投稿者「mitaarchives」のアーカイブ

黒幕・政商たち p.230-231 「政治的陰謀」ではないか

黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。
黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。

総長会食事件にも似たケースであった。

この記事を取材、執筆したのは、読売の司法記者として高名な立松和博記者であった。彼は、当時病気上がりで、クラブ員ではなかったが、社会部長の直轄で、売春汚職取材を命ぜられていた。彼は、判事の息子で、昭電事件の連続スクープで名を馳せたのであるが、当時の最高検木内次長検事(小原派=馬場派)に、父親の関係から可愛がられていた。彼は当時、馬場次席

の下で事件を担当していた伊尾宏(浦和検事正)、羽中田金一(名古屋検事長)、河井検事らに密着し、雑談での取材打ち明け話では「検事が机上に書類をひろげていて、タバコを探して席を立つ。或いは、便所に行ってくるからといって、書類を伏せて立つと、逮捕状がハミ出ている、といった状態だった」と、私に語っている。

詳しい話は抜きにして、私がつきそって立松記者は、翌日の午後、高検に出頭した。彼を大津検事の調べ室に入れると、私は川口検事に連れられて一室に呼びこまれた。身柄不拘束のまま「被疑者調書」をとるという。調べはニュース・ソースをいえ、であった。

「あんたは、奈良屋旅館で原稿を書いた時一緒にいたという。それじゃ、その前に電話をかけた時も一緒でしょう?」

「ネ、誰です? 明かして下さい。それだけでいいんです。誰検事です?」

言葉は叮嚀ではあったが、川口検事の調べはしつようであった。私は反問した。

「私が、ここで現職検事の名前を、ニュース・ソースとして供述する。調書になる。すると高検はどうします。国家公務員法違反の逮捕状を請求して、その現職検事を逮捕するのですか?」

「ウム。たとえ検事であろうと、そういうことになりますナ」

私は知っていたが、知らないで頑張り通した。読売の方針が、ソースを徹底的に秘匿すると

決まっていたからだ。社の方針には従ったが、私自身の考えは別であった。両代議士が名誉棄損の告訴を起こすほどだから、これは「誤報」であるに違いない。誤報であるならば、その取材経過を公表して、読者に詫びるべきであるし、犠牲となった両代議士の名誉回復を図るべきだ、と考えていた。そして、当時の政治情勢から、藤山愛一郎、安井誠一郎両氏が初出馬する東京二区と七区とから、宇都宮、福田両代議士を落選させる「政治的陰謀」ではないか、と感じていた。

何しろ、娼婦が身体で稼いだ金をピンハネして、売春防止法の成立を阻止しようと、赤線業者がワイロを贈ったという「売春汚職」だから、これに関係した政治家は、〝史上最低の汚職議員〟として、再起できないと見られていた時である。その時〝新聞〟を利用した謀略——考えられることであった。

立松記者もソースの供述を拒否して、逮捕された。〝不当逮捕〟の世論が湧き、拘留請求は却下となり、三日目に釈放された。問題は正力社主の出馬となり、全面取り消しを掲載して両議員に謝罪、告訴は取り下げられて、すべてが片付いた。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。

黒幕・政商たち p.232-233 ネタモトは河井信太郎刑事課長

黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。
黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。

そして、それこそ〝今だから話そう〟である。立松記者は、奈良屋旅館の電話室で私の見ている前で、河井検事の自宅の電話番号を回した。その電話で問答をつづけながら、彼は宇都宮、福田両議員の名前を書き、頭の上に大きな丸印をつけたのである。そして、翌日の大〝誤報〟スクープが生まれた。私が目撃した事実と、立松記者の話から、あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。そして、立松記者は、この事件以後に本格的に病身となり、ほとんど休職ばかりで、三十七年十月九日、四十歳の若さで、読売城南支局長の閑職で死んだ。——原因は心臓病だが、ニュース・ソース追及の厳しい検事の調べに、三日間も拒みつづけてきた精神の疲れが、彼を廃人にしてしまったようである。

岸本検事長、否、岸本前代議士もまた、失意のうちに、静養先で世を去った。昭和四十年九月九日。無位無官、しかも、選挙違反事件の控訴審被告としてであった。というのは、ついに検事総長を逸した岸本氏に大野伴睦老がハッパをかけたという。

「代議士になれ。当選してきたら、たとえ一年生でもオレが法務大臣にしてやる。そして、馬場のクビを切れ!」

停年半年後の岸本氏は、大阪五区で当選して大野派に属した。だが、岸本氏の当選が決まるや、馬場派の反撃はすさまじく、大阪地検が徹底的に選挙違反を洗いはじめた。当時の検事正は、自他ともに〝岸本派〟と認められていた、橋本乾三検事であったが、〝親分の寝首を掻い

た〟と評された。「検察の長老なるが故に、違反は許されない」と、記者会見で弁明したが、正論は正論としても、風当たりは強かったようである。そして、この時まで馬場次官——竹内刑事局長——河井刑事課長の体制であった。

井本総長は、〝李下の冠〟として非難された。これは、国民に疑いを感じさせてはいけないということである。だが、私は、極めて主観に走りすぎるといわれるかも知れないが、やはり、検察の「公正」に疑いを感ずるのである。

崩れ落ちた〝最後のトリデ〟

マスコミのつくる〝虚像〟——こんどの、井本検事総長「会食」事件の報道をみてつくづく記者の不勉強が感じられる。例えば「河井検事の東京地検か、東京地検の河井検事か」という言葉がある。事件を報道する司法記者クラブ員が、〝検事ベッタリ〟にならざるを得ないのは、現場記者として当然のことである。これをチェックするのが、論説やコラムではあるまいか。今度のケースでは、毎日新聞の報道態度が一番まともである。新聞が不勉強で「謀略」に利用されたり、週刊誌が無知で「虚像」を作りあげるのだから、私は、今更のように考えこんでしまう。

一体、社会正義とはなんだ。

黒幕・政商たち p.234-235 社会正義とはなんだという命題

黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。
黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

月刊「現代」誌の、昨年一月創刊号のグラビヤに、河井信太郎検事が出ていて、「河井氏の正義の追及を、世間は大きな期待をもってみつめている」と、書かれている。しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

実例を持ち出すまでもなく、ある大作家が、「正義派の推理作家」といわれているが、しかし、私の著作を盗んでおりながら、そのことを知ってもうすぐ一年になろうとするのに、電話の一本、手紙一本の挨拶すらなく、私の非難に平然としていることから、その先生が、正義派作家といわれることに、怒りさえ覚えるのである。

大森創造参院議員も、「正義派議員」である。だが、予告のアドバルーンばかりが、高くあがって、肝心の国会質問が他の議員になったり、御本人が知らない間に、トッポイ男の〝恐喝〟の材料に使われたりしていては、それこそ、〝李下の冠〟であろう。

井本総長事件の最後をしめくくらねばならない。これまで多くの「人」を、ほとんど実名で登場させた。或いは名誉棄損の告訴をうけるかも知れない。しかし、「社会正義とはなんだ」という命題のもとで、国民のみんなに、正確な判断をしてもらうためには、仮名では「真実」が伝わらない。

そして、これも〝解説〟〝風聞〟である。

河井検事が、昭和十九年以来東京勤務で、研修所教官と本省刑事課長以外、東京地検を離れないのは、人事問題としてオカシイ、という声が、政府部内にあった。次席から東京の検事正に上るのもオカシイ、との声もあった。同氏に〝密着〟した人物についての批判もあった。そこで横浜の検事正という内示があった。同氏は応じない。では、最高検事という内示であった。

各紙誌の記事に、池田代議士の逮捕が行なわれずに、在宅起訴と決まるまでの、六月二十日から二十五日までの期間、井本総長らが現場の地検の意見に反対したのが、「会食」事件に結びつけられて、書かれている。しかし、一方では、逆の〝解説〟もある。

河井検事の異動を推進したのは、福田幹事長の線だといわれている。次席からそのまま東京検事正昇格を期待していた、若手検事たちが多かったのも事実であろう。それが東京という〝現場〟をはずされたり、最高検などの〝栄転〟ではけしからん——それなら福田にシッペ返しをしてやろう。倉石問題で右手を奪われた幹事長だから、左手のイケショウを傷めてやれ。あわよくば幹事長失脚で〝異動の内示〟は御破算カモネ、とばかりに服役中の久保の調書をとり、突如として〝イケショウへの疑惑〟が具体化した。

その辺の、捜査の経過や証拠関係に〝作為〟が感じられたので、総長らは(事情が読めたので)現場の地検の意見に同意せず、慎重を期して、会議決定が長びき、最終的に在宅起訴となった——とする〝解説〟である。

黒幕・政商たち p.236-237 「社会正義」の最後のトリデ

黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。
黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

一方は、会食事件の事前打ち合わせが、総長の在宅起訴裁決につながるといい、他方は、河井検事異動への反発捜査の不純さに、総長の熟慮になったという。司法の独立とはいっても、それは裁判所のことであり、検察官はやはり行政官なのである。この二説とも、いずれも虚妄でもあり、また真実でもあろうか。〝総長のみが知る〟である。その総長が「公正を曲げていない」という。信ずる以外はあるまい。

事実、社会党の大倉議員の嫌疑進行の段取りに比して、池田議員は幕切れ近く突然の登場であり、久保供述(池田氏によれば、久保が福島から前に池田宛と称して百万円とったのを、横領で追起訴するゾと責めて、引き換えに供述させた=週刊現代七月十一日号)問題も、後味の悪いことは確かである。

池田代議士の容疑は、いずれ公判で明らかにされるのだからさておけば、「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

はてさて、正義とはなんだろうか。

力のある奴、金のある奴、権力をもつ奴、ズウズウしい奴、ハレンチな奴——それが、「社会正義」ならば、私も考え直して、バスに乗るとしようか。イヤハヤ……

私たち市民が、「社会正義」の最後のトリデと恃んでいた「検察」が、馬場派にせよ、岸本

派にせよ、このていたらくでは、それこそ、ベ平連にならって、「検察に正義を!市民連合」でも、組織をせざるばなるまい。

〝法の正義〟は、いまや、集団の前で蹂躙されつつあるのではないか。〝力の正義〟と戦うために、私たちはどうしたらよいか。

一体、「社会正義」とはなんだ!

黒幕・政商たち p.238-239 〝ニュースの焦点〟に体当りで

黒幕・政商たち p.238-239 あとがき 本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。
黒幕・政商たち p.238-239 あとがき 本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。

あとがき

本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。

そして、ここ四、五年の間の、時の流れにしたがって、系統的に整理し、まとめたものであることを、お断わりしておかねばならない。しかし、材料は取材分の六、七割しか使っておらず、まだまだ、書き足りない感じがするのが残念である。

第二にお断わりしなければならないのは、出来るだけ、本名で登場して頂いたのであるけれども、事件の本質に関係ない人物の場合には、頭文字などで省略させて頂いた。

そして、政治家諸公をはじめ、何回も、何個所ででも、登場される人名の方が何人かいるのだが、もちろん、それらの方々への、私的な感情などの、他意がないことを御理解頂きたいことである。

何回も出る名前の方は、現実に、〝ニュースの焦点〟なのだからである。その行動の是非論

は別として、いうなれば、〝日本を動かしている実力者〟なのである。

かつての読売記者時代、アカハタ紙は、私を目して〝反動読売の反動記者〟と攻撃していた。にもかかわらず、同じ私の書いた反政府的な記事は、「何日付の読売によれば」と、引用する——私は、いつも〝ニュースの焦点〟に、体当りで突っこんでゆくだけなのである。それがニュースであれば、右も左もない。取材して書くのである。

だから、この激動期の日本での、ニュースの〝黒幕〟は、どうしても取りあげる率が高くなる。御寛恕を乞う次第である。

フリーになっての十年は、それこそ山あり谷ありであった。日大芸術科時代、三浦朱門氏の父、三浦逸雄先生にジャーナリストへの眼を見開かせられ、読売での社歴十五年、合計すると、ペンを握ってから二十五年にもなる。それ以前、まだ東京府立五中の生徒のころ、演劇雑誌「テアトロ」への投稿が、活字になったころから起算すれば三十年だ。

しかし、私は「読売新聞記者」の金看板を外したのちに、ようやく〝事件記者〟開眼をしたように思う。新聞を外部から眺める立場を得、はじめて「言論・報道の自由」の意義を理解し、そして、ここ十年の主張である「マスコミ虚像論」に結実したのであった。

真実を伝えることの勇気——現在の私には、失うべき何ものもないのだから、恐怖も不安もない。私の読売同期生はもう一等部長になっている。彼のその収入と地位とは、やはり、ある

時には彼を臆病にする大きな要素であろう。名誉も地位も金もなく、ただ〝版木〟だけある私はなおも取材し、書き続けるだろう。

機会を得て、さらに資料を整理し、この書を、戦後二十年史に、書き改めたいと考えている。

昭和四十三年十月

三 田 和 夫

黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 奥付

黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 「文華新書」刊行のことば 奥付
黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 「文華新書」刊行のことば 奥付

真実を伝えることの勇気——現在の私には、失うべき何ものもないのだから、恐怖も不安もない。私の読売同期生はもう一等部長になっている。彼のその収入と地位とは、やはり、ある

時には彼を臆病にする大きな要素であろう。名誉も地位も金もなく、ただ〝版木〟だけある私はなおも取材し、書き続けるだろう。

機会を得て、さらに資料を整理し、この書を、戦後二十年史に、書き改めたいと考えている。

昭和四十三年十月

三 田 和 夫

奥付
黒幕・政商たち
昭和43年11月30日 発行
¥300
著 者 三田和夫
発行者 大島敬司
印刷所 飯島印刷株式会社
発行所 東京都千代田区丸の内 丸ビル783区
    株式会社 日本文華社
    TEL 東京・(201)2752 4750 (211)5063
振替 東京43444番
○万一落丁、乱丁の場合は、返送次第本社でお取り替致します。
○小社発行品切れの図書雑誌は近くの書店又は本社へご注文下さい。

黒幕・政商たち 裏表紙 著者紹介 推薦コメント

黒幕・政商たち back cover 裏表紙 著者紹介 推薦コメント 読売新聞編集局長・原四郎 作家・菊村到
黒幕・政商たち back cover 裏表紙 著者紹介 推薦コメント 読売新聞編集局長・原四郎 作家・菊村到

BUNKA BUSINESS

著者近影
〈著者紹介〉
読売社会部時代に、第1回菊池寛賞を受賞した『東京租界』をはじめ、ソ連スパイ幻兵団、鹿地—三橋—ラストボロフ事件、国際バクチのマンダリン事件など、多彩なスクープでスター記者だった。のち新聞を退社。フリーで健筆をふるっている。大正十年岩手県生れ。日本大学芸術科卒。著書に「最後の事件記者」「赤い広場—霞ヶ関」などがある。

〝根性の記者〟が書いた〝怖ろしい〟本

読売新聞編集局長  原 四郎
社会部の若い連中にハッパをかけて、私はこういったものだ。「読売の大社会部時代を築いた先輩たち、例えば三田のような〝根性の記者〟になれ!」
三田君は、いろいろな意味で、新聞史に名の残る記者だと思っている。針の先ほどのことでも、三日もかけて調べてくる男だ。この本も、その意味で私は興味深いものだと思う。

作家  菊 村 到
三田さんは、私の読売新聞社会部時代の先輩で、ときにはシゴかれたりしたものだ。火の中、水の中にも、頭からとびこんでいく姿に、怖ろしさを感じたこともあるが、この本はそうした怖ろしさの結晶だろう。

日本文華社
¥300

迎えにきたジープ Cover 表紙

迎えにきたジープ Cover Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company
迎えにきたジープ Cover Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company

表紙

迎えにきたジープ

―奪われた平和―

三田和夫 著

TOKYO CONFIDENTIAL SERIES

20世紀社

迎えにきたジープ inside cover-Title page

迎えにきたジープ inside cover-Title page Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company
迎えにきたジープ inside cover-Title page Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company

・東京秘密情報シリーズ・

迎えにきたジープ

―奪われた平和―

三田和夫 著

20世紀社

迎えにきたジープ Dedication-Contents001 亡き父に捧ぐ

迎えにきたジープ Dedication-Contents001 「上野正吉」は三田和夫の義兄。三田和夫の手許にはカバー欠損の破損本しか残っていなかったので、おそらく義兄への献呈本を返してもらったものと思われる。 なお、本文画像は献呈本が見つかる前に破損本から撮影したものです。
迎えにきたジープ Dedication-Contents001 「上野正吉」は三田和夫の義兄。三田和夫の手許にはカバー欠損の破損本しか残っていなかったので、おそらく義兄への献呈本を返してもらったものと思われる。 なお、本文画像は献呈本が見つかる前に破損本から撮影したものです。

亡き父に捧ぐ

目次

悲しき独立国民

黙って死んだ日本人

佐々木大尉とキスレンコ中佐

還らざる父

キング・オブ・マイズル

関東軍特機全滅せり

ウイロビー少将の顧問団

天皇島に上陸した「幻兵団」

パチンコのテイラー

秘密戦の宣戦布告

見えざる影におののく七万人

参院引揚委の証言台

迎えにきたジープ Contents.002-003 目次

迎えにきたジープ Contents.002-003
迎えにきたジープ Contents.002-003

私こそスパイなのだ

吹雪の夜の秘密

読売の「幻兵団」キャンペイン

ソ連的〝間抜け〟

細菌研究所を探れ

招かれざるハレモノ客

七変化の〝狸穴〟御殿

三つの工作段階

ヤミルーブルを漁る大阪商社

街に流れ出したソ連色

東京細菌戦始末記

作られない捕虜名簿の秘密

マイヨール・キリコフの着任

帰ってきたダンサーたち

バイラス病原菌の培養成功

朝鮮戦線に発生した奇病

アメリカは日本に原爆を貯蔵?

国際犯罪の教官、情報ギャング

ウソ発見機の密室

押しボタン戦争の原爆投下

迎えにきたジープ

怪自動車の正体

新版〝ハダカの王様〟

せせり出てきた敵役

三橋と消えた八人

スパイ人と日本人

付、事件日誌

あとがき

迎えにきたジープ p.000-001 佐々木は殺されたのです!

迎えにきたジープ p.000-001 The Kaji and Mitsuhashi spy cases were making a noise in 1952. I was visiting the bereaved family of Katsumi Sasaki, who was known as a liaison of the spy cases.
迎えにきたジープ p.000-001 The Kaji and Mitsuhashi spy cases were making a noise in 1952. I was visiting the bereaved family of Katsumi Sasaki, who was known as a liaison of the spy cases.

悲しき独立国民

一 默って死んだ日本人

鹿地・三橋スパイ事件が騒がれていた、昭和二十七年暮のある日のこと。私は三橋自供にレポとして名前の浮んできた佐々木克己氏の遺族を訪ねていた――

清子未亡人はツト顔をあげた。品の良い、まだお嬢さんらしいあどけなさの残っている頬に涙の跡が乾いている。耳のあたりから口許へと引かれた、深い深い苦悩のかげがいたましい。力強い高い言葉がこみあげてきたが、それが唇をついて出るころには、永年のたしなみがそうさせるのであろうか、叫びにはならないで低い呟きとなって訴える。

『誰が、誰が、この貧しくとも愉しい家庭から、幸福と平和とを奪ったのです! そうです、形は自殺でした。用意周到な覚悟の自殺でした。では、何故、佐々木は死なねばならなかったのです。妻と二人の子供とを残して……

佐々木は殺されたのです。そうですとも、殺されたのです。私も、子供たちも、そう信じています! 誰かが殺したのです!』

迎えにきたジープ p.002-003 佐々木元陸軍大佐の遺書

迎えにきたジープ p.002-003 On the morning of November 19, 1950, Katsumi Sasaki, a former Army colonel, ceased his own life while shouting his wife's name.
迎えにきたジープ p.002-003 On the morning of November 19, 1950, Katsumi Sasaki, a former Army colonel, ceased his own life while shouting his wife’s name.

清子未亡人は両肩をふるわしたまま、唇を噛みしめて、ついにその〝犯人〟の名を明かそうとはしない。

敗戦五年、勝利か死かと戦った我々、昭和二十年の八月に一生は終ったのだった。
然しお前や子供への愛にひかされて、煩悶しながらも生きてきた。敗戦将校の気持は複雑で深刻だ。
夫としての、親としての責任、愛。そうして五年すぎた。
だけど内訌五年、もう駄目だ。生きる自信も気力もない。
とても良い夫にもおやぢにもなれない。お前には済まない。永い年月、よくしてくれた。
それなのに、十余年苦労のかけ通し、そして最後には、この生きにくい世の中に子供を託してゆく。断腸だ。
辛いだろう。肩身もせまいだろう。だけど許してくれ。子供をたのむ。
おばあちゃん。うちで一番心の痛手と重荷を背負っているおばあちゃんへ、またこの上に何とも済みません。
憎んで下さい。だけど、清子と子供二人はどうかお願いします。
迪孝さん、秀ちゃん、可哀そうな清子と子供たち、お願いします。
清子、幸夫、みき子。
お父さんはだめだ。みなは新しい日本の人だ。苦しかろうが、幸福に、長生きして下さい
みんなで。
おばあちゃん。秀ちゃん、血の連った人達仲良くね。
残す資産も何もなく、ほんとうに済まない、清子!
僕はつまらぬ男だ。だけど、お前を愛していた。
浮世だ、お前だけはしっかりしてくれ。

清子未亡人の手に確りと握りしめられた数枚のノオトの切れ端し。今は亡き夫、元陸軍大佐大本営報道部高級部員佐々木克己氏の遺書である。

昭和二十五年十一月十九日朝、佐々木元大佐は、最後に妻の名を叫びながら、自ら命を絶って果てた。

簡単な遺書である。短かい言葉の行間にあふれた、無限の苦悩と無量の感慨とを汲みとるため、この遺書を、もう一度静かに読み返してみよう。

迎えにきたジープ p.004-005 佐々木克己の辿った運命

迎えにきたジープ p.004-005 The name of the culprit who killed former Colonel Sasaki has now come to her throat....but she doesn't say. It is not written in the suicide note.
迎えにきたジープ p.004-005 The name of the culprit who killed former Colonel Sasaki has now come to her throat….but she doesn’t say. It is not written in the suicide note.

原子スパイ事件、ローゼンバーグ夫妻の「愛は死を越えて」、ゾルゲ事件、尾崎秀実の「愛情は降る星の如く」と、三人のスパイたちの遺書は、多くの人に読まれ感動の涙を誘った。

だが、この三人の悲しい運命は、いわば自らえらんだ運命であった。何を今更、妻を想い、子を求めて、己れの魂をかきむしらねばならないのだろう。〝意識したスパイ〟でさえも、このような人間的なあまりにも人間的な、弱さに身悶えするのである。

この遺書の主、佐々木克己の場合はどうだろうか。官職一切を失いながらも、平和になった日本で、親子四人が幸福に暮していたのである。彼が果してスパイであったかどうかは、私には断定できない。だが、スパイであったとしても、彼は〝強制されたスパイ〟であったということは明らかである。

〝意識したスパイ〟が、電気椅子や絞首台を前にして号泣するとき、〝強制されたスパイ〟は黙ったまま死んでいった!

 私は清子未亡人をジッとみつめた。だが、彼女はまだ下唇を噛みしめている。佐々木元大佐を殺した〝犯人〟の名前が、いま、喉元まで出てきているのだ。

……だが、彼女はいわない。遺書にも書いてない。誰が、この妻と、二人の子供の、平和と幸福を奪ったのか!

二人の遺児、幸夫君とみき子ちゃんとが大人になったとき、二人は父の死の本当の意味を知りたいと願うに違いない。そして、この二人に代表される全日本人は、同時に自分自身のものである佐々木克己の辿った運命を直視しなければならない。

二 佐々木大尉とキスレンコ中佐

ここは雪と氷に閉ざされた北海道の、札幌は砲兵第七連隊の営庭。彼にまつわる〝因果はめぐる小車〟の物語は、こうして昭和初年にさかのぼるのであった。

今しも演習を終えて帰営した佐々木中隊は解散の隊形に整列した。兵も馬も砲も、降りしきる雪におおわれて真白である。

『講評ッ! 本日の演習は積雪と寒気とにも拘わらず、諸子の行動は常に積極果敢、よく所期の目的を納め得た。中隊長として極めて満足である』

馬は白い長い息を吐き、馬具がカチャカチャと鳴る。兵隊たちの顔は上気して赤い。

『……兵器と馬の手入を十分にせいッ。御苦労であった。解散ーン!』

『中隊長殿に敬礼ッ! 頭アー中ッ!』

第一小隊長の指揮刀が馬の耳をかすめて一閃するや、兵隊たちはキッとなって頼もし気に自分たちの中隊長、陸士出身でまだ若いが、陸大の入試準備を始めていると噂されている佐々木克己大尉をみつめた。

迎えにきたジープ p.006-007 日ソ交換将校・キスレンコ中佐

迎えにきたジープ p.006-007 This was Lieutenant Colonel Kislenko, who was the later Lieutenant General Kislenko, Soviet Chief Representative of the Allied Council for Japan. And Captain Sasaki was the later, Colonel Sasaki.
迎えにきたジープ p.006-007 This was Lieutenant Colonel Kislenko, who was the later Lieutenant General Kislenko, Soviet Chief Representative of the Allied Council for Japan. And Captain Sasaki was the later, Colonel Sasaki.

第一小隊長の指揮刀が馬の耳をかすめて一閃するや、兵隊たちはキッとなって頼もし気に自分たちの中隊長、陸士出身でまだ若いが、陸大の入試準備を始めていると噂されている佐々木克己大尉をみつめた。

『ウム』満足気に部下の眼を一わたり見渡して答礼した佐々木大尉は、刀を鞘に納めるや手綱をしぼって傍らの男を顧みた。

『ヌゥ・カーク?(如何?)キスレンコ中佐!』

『オウ・ハラショウ!(素晴らしい)』

スキー帽のような廂のない毛皮の帽子に赤い星の徽章、小田原提灯のような黒の長靴、ソ連赤軍の制服を着た男が、軽く拍車をあてて佐々木大尉に馬首を揃えてきた。

日ソ交換将校として赴任してきたキスレンコ中佐は、この札幌砲兵第七連隊に配属されていたが、今日は佐々木中隊長の演習を見学に同行したのだった。

『日本兵もなかなか耐寒力がありますね』

『そうですとも。大分前には耐寒演習で大きな犠牲を払ったこともあるのですよ。そしてあんな軍歌も生れました』

 解散した兵たちが、砲車を武器庫に納めながら「雪の八甲田山」を口ずさんでいた。

『だが、シベリヤの酷寒に鍛えられた赤軍は、もっと強いですよ』

 キスレンコ中佐の冗談に二人は声を揃えて笑った。佐々木大尉は流暢なロシヤ語を話したので、中佐は大尉にことに好意をみせていた。日露戦争以来たがいに仮想敵国となっている日ソの現役将校である。二人はいつ戦場で相見えることになるかも知れないと、心の奧底では考えながらも、起居を共にして親しい交りを結んでいった。

このキスレンコ中佐こそ、後の対日理事会ソ連首席代表キスレンコ中将その人であり、この佐々木大尉こそ、後の佐々木大佐その人であったのである。

童話「イワンの馬鹿」にみられる通り、ロシヤ人こそもっとも人の良い人種である。そのロシヤ人も〝ソ連人〟となって、暗いかげをかむった。もはやソ連に〝イワン〟はいない。

佐々木大尉の父中佐は、大尉が三才の時に、日露戦役で戦死した。母は続いて八才の時になくなった。孤児となった彼は白川大将の庇護を受けながら、祖母の手で成人した。

父の志をついで幼年学校、士官学校と上位を通して進んできた大尉は、それこそ資性剛直、情誼に深く、部下を愛し、しかも頭脳明晰という、典型的な軍人だった。彼の軍人としての前途は明るく、同期生たちからも深く敬愛されていた。

やがて、陸大を上位で卒業した彼は、国際連盟代表としてパリに駐在していた谷寿夫中将に見込まれ、その長女を妻に迎え、モスクワ駐在武官補佐官として、得意なロシヤ語の能力を発揮できる任地へ出発した。そこは北海道で親交を深めたキスレンコ中佐の祖国である。

迎えにきたジープ p.008-009 心中秘かに一家自決を決意

迎えにきたジープ p.008-009 Katsumi Sasaki's father-in-law, Lieutenant General Toshio Tani, was arrested for being responsible for the Nanjing Incident, and was hanged as a war criminal because of his expedition to China as the sixth Division Chief.
迎えにきたジープ p.008-009 Katsumi Sasaki’s father-in-law, Lieutenant General Hisao Tani, was arrested for being responsible for the Nanjing Incident, and was shot as a war criminal because of his expedition to China as the sixth Division Chief.

その後勃発した独ソ戦! 戦乱の渦中から逃れて帰国した佐々木中佐は大佐に進級して、大本営報道部付となった。

 岳父谷中将は予備役となっていたが、太平洋戦争と同時に出征、佐々木大佐が大本営にきたころは、西部防衛司令官として大阪に勤務していたのだった。

 思いもかけぬ敗戦、親友親泊朝省中佐(37期)一家三人が覚悟の自殺を遂げた時、佐々木大佐(38期)は第一番にかけつけた。その見事な最後に感激した大佐は、その日谷中将邸の一隅にある自宅にもどるなり、清子夫人に向ってこういった。

『立派な死に方だったよ。敗戦将校は生き永らえるべきではないな。……どうだ、清子、お前も一緒に死んでくれるか』

 大佐は心中秘かに一家自決を決意して、軍務の整理など後始末に忙殺されていた。その佐々木家へ、ある日突如として悲報が舞いこんできたのであった。

 谷中将が第六師団長として大陸へ遠征した故を以て、南京事件の責任者として逮捕され、戦犯として南京法廷へ送られるという知らせだった。大佐は愕然とした。

 時を同じくして、東京に設けられた対日理事会のソ連代表部にキスレンコ少将(後に中将)が赴任してきた。まさに〝因果はめぐる小車〟である。

中野の佐々木家には、幾度かソ連人が大佐に面会を求めて現れた。そのソ連人がキスレンコ少将その人であったか? どうかは分らない。

逮捕、南京護送の岳父谷中将の助命嘆願は、大佐によって八方へ行われた。

それは溺れる者が、藁をもつかむ焦躁ぶりだった。嘆願の範囲が凡ゆる方面へのばされたであろうことは、容易に推測される。ここで筆者の推理が許されるならば、連合国として一方の有力者ソ連、それを代表する旧知のキスレンコ少将に、何らかの働きかけが行われた、と解することは誤りであろうか? もし、その嘆願が寄せられたとすれば、ソ連がその代償を大佐に求めることは極めて常識的な話である。しかし、その甲斐もなく、谷中将は恨みを呑んで絞首台上に散ったのであった。

ソ連の代償とは何を意味するか。佐々木一家にとって、恐るべき運命が待ち構えていようとは、神ならぬ身の知る由もなかった。

三 還らざる父

二十五年八月三十日、釣好きの佐々木元大佐は、いつものように魚籠を下げて釣に出かけていった。釣天狗の父が、また今日も夕餉の膳を賑わしてくれることを期待して、佐々木家の家族は、夕食もとらずに待っていた。

その夜に限って、佐々木元大佐はなかなか戻らなかった。待ちくたびれた一家が、心配し乍らも諦めて寝床に入った十一時ごろ、ドンドンと烈しく表戸を叩く音にまどろみを覚されたのである。声高な呼び声は、何か不吉な予感にみちていた。