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新宿慕情 p.078-079 カツ丼なんて〈料理〉のうちではない

新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。
新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。

「ママ、ナニ泣いてんだい?」
と、冗談半分にきくと、ママはオロオロ声で答えた。
「私は、お店をやってんだから、お客さんの希望だから、カツ丼を作って、と、チーフに頼んだの……。するとチーフは、『一人前のコック

が、カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める』と、ケンカしてしまったのョ……。チーフに辞められたら、もう、あのお店はおしまいよ。このカツは、アタシが揚げたのだから、お口に合わないかも……」

もう、涙声で、語尾もさだかではない。

「……」

私も唖然としてしまった。私のフトした〝出来心〟から、カツ丼の注文となったのが、こんな〝破局〟を招くとは!

ママの細い肩が波打つのを見て、ヒシと抱きしめてやりたいいじらしさだったが、チーフもチーフだ、と思った。

といっても、良い意味だ。カツ丼なんて、〈料理〉のうちではない。それを作れ、とは、経営者でも、いいすぎだ。日本画家に枕絵を描け、この私に、ポルノ小説を書け、というにも等しい侮辱ではないか!

——カツ丼なんて、お惣菜だ!

そう、タンカを切ったチーフの姿とダブって、いま、牛やで照れ臭そうにしている男の顔があったからだ。

その数日後に、通りで出会ったチーフは、晴れ晴れとして笑顔で、私にいった。

「ビフテキなら、牛やよりウチのほうが旨いですよ。断然!」

味噌汁とお新香

ご自慢のビフテキ

「ビフテキなら、ウチのほうが旨いですヨ!」と、叫んだのは、牛やから十メートルも離れていないかつ由のチーフであったが、いま、この原稿を書いている〝原動力〟が、その、かつ由ご自慢のビフテキなのである。

ビーフ・ステーキとビフテキとは、ひと味違う……ポーク・カツレツとトンカツとの違いとも違う。というのは、ビフテキは〝料理〟であって、〝お惣菜〟ではないのであろうか。

つまり、味噌汁やご飯が、ビフテキの場合には、トンカツと違って、フィットしないのだ。

かつ由のチーフが、わざわざ〈和風ビフテキ〉と銘打った、この店の呼びものは、シイタケ、ピーマン、ニンニクなど、各種香辛料も加えた薬味が、ビフテキの上に山盛りになっているのであった。

盛り合わせは、フライド・ポテト、インゲン、甘煮ニンジンなどの、彩り野菜の時もあるが、ナスの精進揚げとかいった〝和風〟なものもつく。

新宿慕情 p.080-081 かつ由の客はバッタリと遠のいてしまった

新宿慕情 p.080-081 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。
新宿慕情 p.080-081 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。

かつ由のチーフが、わざわざ〈和風ビフテキ〉と銘打った、この店の呼びものは、シイタケ、ピーマン、ニンニクなど、各種香辛料も加えた薬味が、ビフテキの上に山盛りになっているのであった。
盛り合わせは、フライド・ポテト、インゲン、甘煮ニンジンなどの、彩り野菜の時もあるが、ナスの精進揚げとかいった〝和風〟なものもつく。

これが、実に旨い。

牛やのビフテキには、肉の旨さだけで、もうひとつ、コックの愛情が欠けているようだ。

というのは、材料肉の良質さにオンブしてしまって、鉄板焼き風に、サービス係の女性たちが料理するからであろう。

私も、一度だけしか、牛やのビフテキを食べていないから、そう断定する自信はないが、オイル焼きと違って、ビフテキはやはり、コックの手にかけるべき〝料理〟だと思う。

そして、スキヤキも、牛やでは、感嘆して食べた記憶は、あまりない。つまり、ともに、材料肉に頼りすぎて、〈味〉が忘れられている感じなのだ。

しかし、しゃぶしゃぶには、タレの秘訣がある。肉とスープとタレとの、渾然一体のチームワークの〈妙味〉なのだろう。ともかく、絶賛に値する、牛やのしゃぶしゃぶである。

さて、こうして、ビフテキに関しては、隣組のかつ由に軍配をあげるのだが、その〝可愛い〟タイプのママには、まだ書かねばならぬことがある。

深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。

店内改装のため休業、という掲示が出て、大工が入り始めたのは最近のこと。店内をすっかり模様換えしているので、一体どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。新装開店してみると、これまた、隣組のビジネスホテル・サンライトの前マネ

ージャーが、黒服を着て挨拶し、制服のボーイがふたり立ち働く……といったアンバイなのである。

裏通りの横丁で、こんな気取ったレストランが、商売になると思うママの気持ちが、理解できなかった。

元マネージャーくんにきけばボーイ、コックとも、チームを組んで、開店を手伝ってやったということだったが、案の定、かつ由の客は、バッタリと遠のいてしまった。

ママのフンイキと

中食には、味噌汁とお新香付きのサービスランチ。夜は、ママのフンイキとチーフの味とを求めるボトルの客。これが、かつ由の〝存在価値〟だったというのに!

通りで出会ったママに、私は忠告を試みた。

「マダーム・ラステンハイム。景気はどお?」

彼女は、それでも、愛くるしく笑った。

「先生がきて下さらないから、もう、クビをくくらなきゃ……」

「チーフはどうしたのサ?」

「郷里にひっこんだままよ」

「劉備が三顧のこよなき知遇……という言葉、知ってるかい」

新宿慕情 p.082-083 ホテル・サンライトの品のいいマダム

新宿慕情 p.082-083 ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。どうも、このウラには〝女の戦い〟があるような感じだった。
新宿慕情 p.082-083 ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。どうも、このウラには〝女の戦い〟があるような感じだった。

中食には、味噌汁とお新香付きのサービスランチ。夜は、ママのフンイキとチーフの味とを求めるボトルの客。これが、かつ由の〝存在価値〟だったというのに!
通りで出会ったママに、私は忠告を試みた。
「マダーム・ラステンハイム。景気はどお?」
彼女は、それでも、愛くるしく笑った。
「先生がきて下さらないから、もう、クビをくくらなきゃ……」
「チーフはどうしたのサ?」
「郷里にひっこんだままよ」
「劉備が三顧のこよなき知遇……という言葉、知ってるかい」

「ナニ? それ」

「ヒコーキで飛んでいって、チーフを迎えに行っておいでよ。そして、ラステンハイムのマダムを気取らず、かつ由のオカミさんで、それに徹するのサ」

「……」

ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。

私のカンでは、どうも、このウラには、〝女の戦い〟があるような感じだった。

というのは、我が社のある大木ビルをはさんで、右手にかつ由があり、左手に、ホテル・サンライトがある。

このビジネスホテルは、四階建てながら、仲々の繁昌ぶりで、予約しなければ泊まれないほどである。

そして、一階には、レストランがある。このレストランの中の階段を上がれば、そこにはバーができるハズであったが、そのスペースを会議室にしていてこれまた、結構、満パイだ。

このレストラン。開業時にはかつ由で雇ったマネージャー氏が指揮していたのだが、あまり客の入りが良くなかった。

料理とて、特別に旨い、というほどではなく、第一、一流ホテル並みの気取りがハナにつくのだった。

だが、ある日、そのレストランが一変したのに気が付いた。例のマネージャー氏がいなくなり

ブッキラ棒だけど、親しみのある男が、働いていた。

それに、中食用に、味噌汁つきの和定食が登場した。朝も、九時半まで、朝食をやり始めたし、新宿の裏通りに相応しく、〝庶民的〟になったのである。

そればかりではなく、中年の落ち着いた魅力のある、品のいいマダムが、これまた、素敵な着こなしで、サービスに相勤めるのだった。

私は、いままでのレストラン経営者が、このマダムに売って代替わりした、と思っていた。気取りがなくなりながらも、このマダムの美しさが、ホテルのレストランとしての品位を、それなりに維持している。

そう。年齢(とし)のころでいえば、かつ由のママと同年配なのである。

「ネ、奥さん……」

私は、彼女を〈人妻〉とニラんで、こう話しかけた。

その反応を見るためだ。

「フンイキが変わったら、すごく流行りだしたじゃない?」

「ハイ、ありがとう、ございます。三田さま(サンではない)がお見えになって下さいますから、ですわ」

彼女は、微笑をたたえて、そう答えた。〈おとなの女の美しさ〉が、そこにあった。

私が、その後に〝取材〟したところでは、彼女は、「ホテルの副社長」であった。と同時に「社

長夫人」でもあった——。 つまり、レストランの営業不振に、直接、陣頭指揮に乗り出してきた、という次第だった。

新宿慕情 p.084-085 味噌汁とお新香と〝女の戦い〟

新宿慕情 p.084-085 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。
新宿慕情 p.084-085 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。

私が、その後に〝取材〟したところでは、彼女は、「ホテルの副社長」であった。と同時に「社

長夫人」でもあった——。

つまり、レストランの営業不振に、直接、陣頭指揮に乗り出してきた、という次第だった。

女の子もイキイキ

かつ由が、チーフの退職を機会に、「レストラン・ラステンハイム」に変わって、サンライトの不振時代のマネージャー・チームが参加した、という〝現象〟の面から、〈新聞記者的第六感〉を働かすと、このふたりの女性の在り方に、ナニか、関係がありそうなのである。

かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりに、チャーミングである。

サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ——一方が、味噌汁とお新香をやめて、気取ってみたら、相当な改造費をかけたのに、客足が遠のき、他方が、気取りを捨てて、味噌汁とお新香を出して、千客万来である。

私が、〝女の戦い〟を想定するのも、理の当然ではないだろうか。

かつ由のママは、私の忠告を容れて、チーフを迎えに行ってきた。

新装開店から一カ月。レストラン・ラステンハイムは、「お客さま方のご要望により、むかしの、かつ由にもどらせて頂きます」と、貼り紙を出した。

客はまた、かつ由にもどってきた。チーフは、和風ビフテキを焼き終わると、キッチン場から

ノコノコと出てきて、馴染み客の相手をして、ビールを乾した。

ママは、キャッ、キャッと、明るい嬌声を上げながら、レストラン風のテーブルの間を、蝶々サンのように、飛びまわっていた。ズーッと居付いている女の子のカコちゃんも、レジの前に神妙な表情で控えているのをやめて、料理を運んでは、イキイキとしてきた。

新宿の街とは、やはり、そんなとこなのである。

新聞記者とコーヒー

珈琲ならグループ

地元の医大通りに入りながら、ものの十メートルほどのところで、すっかり手間取ってしまった。先を急ぐとしようか。

牛やから百メートルほども進むと、右側にグループという、コーヒー店がある。四、五人ほどのカウンターと、五、六卓ほどの小さな店だが、若いマスターがたててくれるコーヒーが、なんとも旨いのである。

店はせまいし、椅子とて、決して坐り心地が良いわけではなく、客は付近の常連で、高話の声

がうるさく、落ち着けないので、本来ならば、キライな部類に属する店なのだが、コーヒーの美味さにひかれて〝グループ詣り〟なのである。

新宿慕情 p.086-087 「お茶でも飲むか」と社の付近の喫茶店に

新宿慕情 p.086-087 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。
新宿慕情 p.086-087 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。

店はせまいし、椅子とて、決して坐り心地が良いわけではなく、客は付近の常連で、高話の声

がうるさく、落ち着けないので、本来ならば、キライな部類に属する店なのだが、コーヒーの美味さにひかれて〝グループ詣り〟なのである。

近くの新田裏交差点にあるバロンよりも、私は、グループを推す。バロンだってコーヒーは美味なのだが……。

私のコーヒー好きは、やはり新聞記者生活の長さからきているようだ。

昭和二十二年の秋、シベリア帰りの私を迎えてくれたのは、戦災で焼かれた本社を復旧中で報知新聞の社屋(有楽町駅前の読売会館。階下にそごうデパートが入っている建物は、戦時中の新聞統合で、読売に合併された報知新聞のビルを、建て直したもの)にいた社会部の面々であった。

時期を憶えていないが、翌年ぐらいに、銀座の本社に移転したと思う。

三階のワンフロアを、仕切りなしで占めている編集局。カタカナのヨの字形に、タテの棒が整理部。ヨコの三本棒が、社会、政治、経済と、〝一等部〟が並ぶという配置だった。

しかし、政治、経済部などは部長以下二、三十人ほどなのに社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。それでも、部長の机をハシに、向かい合って二列に並ぶ机は、せいぜい二十個ほど。

ふだんは、朝夕刊交代の次長(デスク)と、遊軍十余名の席として、十分なのだが、クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。

外勤記者が社に帰ってきて原稿でも書こうものなら、内勤の遊軍記者でさえ立ちん坊である。

めったに社に現われない古参のクラブ記者などは、社会部にやってくると、新人に、「なにか御用ですか」などと、すっかり部外者扱いをされたりする。

用事のある仲間や、久し振りに顔を合わせた奴などと、しばらくの間は、社会部周辺で立ち話をしていたりするが、どちらからともなく、「お茶でも飲むか」と、誘い合って、社の付近の喫茶店に出かける。

はみだしは喫茶店

夕方のラッシュ時、といっても、通勤の電車の話ではない。月給日や記者手当が出たりした日などは、このヨの字の付近は各部の外勤記者たちがみなやってきて、それこそ、立錐の余地さえないほどの〝人垣〟ができてしまうのだ。

Aとお茶を飲みに出かけ、三、四十分ほどでもどってくると、Bと出会って、またコーヒー店に行く。要するに、自分の会社なのに自分の席がない。もしも原稿を書こうとするなら、用事もなく、机と椅子を占領している男がいれば、先輩なら、「スミマセン。ちょっと……」と、明け渡しを要求し、後輩だったら「オイ。場所を貸せよ」と、追い立てを食わせる。

八十人も部員がいて、座席が二十ほどだから、ヒョイとトイレに立っても、だれか坐られてしまう。

新宿慕情 p.088-089 特務曹長格の私が知らない男が遊軍席にいる

新宿慕情 p.088-089 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。
新宿慕情 p.088-089 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。

Aとお茶を飲みに出かけ、三、四十分ほどでもどってくると、Bと出会って、またコーヒー店に行く。要するに、自分の会社なのに自分の席がない。もしも原稿を書こうとするなら、用事もなく、机と椅子を占領している男がいれば、先輩なら、「スミマセン。ちょっと……」と、明け渡しを要求し、後輩だったら「オイ。場所を貸せよ」と、追い立てを食わせる。
八十人も部員がいて、座席が二十ほどだから、ヒョイとトイレに立っても、だれか坐られてしまう。

その人がひろげて読んでいる新聞の下から、手を突っこんで書きかけの原稿と資料を拾い集めて、席を求めてキョロキョロする始末だ。

その会社の、レッキとした社員なのに、自分の席がない……などとは、一般の人たちには、想像もつかないことだろう。それは、出先の記者クラブでも同じで、一社に一卓しかないから、いつも、行雲流水の境地だ。

となると、仕事の打ち合わせも、憩いのくつろぎも、すべて喫茶店ということになる。

だから、自分にだれかが用事があると思えば、居場所を明らかにし、喫茶店の電話番号をメモした帳面を、ポケットにいつも入れておかねばならぬ。

もう四年生になって、田中派の中堅である小宮山重四郎代議士の略歴を、国会便覧で見るとおもしろい。当選二回目までは「日大講師・読売新聞記者・東洋大理事」と出ている。

四十五年二月版の、当選三回になると、「日大講師」の次に「東洋大理事」がきて、「読売記者」が脱けてしまっている。

どうして、日大講師なのか、東洋大理事なのか、学究でもなく、専門家でもないのに……と、余計なセンサクは、措くこととしよう——。

私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。「虎を野に放つような予感がしないでもないが、マ、経済官庁を持って勉強しろ」と社会部長にいわれた。

だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。もっとも、この特オチは、農林省の多久島ツマミ食い事件で、発表モノだったから、地方部の記者が提稿したのに、社会部のデスクが、カン違いして、読売だけが〈発表モノ特オチ〉という、前代未聞のミスをしたのだった。

毎日、社へ出勤してみると、その二十個ばかりのデスクのスミに、ひとりの若い男が、毎日きて坐っている。三十一年初夏のころだった。

その年の四月の新入生は、まだ地方勤務中で、本社に上がってきているのはいないハズだ。

社会部員にしては、なんとなく遠慮勝ちで、そのくせ、「オーイ、子供ッ!」と、給仕を呼ぶと、給仕クンがいない時などハイと答えて立ってくる。

日中は、夜間の高校生や大学生、夜は、ひる間の学生たちが給仕として、各部に配属されていたのだが、その男を見ると、どうも、学生にしては、年を食いすぎている。

当時の私で、社歴十三年。特オチで社へ上がらされて、遊軍席にはいるが、八、九年生ぐらいの〝軍曹〟が遊軍長で、私は別格。日勤、夜勤、泊まりなど勤務は除外されている。いうなれば軍曹の上にいる〝特務曹長〟格なのだ。

その私が、〝知らない男〟が遊軍席にいる。不審に思って、数日後にきいてみた。

「オイ、お前。毎日、社会部にいるけれど、一体、どこの人間なんだ?」

「ハイ。ザ・ヨミウリ(読売発行の英文紙)の記者で、小宮山といいます」

新宿慕情 p.090-091 小宮山法務委員長と私とは〝恋仇〟だった

新宿慕情 p.090-091 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。
新宿慕情 p.090-091 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。

当時の私で、社歴十三年。特オチで社へ上がらされて、遊軍席にはいるが、八、九年生ぐらいの〝軍曹〟が遊軍長で、私は別格。日勤、夜勤、泊まりなど勤務は除外されている。いうなれば軍曹の上にいる〝特務曹長〟格なのだ。
その私が、〝知らない男〟が遊軍席にいる。不審に思って、数日後にきいてみた。
「オイ、お前。毎日、社会部にいるけれど、一体、どこの人間なんだ?」
「ハイ。ザ・ヨミウリ(読売発行の英文紙)の記者で、小宮山といいます」

「フーン。ザ・ヨミウリなら、隣の別館だろ? それが、なんで毎日、社会部にいるんだ?」

「ハイ。大事件があった時に、ザ・ヨミウリに、すぐ連絡する係なんです。どうか、よろしくお願いします」

「ヘェー。ザ・ヨミウリってのは、人間がタップリいるんだなあ。……じゃなんかい? ペラは得意なんだナ」

「イエ、アメリカの大学に行った、というだけで、ペラはダメなんです」

「アッハッハァ。それで、連絡係か! だけど、仕事がラクでいいじゃないか」

「イヤァ、間が持ちません」

「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」

これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。

本人は、キチンと礼儀正しく、しかもへり下った態度だったから、イジメたりはしなかったが〝大の男〟が、丸一日、これといってする仕事もなく、大事件の連絡係だけ、というのだから、能力的には軽蔑していて問題にしなかった。

いまの、ご本人の小宮山先生には失礼な〝むかし話〟だが、政界進出のための〈履歴作り〉だったのだろう。だが、感じのよい青年ではあった。

喫茶店通いの余禄

前置きが長くなったが、〝若き日の小宮山読売記者〟にご登場を願ったのも、実は、コーヒー飲みの、喫茶店ばなしなのである。

その当時、読売本社のすぐ近くに、「いこい」という喫茶店が新開店した。藤尾さんという丸ポチャのママが、若く、可愛い姉娘と、美人の妹娘、というふたりの女の子を使っているのだから、〝温まる席のない〟社会部の連中が、セッセと通う。みな、それぞれにお目当てがあってのことだ。

気がついてみると、遊軍の大ボスで、時間が自由な私と、することがなくて、暇をモテ余している小宮山クンとが、一番通いつめていて、しかも、たがいに姉娘をハリ合っていたのだった。つまり、小宮山法務委員長と私とは、二十年前には〝恋仇〟だったのである。

いまだから〝衝撃の告白〟で、私は、姉娘を心身ともに〝私のモノ〟にした。小宮山クンは、数々のプレゼントをしていたのを、彼女の告白で知った……。

新宿慕情 p.092-093 「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった

新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。
新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。

お洒落と女と

半歳の恋の終わり

——小宮山のヤツ、若いクセにイイさらりい取ってんだナ…。

当時、そう感じたことを覚えている。(私のコーヒー好きのインネン話なのだから、もう少し、つづけさせて頂きたい)

農林省での大特オチから、処分で本社勤務に上げられ、ヒマ人同士の、私と小宮山重四郎クンとが、喫茶店の姉妹のウェイトレスにウツツを抜かし、私が彼を破って、恋の勝利者になったところまで書いた。

ところが、好事魔多しというように、この恋にも、やがて、別れねばならない時がきた。

遊軍勤務一年。翌三十二年初夏には、私は、司法記者クラブのキャップとして、またまた、激烈な事件記者の世界にもどることになったのだ。

それが内示された夜、私は彼女にいった。

「社会部記者の最前線なんだ。しかも、責任者だから、いままでみたいに、ノンビリしてはいら

れない、と思うよ。寂しいけど、逢う機会が少なくなる……」

「いいわ。この、たのしい想い出を持って、私も、九州に帰るわ。……じゃ、今夜が最後ね…」

別れもまた愉し、といったフランスの劇作家の戯曲があったような記憶がある。半歳の恋の終わりは、それなりに甘美なものであった。

彼女は、喫茶店を辞めた。私の銀座勤務は、桜田門になったし、小宮山クンの姿も、いつか社会部席から消えていた。

……そしてまた一年。三十三年初夏に、私は、安藤組事件に関係して、読売を退社していた。世田谷の梅ヶ丘に住んでいた私は、フリーになって、淡島経由のバスで渋谷に出、地下鉄で都心へ出かける。

その秋のある日。淡島から乗りこんできた男の顔に、見覚えがあった。

「アッ、小宮山クンじゃない? 三田だよ。どうしているの?」

「お久し振りでございます。私いま、こういうことを……」

相変わらず、折り目正しい挨拶をしながら、彼は、一枚の名刺を差し出した。「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった。

「ハイ、秘書と申しましても、ナニ、〝台所秘書〟でして……」

ヘヘーン……と、私は感じた。それでも、まだその時には、彼が、平和相互一族とは気が付かなかった——その後、彼の初出馬が、大きな選挙違反を起こし、司直の手が、落選候補の身辺ま

で迫った時、読売の同期生だった徳間康快が、その〝モミ消し〟に活躍した、という話を聞いた時、初めて、〝小宮山重四郎・元読売記者〟の身上について知ったのだった。

新宿慕情 p.094-095 私の背広のほとんどがクレジットの丸井のもの

新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。
新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。

その秋のある日。淡島から乗りこんできた男の顔に、見覚えがあった。
「アッ、小宮山クンじゃない? 三田だよ。どうしているの?」
「お久し振りでございます。私いま、こういうことを……」
相変わらず、折り目正しい挨拶をしながら、彼は、一枚の名刺を差し出した。「衆議院議員佐藤栄作・秘書」とあった。
「ハイ、秘書と申しましても、ナニ、〝台所秘書〟でして……」
ヘヘーン……と、私は感じた。それでも、まだその時には、彼が、平和相互一族とは気が付かなかった——その後、彼の初出馬が、大きな選挙違反を起こし、司直の手が、落選候補の身辺ま

で迫った時、読売の同期生だった徳間康快が、その〝モミ消し〟に活躍した、という話を聞いた時、初めて、〝小宮山重四郎・元読売記者〟の身上について知ったのだった。

コーヒーの話、しかも、医大通りのグループと、ホテル・サンライトの裏手に当たる、新田裏交差点の、バロンとの、味比べについて書こうとしながら、喫茶店通いが身についてしまった思い出話が、ついつい、長引いてしまった——。

美味いかどうかで

私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。つまり、コロンビアだとかモカだ、ブルーマウンテンだなどと、原産地や豆の混合についての知識は、皆無なのだ。

ただ、どこの喫茶店のコーヒーが、美味いか不味いか、だけなのである。

だから、行きつけの店でも、コーヒーの特注はしない。その店のレギュラーものが、美味いかどうか、だ。

同様に、ウィスキーなど、酒類についても、銘柄だとかの好みはいえるが、酒についての造詣も深くない。

酒が、美味く、たのしく飲めて、雰囲気が良ければ、それで良しとする。

衣類もそうだ。舶来生地であろうがなかろうが、自分に似合うものを、気持ち良く着こなせれば、それでよい。

いまは、そんなこともなくなったが、むかしは、旅館に一見の客がくると、番頭が、靴とベルトを見て、所持金の有無を判断し、さらに、夜に、部屋までフトンを敷きにきて、客種を瀬踏みした、ものだそうだ。

私のことを、〈お洒落〉だという人がいる——しかし、例えエナメルの靴をはいていても、それは、はき易いし、その服に似合う、と考えて、買ったもので、ベルトなどは、バーなどがお中元にくれた安物しか、使わない。靴ははき易く疲れないもの、ベルトは、ズボンがズリ落ちなく機能するものであれば充分だ。

私の背広のほとんどが、クレジットの丸井のもの、と話して驚かれたこともある。

もっとも、これにはワケがあって、家内の高校友だちが、腕のいい洋服職人と結婚していて、そのダンナに仕立ててもらっていた。

むかしは、府立五中時代の制服屋のダンナに作ってもらっていた。つまり、子供のころから私の体型を知っている人だから、フィットする仕立てだった。

それから以後、知人に紹介されたり、アチコチの洋服屋で作ってみたが、最初の一着で(どんな入念な仮り縫いをしたとしても)腕を通してみて、ピタッときまる洋服屋に出会ったことはない。

それは、注文者の体型を熟知していないからである。人間の身体は、左右の手の長さは同一ではないし、生身なのだから、メジャーの数字以外の、プラスアルファがあるものなのだ。

家内にいわれて、はじめは、オ義理のつもりで、一着、頼んでみた。ところが、「どうせピタ

ッとこないだろう」と思ってなかば諦めの心境だったのに、これがなんとまあ、一パツでドンピタなのである。

新宿慕情 p.096-097 私の時計はオメガ。十万円ほどのもの

新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~
新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

それから以後、知人に紹介されたり、アチコチの洋服屋で作ってみたが、最初の一着で(どんな入念な仮り縫いをしたとしても)腕を通してみて、ピタッときまる洋服屋に出会ったことはない。
それは、注文者の体型を熟知していないからである。人間の身体は、左右の手の長さは同一ではないし、生身なのだから、メジャーの数字以外の、プラスアルファがあるものなのだ。
家内にいわれて、はじめは、オ義理のつもりで、一着、頼んでみた。ところが、「どうせピタ

ッとこないだろう」と思ってなかば諦めの心境だったのに、これがなんとまあ、一パツでドンピタなのである。

そして、それだから、「腕のいい職人」というのである。その彼が、営業政策上、丸井の仕事を専門にするようになったから、私の服も、すべて、丸井のネームがつくことになった。

要するに、話が飛んでしまったが、洋服職人もコーヒー淹れも、その人次第なのである。自分の仕事に、愛情と研究心とがあるかどうか、なのだ。

だから、洋服とYシャツの仕立てでダメなのは、デパートである。採寸して、客に接する男と裁断するヤツ、縫う者と、すべて分業で、それぞれが、数字だけを根拠に、仕事をするからである。洋服仕立てや、食べ物などは、客に接していなければ、客の気に入られるものはできない。

嘆かわしいことに

経済誌の巻頭に、イラストでどこかの社長の全身が描かれ、持ち物や、着ているものの「説明」が出ていたりする。

腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。

そして、それが、その〝社長サンの趣味の良さ〟、ステータスみたいに扱われている。

最初、そのページを見た時には、これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ

ったが、雑誌が、オベンチャラ経済誌だったから、編集者も大マジメ、登場するほうも、内心得意で取材に応じているに違いない、と気付いた。

田中金権内閣の出現以来、ホントに世情人心が荒廃して、なんでもカネの世の中。悪いことばかりしているクセに、一応は経営者ヅラして外国製品ばかりを身につけ、それが、〝趣味の良いこと〟だと、思いこんでいる野郎どもが、世にハビこっているのは、嘆かわしいことである。

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。

私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

(写真キャプション)正力死後、読売は社主と社長のコンビになった

新宿慕情 p.098-099 読売社外での務台サンの一の子分

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した
新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。
私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。

TO K. MITA FROM M. MUTAI  45.7.21

読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後、私はお呼びを受けて社長室に伺った。

大きな椅子にアグラをかかれた務台サンは、報知の販売課長からスカウトされて、正力サンの読売陣営に加わった。そして部数が伸びた時、「正力サンに呼ばれて、行ってみたら金時計を下さった」と、エンエンと、むかし話をされる。

そして、約一時間ほどの、例の長話のあと、帰りぎわの挨拶をしていたら、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した、という記念品である。

私が、〈読売社外での、務台サンの一の子分〉を、自称するユエンでもある。

私の身につけた外国製品はこのオメガだけ。ライターの趣味なし、万年筆は中学生のころからのパイロット——先日、さるクラブで、新米のホステスが、教えこまれたままらしく、私のネクタイを賞めた。「ステキねえ、これランバン?」と。

私は、タシナメていう。

「そういうホメ言葉は、〝趣味の悪い〟人にいうものだよ」

私は、〈お洒落〉なんかじゃない。自分の身体と顔に合ったものを身につけ、自分の口に合うものを、飲み、食べるだけ。

ホステスが、卓上のオードブルを取って、私の口もとに持ってくると、拒みながらいってやるのだ。

「食いものと女とは、自分で選んで、自分の欲しい時に、自分で取るよ」

おかまずしの盛況

名物男ヤッちゃん

医大通りも、ようやくグループでのコーヒー談義を通りすぎて、もうしばらく先の松喜鮨へと到着する。

この松喜鮨の名物男、ヤッちゃんとの交情の、そもそもの馴れ染めが、どうにも想い出せないのが、なんとも残念である。あるいは、それほどに親しいのかも知れない。

私が彼を知ったのは、この店に行きはじめて間もなくのことだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」

色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

新宿慕情 p.100-101 オンナ言葉を使うと〝妖しい色気〟が

新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。
新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」
色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

それが、なんと、シナさえ作って、そういうのである。

「ナニ? アタシたちのレコードって、どんな…?」

イナセとシナとが同居するのだから、奇妙である。

一枚三千五百円という、LPレコードを出されて、そのジャケットを見た時、私は、やっと納得がいった。

寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。

だが、〝醜怪〟としか、いいようのない女装の連中が、新宿御苑あたりに勢揃いして写したカラー写真が、そこには印刷されていた。

そのひとりひとりを、仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。

それが、ヤッちゃんだった。しかも、店での例のユニフォームで、口をへの字に曲げ、眼ン玉をヒンむいて見せているではないか!

この松喜鮨は、〈年中無休・二十四時間営業〉が売り物である。だから、深夜が書き入れ時で、ホステスたちや、ホステス連れの酔客たちが、〝顧客〟ということになる。

ヤッちゃんは、この深夜勤務を担当している。そして、オーナーでもあるだけに、営業政策には、ことさらに気を配っていて、決して飽きさせないし、一度きた客を、また、こさせるように研究している。

山形県酒田市の出身。地元である程度の修行をしたのちに、上京してきたようだ。だから色白で、オンナ言葉を使うと、それらしい〝妖しい色気〟がかもし出されてくる。

唄がうまいし、美声である。そして、単なるスシ職人ではなくて、それこそ、本紙のトロッコなど、足許にも寄れないほどの〝教養〟の持ち主だ。

選挙の季節には、政治家の話もできるし、芸能界の事情にも通じ、どんな話題にも、即座に対応できるだけに、新聞も週刊誌も、良く読んでいる。その上多趣味である。

第一、スシ屋で、マイクが天井からブラ下がり、スポットライトに、テープその他の音響設備が完備している、という店はあまりあるまい。

唄の次は写真撮影

彼が、唄がうまいため、だけではない。電気知識がある、というべきだろう。

「只今より、オルケスタ・ティピカ・マツキの演奏が始まります」

当店を〝主要営業所〟とするアコーディオン弾きの石井クンが入ってくる。ガラス戸が開く前に、彼は、そう紹介する。当意即妙なセリフが飛び出す。頭の回転が早い、のである。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。

「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」

自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

新宿慕情 p.102-103 酒乱の客にもゴキゲンの客にもそれ相応に応待

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。
「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」
自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

次は写真だ。

唄に飽きたと見れば、戸棚からカメラを取り出し、ホステスと客に向かって、「サ、もっとひっついて!」と、ポーズをつけさせる。

カメラから撮影技術まで、これまた、〝効能書〟に詳しい。

「ハイ、終わりました。サア、喰べましょう」

サッとカメラをしまいこんでまた握り出す。

「オネエさん、お名刺、チョーダイよ」

ホステスに、店と彼女の名前をたずね、新宿なら、翌日の夜には、その写真を届ける。銀座、六本木なら、速達で送る。

「コレ、高価いのョ。デモ、イイわ、オネエさんだから、あげちゃうッ」

カラーの顔写真入りの名刺を差し出す。

勘定は、極めて大ザッパだ。シラフの時に、ジッと見ていると、高く、安く、然るべくやっているようだ。

それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに喰べるだけの客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

良く寄ってくれるホステスがいれば、彼は、就業前の八時すぎから十時ごろまで、そのホステ

スの店に、〈客〉として、リュウとした背広姿で行き、然るべく、金を使ってくる。

いうなれば、これが、彼のホステスへのバック・ペイなのである。腰も、頭も低く、客として迎えた時も、客として支払う時も、彼の態度は変わらない。だから、ホステスに受ける。店へきてくれれば嬉しく、サービス料をツケこまないから、料金も安く上がるようだ。義理を欠かさない、という、東北の田舎町の人情味を身につけている。

酒乱の客にも、ゴキゲンの客にも、それ相応に応待して、然るべく扱う——これで、流行らなかったら、それこそ、オカシイというものだ。

サテ、肝心のスシの味は、といえば、材料を良くして、ナカナカのものである。

こう、観察してくると、ヤッちゃんの〈バラ趣味〉も、どうやら〈営業政策〉とも思えてくるではないのだろうか。

でも、それは、まったく〝憶測〟の域を出ない。別に、私が体験してみたわけではないのだから……。だから、冒頭に書いた〈ヤッちゃんとの交情〉という部分で、交情という言葉に、チョンチョンガッコを、意識して付けなかったのだ。

それでも、私の少年の日に、そんな〝体験——いうなれば初体験〟があるのだった。

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。

新宿慕情 p.104-105 父親は高名なピアニスト、ユダヤ系のドイツ人

新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」
新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。

少年の日の〝体験〟

友人、といっても、彼は外国人である。父親は、高名なピアニストであり、かつ、オーケストラのコンダクターであり、上野の音楽学校の教授という経歴さえ持っていた。ユダヤ系のドイツ人だったのである。

その先生の芸術的資質については、一族に、これまた高名な文豪がいるほどなのだから、推して知るべし、であろう。

城南にある先生の家に近づいた時、家の中からは、しきりとピアノの音が響いていた。

それを聞いて、私は、「ア、オヤジがいるな」と、思わず、足を止めてしまった。

というのは、先生がオカマ趣味であることを、かねてから聞き知っていたからである。中学の一年先輩に、ジャズピアノをやる市村俊幸氏がいて、彼は、音楽学校(こう書くからには、もちろん戦前のことである。いまならば、芸大だから……)の入試に失敗して、日劇ダンシングチームでピアノを弾いていた。

そのブーちゃんが、私に教えてくれていた、のだからだ。

大音楽家の〝交〟響曲

ピアニストの指が

市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。

「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだゼ」

そのころには、まだ、ホモだとか、ゲイといった言葉はなく、オカマ一本だった。印刷物も、高橋鉄氏の主宰する、ナントカ研究会の機関誌(会名も誌名も、正確な記憶がないから、こうした表現になったが、決してインチキ団体の意味ではないので、念のため)ぐらいしかなかった。

先生は、日劇の楽屋に出入りする時、エレベーターボーイにキスしたなど、当時としては、まさに、〝秘められたビッグニュース〟の主であった。

ピアノの音を聞いて、私は、ブーちゃんの〝大丈夫かい?〟を思い出したのだった。

玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。

——息子はいないのかな?

〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。

新宿慕情 p.106-107 ——きたナッ!これからナニが起ころうとしているのか

新宿慕情106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。
新宿慕情 p.106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。
——息子はいないのかな?
〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。

「アノオ、……さんは?」

私は、息子の名前をいった。先生は、日本語はほとんどダメだったが、それでも、カタコトでいう。

「イマ、イマセン。ドウゾ」

ニコニコと親愛の情を示して先生は、私の肩を抱くようにして、招じ入れた。

玄関から、広い応接間とつづいて、ピアノは、その広い部屋の一隅に置かれていた。

年配の読者は、ディアナ・ダービン主演の、『オーケストラの少女』という、大当たりの映画を想い出していただきたい。ダービン扮する少女が、ストコフスキーに認められるシーン。少女の歌声につれて、ストコフスキーの指が、自然に、動き出して、リズムを取りはじめ、やがて、あの独特なタクトなしで腕を振り出す——あの、ストコフスキーを想起されれば、この美少年の私と、先生との出会いも、ピタリと決まる。

私を、ソファに坐らせると、先生は、なにか飲みものを用意してくれた。

そして、自分も向かい合って腰をかけ、ピアノを指差して、「弾いてみなさい」という意味のことを、英語で話しかけた。

「イェ、私は、ピアノを弾けないのです」

首を横に振りながら、日本語でそう答えた。

旧制の中学五年の英語力は、けっこう、ヒヤリングの力もあったと思う。なにしろ、府立五中

時代には、ミス・ジュネビーブ・コールフィールドという、老嬢の外人教師までいたのだったから。

すると先生は、立ち上がってピアノの前に坐った。そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。

私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

虎穴に入らずんば

先生は、ピアノを激しく鳴らし始めた。なにか、嵐のような曲であった。

その曲は、いつの間にか、嵐が止み、陽が輝き、小鳥たちが楽しくさえずる感じに変わっていった。

そして、いままで両手で弾いていた先生の片手が、私の肩にまわされ、片手で弾いているではないか。

その片手の指先からは、静かな、甘い曲が流れ出していた。

——きたナッ!

ブーちゃんの忠告があったればこそ、まだ二十歳前の私にも、これから、ナニが起ころうとしているのか、次の場面を予想するだけの余裕があった。

ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。

新宿慕情 p.108-109 グランドピアノの傍らでの〈立ちカキ交響曲〉

新宿慕情108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!
新宿慕情 p.108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!

ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。

——大きな声で叫んで、逃げ出そうか?

——それとも、このまま、なすにまかせて、いるべきか?

シェークスピア劇の主人公のようなセリフが、私の脳裡に浮かんだ。

だが、つづいて、私は、驚くべき決心をしていたのだった。

——いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。

——この絶好のチャンスを逃すべきではない。

いまになって考えてみると、当時から私は、〈旺盛なる社会部記者・魂〉の持ち主であったようだ。

同時に、私が読売新聞を退社するキッカケになった、「安藤組事件」のように、虎穴に入って虎児をつかむような、体当たり取材の精神が、双葉のうちから育くまれていたようだ。

——そうだ。チャンスだ。ここで逃げ出さずに、もう一歩踏みこんで、ナニが起こるのか、確かめるべきだぞ!

瞬間のうちに、そう判断し、決断を下した私は、まだ童貞だったというのに、この老ピアニストの唇の愛撫を、顔面いっぱいに受けていた。

彼は、私を抱いたまま立ち上がらせ、私のモノをまさぐりつつ、私の片手を誘導していくではないか。

次の瞬間、私の手は、あたたかく、柔らかいものに触れていた。

事態を認識した私は、それでも〝奇妙なエクスタシー〟におぼれながら、心の片隅で呟いていた。

つまらん! 初体験

——なんだ、つまらん! オカマなんて!

つまり、私が〝初体験〟の興奮と、〝新聞記者的好奇心〟に駈り立てられていた〈オカマの実態〉とは、単なる、センズリのカキッコに過ぎなかったのである。

大音楽家の自邸の、広い豪華な応接間の、グランドピアノの傍らでの〈立ちカキ交響曲〉は、終曲へと近づいていた。

コンダクターは、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、〝第一バイオリン〟の先端を包み、〝奏者〟には、自分の胸の絹ハンカチを取って、自分の〝タクト〟を押えるように指示した。

軽い、小さな叫びが聞えて、コンダクターの指揮棒は、こまかく震えた。……演奏は終わったのである。〝楽員〟も、コンダクターと同時に、演奏を終えたのだった——。

先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。

「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入

れに投げこまれた。

新宿慕情 p.110-111 カジヤマ・ウノ・カワカミ如き文章を書いて

新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」
新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

先生は、二枚のハンカチを手にして、バスルームへと、私を誘った。
「手を洗いなさい」と、ゼスチュアで示して、先生も、自らそうした。ハンカチは、洗濯もの入

れに投げこまれた。

夫人がいないのだから、これは、キット家政婦に洗わせるに違いない。

大阪のロイヤルホテルのバスルームには、ハンカチ大と手拭い大のタオル、それに大きなバスタオルと、三種類のタオルのほかに、食事のナフキンと同じ布地のものがセットされているので さる物知りにたずねた。

「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」

「毛唐どもは、京花(きょうはな紙)など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

そういう説明を聞いた時、私は、あの音楽家との〝交響曲〟の後始末を想い出して、ハハンとうなずいたものであった。

バスルームを出た先生は、まるで、ツキモノがオリたかのように、私などには眼もくれず、サッ、サッと、力強い足取りでピアノに向かい、また、激しく嵐の曲をカキ鳴らすのだった。

いまならば、これをオスペといい、フィンガーテクニックなどというのだろうが、ピアノ弾きの指の鍛練には、キット、あのようなオカマのスタイルが、必要なのであろう。

なぜひとり男装?

先生の演奏が、〝交〟響曲であって、〝後〟響曲でなかったのは、もはやふたたび、そのようなチャンスに恵まれないであろう私の〈性生活史〉にとって極めて、残念なことであった。

しかし、私のオカマ初体験が意外に〝健康的〟であったことが、私を精神的に健康にし、健康な肉体と、健康な性とを持たせてくれたのであろう。

もしも、この先生によって、〝後〟響曲を演奏されていたら私は不健康な男に成長し、カジヤマ・ウノ・カワカミ如き文章を書いて、〝性〟論新聞を主宰するようになっていただろう。

そのことを、太平洋戦争前にアメリカに移住していった先生に、感謝しなければなるまい。

またまた、余談が長くなってしまったが、松喜鮨のヤッちゃんが、ほんとうの薔薇門教徒なのか、どうか?

私には、ヤッちゃんとの〝交情〟がないだけに、どうも、営業政策のように思えてならないのである。

あのレコードジャケットで〝男装〟なのは、ヤッちゃんだけ、だから……。

〝禁色〟のうた

留置場では女無用

もうしばらく、オカマの話をつづけさせていただくことにしよう。

新宿慕情 p.112-113 留置場という〝仮の宿〟だから

新宿慕情 p.112-113 こうした拘禁状態の中で、セックスが、どういう形で出てくるかが、私の興味の中心だったけど、これが、まったく、期待外れであった。
新宿慕情 p.112-113 こうした拘禁状態の中で、セックスが、どういう形で出てくるかが、私の興味の中心だったけど、これが、まったく、期待外れであった。

留置場では女無用

もうしばらく、オカマの話をつづけさせていただくことにしよう。

「安藤組事件」で、犯人隠避容疑に問われて、警視庁の留置場に二十五日も入っていたのは、昭和三十三年の夏だから、もうあれから十七年も経ってしまったことになる。

外人の老ピアニストに、唇を求められた少年の日に、「エエイ、もう一歩、踏み出そう」と思ったように、私が留置場に入った時も、〈社会部記者の好奇心〉はみちみちていた。

留置場という、特殊な社会でも、それなりに、社会秩序維持の不文律があった。

各檻房には、檻房長官がいてそれぞれの容疑罪名が、ステータスになっていた。

傷害とか、銃刀令とか、やはり、〝力〟が正義であった。殺人未遂はいたが、殺人はいなかったので、殺人が、どれほどの地位におかれるのかは、不明であった。

いずれにせよ、暴力団のケンカのたぐいが、大きな地歩を占めている。

だから、サギや窃盗などは、この社会では一番軽蔑されるようだ。不思議なことには、スリだけは別格で、やはり、技術者として、尊敬されている。

こうした拘禁状態の中で、セックスが、どういう形で出てくるかが、私の興味の中心だったけど、これが、まったく、期待外れであった。

留置場での生活では、〝女〟は、まったく問題外であった。

朝、検察庁へ行く時、手錠をかけられた連中は、手錠の両手をつなぐクサリの、その真ン中にもうひとつ、丸いワッパがついていて、その穴に、太いロープを一本通されて、いわゆる数珠つなぎになる。

私は〈特別待遇〉で、この数珠つなぎを経験せず、いつも、単独護送で、仲良しになった刑事とふたり、たがいに片手錠をかけて、桜田門から、向かい側の地検にブラブラと歩いていった。

ズボンのポケットに手を入れて、ふたり並んで歩くのだから、手錠は隠れて見えず、あまり、不愉快な思いはしなかった。

ただ一度、夜の呼び出しがあって、当直の、知らない刑事に連れられて行った時だけ、両手錠に、腰縄を打たれたのが、すごく屈辱的だった。

毎朝、この数珠つなぎを見ていると、男を全部つないだあと、今度は女性をつなぐ。それを見ていて、女に並んだ、男の最後のヤツが、うれしがるかと思ったらまったく無関心なのである。

留置場の窓から、警視庁の中庭を眺めていて、美人が通るのを見かけても、房内のだれもが関心を示さない。

ここでの生活の、最大の関心事は、金網の針金をヘシ折って小さなクギを作り、それで、壁や板の床に、カレンダーを書いては、毎日、毎日、それに×をつけて、保釈や、釈放の日を指折り数えることだけ。

しかし、その道の先輩たちにたずねてみると、それも留置場という〝仮の宿〟だからであって、拘置所や刑務所送りになって、拘禁の期限がハッキリすると、やはり、男色はあるそうである。女への関心も、グッと高まるそうだ。

事実、シベリアの捕虜生活でも、可愛らしい少年兵がいたので、男色はあった。もっとも、そ

れも、体力がつづいていた二十年の暮れまでで、それ以後はサッパリだった。

新宿慕情 p.114-115 夜の彼女らの艶姿など想像もできないほど

新宿慕情 p.114-115 オカマの多くは、こうして、女装によって、女の芸を売り物にして生活しているらしい。そして、それはそれなりに健全で…
新宿慕情 p.114-115 オカマの多くは、こうして、女装によって、女の芸を売り物にして生活しているらしい。そして、それはそれなりに健全で…

事実、シベリアの捕虜生活でも、可愛らしい少年兵がいたので、男色はあった。もっとも、そ

れも、体力がつづいていた二十年の暮れまでで、それ以後はサッパリだった。

あの慢性飢餓の中では、軍医と医務室勤務者、炊事兵と主計に、洋服職人とか大工などの、腕に技術のある連中は、暖かい部屋と豊富な食料とで、ロシア女と遊べるだけの、体力、気力を持ちつづけたようだった。

オカマにもランク

松喜鮨のヤッちゃんに買わされたレコードは、こんな内容である。

▼おかまの政治演説(演説)▼薔薇の刺青(唄)▼告白録(身上話)▼転落詩集(唄)▼天国と地獄(合唱)▼青少年のための男色入門(唄)▼男娼巡礼歌(唄)……。

これでみても、男色とか、男娼という言葉が使われており、転落したという感じで、身上話をしたがっている彼女(?)らの意識がうかがわれる。

ところが、ヤッちゃんは「白浪五人男(劇)」で、台詞をウナっているだけで、解説に付いている広告でも、「江戸前・松喜鮨・東京のかくれた名所、ここが有名なホモ寿司です」と、明るい。

赤坂の「紫」の、ラインダンスのショーなどは、踊り子が、やや大ぶりなだけで、テレビのナンバーワン・ダンサーズなどに、優るとも劣らない。

衣装の豪華さや、ダンスの訓練なども、堂々たるものだ。ただ、言葉を話すとダメだし、あまり明るい光線でもダメ。

六本木の「バレンチノ」なども、店が狭いので、群舞はないが、唄も踊りも、なかなかどうして、といえる。

銀座の「やなぎ」は、他の各店が、いずれも洋風なのに対して、純日本調だ。

カウンター前にゴザを敷いて、ママの唄で、四人が揃って踊る時などは、あでやか、といえよう。ここの君香クンなど、まげも似合うし、唄声は、女そのものである。

オカマの多くは、こうして、女装によって、女の芸を売り物にして生活しているらしい。そして、それはそれなりに健全で、タレントとして〝生活の設計〟も堅実に見受けられる。

日中、新宿の盛り場で、オープンシャツの青年に目礼されて、スレ違ってから「ハテ、だれだっけ?」と、ふり向いて考えてしまったことがある。

この、マジメそうな青年も、またふり返って、ニッコリと笑った。笑顔と、手に提げたカツラ箱とで、「アア、やなぎ……」と、やっとわかったのだが、ひる間見る彼らの姿からは、夜の彼女らの艶姿など、想像もできないほど、チャンネルを使いわけている感じがするのだ。

前に、ヤッちゃんたちのレコードのジャケットについて、私は、「〝醜怪〟としかいいようのない女装の連中」と、書いたのだが、この写真が、篠山紀信の手になるだけに、そんな感じの連中を前面に大きく出しているかも知れない。彼女(?)たちの、性生活については、十分な知識がないので果たして、私の体験したような程度なのか、もっと、スサマジイものなのか、そこまでは知らないが、〝醜怪〟なのはやはり、二流、三流の、芸のないオカマであろう。

新宿慕情 p.116-117 案内した悪童どもは「特訓の成果は十分だった」と

新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。
新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

前に、ヤッちゃんたちのレコードのジャケットについて、私は、「〝醜怪〟としかいいようのない女装の連中」と、書いたのだが、この写真が、篠山紀信の手になるだけに、そんな感じの連中を前面に大きく出しているかも知れない。彼女(?)たちの、性生活については、十分な知識がないので果たして、私の体験したような程度なのか、もっと、スサマジイものなのか、そこまでは知らないが、〝醜怪〟なのはやはり、二流、三流の、芸のないオカマであろう。

芸がなければ、売春するより生きてゆく途はない。倒錯性慾者などは、このジャンルに含まれるようだ。

新宿の街の、小さなオカマバーなどには、演歌の歌い手さんのような着物を着て、態度や話し方だけ、女ッぽくする〝異様な感じ〟の男たちがいる店もある。

そんな店は、ワイ雑で、彼女らのホステスぶりも、下品で、エロ・サービスに近い。

エリートの初体験

NTVの小林与三次社長が、自治省次官を退官して、読売に入社した当時、編集局の中堅どころの記者たちと、しきりに、懇親を深めて、新聞社の幹部たるの〝教養〟を、身につけようとしていたものだ。

そんなある日。記者たちが、新宿は区役所通りの「ローズ」という店に案内していった。

正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

女たちに囲まれ、〝部分〟をつかまれたり、下卑た媚態などで迫られたりするのだから、ビックリ仰天もムリはない。

案内した悪童どもは、「特訓の成果は十分だった」と、よろこんでいたのだから、目撃者でなくとも、察しはつくというものだ。

(写真キャプション)西銀座の「やなぎ」では、芸者さながらの組踊り

〝特訓〟といえば、こんなこともあった——私が警視庁記者クラブ詰めだったころ、読売の原副社長を、新任の社会部長としての歓迎パーティに招いた。

会場は浅草。余興として、保安課のベテラン刑事に頼んで、〈花電車〉を呼んだ。

六区ウラあたりの、小さな旅館の一室に、クラブ員と部長とが並んだ。隣室では、シロシロのショーが行われていて、アヤシ気な物音がしたりする。

〈花電車〉は、いうなれば、奇術ショーのフンイキだ。皮切りは、筆をハサんで、「祝・部長就任」などと、達筆で書いてくれたりする。

チリ紙を丸めたものに、ヒモをまきつけ、それをハサミこんだ上、他の端を、座敷卓の足に結びつけ、卓上に男をひとり乗せて、ジリ、ジリッと引っ張って見せる。