月別アーカイブ: 2020年6月

迎えにきたジープ p.114-115 右側が例のキリコフ大尉なの?

迎えにきたジープ p.114-115 There was a spy system in the camp. He was also convinced that the epidemic of typhus fever must be a Soviet plot.
迎えにきたジープ p.114-115 There was a spy system in the camp. He was also convinced that the epidemic of typhus fever must be a Soviet plot.

そしてもう一台の車。これは必らず何処からか現れてモロトフを尾行する。だが車は自家用や三万台だったり、ハイヤー、タクシーのこともある。運転手だけは変らない。

六本木に向って黒い自動車が疾走してくる。白Yシャツにハンチングの運転手で、客席には

誰もいない。歩いて行く二人のソ連人の手前で、自転車でも避けたのか、グッとカーヴを切ってまた元通りに走り過ぎた。

『成功、成功。これで写真はOKヨ!』

ペタリと後の坐席に伏せていた婦人が、起き上りながら運転手に笑いかけた。なんと先程のポンティアックではないか。

『ハハハ、誰だって車がグッと寄ってくれば、ハッとして車の正面を見るからね。ライトと見せかけたレンズがそこをパチリさ。人間は危険を感じたとき、ポーズを失ってその本当の表情を浮べるから、間違いのない写真がとれるというものだ』

『右側の男が例のキリコフ大尉なの?』

『どうもそうらしい。写したから分るサ』

運転手もニヤリとして答える。勝村良太の五年目の姿だった。

勝村は四十二度もの高熱を出し、約二週間も人事不省だったが、よく心臓がもちこたえて、ついに発疹チフスを克服した。

春になって捕虜名簿の作製が始まると同時に、元憲兵、特務機関、特殊部隊などのいわゆる前職者の摘発が盛んになった。

そのため収容所の政治将校は、所内にスパイをつくり、これに調査密告させるという、いわゆる「幻兵団」なるものを組織した。

幸い彼は脳症中も前身を曝露するようなうわ言もいわず、上等兵として通用したが、例の小便樽で行水を使った男は、うわ言からハルビンの石井部隊の有能な技師で、本多福三だということが判り、密告されて収容所から消えていった。

銃殺されたといい、北シベリヤの監獄に送られたなどという者もあったが、誰もが疑い深くなり、あまり人の噂などしなくなってしまったので、その後の本多技師の消息なども、ピタリと絶えてしまった。

勝村はそんな収容所の空気から、本能的にスパイ制度があることをかぎつけ、商売柄興味をもって丹念にそのスパイの実情を調べていた。

また同時に、あの発疹チフスの蔓延は謀略に違いないという確信を抱き、裏付け搜査を行うことも忘れなかった。

表面はあくまで民主主義者を装っていた彼は、引揚が始まると要領よくその一員にもぐりこんで、比較的早い二十二年の暮には舞鶴に上陸していた。

戦死者としてすでに軍籍も失っていた彼は、そこで意外にも嘗つての上官、露人班々長や保

護院長だった青木大佐に解逅した。大佐は飛行機で内地へ帰り、今はその対ソ工作の腕を買われて、CICの秘密メンバーとなっていた。対ソ情報については流石の米国も、元日本軍人の協力を乞わねばならなかったのであった。

迎えにきたジープ p.116-117 メジャー・田上の名前は耕作

迎えにきたジープ p.116-117 "In my judgment, he is the de facto director of the information department of the representative of Soviet, and is definitely Captain Kirikov, who arrested Japanese bacterial war criminals in the Khabarovsk trial."
迎えにきたジープ p.116-117 ”In my judgment, he is the de facto director of the information department of the representative of Soviet, and is definitely Captain Kirikov, who arrested Japanese bacterial war criminals in the Khabarovsk trial.”

戦死者としてすでに軍籍も失っていた彼は、そこで意外にも嘗つての上官、露人班々長や保

護院長だった青木大佐に解逅した。大佐は飛行機で内地へ帰り、今はその対ソ工作の腕を買われて、CICの秘密メンバーとなっていた。対ソ情報については流石の米国も、元日本軍人の協力を乞わねばならなかったのであった。

東京の顔、銀座。そして夜の銀座の裏通。バンドの旋律に乗って嬌声のこぼれる西銀座も、四丁目から京橋寄りに入ると、幾分静かになって何かホッとした感じになる。

スカッとした二世スタイルになった勝村は並木通りに入る。外人兵の集まるクラブのはずれに進駐軍ナムバーの車が沢山駐車している。時計をみて勝村はウインドウを覗いた。尾行を調べる習慣的な動作だ。

彼を乗せた一台の車が静かにスタート。諜報将校で二世には少ない少佐だった。ラジオを入れて音楽を流す。バックミラーを睨みながら尾行する車があるかどうか注意する。朝鮮動乱が始まってからようやく一年になろうとしていたので、米国も必死になって対ソ諜報に努力を傾けていた。

『御苦労さん。写真の男判りましたか?』

『一九五一年、つまり今年の三月廿三日芝浦入港のソ連船スモールニー号で入国した男です。

資格はシビリヤンで代表部雇員、エゴロフということになってますがね』

『トンデモハップン、ですか。ハハハ』

メジャー・田上は冗談を飛ばしながら、スッと車を走らせて東銀座へ渡り、小さなバーのネオンの下に停めた。二人きりの車内、ラジオを流して盗聴を防ぎ、しかも盛り場の明るい灯の真下で、通りすがりにでも車内の顔をみせないという心くばりだ。

『私の判断では、事実上の代表部情報部長であり、例のハバロフスク細菌戦犯の摘発をやったキリコフ大尉に間違いないですね』

『キャプテン・キリコフは進級したよ』

『ホウ、そうですか。その功によりですな』

『キリコフか?』田上少佐は溜息をもらしながら、また車を移動した。

『最近の動きをみていますと、例のUSハウス九二六号が、大尉(カピタン)・キリコフ、いや、少佐(マイヨール)・キリコフですか、奴の根拠地です。あの辺は米軍の部隊ばかり……』

『燈台下暗しでしたね』 メジャー・田上の名前は耕作といった。名前を説明して『耕やす作ると書きます。私の父は百姓ですから……』と笑うような二世だった。日本人の気持が良く判るのでこの仕事も旨く行くのだろう。

迎えにきたジープ p.118-119 帰国した大谷小次郎元軍医少将

迎えにきたジープ p.118-119 If it turn out that Kirikov arrive, he is the authority of the germ war, so we must pay attention. He will probably contact Maj. Gen. Otani, so let's arrest there.
迎えにきたジープ p.118-119 If it turn out that Kirikov arrive, he is the authority of the germ war, so we must pay attention. He will probably contact Maj. Gen. Otani, so let’s arrest there.

『それで……、メジャー・田上。五十年四月の信濃丸で帰国した大谷小次郎元軍医少将のこと覚えていますか』

勝村が緊張した表情になったので、田上少佐も鋭くバックミラーを覗いた。

『あの人の行動は確かにおかしいですね』

『そんな呑気なことぢゃ困りますよ。大谷少将は習志野のメムバーになってるのを知ってますか。馬鹿々々しい』

『エ、あの石井部隊長の処にいるッて?』

『そうです。私も昨日はじめて知ったのですが、米軍も横の連絡が悪いのは日本軍と同じですなあ』

さすがに田上も顔色が変った。

『キリコフが着任したとなると、細菌戦のオーソリティだけに気を付けないとなりませんよ。奴はきっと大谷少将に連絡をとるでしょうから、その現場を押えましょう』

『是非、そうして下さい。私の方では、彼と一緒に帰った将官連中から、貴方へ情況を知らせましょう』

『メジャー・田上。並木元少将のことでしょう?  御存知でしょうが彼は二重諜者(ダブルスパイ)ですから充

分注意して下さい』

『ハイハイ。ミスター・勝村。私はいつも叱られてばかりですね』

車は東京温泉の前で止った。

『オット、忘れていました。頼まれていた例の証明書です』

田上が差出す小さな紙片を、勝村はうなずきながら受取った。

自動車年式オヨビ型式
一九四二年 ポンティアック箱型
車輛登録番号 三〇七九四
所有者 ——
関係者各位
重大ナル交通違反オヨビ事故以外、当自動車ハ抑留サルルコトナク、又運転手オヨビ同乗者モ尋問サルルコトナシ
警視総監 田中栄一 印

その紙片にはこう書いてあった。大変な許可証である。もちろん、こんな許可証はこれ一枚限りで、他には発行されていないことはいうまでもない。

迎えにきたジープ p.120-121 細菌戦の権威は習志野に

迎えにきたジープ p.120-121 Bacteriology in Japan was at the top level in the world, and advanced in the field of bacterial warfare. The aim of the Soviet rapid invasion was to obtain the flawless research results of Ishii Unit.
迎えにきたジープ p.120-121 Bacteriology in Japan was at the top level in the world, and advanced in the field of bacterial warfare. The aim of the Soviet rapid invasion was to obtain the flawless research results of Ishii Unit.

田上が差出す小さな紙片を、勝村はうなずきながら受取った。

自動車年式オヨビ型式
一九四二年 ポンティアック箱型
車輛登録番号 三〇七九四
所有者 ——
関係者各位
重大ナル交通違反オヨビ事故以外、当自動車ハ抑留サルルコトナク、又運転手オヨビ同乗者モ尋問サルルコトナシ
警視総監 田中栄一 印

その紙片にはこう書いてあった。大変な許可証である。もちろん、こんな許可証はこれ一枚限りで、他には発行されていないことはいうまでもない。

勝村は例のドライヴごっこを受持ったのだが、尾行中に交通巡査に止められて、モロトフを逃すことがしばしばだったので、田上に警視総監の特別許可証を頼んでいたのだった。眼を通した勝村はニヤリと笑った。

『ありがとう。総監もこんな証明書を出したのは生れて始めてでしょうナ』

勝村は大仰な身振りで別れを告げて、東京温泉の中に吸い込まれた。この建物も外人記者たちの報じたように〝東京らしい歓楽境〟の一つだ。

——大谷が習志野学校にいるとは、飛んでもない話だ。すでに内容は盗まれているかも知れない!

メジャー・田上は車を走らせながら、いつか勝村から受けた報告を想い出した。それは平壤の細菌試験所長チェレグラワー女史と大谷少将が協同でやったハルビンの生体解剖事件のことだった。

昭和二十年八月九日、ハルビンの石井部隊ではソ連の参戦を知って、てんやわんやの騷ぎだった。同夜中に林口、海林、孫呉、ハイラルの四支部に対して業務用建物、宿舍、設備、資材一切の書類の焼却命令が暗号電報で打たれた。同時に本部でも重要な施設や書類は直ちに朝鮮と内地とに移し、残りは爆破、焼却された。

しかし石井部隊の成果は、部隊長とともに飛行機で内地に帰ってきたのである。日本の細菌学は世界でも一流であり、細菌戦に関しても進んでいた。ソ連の迅速な進撃の狙いは、石井部隊を無瑕のまま押えることにあった。その成果をそっくりそのまま頂戴しようというのだ。

ドイツを占領したソ連軍は、光学器械で有名なツアイス・イコンの工場をそのまま押さえ、工場施設から技師、工員にいたるまで、そのままウクライナのキエフに移して生産を再開させた。そしてコンタックスと寸分違わぬカメラ「キエフ」を作った伝である。

ソ連側の企図は完全に成功しなかったが、ハバロフスク裁判の被告をみると、関東軍軍医部長医博梶塚中将、石井部隊製造部長医博川島少将、同教育部長西中佐、同製造部課長柄沢少佐、同支部長尾上少佐、第五軍軍医部長佐藤少将、関東軍獣医部長高橋中将らの幹部や、細菌学専門家を押えているので「矯正(強制?)労働として、石井部隊の再現と、その研究を進めさせるだろうことは想像に難くない。

一方撤収した施設は、南鮮で米軍に押えられ、千葉にあった習志野学校もまた接収された。試みにあの習志野原を横断して見給え。

米式装備で演習に励んでいる自衛隊に気を奪われて、何気なく見落してしまいそうだが、昔の習志野学校は厳重に鉄条網が張りめぐらされ横文字の札が立っている。内地に帰った細菌戦

の権威は今迎えられてここの研究指導を行なっているのだ。まさに日本の研究は米ソ両国に山分けされたことになる。

迎えにきたジープ p.122-123 米ソの細菌戦準備の状況

迎えにきたジープ p.122-123 According to the "Tairiku-mondai" magazine, the status of preparations for bacterial warfare of the US and the Soviet Union are as follows. In the Soviet, Dzerzhinsk, Yevpatoria, Omsk, Tomsk, and in the US, Maryland's Detrick Camp...
迎えにきたジープ p.122-123 According to the “Tairiku-mondai” magazine, the status of preparations for bacterial warfare of the US and the Soviet Union are as follows. In the Soviet, Dzerzhinsk, Yevpatoria, Omsk, Tomsk, and in the US, Maryland’s Detrick Camp…

米式装備で演習に励んでいる自衛隊に気を奪われて、何気なく見落してしまいそうだが、昔の習志野学校は厳重に鉄条網が張りめぐらされ横文字の札が立っている。内地に帰った細菌戦

の権威は今迎えられてここの研究指導を行なっているのだ。まさに日本の研究は米ソ両国に山分けされたことになる。

米ソの細菌戦準備の状況について「大陸問題」誌は次の通り報じている。

ソ連のジェルジンスク市の研究所は、四基のすばらしいツアイス顕微鏡とソ式の細菌増殖用密室二、真空乾燥器一を備えている。乾燥器とは長期にわたって細菌を高度の濃縮状態で乾燥保存するものだ。ここには七十人の学者が働らき、独人八、芬人二、日本人三が含まれている。彼らは事実上罪人として扱われている。

同じくエフパトリヤ第二号実験所では、ジェルジンスクと同じ程度の設備で、全世界の細菌学のどんな小さな成果も文献として集められていた。所員のボローニン教授はシベリヤ疫菌の濃縮溶液という新兵器について語った。

『極めて小さなガラスビンにその溶液を入れ、普通の封筒に入れて郵送する。そのガラスビンが潰れたとき、全郵便物が毒化されて配達される』と。

またオムスク試験所では、コレラやペストやおうむ病の〝死の雲〟について研究されていた。そしてトムスク試験所では誘導弾による細菌散布が研究されている。

米国においてはどうであろうか。米陸軍化学部長ボーリン将軍は、下院の秘密会議でメリーランド州デトリック・キャンプの細菌兵器研究部の拡張のため、千七百万ドルの予算を要請したという。

 米国軍事化学勤務隊の報告によると、おうむ病(濾過性病原菌によるもので、おうむ、カナリヤなど家禽から伝染する。二週間位高熱を発し、気管支性肺炎を起す、死亡率30%前後という)細菌溶液の僅か一CCは千五百万人を感染させるに充分で、一クォート(一・一三六リットル)で七十億人を殺すことができるという。

三 帰ってきたダンサーたち

東京温泉に入った勝村は入口の戸によりそって、暫く通りに注目していたが、何もないと安心したのか、フラリと出て電車通りを渡っていった。

銀座八丁目、果物屋の二階にあるクラブ・ピジョンは外人客ばかりの店だった。資本は荘という中国人が出していたが、経営者はザバスライフという白系露人。

銀ブチの角眼鏡をかけた二世スタイルの勝村が、ダンサーのチェリーと踊っている。

すんなりとのびた肢態が、ドレス姿を引立てる外人好みの娘だった。つけまつ毛の眼が媚を含んで、勝村の胸にもたれた。

『ネ、キリコフが来ていてよ』

ささやく声は、何という変りようだ! あのポンティアックの上品な若奥様と同じではないか。勝村もうっとりと眼をつむり、香ぐわしいようにチェリーの耳に口を寄せる。

『どこ? 連れは?』

『貴方の真後から、指三本右のテーブル。三人連れで、一人は……ホラ大谷少将。もう一人の日本人は知らない』

迎えにきたジープ p.124-125 チェリーが知らないといった男

迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a "spy's house" beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.
迎えにきたジープ p.124-125 There is a shrine on the west side of Heihe and there is a “spy’s house” beside it. Manchurian spies regularly go to Blagoveshchensk for hand over the information of the Japanese side to the Soviet side, and receive the information of the Soviet side instead.

『ネ、キリコフが来ていてよ』

ささやく声は、何という変りようだ! あのポンティアックの上品な若奥様と同じではないか。勝村もうっとりと眼をつむり、香ぐわしいようにチェリーの耳に口を寄せる。

『どこ? 連れは?』

『貴方の真後から、指三本右のテーブル。三人連れで、一人は……ホラ大谷少将。もう一人の日本人は知らない』

視線があちこち動くと怪しまれるので眼をつむっているのだ。恋のささやきとしか見えない二人の姿だった。静かにターンをして位置をかえる。目指すテーブルには……

——見たことがある男!

チェリーが知らないといった三人目の男。彼は眼をつむったままリズムに乗ってゆく。

——ああ想い出さない!

——あの濃い眉。険しい鼻。特徴のある男なのに、どうしても思い出せない!

彼の記憶は、何か薄いヴェールを冠ったように、どうしてもよみがえって来ない。チェリーが身を起して、彼をまともにみつめた。その眼が『どうしてステップをまちがえたの? 取乱すとヘンよ』と訴えている。ニッコリうなずいて、背中にあてた腕に力をこめて抱きしめた。

——可愛いい奴! 名前を訊いておけよ。

と、眼で答えると、カッと胸の奥底から熱い血がこみあげてきた。

——何故、何故、奴らがこの女を抱きしめるのを、俺が黙っていなければならないんだ!

たまらない気持で勝村は階段を下りていった。

——和子、お前はどうしてダンサーになぞなったんだ。

もう十年も前のこと——

外出さえ禁止された長い長い一年が過ぎ、日本陸軍が誇る近代的謀略学校「中野」を卒業した勝村中尉は、作ってからはじめて袖を通した軍服の胸を張って、待望の満ソ国境へ赴任のため特急「あじあ」の座席にゆられていた。

来る日も来る日も荒涼たる色彩のない風景。黒い豚。そして国際謀略都市ハルビンへ——ここ小上海の目抜き通りはキタイスカヤ街。ライラックの花咲く松花江(スンガリー)の河岸である。

機関長に着任の申告を済ませたその日、勝村の諜報将校としての生活がはじまった。軍服をサラリと脱ぎすてた自称満鉄社員は、日、満、露、華、蒙そのほか国籍も分らぬ、いろいろな人間と一緒くたになってうごきはじめたのだ。やがて彼は黒河出張を命ぜられた。

黒竜江(アムール)一本をへだてて、対岸は指呼の間にソ連領ブラゴヴェシチェンスク市だ。黒河の町は、謀略と諜報の第一線だけに、学校では教えてくれなかった不思議な情報交換組織があった。

黒河の町の西はずれに神社がある。そのそばには「工作家屋」と呼ばれる建物があるのだ。人相、年齢、氏名をソ連側に通告した満人の諜者が二、三名いる。

彼らは定期的に、定められたコースで対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そ

こで携行した日本側の情報を渡し、またこちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが役目だ。

迎えにきたジープ p.126-127 戸籍まで抹殺された

迎えにきたジープ p.126-127 All personnel documents about him have been burned down. He was reported dead. And there is only one superior who knows what happened to him--this was the fate of Nakano graduates.
迎えにきたジープ p.126-127 All personnel documents about him have been burned down. He was reported dead. And there is only one superior who knows what happened to him–this was the fate of Nakano graduates.

黒河の町の西はずれに神社がある。そのそばには「工作家屋」と呼ばれる建物があるのだ。人相、年齢、氏名をソ連側に通告した満人の諜者が二、三名いる。

彼らは定期的に、定められたコースで対岸のブラゴエに渡り、ソ連側の工作家屋に行く。そ

こで携行した日本側の情報を渡し、またこちらの要求する、ソ連側の情報をもらってくるのが役目だ。

その次には、同じようなソ連側の諜者が舟を出して、黒河の東はずれ海蘭公園のあたりに上陸する。そこから河岸沿いに町を横切り、西郊の工作家屋にやってくる。同様に情報を提供し、要求する。

この組織は定められた諜者と定められたコースにだけ、憲兵とゲ・ペ・ウの治外法権を認め合っている。相手側に対する質問の仕方と、その質問に対する返事の仕方、そこに双方の工作主任の力量がある。七割与えて十割とるというわけだ。

そんな国境地帯の任務が終って、ハルビンに帰ってきた勝村は、やがて大尉になった。

勝村のハルビン在勤時代、当時の機関長土居明夫大佐の有名な「秋林(チュウリン)工作」が行なわれた。そのころ女学校を出たばかりの和子は工作の舞台となった秋林百貨店の売場に、まだあどけなさの脱けきらぬ姿をみせていたのだった。

満鉄社員と称して、足繁く出入りする勝村に若い和子の魂は魅せられてしまった。だが、すでに次の任務を授けられて、妻帯する自由もない勝村には和子の気持を受入れることはできなかった。しかしたった一度、勝村がブラゴエ潜入を命ぜられて、それとなく別れを告げに逢っ

た夜、二人は愛情を誓い合ってしまったのだった。

まだ毛皮外套(シューバー)の放せないある朝のことであった。満鉄社員勝村の家は、数名の憲兵に寝込みを襲われた。隣り近所の眼をみはらせて、勝村は連行されていった。

かつて彼が決定した数多くの甲処置、乙処置と同じ運命が彼を手招いているのだ。もちろん取調べとてなく、あちこちの衛戍(えいじゅ)刑務所や一般の刑務所を転々と移され、彼の行方をこんがらからせた。そして、さらに数ヶ月の間、ハルビン郊外の一軒の家に潜伏していた。

その間に着々と準備は進められた。彼の軍籍に関する一切の人事書類が焼きすてられてしまった。郷里には〝戦死公報〟が出され、戸籍まで抹殺されたのだ。潜伏のアジトの高い塀に囲まれた僅かばかりの庭を、檻の中の動物のように歩き回る毎日が続いているとき、機関の露人斑長青木大佐が現れた。

『命令。勝村大尉ハ……』

直立不動の姿勢で聞く命令下達。伸ばした左手には軍刀の冷たい感触もなかったし、あげた右手には位置すべき軍帽のつばもふれなかった。秘めやかな壮途、そして彼がどうなったかを覚えていてくれる日本人は、命令下達者たった一人しかいない——これが中野学校卒業生の歩むべき道であった。

迎えにきたジープ p.128-129 恐しい誓約書を書きました

迎えにきたジープ p.128-129 In Harbin, like every night, Communist Party military police squad with large pistol patrolled the dance halls. The purpose was to hunt for the Kuomintang special agency (kuo-tau).
迎えにきたジープ p.128-129 In Harbin, like every night, Communist Party military police squad with large pistol patrolled the dance halls. The purpose was to hunt for the Kuomintang special agency (kuo-tau).

ソ連潜入! 別れねばならなかった愛する和子への、一沫の哀愁を抱いて、彼は特殊任務のため、再び黒河に潜行した。渡河の機会を狙っているうちに、やがて終戦の日が来た。逃げる暇もないソ連軍の進撃に、彼は捕虜としてシベリヤに送られたのであった。

彼が青木大佐の部下として舞鶴で働らいていた、二十四年の九月ごろ、初の中共引揚として、大連集結の婦女子が高砂丸で帰ってきたことがある。その中に華やかな色どりをみせていたのは、中共の享楽追放でハルビンを締出されたダンサー・グループであった。

こうして、再び相見ることはないはずの、勝村と和子はめぐり逢った。解逅の感激はロマンチックであったが、十年近い歳月の流れという現実はきびしかった。

長い長い抱擁と涙ののち、鋭く勝村に問いつめられて、いまはチェリーと名乗る和子は、その赤い密命にのろわれた数奇な運命を語った。

『覚悟はしていたものの、やはり、あなたが憲兵に連れていかれてからは、一月余りも毎夜泣き通しでした……

野獣のようなソ軍を防ぐために、進んでシルクローズのダンサーになりました。これがそもそもの悪夢の始まりだったのです。ソ連兵が去り、国民党が中共に追い出されて、どうやら秩序が回復しかけてきたころです。

中共の享楽追放は、ハルビンの街のネオンを一つ消し、二つ消し、重税と厳重な取締りとで、私たちの回りにもヒシヒシと迫ってきました。

毎晩のように、何回となく、木のケースに入れ長い飾り紐をつけた大型拳銃を、ブラブラさせながら、五人、十人と隊を組んだ中共の執法隊が廻ってくるのです。

第一の目的は国特(クオトオ)狩り、つまり国民党特務を摘発しようというのです。そのため、私たちには密告のノルマが課されたほどです。

第二の目的は課税です。踊っている中国人は住所、氏名、職業を調べられ、果して遊ぶだけの正規な収入があるのか、不正な金ではないかとニラまれ、それだけ収入があれば遊ぶ余裕があるとして、それだけ重税を課せられるのです』

和子は苦しい想い出に眉をしかめた。

『こうしてお客が減り、私たちの生活が苦しくなってきたとき、ソ連の政治将校のイワノフスキーが足繁く通いはじめました。やがて、私たちを身動きのならない羽目におとしこんで、スパイになるようにと脅迫するのです。

身体を投げ出して逃れようとした人もありました。けれども無駄でした。汚されたうえに更に脅迫が続くのです。一人落ち、二人承知し、次々に恐しい誓約書を書いてゆきました。そし

て私もとうとうその一人になりました。

迎えにきたジープ p.130-131 あの濃い眉と険しい鼻の四十男

迎えにきたジープ p.130-131 Katsumura remembered. Siberia five years ago. A man who jumped into a urine barrel with encephalopathy when typhus fever was raging. It overlaps with the man's face he saw at Club Pigeon.
迎えにきたジープ p.130-131 Katsumura remembered. Siberia five years ago. A man who jumped into a urine barrel with encephalopathy when typhus fever was raging. It overlaps with the man’s face he saw at Club Pigeon.

身体を投げ出して逃れようとした人もありました。けれども無駄でした。汚されたうえに更に脅迫が続くのです。一人落ち、二人承知し、次々に恐しい誓約書を書いてゆきました。そし

て私もとうとうその一人になりました。

非生産的で、働らかざるものは食うべからずというので、私たちダンサー十五人は強制送還ということになりましたが、列車の停る度毎に、青帽子に青肩章の将校が、誓約書の念を押し、大連の出帆真際まで執拗に脅迫が続いたのです。

東京での仕事は、必ずアメリカの将校のくるキャバレーと決められ、情報収集が命令されました』

呟くような声で、和子の想夫恋は、るるとして続いていた。

『だけど、私にはあなたが生きているとは信じられなかったの。生きていてもシベリヤに送られれば、再び日本の土を踏めるあなたではなかったでしょう?』

四 バイラス病原菌の培養成功

もう一時間近く待っていた。地下鉄の赤坂見付駅の入口を一直線に見張れる弁慶橋のらんかんによりかかりながら、勝村は現れてくる筈の大谷元少将を張り込んでいた。キリコフとの連絡は必らずここが使われるのだ。

ホームへ降りる長い階段が、誰にも怪しまれず二人だけになれる絶好のレポの場所だ。今日は場合によっては、尾行して機会を狙って大谷元少将を誘拐する予定でもあった。婦人用の小さなコルトが、背広のポケットを心持ち重たくしている。

退屈まぎれに、もう読み終えた夕刊をもう一度ひろげ直した時、彼は首をかしげた。二段組の警察(サツ)種が何かおかしかった。

「生血を吸う四人組」という見出しのその記事は、十四日、谷中署では詐欺並びに横領の疑いで台東区浅草山谷三の二、第二十六号厚生館止宿、無職一色三郎(24)同関根道男(24)同東条境史(20)同浜野年久(30)の四人組を検挙した。調べによれば同人らは葛飾区本田立石町一三東京製薬採血工場の健康診断合格登録証二百枚を買集め、金に困っている浮浪者たちに貸し、二百CCの血液代四百円のうちから二百円をピンハネし、約五十万円を稼いでいたもの。なお同署では不潔な血による被害がなかったかを、同工場につき調査している。と、トッポイ四人組の悪事を報じたものだった。

勝村の眼は生き生きと輝き、最後の「なお同署では……調査している」というくだりをみつめていた。

五年前のシベリヤ。発疹チフスが荒れ狂っていたころ、重病人に無検査の輸血が行なわれて、生命は取り止めたが、身に覚えのない梅毒やマラリヤが伝染していった。——勝村はその恐しい事実を知っている。

『ウ、彼奴だ…』

脳症で小便樽に飛び込んだ男、あの濃い眉と険しい鼻の四十男の顔が、クラブ・ピジョンで みかけながら、どうしても想い出せなかった男の顔とダブッて、ピタリと重なる。

迎えにきたジープ p.132-133 本多福三とキリコフが同席

迎えにきたジープ p.132-133 He is a talented engineer of Ishii Unit and a man named Fukuzo Honda. He is a leading expert on a series of anaerobic bacteria such as tetanus and gas gangrene. As the leader of human experimentation, he must be the first war criminal.
迎えにきたジープ p.132-133 He is a talented engineer of Ishii Unit and a man named Fukuzo Honda. He is a leading expert on a series of anaerobic bacteria such as tetanus and gas gangrene. As the leader of human experimentation, he must be the first war criminal.

『ウ、彼奴だ…』

脳症で小便樽に飛び込んだ男、あの濃い眉と険しい鼻の四十男の顔が、クラブ・ピジョンで

みかけながら、どうしても想い出せなかった男の顔とダブッて、ピタリと重なる。

脳症患者の輸血事件の想い出から、意外な男の記憶まで蘇ったのだが、すぐに疑問が浮んできた。

——彼は、石井部隊の有能な技師で本多福三という男だ。前職を秘していたのが幻兵団の密告で摘発された。

——それからすぐ収容所から居なくなった。銃殺されたともいわれたのに……

——石井部隊の人体実験の指導者本多研究員こそ、第一の戦犯でなければならない。

——その男が、細菌戦のオーソリティ、キリコフと同席しているとは!

破傷風菌、ガス壊疸菌など一連の嫌気性細菌については、本多技師が第一人者だった。

石井部隊当時、安達駅の特設実験場で行なわれたガス壊疽菌の人体実験を企画し、実行したのも彼だった。

被実験者たちは、五—十米間隔で柱に面と向って縛りつけられていた。その頭は鉄帽で身体は楯におおわれ、ただ臀部だけが露出されていた。約百米の処で榴散弾が電流によって爆発させられた。いずれも露出した臀部に負傷した。そしていずれも死亡した。

彼の研究テーマはガス壊疸菌、破傷風菌、ボツリヌス菌(腸中毒菌)など、嫌気性病原菌の

最も危険な濃縮体の発見だった。つまり、乾燥させられ、真空状態でも長期の保存に堪えられる濃縮体は、一CCで約四、五万人を殺りくできると予想されていた。

そして、自由な人体実験が、彼にだけ許されて、その研究を助勢していた。研究の成果が着々とあがりつつあった時、彼の祖国日本は壊滅したのである。そんなふうな本多技師の業績は、その実験材料「丸太」や「モルモット」の供給者だっただけに、勝村もいつか聞知っていた。

時計をみるともう一時間半も過ぎている。大谷少将の件は諦めて赤坂見付駅へ歩き出した。本多技師が生きて内地へ来ている。しかもキリコフと連絡ありとすれば、大谷元少将などの諜報とは違って、積極的な謀略に違いあるまい。一刻も早くアジトと仕事の様子を洗い出さねばならない。

——奴の真空保存の研究は完成したかな?

そう思うとヂッとしていられない気持に駆り立てられて、思わず急ぎ足になったが、今のところ調査にかかる端緒がない。チェリーが先夜、彼にいろいろのさぐりを入れたに違いないので、彼女の報告を待たねばならない。

——そうそう四人組の吸血鬼を忘れていた。

彼は浅草行のメトロに乗って、谷中警察署へ向った。

迎えにきたジープ p.134-135 女社長の高橋女史は吸血鬼

迎えにきたジープ p.134-135 The female president of Tokyo Pharmaceutical is a grabby person who cooperates with the UN forces. The raw blood collected from the vagrant is dried by heat treatment, so that all the bacteria are killed.
迎えにきたジープ p.134-135 The female president of Tokyo Pharmaceutical is a grabby person who cooperates with the UN forces. The raw blood collected from the vagrant is dried by heat treatment, so that all the bacteria are killed.

——そうそう四人組の吸血鬼を忘れていた。

彼は浅草行のメトロに乗って、谷中警察署へ向った。

折角意気込んで谷中署を訪れたのに、勝村はガッカリしてしまった。あまり事件も起きない小さな署だっただけに、古ぼけたせまい部屋で、搜査主任は聞きもしない事まで喋ってくれたが、結論は生血ではなく乾燥血漿なので、何の影響もないということだった。

『何しろ朝鮮動乱が始まってからというものは、国連軍のいわゆる特需がふえて、東京製薬という会社は、いま大変なものだそうですよ。前は重病人のための、国内の僅かな需要しかなかったのですからなあ』

主任は思いついたように机上の新聞をとって、彼に示した。「重病人のために、血液購入!」という広告だった。

『ホラ、これですがね。四百円のほかに栄養食とかをくれるそうですがね。本社も上野にあり、給血者はやはり浮浪者が多いので、一部にはそねみで、国連軍へ納める値段は途方もないものだから、女社長の高橋女史は吸血鬼だなんて騒ぐ奴もいるんですよ。共産党の細胞なんかが〝国連軍協力の吸血鬼高橋社長を葬れ〟って、ビラを地下道にはったりしましてね』

『高橋ッて婆さんは仲々やり手でね。御殿みたいな家へ、よく高級将校夫人を招待しては娘の日本舞踊を見せたり、外交家ですよ』

話好きらしい主任は一人で続けた。

『あの乾燥血漿を国連軍に一手で納めるようになったのも、そのへんの呼吸らしいですよ』

『亭主はいるんですか?』

『ええ、養子ですからまるっきり影は薄いですよ。取締役か何かになっている付属の研究所長という博士と噂があったりして、丸っきり借りてきた猫……』

主任は相手が立上ったのをみて、急いで事務的に付加えた。

『要するに、工場は科学的な流れ操作で、採血した生血を、熱処理によって乾燥させるので、一切のバイ菌は死滅する訳でして、工場側には薬事法違反という問題は考えられないのです』

——俺のカンも外れるようになってきたのかな? とんだ無駄足をしたけれど、まあいいや。

本筋の本多技師を洗ってみるんだ。

彼はそう呟きながらまた地下鉄に乗った。国連軍協力の商売人で、共産党に叩かれている女社長。バイ菌は高熱処理のためみな死んでしまう。成程筋の通った話だった。

勝村がチェリーとのレポに都心へ帰ろうとして乗った地下鉄の別の車輛には、上野から乗った大谷元少将もいたのだった。勝村が疑問を持った以上に、新聞の記事にビックリした彼が、

あたふたと東京製薬の本社に馳けつけて、どうやら安心しての帰り途だったのである。

迎えにきたジープ p.136-137 バイラス病原菌の培養に成功

迎えにきたジープ p.136-137 "The research focus of Narashino School under the guidance of Lieutenant General Ishii is directed to bacteria that attack plant. Finally, they succeeded in cultivating the viras pathogen."
迎えにきたジープ p.136-137 ”The research focus of Narashino School under the guidance of Lieutenant General Ishii is directed to bacteria that attack plant. Finally, they succeeded in cultivating the viras pathogen.”

勝村がチェリーとのレポに都心へ帰ろうとして乗った地下鉄の別の車輛には、上野から乗った大谷元少将もいたのだった。勝村が疑問を持った以上に、新聞の記事にビックリした彼が、

あたふたと東京製薬の本社に馳けつけて、どうやら安心しての帰り途だったのである。

そして、彼は新橋から車で麻布へ向った。

『同志少佐(タワーリシチマイヨール)、恐るべきことです』

『……』

『習志野学校の研究は着々と進んでいます。ついにバイラス病原菌の培養に成功しました…』

『バイラス病とは?』

マイヨール・キリコフの表情は堅い。冷たく大谷元少将に反問した。麻布新竜土町のUSハウス九二六号の一室である。

窓にはじゅうたんのように重々しいカーテンが垂れ、その上さらに革のカーテンが引かれていた。完全な防音装置だ。大きなスターリンの像、中央にデスクが一つ。何の飾り気もない部屋だった。

『石井中将の指導による習志野学校の研究重点は、対植物攻撃用細菌に指向されています。麦角病、玉蜀黍黒穗病、馬鈴薯立枯病、豆類立枯病などの研究が進められているのです』

『バイラス病とは?』

冷たい。大谷は幾分うろたえ気味に、

『ハ、ハイ。恐るべき細菌です。稲、麦、馬鈴薯など主要農作物の殆どが発病する萎縮病なのです。一度これにかかると、その植物は絶対に恢復しません』

『……』

『これはバイラス菌と呼ばれる細菌で、ツマグロヨコバイという虫が植物の汁を吸う時に、その口から注入されるのです。保毒虫が越冬して子供を産むと、その半数以上が保毒虫となり、孵ってから平均十九日も経てば伝染力を現わし、バイラス病の植物の汁を無毒虫が吸えば、またこれも伝染されます』

『そして?……』

『学校では遂にその培養に成功し、今や大量生産の段階に入りました。バイラス菌の濃縮溶液一CCの汚毒面積はまだ分りませんが、数千ないし数万ヘクタールと信ぜられています。しかもこの培養菌は甚だ強力で、雑多な昆虫によって伝染されるのです。従来の農業化学では、バイラス病そのものの予防手段は発見されておらず、昆虫の駆除と発病植物の焼却以外ないのです』

『詳細なデータは入手しましたか』

『これです』

大谷は書類綴りを渡した。

最後の事件記者 p.230-231 今日のお茶はボクがオゴるよ

最後の事件記者 p.230-231 これが記者のカンである。私は三橋事件だと断定した。すぐ車をとばしてNHKに行ってみると、仙洞田部長は、ここにもきている
最後の事件記者 p.230-231 これが記者のカンである。私は三橋事件だと断定した。すぐ車をとばしてNHKに行ってみると、仙洞田部長は、ここにもきている

なんということのない座談の一つであったけれども、私には刑事部長が自身できたという点がピンときた。放送依頼などというのは、やはり捜査主任の仕事である。警察官としての判断によ

れば、主任クラスが行ったのでは、放送局が軽くみるのではないか、やはり部長が頼みに行くべきだ、とみたのであろうが、それは、ゼヒ放送してほしいという客観情勢、つまり大事件だということである。

『その書類があるかい?』

私も国会で彼女には顔なじみ、どころか、二人を最初に紹介したのが私だから、奥様ではあるが、心やすだてにザックバラン調だ。

『エエ、私が放送原稿を書いて、アナウンサーに渡したから、まだキットあるでしょ』

『じゃ、今すぐ探してくれよ』

『フフフ、モノになったら御挨拶をしなきゃダメよ』

『ウン。今日のお茶はボクがオゴるよ』

『それでお終いじゃなくッてよ』

二人はすぐ向いのKRへとって返した。書類はすぐみつかった。刑事部長の職印がおしてあり、面会した鈴木報道部長に確かめてみると、依頼にきたのは間違いなく、仙洞田部長その人である。

さて、依頼の文面は「一月十七日午後七時ごろ、国電日暮里駅常盤線下りホーム、または電車内におちていた古ハガキ一枚在中の白角封筒を拾った方は、至急もよりの交番に届けてほしい。これは重要犯罪捜査上、ぜひ必要なものです」とある。

KRでは、一月二十日に頼まれ、翌二十一日午後一時二十五分の、「生活新聞」の時間に放送している。

——国警都本部のやっている重要犯罪?

私はその原文をもらいうけて、KRを出ながら考えてみた。当時、都本部では、マンホール殺人事件(のちにカービン銃ギャング大津の犯行と判った)と、青梅線の列車妨害事件の二つだけしかなかった。

——どちらも、刑事部長が頼みにくるほどの事件じゃないし、第一、ここ数日動きがないのだし、二十日の依頼だから、動いていればもう表面化するはずだ。

——それよりも、都本部の事件といえば、いわずと知れた三橋事件! 所管は警備部だけれども、カモフラージュしたつもりで、刑事部が頼みにきたのだろう!

これが記者のカンである。私は三橋事件だと断定した。すぐ車をとばしてNHKに行ってみる

と、仙洞田部長は、ここにもきているのだが、何故か断られている。これで当局が熱心な手を打っていることが判った。

最後の事件記者 p.232-233 まず仙洞田部長へ当ってみる

最後の事件記者 p.232-233 三橋事件の古ハガキで重要なもの、三橋の焦点は鹿地との結びつきだから、これほどの大騒ぎをするとすれば、その結びつきを立証するもの
最後の事件記者 p.232-233 三橋事件の古ハガキで重要なもの、三橋の焦点は鹿地との結びつきだから、これほどの大騒ぎをするとすれば、その結びつきを立証するもの

これが記者のカンである。私は三橋事件だと断定した。すぐ車をとばしてNHKに行ってみる

と、仙洞田部長は、ここにもきているのだが、何故か断られている。これで当局が熱心な手を打っていることが判った。

次は現場の日暮里駅だ。助役に聞いてみると、翌十八日には二名の刑事がきて、駅のゴミ箱中を漁り、ないとなるや、さらに駅出入のバタ屋を探していったという。私は車をさらに八王子支局へと駈った。

国警カブトを脱ぐ

当時、三橋の身柄は起訴されてから一カ月もたつというのに、まだ八王子地区署におかれてあった。支局でずっと三橋の動静をみている記者に聞いて、調べ官の異動の有無を調べると、あった、あった、ドンピシャリだ。

二十日の放送依頼日から、事件発生以来、三橋を手がけていた永井警部に代って、佐藤警部が担当官となり、永井警部は全く事件から手を引いてしまったという。

私はこおどりしてよろこんだ。事件はやはり三橋だったのである。そこで私は、これまでつかんだ事実から、推理を組み立てる。

紛失物は古ハガキ。なくした人は永井警部一人。他に処分者がいないからだ。すると紛失時の状况は彼一人ということだ。捜査に出かける時は、刑事は必らず二人一組になるから、捜査ではない。

紛失時間が夜の七時。彼の家が常盤沿線だから、これは帰宅の途中。しかも翌日は日曜日だから、迫ってきた公判の準備に、自宅で調べものをしようと、書類を持ちだして、駅のホームで、雑誌か何かをカバンから取り出した時に、一しょにとび出して落したものだ。

三橋事件の古ハガキで重要なもの、三橋の焦点は鹿地との結びつきだから、これほどの大騒ぎをするとすれば、その結びつきを立証するもの、ハガキで結びつきを立証するとすれば、鹿地の直筆で、三橋へあてたレポのハガキということになる。

こう結論を出した私は、はやる心を押えてその日の取材を終った。翌二日、まず仙洞田部長へ当ってみる。この取材が〝御用聞き取材〟ではないということだ。

『部長、マンホールや列車防害なぞの小事件で、部長が直々に放送を頼みにいって、ペコペコしたら貫禄が下がるよ』

『なんだい? ヤブから棒に放送なんて』

最後の事件記者 p.234-235 ラストボロフ事件が起きた

最後の事件記者 p.234-235 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消してしまったという、ラ事件が起きた。ラ書記官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だった
最後の事件記者 p.234-235 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消してしまったという、ラ事件が起きた。ラ書記官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だった

『ヘッ! おとぼけはよそうヨ。だって、重要犯罪の捜査のために、なくした古ハガキを探して下さいッて、頭を下げたろうが…。大刑事部長の高い頭をサ』

彼の眼に、チラと走るものがある。

『都本部が、この上、三橋以上の重要犯罪をやりだしたら、こちらがもたないよ。エ? 三橋以上の大事件をサ!』

三橋といって、表情をみる。人の良さそうなニヤリが浮ぶ。KRから借りてきた書類を突きつける。またニヤリが浮ぶ。

『いずれにせよ、私は知らないよ』

この答弁をホン訳すると、「そうです。三橋事件ですから、私は詳しいことを知りません」ということだ。反応は十分だ。もうここまでくれば、上の者にいわせねばならない。

次は片岡隊長だ。彼は殉職警官のお葬式にでかけていたので、これ幸いと電話をかけて呼び出す。

『隊長! 例の紛失モノはどうしました』

『エ? 何だって?』

『ホラ、ラジオ東京に頼んだ、三橋事件の証拠品のハガキは、出てきましたか?』

『ア、それは警備部長の後藤君に聞いてくれよ』

ズバリ切りこまれて、隊長は本音をはいてしまった。——こうして、当局は否定したけれども、翌三日のトップで出ると、ついに国警本部の山口警備部長が認めた。

その日の審査日報も引用しておこう。「紛失した鹿地証拠は、誠にスッキリとした鮮やかなスクープで、最近の大ヒットである。国警にウンといわせ得なかったのは残念だが、放送依頼書の複写がそれを補っている。関係者の談話も揃って、全体に記事もよくまとまっている」夕刊「鹿地証拠紛失はついに国警もカブトを脱いで、その事実を認めた」

ラストボロフ事件

三橋事件の余波が、いつか静まってきた、二十九年一月二十四日、帰国命令をうけていたソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消してしまったという、ラ事件が起きた。ラ書記官の失踪はソ連代表部から警視庁へ捜索願いが出たことから表面化したのだが、その外交官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だったというばかりか、失踪と同

時に、米国へ亡命してしまったということが明らかになった。

最後の事件記者 p.236-237 日暮、庄司、高毛礼の検挙

最後の事件記者 p.236-237 だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。
最後の事件記者 p.236-237 だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。

ラ書記官の失踪はソ連代表部から警視庁へ捜索願いが出たことから表面化したのだが、その外交官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だったというばかりか、失踪と同

時に、米国へ亡命してしまったということが明らかになった。

この事件ほど、当局にとって、大きなショックだったことはあるまい。米側の手に入ったラ中佐は、直ちに日本を脱出、在日ソ連スパイ網について供述した。その間、日本側が知り得たことは、ラ中佐の失踪を知って、警視庁へ出頭してきた、志位正二元少佐のケースだけである。

一月二十七日、代表部から捜索願いが出されて、二十四日の失踪が明らかになると、志位元少佐は保護を求めて、二月五日に出頭してきた。二等書記官が実は政治部の中佐、そして、ソ連引揚者で、米軍や外務省に勤めた元少佐参謀。この組合せに、当局は異常な緊張を覚えたが、肝心のラ中佐の身柄が、日本に無断のまま不法出国して、米本国にあるのだから話にならない。

ヤキモキしているうちに、米側から本人を直接調べさせるという連絡があり、七月中旬になって、公安調査庁柏村第一部長、警視庁山本公安三課長の両氏が渡米して、ラ自供書をとった。

両氏は八月一日帰国して裏付け捜査を行い、日暮、庄司、高毛礼三外務事務官の検挙となったのだ。もっとも五月には、米側の取調べ結果が公安調査庁には連絡された。同庁では柏村第一部長直接指揮で、外事担当の本庁第二部員をさけ、関東公安調査局員を使って、前記三名の尾行、張り込みをやり、大体事実関係を固めてから、これを警視庁へ移管している。

この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。東京外語ロシア語科出身、通訳生の出で、高文組でないだけに、一流のソ連通でありながら、課長補佐以上に出世できない同氏の自殺は、一連の汚職事件の自殺者と共通するものがあった。現役外務省官吏の自殺、これは上司への波及をおそれる、事件の拡大防止のための犠牲と判断されよう。そして犠牲者の出る事実は、本格的スパイ事件の証拠である。

スパイは殺される

ソ連の秘密機関は大きく二つの系統に分れていた。政治諜報をやる内務省系のMVDと、軍事諜報の赤軍系のGRUである。三橋のケースはGRU、ラ中佐はMVDであった。第二次大戦当時、ソ連の機関に「スメルシ」というのがあった。これはロシア語で、〝スパイに死を!〟という言葉の、イニシアルをつづったものだ。

だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。日暮事務官はなぜ死んだか? もちろん、東京地検で、取調べ中の飛び降り自殺だから、遣書などありようはずがな

い。

最後の事件記者 p.238-239 なぜ妻子を残して死なねばならぬ

最後の事件記者 p.238-239 日暮、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、一番重要な人物と目されていた。
最後の事件記者 p.238-239 日暮、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、一番重要な人物と目されていた。

だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。日暮事務官はなぜ死んだか? もちろん、東京地検で、取調べ中の飛び降り自殺だから、遣書などありようはずがな

い。

高毛礼元事務官の一審判決は、「懲役一年、罰金百五十万円」である。彼は報酬として四千ドル(百四十四万円)をソ連からもらっているので、この罰金がついたのである。納められなければ、一日五千円に換算して、労役場へ留置する、とあるから、これが三百日になる。合計して一年十カ月の刑である。日暮と同じ程度の刑だから、なぜ妻子を残して死なねばならないのだろうか。

終戦時の在モスクワ日本大使館。そこでは佐藤尚武大使以下、在留日本人までが館内に軟禁されていた。そして、この軟禁につけこんで、ソ連側では、スパイ獲得工作の魔手をのばしてきた。「幻兵団」と同じである。

これは、ラストボロフの自供した、ソ連代表部のスパイ一覧表をみれば明らかだ。ラ中佐の亡命時に、狸穴の代表部直結のスパイは四十八名いた。これを所属別に分類すれば、MVD四十三名、GRU三名、海軍二名、人種別では、日本人三十五名、白系ロシヤ人七名、その他の外国人六名となっている。

三十五名の日本人を、さらに分類すると、戦後ソ連抑留者二十名(幻兵団)のほか、外務省官

吏、新聞記者、旧将校らとなっている。日暮、庄司両氏は、終戦時にモスクワにいたばかりではなく、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、逮捕された三人のうちでは一番重要な人物と目されていた。

彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。八月十四日の公安三課のラ事件のその後の経過発表も、私の公休日という悲運だった。しかも、その時には、すでに日暮、庄司両氏を逮捕していたのである。私は休日出勤してきて、かねて準備していた、志位元少佐の記事を書いた。これはスクープではなかったが、読売が一番詳細、正確な記事だった。

不覚の涙

だが、そのあとがいけない。感じとしては誰かを逮捕しているようなのだが、全くつかめない。私用を抱えていた私は、公休日でもあったので、取材をいいかげんで投げ出してしまった。そして、出かけようとした時、一人の親しいニュース・ソースに出会った。

『お忙しそうにどちらへ?』

『イヤ、ちょっと、なに……』

『アア、目黒ですか』

彼は一人で納得してうなずいた。

最後の事件記者 p.240-241 私は特ダネ記者といわれた

最後の事件記者 p.240-241 私は泣いた。これほどの醜態はなかった。新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。
最後の事件記者 p.240-241 私は泣いた。これほどの醜態はなかった。新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

不覚の涙

だが、そのあとがいけない。感じとしては誰かを逮捕しているようなのだが、全くつかめない。私用を抱えていた私は、公休日でもあったので、取材をいいかげんで投げ出してしまった。そして、出かけようとした時、一人の親しいニュース・ソースに出会った。

『お忙しそうにどちらへ?』

『イヤ、ちょっと、なに……』

『アア、目黒ですか』

彼は一人で納得してうなずいた。いつもの私なら、ここで「エ? 目黒?」と、ピンとくるはずだったが、それを聞き流してしまったのである。

翌十五日の日曜日朝、私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジんだ。朝日のスクープは、一面で日暮、庄司の現役公務員の逮捕を報じているではないか。

しかも、読売はどうであろうか。「政府高官逮捕説を、警視庁が否定」と、なくもがなの断り書を、小さな記事ではあるが、出しているのである。昨夜、電話で、「警視庁は誰も逮捕していないと、否定していますよ」とデスクに断ったのが、記事になっている。確かに、平事務官なのだから、〝政府高官〟ではないかもしれない。しかし、朝日が逮捕をスクープして、読売が否定しているのでは、あまりの醜態であった。デスクが、「じゃ断り書を記事にしておこう」といった時、私は「そんなのは、デスクの責任逃れだ」と思っただけで、あえて反対しなかったのも、痛恨の限りであった。

調べてみると、この両名の逮捕は、警視庁が極秘にしていたのを、この事件を防諜法制定の道

具に使おうと思っていた緒方副総理が、朝日の政治部記者へ洩らしたのだ、といわれている。その上、「目黒へ」といった係官から聞けば、彼は私が急いでいたので、ちょうどまだガサ(家宅捜索)をやっていた、目黒の庄司宅へ行くのだと思ったという。つまり、私がすでに庄司、日暮の逮捕を知っているものだと極めこんでいたのであった。

私は泣いた。これほどの醜態はなかった。取材源が警視庁だろうが、内閣だろうが、新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。取材源や取材の経過などは、それほど問題ではないということだ。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

私は特ダネ記者といわれた。それがこのていたらくであった。もちろん、私の記録の中にも、輝かしいものばかりではない。失敗のみじめな歴史も多い、だが、この時ほどに、ニガい思い出はない。

横井事件の犯人隠避も、惨敗の記録ではある。しかし、これは爽快な敗け戦である。思いかえしてみて、いささかも恥じない。快よい記憶である。「紙面で来い!」と、タンカをきりそこねたのである。しかも、私の先手を警察に奪われて、警察の先手を、また奪い返したからである。

スパイ事件は私のお家芸であったのだ。それで、あの三橋事件の勝利も、自信をもって戦えた

からである。それなのに、最後の「目黒へ?」という言葉も、聞き流してしまうとは!

朝日をみつめながら、私のホオはまだ涙でぬれていた。

最後の事件記者 p.242-243 いま、お医者さんが来るから

最後の事件記者 p.242-243 妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。——死ぬのかな! 不吉な予感が走る。
最後の事件記者 p.242-243 妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。——死ぬのかな! 不吉な予感が走る。

記者は悲し

八月二十八日、日暮事務官が飛び降り自殺をした。この日も私は公休日であった。前夜から、雑誌原稿を徹夜で書き続けていたが、ラジオは入れっぱなしだ。やがて正午のニュースが、自殺事件を伝えた。

——迎えが来るナ。

もう数枚で原稿は終るところだ。そう感じていると、ちょうど書きあげた時、迎えの自動車がきた。

妻は二度目のお産で、もう予定日だった。二度目だから自宅で生むという。そのため、この八月へ入ってから、何かと雑用の多い毎日だったのである。日暮事務官の自殺とあれば、事件はいよいよ深刻化しよう。もしかすると、今夜は帰れないかもしれない。私は、妻の手を握って、その旨を話し、無事にお産を済ませるようにと、激励した。一睡もしないまま、社へ出た。

それから丸一日、取材のため駈けずり廻って、社会面の全面を埋める、「ラストボロフ事件の真相」という原稿を、数人の記者たちとまとめた。三部作である。

第一部が、志位自供書、第二部、捜査経過、第三部の解説——最終版の校正刷りを見終って、帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、約一時間ほどで母に叩き起された。

『アト産が出ないので、出血が止らないのよ。すぐお医者さんを呼んできて……』

隣りの部屋に入ってみると、血まみれの胎児は、まだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。

暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。事情を話して往診をたのみ、自宅へかけもどってきた。

『オイ、確りしろよ、いま、お医者さんが来るから』

励ましの言葉をかけても、もう妻には答える気力もない。剥離しない胎盤のため、刻一刻、血が流出しているのだ。

——死ぬのかな!

不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。

私は妻の死に目にもあえない!

最後の事件記者 p.244-245 新聞記者という奴は何者なのか

最後の事件記者 p.244-245 私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そんな自問自答を続けていたが、フト、疑問が湧き起ってきた。
最後の事件記者 p.244-245 私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そんな自問自答を続けていたが、フト、疑問が湧き起ってきた。

——死ぬのかな!

不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。

私は妻の死に目にもあえない!

私は考えた。妻の死に目と、仕事のどちらをとるであろうか、と。

——私は仕事をとるだろう。新聞記者という仕事だから……。

——フン、その場に直面しない、仮説だからそんなことがいえるのだろう。

——バカな、オレは仕事をとるさ。現に今夜だって、もし取材が終らなければ、帰宅しなかっただろう。そうすれば、妻の死に目に会えないのじゃないか。仮説じゃないさ。

——そうか。それもよかろう。〝仕事の鬼〟ッてところだな。そんなに、仕事が大切なものなら、世の常の夫のように、妻のみとりもできないのなら、何故、結婚なンかしたんだ? 妻子が可哀想じゃないか。

——そりや、オレだって、家庭がほしいさ。第一、オレは子供を幸福にしてやりたかったんだ。

——フン。御都合主義だナ。それで、仕事と妻の死とでは、仕事をとるというのか。

——新聞記者だもの、仕方がないよ。

——記者、記者ッていうけど、新聞記者の仕事ッて、そんな大切なものなのかい。一体、何なのだね。

——エ?

私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そんな自問自答を続けていたが、フト、新聞記者という職業についての、疑問が湧き起ってきた。

抜いた、スクープだ、といって、一体それがなんであろう。抜かれたといって、何であろう。新聞記者という奴は、何者なのだろうか。

医者がきた。血は止った。妻はコンコンと眠りに落ちた。死の影は遠のいた。新生児は生ぶ声をあげ、血を洗い流してもらって、安らかに眠っている。もう正午すぎである。

KRからの、ニュース解説の依頼がきて、録音に出かけた。六千円ばかりの謝礼をもらって社へ帰ると、「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」と、同僚たちがよってきた。ハシゴで飲み歩いて泥酔した。「新聞記者ッて何だろ」と考え続けていたようだ。その翌朝、玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。