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雑誌『キング』p.138下段 幻兵団の全貌 彼らの活動を監視

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.138 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.138 下段

今になって悩んでいる多数の人たちに、けっ起の決意を力づけてくれるだろう。

影なき男の恐怖におびえる、不幸な同胞たちよ。勇気を出して、一切を打ち明けなさい。ここは自由と平和の日本だ!

だが、一方にはこのような人たちを売国奴と呼び、自らは愛国者を気取って、欣然と〝幻兵団〟の一味として努力を続けている人たちのいることに注意しなければいけない。

スパイの手先となって、自由と平和の国日本に、新戦争を放火しようとする〝幻兵団〟!

国民は彼らの全貌を知り、彼らの活動を監視し、彼らの放火を未然に防がねばならない。

(終り)   

雑誌『キング』p.137下段 幻兵団の全貌 『撃てるなら撃て!』

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 下段 見出し・あとがき
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.137 下段 見出し・あとがき

働大隊にいる時のこと、NKの少尉と通訳の少尉に呼び出され、ドアに鍵をかけて履歴を書かされたのち、このことを一切口外しないと一札をとられて帰された。第二回は一週間後、ソ連と日本の政治形態を比較して政見を書け、と強いられ、第三回はさらに三週間後に呼び出された。

『あなたはこの誓約書にサインして私達の仕事に協力して下さい』

『私は日本人を売ってまで帰りたくない』

『妻子がまっているのに帰りたくないか』

『嫌だ、何回いわれても人を裏切るようなことをしてまで帰りたくない。絶対に嫌だ』

少尉は腰から拳銃を取り出すと私の胸につきつけた。私は叫んだ。

『撃てるなら撃て!』

『………』

少尉の眼は怒りにもえて無言だ。

『………』

『日本人捕虜を射殺してよいという、ソ連の法律があるのか!』

少尉は再び銃口をあげた。二人の息詰まるようなニラミ合いが数分も続いたのち、少尉は拳銃を腰へもどしてしまった。

あとがき

雑誌『キング』p.134下段 幻兵団の全貌 G氏の在ソ間の行動

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.134 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.134 下段

たことがない』というが、調査の内容はともかく、呼び出された事実がある。

誓約書の件に関して『初耳』だというが、G氏の在ソ間の行動、民主委員としての活動から、知らないはずはない。また、G氏の学歴その他から、G氏の収容所のスパイ任命事情からいっても、G氏がその選にもれるはずはなく、G氏と親しかった同志たちが、それぞれの誓約の件を私に告白し、口を揃えてG氏も同じだという。

以上のような点から、私のG氏に対する確信は、深まりこそすれ、彼の否定にたじろぎはしなかった。

私はずっとG氏の行動を引続き注目しており、やがて彼自身の口から、真相の一切を聞ける日は近いと思っている。G氏もまた恐怖におののく一人だということを思えば、彼がたとえ一仕事果たしたとしても、ざんげと贖罪によって、彼は許されねばならない。

二、エラブカ将校収容所

〝幻兵団〟がその性格から、知識階級を主な目標にするのは当然なことである。この収容所には幹候出身の尉官がたくさんいたので、〝幻兵団〟の生産地としては、他の一般収容所に比べ

雑誌『キング』p.133下段 幻兵団の全貌 写真・引揚げたハルビンのダンサー

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.133 下段 写真・ダンサー
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.133 下段 写真・ダンサー

(写真キャプション:中共治下享楽追放で引揚げたダンサー、混血のマタハリもいる?)

雑誌『キング』p.132下段 幻兵団の全貌 与えられた合言葉は

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.132 下段

その男は、私と同じように注意深く、しかも疑わしそうに、さらに反問する。私は新聞記者と名乗る前に、彼に与えられたはずの、合言葉を使ってみて、彼の反応をみなければいけない。とっさに私は、彼がさきごろ✕✕✕の用事と称して上京したことを思い浮かべた。✕✕✕というのは、東京霞ヶ関付近のある役所の名前だ。彼が歳末の忙しい時に、そこの用事のために、日帰りでも行かねばならないというからには、必ず何か関係があるに違いなかった。マサカ、私の知らない合言葉ではあるまい。それとも、連絡場所かな?

『アノウ、実は✕✕✕の……』

語尾は不明瞭にニゴしてしまう。反応は!?

『アア、そうですか。どうぞこちらへ』

果たして、彼の疑い深い慎重な態度は一変してしまい、心安く応接室に招じ入れてくれた。✕✕✕の誰ともいわず、もちろん私の名前も告げないのに、✕✕✕だけでこのように態度が変わるのは、やはり合言葉だろうか。

やがて彼(G氏)は、ベニヤ板一枚の仕切りをあけて現れた。歳末の挨拶ののちに、私はそのまま名前を名のらず、〝駒場〟に与えられたはずの合言葉を、反応試験の切り札として投げつけた。

『ときにどうです……あなたの事業は成功して

雑誌『キング』p.131下段 幻兵団の全貌 私は狙われている

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.131 下段

う事件があったではありませんか』

事実、さる二月二十四日、秋田県仙北郡金澤西根村農業熊常久之助さん弟、千葉久太郎(三五)さんが、東京で誓を破って帰郷直後、『私は誰かに狙われている。誰か訪問客がなかったか』などと口走っていたが、ついに夜九時半ごろ自宅物置で首をくくって、自殺をとげてしまった、という事件も起きている。

筆者の手許には、二百名近いⒷの誓約書の人たちの名簿が作られている。彼らの職業を拾ってみれば、うなずけることも多いだろう。

曰く。食品会社員、逓信職員、鉄道職員、官庁資料課長、弁護士、県牧畜課長、新聞社員、特別調達庁職員、証券会社員、経済関係官庁事務官、県水産課長、百貨店経営、教員。

事件はまだ進展中であり、微妙な関係もあって、現況に関する資料のほとんどを、伏せざるを得ないのは、筆者の遺憾とする所である。

雑誌『キング』p.130下段 幻兵団の全貌 看護婦がスパイ連絡担当

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.130 下段

れた情報の範囲は、

①米軍の装備、施設、能力
②対日管理の実情
③政党の動き、特に共産党の動向
④経済事情、米国への国民感情

など、極めて広範囲にわたっている。

また、ナホトカ——舞鶴間の直接連絡については、引揚船乗組の看護婦が、連絡を担当していたことも相次いで判明した。この事件はナホトカから乗船したスパイ団員が、かねて指示された通り、船中にて連絡すべき〇〇ミヨ子看護婦(特に名を秘す)を、間違えて〇〇ミエ子看護婦(特に名を秘す)と思いこんで、ミエ子に連絡をしてしまった。ビックリしたミエ子は、直ちにその旨を当局に報告したので、当局が調査した結果、ミヨ子の間違いだったと分かり、ミヨ子を取押えようとしたが、すでに下船、逃亡した後であった。ミヨ子の実家所在地も架空で、ミヨ子の消息はその後不明となってしまった。

このようにして、このスパイ団の、日本における組織は、次第に明らかとなってきた。東京における連絡所も、銀座裏、四丁目から新橋にいたる通りの、数寄屋橋より一番通りにあるという。それを裏付けるかのように、この人こそⒷスパイに違いないという、某出版社員を尾行してみると、銀座裏のその付近で、いつもマカレ

雑誌『キング』p.129下段 幻兵団の全貌 人民裁判で逆送のはずが

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.129 下段

にしていなければならない。

つまり、二十三年まで(共産党演出するところの〝代々木詣り〟——復員者の共産党本部集団訪問のこと——が、この年の六月四日からはじめられた)の引揚者で、前職者でありながら、あるいは法務官であるとか、反ソ分子、惨虐行為者など、ナホトカ民主グループに〝人民裁判〟にかけられたりして、当然再び逆送されるべき人間で、まともに乗船して帰ってきたものは、一応Ⓑ要員であると考えてもよいことになる。すなわち、早く帰れないはずなのに、早く帰ってきている者は、おかしいわけである。また、帰還者名簿を眺めて、抑留地区がただ一人違う者なぞも、そうである。

これは余談であるが、吉村隊長はナホトカで罪状を認めたというのに、隊員と同じ船で帰ってきていることもうなずけない。人民裁判事件で、多数の逆送を認めた津村謙二氏が、吉村隊長を吊るしあげておきながら、そのまま帰したということが、腑に落ちない。筆者は吉村隊長にその旨を質したところ、彼も『私自身何故すぐ乗船できたか分からない』と答えているが、この裏面には何らかの問題が、伏在しているに違いない。

2 連絡と組織

雑誌『キング』p.125下段 幻兵団の全貌 ソ連情報部に誓約

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.125 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.125 下段

私ハ、帰国後日本ノ完全民主化ト、世界平和ノタメニ、ポツダム宣言ノ完全履行および新憲法ノ完全施行ヲ監視スルト共ニ、新戦争放火ヲ企図スル米国ノコトニ関シ、ソ同盟側ノ質問、或ハ問題ニ対シテ、回答スルコトヲ誓イマス

之ハ私、本人ノ自由意志ニ依ルモノデアリ、決シテ強制サレタリシタモノデナイコトヲ、下記ノ名に於テ誓約イタシマス

ハ、〔ウォロシロフ〕

(ハバロフスクと全く同文)

ニ、〔エラブカ〕

誓約書
ソ連邦情報部(特務機関)ニ左記事項ヲ誓約スル
①家族、兄弟、親類、友人ヲ動員シテ命令を速カニ達スル
(②以下⑯まで不明、この中に、日本帰還後の生活保証の項もある)

この四例がⒷである。この誓約書からすれば、使命遂行は絶対日本国内でなければならず、しかも、Ⓐのごとくわずらわしい摘発などは命ぜられていない。

同時に偽名と合言葉が与えられているが、この誓約に続いて、写真撮影が行われていることが、いよいよ本格的なスパイ組織であることを

雑誌『キング』p.124下段 幻兵団の全貌 スパイ誓約書の例

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.124 下段

誓約(又は誓)

住所、氏名

年月日

私ハソヴエト社会主義共和国連邦ノタメニ命ゼラレタコトハ、何事デアッテモ行ウコトヲ誓イマス

コノコトハ絶対ニ誰ニモ話シマセン。日本内地ニ帰ッテカラモ、親兄弟ハモチロン、ドンナ親シイ人ニモ話サナイコトヲ誓イマス

モシ誓ヲ破ッタラ、ソヴエト社会主義共和国連邦ノ法律ニヨッテ処罰サレルコトヲ承知シマス

ロ、〔タイセット〕

(形式はほとんどチェレムホーボと同じ)

私ハソ同盟内務省(注、NK)ノタメニ(以下同文)

モシ誓ヲ破ッタラソ同盟内務省ニヨル如何ナル処罰モ認メマス

私ハ次ノ八項目ニ該当スル者ヲ発見シタラ、直チニ報告シマス

①ソ同盟ノ中傷、ヒボウヲナス者

②逃亡ヲ企テ、マタ準備セル者

③工場、機械ナドヲ破壊セントスル者

④井戸ソノ他ニ細菌ヲ投ゼントスル者

雑誌『キング』p.123下段 幻兵団の全貌 スパイ採用・任命

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段

いないが、近接した二、三の収容所の引揚者の証言によれば、同一人らしいことから、一人の少佐がある地区を担当して、数カ収容所を巡回したと判断できる。

この少佐の最後的決定ののちに、いよいよドラマティックな採用任命式となる。

三、任命

二十一年中に完成された俘虜カードにもとづき、同年暮れごろからはじまったスパイ採用の選考は、〝モスクワの少佐〟の決定により、ほとんどの者が、二十二年中に誓約書を提出し、ⒶⒷの任命を受けている。

1 人員 誓約書に署名したスパイ個人間においては、横の連絡はない。収容所付思想係将校を中心とする縦の連絡だけである。従って一収容所内におけるスパイの総数は、スパイ自身には分からない。だが、自分に対して行われた選考期間の呼び出しの状況、収容所事務所への出頭の事情などから類推すると、他のスパイのことは、おおむね判断され得るのである。

これによって計算すると、二千名中七、八十名(チェレムホーボ)ともいい、五百名中十名ぐらい(タイセット)などというので、平均二—四%と判断される。するとシベリア地区七〇万人として、一万四千—二万八千人の人たちが

雑誌『キング』p.122下段 幻兵団の全貌 インテリの弱さを利用

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 下段

装工、厩など)勤務者、さらに、前職者など、各個人の履歴を知っている者、知りやすい状態にある者を選んでいる。

ところが、Ⓑ要員になると、目的が目的なだけに、学歴、職歴を参考として、極めて慎重な態度である。第一は、高商、商大等の英語熟練者をあげている。ついで一般の大学、高専以上の学歴をもつ者で、これは〝死の恐怖〟に当然盲従すると思える、インテリの弱さを利用した感じがあり、従って、幹候出身で軍国主義に固まり切れなかった、中尉以下の下級将校に多い。

次は職歴によるもので、原職が米軍の情報を少しでもつかめる立場にあるもの、すなわち官吏、鉄道、新聞通信などのジャーナリスト、外国商社と関係ある大会社員などである。これは前項の学歴によるものと一致する場合が多い。

その三は、名門、金持ちなど、主として社会的地位のある者。これらの者は、やはり米軍に接触する機会が多いし、また日本の支配階級とも連絡があるので、これをしっかりと握ろうとした。したがって、元華族、元将官級の子弟などは、ほとんど含まれている。

その四は、参謀系統の高級将校と、情報系統の将校で、これはその経歴と体験とを生かそうと狙ったらしい。そのため、一万名の将校を収容していたエラブカ収容所などが問題となって

雑誌『キング』p.121下段 幻兵団の全貌 多数の死亡者を握りつぶす

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.121 下段

は、連絡の手段を授けて、Ⓑと同様に組織、活用するということもあり得るのである。

二、選考

では、この目的によって二種に大別されるスパイ団の組織は、その構成にあたって、どのような選考が行われただろうか。時期、地区、基準、方法についてみてみよう。

1 時期 ソ連は終戦後にその進駐地域において、莫大な数にのぼる日本軍人を捕虜とし、軍事輸送と並行して、これらの捕虜を続々と本国に輸送した。一般に〝数〟の観念の発達していない彼らは、計算の便を計るために、地方人までを捉えて端数を充当し、千五百名を一列車の単位とした。こうして、受入態勢も何も整っていない本国内に、無計画にただ送りこんで抑留してしまったのである。そのため最初の冬は、混乱と無秩序のうちに莫大な死亡者をだしてしまい、俘虜数を正式に調査する運びになったのは、昭和二十一年四月になってからだった。その原因は、中央部では調査のための努力をしなかったし、下部の各収容所では、多数の死亡者を出した責任をおそれて、その報告を握りつぶして

雑誌『キング』p.120下段 幻兵団の全貌 目的は二種ある

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.120 下段 三、組織の全貌
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.120 下段 三、組織の全貌

とが、それを裏書きしているのである。

一、目的

この組織の目的とするところは、後に記された誓約書によって明らかにされているが、ハッキリと二種に分類される。

その第一種(以後Ⓐと称す)は、戦犯、反動の摘発を目的とするもので、使命遂行は一応在ソ抑留間のみに限られている。すなわち、終戦と同時に、憲兵、警察官、特務機関員、情報関係者らの、いわゆる前職者は、ソ軍進駐を前にしてそれぞれの履歴を抹殺し、偽名を用いて、一般兵や地方人を装っていた。吉村隊事件の主人公、元憲兵曹長池田重善氏が、妻の実家の姓を名乗って吉村と称していたのがその例である。

スパイ政治の国ソ連が、何十万という日本人を抑留して調査するのに、どうしてスパイ制度を採用しないはずがあろうか。前職者も含んだ戦犯容疑者、反ソ反動分子の摘発と、俘虜政策上からの俘虜情報の入手のため、第一種スパイⒶが組織されたのだ。

その第二種(以後Ⓑと称す)は、第二次大戦後に残った相対立する二大勢力の一つ、すなわち対米情報の入手を目的とするもので、使命遂行は当然日本帰還後とならざるを得ない。すなわち第二種スパイⒷは、工作名(偽名)のみではなく、

雑誌『キング』p.119下段 幻兵団の全貌 ファシズム教育

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 下段

がら、私が幼年学校、士官学校と純粋のファシズム教育をうけていること、現在は民主運動の指導者格ではあるが、将来階級制の強調に伴って脱落せしめられることを予期していること、などを理由に拒みましたが、少尉はかえってそれが好都合であり、万一他の日本人に知れても、彼(私)は出身があんなだから取調べをうけているのだろうとみられて危険性がないし、ファシズムにこりた人間は信頼するに足るのだなど申して、はては死の脅威をもひらめかしました。

その後は平均二カ月に三回ほどの割で、風のように来たり、風のように去る通訳と二人だけの少尉に、窓に鉄格子、二重扉という密室に呼び出されました。約束の時間に三十分おくれても不忠実呼ばわりされて脅かされたこともあり、調査に熱意をかくといわれ、裏切る気かと迫られたこともありました。その当時の暗い気持ち、板ばさみの境地は、その人ならでは分からぬ、不気味なものでした。(中略)

果たして帰れるか、他に送られるか、言い知れぬ不安の何日か、その時、突然列車の中央から現れたのはエルマーク少尉であったのです。小蔭に呼ばれて『ナホトカまで車中の動静に注意して、旧歴を暴露する者や、反ソ的言辞を弄した者を速やかに報告せよ。任務はナホトカにて乗船

雑誌『キング』p.118下段 幻兵団の全貌 取調室でNKと

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段

平屋建てで、七つの房と、事務室、宿直室、それに二つの取調室があるらしかった。監房は六畳敷きほどの広さで、廊下側に鉄扉、反対側に鉄格子のはまった一尺五寸ほどの窓が一つあるきりだった。二段寝台があり、五十六、七歳の白系露人と同室していた。給養は一日三百五十グラムの黒パンとスープだけ。スープといっても魚の塩湯だ。取調べは、いつも夜の十時ごろから翌朝四時ごろまであり、廊下の入口に厳重に歩哨が立っているので、隣室と壁を叩いてモールス通信をした。

四月二日に放りこまれてからずっと音沙汰なく、ある日、同居人として入っていた満鉄の関係の男に取調べの模様をきいたところ、『前職関係のことを調べられた』といったきり、頑固に口をつぐんだが、やがて出て行ったので、何かあるなと感じていた。

四月十六日の夜十時ごろ、取調室にはじめて呼び出された。NKの大尉と通訳の少尉が待っており、コップに甘い紅茶を一杯くれた。

『あなたは情報勤務をしていたということだが、非常に興味ある問題だから話をしてくれ』といいだして、駐屯地とか、どんなことをするかとか、情報の仕事について調べられた。この日は三十分ほどで終わり、翌々十八日の夜十時から二回目の取調べがあった。

雑誌『キング』p.116上・中段/p.117下段 幻兵団の全貌

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上段・中段 写真・日の丸引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 上・中段 写真・日の丸引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 下段 写真・赤旗引揚
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.117 下段 写真・赤旗引揚

写真p.116上・中段、p.117下段

[写真キャプション 引揚二態——(上)日の丸に迎えられた引揚者、(左)赤旗一色の引揚風景(いずれも上野にて)]

雑誌『キング』p.116下段 幻兵団の全貌 スラリと高い美人

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.116 下段

いつものように建築作業場で働いている時のことでした。気候のよいころで、その日は午後だと思います。作業隊についている警戒兵が、私の名を呼ぶので行ってみますと、やせて背のスラリと高い、足の美しい二十七、八歳の婦人が待っていました。理知的な、珍しいほどの美人でした。私はその婦人に一緒に来るようにといわれて、作業場を出かけましたが、もちろん日本語を話します。その言葉がまた歯切れは良いし、上品なのです。

婦人はマーシャと名乗り、モスクワの東洋大学で日本語を習ったそうです。卒業論文は勧進帳とかいうことでした。ともかく、町外れへ向かって、さっそうと歩いてゆくその婦人と同行してゆく私の気持ちを察してください。マーシャは快活にしゃべりました。彼女の語調、態度、すべての点で、私に捕虜だと思わせるようなことがなかったので、私も汚い顔や、みじめな身なりも忘れてしまったのです。おたがいに、東京とモスクワの学生生活なども話し合いました。何処へ、何をしに行くのか、そんなことなど考える暇もありませんでした。それこそ天にも昇るようなたのしさだったのです。長い間、男ばかりの荒んだ捕虜生活の中で忘れさせられていた、女性への思慕がよみがえり、乾ききった日割れに、ジューッと音をたてて水がしみこんで行く

雑誌『キング』p.115下段 幻兵団の全貌 『金をやろう』

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.115 下段

したら、『なんだ、お前はこれだけしか知らないのか』と、その中尉に嘲笑されてしまった。そして、呼び出しがあると『腹痛だ』『作業に出ている』と逃げばかり打っていたので、役に立たないと思ったのか、各収容所を転々として廻される羽目になった。そして他の仲間はどんどんダモイするのに、私ばかり帰されなかった。

各所を廻されている間も、連絡はあるとみえて、それぞれのところで呼び出されていた。合計六回も行ったろう。最後は昭和二十四年七月末のこと、最初の通訳の少尉に逢った。

『金を持っているか』

この手で今までによくマキ上げられた経験があるので警戒して少なく答えた。

『二十ルーブルほどある』

『足りるか』

『どうやら煙草代にはなる』

『金をやろう』

私は驚いたが、わずかばかりの金なぞと思い、

『いらない』

『では、オレのいう通り書け』といって、

『私ハ賞金トシテ一二〇ルーブルヲ受領シタ』

と、領収証を私にかかせ、スパイ名で署名すると、金も一緒に自分のポケットにしまいこんで、『もう帰れ』と涼しい顔をしていた。

自分がスパイになったので、気をつけてみる

雑誌『キング』p.114下段 幻兵団の全貌 B氏の場合

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 下段

て置かれた拳銃——こんな書割りや小道具まで揃った、ドラマティックな演出効果は、それが意識的であろうとなかろうと、そんなことには関係はない。ただ、現実にその舞台に立った私の、〝生きて帰る〟という役柄から、『ハイ』という台詞は当然出てくるのだ。私は当然のことをしただけだ。

私はバラッキ(兵舎)に帰ってきてから、寝台の上でてんてんと寝返りを打っては、寝もやらず思い悩み続けた。

『プープー、プープー』

哀愁を誘う幽かなラッパの音が、遠くのほうで深夜三番手作業の集合を知らせている。吹雪は止んだけれども、寒さのますますつのってくる夜だった。

二、B氏の場合(談話)

B氏(佐藤辰彌氏、三十三歳、元准尉、会社員、東京都荒川区尾久四ノ二四〇〇、イルクーツク地区より二十四年に復員)

私はソ連のスパイにさせられ、誓約書を書いてソ連に忠誠を誓った。これも当時の状況では、それを拒否することは〝死〟を意味していたから止むを得なかったことだと思う。しかし、私は私の報告によって、同胞を売ったことはな