであろう。

このようにして組織された〝幻兵団〟にはいかにもロシア的な——ソ連的というよりは大まかで、単純で、原始的な〝ロシア〟という感じがする——二つの特徴が見出される。

その一つは、現ソ連政権のスパイ恐怖政治に対する絶対的なソ連人の服従心、すなわちソ連人のもつ〝NKへの死の恐怖〟から判断して、銃口の前で誓約書を書かせたことによって、あらゆる種類の日本人に、いつまでも脅迫の効果があると信じて、裏切りを予想しなかったことである。

雑誌『キング』p.137上段 幻兵団の全貌 帰国を一番先にしてやる

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 上段

治部員の上級中尉からスパイたることを強要された。

第一回は収容所事務室で鍵をかけられ、調査尋問ののち誓約書をかけと迫られたが、『日本人の不利になる事は御免だ』

と断ってしまった。

それから約二週間して、収容所本部(街の中央にある)から自動車で呼び出しがあり、収容所付政治部将校に伴われて出頭した。

調査事項は前と同じで、日本語のうまい通訳を通じ、本部の政治部主任らしい少佐に、あるいはおどし、あるいは利をもって誘われた。

『君がこの誓約に署名したならば、帰国も一番先にしてやるし、君のためにも非常によい事がある』

『嫌だ』

『君は強情を張るけれども、一晩営倉に入るとすぐ目覚めるのだ。今のうちに腰を折った方が身のためだよ』

『嫌だ』

『もし君があくまで拒絶すれば、君の階級は剥奪されて、そして一般兵と一緒に石炭積みをしなければならなくなるだろう』

『それもやむを得ない、ともかく日本人を売ることは、俺にはできない』

少佐は怒りの表情もものすごく怒鳴った。

雑誌『キング』p.136上段 幻兵団の全貌 図・エラブカ民主グループの活動組織

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.136 上段 図・エラブカ民主グループの活動組織
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.136 上段 図・エラブカ民主グループの活動組織

図版・エラブカ民主グループの活動組織

日本部長・クロイツェル女中尉 文化補佐官・星加薬剤少佐(愛媛) 講演部長・某軍医中佐 A収容所・文化補佐官・後藤典夫 B収容所・文化補佐官・星加兼務
クラブ員 清水達夫少尉(共産党員・日帰同委員長) 福島正夫中尉(東京)鳴沢少尉(広島)中野冨士夫法務大尉(東京)
秘書 加藤正満軍中校(本名・佐々木五郎) 多田光雄少尉(北海道出身・共産党北海道機関紙〝北海新報〟社員)

○各情報係は宣伝、啓蒙の間に現れる傾向をつかみ、系統を経て、一切がクロイツェル女中尉の手許に集まる仕組みになっている。
○クラブ員は民主グループでも急進分子で、秘書にはお気に入りの者がなっていた。

雑誌『キング』p.135上段 幻兵団の全貌 約一万名のインテリたち

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.135 上段

て、はるかに活発であり、ソ連側でも重視していたようである。

ここは欧露最大の将校収容所として、二十一年夏ごろから、各地の将校ばかりが集められた。その総数約一万名、将官一、大佐八〇、中佐一〇〇、少佐二〇〇、文官の中には将官級の人もいたが、残りの九千名以上が尉官と文官というのだから壮観である。これがA、B両収容所に分かれ、さらにカクシャン(農場雑役のため)とボリショイボル(伐採のため)とに、数百名の分遣が出ていた。

幹候出の尉官、陸士出の佐官、それに地方人の文官が加わり、結局全員が一応のインテリであっただけに、この収容所の内情は複雑かつ陰惨なもので、インテリの弱さ、醜さ、冷たさ、などが露呈されてお互いに苦しめ合っていたようだ。

ここの〝幻兵団〟の特色は、㋑最後に誓約書をとったのが、他の一般収容所に現れた〝モスクワの少佐〟ではなく、〝中佐〟だったこと。これでソ側でも、エラブカ懐柔のために慎重だったことが分かる。㋺高級将校や、知識人ばかりだったためか、拳銃などを出して脅迫はしていないこと。㋩誓約書の内容が、他の各地とは違って、詳細かつ具体的に、多数の項目に分かれており、日本における生活の保証まで明示してあ

雑誌『キング』p.134上段 幻兵団の全貌 五回も席を立つG氏

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.134 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.134 上段

うしてオイソレと、このような〝恐るべき秘密〟を打ち明けられようか。こう考えた私は、再考の時間を与えるべく、『よく考えてみてください』といって、再会を約して帰るより仕方がなかった。〝幻兵団、駒場〟はG氏に違いない。すべての傍証は固まっている。だが、G氏は否定する。

あわただしい歳末の出張から帰京するや、直ちにG氏の否定の言葉の、裏付け調査に取りかかった。東京ではクロくなった。さらに舞鶴に飛ぶ、ここでもクロだった。つまりG氏は、否定するのにウソをついたのだ。

対談中のG氏は、㋑時々苦しそうな表情を浮かべた、㋺煙草に火をつける時マッチの手が震えていた、㋩一時間あまりの間に五回も席をたち、そのたびに数分ずつ私の前から姿を消した。お茶の取り換え三回、煙草の購入一回、来客の名刺一回、いずれも席を立つ必要はなく、ベニヤ板一枚の外には給仕がいるのだから(ズッと気配がしていた)、声を出してお茶と煙草(私の持っていたいい煙草をすすめたが取らない)を命ずればよいはずであり、ことに給仕が『この方が名刺を置いて帰られました』といって名刺を持ってきた時などは、席を立つ理由がまったくない。これは結局、会話の雰囲気に堪えられなくて私の話を寸断しようとしたものだ。

この三点は、彼がこの問題に対して、精神の

雑誌『キング』p.131上段 幻兵団の全貌 スパイ誓約者は3種

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 上段

てしまうのだった。

3 現況

だが果たして不気味な合言葉は、すでに東京においてささやかれているのだろうか。筆者は『然り』と答えたい。

だが、誓約書を書いた数万にのぼる人たちの、すべてが組織されているのではない。スパイとなるという誓約書を書いた人たちを分類すると、三種に分かたれる。

その一は、日本の共産革命に協力するという意気込みで、欣然として署名した人々。

その二は、生きて帰るためなら、どんなことでもしようと、軽く引き受けてしまった人たち。だが、この種の人は、船がナホトカの岸壁を離れると同時に、一切は御破算だといって笑っている。

その三は、みてきたソ連の現実から、その誓約書に暗い運命を感じて、ひとりおそれ、ひとり悩み、ひとり苦しんでいる不幸な群れである。彼らは、誓約書に明示された破約の報いに、生命の危険をも感じている。このような人々が、Ⓑスパイたちの八割は占めている。

欣然と働いている『ソ連スパイ』たちの数は、誓約書の約一割、日本国中で千をはるかに越えるだろう。彼らは異口同音に、筆者に答える。

雑誌『キング』p.130上段 幻兵団の全貌 小針延次郎が受けた命令

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 上段

小針延次郎氏は帰国に際して、誓約書とは別に、十カ条に及ぶ具体的な命令をもらっている。これは同氏ほか三名の人が、ナホトカで二十二年三月中旬ごろ、政治部員グルフニー中尉から、日本帰還後の具体的活動を示されたものである。

①日本へ帰ったなら、引揚者間の連絡をとるべし。
②東京に連絡所を設け、責任者をきめ、つねに名簿を整理しおくべし。
③米軍がどのような調べをしたか、記しおくべし。
④米軍の進駐政策をつねに注意すべし。
⑤徳田球一氏との連絡を保つべし。
⑥ナホトカで結成した県人会を中心に、民主グループの団結をはかるべし。
⑦引揚者の政治結社は、進駐軍が許さぬから十分警戒すべし。
⑧グループの責任者は全国の同志と連絡すべし。
⑨ソ連の兄弟と手を握り、反動政権と闘争すべし。
⑩あらゆる民主団体と協力、働く者の日本建設に努力すべし。

また一方、裏日本某県の某氏(元軍曹、二十三年五月復員)が、三カ月間のスパイ教育を終

雑誌『キング』p.129上段 幻兵団の全貌 アクチヴを反動偽装

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 上段

っていることなど、いずれも符節を合わしている。

二十二年上半期には、『アクチヴは、帰還の第一関門である舞鶴で警戒されるから、反動を採用した方が有利である』という根拠にもとづき、大量生産をしたのであるが、やがてそれでは決して質の向上を期待できないという失敗に気付いた。そのため、下半期では、Ⓑ要員に厳選主義をとり、エラブカ、バルナウル、ハバロフスク、ウォロシロフなどの各地では、筋金入りの民主グループ委員、いわゆるアクチヴに着目した。

そして誓約書をかかせると同時に、民主運動から脱落せしめ、反動としての偽装に着手した。同時にある輸送計画をたて、逐次、日本潜入を開始したのだった。輸送計画というのは、さきの〝どんなに吊るしあげられても、必ず帰してやる〟という言葉で裏書きされよう。

二十二年上半期製造の〝反動スパイ〟は、二十二年下半期からすでに帰還をはじめ、上陸後に寝返る奴も出てきた。その結果として、当局では、このスパイ組織に気がつき警戒をしはじめた。

このような事態に対処するべく、ソ連側では、潜入のための輸送計画をたてたのだ。それは、Ⓑ要員は決してその地区梯団と共に帰らせず、一人一人を、他の地区梯団にまぎれこまし

雑誌『キング』p.126上段 幻兵団の全貌 写真を撮影された

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.126 上段

立証している。

写真撮影は、戸外で行われるのと、室内と、その時の状況で違っている。

『ある日、医務室からソ連軍医の迎えがきた。黒いカーテンのかげから、黒メガネ、口ヒゲの一面識もない男が出てきて、〝ヤア、久し振りですね〟と、ニコヤカに日本語の挨拶を投げた。いぶかる私の前で、その男は静かにメガネとヒゲを取り去った。そこに現れたのは、誓約書を書かされた時のあの少佐だった。少佐は鄭重に〝サア、写真を写しましょう〟と、事の意外さにぼう然としている私をうながした。私は正面、横向きの写真を撮影されてしまった。この写真のため、私はもはや永遠に、影なき男の銃口から離れられないという、強い印象をうけたのだった』

写真撮影の状況を、〝影なき男の恐怖〟におびえる某氏は、このように筆者に向かって告白している。さらにこれを裏付けするために、ここにバルナウルにおける状況を説明しよう。別図のように、誓約書をかかせるには、街角から自動車にのせて、かなり遠いA公園の森の中で行い、写真撮影には、一たん収容所司令部に入ってから、車庫と便所の間を通り抜け、B公園の林の中で行っていた。写真は正面、左右両横面、上半身と四種類を写す。

雑誌『キング』p.125上段 幻兵団の全貌 前職者を通報

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.125 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.125 上段

⑤労働ヲ忌避スル者
⑥天皇護持ヲ主張スル者
⑦憲兵、特務機関、警官ナドノ前職者
⑧ソ同盟の秘密ヲ諜報セントスル者

ハ、〔ハバロフスク〕

私ハ収容所内ニ左ノヨウナ者ヲ発見シタ場合ハ、直チニ密カニソ側当局ニ対シテ報告イタシマス

①憲兵、特務機関員、警察官
②逃亡ヲ計画スルモノ
③暴力団行為ヲナスモノ
④反ソ反共ノ言辞ヲナスモノ

右ヲ下記ノ偽名ニヨリ、通報スルコトヲ誓約イタシマス

ニ、〔ウォロシロフ〕

私ハ次ノ事ニツイテソ連政府ト協力シ、ソノ命令ヲ守リマス

①ソ連ノ政策ヲ破壊シヨウトスル者、元日本憲兵、巡査、特務機関等ニ勤務シタ者ガ、収容所内ニイタ場合ハ直チニ報告シマス
②コノ仕事ヲスルニ当ッテハ、コノコトヲ誰ニモ口外シマセン。モシ他人ニモラシタ場合ハ、ソ連ノ法律ニヨッテ処罰ヲウケルコト

右誓約シマス

雑誌『キング』p.124上段 幻兵団の全貌 誓約の場所は密室

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 上段

誓約したことになり、全ソ連地域百六十二万とすれば、三万二千—六万四千人の多きにのぼる。

少なくとも一万名前後の人が、誓約書を書いたことは間違いないが、Ⓑは五千名を超えないと思われる。

2 方法 ソ連はかつてのナチスドイツにも劣らぬプロパガンダ(宣伝)の国であるから、スパイ任命の誓約に当たっては極めてドラマティックな演出を行って、俘虜に精神的圧迫感を与えるという舞台効果をあげている。

時間はがいして夜が多い。作業係、日直、軍医などの名を用いて、ひそかに呼び出しをかける。場所はほとんど事務所、司令部の一室で鍵をかける(チェレムホーボ)とか、窓に鉄格子のある(タイセット)とか、密室を用いている。しかし、昼間ジープにのせて森の中に連れこむ(バルナウル)とか、美人が呼び出しに来る(バルナウル)といった例外もある。

相手はその収容所付の思想係将校(少尉から少佐まで)と、通訳の少尉の二名だけで、両名ともNKである。話の進め方は、事前に砂糖水を出したり(アルマアタ)、ブドウ酒、シャンペン、ソーセージの小宴を開き(バルナウル)、コニャック、菓子をふるまう(エラブカ)といった御馳走政策もあるが、概して脅迫によるものが

雑誌『キング』p.123上段 幻兵団の全貌 思想係将校の一次試験

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 上段

くる訳である。

4 方法 これらの要員は、それぞれの時期に、それぞれの地区で、前述のような基準によって、まず、その収容所付思想係(NK)将校によってチェックされる。

それからは、適当な理由をつけ、あるいは他の係の将校の名を用いて呼び出しをかけ、数回にわたって、さきに人事係将校の作製した俘虜カード以上に、厳密かつ詳細な身上調査を二—三回にわたって行う。これは氏名、年齢、本籍、現住所、家族、家族の職業、財産などから、学歴、職歴、兵歴まで、趣味、嗜好も調べるという綿密さである。

それと同時に、本人の思想傾向も重大である。そのためには、支持政党、その理由、尊敬する人物、ソ連に対する感想などを質問したり、天皇制、民主運動、国際情勢などに関するテーマを与えて、所感を筆記提出せしめる。

こうして、各収容所付思想係将校の第一次試験によって、何人かの栄えある候補者が浮かびあがってくる。そして第二次試験になる。

第二次試験官になるのは〝モスコウスキイ・マイヨール〟(モスクワの少佐)という、奇怪な人物である。この少佐は、品も良く立派で、いかにもモスクワ人らしく、収容所付の将校とはダンチである。数人か、十数人いて、それぞれ

雑誌『キング』p.122上段 幻兵団の全貌 俘虜カードの作成

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 上段

しまったからであり、最初の冬の犠牲者の実態は、ソ連当局では握っていない訳である。

こうして、二十一年四月からは、正式な人名調査による、俘虜カードの作成がはじめられた。これは、あくまで純然たる俘虜管理業務の一つとして行われた調査で、俘虜各個人の身上調査が、収容所地区司令部の指揮によって、各収容所(分所)の人事係将校が担当して行われたのである。

この調査は、おおむね二十一年一ぱいを費やして完成された。このころから、ソ連側の対日本人俘虜政策は、ようやく整理され、秩序立って、施設、給養、労働、教育などの面も、改善されて、向上してきた。俘虜政策の整備は、その管理面だけではなく、もちろんNKによる調査も系統だてたのである。

かくして、俘虜カードによる、スパイ団組織の予備調査は、その年齢、階級、学歴、原職などに基づいてはじめられた。この際は、ⒶⒷの区別はまだハッキリとつけられておらず、スパイ要員の摘出を、各収容所付の思想係将校が行った。早い所では、二十一年の暮れから(アルチョム)、普通は二十二年一ぱい、遅い所で二十三年はじめであろう。まれに、二十三年下半期、あるいは二十四年はじめ(タイセット)というのもあるが、それは、鉄道建設、伐採などの奥地の分遣

雑誌『キング』p.121上段 幻兵団の全貌 約七〇万人を抑留

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 上段 収容所略図
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 上段 収容所略図

日本における連絡のための合言葉を授けられており、しかも、数種類の写真を写されていることから、当然連絡を保つ意志がうかがわれるのである。

種村元大佐は、在ソ抑留者の帰還遅延の真の理由として、『ソ連のNKが、日本の現状をつかむために、その全組織をあげて、約七〇万人の日本人を、詳細、綿密に調査するためには、どうしても四年ぐらいの期間が必要であった』と述べ、その証拠には、『細菌戦に関する戦犯事件も、ようやくこのほどまとまったではない

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 バルナウルの収容所略図
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 バルナウルの収容所略図

雑誌『キング』p.120上段 幻兵団の全貌 五人は氷山の一角

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.120 上段 三、組織の全貌
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.120 上段 三、組織の全貌

三、組織の全貌

ここにあげた五人の場合によって、死の脅迫と、帰国優先の利によって組織された、スパイ網の存在は、もはや疑うことのできない事実であることが明らかになったであろう。事件はようやく始まったばかりであり、今後の調査に影響があるため、仮名を用いたものもあるが、略歴を示した通り、いずれも都内に実在する人物である。

この五人の例は、ただ氷山の一角にすぎなく、何十人という人々の告白によって、〝幻〟の如くに思われたその実態も、次第に明瞭なものとなってきた。収容所の地区も、イルクーツク、バルナウル、エラブカと、東部シベリアから西部シベリア、さらに欧露と西漸するかと思えば、南下してカザック共和国のアルマアタ州に移り、さらに東に飛んでハバロフスク、ウォロシロフというように、全ソ連地区をおおっている。

また使命に関しても、A氏、B氏の如く在ソ

雑誌『キング』p.118上段 幻兵団の全貌 合言葉と偽名も

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 上段

せんでした。中尉の腰には小さな拳銃がのぞいて見えました。本当に夢のような出来事です。

その後、私は背広の少佐に呼ばれて、写真を撮影されているのです。正面、半身、左右の横顔、四枚もです。

何故、私がこんなに恐れているかお分かりになりますか?

私は月に一、二回ほど、中尉か少佐に逢います。一時間も話しますでしょうか。話題は思想的なものばかりで、民主運動のあり方とか、資本主義社会の欠陥とか、そんなことばかりです。密告とか名簿の提出など命ぜられたことはありません。それなのに、五〇—三〇〇ルーブルの金をくれるのです。たまには領収証だけのこともありました。

もう、お分かりになったでしょう。私の誓約書には、日本に帰ってからでなければ働けないような目的が、ハッキリと書かれているのです。そのうえ、合言葉と偽名もあります。そして、何もしないのに金をくれて、写真まで写しているのですから…。

合言葉の男、きっと、赤いマントをきたメフィストフェレスのような奴でしょう。それが、いつ、どこで、どうして、私の前に現れるかと、ただそればかりを恐れて、毎日を不安に悩みながらすごしているのです。

雑誌『キング』p.117上段 幻兵団の全貌 マーシャは口を寄せ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 上段

ような気持ちでした。

フト、気がつくとすぐそこに一台の米国製ジープが停まっています。その時、いきなり私の方にむき直ったマーシャは、私の両手を握りしめて耳もと近くに口を寄せ、香わしい息とともにささやきました。

『また、東京でおめにかかりましょう』

『エッ?』

私がきき返す暇もなく、彼女はサッとスカートをひるがえして、どんどん行ってしまうのです。ハッと思った時、ジープの中から恰幅の良い男が、無言のまま手招きをしているではありませんか。

無言のまま私をのせたジープは、フルスピードで走り出しました。車内にはパリトー(外套)をきた背広の肥った男と、軍服の若い中尉と、それに運転手です。シベリアの大波状地帯らしいゆるやかな丘が行く手に見えます。やがてその丘を越えると、また丘の稜線がみえ、白樺の疎林に牛が放牧している風景は平和そのものでした。だが本当のところは、そんな景色も眼に入りません。パチエムウ(何故?)、クト(誰?)、クダー(何処?)という質問ばかりが、のどをつき上げるのですが、背広と軍服の二人の表情は、それを口にすることを許さないようでした。

ずいぶん走って、いつの間にか深い松林に入

雑誌『キング』p.116上段 幻兵団の全貌 進んでスパイに

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段

と同じような奴がよく分かり、二千名中七、八十名はいたようだった。目立たぬようにするため、本部、炊事、理髪、うまやなどの勤務者がスパイにえらばれ、呼び出しは毎月末で、他の連中は毎回五〇—七〇ルーブルほどもらっていたらしい。憲兵などの前職者で、自己保身のため進んでスパイになり、使われるだけ使われて、結局は、同胞を売ったあげくに、自分も帰れない

雑誌『キング』p.115上段 幻兵団の全貌 誓約書を書け

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 上段

誓約書を書くにいたった状況はこうだ。昭和二十二年の暮れごろ、作業係将校の名前で、収容所司令部に呼び出された。もちろん、それまでの間に、数回呼ばれて身上調査は、うるさいほど詳しくやられていた。

さて、行ってみると、待っていたのは思想係の政治部員の中尉と、同じく少尉の通訳だった。そこで『政党は何党を支持するか』『思想はどうだ』『どんな政治がよいか』『ソ連のやり方はいいか悪いか』『ソ連に対するウラミは有るか無いか』などの問答があってから、

『オレは内務省の直系で、オレのいうことは内務省のいうことと一緒だが、オレのいうことを聞くか』

と切り出してきた。

『きけることならきく』

『何でもきくか』

『……』

『紙をやるからオレのいう通りに書け』

『何を書くのか』

『誓約書だ』

『誓約書なんか、何の誓約書だか分からずには書けない』

と、私はシャクにさわったので強硬に突っぱねた。すると中尉はいきなり腰のピストルを抜

雑誌『キング』p.114上段 幻兵団の全貌 第一の課題!

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段

凝視した、その瞬間——

『ペールウイ・ザダーニエ!(第一の課題)

一カ月の期限をもって、収容所内の反ソ反動分子の名簿を作れ!』

ペールウイ(第一の)というロシア語が耳朶に残って、ガーンと鳴っていた。私はガックリとうなずいた。

『ダー』(ハイ)

はじめてニヤリとした少佐が立ち上がって手をさしのべた。生温かい柔らかな手だった。私も立った。少尉がいった。

『三月八日の夜、また逢いましょう。たずねられたら、シュピツコフ少尉を忘れぬよう』

ペールウイ・ザダーニエ! これがテストに違いなかった。民主グループがパンをバラまいて集めている反動分子の情報は、当然ペトロフのもとに報告されている。それと私の報告とを比較して、私の〝忠誠さ〟をテストするに違いない。そして『忠誠なり』の判決を得れば、ブタロイ・ザダーニエ(第二の課題)が与えられるだろう。続いてサートイ、チェビョルテ、ピャートイ…(第三の、第四の、第五の…)と、終身私には暗い〝かげ〟がつきまとうのだ。

——私は、もはや永遠に、私の肉体のある限り、その肩をガッシとつかんでいる赤い手のことを