大きくいえば、前述の経済、文化工作も政治工作に入るだろうし、現象面に現われてくる事実も何工作と分類できないものが多い。ここでは気にかかる事実を並べてみよう。
1 代表部では二十一年三月に鎌倉市材木座一二四高島直一郎氏所有の洋風平屋建一戸をアジェフ・ニコエフ名儀で買収、さらに二十三年に同町一二七八徳川義親氏邸を買収しようとして、総司令部に止められていたものを、二十一号館を返還した昨夏再び同家に働きかけ、日本人名儀で買取り同人を留守番として住まわせている。
2 この時期に通商代表部は多額の金を某銀行から引出している。
3 メーデー騒じょう事件で、俄然注目を集めた二名の怪外人(藤川アンナ女史でない)のうち一名は、青島より戦後入国した白系露人、他の一名はシベリヤで捕虜に日本語新聞を発行していたコバレンコ中佐で、タス通信記者を装って入国したとみられている。しかも両名は日共関係集会に常に姿をみせている。
4 図書、酒、食料品などの秘密移動市場が都内の空倉庫で開かれ、党員など関係者が只同様に買取って解散する。彼らはそれを高く転売して活動資金としている。
5 食料品、酒はソ連帰還者や第三国人の経営するレストラン、バー、ナイトクラブに送られる。白系露人の多く出入するクラブや喫茶店が増えてきている。渋谷のR、銀座のH、新橋のT、上野のLなど
6 国際ヤミ商人で有名な米人の経営するR店にはこの時期に代表部職員だった白系露人が入社している。
7 代表部の乗用車が都内および三鷹、立川、青梅などの近郊五コースを無停車で走り廻り、しかも一
定地点で必らず超短波無線連絡をとっている。
第一期工作の平静さに比べて、この第二期工作は、眼まぐるしいほどの事件が起きている。しかもその前期は隠密工作で、後期は前期の反動心理を利用した煽動工作である。第二期はこのモスクワ会議で終了し、その目的を達して成功したとソ連側ではいっている。
この間にソ連側が得た最大のものは、各種財界人の色分けが明らかとなり、日本の各個人、各商社の情報資料を入手して全く確認し得たことだ。これは次期(第三期)工作の重要な基礎資料であって、これをすべて握ったことはソ連側として最大の収獲であり、また同時に日本経済界の地ならし工作の成功といえる。
この方面の情報によるとソ連側が最も興味を持っているのは、さきにも述べたように関西財界である。関西財界を思うツボに引ずり込んだ功績は、神戸市生田区山手通二のコウべ・ソヴェト・コミッティだ。ここは元来、経済、文化関係のクラブで、委員長グロレフスキー(二十六年十一月死亡)委員ジム・グロレフスキー(代表部書記、父委員長の死後その跡を継いだ)同キシコフらが仕事を担当、実質的には代表部の関西支部となっている。
二十九年秋の神戸市警の調査によれば、このメムバーも変り、会長はポロシン(洋服地行商)委員としてフェチソフ(洋裁店主)、ベルモント(会社支配人)、ゴロアノフ(拳闘家)、ユシコ フ(無職)らが幹部になっている。