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赤い広場ー霞ヶ関 p.190-191 国際謀略の立役者メンシコフ

赤い広場ー霞ヶ関 p.190-191 The ECAFE conference was a place of intelligence and plot. Six of the Soviet representatives were organizers of spy work. And Menshikov came to Japan.
赤い広場ー霞ヶ関 p.190-191 The ECAFE conference was a place of intelligence and plot. Six of the Soviet representatives were organizers of spy work. And Menshikov came to Japan.

つまりモスクワ又は東京で、アメリカの援助なしに、日本独自でやるならば、日本全権団などはハダカ同然だというのである。

 鳩山放言を取上げて、重光外相にイヤ味をいってみたりしたが、〝短命の鳩山内閣〟では先を急がぬと危い。日本がどうしてもモスクワ、東京に同意しないとみてとるや、ソ側は直ちに次の手を打ってきた。

エカフェ会議に注目しなければならない。国際会議は〝諜報と謀略の場〟である。

エカフェは三月十五日から、大手町産経会館で、まず第七回産業貿易委員会が開かれた。このソ連代表ボルコフ団長以下十七名は、十四日早暁到着した。

ついで、三月二十八日から開かれた、エカフェ第十一回総会には、ソ連代表の現職駐印大使メンシコフ氏が来日した。この代表ははじめ、スパンダーレン外国貿易省東方局長であったのが、メンシコフ氏にすり替えられたもので、二十六日ひる羽田着で入京した。このお膳立のためには、すでに有力な日本通で、二十九年のエカフェにも二回もきているアデルハエフ氏(日ソ交渉の通訳)がおり、すべての基礎準備を整えていた。

エカフェのソ連代表十九名のうち、治安当局筋がその過去の在日間にチェックしていたのはアデルハエフ氏をはじめ、マミン氏(元代表部経済顧問で、二十九年にも来日)、ラージン、ゴル

ブコフ、アギーフ、ピチューギン氏ら六名もいるのである。これらのエカフェ代表が日本国内に滞在していた時期は、ちょうど日ソ交渉に関して、ソ連が沈黙を守っていた時期である。

そして、スパンダーレン総会代表が、メンシコフ大使にすり替えられたのである。そしてまたメンシコフ大使は、四月十日鳩山首相を訪問した。同日付朝日新聞夕刊によれば「メンシコフ氏は来日以来鳩山首相ないし重光外相に会見したいと、いろいろな筋を通じて働きかけていたが、政府としては日ソ関係が微妙な折から、これをためらっていた」という。

そして、鳩山首相に「第一案ジュネーヴ、第二案ロンドン」を提示したのである。

メンシコフ大使はその後、久原氏とも会見した。そしてソ側の提案を知った久原氏は、強くジュネーヴに反対して、ロンドンを主張したのである。

ジュネーヴは中立国である。中立国というのがまた、諜報と謀略の舞台であることは常識である。これはソ連にとって有利であるからこそ、ソ側の第一案はジュネーヴだったのである。

鳩山、久原両氏と会見して、来日目的を終ったメンシコフ大使は、十六日夜モスクワに向って、SAS機で飛立った。はじめの予定では、バンドンのA・A会議のため、インドへ帰るはずだったのであるが、鳩・メ会談が遅れたためであろうか。

鳩・メ会談で大体妥結の見通しをもったソ側では、十八日ソボレフ大使を通じて沢田大使へ

「ジュネーヴ又はロンドン」を回答してきたのである。

日ソ交渉に関してソ連の沈黙の時期と、多数の日本人スパイを手先に持っていた、在日経験のあるスパイ組織者のソ連エカフェ代表たちが、日本国内にいた時期とが符合するのは、果して偶然にすぎないだろうか。

赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 ロンドンはソ連の思惑通りか

赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?
赤い広場ー霞ヶ関 p.192-193 Was the confidential document of the Japan-Soviet negotiations passed to the Soviet Union via the UK? Is the Soviet Union and the UK cooperating?

鳩・メ会談で大体妥結の見通しをもったソ側では、十八日ソボレフ大使を通じて沢田大使へ

「ジュネーヴ又はロンドン」を回答してきたのである。

日ソ交渉に関してソ連の沈黙の時期と、多数の日本人スパイを手先に持っていた、在日経験のあるスパイ組織者のソ連エカフェ代表たちが、日本国内にいた時期とが符合するのは、果して偶然にすぎないだろうか。

こうして、二十日に英外務省の発表があって、ロンドンが決定した。

ニューヨークが容れられなかった日本にとって、ロンドンは次善の策であろう、しかし、モスクワ、東京、ジュネーヴが容れられなかったソ連にとっては、果してロンドンは次善以下のものであろうか。

世界に冠たるものは、英国の諜報機関であり、英国はアジヤにおいて、香港を軸として自由共産の両世界を結び、従って英国は対米という点では、ソ連と握手しているという原則と同時に、次の事実で読者の注意を喚起しておきたい。

日ソ交渉の最中のことである。外務省の某幹部が、暮夜ひそかに一名の英国人と会った。彼は日ソ交渉に関する、外務省、すなわち日本政府の機密文書をはじめ、各種の資料を提供してその英国人の意見を叩いた。

英国大使館員で、レッドマン二等書記官という、情報担当の日本通がいる。彼は日ソ交渉の

始まる前に濠洲に向けて、旅行に出発した。彼は濠洲で直に飛行機をのりかえて、ロンドンに向った。

レッドマン書記官がロンドンに到着して、ホンの数日後、マリク大使は急ぎモスクワに帰った。マリク大使が、モスクワからロンドンへ帰任して、日ソ交渉が始ったのである。

これらの時間的経過をみてみると、これもまた偶然の暗合であろうか。ソ連にとって、果してロンドンは、どのような価値を有するものだろうかと、これらの事実を、われわれ日本人はどう判断すべきなのだろうか。

三 鳩山邸の奇怪な三人

日ソ交渉で日本中が騒いでいた二月十六日のひるごろ、ドムニッキー元代表部首席は、チャソフニコフ二等書記官を伴って、第二回目の鳩山邸訪問を行った。

この訪問はド氏の裏口戦術といわれ、二月十七日付朝日「記者席」の記事によると「タクシーで音羽の鳩山邸にのりつけ、裏玄関から入った。それから数分、USSR第一号の元ソ連代表部の車が迎えにきて、ド臨時首席はこの車で帰ったが、警戒に当っていた連中も、ほとんど気付かなかったほどの早業」という。

どうしてド氏は鳩山邸の裏玄関まで知っていたのだろう。この記事を読めば、当然起ってくる疑問である。しかし、心配はない。案内役がいたのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 馬場機関の清水郁夫

赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, Ikuo Shimizu is a member of the Baba syndicate that made by Yusuke Baba, who is the agent of the US intelligence agency.
赤い広場ー霞ヶ関 p.194-195 It was Ikuo Shimizu who guided Domnitsky and Chasovnikov to the Hatoyama residence. According to Akahata, he is a member of the Baba syndicate under the control of the US intelligence agency.

しかし、心配はない。案内役がいたのである。

この時、車で乗りつけたのは三人連れであった。ド氏とチャ氏、そして残るもう一人は日本人であった。この日本人を目撃した治安当局の係官は、何者であろうと考えていた。すると、ド氏の到着を待ちかねたように、また一人の日本人が現れて、車から降り立ったド氏を、裏玄関へと案内した。

コツコツ。ドアをノックするまでもなく、扉は開いて、一人の日本人がド氏を迎え入れた。この三人目の男は、扉をしめると鳩山首相のもとへと案内していった。この男は多分二人の会見にも立会したのであろう。

この三人の日本人は、もちろん、華々しく話題となっていた、馬島、藤田、杉原、風見氏などのような人物ではない。無名人である。有名人は舞台の俳優のようなもので、視線をそこに集中させるための、ピエロである。

この〝奇怪な三人〟について、私もあまり正確な知識を持っていない。第一、この三人がある一つの意志のもとに、各人の間、或いは各人の背後で、連絡をもっているのかどうかさえ、私には分らない。

まず、第一の男。これは当局の係官が目撃している。そして以前からソ連代表部に出入りしていた男の顔と一致するので、当局ではこの男を「清水郁夫」と断定した。

清水郁夫という名前は、前々章の「先手を打つアカハタ」の項(四八頁)に登場してきている。そこで古いアカハタを調べてみた。「日本にもはびこる米諜報網、元皇族、国警長官も登場、破壊と陰謀の巣〝馬場機関〟」という大変な見出しの記事の中に、この清水氏が紹介されている。

この二十八年七月三日付のアカハタによると、米諜報機関の手先である、元上海特務機関員馬場祐輔氏の馬場機関員で、大正十三年生れのハルビン学院出身。しかも、二十七年四月一日号の日本週報で、「電源をスパイする二人の怪紳士」として紹介された男で、この時は、電産で活躍していたシベリヤ・オルグ宗像創氏をダマクラかして、日共の武装蜂起の危機宣伝のため、宗像氏を引張り出したほど悪質な男だと書いている。

こうして、一度アカハタに取上げられた清水氏が、再び「馬場機関の清水郁夫」として、アカハタに書かれ、しかも、ド、チャ両氏と同車して、音羽へ現れているのだ。

本人に会ってみた。『飛んでもない。私は馬場先生の秘書ではあるが、馬場機関などというものはない。あるとすれば、『秘書格の私一人が機関員です』といいながら、『音羽へ行ったなんて、何かの間違いでしょう。私は青二才で、そんなエラクないですョ』と笑う。

本人の語る経歴は、ハルビン学院卒、満州石塔の幹候隊在隊中、軍曹で終戦となった幹候十

三期生、ウォロシロフ付近の炭坑作業の収容所にいて、二十二年四月に引揚げてきたという。

赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 私の立場でいえない部分がある

赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 Ikuo Shimizu's father was a very important person leading to the Soviet Union. Only he among the nine comrades survived. Now, Ikuo Shimizu may be operating a famous politician.
赤い広場ー霞ヶ関 p.196-197 Ikuo Shimizu’s father was a very important person leading to the Soviet Union. Only he among the nine comrades survived. Now, Ikuo Shimizu may be operating a famous politician.

本人の語る経歴は、ハルビン学院卒、満州石塔の幹候隊在隊中、軍曹で終戦となった幹候十

三期生、ウォロシロフ付近の炭坑作業の収容所にいて、二十二年四月に引揚げてきたという。

私が調べてみたところでは、二十二年四月の引揚船の乗客名簿には、彼の名前が見当らなかった。

私はまた治安当局の係官に確かめてみた。

『本人は否定するけど、音羽に行ったのは本当に奴なのかい?』

『もちろん、間違いない。あの男なら、わしの方で前から調べていた男なんだ。大田区に住む清水郁夫に間違いないよ』

『しかし、それは奴の本名かい? 戸籍上の名前かい? 奥さんの品は良いし、子供もマトモな顏をしているし、どうみても、あんな裏長屋に住む人種ではないぜ』

『……。実はそこまでやってないンだ』

『何故、何故だい。本人が清水と称し、表札が出ていて、米の配給通帳が清水だからといって戸籍上の名前とは限らンだろう?』

『ウン、そうなんだ。……実は、本籍地照会をやろうとしたら、上の方で、しなくても良いッていうンだよ。内密だけど……』

『フーン。すると、ずっと上の方では、奴が何者だか分ったわけだナ!』

私はその係官と別れて、いわゆる〝治安当局のアナリスト〟に会った。

彼はいう。

『これは、発表されてもらいたくない部分もある話なんだ。しかし〝奇怪な三人〟がいたということまで調べられたのでは、参った。実はあの清水の父親は、大変なエライ(という意味は、社会的地位や名誉ではなく)人だったンだ。ソ連にカンのある人だ。彼の父だけが、同志九名のうちで生残ったのだ。

莫然とした話だが、私の立場でいえない部分がある。眼光紙背に徹して、声なき声も聞いてくれョ。

だから、清水郁夫に、ハバロフスク帰りだという噂も出たのだ。ともかく、彼の父の立場を受継いだ清水だから、ああいうこともできるのだ。

係官に、彼の黒幕に有名な政治家がいる、と聞かなかったかい? それが、果して彼の黒幕なのか、或はその政治家の方が彼の手先なのかも知らンよ』

本人に父親や戸籍のことをたずねた。

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 「第二、第三の男は?」

赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It ’s better not to touch it. You also have a wife and a child ... ”At that moment, a terrible ran through my spine.
赤い広場ー霞ヶ関 p.198-199 When I abandoned further research, the analyst told me. “It’s better not to touch it. You also have a wife and a child…” At that moment, a terrible ran through my spine.

『先日亡くなった母は、鹿児島にいました。もちろん、戸籍上も清水郁夫ですよ。父は大陸で働いていて、引揚げてきて亡くなりました』

黒幕とみられている有名政治家が、実は彼の手先なのだッて? では一体……

私は再びアナリストに会った。

『第二、第三の男は?』

『第三の男、これは、鳩山、ドム会談に立会っているはずだ。この男も自称清水というンだ。しかし、本名は頭文字Oで、某政党の大立物S氏の関係者らしい』

『そのOとかSとかの本名は?』

『それはいえない。第二の男、ド氏を裏玄関へ案内した男、この男の正体は、いまもって分らないンだ……』

『前にアタった当局の係官は、清水郁夫の身許を、トコトンまで調べないうちに、上から止められたといっていたが、これはどうしてなンだい? S氏の線かね?』

『それは、わしにも分らない。きっとズットズット上の方で、納得がいっているからだろう。役人は上のいうことは、何でもきかなきゃいけないからネ、服務規律にそう書いてあるヨ』

もはや、これ以上は私には調べられなかった。もちろん、訊ねてみたって、国警長官も警視総監も、正直に打明けてはくれない。或は、彼らだって、そのワケは知らないかもしれない。警察は法律の執行体であって、政治家ではないのだから……。

ともかく、私の得た結論では、この鳩山邸の〝奇怪な三人〟については、なみなみならぬ高等政治によって、登場させられてきた男たちだということであった。

私がこれ以上、〝奇怪な三人〟について調べることを断念したとき、口籠ってばかりいた例のアナリストは、ホッとしたような表情で、私にいった。

『よかったですナ。アレはさわらん方がいいですよ。貴方も、奥さんや子供さんがいるンだから……』

私は、瞬間、〝恐怖〟が稲妻のように、背骨を走り抜けたように感じた。

『エッ!』

ニコヤカに微笑んだつもりだったが、顔の筋肉は醜く硬張っていたらしい。

四 日本の〝夜の首相〟と博愛王国

日ソ交渉が具体的に動きはじめた、二十九年十二月から、二、三ヶ月前のことだった。

当時まだ警視庁記者クラブ詰だった私は、ある日女性の電話に呼び出された。

『実は、Q氏(米人)に関してお話を承わりたいのですが、御都合如何でございましょう』

第一回菊池寬賞を受けてから、「東京租界モノ」は読売の専売特許であった。この女性は、読売本社に電話して、それならば警視庁クラブの三田記者に聞けと教えられ、今、こうして私

を呼び出したのであった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.200-201 この女は逃さないぞ!

赤い広場ー霞ヶ関 p.200-201 An elegant woman about 27 or 8 years old visited me at the Metropolitan Police Department's kisha club. She wants me to provide information about an American.
赤い広場ー霞ヶ関 p.200-201 An elegant woman about 27 or 8 years old visited me at the Metropolitan Police Department’s kisha club. She wants me to provide information about an American.

この女性は、読売本社に電話して、それならば警視庁クラブの三田記者に聞けと教えられ、今、こうして私

を呼び出したのであった。

落着いた、慎しみ深いその話振りから、年配は二十七、八才と察しられた。そして、極めて礼儀正しい口調なのであるが、電話を切り終ってから気付いたことは、彼女は電話の礼儀である自分の名を名乗っていないということであった。

Q氏という(まだしばらくの間、仮名で呼んでおこう)米国人のことを、もっと詳細に知りたいという話なので『電話ではナンですから、クラブに訪ねていらっしゃい』といって、その電話を終った。

約一時間後、私はせまくるしいクラブの応接室で、彼女と相対していた。

『初めまして……。先ほどお伺いいたしましたこと、如何でございましょう』

私のカンはたがわず、ほっそりとした、二十七、八才の女性だった。慎重な、落着いた口の利きかた、礼儀正しい動作、いかにも教養のありそうな、理智美があふれていた。

化粧、服装、所持品、素早く一べつをくれた私は『初めまして……』の次に、自ら姓名を名乗らない彼女が、如何なる女性であろうかと、考えていた。

『わざわざお出を頂いて、私、三田です』

私は、反応をみるため、逆に改めて名乗った。彼女はモジモジとした。

『私、名前も申上げませんで……。甚だ勝手ですが、チョット事情がございまして……』

偽名を準備してこない点が気に入った。

——これは意外に面白くなりそうだ!

私は快活に笑った。

『イエ、構いません。その中、御都合が良ければ伺いましょう。で、Q氏のことですが、あれからすぐ社の資料部へ問合せまして、Q氏に関する新聞記事の切抜きを、集めておいてもらうよう、頼んでおきました。もうおっつけ返事が来るでしょうから、しばらくお待ち下さい』

——この女は逃さないぞ!

私はそう考えながら、彼女の正体をカギだす雑談をするため、時間を稼ごうと思って、ウソをついたのだった。

雑談の合間に私の質問が自然に織りこまれていた。こうして、約三、四十分。大丈夫もう一度逢ってくれるという、自信を得た私は『チョット、失礼』と席を外して、電話をかける振りをして、再びもどってくる。

『資料部に聞いてみましたら、その切抜きが倉庫に入ってるそうで、明日まで待ってくれとのことですが、宜しいですか?』

赤い広場ー霞ヶ関 p.202-203 彼女はフリーメーソンにいた!

赤い広場ー霞ヶ関 p.202-203 I checked the owner of this phone. "Masonic Building, 1 Shiba-Sakaecho, Minato-ku." The former imperial navy officer club, Suikosha became the headquarters of Freemasonry after the war and was called Masonic Building. ——She was at Freemasonry!
赤い広場ー霞ヶ関 p.202-203 I checked the owner of this phone. “Masonic Building, 1 Shiba-Sakaecho, Minato-ku.” The former imperial navy officer club, Suikosha became the headquarters of Freemasonry after the war and was called Masonic Building. ——She was at Freemasonry!

これで私と彼女の第一回は終った。結論として彼女はQ氏も含めた外人のグループに関係しており、相当地位の人の秘書役らしいこと。そして、彼女の主人格の人のうちの一人は、Q氏と対立的立場にあり、あまり気の進まない彼女に、Q氏にとって不利な資料の収集を命じたが、彼女はその争いにまきこまれたくないらしいこと、などが判った。

ランデヴーは、翌日午後四時半、日比谷のラストヴォロフ氏もよく利用した、高級喫茶店と決った。

奇妙な逢曳だった。しかし、アヴェックの多い喫茶店での話だけに、前日よりは大分話がホグされてきた。私は時々、新聞記者の職業意識を丸出しにして、無遠慮な質問を浴せてみた。彼女は、悲しそうな表清で、私を押えていった。

『お願いだから、そんなことをお聞きにならないで……。申上げられれば、申上げますから』

『ハイ、ハイ。ごめんなさい』

私はふざけてみせて、笑った。

その日、私はQ氏の関係先が、警察当局のお手入れをうけた記事を二、三枚持っていって、まだこれしか見つからないといった。そして、次のランデヴーの約朿をした。

私はあせらなかった。ましてや、尾行をするなどという、拙策は考えなかった。もしそのよ

うな背信行為を気付かれたら、一切が終りだからだ。

三回目の逢曳で、私は提案した。

『ネ、良い友だちになろうぢゃありませんか? 友人として付合って下さいョ』

『エエ、いいですわ。ただし、私の立場について、質問はもちろん、記者的な一切の関心を持たないという、約束さえ守って下されば……』

『いいですよ。是非お願いします』

こうして何回かの逢曳がつづけられているうちに、私はついに彼女の身許を割りだした。ある日、彼女が自分の事務所に電話するとき、そのダイヤル数字を読み取ったのである。

私は飛び立つ思いで、この電話の所有者を調べてみた。港区芝栄町一、マソニック・ビル

元帝国海軍の将校クラブであったこの水交社は、戦後フリー・メーソンの本拠となって、マソニック・ビルと呼ばれていた。

——彼女はフリー・メーソンにいた!

これで一切が読めた。Q氏もまた、メーソンの三十二階級という高位にある。Q氏の悪事を調べるということは、極東支部の幹部間に内紛があるということだ。

Q氏は米軍の軍曹で、現地除隊をして日本に住みついてから、メーソンに入り異例の出世で 三十二階級まで上っていった人物だ。

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 今日限りで何もかもお終いです

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.
赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.

Q氏は米軍の軍曹で、現地除隊をして日本に住みついてから、メーソンに入り異例の出世で

三十二階級まで上っていった人物だ。しかし、いろいろと問題の多い人で、彼の出世を快く思わぬ他の幹部が、彼を蹴落すための資料に違いない。

しかも、東京租界はクラブ・マンダリンの国際バクチでお馴染みの、マニラのギャンブル・ボス、テッド・ルーイン氏の一の子分、モーリス・リプトン氏もメーソンで、このマソニック・ビルに住んでいたではないか。

私はこのメーソンの幹部の対立が、何に原因するのか知りたかった。重大な問題であるからだ。今、自由、共産と二つの世界に分れた地球上で、思想も政治も、国境も国籍も越えて結ぶ紐帯は、ユダヤのフリー・メーソンであるからだ。まず第一報として、渋谷のフォーリン・ビジネスメンズ・クラブの国際バクチの、公判の成行にひっかけて、Q氏行状記の記事を書いたのだった。

続いて、この背後にあるメーソン幹部の対立を取上げようとして、忙しく働らいていたある日、珍らしく彼女から電話があった。夕食を御一緒にしたい、という話だった。願ったり、叶ったりである。

その夕べ、私は彼女と二人で銀座のある地下室の、高級レストランで、たのしい夕食をとっていた。

彼女の招待だから、食事が終ったら、別の場所へ誘って、ゆっくり話をきこうと考えながら、それでも、

『Q氏の記事、みた?』

と、親し気な口調でたずねたりした。

デザートが終り、コーヒーをほして、サテと立上った。御馳走様と礼をのべて、誘ひの言葉を続けようとしたとき、彼女は、犯し難いほど、重々しい気品にみちた表情に変った。

『やっぱり、私たちは、お友だちになれませんでしたワ。……ネ、今日限りで、何もかもお終いです』

『エ? だって……』

『何にも仰言らないで…。貴方に何も彼もお話してあげたい。貴方のその喉元まで、何故、何故、何故という声が、いっぱいに詰っているのが、眼に見えるのです……。

しかし、私にはそれができません。そして、私も、貴方とお別れしなければなりません。新聞記者でありすぎる貴方と、メーソンの幹部のことを知りすぎている私とは、お友だちでいることさえ、おたがいにとって不幸なのです』

私は立ちすくんだまま、彼女の差出した別れの握手に応えていた。

『それから、Q氏のことはもう不用です。御手数をかけました。……では、サヨウナラ』

赤い広場ー霞ヶ関 p.206-207 鳩山首相がフリーメーソンで特進

赤い広場ー霞ヶ関 p.206-207 This Masonic story did not seem so important at the time, but it appeared before me when the negotiations between Japan and the Soviet Union started.
赤い広場ー霞ヶ関 p.206-207 This Masonic story did not seem so important at the time, but it appeared before me when the negotiations between Japan and the Soviet Union started.

私は立ちすくんだまま、彼女の差出した別れの握手に応えていた。

『それから、Q氏のことはもう不用です。御手数をかけました。……では、サヨウナラ』

こうして、彼女は去っていった。妖しいナゾに包まれた出現であり、凍るような威圧を示した別離であった。僅か二、三週間、私はそれ以後、彼女に逢っていない。

このフリー・メーソンの物語は、当時はそれほど重要なこととも思えなかったが、日ソ交渉が始まってみて、ハタと思い当らせられることとなって、私の前に現れてきたのであった。

三十年三月二十六日の各紙夕刊は、鳩山首相がフリー・メーソンで二階級特進したことを、写真入りで報じている。一番詳しい産経の記事を引用しよう。

二十六日あさ東京音羽の鳩山首相邸に、ハル国連軍司令官、オシアス元比国上院議長、小松隆日米協会長、ヒメネズ、ヴェネズエラ公使など、内外の知名人が紫、緑など色とりどりの肩掛けや、前掛けをつけて風変りな儀式が行われた。

これは世界に六百万人の会員をようする友愛団体フリー・メーソンから、クリスチャンであり、同会の日本支部会員である鳩山さんに、二階級特進のマスター・メーソンの称号を贈ったもの。

この日のため、わざわざオシアス元上院議長ら、五人の比国支部役員が来日、白い羊皮の前掛けをしめて、鳩山さんもいささか照れくさそうだったが、早くも同邸にはトルーマン前大統領ら、世界の有名人からひっきりなしに祝電が舞いこんでいた。

そして、またもう一つは、フィリピン付近に現れた「博愛王国」のニュースである。これについては、週刊朝日七月三日号が詳しく伝えているので、それを引用する。

「ヒューマニティ王国」というのが、フィリッピンのパラワン島沖に出現して、夏の話題をにぎわしている。ほんとにあるのだろうか、それともウソなのだろうか。

一通の奇妙な手紙が、とびこんだところから、この話は始まる。「日本帝国市民ジョージ・笠井重治氏を、ヒューマニティ王国連邦の、日本駐在総領事に任命する。この地位は、国際的に領事が持つと同様の特権を、日本に対して持つものである。

一九五五年五月二十七日

ヒューマニティ王国連邦国王 ウィリス・アルヴァ・ライアント

同国外務長官 ヴィクター・L・アンダーソン

発信地はフィリピンの首府マニラ郵便局の私書函、この手紙に丸い金色のシールがはりつけられている。シールのふちにはグルリと、こんな文章を刻んであるのが読みとれる。

East is west and west is east and I am the twain that will make it so.

(東は西、西は東、われこそはそれを結ばんとする二なるもの)

文学にくわしい人なら、この文章が、英国の詩人キップリングの有名なことばを、うらがえしたものだと気付くだろう。

East is east, and west is west, and never the twain shall meet.

(東は東、西は西、二つはついに相見ゆることあらじ)

赤い広場ー霞ヶ関 p.208-209 鳩山、オシアス、笠井、シャタック

赤い広場ー霞ヶ関 p.208-209 Osias, who had promoted Hatoyama to the Masonic third class, asked Juji Kasai to become the Consul General. He also asked Kasai's acquaintance, Al Shattuck to become a consul. Everyone is a freemason.
赤い広場ー霞ヶ関 p.208-209 Osias, who had promoted Hatoyama to the Masonic third class, asked Juji Kasai to become the Consul General. He also asked Kasai’s acquaintance, Al Shattuck to become a consul. Everyone is a freemason.

East is west and west is east and I am the twain that will make it so.

(東は西、西は東、われこそはそれを結ばんとする二なるもの)

文学にくわしい人なら、この文章が、英国の詩人キップリングの有名なことばを、うらがえしたものだと気付くだろう。

East is east, and west is west, and never the twain shall meet.

(東は東、西は西、二つはついに相見ゆることあらじ)

この手紙の受取り人、笠井重治氏は、戦前山梨県選出の代議士で、戦後は当選一回、落選三回、現在は民主党に属し、フィリピン友の会理事である。

笠井氏は今年四月、オシアス氏が来日したとき、フィリピンのパラワン群島の西方、南支那海の小島に、Kingdom of Humanity(ヒューマニティ王国)と名乗る国があり、日本との国交を望んでいる。君、一つ領事になってくれないかといわれた。オシアス氏だけに、私も引き受けることにした。

オシアス氏が、今年四月に来日したのは、オシアス氏が所属するフリーメーソンの第三階級を、鳩山首相に授けるためだった。

フリーメーソンとは、国際的な半宗教団体で、日本でも戦後に支部が結成され、前参院議長佐藤尚

武、元王族李垠、日米協会長小松隆氏、それに笠井氏など約五十人がメンバーとなっている。オシアス氏は、フリーメーソンの中での最高位である三十三階級を持ち、笠井氏はこれに次ぐ三十二階級だという。オシアス氏は、日本へ来る前に、すでに「ヒューマニティ王国」の、フィリピン駐在名誉公使を引受けており、フリーメーソンの関係で親しかった笠井氏に総領事を、同じく笠井氏の知人で、保険業を営んでいる米人アル・シャタック氏に領事を依頼した。

そしてもう一つは、六月十四日午後、大挙羽田へ降り立ったMRA(道徳再武装運動)国際使

節団の一行である。一行はアメリカのミシガン州で行われた、MRA世界大会に出席したあと、アジヤ、中近東諸国を親善訪問のため来日したもので、風刺劇〝消えゆく島〟を東京で三日間、大阪で二日間公演したのち、二十二日台湾へ向った。

これについて、六月十七日付朝日の「素描」欄は、次の通り述べている。

MRAの一行二十数ヶ国民百八十名がやってきて、〝大デモ〟をやっている。デモ祭典の中心は「消えゆく島」上演で、これは東の勤労者独才国と、西の民主国のいがみ合いから融和への、政情風刺のコミック・オペレッタだが、なかなかよくできている。

目先が変っているので、見ていてつりこまれる。そこが〝目的〟でもあろうが、これまでの宗教にも、政治にもないデモの様式である。最も国際的で近代的に大衆に訴える力がひそんでいる。

東京公演がすむと、大阪、そして中近東までいくという。それにしても、入場無料で上演しまくる。

このメムバーの資金やヒマは、どこから出るのだろう。貧乏な日本人にはちょっと気になる。

このような現象をどう眺めるか。その一つ一つをみれば、いずれもまっとうな話で、少しも不思議ではない。しかし、私はこれらの現象を、シネラマ風に眺めてみたい。

第一に「博愛王国」の話である。笠井氏の総領事と同時に、その知人の保険代理業R・シャタック氏が領事に任命されたという。

R・シャタック氏について語ろう。氏は冒頭に述べた仮名のQ氏その人である。氏については、二十九年九月十五日付読売の記事を引用しよう。

赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 なぜ鳩山は特進したのか

赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 Shattuck was an undercover agent at the Canon Unit. After the return of Major Cannon, he managed Canon's accumulation. Shattuck joins Freemasonry and connects with Ted Lewin and Maurice Lipton.
赤い広場ー霞ヶ関 p.210-211 Shattuck was an undercover agent at the Canon Unit. After the return of Major Cannon, he managed Canon’s accumulation. Shattuck joins Freemasonry and connects with Ted Lewin and Maurice Lipton.

第一に「博愛王国」の話である。笠井氏の総領事と同時に、その知人の保険代理業R・シャタック氏が領事に任命されたという。

R・シャタック氏について語ろう。氏は冒頭に述べた仮名のQ氏その人である。氏については、二十九年九月十五日付読売の記事を引用しよう。

シャタック氏は、まだ三十前の若さだが、横浜の港湾輸送部隊の憲兵軍曹出身で、キャノン機関のキャノン少佐に可愛がられ、その機関要員として活躍していた。ところがキャノン少佐の帰米後、除隊してフリー・メーソンに加入、そこでルーイン氏の子分のリプトン氏らを通じて、ルーイン氏を知り、キャノン機関時代の腕を買われて、ル氏の腹心の一人になったという。

キャノン少佐が、密輸や隠退蔵物資の摘発などで職務外にかせぎためた私財のうち、日本へ残したものは貴金属、宝石をはじめ時価約五億円といわれ、これの管理に当っているのがシャタック氏で、さらにキャノン少佐の両腕といわれるビック・松井、グラスゴー両元准尉が、交代に二カ月に一度ぐらいの割で来日し、その会計監査をやっているといわれる。

またシャ氏はフリー・メーソンの極東最高責任者マイク・リビスト氏に可愛がられて、入会後数年にして三十二階級という高い地位にまで進んでいるので、当局ではシャ氏を中心とするフリー・メーソン、アメリカ特務機関、国際トバク団などの関係に重大な関心をもって捜査を進めている。

つまり、ナゾの女性が別れの言葉にいった、『Q氏のことはもう不用です』というのから考えると、シャタック氏を除こうとした動きには、終止符が打たれ、同氏はかえって確実な地位を占め、日本領事にまで任命された、とみるべきであろう。

「博愛王国」というのが、フリー・メーソンを背景とした王国らしいことは、フィリピン名誉公使が、三十三階級のオシアス氏であり、笠井、シャタック両氏とも、三十二階級であることでも、また、同国のシールの囲りの文字からも、容易に想像できよう。

そしてまた、オシアス氏は、例の〝フィリピンの夜の大統領〟テッド・ルーイン氏の後援者であり、ルーイン氏の子分、リプトン氏もまたメーソンである。

日ソ交渉のさ中に、鳩山首相がメーソンの最下位から二級上って、第三階級になり、その儀式にオシアス氏が来日した。首相の特進記事には、何故二階級特進したかが、少しも明らかにされていない。

前記産経の記事には〝友愛団体フリー・メーソン〟とあるが、メーソンは階級性の強い半宗教秘密結社であり、単なる友愛団体でないことは、今日ではもはや常識であろう。

では、何故、鳩山首相は二階級特進したのだろうか、どうして、その理由が公表されないのか。日ソ交渉の功により、と考えるのは、うがちすぎであろうか。

極東のフリー・メーソンの中に、日ソ交渉についての二つの意見が対立していた。それが二十九年秋ごろのことである。オシアス氏は三十三階級でもあり、一方の意見の旗頭であった。

反対派はオシアス氏直糸の、シャタック氏が、バクチ打の仲間であることを理由に、オシア

ス系勢力を叩こうとした。そして、私の逢った〝ナゾの女性〟に、その資料収集を命じた。しかし、オシアス派は強かった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 一国の宰相が下から三階級

赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 In the fall of 1952, I was investigating a Masonic Jewish trading company in connection with the "Tokyo Concession". At that time, I wondered, "Where will the profits of millions of yen earned from many crimes go?"
赤い広場ー霞ヶ関 p.212-213 In the fall of 1952, I was investigating a Masonic Jewish trading company in connection with the “Tokyo Concession”. At that time, I wondered, “Where will the profits of millions of yen earned from many crimes go?”

極東のフリー・メーソンの中に、日ソ交渉についての二つの意見が対立していた。それが二十九年秋ごろのことである。オシアス氏は三十三階級でもあり、一方の意見の旗頭であった。

反対派はオシアス氏直系の、シャタック氏が、バクチ打の仲間であることを理由に、オシア

ス系勢力を叩こうとした。そして、私の逢った〝ナゾの女性〟に、その資料収集を命じた。しかし、オシアス派は強かった。

私が、ウダウダと引延しているうちに、この暗斗に決が下った。オシアス派が勝った。それは、或は「博愛王国」のライアント国王の決であったかも知れない。

そして、予定通り、日ソ交渉は滑り出した。最下級鳩山一郎氏の功績である。かくて、論功行賞が行われた——これが、私の白日夢であれば、幸いである。

朝日の「素描」氏は、MRAのデモをみて感心しながらも、『こんな金と暇はどこからでるのだろう』と疑問を感じている。まさに「素描」氏が感じたのと同じ疑問を、私は二十七年秋の東京租界の取材中に感じた。

米国籍人であるメーソンのユダヤ人商社についてである。脱税、ヤミドルなど、悪事の限りをつくして稼いだ、何億何千万円という利益が、彼らのどこに入っていくのだろうかということである。

これをMRAと結びつけて考えることは、果して不謹慎であろうか。

本筋へもどろう。ソ連政府にも、またアメリカにも、英国にだって、メーソン会員は多い。先ほど紹介した英国のレッドマン氏も、お名前から考えるとユダヤ系のように思えるが。……

私は、メーソンについても、MRAについても正確な知識を殆ど持っていない。従って誤りがあれば許して頂きたい。

しかし、メーソンに階級があるからには、階級の必要があるのであろう。一国の宰相が下から三階級ということは、一体どういうことだろう。旧軍隊でいえば、上等兵である。見習士官を加えても、元師は第十九階級である。メーソンに命令に対する服従の義務があるならば、鳩山首相は困られはしないだろうか。

鳩山首相は、われわれ日本国民の首相である。決して「博愛王国」や、「消えて行く島」のアイラブミー国や、ウイへィチウ国の、上等兵でもなければ、外交官補でもない。

近くバンコクで、極東フリー・メーソンの大会が開かれる。もちろん、メーソン大会などとは名乗らない。果して日本代表として、彼の地へ現われるのは誰であろうか。

メーソン会員として、名の出ている日本人の最高位は、笠井氏と同じく三十二階級である。では、日本人で三十三階級の人物はいないだろうか。

もし、私の判断が誤っていれば、読者にお詫びしたい。頭文字Kの人、この人こそそうではないかと思う。

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 スパイは奇異なものではない

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union---is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?
赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union—is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ

ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

日ソ交渉のかげに蠢くもの——それは果して、かいらいを操るシベリヤ・オルグか、フリー・メーソンか、或はまた、元キャノン機関シャタック氏を先頭とする米CIAか、或はさらにまた、レッドマン氏に代表される英国秘密機関か?

いまや、われわれの首都東京は、諜報と謀略の渦巻く、トオキョオ租界と化してしまった。

スパイ事件が起ると、世の知識人たちは必らず『日本にスパイされるような、機密があるのかい?』と、皮肉まじりにいわれる。そしてまた、各主管大臣たちは、国会で『秘密はありません』と、答弁する。

確かに、現在の日本には、法律に定めた国家機密はない。MSA兵器の秘密保護法、駐留軍秘密の刑事特別法の両法が、指定する秘密は要するに、アメリカの秘密であって、日本の秘密ではない。

では、一体ラストヴォロフ氏は、日本から何をスパイしていたか? 個人的にいえば、日暮氏を通じては、欧米局ロシヤ課に集まる、各地の大、公使館からのソ連情報、駐在国のソ連観や、大、公使などの情勢報告書、および本省のそれに対する見解などがある。また、内調に集る元国警や、検察庁、警視庁、防衛庁など治安機関をはじめ、労働省、運輸省、文部省など、一般行政官庁からの国策決定の各種治安情報文書をみることができたので、それらだろうという。

庄司氏は、駐留軍のキャンプ設置場所、宿舍の設備など、駐留軍との外交接衝やら、米軍と防衛庁との連絡事項が担当だったので、同様それらがラ氏の役に立ったとみられる。

これでも分る通り、また私が第一集「迎えにきたジープ」から、全篇を通して主張してきた通り、スパイとは決して奇異なものではないということ。つまり、大使館に忍びこんで、金庫から機密書類を盗む、といったような、大時代的なものではない。

どんな片々たる、頭も尻尾もない話でも、それが、組織的に処理される限り、重大な事実を示す〝情報〟であり、この情報を、意識的、系統的、に集めることが「諜報」であるということである。

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。

赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 情報と謀略なく国は存立できず

赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 "There is no diplomacy without information," said a Foreign Ministry bureaucracy. However, the times have already come to a point where "a nation cannot exist without information and plot".
赤い広場ー霞ヶ関 p.216-217 ”There is no diplomacy without information,” said a Foreign Ministry bureaucracy. However, the times have already come to a point where “a nation cannot exist without information and plot”.

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。

『情報なき外交はあり得ず』と、外務官僚は大見得を切るが、時代はすでに『情報と謀略なくしては、一国の存立はあり得ない』ところにきているのである。

今まで述べた米、英、ソ三国の情報機関の仕事をみてみれば、それは充分うなずけよう。

七月八日付の各紙によれば、政府は、内閣調査室に〝特高的〟調査は行わしめないようにしたという。当局者はいたずらに〝特高〟という言葉の、ニュアンスのみにとらわれて、迎合的であってはならない。

また、七月十日付読売夕刊の、マーク・ゲインのワシントン日記、「原子力時代のスパイ戦」にも、主役は科学者になると述べられている。事実〝静かなヴォルガの流れ〟とでもいう、一枚の観光写真さえあれば、この写真を立体化して、はるかの対岸にうつる工場の屋根だけからその工場の規模、内容、能力までが計算され得る時代である。

為政者は諜報と謀略という、古い言葉のみてくれだけにかかずらわって、今、なすべきこと

を見失ってはならないと信ずる。

ラ氏と志位氏の最初のレポは、東京は目黒の碑文谷警察署の裏手の住宅街の路上であった。少し早目にきて、佇んでいた志位氏は、パトロールの警官に職務質問を受けた。

ハッとして狼狽しかけたところへ、運良くラ氏が近づいてきた。早くも情勢を察知したラ氏は早口の英語でパトロールの警官を叱りつけたのである。英語を話すのはアメリカ人で、アメリカ人は味方である、という単純な考え方をした警官は、志位氏に『失礼しました』と謝って去っていってしまった。

同様に三橋事件のさい、ソ連スパイなら共産党員と思った国警都本部が、別人の三橋氏を追っていたこともある。

もし、碑文谷署のパトロール警官が、もっと自己の職務に忠実であり、自信を持っていたらラ氏と志位氏は、眼と鼻の同署に同行され、ラ事件は別の形で発展したかも知れなかったのである。

あらゆる国際犯罪の根が、暗黒都市「香港」にあることから、以前の国警では、香港に駐在官をおいて、情報入手の便宜を図り、国内の犯罪検挙の能率をあげようとした。ところが、何回申請しても、香港政庁はヴィザを出さない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.218-219 アナリストはこう答えた

赤い広場ー霞ヶ関 p.218-219 I have recently obtained information that seems very rude and inaccurate for the PM. The reason is that he makes a donation to Prime Minister Hatoyama for 2 million yen every year.
赤い広場ー霞ヶ関 p.218-219 I have recently obtained information that seems very rude and inaccurate for the PM. The reason is that he makes a donation to Prime Minister Hatoyama for 2 million yen every year.

あらゆる国際犯罪の根が、暗黒都市「香港」にあることから、以前の国警では、香港に駐在官をおいて、情報入手の便宜を図り、国内の犯罪検挙の能率をあげようとした。ところが、何回申請しても、香港政庁はヴィザを出さない。

つまり、香港を根拠地とする英国秘密機関は、日本の警察官が香港に駐在して、的確な情報を入れて、〝東京租界〟の国際犯罪を撲滅することは、彼らにとって工合が悪いらしいとしか判断できないのである。

国警では、結局、軍事情報官という肩書で、桐山統計調査課長をパリに駐在させたが、これでは全く、隔靴掻痒である。警察官を外国へ出した意義は全くない。

日本が独立国であるならば、軍隊ももたねばならない。国家機密保護法も、スパイ活動防止法も、必要悪としてもたねばならない。入国管理令とか、外国人登録法とか、インチキな抜け穴だらけの法律は止めて、外事警察の準拠法令も整備しなければならない。

もちろん、国家の命運を司どる、情報機関も整備、拡充しなければならない。

そして〝東京租界〟の名を払拭して、首都東京として、誇らしい街を持ちたい。

現在、世界の各独立国が持っているのと、同様の外事諸法令をもち、同様の情報機関をもつことが、どうして、独立国である日本にとっていけないことだろうか。

私は最近、首相にとって非常に失礼な、そして確度が低いと思われる情報を入手した。その 情報というのは、例のバクチ打のモーリス・リプトン氏が、自由に日本に出入している。 理由は、彼が鳩山首相に毎年二百万円宛献金しているからだ、というのである。私はそのニュ

ース・ソースに『そんな馬鹿な!』と、一笑に付そうとしたところ、彼は真剣になって、『ウソか、ホントか、もうしばらくしたら、事件になってきますから、見ていなさい』という。

私はこの話を、治安当局に持ちこんで、その鑑定を乞うと、アナリストはこう答えた。

『エ? それは逆ですよ。首相が二百万円宛リプトン氏を通じて献金しているのですよ。私の方にはそういうふうに入ってます』

いずれにせよ、この情報は全く確度ゼロと思いたいことである。私のような若輩の、老宰相に対する敬愛の念と、人間としての礼儀とからいっても。

赤い広場ー霞ヶ関 p.221 あとがき 「真実」を伝える

赤い広場ー霞ヶ関 p.221 Afterword The only reason I wrote this book was because I thought that the "truth" had to be made known to as many people as possible.
赤い広場ー霞ヶ関 p.221 Afterword The only reason I wrote this book was because I thought that the “truth” had to be made known to as many people as possible.

あとがき

この数冊の「東京秘密情報シリーズ」は、私のライフ・ワークにもと願ってまとめあげたものである。それだけに、大袈裟にいうならば、私の十年余の記者生命をかけているつもりである。また、いろいろの意味の反響は、充分覚悟もし、計算にも入れているつもりである。

私に、この著をまとめさせたものは、ただ一つ、「真実」をできるだけ多くの人に知ってもらわねばならない、という気持である。

「真実」を伝えるということは難かしい。私が長い間お世話になっている読売新聞の『われらは真実と公平と友愛を以て信条とする。それが平和と自由に達する道であるからだ』という信条は、実に立派な言葉である。これをみる時、私は顧みて恥しい思いのすることがある。しかし、この著での「真実の追及」という、私の根本的な執筆態度は認めて頂きたい。

「真実」を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。それによって不利益を受ける人たちの反撃は、実際に恐いのである。私も本音を吐くならば、この著を公けにするこ とはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 日本の戦後十年史の一断面

赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 This "Red-Kasumigaseki" reveals that the "hidden world" is not a fiction, but a real world, moving around a well-known influential person.
赤い広場ー霞ヶ関 p.222-223 This “Red-Kasumigaseki” reveals that the “hidden world” is not a fiction, but a real world, moving around a well-known influential person.

「真実」を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。それによって不利益を受ける人たちの反撃は、実際に恐いのである。私も本音を吐くならば、この著を公けにするこ

とはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮んでくる。しかし、「真実を伝える」ということのため、私は勇気を奮って関係者の名前を実名で登場させたのである。御迷惑をおかけした向もあることと思うが、私の微衷を汲まれ、御寬恕あらんことをお願いする次第である。

戦後の十年。この十年間ほど、日本が激しく大きく揺れたことはないだろう。そして、私はその十年間に新聞記者として育ち、いろいろのことを見聞きしては、丹念にメモと資料とを貯めこんできたのだった。そして、私にとって幸いだったのは、私は一貫して公安関係(左翼、右翼、外事)の取材を担当できたことであった。その意味では、この著は日本の戦後十年史の一断面でもある。

敗戦という始めての経験に引きつづき、外国軍隊の占領、自由世界との講和と、共産世界との休戦という、事実上の「半独立」をも味わうなど、国際的な訓練の全くなかった日本民族は、この十年間に、或は本土で占領軍に阿ユ迎合したり、反抗したり、或はまた外地で捕虜となったりして、投獄され、忠誠を誓い、混血児を生むなど、男も女も数限りない辛惨をなめてきたのであった。——そして、日本民族は成長した。国際的鍛錬を受けたのである。

民族としての優秀性を信じ、民族としての誇りを取戻したわれわれは、平和を愛する国際人

として、世界に対して、新しい眼を見開きつつあるのだ。しかし、その希望に燃えあがる瞳に、まださえぎられたままでいる、〝隠された世界〟がある。

諜報と謀略の世界である。われわれが、自由と平和とを、こよなく愛する国民として、国際人として、明るく生きてゆくためには、この〝隠された世界〟までを見通す、叡智と聰明さとを必要とする。

この「赤い広場—霞ヶ関」は、その〝隠された世界〟が、決して絵空事ではなく、誰もが知っている知名人の身辺で、現実に動いているのだということを、明らかにしたものである。

しかもそれは、米英ソ、国府と中共、南北鮮といった、対立する二つの世界がそれぞれに入り乱れており、ただ単に動いているばかりでなく、それぞれの国に有利な情勢を作りだすために、日夜を分たず必死になっている姿を、読者に良く理解して頂きたいのである。

他の印刷物の引用の多いことが、私自身でも眼障りであるが、これは、「真実」を伝えるため、私自身が確かめ得なかったことを、一般的に信じ得る刊行物に拠ったためである。この全文は、私が確認した事実と、いわゆる〝信ずべき筋〟の資料と、何の関係もないようにポツンポツンと現われてくる現象とによって、成り立っている。ウソも誇張もない。

この集を手にされた方は、是非、第一集「迎えにきたジープ」も、読んで頂きたい。この日

ソ交渉にいたる経過は、終戦時のシベリヤにさかのぼらねば、本当に理解できないのだから。

赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint

赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint Red-Kasumigaseki July 30, 1955 1st printing issue ¥ 130 Author: Kazuo Mita Publisher: Hiroshi Noroyama Publishing house: 20th century company 3-13 Kanda Jimbocho, Chiyoda-ku, Tokyo TEL 33 4356 Printer: Seiichi Niikura Bookbinder: Tanishima bookbinding We will replace missing pages and random pages.
赤い広場ー霞ヶ関 p.224-奥付 Imprint Red-Kasumigaseki July 30, 1955 1st printing issue ¥ 130 Author: Kazuo Mita Publisher: Hiroshi Noroyama Publishing house: 20th century company 3-13 Kanda Jimbocho, Chiyoda-ku, Tokyo TEL 33 4356 Printer: Seiichi Niikura Bookbinder: Tanishima bookbinding We will replace missing pages and random pages.

この集を手にされた方は、是非、第一集「迎えにきたジープ」も、読んで頂きたい。この日

ソ交渉にいたる経過は、終戦時のシベリヤにさかのぼらねば、本当に理解できないのだから。

そして、この著によって、外国に対する新しい見方が生れることを願い、それが日本のために何らかの形で益するならば幸である。

なお、お断りしておかねばならないのは、この著はあくまで私個人の責任において、私の記者生活メモを整理したものであって、読売新聞記者という責任で書いたものではないということである。従ってこの著によって起きてくる問題の一切は、読売新聞社には全く関係がなく、すべて著者個人の責任である。

昭和三十年七月    四巨頭会談の日

三田和夫

著者略歴

大正9年  盛岡市に生る・日大芸術科卒

昭和18年 読売新聞入社・社会部記者となる

昭和22年 シベリヤより引揚・復職

法務府・国會・警視庁各記者クラ

ブを経て、現在通産省・農林省記

者クラブ詰

赤い広場—霞ヶ関

昭和30年7月30日 第一刷 発行   ¥130

著 者 三田和夫

発行者 野老山宏

印刷者 新倉誠一

禁無断

転載・演劇

映画・放送

発行所 東京都千代田区神田神保町3—13

20世紀社

TEL 33 4356

落丁・乱丁はお取替えします

製本 谷島製本

赤い広場ー霞ヶ関 巻末広告-見返し

赤い広場ー霞ヶ関 巻末広告-見返し End-of-page advertising, inside cover
赤い広場ー霞ヶ関 巻末広告-見返し End-of-page advertising, inside cover

巻末広告

〈 世界的反響を呼んだ問題の書 〉

三田和夫 著

——東京秘密情報シリーズ——

迎えにきたジープ —奪われた平和―

赤い広場―霞ヶ関 —山本ワシントン調書―

〈 近刊 〉

偽りの赤十字 —何日君再来―

羽田25時 —賭博と女と麻薬と―

——新書判 各 ¥130——

品切の節は直接本社へ 〒20

赤い広場ー霞ヶ関 裏表紙 貼付付箋

赤い広場ー霞ヶ関 裏表紙 貼付付箋 東京地方検察庁 昭和43年 差出人等 三田和夫 被擬者 松本清張 捜二送第73号 ※この『赤い広場―霞ヶ関』の表紙・本文画像は、訴訟資料として東京地検に提出されたものを原本としています。(松本清張著『深層海流』に本書の一部が剽窃されたとして三田和夫が告訴した際のものと思われます)
赤い広場ー霞ヶ関 裏表紙 貼付付箋 東京地方検察庁 昭和43年 差出人等 三田和夫 被擬者 松本清張 捜二送第73号 ※この『赤い広場―霞ヶ関』の表紙・本文画像は、訴訟資料として東京地検に提出されたものを原本としています。(松本清張著『深層海流』に本書の一部が剽窃されたとして三田和夫が告訴した際のものと思われます)

裏表紙

貼付付箋

東京地方検察庁

昭和43年

領第5219号

差出人等 三田和夫

被擬者  松本清張

符合 1

捜二 警察署送第73号

※この『赤い広場―霞ヶ関』の表紙・本文画像は、訴訟資料として東京地検に提出されたものを原本としています。(松本清張著『深層海流』に本書の一部が剽窃されたとして三田和夫が告訴した際のものと思われます)