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雑誌『キング』p.114中段 幻兵団の全貌 NKの恐ろしさ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 中段

思い悩むに違いない。そして『…モシ誓ヲ破ッタラ…』その時は当然〝死〟を意味するのだ。そして、『日本内地ニ帰ッテカラモ…』と明示されている。ソ連人はNKの何者であるかをよく知っている。私にも、NKの、そしてソ連の恐ろしさは、充分すぎるほど分かっているのだ。

——だが待て、それはそれで良い。しかし…

一カ月の期限の名簿はすでに命令されている。これは同胞を売ることだ。私が報告で認められれば、他人より早く内地に帰れるかも知れない。

——次の課題を背負ってダモイ(帰国)か?

私の名は間違いなく復員名簿にのるだろうが、私のために、永久に名前ののらない人が出てくるのだ。

——誓約書を書いたことは正しいことだろうか? ハイと答えたことは、あまりにも弱すぎただろうか?

あのような場合、ハイと答えることの結果は、分かりすぎるほど分かっていたのである。それは『ソ連のために役立つ』という一語につきてしまう。

私が、吹雪の夜に、ニセの呼び出しで、司令部の奥まった一室に、ドアに鍵をかけられ、二人の憲兵と向き合っている。大きなスターリン像や、机上に威儀を正している二つの正帽、黙っ

雑誌『キング』p.114上段 幻兵団の全貌 第一の課題!

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.114 上段

凝視した、その瞬間——

『ペールウイ・ザダーニエ!(第一の課題)

一カ月の期限をもって、収容所内の反ソ反動分子の名簿を作れ!』

ペールウイ(第一の)というロシア語が耳朶に残って、ガーンと鳴っていた。私はガックリとうなずいた。

『ダー』(ハイ)

はじめてニヤリとした少佐が立ち上がって手をさしのべた。生温かい柔らかな手だった。私も立った。少尉がいった。

『三月八日の夜、また逢いましょう。たずねられたら、シュピツコフ少尉を忘れぬよう』

ペールウイ・ザダーニエ! これがテストに違いなかった。民主グループがパンをバラまいて集めている反動分子の情報は、当然ペトロフのもとに報告されている。それと私の報告とを比較して、私の〝忠誠さ〟をテストするに違いない。そして『忠誠なり』の判決を得れば、ブタロイ・ザダーニエ(第二の課題)が与えられるだろう。続いてサートイ、チェビョルテ、ピャートイ…(第三の、第四の、第五の…)と、終身私には暗い〝かげ〟がつきまとうのだ。

——私は、もはや永遠に、私の肉体のある限り、その肩をガッシとつかんでいる赤い手のことを

雑誌『キング』p.113下段 幻兵団の全貌 モシ誓ヲ破ッタラ

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 下段

『次に住所を書いて、名前を入れなさい』

『……』

『今日の日付、一九四七年二月八日…』

『私ハソヴエト社会主義共和国連邦ノタメニ命ゼラレタコトハ、何事デアッテモ行ウコトヲ誓イマス。

(ここにもう一行あったような記憶がある)

コノコトハ絶対ニ誰ニモ話シマセン。日本内地ニ帰ッテカラモ、親兄弟ハモチロン、ドンナ親シイ人ニモ話サナイコトヲ誓イマス。

モシ誓ヲ破ッタラ、ソヴエト社会主義共和国連邦ノ法律ニヨッテ、処罰サレルコトヲ承知シマス』

不思議にペンを持ってからの私は、次第に冷静になってきた。チ、カ、イにはじまる一字一句ごとに、サーッと潮が退いてゆくように興奮がさめてゆき、机上の拳銃まで静かに眺める余裕ができてきた。最後の文字を書きあげてから、拇印をと思ったが、その必要がないことに気付いて、誓約書の文句に分からぬうちにサインをさせられてしまったナ、などと考えたりした。

この誓約書を、今まで数回にわたって作成した書類と一緒にピンで止め、大きな封筒に納めた少佐は、姿勢を正して命令調で宣告した。

『プリカーズ!』(命令!)

私は反射的に身構えて、陰の濃い少佐の眼を

雑誌『キング』p.113中段 幻兵団の全貌 ナホトカ収容所

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 中段 写真・ナホトカ収容所
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 中段 写真・ナホトカ収容所

『チ、カ、イ』(誓)

『………』

(写真キャプション (上)ナホトカにて引揚船に乗船、(下)ナホトカ収容所風景)

雑誌『キング』p.113上段 幻兵団の全貌 ナホトカ引揚船

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 上段 写真・ナホトカ引揚船
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.113 上段 写真・ナホトカ引揚船

『パ・ヤポンスキー!』(日本語!)

ハネかえすようにいう少佐についで、お面のように表情一つ動かさない少尉がいった。

『漢字とカタカナで書きなさい』——静かに少尉の声が流れる。

雑誌『キング』p.112下段 幻兵団の全貌 ハイ以外の答はない

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 下段

切って、ゆっくり発音すると、非常に厳粛感のこもるロシア語で、ふだんならば国名もエス・エス・エルと略称でいうはずなのに、いまはサユーズ・ソヴエスキイ・ソシァリチィチェスキイ・レピュブリイクと正式に呼んだ、その言葉の意味することを、本能的に感じとった私は、上ずったかすれ声で答えた。

『ハ、ハイ』

『本当ですか』

『ハイ』

『約束できますか』

タッ、タッと息もつかせずたたみ込んでくるのだ。もはや『ハイ』以外の答はない。

『ハイ』

私は興奮のあまり、続けざまに三回ばかりも首を振って答えた。

『誓えますか』

『ハイ』

しつようにおしかぶさってきて、少しの隙もあたえずに、少佐は一枚の白紙をとりだした。

『宜しい。ではこれから、私のいう通りのことを紙に書きなさい』

——とうとう来るところまで来たんだ!

私は渡されたペンを持って、促すように少佐の顔をみながら、刻むような日本語でたずねた。

『日本語ですか、ロシア語ですか?』

雑誌『キング』p.112中段 幻兵団の全貌 引出しから拳銃!

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 中段

とのできないこの密室で、私は二人の秘密警察員と相対しているのである。

——何が起ころうとしているのだ⁈

呼び出されるごとに立ち会いの男が変わっている。ある事柄を一貫して知り得るのは、限られた人々だけで、他の者は一部しか知り得ない組織になっているらしい。

——何と徹底した秘密保持だろう!

鍵をしめた少佐は静かに大股で歩いて再び自席についた。それからおもむろに机の引出しをあけて何かを取りだした。ジッと少佐の眼に視線を合わせていた私は、『ゴトリ』という鈍い音をきいて、机の上に眼をうつした。

——拳銃!

ブローニング型の銃口が、私に向けておかれたまま冷たく光っている。つばきをのみこもうと思ったが、口はカラカラに乾ききっていた。

少佐は半ば上目使いに私をみつめながら、低いおごそかな声音のロシア語で口を開いた。一語一語、ゆっくりと区切りながらしゃべりおわると、少尉が通訳した。

『貴下はソヴエト社会主義共和国連邦のために、役立ちたいと、願いますか』

歯切れのよい日本語だが、私をにらむようにみつめている二人の表情と声とは、『ハイ』という以外の返事は要求していなかった。短く区

雑誌『キング』p.112上段 幻兵団の全貌 少佐は鍵をしめた!

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.112 上段

握られた一人の捕虜を威圧するには、充分すぎるほどの効果をあげていた。

『サジース』(坐れ)

少佐はかん骨の張った大きな顔を、わずかに動かして向かい側の椅子をさし示した。

——何か大変なことがはじまる!

私のカンは当たっていた。私はドアのところに立ったまま落ちつこうとして、ゆっくりと室内を見廻した。八坪ほどの部屋である。正面にはスターリンの大きな肖像が飾られ、少佐の背後には本箱、右隅には黒いテーブルがあり、沢山の新聞や本がつみ重ねられていた。ひろげられた一枚の新聞の『ワストーチノ・プラウダ』(プラウダ紙極東版)とかかれた文字が印象的だった。

歩哨が敬礼をして出ていった。窓には深々とカーテンがたれている。

私が静かに席につくと、少佐は立ち上がってドアのほうへ進んだ。ドアをあけて外に人のいないのを確かめてから、ふり向いた少佐は後手にドアをとじた。

『カチリッ』

という鋭い金属音を聞いて、私の身体はブルブルッと震えた。

——鍵をしめた!

外からは風の音さえ聞こえない。シーンと静まり返ったこの部屋。外部から絶対にうかがうこ

雑誌『キング』p.111下段 幻兵団の全貌 NKのブルーの軍帽

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 下段

った。ニセの呼び出し、地下潜行!

——何かがはじまるんだ!

吹きつける風に息をつめたまま、歩哨と一緒に飛ぶように衛兵所を走りぬけ、一気に司令部の玄関に駈けこんだ。廊下を右に折れて突き当たりの、一番奥まった部屋の前に立った歩哨は、一瞬緊張した顔つきで服装を正してからコツコツとノックした。

『モージノ』(宜しい)

重い大きなドアをあけて、ペーチカでほどよくあたためられた部屋に入った私は、何か鋭い空気を感じて、サッと曇ってしまった眼鏡のまま、正面に向かって挙手の敬礼をした。ソ側からやかましく敬礼の励行を要望されていた関係もあって、左手は真っ直ぐのびてズボンの縫目にふれていたし、勢いよく引きつけられた靴の踵が、カッと鳴ったほど厳格な敬礼になっていた。

正面中央に大きなデスクをすえて、キチンと軍服をきたペトロフ少佐が坐っていた。傍らには、みたことのない若いやせた少尉が一人。その前には、少佐と同じ明るいブルーの軍帽がおいてある。ピンと天井の張った厳めしいこの正帽は、NKだけがかぶれるものである。密閉された部屋の空気はピーンと緊張していて、わざわざ机の上においてある帽子の、眼にしみるような鮮やかな色までが、すでに生殺与奪の権を

雑誌『キング』p.111中段 幻兵団の全貌 日本新聞行きか

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段

動についての私の見解や、共産主義とソ連及びソ連人への感想などを質問した。結論として、その日に命令されたことは、『民主運動の幹部になってはいけない。ただメムバーとして参加することは構わないが、積極的であってはいけない』ということであった。これを換言すると、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子ともなれということ、すなわち〝地下潜入〟であり、〝偽装〟であった。また同時に当時の民主運動に対してのソ側政治部の見方でもあったのだろう。

この日も、前と同様な手段で呼び出され、同じようにいい含められて帰された。私の身体にはすでにこのころから〝幻のヴェール〟がフンワリとかけられていたのである。

そしていよいよ三回目が今夜である。早く早くと歩哨がセキ立てるのに、ウン今すぐと答えながら、二段寝台からとびおりて、毛布の上にかけていたシューバー(毛皮外套)をきる、靴をはく、帽子をかむる。

——何だろう、日本新聞行きかな?

忙しい身支度は私を興奮させた。

——まさか! 内地帰還ではあるまい!

フッとそんなことを考えた私は、前二回の呼び出しの状況をハッキリと思い浮かべていたのだ

雑誌『キング』p.111上段 幻兵団の全貌 極東軍情報部将校

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 上段

シア語の勉強がしたいのです』

『宜しい、よく分かりました』

少佐は満足げにうなずいて、帰ってもよいといった。私が立ち上がってドアのところへきたとき、今まで黙っていた政治部員のペトロフ少佐が、低いけれども激しい声で呼び止めた。

『パダジジー!(待て!)今夜、お前はシュピツコフ少尉のもとに呼ばれたのだぞ。いいか、分かったな!』

見知らぬ少佐が説明するように語をつぎ、

『今夜ここに呼ばれたことを誰かに聞かれたならば、シュピツコフ少尉のもとに行ったと答え、ここにきたことは決して話してはいけない』と教えてくれた。

こんなふうに含められたことは、はじめてであり、二人の少佐からうける感じで、私はただごとではないぞという予感がした。見知らぬ少佐のことを、歩哨はモスクワからきたんだといっていたが、私は心秘かにハバロフスクの極東軍情報部将校に違いないと思っていた。

それからひと月ほどして、私はペトロフ少佐のもとに再び呼び出された。当時〝日本新聞〟の指導で、やや消極的な〝友の会〟運動から、〝民主グループ〟という積極的な動きに変わりつつある時だった。ペトロフ少佐は、民主グループ運

雑誌『キング』p.110下段 幻兵団の全貌 身上調査

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 下段

具体化されたある計画(スパイ任命)に関して、私が呼び出された第一回目という意味であって、私自身に関する調査は、それ以前にも数回にわたって怠りなく行われていたのである。

作業係将校のシュピツコフ少尉が、カンカンに怒っているぞと、歩哨におどかされながら、収容所を出て司令部に出頭した。ところが行ってみると、意外にもシュピツコフ少尉ではなくて、ペトロフ少佐と並んで恰幅の良い見馴れぬNKの少佐が待っていた。

私はうながされてその少佐の前に腰を下ろした。少佐は驚くほど正確な日本語で私の身上調査をはじめた。本籍、職業、学歴、財産など、彼は手にした書類と照合しながら一生懸命に記入していった。腕を組み黙然と眼を閉じているペトロフ少佐が、時々鋭い視線をそそぐ。

私はスラスラと正直に答えていった。やがて少佐は一枚の書類を取り出して質問をはじめた。フト気がついてみると、それはこの春に提出した、ハバロフスクの〝日本新聞〟社編集者募集の応募書類だ。

『何故日本新聞で働きたいのですか』

少佐の日本語は丁寧な言葉遣いで、アクセントも正しい、気持の良い日本語だった。少佐の浅黒い皮膚と黒い瞳はジョルジャ人らしい。

『第一にソ同盟の研究がしたいこと。第二はロ

雑誌『キング』p.110中段 幻兵団の全貌 A氏特に名を秘す

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 中段

A氏(特に名を秘す。三十歳、元少尉、大学卒、会社員、東京都、チェレムホーボ地区より二十二年に復員)

『A! A!』

兵舎の入口で歩哨が声高に私を呼んでいる。それは昭和二十二年二月八日の夜八時ごろのことだった。去年の十二月はじめにもう零下五十二度を記録したほどで、二月といえば冬のさ中だった。北緯五十四度という、八月の末には早くも初雪のチラつくこのあたりでは、来る日も来る日も雪曇りのようなうっとうしさの中で、刺すように痛い寒風が雪の氷粒をサアーッサアーッところがし廻している。

もう一週間も続いている深夜の炭坑作業に疲れ切った私は、二段寝台の板の上に横になったまま、寝つかれずにイライラしているところだった。

——来たな! やはり今夜もか⁉

今までもう二回もひそかに司令部に呼び出されて、思想係将校に取調べをうけていた私は、直感的に今夜の呼び出しの重大さを感じとって、返事をしながら上半身を起こした。

『ダ、ダー、シト?』(オーイ、何だい?)

第一回は昨年の十月末ごろのある夜だった。この日はペトロフ少佐の思想係着任によって、

雑誌『キング』p.110上段 幻兵団の全貌 奇怪な組織の輪郭

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 上段

ちソ連のもつ暗さである——と闘う覚悟を決め、それからそれへと引揚者をたずねて歩いた。その数は二百名を越えるであろうか。

このようにして、緩慢ながら奇怪な一種の組織の輪郭が浮かんできたのである。それによると、

一、この組織は二十二年を中心として、シベリア各収容所において要員が選抜され、一人一人が誓約書を書かされて結成されたこと。

二、これらの組織の一員に加えられたものには、少なくとも四階級ぐらいあること。

三、階級は信頼の度と使命の内容で分けられているらしいこと。

四、使命遂行の義務が、シベリア抑留間にあるものと、内地帰還後にあるものとの二種に分かれ、両方兼ねているものもあると思われること。

五、こうした運命の人が、少なくとも内地に数千名から万を数えるほどいるらしいこと。

などの状況が判断されるにいたった。

これらの状況を、もっと具体的に理解してもらうためには、あつめられた次の五例をみることが、一番手っ取り早いに違いない。まずA氏の場合を、その告白文によってみよう。

一、A氏の場合(手記)

雑誌『キング』p.109下段 幻兵団の全貌 五人の場合

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.109 下段 二、五人の場合

二、五人の場合

雲をつかむような〝幻〟の調査はさらに続けられていった。やがて、現に内地に帰っているシベリア引揚者の中に、誰にも打ち明けられないスパイとしての暗い運命を背負わされたと信じこんで、この日本の土の上で生命の危険までを懸念しながら、独りはんもんしているという、奇怪な事実までが明らかになってきた。そして、そういう悩みをもつ数人の人たちをやっと探しあてることができた。

彼らの中にはその内容をもらすことが直接死につらなると信じこみ、真っ向から否定した人もあるが、名を秘して自分の暗い運命を語った人もあり、また進んで名乗りをあげれば、同じような運命にはんもんしている他の人たちの勇気をふるい起こさせるだろうというので、一切を堂々と明らかにした人もいた。

こうして約二年半、明るい幸福な生活にかげをさす〝暗さ〟におびえている人たちもあるのを知って、私はまずその〝暗さ〟——それは即