新宿慕情 投稿一覧

新宿慕情 表紙

新宿慕情 Cover1

新宿慕情 三田和夫 表紙(装丁・原徳太郎) 正論新聞社

新宿慕情 三田和夫 表紙(装丁・原徳太郎) 正論新聞社

新宿慕情 見返し カバーそで 「正義感とリリシズム」読売新聞副社長・編集主幹 原四郎

新宿慕情 見返し カバーそで 「正義感とリリシズム」読売新聞副社長・編集主幹 原四郎

新宿慕情 あそび紙-p.001 扉 装丁・原徳太郎

新宿慕情 あそび紙-p.001 扉 装丁・原徳太郎

新宿慕情 p.002-003 はしがき扉 装丁・挿画 原徳太郎

新宿慕情 p.002-003 はしがき扉 装丁・挿画 原徳太郎

新宿慕情 p.004-005 はしがき 私が、「正論新聞」という、小さな一般紙をはじめてから、早いもので、もう十周年を迎えることになった。

新宿慕情 p.004-005 はしがき 私が、「正論新聞」という、小さな一般紙をはじめてから、早いもので、もう十周年を迎えることになった。

新宿慕情 p.006-007 はしがき(つづき)ふたつの原稿――「事件記者と犯罪の間」(文芸春秋誌所載)と「最後の事件記者」(実業之日本社刊)とは、私という一新聞記者の、転機を明らかにしたものなのである。

新宿慕情 p.006-007 はしがき(つづき)ふたつの原稿――「事件記者と犯罪の間」(文芸春秋誌所載)と「最後の事件記者」(実業之日本社刊)とは、私という一新聞記者の、転機を明らかにしたものなのである。

新宿慕情 p.008-009 はしがき(おわり)昭和五十年十月 三田和夫 この著を、母の米寿の祝に捧げる 新宿慕情目次扉

新宿慕情 p.008-009 はしがき(おわり)昭和五十年十月 三田和夫 この著を、母の米寿の祝に捧げる 新宿慕情目次扉

新宿慕情 p.010-011 新宿慕情 目次 事件記者と犯罪の間 目次

新宿慕情 p.010-011 新宿慕情 目次 事件記者と犯罪の間 目次

新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次

新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次

新宿慕情 p.014-015 新宿慕情 中扉

新宿慕情 p.014-015 新宿慕情 中扉

新宿慕情 p.016-017 私と新宿とのかかわり合いはもう、ずいぶんになる。旧制中学の二年生ごろのこと、つまり昭和十年前後からである。

新宿慕情 p.016-017 私と新宿とのかかわり合いはもう、ずいぶんになる。旧制中学の二年生ごろのこと、つまり昭和十年前後からである。

新宿慕情018-019 二幸のオート・マット食堂、中村屋のカリーライスと支那まんじゅう、オリンピックの洋食。伊勢丹までが、カタ気の新宿の街だ。

新宿慕情 p.018-019 二幸のオート・マット食堂、中村屋のカリーライスと支那まんじゅう、オリンピックの洋食。伊勢丹までが、カタ気の新宿の街だ。

新宿慕情020-021 伊勢丹も三越も小さかった。新宿駅の正面玄関は、二幸に面していた。映画館は、日活帝都座。新宿松竹館は…。

新宿慕情 p.020-021 伊勢丹も三越も小さかった。新宿駅の正面玄関は、二幸に面していた。映画館は、日活帝都座。新宿松竹館は…。

新宿慕情022-023 シベリアの捕虜から帰ってきたのが昭和二十二年十一月。四年ぶりの戦後の新宿、中央口のあたり一帯がバラックのマーケット。安田組、尾津組、関根組…。

新宿慕情 p.022-023 シベリアの捕虜から帰ってきたのが昭和二十二年十一月。四年ぶりの戦後の新宿、中央口のあたり一帯がバラックのマーケット。安田組、尾津組、関根組…。

新宿慕情 p.024-025 織田作・夫人の昭子さん、ドレスデン、プロイセン、田辺茂一、池島信平、扇谷正造、中野好夫、相良守峰、時枝誠記…。

新宿慕情 p.024-025 織田作・夫人の昭子さん、ドレスデン、プロイセン、田辺茂一、池島信平、扇谷正造、中野好夫、相良守峰、時枝誠記…。

新宿慕情 p.026-027 新宿御苑に面した、とある木造・兵隊長屋風のアパートで、オヤジのこない日のオメカケさんと…。

新宿慕情 p.026-027 新宿御苑に面した、とある木造・兵隊長屋風のアパートで、オヤジのこない日のオメカケさんと…。

〈青線区域〉というのは旧遊郭の〈赤線〉に対する言葉で、三十二年ごろの売春防止法施行と同時に消えた。

新宿慕情 p.028-029 〈青線区域〉というのは旧遊郭の〈赤線〉に対する言葉で、三十二年ごろの売春防止法施行と同時に消えた。

遊郭、赤線と呼び名は変わっても、初老たちのロマンの原点は、吉原とか洲崎パラダイスとか新宿二丁目とかに根付いている。

新宿慕情 p.030-031 遊郭、赤線と呼び名は変わっても、初老たちのロマンの原点は、吉原とか洲崎パラダイスとか新宿二丁目とかに根付いている。

新宿慕情 p.032-033 貧困ゆえの身売りは吉原に多かった。新宿には、貧乏以外に〝好きもの〟がいた。

新宿慕情 p.032-033 貧困ゆえの身売りは吉原に多かった。新宿には、貧乏以外に〝好きもの〟がいた。

新宿慕情 p.34-035 同一店での指名変更が許されない、という不文律を思い知らされたのが、廊下で出会った三十女の「アラ、お兄さん!」の一言だった。

新宿慕情 p.34-035 同一店での指名変更が許されない、という不文律を思い知らされたのが、廊下で出会った三十女の「アラ、お兄さん!」の一言だった。

新宿慕情 p.036-037 警視庁の記者クラブ詰めだったころの、ある正月。目黒の課長公舎で、午後からの延長戦の酒がはじまった。

新宿慕情 p.036-037 警視庁の記者クラブ詰めだったころの、ある正月。目黒の課長公舎で、午後からの延長戦の酒がはじまった。

新宿慕情 p.038-039 翌日、正午ごろになって、ふたりは、新宿二丁目のとある妓楼で、目を覚ましたのであった――正月だというのに…

新宿慕情 p.038-039 翌日、正午ごろになって、ふたりは、新宿二丁目のとある妓楼で、目を覚ましたのであった――正月だというのに…

新宿慕情 p.040-041 旺盛な新宿の活力が、この一帯までを盛り場として侵蝕し、境界線はさらに後退して、職安通りにまで移った。旅館街も…

新宿慕情 p.040-041 旺盛な新宿の活力が、この一帯までを盛り場として侵蝕し、境界線はさらに後退して、職安通りにまで移った。旅館街も…

新宿慕情 p.042-043 府立五中の制服が背広姿だったこともあって、いっぱしのオトナを気取って新宿の街を歩いていた。

新宿慕情 p.042-043 府立五中の制服が背広姿だったこともあって、いっぱしのオトナを気取って新宿の街を歩いていた。

新宿慕情 p.044-045 村山知義率いる新協劇団、薄田研二らの新築地劇団、長岡輝子・金杉淳郎夫妻のテアトル・コメディ

新宿慕情 p.044-045 村山知義率いる新協劇団、薄田研二らの新築地劇団、長岡輝子・金杉淳郎夫妻のテアトル・コメディ

新宿慕情 p.046-047 美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。

新宿慕情 p.046-047 美人喫茶のハシリは日比谷交差点の「美松」。戦後は、銀座のプリンスが先か新宿のエルザが先なのか。

新宿慕情 p.048-049 私は、むかし気質のエンピツ職人。一業をもって一家をなすべし。ナンデモ屋でみな中途半端な〝すなっく〟を軽蔑する。

新宿慕情 p.048-049 私は、むかし気質のエンピツ職人。一業をもって一家をなすべし。ナンデモ屋でみな中途半端な〝すなっく〟を軽蔑する。

新宿慕情 p.050-051 食べ物屋というのは、コックが代わったら終わりなのだ。少し儲かると、店を広げたり、支店を出したりするが、これが間違いのもと。

新宿慕情 p.050-051 食べ物屋というのは、コックが代わったら終わりなのだ。少し儲かると、店を広げたり、支店を出したりするが、これが間違いのもと。

新宿慕情 p.052-053 関西風のナンデモ屋がキライだ、と書いた。大阪でナニかを食べようとしたら、私はホテルのレストランしかえらばない。

新宿慕情 p.052-053 関西風のナンデモ屋がキライだ、と書いた。大阪でナニかを食べようとしたら、私はホテルのレストランしかえらばない。

新宿慕情 p.054-055 テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち――恐ろしいことではないか。

新宿慕情 p.054-055 テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち――恐ろしいことではないか。

新宿慕情 p.056-057 無批判・大勢順応精神しかない。巣鴨のトゲヌキ地蔵の縁日などの見世物にあった〝箱娘〟みたいなものだ。生まれてすぐミカン箱などに入れて育てる。

新宿慕情 p.056-057 無批判・大勢順応精神しかない。巣鴨のトゲヌキ地蔵の縁日などの見世物にあった〝箱娘〟みたいなものだ。生まれてすぐミカン箱などに入れて育てる。

新宿慕情 p.058-059 いま時の連中は、「ハンバーグですよ」と与えられたら、「これがハンバーグだ」と、思いこむように教育されているのだ。

新宿慕情 p.058-059 いま時の連中は、「ハンバーグですよ」と与えられたら、「これがハンバーグだ」と、思いこむように教育されているのだ。

新宿慕情 p.060-061 やはり、私のフランチャイズは、東口、中央口。スパゲティを食べるなら、丸井横通りのミラノ。

新宿慕情 p.060-061 やはり、私のフランチャイズは、東口、中央口。スパゲティを食べるなら、丸井横通りのミラノ。

新宿慕情 p.062-063 ケーキなら、伊勢丹横の小鍛冶である。新宿では、小鍛冶のケーキ以上に美味いケーキには対面していない。

新宿慕情 p.062-063 ケーキなら、伊勢丹横の小鍛冶である。新宿では、小鍛冶のケーキ以上に美味いケーキには対面していない。

新宿慕情 p.064-065 私の食べ歩きは、一店一品種。「いまナニが食べたいか」「ではあの店に行こう」となる。西口と歌舞伎町は、いっぺんこっきりのフリの客相手の浅草仲見世通りと同じ。

新宿慕情 p.064-065 私の食べ歩きは、一店一品種。「いまナニが食べたいか」「ではあの店に行こう」となる。西口と歌舞伎町は、いっぺんこっきりのフリの客相手の浅草仲見世通りと同じ。

新宿慕情 p.066-067 コマ劇場通りとさくら通りの中間にあるオデン屋の利佳は、安藤リカさん。才気煥発の女史で、浅学菲才の私など足許にも寄せつけてもらえない。

新宿慕情 p.066-067 コマ劇場通りとさくら通りの中間にあるオデン屋の利佳は、安藤リカさん。才気煥発の女史で、浅学菲才の私など足許にも寄せつけてもらえない。

新宿慕情 p.068-069 隣の五〇三号には、丸山明宏が住んでいた。「黒蜥蜴」がヒットしていたころだった。香料の芳香が立ちこめ美貌が妖しい魅力を呼んで、息苦しいほどだった。

新宿慕情 p.068-069 隣の五〇三号には、丸山明宏が住んでいた。「黒蜥蜴」がヒットしていたころだった。香料の芳香が立ちこめ美貌が妖しい魅力を呼んで、息苦しいほどだった。

新宿慕情 p.070-071 「丸山明宏の部屋の隣で正論新聞というんだ。隣に出前して、どうしてウチにはできないのだ」「牛やになんか絶対行かないゾ!」

新宿慕情 p.070-071 「丸山明宏の部屋の隣で正論新聞というんだ。隣に出前して、どうしてウチにはできないのだ」「牛やになんか絶対行かないゾ!」

新宿慕情 p.072-073 読売時代から「三田ほど、メシのオゴリ甲斐のある奴はいない」と、極め付きであった。

新宿慕情 p.072-073 読売時代から「三田ほど、メシのオゴリ甲斐のある奴はいない」と、極め付きであった。

新宿慕情 p.074-075 しゃぶしゃぶを、肉だけ二人前も食べる。すると摩訶不思議やナ……翌朝の九時ごろまで、眠気ひとつ覚えず、原稿を書きつづけて、約束通り上げられるのである。

新宿慕情 p.074-075 しゃぶしゃぶを、肉だけ二人前も食べる。すると摩訶不思議やナ……翌朝の九時ごろまで、眠気ひとつ覚えず、原稿を書きつづけて、約束通り上げられるのである。

新宿慕情 p.076-077 顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。

新宿慕情 p.076-077 顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。

新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。

新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。

新宿慕情 p.080-081 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。

新宿慕情 p.080-081 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。

新宿慕情 p.082-083 ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。どうも、このウラには〝女の戦い〟があるような感じだった。

新宿慕情 p.082-083 ママは、目に涙をあふれさせそうになりながら、黙って、コックリとうなずいた。どうも、このウラには〝女の戦い〟があるような感じだった。

新宿慕情 p.084-085 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。

新宿慕情 p.084-085 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。

新宿慕情 p.086-087 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。

新宿慕情 p.086-087 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。

新宿慕情 p.088-089 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。

新宿慕情 p.088-089 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。

新宿慕情 p.090-091 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。

新宿慕情 p.090-091 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。

新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。

新宿慕情 p.092-093 まだその時には、彼が平和相互一族とは気が付かなかった。その後徳間康快が、選挙違反〝モミ消し〟に活躍した時初めて身上について知ったのだった。

新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。

新宿慕情 p.094-095 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。

新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

新宿慕情 p.096-097 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

新宿慕情 p.100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」

新宿慕情 p.104-105 市村ブーちゃんは、私が先生の息子と親しい、と知って、こうささやいた。「大丈夫かい? キミ。あの先生は、オカマ趣味なんだぜ」

新宿慕情 p.106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

新宿慕情 p.106-107 そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。私は、素直に、先生の隣に腰かけた。

新宿慕情 p.108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!

新宿慕情 p.108-109 いったい、オカマというのは、どんなことをするのだろうか。ことに、相手は〝その道〟の大家ではないか。この絶好のチャンスを逃すべきではない!

新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

新宿慕情 p.110-111 「このナフキンみたいなものはなにに使うのです?」「毛唐どもは、京花など使用しないだろ。後始末に、あの布切れを使うのだよ」

新宿慕情 p.112-113 こうした拘禁状態の中で、セックスが、どういう形で出てくるかが、私の興味の中心だったけど、これが、まったく、期待外れであった。

新宿慕情 p.112-113 こうした拘禁状態の中で、セックスが、どういう形で出てくるかが、私の興味の中心だったけど、これが、まったく、期待外れであった。

新宿慕情 p.114-115 オカマの多くは、こうして、女装によって、女の芸を売り物にして生活しているらしい。そして、それはそれなりに健全で…

新宿慕情 p.114-115 オカマの多くは、こうして、女装によって、女の芸を売り物にして生活しているらしい。そして、それはそれなりに健全で…

新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…

新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…

新宿慕情 p.120-121 そのころの上野。それは、ノガミと陰語でいうのがふさわしいような町だった。~街角には、パンパン、オカマが、道行く人の袖を引いていた。

新宿慕情 p.120-121 そのころの上野。それは、ノガミと陰語でいうのがふさわしいような町だった。~街角には、パンパン、オカマが、道行く人の袖を引いていた。

新宿慕情 p.122-123 「三田サン。あんまりおそくなると…。早く、オカマに会わせてよ」女性記者は、夜のノガミがコワイ、と聞かされていただけに、またぞろのブラブラ歩きに、ジレてきたようだ。

新宿慕情 p.122-123 「三田サン。あんまりおそくなると…。早く、オカマに会わせてよ」女性記者は、夜のノガミがコワイ、と聞かされていただけに、またぞろのブラブラ歩きに、ジレてきたようだ。

新宿慕情 p.124-125 オカマの和ちゃんが、打ち明けてくれた、彼女たちの〝秘めたる行為〟とは…と、それを述べることにしよう。

新宿慕情 p.124-125 オカマの和ちゃんが、打ち明けてくれた、彼女たちの〝秘めたる行為〟とは…と、それを述べることにしよう。

新宿慕情 p.126-127 酔客や、場馴れしていない客などは、ショートであれば、必ず〝満足〟させ、〝疑い〟ももたせずに帰す自信はある、と、和ちゃんは断言する。

新宿慕情 p.126-127 酔客や、場馴れしていない客などは、ショートであれば、必ず〝満足〟させ、〝疑い〟ももたせずに帰す自信はある、と、和ちゃんは断言する。

新宿慕情 p.128-129 もはや、ノガミの和ちゃんの着物をたくし上げて、隆起物をゴマ化すのは、古いのである。突出部分を、外科的に除去してしまうのである。

新宿慕情 p.128-129 もはや、ノガミの和ちゃんの着物をたくし上げて、隆起物をゴマ化すのは、古いのである。突出部分を、外科的に除去してしまうのである。

新宿慕情 p.130-131 「一九一七年の革命で、我がソビエト社会主義共和国連邦ではセックスも解放された。それは働く労働者と農民と、すべての人びとの共有である」

新宿慕情 p.130-131 「一九一七年の革命で、我がソビエト社会主義共和国連邦ではセックスも解放された。それは働く労働者と農民と、すべての人びとの共有である」

新宿慕情 p.132-133 逮捕された時は、刑事たちは、女性だと思い、留置も、女性房に入れた。だが、彼女は、「男だから、男性房に入れろ」と、ワメクのだ。

新宿慕情 p.132-133 逮捕された時は、刑事たちは、女性だと思い、留置も、女性房に入れた。だが、彼女は、「男だから、男性房に入れろ」と、ワメクのだ。

新宿慕情 p.134-135 戦争のおかげで、軍陣医学が進歩して、整形外科の技術は大いに向上した、という。弾丸が当たって、オチンチンを吹き飛ばされた場合など、オナカの皮を丸めて、まず…

新宿慕情 p.134-135 戦争のおかげで、軍陣医学が進歩して、整形外科の技術は大いに向上した、という。弾丸が当たって、オチンチンを吹き飛ばされた場合など、オナカの皮を丸めて、まず…

新宿慕情 p.136-137 店の電話番号と女の名前がわかれば〈初会〉は十分。二回目で一万円ほど。これで〈ウラを返して〉、三回目ともなれば、もう〈馴染み〉だから二、三万…

新宿慕情 p.136-137 店の電話番号と女の名前がわかれば〈初会〉は十分。二回目で一万円ほど。これで〈ウラを返して〉、三回目ともなれば、もう〈馴染み〉だから二、三万…

新宿慕情 p.138-139 男根と睾丸の切除は、東京の医者にかかった。ヤミ手術なのである。ヤミだから高価い。「二、三百万円かかったわ…」と、彼女はボカしていう。

新宿慕情 p.138-139 男根と睾丸の切除は、東京の医者にかかった。ヤミ手術なのである。ヤミだから高価い。「二、三百万円かかったわ…」と、彼女はボカしていう。

新宿慕情 p.140-141 とうとう、芸者とホステスとが登場しなかった。不公平だから、サッと走り書きをしようか…。私が、〝おとなの男〟になったのは、満二十歳の誕生日の夜だった。

新宿慕情 p.140-141 とうとう、芸者とホステスとが登場しなかった。不公平だから、サッと走り書きをしようか…。私が、〝おとなの男〟になったのは、満二十歳の誕生日の夜だった。

新宿慕情 p.142-143 仲居のおキクさんは、万事承知の助で、この〝坊や〟の筆下ろしのために、然るべく、手配をしていてくれたらしい。日本髪の、いかにも、芸妓ッぽいお姐さんが入ってきた。

新宿慕情 p.142-143 仲居のおキクさんは、万事承知の助で、この〝坊や〟の筆下ろしのために、然るべく、手配をしていてくれたらしい。日本髪の、いかにも、芸妓ッぽいお姐さんが入ってきた。

新宿慕情 p.144-145 その深夜の二時ごろ、凍てついたアスファルトに、彼女が去ってゆく駒下駄の音が響いていたのを、私は忘れられない。♪紀元は二千六百年…

新宿慕情 p.144-145 その深夜の二時ごろ、凍てついたアスファルトに、彼女が去ってゆく駒下駄の音が響いていたのを、私は忘れられない。♪紀元は二千六百年…

新宿慕情 p.146-147 八月十四日の夜。満州は新京郊外で、私たちの部隊は、有力なるソ連戦車集団の来襲を待って、タコツボに身を潜めていた。――いよいよ、戦死だナ……。

新宿慕情 p.146-147 八月十四日の夜。満州は新京郊外で、私たちの部隊は、有力なるソ連戦車集団の来襲を待って、タコツボに身を潜めていた。――いよいよ、戦死だナ……。

事件記者と犯罪の間 p.148-149 中扉

148-149 事件記者と犯罪の間 中扉

事件記者と犯罪の間 p.150-151 「立松が逮捕された時には、オレがやはりこうして付添っていったっけナ」「そして、今度はオレが警視庁キャップで三田の付き添いか」

事件記者と犯罪の間 p.150-151 「立松が逮捕された時には、オレがやはりこうして付添っていったっけナ」「そして、今度はオレが警視庁キャップで三田の付き添いか」

事件記者と犯罪の間 p.152-153 あの社旗のもとで、身体を張り職を賭して存分に働いた十五年であった。今、辞表を出して〝元記者〟となり、〝悪徳記者〟の名のもとに石もて追われようとも、私の心には、読売の赤い社旗がハタハタと鳴っていたのである。

事件記者と犯罪の間 p.152-153 あの社旗のもとで、身体を張り職を賭して存分に働いた十五年であった。今、辞表を出して〝元記者〟となり、〝悪徳記者〟の名のもとに石もて追われようとも、私の心には、読売の赤い社旗がハタハタと鳴っていたのである。

事件記者と犯罪の間 p.154-155 警視庁での調べの間、私は捜査官に「どうしても納得がいかない」と責められた。何故、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。

事件記者と犯罪の間 p.154-155 警視庁での調べの間、私は捜査官に「どうしても納得がいかない」と責められた。何故、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。

事件記者と犯罪の間 p.156-157 私は捜査官にいった。「棒に振ったなんてサモシイことをいいなさんな。オレは記者としての仕事に、職どころか、生命さえ賭けているンだ。辞職で済めば安いものサ」

事件記者と犯罪の間 p.156-157 私は捜査官にいった。「棒に振ったなんてサモシイことをいいなさんな。オレは記者としての仕事に、職どころか、生命さえ賭けているンだ。辞職で済めば安いものサ」

事件記者と犯罪の間 p.158-159 提稿を受けた松木次長は、黙って朱筆を取ると、私の大作を読みはじめた。ついに読み終った原稿は朱も入らずに、バサリと傍らのクズ籠に投げすてられてしまった。

事件記者と犯罪の間 p.158-159 提稿を受けた松木次長は、黙って朱筆を取ると、私の大作を読みはじめた。ついに読み終った原稿は朱も入らずに、バサリと傍らのクズ籠に投げすてられてしまった。

事件記者と犯罪の間 p.160-161 塚原さんは大隊長としての責任罰で、土牢にブチ込まれた。寒暖計温度零下五十二度という土地で、一日に黒パン一枚、水一ぱいしか与えられない土牢である。

事件記者と犯罪の間 p.160-161 塚原さんは大隊長としての責任罰で、土牢にブチ込まれた。寒暖計温度零下五十二度という土地で、一日に黒パン一枚、水一ぱいしか与えられない土牢である。

事件記者と犯罪の間 p.162-163 警視庁公安部の一、二、三課担当ということになる。一課の左翼、二課の右翼、三課の外人である。私は公安記者のヴェテランとなり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。

事件記者と犯罪の間 p.162-163 警視庁公安部の一、二、三課担当ということになる。一課の左翼、二課の右翼、三課の外人である。私は公安記者のヴェテランとなり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。

事件記者と犯罪の間 p.164-165 この王は、上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙(とげつしょう)と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

事件記者と犯罪の間 p.164-165 この王は、上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙(とげつしょう)と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

事件記者と犯罪の間 p.166-167 六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。

事件記者と犯罪の間 p.166-167 六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。

事件記者と犯罪の間 p.168-169 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾——金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。

事件記者と犯罪の間 p.168-169 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾——金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。

事件記者と犯罪の間 p.170-171 五人の指名手配者の誰かの変名に違いない。面白い。私は乗り出した。「その男に私を逢わしてくれ」「ヨシ、それなら、あんたにやるよ」王と小林は渡りに舟とばかり、即座に答えた。

事件記者と犯罪の間 p.170-171 五人の指名手配者の誰かの変名に違いない。面白い。私は乗り出した。「その男に私を逢わしてくれ」「ヨシ、それなら、あんたにやるよ」王と小林は渡りに舟とばかり、即座に答えた。

事件記者と犯罪の間 p.172-173 「私は、実は小笠原郁夫です」私はうなずいた。彼は自首する時は必ず三田さんの手で自首して、読売の特ダネにする。自首までもう四、五日間時間をかしてほしい。必ず連絡する、という

事件記者と犯罪の間 p.172-173 「私は、実は小笠原郁夫です」私はうなずいた。彼は自首する時は必ず三田さんの手で自首して、読売の特ダネにする。自首までもう四、五日間時間をかしてほしい。必ず連絡する、という

事件記者と犯罪の間 p.174-175 私は短かい時間で決断を迫られていた。彼の申出をキッパリと拒絶するかきいてやるか。当局へ連絡して逮捕させるべきか、黙って別れてしまうかである。

事件記者と犯罪の間 p.174-175 私は短かい時間で決断を迫られていた。彼の申出をキッパリと拒絶するかきいてやるか。当局へ連絡して逮捕させるべきか、黙って別れてしまうかである。

事件記者と犯罪の間 p.176-177 私は決心した。「よろしい。やってみましょう」私は、小笠原を信じたのである。人は笑うかも知れない。「何だ、タカがグレン隊の若僧に…」「信ずべからざるものを信ず るなンて…」と。

事件記者と犯罪の間 p.176-177 私は決心した。「よろしい。やってみましょう」私は、小笠原を信じたのである。人は笑うかも知れない。「何だ、タカがグレン隊の若僧に…」「信ずべからざるものを信ず るなンて…」と。

事件記者と犯罪の間 p.178-179 安藤を説得できれば、安藤の命令で他の四人は簡単である。そうすれば、私の手の中に横井事件の犯人五人ともが入ってくる。私の手でいずれも警視庁へ引渡す。事件は解決である。

事件記者と犯罪の間 p.178-179 安藤を説得できれば、安藤の命令で他の四人は簡単である。そうすれば、私の手の中に横井事件の犯人五人ともが入ってくる。私の手でいずれも警視庁へ引渡す。事件は解決である。

事件記者と犯罪の間 p.180-181 私が、職を賭して彼らへ義理立てさえすれば、「安藤にあわせろ」の要求も、安藤の説得も可能になる。〝一歩後退、五歩前進〟の戦略だ。——ヨシ、やろう。

事件記者と犯罪の間 p.180-181 私が、職を賭して彼らへ義理立てさえすれば、「安藤にあわせろ」の要求も、安藤の説得も可能になる。〝一歩後退、五歩前進〟の戦略だ。——ヨシ、やろう。

事件記者と犯罪の間 p.182-183 私の計画はその第一歩では成功であった。ところが、事態は意外な進展をみせて、十五日には安藤、久住呂の両名が逮捕され、つづいて十七日には花田までが犯人隠避で逮捕されてしまったのである。

事件記者と犯罪の間 p.182-183 私の計画はその第一歩では成功であった。ところが、事態は意外な進展をみせて、十五日には安藤、久住呂の両名が逮捕され、つづいて十七日には花田までが犯人隠避で逮捕されてしまったのである。

事件記者と犯罪の間 p.184-185 逃走犯人との会見記事の実例は、朝日の伊藤律架空会見記、同じく殉国青年隊長豊田一夫会見記などがあるが、私はこの種の会見記は、邪道だと信じていた。

事件記者と犯罪の間 p.184-185 逃走犯人との会見記事の実例は、朝日の伊藤律架空会見記、同じく殉国青年隊長豊田一夫会見記などがあるが、私はこの種の会見記は、邪道だと信じていた。

事件記者と犯罪の間 p.186-187 フト、デスク(当番次長)の机の上をみると、本社旭川支局発の原稿がきている。何気なく読んでみると、外川材木店にいた男を小笠原と断定して捜査している、という原稿だった。

事件記者と犯罪の間 p.186-187 フト、デスク(当番次長)の机の上をみると、本社旭川支局発の原稿がきている。何気なく読んでみると、外川材木店にいた男を小笠原と断定して捜査している、という原稿だった。

事件記者と犯罪の間 p.188-189 取材経過の中の違法行為も、結果的に捜査協力だったり、特ダネで飾ったりすれば、捜査当局や新聞社から不問に付されるが、失敗すれば違法行為のみがクローズアップされて、両者から責任を求められるのは当然だ。

事件記者と犯罪の間 p.188-189 取材経過の中の違法行為も、結果的に捜査協力だったり、特ダネで飾ったりすれば、捜査当局や新聞社から不問に付されるが、失敗すれば違法行為のみがクローズアップされて、両者から責任を求められるのは当然だ。

事件記者と犯罪の間 p.190-191 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と温情あふれる言葉さえ下さった。

事件記者と犯罪の間 p.190-191 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と温情あふれる言葉さえ下さった。

事件記者と犯罪の間 p.192-193 警視庁の描いた〝予断〟は、三田は王との関係で安藤一派の一味だった。三田、王、小林、安藤、小笠原とつながるもっと重大な犯罪の背景があるに違いないと、こうニランだのである。

事件記者と犯罪の間 p.192-193 警視庁の描いた〝予断〟は、三田は王との関係で安藤一派の一味だった。三田、王、小林、安藤、小笠原とつながるもっと重大な犯罪の背景があるに違いないと、こうニランだのである。

事件記者と犯罪の間 p.194-195 私を担当する石村勘三郎という警部補は、どんな奴だろうかと、私の視線と彼の眼とが合った時、サッと表情が変るのを、私は確かに見た。その時、私は「負けた」と思った。「この男にだけは、何も彼も話しても、判ってもらえる」

事件記者と犯罪の間 p.194-195 私を担当する石村勘三郎という警部補は、どんな奴だろうかと、私の視線と彼の眼とが合った時、サッと表情が変るのを、私は確かに見た。その時、私は「負けた」と思った。「この男にだけは、何も彼も話しても、判ってもらえる」

事件記者と犯罪の間 p.196-197 ニュース・ソースは絶対秘匿せよという社の命令だった。だから、私はそれを守ったのだが、結果的に間違ったニュースを提供したソースをも、果して秘匿しなければいけないのか?

事件記者と犯罪の間 p.196-197 ニュース・ソースは絶対秘匿せよという社の命令だった。だから、私はそれを守ったのだが、結果的に間違ったニュースを提供したソースをも、果して秘匿しなければいけないのか?

事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」

事件記者と犯罪の間 p.198-199 「オイ読売、身体は大丈夫かって声をかける奴がいるんだけど」「声をかけた奴が判ったよ。顔に傷があるんだけど、誰だい?」「何だい? オメエ知らねェのかい?」「ハハン、安藤かい?」

事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

事件記者と犯罪の間 p.200-201 ソ軍政治少佐の、それこそ〝死の恐怖の調べ〟を想い起していた。それらにくらべれば、十日か二十日も黙秘し続けることは〝軽い気持〟だ。殺される心配のないだけでも、大変な違いである。

事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。

事件記者と犯罪の間 p.202-203 夜の調べがあった。ところがそれはすべて小笠原の他の犯罪事実についてである。これをみて、私は小笠原の殺人未遂の共同謀議が、起訴できないのだなと感じていた。

事件記者と犯罪の間 p.204-205 今の印象をいえば、当局のサギに引っかかって、無実の罪におとしいれられようとしている感じである。小笠原を殺人未遂犯人として手配し、私にそう思いこませたのは、一体、どこのどいつなのだ!

事件記者と犯罪の間 p.204-205 今の印象をいえば、当局のサギに引っかかって、無実の罪におとしいれられようとしている感じである。小笠原を殺人未遂犯人として手配し、私にそう思いこませたのは、一体、どこのどいつなのだ!

事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

事件記者と犯罪の間 p.206-207 「東京租界」の時、原部長は「名誉毀損が何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ」とだけ命じた。辻本次長は「記事をツブされないように、本人会見は締切の二時間前にしろよ」これほど取材記者の感激する言葉があるだろうか。

事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

事件記者と犯罪の間 p.208-209 取材費も切らず、仕事もせず、サラリーだけのお勤めをして、そのうちにはトコロ天式にエラクなろうという、本当のサラリーマン記者がほとんどである。

事件記者と犯罪の間 p.210-211 役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。

事件記者と犯罪の間 p.210-211 役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。

事件記者と犯罪の間 p.212-213 私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。

事件記者と犯罪の間 p.212-213 私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。

p.214-p.215 事件記者と犯罪の間(p.214)「読んだあと御不浄で使える読売新聞、もんでも穴のあかない読売新聞、ふいても活字のうつらない読売新聞! 読売新聞をどうぞ」 最後の事件記者トビラ(p.215)

p.214-p.215 事件記者と犯罪の間(p.214)「読んだあと御不浄で使える読売新聞、もんでも穴のあかない読売新聞、ふいても活字のうつらない読売新聞! 読売新聞をどうぞ」 最後の事件記者トビラ(p.215)

最後の事件記者 p.216-217 「オイ、ブンヤさん。電話だよ」ここは警視庁一階の留置場。逮捕状を執行されて、ブチこまれてから、生れてはじめての留置場生活。〝電話〟と聞いては、驚きのため飛び起きざるを得ない。

最後の事件記者 p.216-217 「オイ、ブンヤさん。電話だよ」ここは警視庁一階の留置場。逮捕状を執行されて、ブチこまれてから、生れてはじめての留置場生活。〝電話〟と聞いては、驚きのため飛び起きざるを得ない。

最後の事件記者 p.218-219 大辻司郎と吉屋信子、この二人にフランキー堺を足したような顔のその男は、〝浅草のヨネさん〟といわれる、パン助置屋の主人であった。管理売春という、売春防止法でも重たい罪の容疑で入っている男だった

最後の事件記者 p.218-219 大辻司郎と吉屋信子、この二人にフランキー堺を足したような顔のその男は、〝浅草のヨネさん〟といわれる、パン助置屋の主人であった。管理売春という、売春防止法でも重たい罪の容疑で入っている男だった

最後の事件記者 p.220-221 扇形に看房が並んでいる留置場は、カナメにあたる部分に、潜水艦の司令塔のような見張り台がある。ここに看守が一人坐ると、一、二階とも全部で二十八の看房が、少しの死角もなく見通せるのである。

最後の事件記者 p.220-221 扇形に看房が並んでいる留置場は、カナメにあたる部分に、潜水艦の司令塔のような見張り台がある。ここに看守が一人坐ると、一、二階とも全部で二十八の看房が、少しの死角もなく見通せるのである。

最後の事件記者 p.222-223 安藤はその後も、「このたびは御迷惑をかけてしまって、何とも申しわけありません」とか、「会社の方は大丈夫ですか」「身体は悪くありませんか」などと、顔があうたびにキチンと声をかけて挨拶をしてきた。

最後の事件記者 p.222-223 安藤はその後も、「このたびは御迷惑をかけてしまって、何とも申しわけありません」とか、「会社の方は大丈夫ですか」「身体は悪くありませんか」などと、顔があうたびにキチンと声をかけて挨拶をしてきた。

最後の事件記者 p.224-225 「それでね。何を書いたらいいか。少し教えて下さいよ」文春が安藤に手記を依頼してきた。〆切は二十日だという。これこそ、私にとってはビッグ・ニュースだった。

最後の事件記者 p.224-225 「それでね。何を書いたらいいか。少し教えて下さいよ」文春が安藤に手記を依頼してきた。〆切は二十日だという。これこそ、私にとってはビッグ・ニュースだった。

最後の事件記者 p.226-227 私の名前が出てくるのは、月曜日のひるすぎ。私は素早くそう計算して、明日の正午までの十五時間位は、自由に行動できると考えた。その間に一切を片付けねばならない。

最後の事件記者 p.226-227 私の名前が出てくるのは、月曜日のひるすぎ。私は素早くそう計算して、明日の正午までの十五時間位は、自由に行動できると考えた。その間に一切を片付けねばならない。

最後の事件記者 p.228-229 今までは書く身が書かれる身になるのだ。一体各社がどんな扱いをするか、どんな記事をかくか…その結果の私の逮捕記事であった。私は厳しい批判を受けていることを、留置場の中で知ったのである。

最後の事件記者 p.228-229 今までは書く身が書かれる身になるのだ。一体各社がどんな扱いをするか、どんな記事をかくか…その結果の私の逮捕記事であった。私は厳しい批判を受けていることを、留置場の中で知ったのである。

最後の事件記者 p.230-231 私の手記もまた、安藤の手記と組まして、十分に価値があるはずだと判断した。保釈出所するや、その翌日には、私は文芸春秋の田川博一編集長に会っていた。二十五日間の休養で、元気一ぱいだった。

最後の事件記者 p.230-231 私の手記もまた、安藤の手記と組まして、十分に価値があるはずだと判断した。保釈出所するや、その翌日には、私は文芸春秋の田川博一編集長に会っていた。二十五日間の休養で、元気一ぱいだった。

最後の事件記者 p.232-233 田川編集長は、柔らかな態度になった。「三田君、覚えているかい? 小学校で六年生の時、一緒によく遊んだッけね」「エ? じゃ、あの、田川君か!」私はこの奇遇に驚いた。

最後の事件記者 p.232-233 田川編集長は、柔らかな態度になった。「三田君、覚えているかい? 小学校で六年生の時、一緒によく遊んだッけね」「エ? じゃ、あの、田川君か!」私はこの奇遇に驚いた。

最後の事件記者 p.234-235 田川編集長ばかりでなく、自由法曹団のウルサ型弁護士、石島泰とのめぐりあいなども、やはり、なかなかにドラマチックで、強い印象が残っている事件だった。

最後の事件記者 p.234-235 田川編集長ばかりでなく、自由法曹団のウルサ型弁護士、石島泰とのめぐりあいなども、やはり、なかなかにドラマチックで、強い印象が残っている事件だった。

最後の事件記者 p.236-237 根拠は「もう、共産党はゴメン」ということだった。家庭教師の口は断られ、就職内定は取消、妻は臨月、もう喰って行けない。だから、共産党でないと客観的事実で示したい、というのである。

最後の事件記者 p.236-237 根拠は「もう、共産党はゴメン」ということだった。家庭教師の口は断られ、就職内定は取消、妻は臨月、もう喰って行けない。だから、共産党でないと客観的事実で示したい、というのである。

最後の事件記者 p.238-239 この記事はモメるゾ! 同時に直感した。案の定、K氏から抗議がきた。数日後、石島弁護士が面会を求めてきた。——来たナ! しかも、石島か!

最後の事件記者 p.238-239 この記事はモメるゾ! 同時に直感した。案の定、K氏から抗議がきた。数日後、石島弁護士が面会を求めてきた。——来たナ! しかも、石島か!

最後の事件記者 p.240-241 このトラブルの原因は、K氏の功利的なオポチュニストという、その人柄に問題があったのである。仲間を裏切った彼は、また、第二の仲間をも裏切ったのである。

最後の事件記者 p.240-241 このトラブルの原因は、K氏の功利的なオポチュニストという、その人柄に問題があったのである。仲間を裏切った彼は、また、第二の仲間をも裏切ったのである。

最後の事件記者 p.242-243 インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいないのである。新聞記者の適性の第一は、インテリでないことである。ことに、事件記者には、インテリはダメである。

最後の事件記者 p.242-243 インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいないのである。新聞記者の適性の第一は、インテリでないことである。ことに、事件記者には、インテリはダメである。

最後の事件記者 p.244-245 K氏は私の前で、インテリのポーズをやめて、本音を吐いた。それには、私がインテリでないことを、先にK氏に見せてやったからである。相手がインテリでなければ、彼も何もブル必要がない。その方が気安いからだ。

最後の事件記者 p.244-245 K氏は私の前で、インテリのポーズをやめて、本音を吐いた。それには、私がインテリでないことを、先にK氏に見せてやったからである。相手がインテリでなければ、彼も何もブル必要がない。その方が気安いからだ。

最後の事件記者 p.246-247 私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。

最後の事件記者 p.246-247 私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。

最後の事件記者 p.248-249 「イヤ、大分御活躍じゃないか、反共記者ドノは!」「ハハハハ。しかし、石島弁護士というのも、御活躍だぜ」二人は、さっきの冷たい戦いも忘れて笑い合った。

最後の事件記者 p.248-249 「イヤ、大分御活躍じゃないか、反共記者ドノは!」「ハハハハ。しかし、石島弁護士というのも、御活躍だぜ」二人は、さっきの冷たい戦いも忘れて笑い合った。

最後の事件記者 p.250-251 当時の私は成績優秀で、石島や商法の東大助教授三ヶ月章らと、一、二を争うほどであった。理の当然として、三人とも名門府立五中へと進んだ。

最後の事件記者 p.250-251 当時の私は成績優秀で、石島や商法の東大助教授三ヶ月章らと、一、二を争うほどであった。理の当然として、三人とも名門府立五中へと進んだ。

最後の事件記者 p.252-253 女中に叩き起されて、第二次試験場に入ったが、寝不足の私は、控室で寝入ってしまい、試験が終ってから発見されるという騒ぎだった。

最後の事件記者 p.252-253 女中に叩き起されて、第二次試験場に入ったが、寝不足の私は、控室で寝入ってしまい、試験が終ってから発見されるという騒ぎだった。

最後の事件記者 p.254-255 国策グラフ誌「ニッポン・フィリピンズ」が発刊されると、その編集部につとめて、ユーモア作家小此木礼助に編集を教わり、二紀会の橋本徹郎や若き日の亀倉雄策にレイアウトを教わったりした。

最後の事件記者 p.254-255 国策グラフ誌「ニッポン・フィリピンズ」が発刊されると、その編集部につとめて、ユーモア作家小此木礼助に編集を教わり、二紀会の橋本徹郎や若き日の亀倉雄策にレイアウトを教わったりした。

最後の事件記者 p.256-257 私はその入社成績を長兄に示していった。「どうです。東大も京大も、ポン大より下じゃないですか」と。官学派の長兄は、日大などはポン大といって、軽蔑していたのである。

最後の事件記者 p.256-257 私はその入社成績を長兄に示していった。「どうです。東大も京大も、ポン大より下じゃないですか」と。官学派の長兄は、日大などはポン大といって、軽蔑していたのである。

最後の事件記者 p.258-259 ラジオ記者たちは、事件を短かく簡単に、話し言葉で原稿にして、放送局へ送稿する。ところが、彼らはそれでお終いだ。その原稿がどんな形のニュースとなり、どんな扱い方で電波に乗ったかは、全く関知しない。

最後の事件記者 p.258-259 ラジオ記者たちは、事件を短かく簡単に、話し言葉で原稿にして、放送局へ送稿する。ところが、彼らはそれでお終いだ。その原稿がどんな形のニュースとなり、どんな扱い方で電波に乗ったかは、全く関知しない。

最後の事件記者 p.260-261 そこに書かれた文字は、〝○○にて、三田特派員発〟という、私の署名記事である。彼女はハッと胸をつかれて、その記事を読みふけってあの夜のことを想い起す。

最後の事件記者 p.260-261 そこに書かれた文字は、〝○○にて、三田特派員発〟という、私の署名記事である。彼女はハッと胸をつかれて、その記事を読みふけってあの夜のことを想い起す。

最後の事件記者 p.262-263 社会部に配属された。私たちの初年兵教官は、松木勇造現労務部長であった。その教育は文字通りのスパルタ式、我が子を千仭の谷底に落す、獅子のそれであった。

最後の事件記者 p.262-263 社会部に配属された。私たちの初年兵教官は、松木勇造現労務部長であった。その教育は文字通りのスパルタ式、我が子を千仭の谷底に落す、獅子のそれであった。

最後の事件記者 p.264-265 「三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ!」「心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!」

最後の事件記者 p.264-265 「三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ!」「心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!」

最後の事件記者 p.266-267 明十五日未明、ソ軍戦車集団が新京南郊外へ来襲する。タコツボに潜んだ。今度こそ最後だと思った。一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。

最後の事件記者 p.266-267 明十五日未明、ソ軍戦車集団が新京南郊外へ来襲する。タコツボに潜んだ。今度こそ最後だと思った。一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。

最後の事件記者 p.268-269 「〇〇にて徳間特派員発」の文字! どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて! 彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。

最後の事件記者 p.268-269 「〇〇にて徳間特派員発」の文字! どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて! 彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。

最後の事件記者 p.270-271 第一次、第二次の争議で、激動期の読売から去っていってしまった。北海道の国鉄職場離脱闘争を指導した、日共本部派遣のオルグ山根修や、東京民報へいった福手和彦や徳間康快である。

最後の事件記者 p.270-271 第一次、第二次の争議で、激動期の読売から去っていってしまった。北海道の国鉄職場離脱闘争を指導した、日共本部派遣のオルグ山根修や、東京民報へいった福手和彦や徳間康快である。

最後の事件記者 p.272-273 一人の兵隊が、試みに赤フンを外して差出すと、女たちが殺到してきて奪いあったが、やがて彼は、得々として赤フンを頭に被った女から、沢山の煙草をもらって当惑してしまった。

最後の事件記者 p.272-273 一人の兵隊が、試みに赤フンを外して差出すと、女たちが殺到してきて奪いあったが、やがて彼は、得々として赤フンを頭に被った女から、沢山の煙草をもらって当惑してしまった。

最後の事件記者 p.274-275 働くよろこびなどおろか作業の固定しているものなどは、ひたすら八時間の経過を待ちこがれ、歩合のものは労力を最小限に惜しむ。

最後の事件記者 p.274-275 働くよろこびなどおろか作業の固定しているものなどは、ひたすら八時間の経過を待ちこがれ、歩合のものは労力を最小限に惜しむ。

最後の事件記者 p.276-277 身を横たえる寝台一つに過ぎない住いは、一室に夫婦者、独身者、親子連れと雑居し、ますます性道徳は乱れ、小さな子供までが、平気で性に関する言葉を放っている。

最後の事件記者 p.276-277 身を横たえる寝台一つに過ぎない住いは、一室に夫婦者、独身者、親子連れと雑居し、ますます性道徳は乱れ、小さな子供までが、平気で性に関する言葉を放っている。

最後の事件記者 p.278-279 元気な若者は、真剣に北部シベリアから、アラスカへ出るアメリカへの逃亡を考えて、私を誘ったこともあった。

最後の事件記者 p.278-279 元気な若者は、真剣に北部シベリアから、アラスカへ出るアメリカへの逃亡を考えて、私を誘ったこともあった。

最後の事件記者 p.280-281 かつて、築地小劇場の左翼演劇にあこがれ、左翼評論家に指導されて、官僚からジャーナリズムへ方向転換した私にとって、この名は皮肉なものだった。私は反共記事ばかりではない。反右翼も、反政府も、反米も手がけた。

最後の事件記者 p.280-281 かつて、築地小劇場の左翼演劇にあこがれ、左翼評論家に指導されて、官僚からジャーナリズムへ方向転換した私にとって、この名は皮肉なものだった。私は反共記事ばかりではない。反右翼も、反政府も、反米も手がけた。

最後の事件記者 p.282-283 幸い、戦災にもあわず、住居と衣類と、そして職も失われていなかった私は、いわゆるツイている方だった。

最後の事件記者 p.282-283 幸い、戦災にもあわず、住居と衣類と、そして職も失われていなかった私は、いわゆるツイている方だった。

最後の事件記者 p.284-285 私は結婚の決心を、その日に決めてしまった。竹内社会部長の仲人で、二十三年四月二十二日に高島屋の結婚式場で挙式した。

最後の事件記者 p.284-285 私は結婚の決心を、その日に決めてしまった。竹内社会部長の仲人で、二十三年四月二十二日に高島屋の結婚式場で挙式した。

最後の事件記者 p.286-287 Mという変り者のパン助がいた。彼女は、仲間のパン助相手に、オムスビやオスシを売る行商をする。そして、七十八万円を貯金していた。彼女はしばしば襲われるようになった。

最後の事件記者 p.286-287 Mという変り者のパン助がいた。彼女は、仲間のパン助相手に、オムスビやオスシを売る行商をする。そして、七十八万円を貯金していた。彼女はしばしば襲われるようになった。

最後の事件記者 p.288-289 私は、毎日必ず一本の「いずみ」を提稿した。最高記録は一月で八本、三十本も提稿して八本載ったのが限度であったが、そのうちの二、三本は、必ず記事審査委の日報でほめられていた。

最後の事件記者 p.288-289 私は、毎日必ず一本の「いずみ」を提稿した。最高記録は一月で八本、三十本も提稿して八本載ったのが限度であったが、そのうちの二、三本は、必ず記事審査委の日報でほめられていた。

最後の事件記者 p.290-291 若い記者の多くが不勉強で努力をしようとしないのだから、新聞がつまらなくなるのも当然である。やがては、官庁の発表文を伝えるだけの、メッセンジャー記者時代になるのだろう。

最後の事件記者 p.290-291 若い記者の多くが不勉強で努力をしようとしないのだから、新聞がつまらなくなるのも当然である。やがては、官庁の発表文を伝えるだけの、メッセンジャー記者時代になるのだろう。

最後の事件記者 p.292-293 「いい車ですね。これ何というの?」「ハイ、ビュイックです」「ヘェ、こんな車にのるのは、余ッ程エライ人なんですネ」「エエ、輸送課長サンです」「輸送課って、国鉄の?」「イエ、日銀です」

最後の事件記者 p.292-293 「いい車ですね。これ何というの?」「ハイ、ビュイックです」「ヘェ、こんな車にのるのは、余ッ程エライ人なんですネ」「エエ、輸送課長サンです」「輸送課って、国鉄の?」「イエ、日銀です」

最後の事件記者 p.294-295 「何だ。そんなウマイ話なら、オレも誘いにのって、あの車に乗るンだった。何しろ、相手が日銀じゃ、定めし酒池肉林。惜しいことをした」

最後の事件記者 p.294-295 「何だ。そんなウマイ話なら、オレも誘いにのって、あの車に乗るンだった。何しろ、相手が日銀じゃ、定めし酒池肉林。惜しいことをした」

最後の事件記者 p.296-297 その母親を、一生懸命に口説き落したところ、「実は、娘が息を引きとる時、あの先生は男だった、と、何もかも話してくれました」と

最後の事件記者 p.296-297 その母親を、一生懸命に口説き落したところ、「実は、娘が息を引きとる時、あの先生は男だった、と、何もかも話してくれました」と

最後の事件記者 p.298-299 その伯父さんが、二人の仲を無理に割いて、岩手医大に転学させたということを知っていたので、顔をみた瞬間、「ア、彼女だ」と、即座に気がついた。

最後の事件記者 p.298-299 その伯父さんが、二人の仲を無理に割いて、岩手医大に転学させたということを知っていたので、顔をみた瞬間、「ア、彼女だ」と、即座に気がついた。

最後の事件記者 p.300-301 品川は赤旗のウズだ。列車が同駅を発車した時、伊藤君は赤旗組を整理しながら、列車にとびのろうとしたが、人々に押されてホームと列車の間に転落、重傷を負ってついに絶命した。

最後の事件記者 p.300-301 品川は赤旗のウズだ。列車が同駅を発車した時、伊藤君は赤旗組を整理しながら、列車にとびのろうとしたが、人々に押されてホームと列車の間に転落、重傷を負ってついに絶命した。

最後の事件記者 p.302-303 やがて、この〝代々木詣り〟は事件となって現われてきた。京都駅での大乱闘、舞鶴援護局でのストなどと、アカハタと日の丸の対立まで、何年にもわたっての、各種の事件を生んだ。

最後の事件記者 p.302-303 やがて、この〝代々木詣り〟は事件となって現われてきた。京都駅での大乱闘、舞鶴援護局でのストなどと、アカハタと日の丸の対立まで、何年にもわたっての、各種の事件を生んだ。

最後の事件記者 p.304-305 だが、それにもまして、私自身が、いうなればソ連のスパイであったからだ。だからこそ、引揚者の土産話を聞けば、何かピンとくるものがあるのだった。

最後の事件記者 p.304-305 だが、それにもまして、私自身が、いうなればソ連のスパイであったからだ。だからこそ、引揚者の土産話を聞けば、何かピンとくるものがあるのだった。

最後の事件記者 p.306-307 当時シベリアの政治運動は、「日本新聞」の指導で、やや消極的な「友の会」運動から、「民主グループ」という、積極的な動きに変りつつある時だった。

最後の事件記者 p.306-307 当時シベリアの政治運動は、「日本新聞」の指導で、やや消極的な「友の会」運動から、「民主グループ」という、積極的な動きに変りつつある時だった。

最後の事件記者 p.308-309 〝偽装〟して〝地下潜入〟せよ、ということになるではないか。——何かがはじまるンだ。忙しい身仕度が私を興奮させた。——まさか、内地帰還?

最後の事件記者 p.308-309 〝偽装〟して〝地下潜入〟せよ、ということになるではないか。——何かがはじまるンだ。忙しい身仕度が私を興奮させた。——まさか、内地帰還?

最後の事件記者 p.310-311 呼び出されるごとに、立会の男が変っている。ある事柄を一貫して知り得るのは、限られた人人だけで、他の者は一部だけしか知り得ない組織になっているらしい。——何と徹底した秘密保持だろう!

最後の事件記者 p.310-311 呼び出されるごとに、立会の男が変っている。ある事柄を一貫して知り得るのは、限られた人人だけで、他の者は一部だけしか知り得ない組織になっているらしい。——何と徹底した秘密保持だろう!

最後の事件記者 p.312-313 「私ハ、ソヴェト社会主義共和国連邦ノタメニ、命ゼラレタコトハ、何事デアッテモ、行ウコトヲ誓イマス。(この次にもう一行あったような記憶がある)

最後の事件記者 p.312-313 「私ハ、ソヴェト社会主義共和国連邦ノタメニ、命ゼラレタコトハ、何事デアッテモ、行ウコトヲ誓イマス。(この次にもう一行あったような記憶がある)

最後の事件記者 p.314-315 民主グループの連中が集めている、反動分子の情報は当然ペトロフ少佐のもとに報告されている。それと私の報告とを比較して、私の〝忠誠さ〟をテストするに違いない。

最後の事件記者 p.314-315 民主グループの連中が集めている、反動分子の情報は当然ペトロフ少佐のもとに報告されている。それと私の報告とを比較して、私の〝忠誠さ〟をテストするに違いない。

最後の事件記者 p.316-317 これは同胞を売ることだ。この生き地獄の中で、私は他人を犠牲にしても、生きのびねばならないのか。私は、間違いなく復員名簿にのるだろうが、その代りに永遠に名前ののらない人もできるのだ。

最後の事件記者 p.316-317 これは同胞を売ることだ。この生き地獄の中で、私は他人を犠牲にしても、生きのびねばならないのか。私は、間違いなく復員名簿にのるだろうが、その代りに永遠に名前ののらない人もできるのだ。

最後の事件記者 p.318-319 すると…無表情な男の顔、考えこむ男の姿、沈んでゆく不思議な引揚者、そして、不可解な死——或者は船上から海中に投じ、或者は列車から転落し、また或者は縊死して果てた。

最後の事件記者 p.318-319 すると…無表情な男の顔、考えこむ男の姿、沈んでゆく不思議な引揚者、そして、不可解な死——或者は船上から海中に投じ、或者は列車から転落し、また或者は縊死して果てた。

最後の事件記者 p.320-321 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけた。そして社会面の全面を埋めて、第一回分「シベリアで魂を売った幻兵団」を発表した。

最後の事件記者 p.320-321 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけた。そして社会面の全面を埋めて、第一回分「シベリアで魂を売った幻兵団」を発表した。

最後の事件記者 p.322-323 アカハタだけがヤッキにデマだと書いた。左翼系バクロ雑誌「真相」も〝幻兵団製造物語〟で、私の記事を否定した。その狼狽ぶりがおかしかった。そして二十七年暮に、鹿地・三橋スパイ事件が起った

最後の事件記者 p.322-323 アカハタだけがヤッキにデマだと書いた。左翼系バクロ雑誌「真相」も〝幻兵団製造物語〟で、私の記事を否定した。その狼狽ぶりがおかしかった。そして二十七年暮に、鹿地・三橋スパイ事件が起った

最後の事件記者 p.324-325 「男に生れて自分の仕事に倒れるなンて素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ」「男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてどうなの?」

最後の事件記者 p.324-325 「男に生れて自分の仕事に倒れるなンて素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ」「男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてどうなの?」

最後の事件記者 p.326-327 戦争で死んだ男たちをみると、運命といったようなものを信ぜざるを得なくなってくる。死ぬ奴は死ぬべくあった、と思われるフシがあるのだった。

最後の事件記者 p.326-327 戦争で死んだ男たちをみると、運命といったようなものを信ぜざるを得なくなってくる。死ぬ奴は死ぬべくあった、と思われるフシがあるのだった。

最後の事件記者 p.328-329 しかし、実際には私もこわかった。「スパイは殺される」という。所轄の北沢署に保護を頼んだり、一日中社へよりつかなかったりした。

最後の事件記者 p.328-329 しかし、実際には私もこわかった。「スパイは殺される」という。所轄の北沢署に保護を頼んだり、一日中社へよりつかなかったりした。

最後の事件記者 p.330-331 同局が共産党の押収した文書の中に、「読売三田記者を合法的に抹殺せよ」という、極秘指令を発見したというのだ。「合法的ということは、事故を装ったコロシですよ」

最後の事件記者 p.330-331 同局が共産党の押収した文書の中に、「読売三田記者を合法的に抹殺せよ」という、極秘指令を発見したというのだ。「合法的ということは、事故を装ったコロシですよ」

最後の事件記者 p.332-333 現実にこの社会の中で、果して実力者だけが〝立身出世〟をしているといえるだろうか。現実には、〝危険な英雄〟よりは〝安全なサラリーマン〟が、出世のコツであるのだ。

最後の事件記者 p.332-333 現実にこの社会の中で、果して実力者だけが〝立身出世〟をしているといえるだろうか。現実には、〝危険な英雄〟よりは〝安全なサラリーマン〟が、出世のコツであるのだ。

最後の事件記者 p.334-335 読売出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、部長と視線が合わないようにソッと席に坐る場面がある。彼はいつもゆっくりと出てきて、私をみるとニヤリと笑う。私も出勤がおそかったからだ。

最後の事件記者 p.334-335 読売出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、部長と視線が合わないようにソッと席に坐る場面がある。彼はいつもゆっくりと出てきて、私をみるとニヤリと笑う。私も出勤がおそかったからだ。

最後の事件記者 p.336-337 日本共産党書記長徳田球一がソ連側に「日本人の引揚をおくらせてほしい」と要請したという問題。徳田書記長はベランメエ口調で〝モスクワへ行ってきいて来い〟という名ゼリフをはいたのである。

最後の事件記者 p.336-337 日本共産党書記長徳田球一がソ連側に「日本人の引揚をおくらせてほしい」と要請したという問題。徳田書記長はベランメエ口調で〝モスクワへ行ってきいて来い〟という名ゼリフをはいたのである。

最後の事件記者 p.338-339 その吊しあげは、袴田の命令をうけた久留義蔵が、津村らナホトカ・グループ六名を、産別会館に軟禁して徹底的に吊しあげを行い、党活動停止の処分にしたのであった。

最後の事件記者 p.338-339 その吊しあげは、袴田の命令をうけた久留義蔵が、津村らナホトカ・グループ六名を、産別会館に軟禁して徹底的に吊しあげを行い、党活動停止の処分にしたのであった。

最後の事件記者 p.340-341 津村謙二を千歳烏山引揚者寮におとずれた。部屋の中央には良く肥った男の子が寝入っている。妻は元陸軍看護婦でソ連に抑留され、ナホトカの民主グループで働いていた須藤ケイ子であった。

最後の事件記者 p.340-341 津村謙二を千歳烏山引揚者寮におとずれた。部屋の中央には良く肥った男の子が寝入っている。妻は元陸軍看護婦でソ連に抑留され、ナホトカの民主グループで働いていた須藤ケイ子であった。

最後の事件記者 p.342-343 あの死に連なる恐怖の人民裁判のアジテーター津村の厳しさも、日共党員津村の虚勢ももはやそこにはなかった。夫と妻と、父と母と子の愛情だけがこのうらぶれた寮の部屋いっぱいに漂っていた。

最後の事件記者 p.342-343 あの死に連なる恐怖の人民裁判のアジテーター津村の厳しさも、日共党員津村の虚勢ももはやそこにはなかった。夫と妻と、父と母と子の愛情だけがこのうらぶれた寮の部屋いっぱいに漂っていた。

最後の事件記者 p.344-345 その原稿をデスクの辻本次長に渡した。すると、彼も読んだような気がするという。二人で考えてみると「人生案内」の話がこれと全く同じようなケースだった。

最後の事件記者 p.344-345 その原稿をデスクの辻本次長に渡した。すると、彼も読んだような気がするという。二人で考えてみると「人生案内」の話がこれと全く同じようなケースだった。

最後の事件記者 p.346-347 この投書は下積みになっていて、女史が見たのはつい最近のことで、すでに遅かった。叔父が彼女の家にいってみると、昨夜服毒したらしく、苦しがってのたうち廻っている彼女の姿があったのだ。

最後の事件記者 p.346-347 この投書は下積みになっていて、女史が見たのはつい最近のことで、すでに遅かった。叔父が彼女の家にいってみると、昨夜服毒したらしく、苦しがってのたうち廻っている彼女の姿があったのだ。

最後の事件記者 p.348-349 私は彼女の死体の執刀医をさがした。医師は事情を聞いて、「そうですね。破瓜したのは、ちょうど一週間ほど前でしょう。傷口から判断して……」

最後の事件記者 p.348-349 私は彼女の死体の執刀医をさがした。医師は事情を聞いて、「そうですね。破瓜したのは、ちょうど一週間ほど前でしょう。傷口から判断して……」

最後の事件記者 p.350-351 彼女が処女ではなくなっていたことと、日記が二日もぬけていたことはふれなかった。彼女の遺書には「私は清い心と身体のまま死んでゆきます」とあったからだ。

最後の事件記者 p.350-351 彼女が処女ではなくなっていたことと、日記が二日もぬけていたことはふれなかった。彼女の遺書には「私は清い心と身体のまま死んでゆきます」とあったからだ。

最後の事件記者 p.352-353 私は人の名前と顔を記憶する能力に恵まれていた。恵まれていたというよりは、努力して後天的に築きあげた才能である。私は夜もねないで写真と身上調査書とを見くらべては覚えこんでいた。

最後の事件記者 p.352-353 私は人の名前と顔を記憶する能力に恵まれていた。恵まれていたというよりは、努力して後天的に築きあげた才能である。私は夜もねないで写真と身上調査書とを見くらべては覚えこんでいた。

最後の事件記者 p.354-355 警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。

最後の事件記者 p.354-355 警察官は、直接自分が手がけた事件を通して、一番、新聞および新聞記者を軽べつし、同時に一番、新聞および新聞記者を恐れている職種の人物だと思う。

最後の事件記者 p.356-357 私は三年間の警視庁記者クラブ在勤中、御用聞き然と、庁内を「何かありませんか」と廻ることに屈辱を感ずるので、要領良くいわゆる庁内廻りを一度もしなかった。

最後の事件記者 p.356-357 私は三年間の警視庁記者クラブ在勤中、御用聞き然と、庁内を「何かありませんか」と廻ることに屈辱を感ずるので、要領良くいわゆる庁内廻りを一度もしなかった。

最後の事件記者 p.358-359 私はバスに乗りこむと同時に、次の停留所で降りる人物を探し出す。男女別、服装、手荷物、表情、態度、すべてのデータから人をえらんで、その前に立つ。的中して降りれば、そのあとに坐る。

最後の事件記者 p.358-359 私はバスに乗りこむと同時に、次の停留所で降りる人物を探し出す。男女別、服装、手荷物、表情、態度、すべてのデータから人をえらんで、その前に立つ。的中して降りれば、そのあとに坐る。

最後の事件記者 p.360-361 彼女は、一枚の名刺を出して、「あのゥ、何か面白いことはございませんでしょうか」という。名刺をみると、某婦人新聞記者とある。「ア、この女はオレをデカと間違えているナ」と感じた。

最後の事件記者 p.360-361 彼女は、一枚の名刺を出して、「あのゥ、何か面白いことはございませんでしょうか」という。名刺をみると、某婦人新聞記者とある。「ア、この女はオレをデカと間違えているナ」と感じた。

最後の事件記者 p.362-363 急いで外へ出て、四人のうちの一番若い娘さんの友人を探し歩いた。ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

最後の事件記者 p.362-363 急いで外へ出て、四人のうちの一番若い娘さんの友人を探し歩いた。ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。

最後の事件記者 p.364-365 この機会を狙っていたのだ。「アノお願いです。元気な顔をみてくるだけですから入れてやって下さい。この妹が、どうしてもっていうもんですから」巡査はうなずいて通してくれた。

最後の事件記者 p.364-365 この機会を狙っていたのだ。「アノお願いです。元気な顔をみてくるだけですから入れてやって下さい。この妹が、どうしてもっていうもんですから」巡査はうなずいて通してくれた。

最後の事件記者 p.366-367 「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持ち逃げ」の記事だ。

最後の事件記者 p.366-367 「あの年でどうしてあんなに金が?」と、首をカシげながら、女将が夕刊に眼を通すと、パッと眼を射たのが「百万円持ち逃げ」の記事だ。

最後の事件記者 p.368-369 ビールを取りに立ったついでに待機の記者に合図。神田署から二人の刑事がかけつけてくる。台本の筋書は、臨検として刑事が部屋に入って、職質をやるという手筈。

最後の事件記者 p.368-369 ビールを取りに立ったついでに待機の記者に合図。神田署から二人の刑事がかけつけてくる。台本の筋書は、臨検として刑事が部屋に入って、職質をやるという手筈。

最後の事件記者 p.370-371 「ハンニンタイホニ、ゴキヨウリヨクヲシヤス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。

最後の事件記者 p.370-371 「ハンニンタイホニ、ゴキヨウリヨクヲシヤス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。

最後の事件記者 p.372-373 「よろしい、趣旨は判った。しかし、ワシは新聞記者がキライで、会わないと決心をしたのだから、会うワケにはいかん」

最後の事件記者 p.372-373 「よろしい、趣旨は判った。しかし、ワシは新聞記者がキライで、会わないと決心をしたのだから、会うワケにはいかん」

最後の事件記者 p.374-375 「ナニ? 将校斥候だと? 将校斥候がきたのでは、敵の陣内まで偵察せずには帰れないだろう。ヨシ、上れ」はじめて会った辻参謀は、約一時間以上もじゅんじゅんと語った。

最後の事件記者 p.374-375 「ナニ? 将校斥候だと? 将校斥候がきたのでは、敵の陣内まで偵察せずには帰れないだろう。ヨシ、上れ」はじめて会った辻参謀は、約一時間以上もじゅんじゅんと語った。

最後の事件記者 p.376-377 連合国人と第三国人とにとって、日本は地上の楽園だったのである。一番大きな特権は〝三無原則〟と呼ばれた、無税金、無統制、無取締の、経済的絶対優位であった。

最後の事件記者 p.376-377 連合国人と第三国人とにとって、日本は地上の楽園だったのである。一番大きな特権は〝三無原則〟と呼ばれた、無税金、無統制、無取締の、経済的絶対優位であった。

最後の事件記者 p.378-379 ホステスと呼ばれる、いわば外人用〝夜の蝶〟たちであった。彼女たちは私の率直な酔い方に興味を持って、夕方の銀座あたりで、クラブのはじまる十時ごろまでよくデートしたものである。

最後の事件記者 p.378-379 ホステスと呼ばれる、いわば外人用〝夜の蝶〟たちであった。彼女たちは私の率直な酔い方に興味を持って、夕方の銀座あたりで、クラブのはじまる十時ごろまでよくデートしたものである。

最後の事件記者 p.380-381 真相は、上海郊外で宣撫工作に従事していた中尉と、田舎娘のパイコワンとの間に、いつか恋が芽生えた。だが内地帰還となった中尉は、それを打明けず姿をかくしてしまった。

最後の事件記者 p.380-381 真相は、上海郊外で宣撫工作に従事していた中尉と、田舎娘のパイコワンとの間に、いつか恋が芽生えた。だが内地帰還となった中尉は、それを打明けず姿をかくしてしまった。

最後の事件記者 p.382-383 中国に生れ、新しい植民都市東京に流れてきた彼女。そこには、スパイではないかと疑っている官憲が。私は抱きしめてやりたいような感じのまま、この美しい異邦人をみつめていたのだった。

最後の事件記者 p.382-383 中国に生れ、新しい植民都市東京に流れてきた彼女。そこには、スパイではないかと疑っている官憲が。私は抱きしめてやりたいような感じのまま、この美しい異邦人をみつめていたのだった。

最後の事件記者 p.384-385 主役のもう一人は、ウェズリー・大山という二世だ。日活会館にあるアメリカン・ファーマシーの社長である。彼は保全のヤミドルで捕ったり、サンキスト・オレンヂのヤミで逮捕状が待っている。

最後の事件記者 p.384-385 主役のもう一人は、ウェズリー・大山という二世だ。日活会館にあるアメリカン・ファーマシーの社長である。彼は保全のヤミドルで捕ったり、サンキスト・オレンヂのヤミで逮捕状が待っている。

最後の事件記者 p.386-387 大親分ルーインが密入国しているというウワサ。ルーインはGHQから「入国拒否者」となっており、日本の外務省も彼を入国拒否者として登録。それなのに、東京を堂々と歩いているとは!

最後の事件記者 p.386-387 大親分ルーインが密入国しているというウワサ。ルーインはGHQから「入国拒否者」となっており、日本の外務省も彼を入国拒否者として登録。それなのに、東京を堂々と歩いているとは!

最後の事件記者 p.388-389 倭島局長が通りすぎようとした。彼の視線に私の姿が入ったらしい。彼は立止った。クルリと振り向くと、グッと私へ憎悪の目を向けてニラミすえた。

最後の事件記者 p.388-389 倭島局長が通りすぎようとした。彼の視線に私の姿が入ったらしい。彼は立止った。クルリと振り向くと、グッと私へ憎悪の目を向けてニラミすえた。

最後の事件記者 p.390-391 三橋もまたソ連代表部員クリスタレフとレポしていたのである。そればかりではなくて、CICに摘発されるや、多数のソ連スパイが、アメリカ側に寝返っていた時代だったのである。

最後の事件記者 p.390-391 三橋もまたソ連代表部員クリスタレフとレポしていたのである。そればかりではなくて、CICに摘発されるや、多数のソ連スパイが、アメリカ側に寝返っていた時代だったのである。

最後の事件記者 p.392-393 三橋事件こそ、典型的な幻兵団のケースだった。つづいて起った北海道の関三次郎事件、ラストボロフ事件、外務省官吏スパイ事件とに、生きてつながっている。

最後の事件記者 p.392-393 三橋事件こそ、典型的な幻兵団のケースだった。つづいて起った北海道の関三次郎事件、ラストボロフ事件、外務省官吏スパイ事件とに、生きてつながっている。

最後の事件記者 p.394-395 当局では「幻兵団」の研究にとりかかった。ソ連引揚者の再調査が行われはじめた。スパイ誓約者をチェックしようというのである。遅きにすぎた憾みはあるがやむを得ない。

最後の事件記者 p.394-395 当局では「幻兵団」の研究にとりかかった。ソ連引揚者の再調査が行われはじめた。スパイ誓約者をチェックしようというのである。遅きにすぎた憾みはあるがやむを得ない。

最後の事件記者 p.396-397 もう全く私の独走だった。自供内容を全部スクープしてしまった。それは五年間も調べつづけて、ほとんど完全にデータを持っているものと、そうでないものとの違いである。

最後の事件記者 p.396-397 もう全く私の独走だった。自供内容を全部スクープしてしまった。それは五年間も調べつづけて、ほとんど完全にデータを持っているものと、そうでないものとの違いである。

最後の事件記者 p.398-399 心やすだてにザックバラン調だ。「じゃ、今すぐ探してくれよ」 「フフフ、モノになったら御挨拶をしなきゃダメよ」「ウン。今日のお茶はボクがオゴるよ」 「それでお終いじゃなくッてよ」

最後の事件記者 p.398-399 心やすだてにザックバラン調だ。「じゃ、今すぐ探してくれよ」 「フフフ、モノになったら御挨拶をしなきゃダメよ」「ウン。今日のお茶はボクがオゴるよ」 「それでお終いじゃなくッてよ」

最後の事件記者 p.400-401 これほどの大騒ぎをするとすれば、その結びつきを立証するもの、ハガキで結びつきを立証するとすれば、鹿地の直筆で、三橋へあてたレポのハガキということになる。

最後の事件記者 p.400-401 これほどの大騒ぎをするとすれば、その結びつきを立証するもの、ハガキで結びつきを立証するとすれば、鹿地の直筆で、三橋へあてたレポのハガキということになる。

最後の事件記者 p.402-403 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消した。ラ中佐は、在日ソ連スパイ網について供述した。失踪が明らかになると、志位正二元少佐は保護を求めて出頭してきた。

最後の事件記者 p.402-403 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消した。ラ中佐は、在日ソ連スパイ網について供述した。失踪が明らかになると、志位正二元少佐は保護を求めて出頭してきた。

最後の事件記者 p.404-405 この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。日幕、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。

最後の事件記者 p.404-405 この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。日幕、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。

最後の事件記者 p.406-407 彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジンだ。

最後の事件記者 p.406-407 彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジンだ。

最後の事件記者 p.408-409 帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、母に叩き起された。血まみれの胎児はまだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。

最後の事件記者 p.408-409 帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、母に叩き起された。血まみれの胎児はまだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。

最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

最後の事件記者 p.412-413 「お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。」

最後の事件記者 p.412-413 「お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。」

最後の事件記者 p.414-415 中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。

最後の事件記者 p.414-415 中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。

最後の事件記者 p.416-417 「それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ」

最後の事件記者 p.416-417 「それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ」

最後の事件記者 p.418-419 こうして、鈴木勝五郎こと私の、佼成会へ入会のキッカケは作られた。成功したのであった。オバさんはコロリだまされて、不幸な私のため涙まで浮べてくれたのである。

最後の事件記者 p.418-419 こうして、鈴木勝五郎こと私の、佼成会へ入会のキッカケは作られた。成功したのであった。オバさんはコロリだまされて、不幸な私のため涙まで浮べてくれたのである。

最後の事件記者 p.420-421 まず、ザンゲをしなければならない。肩を落し、低い声で、とぎれとぎれに語る私に、オカミさんたちの、好奇の視線が集まる。……とうとう女房は逃げてしまったのです。私はすてられました

最後の事件記者 p.420-421 まず、ザンゲをしなければならない。肩を落し、低い声で、とぎれとぎれに語る私に、オカミさんたちの、好奇の視線が集まる。……とうとう女房は逃げてしまったのです。私はすてられました

最後の事件記者 p.422-423 男の入会者はすべて、「色情のインネン」「親不孝」のどちらかである。女に対しては、「シュウト、シュウトメを粗末にしたからだよ。思い当ることがあるだろ?」である。

最後の事件記者 p.422-423 男の入会者はすべて、「色情のインネン」「親不孝」のどちらかである。女に対しては、「シュウト、シュウトメを粗末にしたからだよ。思い当ることがあるだろ?」である。

最後の事件記者 p.424-425 その子は眼の下のホクロが色白の肌に鮮やかで魅力的だ。こんな妄想にふけっていたのも、やはり、支部サンに喝破されたように、もって生れた色情のインネンらしい。

最後の事件記者 p.424-425 その子は眼の下のホクロが色白の肌に鮮やかで魅力的だ。こんな妄想にふけっていたのも、やはり、支部サンに喝破されたように、もって生れた色情のインネンらしい。

最後の事件記者 p.426-427 当時の銘酒屋の建物をはじめ、談話者の写真をも撮っておいた。意外だったのは、マサさんを苦界から身請けした第一の夫、大熊房吉さんに、口止め策がとられていなかったことだ。

最後の事件記者 p.426-427 当時の銘酒屋の建物をはじめ、談話者の写真をも撮っておいた。意外だったのは、マサさんを苦界から身請けした第一の夫、大熊房吉さんに、口止め策がとられていなかったことだ。

最後の事件記者 p.428-429 私は自分の書いた記事のスクラップを丹念につくり、関係した事件の他社の記事から参考資料まで、細大もらさず記録を作ってきたので、私の財産の一番大きなものは、この〝資料部〟である。

最後の事件記者 p.428-429 私は自分の書いた記事のスクラップを丹念につくり、関係した事件の他社の記事から参考資料まで、細大もらさず記録を作ってきたので、私の財産の一番大きなものは、この〝資料部〟である。

最後の事件記者 p.430-431 新聞雑誌にとりあげられた私の報道をみて、私が「グレン隊の一味」に成り果ててしまったことを知って、いささか過去十五年の新聞記者生活に懐疑を抱きはじめたのであった。

最後の事件記者 p.430-431 新聞雑誌にとりあげられた私の報道をみて、私が「グレン隊の一味」に成り果ててしまったことを知って、いささか過去十五年の新聞記者生活に懐疑を抱きはじめたのであった。

最後の事件記者 p.432-433 警視庁へ出頭する直前、務台総務局長は、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片づいたら、また社へ帰ってきたまえ」と

最後の事件記者 p.432-433 警視庁へ出頭する直前、務台総務局長は、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片づいたら、また社へ帰ってきたまえ」と

最後の事件記者 p.434-435 「三光」という支那派遣軍の暴虐ぶりをバクロした本のことで、この暴力団はK氏をおどかし、絶版を約束させたばかりか、金をおどし取ったという話を聞いたのである。

最後の事件記者 p.434-435 「三光」という支那派遣軍の暴虐ぶりをバクロした本のことで、この暴力団はK氏をおどかし、絶版を約束させたばかりか、金をおどし取ったという話を聞いたのである。

最後の事件記者 p.436-437 今度は護国青年隊の番だ。飯田橋のその本部には、革ジャンパー、革半長靴の制服姿もいかめしい歩哨が、その入口に立っている。

最後の事件記者 p.436-437 今度は護国青年隊の番だ。飯田橋のその本部には、革ジャンパー、革半長靴の制服姿もいかめしい歩哨が、その入口に立っている。

最後の事件記者 p.438-439 「君以外の記者じゃ、護国青年隊なんていったら、恐がってやりやしないよ。腹も立つだろうけど、こんな危険な仕事は、君でなきゃできないよ。まげてやってくれよ」

最後の事件記者 p.438-439 「君以外の記者じゃ、護国青年隊なんていったら、恐がってやりやしないよ。腹も立つだろうけど、こんな危険な仕事は、君でなきゃできないよ。まげてやってくれよ」

最後の事件記者 p.440-441 しかし、どんな証拠がでても、中村秘書(当時外相秘書官)は、被害を認めようとしない。「選挙が終るまで待ってくれ」「岸が外遊から帰ってきたら……」と。

最後の事件記者 p.440-441 しかし、どんな証拠がでても、中村秘書(当時外相秘書官)は、被害を認めようとしない。「選挙が終るまで待ってくれ」「岸が外遊から帰ってきたら……」と。

最後の事件記者 p.442-443 立松記者は、デタラメやウソを書いたのではない。相手は、検事の肩書を持つ課長である。立松はそれを信じて原稿を書いた。その結果が現役記者の逮捕である。

最後の事件記者 p.442-443 立松記者は、デタラメやウソを書いたのではない。相手は、検事の肩書を持つ課長である。立松はそれを信じて原稿を書いた。その結果が現役記者の逮捕である。

最後の事件記者 p.444-445 私は、早晩トバされるべき運命なりと、覚悟していた。横井事件などがなくとも、辞めるべき客観状勢であったのである。

最後の事件記者 p.444-445 私は、早晩トバされるべき運命なりと、覚悟していた。横井事件などがなくとも、辞めるべき客観状勢であったのである。

最後の事件記者 p.446-447 安藤と一緒にキャバレーに行き、それから三田は、銀座、渋谷を安藤のツケで飲み歩くようになった。といった、〝悪と心中した新聞記者〟のオ粗末の一席を平気で書いているのである。

最後の事件記者 p.446-447 安藤と一緒にキャバレーに行き、それから三田は、銀座、渋谷を安藤のツケで飲み歩くようになった。といった、〝悪と心中した新聞記者〟のオ粗末の一席を平気で書いているのである。

最後の事件記者 p.448-449 新聞には、書いてものらないのか、書かせてくれないのか。面白い事件はさけるのか。安全第一の雑報記事だけにして、危険をさけるのであろうか。

最後の事件記者 p.448-449 新聞には、書いてものらないのか、書かせてくれないのか。面白い事件はさけるのか。安全第一の雑報記事だけにして、危険をさけるのであろうか。

最後の事件記者 p.450-451 カストリ雑誌全盛のころ、私が「夫婦雑誌」というのに内職原稿を書いているのを知った辻本さんは「オイ。ヘンなものは書くなよ。筆が荒れるゾ。新聞記者は、後世に残るものを書くんだ」と

最後の事件記者 p.450-451 カストリ雑誌全盛のころ、私が「夫婦雑誌」というのに内職原稿を書いているのを知った辻本さんは「オイ。ヘンなものは書くなよ。筆が荒れるゾ。新聞記者は、後世に残るものを書くんだ」と

最後の事件記者 p.452-453 「毛唐相手の記事だ。奴らはすぐ裁判に持ちこむだろう。名誉棄損の告訴状が何十本と出ようとも、ケツは部長のオレが拭く。お前たち取材記者は、告訴に負けないだけの事実をつかめ」

最後の事件記者 p.452-453 「毛唐相手の記事だ。奴らはすぐ裁判に持ちこむだろう。名誉棄損の告訴状が何十本と出ようとも、ケツは部長のオレが拭く。お前たち取材記者は、告訴に負けないだけの事実をつかめ」

最後の事件記者 p.454-455 「会社がツブれたら、社長一家は路頭に迷っても、社員を飢えさせてはいけないものだよ。そこが、人の上に立つ者の辛さなんだよ」と——。

最後の事件記者 p.454-455 「会社がツブれたら、社長一家は路頭に迷っても、社員を飢えさせてはいけないものだよ。そこが、人の上に立つ者の辛さなんだよ」と——。

最後の事件記者 p.456-457 奥付 新宿慕情 定価1,200円 昭和50年11月18日印刷 昭和50年12月1日発行 著者 三田和夫 発行所 正論新聞社出版局

最後の事件記者 p.456-457 奥付 新宿慕情 定価1,200円 昭和50年11月18日印刷 昭和50年12月1日発行 著者 三田和夫 発行所 正論新聞社出版局

新宿慕情 見返し-カバーそで 著者略歴

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