黒幕・政商たち
たちあがる〝事件記者〟
三田和夫
黒幕・政商たち
たちあがる〝事件記者〟
三田和夫
暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!
マイ・ホームの夢を喰う、住宅公団汚職。大銀行を舞台の取り屋の暗躍。国民の血税を吸って太る企業。——これらのマスコミでは報道されない色と欲の裏街道で、陰の主役たちは、何をもくろみ、何をしているのだろうか? 高級官僚群と政、財界人たちとの驚くべきつながりを、事実に即して描く異色のリポートである。
本書に実名で登場する著名人は600余名にのぼるが、なかでも佐藤栄作、川島正次郎、田中角栄、中曽根康弘の各氏や、児玉誉士夫、稲川角二、植村甲午郎、足立正、藤井丙午、水野成夫など、日本を動かす実力者たちの素顔が巧まずして描き出される。
文華ビジネス
黒幕・政商たち
――たちあがる事件記者――
三田和夫
まえがき
昭和三十年の夏、当時、読売新聞社会部の外事・公安担当記者であった私は、戦後十年の裏面史として、貯めこんだ取材メモを材料に、「東京コンフィデンシャル・シリーズ」という、二冊の著書をまとめた。
四部作の予定が、二冊に終わったのだが『迎えにきたジープ』『赤い広場—霞ヶ関』という、既刊のその本のあとがきに、
「真実を伝えるということは難しい。…しかし、真実の追及という、この著での私の根本的な執筆態度は認めて頂きたい。
真実を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。…私も本音を吐くならば、この著を公にすることはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮かんでくる。しかし、『真実を伝える』ということのため、私は勇気を奮って、関係者の名前を実名で登場させたのである」
と、書いた。
その当時から、また十余年——。
戦後史。この激動の二十年をまとめるべき時がきているようである。そして私は、読売を退社してフリーになるという、身辺上の変化はあったけれども、相変わらずペンを握って、〝現代史の目撃者〟たることをつづけてきた。
「報道・言論の自由」は、国民の「知る権利」の代理行使として、その「自由」の意義があるのである。
戦後二十年とはいえないが、ここ数年の間に現象化してきた、あの事件、この事件。それらの事件の本質を見極めるには、少なくとも、マッカーサーがコーン・パイプ片手に、厚木飛行場に降り立った時点からの、ひそやかな底流に、眼を注がねばならない。
私たちは、ともすれば、事件という現象の動きに、流れに、そして華やかさに、眼を奪われて、その本質を、見誤る恐れがある。この〝眼を奪う〟ものが、マスコミの伝える「虚像」である。虚像に狎れて、真実を見失うのである。しかし、しっかりと真実を踏まえて、虚像に酔おうというのならば、それもまた可なり、である。
戦後の一連の汚職事件、昭電、造船にはじまり、最近の日通にいたるまで、そしてまた佐藤三選のカゲの動きなど、やはり〝底流〟に眼をそそがねばならない。
目次
まえがき
第1章 国家機密を売る商人
ホテル・ニューオータニの男
調査会に一流財界人の顔ぶれ
疑惑を残して迷宮入り
支払い伝票のメモをめぐって
影の主役に新聞記者
安全保障調査会の伏兵
「三矢事件」が意味するもの
第2章 米対外援助資金への疑惑
戦果はベトコン一人
中古機械が新品に
たった36万ドル!
韓国肥料工場の怪
対韓協力8億ドルのリべート
第3章 〝タバコ〟そのボロイ儲け
〝中毒患者〟の実力者
フィリピンからの密使
公社幹部OBの会
〝専売一家〟の厚い壁
第3章 〝タバコ〟そのボロイ儲け
〝中毒患者〟の実力者
フィリピンからの密使
公社幹部OBの会
〝専売一家〟の厚い壁
〝怪人物〟コバケン
アメリカ葉権利と政治家の結びつき
東南ア外交の裏で
第4章 マイホームの夢を食う虫
住宅公団の抜け穴
佐藤さんはキレイ好き
幽霊会社に消える土地代金
光明池事件のウラのウラ
左翼の国会議員も登場
パクリ屋国会で活躍
広布産業事件のカラクリ
大映手形パクリ事件の主役は?
第5章 怪談「流通機構社」のその後
会長が大蔵大臣の会社
詐欺を働いても安全?
おそまつな〝ごあいさつ〟
潜入屋という新商売
新聞記者ともツー・カー
官房長官がアキレタ早わざ
大臣もひっかかった知能犯罪
第6章 九頭竜ダムの解けないナゾ
戦後最大の汚職の真相
三百億円に群がる黒いアリ
右翼の巨頭乗りだす
電発工作資金に一千万円
田中角栄先生の意外な一面
喰いちがう意見
不発に終った「池原ダム」汚職
第7章 幻のサイエンス・ランド
総会屋が演出する華麗な舞台
一流財界人百名を動員
経済誌社長の肩書
眠れる湘南の砂丘六万坪
怪文書と人身攻撃
高級官僚という〝難物〟
〝夢の興行〟解散へ
「市村学校」の後退
元子爵、二幕目で主演
水野サンケイの対抗意識
〝河野一郎のクシャミ〟
「政治的」は「法律的」に通ず
解散劇にみる損得勘定
第8章 秘密を売る男の死
麻薬メン〝愛欲行〟の謎
背後関係のからむ自殺説
〝サツの犬〟の寝返り
Gメンと警官の反目
権力の執行者に落し穴
女を抱いて収賄罪
二足のワラジ
白い粉に国家の政略?
阿片という武器
日本人、流通機構の中での役割り
A級幹部の背後に中共政府
第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト
餌食にされた資生堂
盗まれた〝花椿〟の素顔
強喝——広告掲載——入金
東棉の〝痛いハラ〟
再び共産党代議士の登場
中央観光事件の波紋
数億の現ナマを呑む男
政治家と結んだ虚業家
デビ夫人が〝パパ〟と呼ぶ人
黒い霧周辺の人言行録
終章 検事総長会食事件
真の支配者は誰か?
〝児玉アレルギー〟の震源地
サル芝居に踊る被告・森脇
〝イケショウ〟の挑戦状
「三和銀行へ行ってみろ!」
「鷲見メモ」の内容
検察内部の深刻な対立
逮捕されたかもしれない河井検事
崩れ落ちた〝最後のトリデ〟
あとがき
第1章 国家機密を売る商人
昭和四十三年。十月十五日付読売新聞朝刊=防衛庁は十四日午後、秘密保護と綱紀粛正に関する委員会(委員長・小幡事務次官)を開き、「秘密保全に関する訓令」および「防衛秘密の保護に関する訓令」の改定大綱をきめた。改定のねらいは、いままでの訓令に規定がなかった〝きびしい秘密漏えい防止策〟を盛りこむことにある。防衛庁は、来年四月実施を目標に、早急に条文化する方針である。
ホテル・ニューオータニの男
調査会に一流財界人の顔ぶれ
さる四十年十月二十八日、ホテル・ニューオータニで、「安全保障調査会」の、設立披露パーティーが開かれていた。その席に参じたのは、防衛庁関係者をはじめとして、政、財、官界の有力者たちと、若干の新聞記者——そして、それらの顔触れに、ジッと視線をナメて行く、何人かの男たち。
いわゆる「治安当局」という、新聞術語に表現されるのは、情報調査機関であって、具体的にいうならば、警察の警備、公安、外事当局、公安調査庁、内閣調査室などであり、さらには、税関、厚生省麻薬取締官事務所、防衛庁調査隊なども含まれるであろう。
この「安全保障調査会」なる団体について、どうして、このように、〝出席の顔触れをジッとみつめる男〟が現れるのだろうか。
それには、まず、その設立趣意書をみなければならない。
「わが国の安全保障問題は、戦後二十年間を通じ、大きな政治問題でしたが、今後はますま
すその重要さを増す見通しです。(中略)わが国の安全保障が当面する問題は、いくつかあります。遠からず実現すると思われる中共の核装備に対処するため、わが国はいかなる対策をとるべきかという問題、また、日米両国間の最大の懸案となった沖繩の問題、そしてまた、一部に喧伝され、危機感が醸成されようとしている、五年後の日米安全保障条約再検討にともなう、政治的、社会的、思想的な混乱の可能性などであります。(中略)
われわれは、わが国の安全保障の問題を憂慮し、世界の実態を正しく把握しながら、国の安全確保の道を研究するため「安全保障調査会」を設立することになりました。その事業内容は別紙の通りですが、われわれは優れた研究スタッフと極めて豊富な情報調査網を背景としておりますので、必ず会員各位の御満足が行く活動ができるものと確信しております」(注。傍点筆者)
昭和四十年九月。ホテル・ニューオータニ内とした、この調査会の発起人には岩佐凱実、早川勝、土光敏夫、永野重雄、植村甲午郎、松野頼三、衛藤瀋吉、安西正夫、椎名悦三郎、広岡謙二の十一氏が並んでいる。
事業内容としては旬刊の「情報資料」、月刊の「特別資料」、「国防」、年刊の「国防白書」その他、講演会、座談会、米議会の外交委、軍事委の議事録の飜訳配布などで、会費は一口月五千円、年五万円となっている。
これだけをみるならば、いわば〝業界の研究機関〟もしくは、〝業界の内報屋〟にすぎないものであるが、テーマが「国防」とあって、しかも一流財界人をはじめ、現職の防衛、外務両大臣までが加わっているとあっては問題が大きくなってくるというのも当然のことである。
設立趣意書の中、筆者傍点の部分、「優れた研究スタッフ」と「豊富な情報調査網」とが、月五千円の会費で買えるならば、「わが国の安全保障問題」イコール「国防」イコール「軍事機密」と見てくれば、この調査会が、治安当局の注目を集めるのは、これまた当然のことである。そして、関連して思い起されるのは、さる四十年二月十日の衆院予算委で岡田春夫議員の行った「三矢研究」の質問に端を発した、「三矢事件」である。
「三矢研究」の内容その他を問題にする岡田議員に対し、どうして「三矢研究」という機密文書が外部に流出したかを問題にして、そのルートを調査しようというのが、「三矢事件」である。
これは、国家公務員法の百条に当る、自衛隊法五十九条の「秘密を守る義務」違反被疑事件であるからだ。
もっとも防衛庁の機密ろうえい事件はまだ他にもあった。三十九年三月、参院予算委で共産党の岩間正男議員が、「防衛力整備に関する基本的見解」(昭和三十八年八月、空幕作成)を暴露したのに始まり、「同見解」と「臨時国防基本法(私案)」(三十八年十月、空幕作成)の二つが、作家松本清張氏の筆によって、文芸春秋誌九月号「防衛官僚論その一」に掲載され、さらに、同誌十一月号「同その三」で、「三矢研究」(三十八年度総合防衛図上研究)のうち「三十八年度、陸上自衛隊指揮所演習」(同年二—六月、陸幕作成)と、「昭和四十年、統合年度戦略見積り資料」(三十九年統幕作成)を公表してしまった。
疑問を残して迷宮入り
これらは、いずれもトップ・クラスの機密文書であるから、防衛庁としては、その流出ルートを究明するということは重大な問題であり、もちろん、内部問題として、陸上自衛隊中央調査隊が、しかるべく捜査中であったところに、この岡田議員の第四回目のバクロが行なわれたのだった。
岩間議員への流出ルートとして、中央調査隊が割り出したのは、第一回、第二回のバクロの二文書が、いずれも空幕作成のものだけだったので、市ヶ谷の空幕幹部学校の秘密文書の印刷所であった。そして、そこに公然とタッチできるO事務官の身辺に、捜査の焦点が絞られた。だが、O事務官はウソ発見器にかけられても、強引、かつ徹底的に否認しつづけ退職してしまった。
O事務官から岩間議員までの、流出ルートは十分に推測されたが、物証の裏付けを得られないまま、調査隊は断念せざるを得なかったが、さらに第三回、つまり松本清張氏の第二回目に陸幕文書、統幕文書が出現するに及んで、O事務官退職後の、空幕文書以外の文書が出たことから、ついに内部問題としての、調査隊独自の捜査をあきらめ、警視庁公安部に対し、捜査協力を依頼するにいたったのである。
O事務官から岩間議員までの、流出ルートは十分に推測されたが、物証の裏付けを得られないまま、調査隊は断念せざるを得なかったが、さらに第三回、つまり松本清張氏の第二回目に陸幕文書、統幕文書が出現するに及んで、O事務官退職後の、空幕文書以外の文書が出たことから、ついに内部問題としての、調査隊独自の捜査をあきらめ、警視庁公安部に対し、捜査協力を依頼するにいたったのである。
つまり、O事務官の事件に関し、防衛庁の記者クラブに属する、日刊紙の記者やら、日刊紙以上に激しい取材竸争をしている週刊誌記者が、捜査線上に浮んできたから、調査隊としては、力不足を感じたのであろう。
捜査協力を求められた警視庁としては専門家の誇りもあって、極秘裡に動き出した。まず、物証がなければ、強制捜査——つまり、逮捕状を裁判所に請求したり、家宅捜査などが行えないというので着眼したのが、文芸春秋が、松本清張氏の「防衛官僚論」を掲載しているのだから、清張氏に原稿料を支払ったほか、関係者に取材費が出ているに違いないとニランだのである。
これには、二説あって、防衛庁が文春に辞を低くして、支払伝票を見せてもらい、その中から〝然るべき〟人名を拾いだし、この名簿を持って警視庁に頼んだという説と、警視庁が〝任意提出〟を求めて(任意提出を求めるというウラには拒めば令状を持ってきて徹底的にやりますよ、という、インギン無礼的なニオイがする)、その中から人名を拾ったという説とである。
ともかく、こうして八名の新聞、雑誌記者の名前が浮んできたのであった。その中でも、新聞のK記者、D記者、雑誌のO記者らの動きが、当局側にとって、何としても納得の行かない多くの要素を含んでいた。だが、ついに、物的証拠はつかめなかったのである。ともかく、ガサ(家宅捜索)をかけて、メモから電話早見表、家計簿にいたるまで、証拠のヒントになりそうなものすべてを取り、さらには、容疑者を引ッ張ってきて泊めて、タタいて、吐かせる。そしてまた、ガサ、逮捕という、積上げ方式の、〝岡ッ引〟捜査技術に出発している、日本の警察の捜査技術では、このようなスパイ事件捜査は、未だしの感が深いのである。もちろん、単に、国家公務員法百条、自衛隊法五十九条という「秘密を守る義務」の項にしか準拠法令がないという、立法上の問題点はあるのだが。
防衛庁では九月十四日、「秘密の保全が不適切」という理由で、三輪事務次官以下二十六名の処分を発表した。その内容は、注意、訓戒、戒告の三種類。この中で一番重い戒告には、伊藤六豊三等空佐(元空幕防衛部運用課員)が、ただの一名であった。伊藤三佐は九月末日に退職したが、この処分を見ると、伊藤三佐への疑惑が、一番大きかったということが判るが、こうして、とうとう、「三矢事件」は、迷宮入り同様にして、ピリオドが打たれたのであった。だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。
だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。
支払い伝票のメモをめぐって
「三矢事件」が問題となった時のことである。松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。
「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」
大竹氏は興奮して、そう叫んだという。
当局の調べによると、防衛庁関係はともかくとして、文春ならびに松本清張氏のもとに、この書類を運んだのは、前述の通り大竹氏だという。警視庁公安部では、この書類流出を、自衛隊法違反、公務員法違反の被疑事件として取りあげた。
読売新聞の軍事記者として著名な、堂場肇氏は、当時の事情をこう語る。
「怪しからんのですよ。文春は! これらの関係の、取材費や謝礼金伝票を、警視庁に〝任意提出〟で差しだしたのです!」
堂場記者といえば、時事新報の経済部記者がスタート。やがて、時事がサンケイに吸収合併されて、社会部にうつる。彼は、その時代に、続きもの「下山事件」で、その綿密な調査記録を発表し、「サンケイに堂場あり」と、筆名を高めた。この続きものは、朝日の矢田喜美雄記者が、「帝銀事件」「下山事件」とヒットしてきた、調査記録と並び称され、専門家筋に高く評価された労作であった。
その後、読売社会部に転じ、続きものなどの調査研究記事を得意とし、防衛庁詰めとなっては、例のグラマン・ロッキード事件などで筆名をあげた。どちらかといえばアカデミックなタイプの記者で、現在は、読売の「国際情勢調査会」の主任調査委員でもある。そしてまた文春誌のセミレギュラー執筆者であり、〝文春派〟記者と見られていただけに、彼の、このような〝怒り〟は、私にとっては、やや、意外な感じでもあった。
というのは、すでに情報として、防衛庁記者クラブに属する、日刊紙記者たち八名(含雑誌記者)の名前があがっていたからである。ここで問題となるのが、記者の取材伝票である。これは足代、電話代、飲食代にいたるまで、経路、相手方、店名など、取材雑費のすべてが、その記者の取材活動の〝こん跡〟を、雄弁に物語るよう記録されているのが、通例である。
だから、機密文書を入手するため、誰とどのように連絡し、行動したかは、当然、すべて記録されているハズである——これに着眼したのは、流石に警視庁であった。
いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。
いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。
堂場記者の、あの温厚な同氏の、怒りも当然である。
未発にこそ終ったが、堂場氏自身も、誤認逮捕される危険を感じたのだという。堂場氏が協力してやった「防衛官僚論」のために、今度はクルリと〝権力〟側に寝返ってしまった、「文芸春秋」によって、左翼的表現に従えば〝官憲に売り渡され〟そうになったのである。
読売新聞の堂場記者が、「三矢事件」で、防衛庁の機密文書流失ルートの容疑者になったことは事実である。
その証拠には、自衛隊の調査隊員(もちろん将校である)の一人が、旧知の治安当局係官の紹介で、私のもとに、堂場記者の調査に現れたからで、私の逆取材から、調査隊の意図が判明したという事実がある。
自衛隊中央調査隊ばかりか、警視庁公安部もまた、同じ意図で捜査していた。そのこと自体を、堂場記者も察知していた。だからこそ、氏は「文芸春秋」の態度を怒るのである。
「私が、松本清張氏の名前で発表されている『防衛官僚論』に、助言をし基礎的知識を提供したことは事実である。というのは大竹宗美という、松本氏の助手に面会を求められた。
話を聞いてみると、『防衛官僚論』を書くので、取材に協力してくれという。しかし、私は岩間議員への文書ろうえい問題で防衛庁がモメたことを知っていたので、慎重を期して、大竹氏のインタビュウに応じたのだった。
つまり、文春の応接室で、文春社員である記者に立会ってもらい、同記者にも談話内容のメモを取ってもらったのである。
私は、決して大竹氏にも松本氏にも、機密文書を渡してもいないし、その内容について、話してもいない。大竹氏とサシでないから、その証人はいるわけだ。
私の談話が、『防衛官僚論』にそのまま流用されて、私の許には、文春から談話謝礼が送られてきた。だから、その限りでは、文春の事務処理面からだけみると、私も、三矢事件関係者なのである。
事件が具体化し、防衛庁が文春の支払伝票メモを、警視庁という捜査当局に提供したことが明らかになった当時、防衛庁記者クラブの記者会見があった。
私は、自分が容疑を受けていることを知っていたので、防衛当局者に強く抗議をした。『何故、各人別に、談話謝礼伝票の内容を調べず、名簿だけを、刑事事件容疑の捜査資料として、警視庁に渡したのか。軽率すぎるのではないか』と。
その際、東京新聞の香原(こうはら)記者も、私の抗議に便乗した形で、激しく抗議していた。その語調の厳しさに、私は彼の名前も出ていたのだと感じた」
堂場記者の、この話の内容で明らかになったように、捜査当局は文春の自発的提供による「防衛官僚論」関係の支払伝票によって、文春の協力者に、鋭い容疑の眼を注いでいたのである。言葉をかえれば、文春は、国家権力の前に縮み上って、自社の協力者を、官憲に売り渡したのである。さらにいえば、松本清張氏は、自分の著述の協力者を、全くかばおうとしなかったのである。
堂場記者の、この話の内容で明らかになったように、捜査当局は文春の自発的提供による「防衛官僚論」関係の支払伝票によって、文春の協力者に、鋭い容疑の眼を注いでいたのである。言葉をかえれば、文春は、国家権力の前に縮み上って、自社の協力者を、官憲に売り渡したのである。さらにいえば、松本清張氏は、自分の著述の協力者を、全くかばおうとしなかったのである。
私は、堂場記者を、かつての同僚として十分に知っているだけに、この話をそのままに評価している。すなわち、堂場記者の手を通じて、防衛庁の機密文書が流失したとか、さきごろの外務省員のように、いくばくかの金銭にかえるため、文書を持ち出したとかは思わない。
このようなウラ話を秘めたまま、当局は、防衛庁、警視庁ともに、捜査を打ちきって、さきのような処分の発表を行った。
影の主役に新聞記者
安全保障調査会の伏兵
さて、これらの処分が終った時期に、各方面に発送されてきたのが、前述の「安全保障調査会」の、『本会設立の趣旨に御理解をいただき、またその事業内容に御納得がいただけましたら、御入会下さいますよう、御願いいたします』という、案内状であった。
だが、防衛庁をはじめ、外務省、内閣調査室など、然るべき官庁の幹部と、十分な了解を持って、その資料を活用する段取りをつけていた「豊富な情報、調査網」のハズの、この「安保調査会」に、意外な伏兵があって、敢然と反対運動をまき起しはじめたのである。というのは自民党代議士の千葉三郎氏が、各関係官庁に直接電話をかけて怒鳴り込み出したのであった。
それは、同会設立趣意書の、筆者傍点部分、「優れた研究スタッフ」というのに目されているのが、読売記者で元防衛庁詰めであり、軍事評論家としても、一家言の地位を占めつつある堂場肇氏だと、千葉代議士は指摘するのである。
千葉代議士は、「堂場は三矢事件にも関係したアカだ。そんな奴に、各官庁の機密資料を出したら、それこそ、みんなツツ抜けぢゃないか」と、各役所の事務当局に、自ら電話をかけてきたという。(堂場氏の話)
千葉代議士は、「堂場は三矢事件にも関係したアカだ。そんな奴に、各官庁の機密資料を出したら、それこそ、みんなツツ抜けぢゃないか」と、各役所の事務当局に、自ら電話をかけてきたという。(堂場氏の話)
そして、堂場氏自身の言葉によると、千葉代議士のこのような積極的反対を受ける〝身の覚え〟は全くなく、もし、千葉氏のウラミを受けるとすると、警職法国会の当時、自衛隊を東京に集めて、院外デモに対抗せよと自民党の一部の声があったが、「自衛隊を自民党の私兵視するのは間違っている」旨の記事を書き、その記事の中に、千葉氏らの名前をあげたこと位だという。
堂場記者がアカというのは、もちろん、秘密党員だとかいうことではない。治安当局の「日共秘密党員名簿」にも、その名はない。千葉代議士クラスになると、自民党を批判するものはすべて〝アカ〟という大ざっぱな考え方であろう。
それよりも、私は、堂場記者の話の中で「松本清張氏の助手の大竹宗美氏」と、さらに「東京新聞の香原記者」という、二人の人物が明らかにされたことに、より興味を覚えていた。
治安当局の調べによると、松本氏の助手で、いわゆる〝松本機関〟と呼ばれる何人かのトップ屋がいて、これらが、松本氏のもとで取材執筆に当っていること。その中にはアカハタ日曜版などに執筆している、共産党員もいるということである。
私の調べでは、大竹氏は週刊文春に連載している、松本清張名儀の「昭和史発掘」をも担当している。出張校正(〆切間際には印刷会社にいって校正する)などでは、大竹氏が自由に加筆訂正したり、削除したりしているというので、これは大竹氏の著作ではないかと考えられる。「防衛官僚論」もまた、堂場氏は大竹氏にしかインタビュウされておらず、果して松本氏が筆を取っているかどうか、疑わしいということがいえる。つまり、松本清張という個人の著述ではなく〝松本清張工場〟の製品ということである。
香原記者は、〝陸士五十八期生〟と一般に伝えられ、そのため、自衛隊の制服組に同期生がいて、喰いこんでいるというのであるが、陸士卒ということはあり得ず、また、兵籍名簿にも該当はない。従って〝自称〟もしくは、誤伝である。が、事実、防衛記者としては、取材力のある記者である。
堂場氏の抗議に、香原氏が便乗(?)したという点から考えると、香原氏も、文春の謝礼支払伝票に名前があった人物と推測されるのであるが、同氏の話をきく時間的余裕が得られなかったので、真相は不明である。
一方、千葉代議士の情報参謀には、元東京新聞編集局次長であった、浅野一郎氏がいるのである。浅野氏は東京新聞の社会部に入り、政治部、論説委員を経て編集局次長で退社し、昭和三十八年の衆院選に、茨城から出馬したが落選した人物。千葉代議士の情報参謀は、東京新聞記者時代からだったとみられるが、香原記者の先輩である。
「三矢事件」が意味するもの
ここで、私の推理を述べると、堂場氏と香原氏とは、堂場氏が理論的で内局(内務官僚系)に強いのに対し、香原氏は行動的で制服(部隊系)に喰いこんでいた、共にA級の防衛記者であったということである。いうなれば、〝筆敵〟の間柄というのであろうか。それが共に、「三矢事件」の流出ルートとして、捜査当局の対象になった。そしておたがいが疑心暗鬼にかられ〝堂場はアカだ〟という情報が、香原—浅野—千葉の線に流れたのではあるまいか、ということである。
さらにまた、「安保調査会」の事業内容には、月刊研究誌「国防」の刊行がある。この辺にもまた、問題がひそんでいそうである。この雑誌は、同会によると「発刊以来すでに八年、わが国の防衛問題に関する、唯一の専門誌として、その存在を高く評価されていますが、今後はその編集を安保調査会が行い」とある。
つまり、防衛庁の共済組合の機関紙と見られていた「朝雲新聞」というのがあるが「国防」は同紙で編集し刊行していた。この「朝雲新聞」に社長と編集長との間の内紛があった。経営の乱脈といい、情報をもらすという、双方の主張はさておき、この編集長は、「朝雲」を去って、自衛隊の機関紙といわれる「隊友新聞」に投じた。「隊友新聞」は、制服の佐官が編集にタッチするほどのものであるから、発行部数も「朝雲」より多く、これこそ〝隊員の機関紙〟という。「朝雲」と「隊友」とは、その経営スタッフ、発生ともに、対照的であるだけに、対抗意識もあることは、十分察せられる。
堂場氏の意見は、「隊友」の紙面に対して、過激であるとして批判的である。そして、安保調査会の研究スタッフの一人に、堂場氏と並んで、「朝雲新聞」発行の下士官向け月刊誌「朝雲」の大倉編集長も加わっているのだから、「朝雲新聞」の社長対編集長の争いとからんで、やはり対立意識は抜けそうもない。その「朝雲新聞」が、経営難から(隊友新聞側の話)、月刊誌「国防」を刊行できなくなり、安保調査会へゆずったのだという。
このような、幾つもの事件と、トラブルとの経過の積み重ねとのあとで、そして、このような人と人とのつながりの上で、「安全保障調査会」はスタートした。ニュー・オータニのパーティ会場には、適量のアルコールが人々の談笑を誘って和やかではあった。
どんなメンバーが集まったか、また、どうして十一名の発起人が集まったか、財界の一流人が六名も名を列ねたか、の詳しい〝内幕〟には、ここで触れる必要はあるまい。
ただ各治安当局は、自衛隊の中央調査隊も含めて、ジッとこの「調査会」をみつめている。もちろん、筆者もかつて同僚だった堂場氏が、秘密党員であるとか、〝アカ〟だという意見には反対であるし、否定もする。
そして、面白いことには、治安当局であるところの、警察の外事、公安関係が会費を払って調査会の会員になっているということである。新聞、雑誌にある「愛読者」と同時に存在する〝憎読者〟のたぐいであろう。
そして、これからの「情報活動」は、すべて、ゾルゲ・スパイ事件と同じケース。政界人や財界人の、側近と呼ばれ、参謀と称される人たちと、それを取巻く〝記者〟たちが、主役にならざるを得まい。警察予備隊という名前と、そのスタッフとで出発した〝日本の新しい軍隊〟が、今、持っている性格をあまりにも、象徴した事件が、「三矢事件」であり、その「三矢事件」は、防衛庁と自衛隊との性格をそのままに持ち越して、今また「安全保障調査会」に、その姿をチラリと見せたのである。
「安全保障調査会」ばかりではない。もっと露骨に出てきたのが、四十三年春の「伊藤忠—防衛庁機密漏洩」事件である。そして、この時には、有吉久雄防衛研究所長から、「職務上保管していた『秘』の表示のある、『第二次防衛力整備計画事業計画案の概要』を閲覧させ」(読売記事)られた疑いで、朝日新聞篠原宏記者が登場するのである。
事件が表面化したのは、有吉氏の保管していた書類の表紙ナンバー(14-50)のあるコピーが、伊藤忠商事などの、商社関係に流れていたからである。いわゆる、総合商社といわれる貿易商社が、どんな形の〝商売〟をするのであろうか。話は少し旧聞に属するのだが……
第2章 米対外援助資金への疑惑
昭和四十年。〔三月九日ニューヨーク発AP〕米司法省は九日、米国東棉社ニューヨーク本社を含むニューヨークの貿易会社二社を詐欺罪で告発した。告発の理由は、米対外援助による南ベトナム、韓国向け資材について、米政府に偽りの申告をしたというもの。
第2章 米対外援助資金への疑惑
昭和四十年。〔三月九日ニューヨーク発AP〕米司法省は九日、米国東棉社ニューヨーク本社を含むニューヨークの貿易会社二社を詐欺罪で告発した。告発の理由は、米対外援助による南ベトナム、韓国向け資材について、米政府に偽りの申告をしたというもの。
「戦果はベトコン一人」
中古機械が新品に
さる四十年六月に行なわれた、アメリカの戦略爆撃部隊の、ベトコン根拠地への渡洋爆撃は、「戦果はベトコン一人」の珍ニュースとして全世界に流れた。ワシントン発のUPI電によると、この爆撃行の経費は、途中空中接触して墜落したB52二機の損害九百八十万ドルを含めて燃料費、人件費、爆弾の製造費など、総計二千万ドル(七十二億円)という。そして、ベトコン一人が殺された次第である。
このような計算は、アメリカならではの出来事であるが、ことほどさように、「戦争は高くつく」のである。高くつく戦争に比べれば安いというので、北鮮から在日北鮮系の団体である朝鮮総連に流されてくる資金は月額二十億円といわれている。この豊富な資金で、在日朝鮮人の教育、文化、政治工作が賄なわれ、一説によると、南鮮を占領すると同時に、総連の下にある各府県連が、そのまま南鮮各地の行政組織として、即日進駐できるよう、訓練されているとさえ、伝えられているのである。
このような時点で、韓国に対するアメリカの対外援助(AID=国際開発局)資金をめぐって、日本商社の関係した問題が相次いで明らかになってきた。問題そのものは、アメリカのタックス・ペイヤー(納税者)に関するものではあるが、それが「対外援助」であり、韓国に関するものである限り、日本商社が関係しているのであるから、ここに問題点を指摘してみよう。
一九六四年のDAC(開発援助委)加盟国の行った経済協力実績の総額は、約八十六億余ドル。このうち、アメリカは五六・二%を占めており、その莫大な対外援助資金が果してその本来の目的意義に、正しく投ぜられているかどうか。被援助国もしくは、米本国に於てすらも〝利権〟化されているのではなかろうかという、疑問を抱かせるニュースである。
前記のAP電は伝える。
「米国東棉と同社の二口機械部長(当時)は六三年十一月、韓国向け機械二十一品目を新品と申告して輸出し、米政府は三十六万四千八百ドル(一億三千百三十二万八千円)を支払ったが実際に機械は新品でなかった。また、ユナイテッド・スチール・アンドワイヤー社のグリーン社長は、南ベトナム向け鋼線七万ドル以上の、三分の一を積出しただけで、五万五千ドルを着服した。
もし有罪となれば、二口氏は最高懲役百五年、米国東棉は罰金二十一万ドル(七百五十六万
円)の判決を受ける可能性がある」