そして、この事実は元の参謀本部陸地測量部、現在の建設省千葉地理調査所で、正確な日本
地図を作らせて、タウン・プラン・マップと同様の地図を作ったことがあった(と私は思う)ということで裏付されるだろう。日本もまた、シベリヤ、樺太、大陸の各都市と同じように、「ST四三二一、消滅!」といった工合に、精確無比な爆撃を受ける可能性があるということである。
迎えにきたジープ
一 怪自動車の正体
二十五年十一月に発刊された赤沼三郎(政治評論家、花見達二氏のペンネームだと言われている)なる人の「新聞太平記」という著書をみると、戦後の各種事件についての項で、幻兵団の記事をこう取上げている。
ソ連捕虜をめぐる幻兵団事件というのも謎の話題で、未解決のままになっているが、これも読売社会部の三田記者(引揚げ者)の体験から、一群の〝スパイ強制団〟がソ連に居り、また引揚者の中にもいる、という事件であった。しかも、それを裏切ったものには恐ろしい脅迫状が来る、というのだ。
そして脅迫状は読売自身にも舞込んだ。読売はその脅迫状を凸版写しで社会面に掲載した。全く怪奇な
ニュースであるが、これには東京地検の阿部検事正や、自由党政調会の橋本竜伍氏などが、国際的見地からこの話題の拡大と追求は好ましくないというので、各方面をいろいろ奔走していた事実がある。
一面またこの問題をタネに名を売りこんで、参議院選挙に出る仕度をしていた男なども入り交って、幻兵団(魂を売った兵団の意味)事件は、曉に祈る吉村隊事件とは別の意味で近来の変り種であった。
〝謎の話題は未解決のままにはなって〟いたのであったが、二十七年暮、突如として大問題となった鹿地失踪事件が起き、それは一転して三橋スパイ事件に進展、いよいよ世界の耳目を集めたのだったが、三橋スパイ事件こそ、幻兵団の一切を裏付け、証明したものであった。
謎の話題は、恐しい話題となって解決したが、解決しない幾つもの問題が残された。それは、この鹿地・三橋スパイ事件は、独立国日本の首都東京で起き、登場した二人はともに日本人であるのに、この斗いを争っていたものは米ソという外国で、米ソの外国人が脅迫で日本人に強制していたということである。
そしてまた、この搜査に当ったスパイ事件の国警本部と、不法監禁事件の警視庁という、二つの有力な治安当局もまた、ついに真相を究明し得なかったということである。
真相を知っているのは、米ソ両国だけである。幻兵団というナゾの話題は、どうして恐しい話題になったのだろうか。ここで再び序章にのべた〝国際スパイ戦の道具にされた日本人〟佐
々木大尉とキスレンコ中佐との間の、奇しき因縁の物語を想い起してみよう。